はてなキーワード: 効率とは
ええと、ひょっとしてこちらも「後方互換性」という表現のせいで誤解が生じているだろうか?
すまんけど、念のため、「すまんかった。今まで誰も突っ込んでなかったから通じてると思って安心してたけど」という文から始まる別トラバを確認してみてほしい。(ツリーが乱れるからリンクは貼らないけど、トラバのidは 20240418165652 )
ところで、20年後の2044年に新規発行される新札が、「ほぼ2024年版の渋沢栄一と同じだけど、新セキュリティチップが追加で埋め込まれてる」ものだとしよう。
この場合、小資本のラーメン屋は、新セキュリティチップに対応しない古めかしい券売機のままでも、2024年版の渋沢栄一と、2044年版の渋沢栄一の両方を扱えるよね?
そしてその場合、別に新セキュリティチップについて政府が公開してようが秘匿してようが、ラーメン屋が古めかしい券売機を使い続けられることに変わりはないよね?
互換性を嫌って、新紙幣の肖像を坂本竜馬にする事だってできるけど、「2024年版の渋沢栄一の旧紙幣の偽造の技術的ハードルの高さや経済効率性」は、2044年版の新紙幣がほぼ同一の渋沢栄一だろうが、全面刷新の坂本竜馬だろうが、変わらないよね?
絶え間なく変化する世界経済の中で、技術の進歩や顧客行動の変化、顧客ニーズによってリーダー的存在になりつつある企業がある。今後5年間を展望すると、多くの分野で大きな成長と革新が見込まれている。本稿では、詳細な市場データと調査に基づき、今後5年間で大きな成長が見込まれる世界のトップ13セクターを考察する。
より多くの家庭がスマートデバイスとオートメーションを導入するにつれ、コネクテッド・ホームのコンセプトが注目されるようになっている。世界のスマートホーム市場は、2019年から2026年にかけて11.6%の成長を遂げ、2026年には1,576億9,000万米ドルに達すると予想されている。利便性、エネルギー効率、安全性を求める市場の拡大が、スマートホーム技術の採用を刺激している。
企業や個人のテクノロジーへの依存度が高まるにつれ、サイバーセキュリティの必要性は飛躍的に高まっている。デジタル化が進むにつれ、サイバーセキュリティは個人にとっても組織にとっても同様に懸念事項となっている。サイバー脅威やデータ漏洩の増加により、より強固なセキュリティ対策への需要が高まっている。
浄水技術
水不足がますます世界的な問題になるにつれて、浄水技術への需要が高まる。水処理・衛生システム市場は、持続可能なソリューションへのニーズと規制要件によって、2027年までに1,159億9,000万ドルに達すると予想される。
5G通信
5G技術の拡大は通信業界を変え、自動運転車、IoT、仮想現実、スマートシティなどの分野に高速、低遅延、高度なデバイス接続の機会を提供する構えだ。最近では、すべての新機種が5Gに対応していることが確認されている。詳細はこちらをご覧ください: 未来の成長企業
以下のリンクからすべての情報を見るには、ここをクリックしてください:https://www.sdki.jp/blog/global-industries-that-will-boom-in-the-next-5-years/25
https://b.hatena.ne.jp/entry/4752198473835976704/comment/Knoa
偽札防止の新技術に対応できないのは甘受するとして、新札には読み取り機の後方互換性くらい義務付けてもいいんじゃないか?毎回読み取り機側の特需を経済効果に加算して推進するの悪辣過ぎでしょ。
説明しよう!
まずここで述べている後方互換性というのは、たとえば
こういう仕様にしておいて、スーパーセキュリティチップVer.1にしか対応していない古い券売機でも、スーパーセキュリティチップVer.1だけしかチェックできないものの、新しい1万円札Ver.2もいちおう扱えるという意味だ。一般的な「後方互換性」は「新型機械が古いメディアにも対応する」という意味だが、それとは概念が真逆で、ここでは「新しいメディアが旧型機械にも対応する」という意味だ。この点が誤解を招いたとしたら申し訳ない。
追記: よく考えたら、「ホログラム無しの福沢諭吉から、ホログラムありの福沢諭吉へ(2004年)」って、実質的にここで言う後方互換性を維持した更新だったのでは。あの時は、1000円や5000円は肖像ごと変更になったんで券売機の問題は結局存在していたと思うけど、1000円や5000円もホログラム追加だけに留めておけば、多くの券売機は2004年の刷新を生きのびていたのではないかな。
もちろん、スーパーセキュリティチップなんて仕組みに頼らずとも、もっと簡単な工夫があるかもしれない。あくまで一例だ。それと、旧機械による新札の読み取りを妨げない限り、人間が見分けるための新しい工夫は、いくら追加してくれていてもかまわない。
また、背景にある大きな考えは「新札のたびに機械を入れ替えるなんて、経済資源の無駄遣いだ」と、「それを経済効果としてプラス面だけアピールするのは悪辣だ」という2点である。そういう意味では、たとえば安価なモジュール交換だけで新札対応が済む世の中になるなら、それも好ましい。(既にそうなってるとするブコメもあるのでそれはそうなんだろう。かといって、記事のように高く付く理由もそれなりにあるんだろう(善意の解釈主義)。また、何年も前から予告されていたことだろううんぬんの話も、結局のところ経済資源の無駄遣いの話が前提になる。「いまさら慌てふためく」のがけしからんという話は理解できるが、そもそも機械の入れ替えに無駄な部分があり、もっと効率化できないかという話は、モジュール交換の効率性に置き換えてもらえればわかりやすいが、恒久的に訴え続けてもよいだろう)
ところで、「偽札防止」の観点から後方互換性に懐疑的な意見のブコメもあるが、現状はどうなっているか、もう一度考えてみてほしい。
スーパーセキュリティチップでも、ホログラムでも、透かしでも、なんでもよいのだが、新技術による偽札防止が効果を発揮するのは、あくまで「この券売機は旧紙幣には対応しません」が許されるようになった後の話。当面は、旧札もほとんどの場面で使える。券売機メーカーも、新札発行後にすぐ「旧札に対応した券売機はもう売りません」なんてことにはならない。
もちろん、新札への対応準備は完璧で、券売機も刷新しているだろう。しかし、みすみす旧札のお客さんを切り捨てたくはないので、当面は、旧札にも新札にも対応していくはずだ。じゃあ旧札への対応をやめるのはいつか?それは多くの場合、新規に導入する券売機の最新機種が旧札に非対応になったころだろう。それ以外に旧札を切り捨てる動機と言えば、偽札が横行して、その企業自身が経済合理性に基づいて「旧札対応より偽札被害のほうが大きい」と感じたときだ。(そんな事態が既に起きていて、実はラーメン店も既に相応の被害を出している、という話は聞いたことがない)
スーパーセキュリティチップVer.1しかチェックしない旧券売機さえ騙せればよいので、新しい1万円札Ver.2が流通するようになってからも、「スーパーセキュリティチップVer.1を埋め込んだ、1万円札Ver.1そっくりな偽札」を製造しまくることだろう。
しかし先も述べたように、その偽札は、結局のところ、世の中の券売機が旧札への対応を続ける限り、後方互換性が実現しようがしていまいが、使えてしまうのである。
後方互換性なんて実現してない、現実のこの世の中でも、いまあなたが持っている福沢諭吉の1万円札は、来年も再来年も、新札と旧札の両方に対応した最新型を含む多くの券売機で、使い続けることができるだろう。いまあなたが持っている福沢諭吉の1万円札が、精巧に作られた偽札だったとしても、だ!
ちなみに、ラーメン店に限れば、1000円札にしか対応しない券売機も多く、偽造側の効率面から言っても、現実的な偽札リスクはもともと小さいと言えるだろう。その上で仮に将来500円玉のように偽物が横行すれば(500円玉は韓国ウォンとサイズが一致しただけで、偽造効率の話ではないが)、その時は各企業の判断で「旧札対応より偽札被害のほうが大きい」と感じたときに、しぶしぶ券売機を刷新すればよいのだ。
しかしまあ、こんな心配をするのも、現金がたくさん流通している今だからこそで、次の新札や、そのまた次あたりには、どうでもいい話になっているのかもしれない。
後方互換は世の中の様々な券売機が紙幣のどこを見て判断しているかを把握して網羅的に対応することが求められると思うが、突き詰めると今と同じ紙幣が完成しそうな予感がする。
そう。なので、現実的には「次回の新札から、後方互換性を想定した仕様にします(読み取り機のチェック項目の仕様策定)」という区切りが必要だと思う。その点でもますます、近い将来には「どうでもいい話」になりがちではある。「もっと早くから取り組んでいれば…?」という話でもある。
または、今が過渡期だという前提なら、「今後は現行の福沢諭吉をベースに、追加要素を入れていくだけ」でよかったかもしれない。渋沢栄一を起点にしてもいいけど。んで、お札の人物画像を読み取ってるような古めかしい券売機がほぼ全滅してしまえば、また人物の入れ替えも再開できるだろう。
「これ、ただの運ゲーじゃん!」に辿り着くまでの苦行。「そこに北はあるんだよ」がシリアスなギャグであることを理解するまで賽の河原で石積みするだけの遊び。同じことをやるにしても大富豪の方が手っ取り早いし、旅行先でやるときにもサクサク進むし皆知ってて丁度いい。麻雀が上手くなったら麻雀漫画が楽しめるようになるとか別に存在しない。だって麻雀漫画って本当に最後は「そこに北はあるんだよ」「やる気の問題」で終わるんだもん。そんなオカルトありえないってことさえ認識できていれば(知能がまともなら麻雀歴0秒でも理解可能)麻雀漫画を楽しむには十分です。
とにかく時間がかかる。その割には中身が薄い。別のことしながら観戦するのが丁度いい遊びであって、自分でやる必要はない。これに人生を使ってしまうのは年収1億円を目指して頑張る野球少年だけでいい。
最初は面白いが段々と作業化する。時間がめっちゃかかる割には得られる快楽の量は少ない。その割にはひたすら遊んでしまうので人生のタイパがボロカスになる。終わった後に歴史的な知識が残るとみせかけて実際には「クスコのマンコ・カパックwwwクソワロwww」ぐらいしか身についてないから無意味。
上り詰めて上り詰めてふと気づく、「これ無駄だわ」。スポーツのフリをしているがスポーツではないので体力も身につかない。その割には成長にやたらと時間がかかる。何よりも性格がクソほど悪くなて怒りっぽくなる。このゲームを通して学べることも少なくはないが、失われるモノの方が多いのでやるべきではない。
得られるものは多いが失うものも多いの究極。このゲームを通して人間性を獲得する人もいるが、失う人も大勢いる。とにかく時間がかかることだけは間違いない。気軽にやっていいものではない
友達と遊んだ思い出=プライスレス。だとしてもだ、それは思い出が素晴らしいだけでモンハンである必要はなかった。別にその時間スポーツやろうがメンコやろうが駄菓子屋でだべってようが結局時間の使い方としては無駄だっただろうし、学生が皆でやる分には別にいい気はするんだが、でもゆーて「皆に自慢するために一人でシコシコ炭鉱夫やろ」みたいなのはマジで無駄だったと思う。社会人がやる価値は0。
育成の時間が無駄。単なる乱数ゲーが無駄。読み合いと言いつつただのジャンケン。もうこんなんジャンケンで結果決めろよの世界。数字と睨み合って細かい調整とかそんなん急所に入れば全部ひっくり返るだろ。マジでやってられん。積み込みを持ち込み合う麻雀みたいなもんだろこんなの。
超大作中華SF萌え萌えRPG!←全然そんなことない。こんなんで中華SFを味わってないでいくらでもある中華SFを図書館で借りてこい。そして萌え萌えは別のゲームで接種しろ。中途半端に混ざり合ってるから結果的に効率が悪いんじゃ。アクナイはケモミミディストピアTDなので、可哀想×カワイイのシナジーがちゃんと効いてて効率的。
サクっとやるだけならやる意味がない。ガッツリやるには時間がかかりすぎる。動画で済ませるならやる意味がない。自分でやったら発狂する。
静岡県の川勝知事が辞任して、焦っているのはJR東海の役員連中ではないでしょうか。
ここから先の遅れは静岡県のせいにできません。これからが勝負というところです。
簡単に言うと、中央新幹線を、リニアモーターカーという方式で作ろうと言うものです。
中央新幹線はJR中央線をなぞって作られる予定だった新幹線です。
ちょうど、東海道新幹線は旧東海道本線をなぞった路線であることに似ています。
元々は東京から山梨県甲府あたりを抜けた後、今の中央線のように、山脈を迂回、長野県諏訪市を通って木曽谷を抜けるAルート、伊那谷を抜けるBルートの2ルートで検討され、伊那谷を抜けるBルートで意見が集約されていたと言う経緯がありました。
ところが、2010年頃に、JRがリニア中央新幹線を作るに当たって、首都圏の大深度トンネルと、大規模山岳トンネルを使い、ほぼ直線上に結ぶ「Cルート」を提案、沿線自治体もそれに同意し、建設が始まっています。
そのため、リニア中央新幹線は、並行在来線に該当する路線が無い全く新しい路線という事になりました。
中央新幹線計画は、戦前まで遡れる計画です。初の新幹線は東海道新幹線で実現しましたが、中央新幹線ルートが日本初の新幹線になっていた可能性もありました。
さらには、その当時は長大トンネルではありませんでしたが、山脈を峠越えして直線的に結ぶというアイデアは当時からあったようです。
リニアモーターカーとは、超伝導磁石で車体を浮かせると同時に推進すると言うものです。これはJR方式と言われ、
と言う特徴があります。
中央新幹線をリニア方式で建設するというアイデアは、1980年代に決まっています。山梨県にあるリニア実験線は、最終的に本線に組み入れられる予定で建設されています。
しかし、実は鉄輪式で作ると言うアイデアもありました。ですが、最終的にCルートに決まったことで、リニア方式でなければ建設ができなくなりました。
現在のルートは、リニアモーターカーの登坂性能が実現を可能にしたルートです。鉄輪式の新幹線に比べて、リニアモーターカは坂に強く、加速が速いと言う特徴があることから、実現しました。
また、リニアモーターカーは加速減速が非常に早いため、Cルート以外の迂回ルートでも、最大で7分程度しか時間が変わりません。それぐらい優秀な方式です。
東海道新幹線は東京名古屋大阪の旅客輸送で圧倒的なシェアを持っています。これを航空機で代わりにしようとすると、羽田空港が今の数十倍の規模が必要になるレベルの輸送を担っています。
ですから、これをバックアップするには、同等規模のシステムが必要です。
これは、大きなメンテナンスができないと言う事も示しており、改善が必要です。
さらに、JR東海はその収支のかなりの部分を東海道新幹線に依存しており、これが長期停止するようなことになると会社の存続が危うくなる、と言う意味でもバックアップです。投資をして利益率が下がったとしても、事業の継続性を高める必要があるのです。
ただ、以下の様な理由から、バックアップの社会的な必要性は低いという意見もあります。
東海道新幹線は既に増便数が限界に至っており、これ以上の増便ができない状態になっています。
そして、実際にはかなり無理をして増便をしているため、柔軟な運行ができない状態になっており、災害などの影響を受けやすいと言う問題を孕んでいます。
東京名古屋大阪の輸送需要があまりにも巨大なため、それをこなすためにこだまなど各駅停車の便が遅くなっていると言う問題もあります。
それを、最速到達手段の「のぞみ」をリニアに移管することによって、輸送容量の向上を行おうとしています。
これは言うまでもありませんね。新幹線の目的です。中央新幹線が通る周辺は、高速鉄道と飛行場の空白地帯になっており、東京からの時間的距離ではかなり遠い土地になっています。それらをリニア中央新幹線で解決していきます。
品川から名古屋まで40分、大阪まで67分というスピードがあります。これは大深度地下トンネルを通して、大ターミナル駅である、品川駅、名古屋駅、新大阪駅に直接乗り入れるため、相当に利便性が高くなります。
乗り換え時間も考慮されており、先行開業する名古屋駅では、リニア中央新幹線と東海道新幹線の間の乗り換えは3分を実現する設計です。
品川駅では、山手線までの乗り換えが9分とされており、この数字は、東京駅において、中央線から新幹線へ向かうのと同程度の乗り換え時間ですから、標準的な乗り換え時間と言えるでしょう。
リニアは東京名古屋大阪の大都市間をノンストップで結ぶ便が通常になりますが、1時間に1本程度各駅停車の便が設定されてる予定です。
この、1時間に1本という数字は、成田エクスプレスなど一部の例外を除けば、多くの在来線特急と同等かそれ以上の便数です。
このように早くなることは、従来は宿泊を伴っていた需要が日帰りになってしまうといった問題や、ストロー効果と言われる問題など、負の面も多く考えられますが、利便性という面では間違い無く向上します。
増えると思われます。東海道新幹線の旅客数は、コロナ禍の影響を取り除くと、右肩上がりで増え続けています。
(一般的にコロナ禍は2020年からとすることが多いのですが、鉄道・運輸に関しては、2019年の年末から影響が出ています。そのため2019年以降をコロナ禍の影響とすると、その直前2018年がピークで長期的なトレンドでは増え続けています)
さらに需要は回復傾向にあります。特に新幹線に限定すると、2023から2024の年末年始はコロナ禍前の予約数を10%上回っています。
また、JR東日本は、全線開業によって、東海道新幹線とリニア中央新幹線の輸送量は、2011年に対して1.2倍以上伸びるという予想をしています。ですが、実はこの予想、リニアが開通する前に達成されています。
2010年の東海道・山陽新幹線の旅客数はのべ約2億人でしたが、リニアの直前2018年には2億4千万人と2割増加しており、目標を達成しています。今後も増加していくことでしょう。
様々に分析がありますが、コンセンサスが得られているものは内容です。
ある説に寄れば
一方、インバウンドにその理由を求める方もいますが、実はインバウンドの旅客数は、全体に影響を与えるほど大きくはありません。
最新のJR東海の資産では、7兆円となっています。ただし、既に二年前の発表なので、今は更に増加しています。
更に工事の遅延や問題の発生などがありますので、東京名古屋間だけで10兆円を超えるのでは無いかと言う指摘も一部でなされています。
一方で、運賃は、東京大阪間、東海道新幹線に対して+700円程度と言う話は堅持しています。
単体では黒字にはなりません。何故ならば、東海道新幹線という強力なライバルがいるからです。
しかし、単体で議論する事に意味は無いです。JR東海は、リニア中央新幹線は、東海道新幹線と一体運用で利益を出していくと言っています。
例えば、リニア中央新幹線を黒字にする最も簡単な方法は、東海道新幹線を廃止する事です。ですが、そのような事に意味はありません。
先ほど乗客は増えるのか?の質問に対して応えたように、需要は堅調に推移していますから、計画通り進むでしょう
まとめると
と言うことになります。
なお、リニア中央新幹線はトンネルが多いと言う事で、崩落したら困るから被害が大きくなる、と言った心配がなされていますが、設計的に強度は担保されているという事、またトンネルはそもそも地震に強いため、そのような心配はほとんどありません。
また、リニア中央新幹線は浮上しており、強力な力で保持されているため、浮上しているなどから、鉄輪式よりも地震には強い方式です。
もし停電になっても減速に従って着地するので、急に落下するというようなことはありません。
少なくとも、震度6弱程度でおかしくなるようなことはありません。
日本のリニア技術は既に最先端ではありません。特に中国で盛んに研究が行われており、新しい方式も考えられています。
ですが、実際に実用として実装仕様とする試みは、最先端を言っていると言えるでしょう。
また、JR東海と日本政府などは、アメリカなどに売り込みを図っていますが、まだ正式に決まった計画はありません。これはまだ商用で動いているものがないからです。まずは国内での事例確率に力を入れていくことになると思われます。
また、JR東海の意向や安全保障上の理由として、かつての情報漏洩の教訓から、中国など東側諸国に対して輸出することは現状、有り得ないと思われます。
リニア中央新幹線によって最大の経営リスクが取り除かれるため、経営は安定するようになるでしょう。
JR東海の財務状況を見ると、東海道新幹線への依存が非常に高い状態が続いています。他のJRのように不動産などはあまり伸びていない上に、都市圏の路線が手薄です。
一方で、JR東海は、他のJRに比べて廃線などを行わず、維持する方向で経営を進めています。これは、新幹線で得た利益で地方路線を維持していると言えるでしょう。
この状態で最大のリスクは、大規模災害などで東海道新幹線が動かせなくなることです。これが解消できることで、経営上最も懸念される問題点が緩和される事になります。
最大の問題は、資金です。JRは当初自社資金のみで実施すると表明し、社債を発行、金融機関も融資を実行する予定でした。その返済計画は非常に堅調なもので、東海道新幹線が生み出す現状の利益でも無理なく返済できるような計画でした。
しかし、その計画でいくと、リニア中央新幹線は、名古屋まで開通した後、負債を減らす期間をおいてから大阪延伸に進むと言う計画になっていました。
その状況に、リニアが開通することで、名古屋が東京と事実上一体の経済圏を形成することになる(何しろ、品川から山手線の反対側にいくのと同等の時間で名古屋まで来れてしまいます)事に危機感を持った大阪周辺の政治家・経済界の要請により、国が財政投融資によって低利の資金を供給する代わりに、前倒しすることになっています。
このようなことから、今回の財政投融資は、かつて特殊法人などに資金を供給した「第二の予算」とは性質が大きく異なるものであることがわかります。
もちろんです。辞める理由はありません。
ただ、技術的や制度的には大きな課題が山積していて、本当にできるかどうかは、まだわかりません。
以下に挙げますと
金銭的問題や人手不足などは、時間か資金のかけ方次第ですからどうにでもなると思われますが、技術的問題はなかなか解消が困難です。
最も困難だと思われるのが、大都市圏の大深度地下トンネルの技術的な問題です。ここが最も時間がかかるとしていて、真っ先に着工したものの、進捗が芳しくありません。
一方で、山岳トンネルは技術的にも安定した工法を採用しているため、比較的進捗は良いので、ここは致命的な問題にはならないと思われます。
もしかしたら、2034年に、神奈川県相模原市の車両基地から、岐阜県駅or名古屋駅の間の先行開業というようなこともありうるかも知れません。品川駅までは大阪延伸と同時期ぐらいまで延期はありそうです。
JRは静岡工区のことを強調しながら、2034年以降と言っていますが、それ以外の工区でも遅れが出ています。
近隣自治体には、正式に2032年完成予定といった線表が通知されているそうですので、計画では2032年にできる様な線表で進めつつ、もう2年ほど安全マージンを取っているものと思われますので、早ければ2032年、遅くとも2034年がキーになり、首都圏の大深度地下トンネルという最難関の工事が遅延した場合、部分開業も検討するのでは無いでしょうか。その時点で名古屋まで開業しており、首都圏トンネルの完成目処が立っていない場合は高確率で部分開業へ舵を切ってくると思われます。1
また、関係者はそもそも2027年にできるなんて誰も思っていません。予定通りだった山岳トンネルもコロナ禍で1年半近く事実上工事がストップしていましたし。
さあ?
テスト対象は大小さまざま。OSの保守だったり、アプリだったり。レガシーだったり、モダンだったり。個人だったりチームだったり。GUIだったりCUIだったり。
GでもCでもUIはまた別
結論としては書かないほうがいいと思った。
そういうこともある
全然小さいというか書くためと変更のコストがクソデカなら何か間違ってる
結局、テスト対象も変わってしまうし、プロジェクト設定も変わるし、Jenkinsも変わるし、人間の頭の中も変えないといけない。
まあそれはないだろう
それはデバッグの一環のような
一番よくあるやつ
そこのバランス考えないと
バックエンドのビジネスロジックを担当するがっちり仕様が決まっていて勝手に変更されてはいけないものなんかをやる
悪いね
テストコードを書くと、テストしやすいクラスの実装をするようになる。それは美徳とされているが、実際には直感的でない長くて複雑なプログラムになっている。
例えばテストコードを書くためにDependency Injectionとか言って外から内部を変更できるようにすると
メンバ関数でやるべき処理が実際にはクラスの外にある、となる。最初は面白く感じたり達成感があるかもしれないが、しばらくして見返すと酷い状態だ。
DIはSOLIDに入ってるくらいで基本だし今時のフレームワークなら普通に使うよね
上にも書いたけどパーツがでかいのでは?って「直感的でない長くて複雑なプログラムになっている」とのことなのでやっぱりでかいんだろう
テストコードを書いたほうが早い時もあったけど、トータルで考えれば、テストコードを完全にやめたほうがシンプルなコードで早く完成する。
要件が固まらない、毎週変わるようなのとか、システムが絡むテストでコストが凄く高いもの、UIのマイナーな変更なんかは書かない方がいいけど
ネット上ではテストコードを書かないのは低レベルな開発者という風潮だ。
10年以上、テストコードを書く開発と書かない開発の両方を経験してきた。
■前提
・テスト対象は大小さまざま。OSの保守だったり、アプリだったり。レガシーだったり、モダンだったり。個人だったりチームだったり。GUIだったりCUIだったり。
結論としては書かないほうがいいと思った。
・テストを書くためのコストが小さいなんて妄想もいいところだ。クソデカである。
結局、テスト対象も変わってしまうし、プロジェクト設定も変わるし、Jenkinsも変わるし、人間の頭の中も変えないといけない。
・100人以上かかわる巨大プロジェクトでも「テストコードを書かなかったので破綻した」、とかはなかった。
・テストコードを書くと実装の見落としが見つかってありがたいことはあった。
・git pushするたびに毎回走っても全くの無意味だった。
・テスト対象が変わるとテストを書き直さないといけないのがサイアクだった。非効率化の極みだ。人生の無駄。
・その次にサイアクだったのは、テストコードの実行が失敗したときテストコードのバグであることが大半であったことだ。
・GUIソフトとテストコードは相性が悪いが、そもそも世の中のソフトウェア開発の大半はGUI開発である。
・テストコードを書くと、テストしやすいクラスの実装をするようになる。それは美徳とされているが、実際には直感的でない長くて複雑なプログラムになっている。
例えばテストコードを書くためにDependency Injectionとか言って外から内部を変更できるようにすると
メンバ関数でやるべき処理が実際にはクラスの外にある、となる。最初は面白く感じたり達成感があるかもしれないが、しばらくして見返すと酷い状態だ。
テストコードを書いたほうが早い時もあったけど、トータルで考えれば、テストコードを完全にやめたほうがシンプルなコードで早く完成する。
デジタル化したせいで余計な作業が増えているという記事を読んだ。
https://blog.tinect.jp/?p=86085
自分は80年代生まれのオッサンで記事の著者よりも年配なのだが、これっぽっちも共感できなかった。と言うのも社会のデジタル化が進んだ時代でなければ、まともな生活を送れていなかったであろうと断言出来るくらいデジタル技術に助けられているからだ。
子供の頃より発達障害の気があったのか、とにかく紙を使った事務作業的なことができなかった。手書きの文字が汚すぎて第三者が読めない、学校で配布されるプリント類はまともに整理できないわ、授業の板書はただの走り書きになって見返しても意味不明になるわと、とにかく書類が扱えなかった。手帳を買ってもまともに記録できなくて予定管理もダメダメだった。
そんなわけで、高校までの授業態度を加味した学校の成績は壊滅的だったが、勉強自体はそこそこできたので大学進学はできた。大学生になると授業のレポート作成にPCを使えるようになって生活が一変した。壊滅的だと思っていた事務能力が、PCのおかげで飛躍的に向上したのだ。
まず、まともに資料が作れるようになった。手書きのノートと違って、誰でも美しい文字がかけて何度でも修正が効く。メモ帳でテキスト形式の文章を作っておけば、後から内容を検索して見返すことができる。PCのおかげで高校生まで苦手意識のあった資料作成が得意分野に変わったのだ。
次にデータ管理。PCの検索機能やソート機能には本当に助けられた。ファイル整理を一切しなくても、全文検索や拡張子別に並べて日付ソートすれば目当ての資料が見つかるというのは最高すぎた。紙だとそうはいかないので大変だった。
↓
数ヶ月後に別の書類が必要になった時、前回の捜索でひっくり返したせいで資料がぐちゃぐちゃになって見つからずさらにひっくり返して探しまくる
↓
その次、別の書類が必要となった時にはさらに棚が混沌としておりもはや発見困難…
というような悪循環を繰り返していたので、デジタル化によってようやくまともに資料管理ができるようになったのだ。
就職活動のときもデジタル化に助けられた。そもそも手帳が使えない人だったので、PCからでも携帯からでも入力できるGoogleカレンダーがなければスケジュール管理が不可能だった。履歴書だって、手書きで作ると字が汚すぎて門前払い喰らっていたかもしれない。
学生の時点でこうなので、就職してからはなおさらである。紙ベースで仕事する職場だったら、入社直後に社会不適合者のレッテルを貼られてしまい、干されてパワハラ受けて鬱で退職していたかもしれない。今の職場で15年以上働き続けて、いつしか管理職になり、今では部下を持ってそこそこ仕事が出来ているのはデジタル化のおかげとしか言いようがない。
仮に自分が昭和や平成初期に社外人になっていたかと思うとゾッとするので、デジタル化が進んだ時代に生きることができて本当に良かったと思っている。そんなわけで、この手の社会のデジタル化の議論をする時は、効率の面だけでなくて発達障害の気のある人の救済になっているという側面についても、もう少し注目されても良いのではないかと思う。
どうもこんにちは!
じいちゃんばあちゃん若返る の第一話を見て、どうしても突っ込みたいところを突っ込むので気が向いた人だけ読んでくれ。
漫画の方は今後買う予定だけど今月クレカの支払いがヤバいので来月以降の予定。
ちなみにこれは「こう書かなきゃ行けない」という話では無く、興味を持ってくれた人により深く楽しんでもらうための解説であるからして、そのつもりでひとつよろしく。
りんごは高木にあたるので、そのままにしておくと凄く大木になってしまう。すると作業性が著しく悪くなる。剪定、収穫、防除が難しくなる。
また、日の光が均等にかからないとまずいので、背が高くならないように、また横に向かって伸ばすように育てる。
そのため、上から見ると、枝が放射状に横に向かってにょろにょろと手を出すように広がっていく。
ただし、こうするとりんごの実がることによって枝が折れたりする。それを木の棒で支えている。これも作中で描かれているね。
じいさんばあさんが昔植えたという、そして黄金りんごを実らせた木がこれにあたる。古木に多い。
一方で、作中には、並木状になっているりんごの木があったと思う。これを「矮化栽培」という育て方だ。
先ほど言ったように、りんごというのはそのまま置いておくと大木になる。またコントロールが難しい。そこで、わざと大きくならないりんごの木を作って、それを高密度に植える育て方、それが矮化栽培だ。
りんごに限らず果樹は基本接ぎ木苗である。根っこの部分には生命力と根が強い木を台木にし、更にその上に目的の木を接ぎ木する。通常はそれだけなのだが、そのままでは大木になる。
そこで、根っこの台木の上に、一度矮台という大きくならない木を間に挟んで、更にその上に目的の品種を継いだ特殊な苗を使う。これを矮化栽培という。これによって木が大きくならずに育てる事ができる。
のだが、しかしこの矮化栽培も、だんだんと木が大きくなってきて、旧来型の丸木栽培に近くなっていく。こうして、並木のように並んでいる大きなりんごの木ができる。
じいさんばあさんは戦中派なので、最低でも90歳オーバーであることを考えると、ちょうどこの矮化栽培の普及時期に開拓をしていると思われる。
若返ったので、今後、じいさんばあさんは改植を進めていくものと思われる。
大きくなった矮化栽培は、矮化栽培のメリットがほぼ無くなる上に、丸木栽培よりも高密度なので丸木栽培のメリットも無い。と言う事で、通常は一定より大きくなったら切り倒してしまって、新しい苗を植える。この時に最新の品種を取り入れたりする。これを改植と言って、果樹農家は基本的に絶えず行っていく。
のだが、改植すると当然一時的に収入が減る。また高齢になってくるとなかなか未来の事を考えて行動するということができにくくなってきて、改植が進まない。
そこで、じいさんばあさんは大きくなった矮化の木を残していた(矮化栽培は枝を支える手を使うレベルまで育てるのは育てすぎ)と思われる。
が、若返ったので、この後は矮化栽培を進めていくと思われる。
さて、今の時代は、更に進んだ栽培方法がある。じいさんばあさんは、日本でりんご栽培が本格化するところ、その近代化を担ってきた世代である。当時最先端の技術を使ったベンチャー企業みたいなものだ。そう言う精神を持っている2人なので、今後は新しいことを入れていくと思われる。例えば以下の様な栽培方法がある
まず、OP 果樹農家が使うのは三脚なのだが、これが脚立になっているのは、おそらく参考になる品物が近くになかったからかな。
基本的に果樹農家が使うのは三脚である。足が多い方が安定するように思うかもしれないが、三脚の場合は3本目の足の位置を調整することで下が安定していない坂などでも安全に安定させる事ができると言う特徴がある。これが脚立の3本足だと、一本が浮いてしまうのだ。
日本では、伝統的に平坦な場所はコメまたは麦を育てる場所として使われる。そのため、果樹園は傾斜地にある事が多いのである。
りんごの栽培が本格化したのはここ150年ほどで、更に言うと戦後である。戦争から引き上げてきた人々が、食っていくために開拓をした土地にりんごを植えた所から本格化している。
日本の農業は米を重視していて、それに適した所はほぼ開拓されていた。その残りと言うのは、傾斜地で水がなかったりとするところである。そこを開拓した所だ。
じいさんばあさんは戦中に生まれ、若い時期を戦後の混乱期を過ごした人たちなので、恐らく先祖伝来の土地よりも、自分たちで開拓した土地の方が多いと思われる。
ただ、聞くところによると、2人とも元々地元の豪農の生まれらしいので、そういう点ではあるのかもしれない。
全国から考えると比較的収益性が高く後継者も多い優良な事例が多い。また、じいさんばあさんは最低でも90歳と考えると、恐らく息子さんは定年直前ぐらいではにだろうか。
一緒に暮らそう、と言うよりも、どちらかというと定年帰農を考える話になっていくのが現実によくある話だと思う。
そうすると話が複雑になってしまうので、省略されたのだと思う。
フルリモートって生産性とか効率で評価されがちだけど、通勤にかかる時間を考慮されてないのがおかしいよな
出社にするなら、その通勤時間も業務したとみなして給与を払ってもらいたい
その給与も考慮したうえで、生産性はリモートワークより優れてるのかをはかるべき
いわば毎日2時間、3時間をサボって残業してるのと同じわけだけど、それでも出社のほうが生産性がいいのか
そう思うなら出社にすればいいんじゃないの
よく知らんけど動物は生まれた段階で基本的な動作は全部知ってるんだろ?
実際にそれを実行に移す勇気が足りないだけで、なにをやればいいかは知ってるというかさ。
まあなんとなーく1+1=2で2+1=3なのは脳みそが最初から知ってるっぽいんだけど、そこが限界で割り算や掛け算は全然ムリじゃん?
効率悪くねーかな。
「自他の境界」とか「事実と予測の切り分け」とかそういうのはもう完全に社会の中でみにつける前提だしさ。
ゼルダで爆弾もブーメランも初期は持ってないのは納得できるけど、ジャンプ・剣・ローリング全部出来ない所からスタートはエグいやろ