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2024-04-03

魔女裁判切支丹弾圧がごっちゃにされている件

××じゃないなら◯◯と言え!

 

というのはSNSなどでよく見られる詰め方だが

例:暇アノンじゃないなら暇空の誹謗中傷を支持しませんと言え 等

これに対して、令和の魔女裁判だよ!などという言説をちょいちょい見かけるが

これって別に魔女裁判とは関係なくね?

 

これで言いたいのっていわゆる「踏み絵行為させるなってことだろ?細川

お前がキリスト教徒じゃないならイエスの絵を踏めるよな!?踏め!って奴だろ。

これ、魔女裁判じゃなくて切支丹弾圧だろ。

どっかでごっちゃになっちゃってないか

 

魔女狩りは何らかの信仰や心酔に対する行為ではないでしょ。

魔女裁判における似たようなのがあるけど、それって

水は聖なるものを受け入れるから手足縛って池に投げ込んでも魔女じゃないなら浮かんでこないはずだ!

とか

炎は聖なる存在から魔女じゃないならアチア鉄板の上を平気で渡れるはずだ!

とか、そういうもっと何の話やねん、お前ら有罪にしたいだけやろ!ってやつじゃん。

少なくとも、踏み絵行為とは全く別の概念だろ。

 

どこで魔女裁判切支丹弾圧がごっちゃになっちゃったんだよ。

2022-11-08

anond:20221108232901

豊臣がやったってゆう日本統一も実はそういう奴なのかな!?

あいつら切支丹は死罪と言っときながら自分たちは密かに侵攻してたのか

2016-12-06

[] 遠藤周作沈黙』 ※追記

なんかマーティン・スコセッシ監督人生五指に入るほど好きな映画監督)が遠藤周作の『沈黙』を映画化したらしいので、積ん読していたのを読んだ。以下はそのメモ(間違ってるかも)。

どうもテーマは以下の3つらしい。

信徒がどんなに辛い目にあっても神が彼らを助けもせずに沈黙しているのは何故か(神はいないのではないか

クリスチャンと言えど、拷問に対する恐怖から踏み絵を踏んでしまう心の弱い者もいる。これら弱き者は救われないのか。

日本キリスト教が伝来しても、それは日本特有の何かに変容してしまって、本来キリスト教日本根付かないのではないか

テーマ① 神の沈黙理由

結論:神は沈黙しているのではなく、信徒に寄り添い、その苦痛・苦悩を分かち合って下さっている。

◇考えたこと:神がいるならなぜ苦悩に満ちた人生で何か声をかけてくれないのか、とは誰しもが考えたことだろう。それに対する卓抜な回答だと思う。辛い人生の慰めになる。

本作の元ネタの1つはヨブ記だろうけど、この解釈ヨブ記に逆照射すると面白いかもしれない。信徒に苦悩を与えるヤハウェと、それを分かち合ってくださる「仲保者」(=キリスト)ということになるか。

テーマ② 弱き者は救われないか

結論:弱き者も救われる。弱き者には弱き者なりの苦悩があり、踏み絵を踏むことを拒否して拷問を受ける信徒と変わりはない。

◇考えたこと:これも大変慰めになる。誰しもが踏み絵拒否できる強い信徒ではないし、むしろ弱き者の方が大多数だろう。そんな中でのこの結論は心強い。

テーマ③ 日本キリスト教受容

結論:書いてない?

◇考えたこと:神の存在聖書というテキストで表されている以上、そこには解釈が入らざるを得ないし、解釈に際してはその人の人生観世界観がそこに入り込まざるを得ない。

その意味で、西洋キリスト教日本キリスト教は違うと言われても、そらそうだろうという感じだった。

おわり。一読目だし、『切支丹屋敷役人日記』がいまいち理解できてないしで、間違ってるかも。

日本小説だけあって、論文ネット上にpdfでいくつか転がっているので、読んでみたい。

[追記]

本作にまつわる良いQ&Aがあったので貼っておく。

http://q.hatena.ne.jp/1344564565

 
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