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はてなキーワード: 共感とは

2024-04-22

友人と距離を置いている

10年くらい前に推し活を通じてTwitterで知り合って、推し活抜きでも会って遊んでいた子がいた。随分仲良くなったのでTwitterだけでなくインスタやfacebookなどのアカウントも交換し、しょっちゅう会わなくても互いの近況を把握できる程度には親しかったと思う。

関係が変わってきたのはコロナ禍で外に出ることが難しくなった頃から。その子Twitterもインスタもfacebookも何かおかしいというか、推しの話をしなくなったのもそうだけど、無関係他人への憎悪や妬みが垣間見えるようになったというか、垣間見えるどころではなくなったというか。

インスタで暮らしぶりの良さそうなインフルエンサー投稿に「お金がある人はいいですよね〜」とか、不動産広告投稿に「お金がある人しかこんなとこ住めないです」みたいなコメントをつけてたり、facebookで「自分普段からクソだと思っていた人物についての記事に、自分と同じように思う人が沢山いていっぱい怒りのコメントがついてたから、やっぱりそうだよねーと思った」とかい記載とともにリンクシェアしていたり。リンク先飛んでないから分からないけど(その人物に興味がない上にわざわざ時間使ってクソコメとか読みたくない)、何で?そんなことするの?と思って。

何が分からいかって、その子暮らしにとって全く関係のない知らない相手に、何故そんなわざわざ不愉快コメントつけたりするのか、何故誰の得にもならない不快リンク実名シェアしたりするんだろうか......ということ。何でそんなことするんだろう。

コロナ禍入ってすぐくらいは普段遊んでいた頻度でビデオ通話をしていたけど、その子SNSでの振舞いが怖くて、もう2年程こちからは連絡を取っていない。たまに連絡がくるけど、推しのことは全然話題にならず仕事世間への愚痴ばかりであまり共感できない内容なので「そうなんだね......」しか言えなくなった。愚痴のこぼし先としては不適格だと思われたのか最近はあちらからの連絡も少なくなってきたので、このまま何事もなくフェイドアウトしたい。ただ、コロナ禍も明けてだいぶ経ち推しもそこそこ活発に活動をしている中、もし推し現場で出くわしたらどうしようと思うと何とも言えない気持ちになる。

無邪気に推し活を楽しんでいた頃は楽しい話ばかりしていたのに。

anond:20240422102755

順番が逆で

人は皆、生まれながらに生きづらい

もちろん個人差はある、それぞれの環境適応できれば「そんなに生きづらくない」という人もいるだろう

しか本質的に一個人にとってこの世はままならない場所で、生きづらさは一種の基本姿勢

生きづらさの理由を、人はそれぞれ求めたがる

性別に、性志向に、身体的特徴に、親兄弟に…

そして共感や同情、連帯を得たいと思うのだ

「生きづらさがわからない」と言われる人がいるとしたら、それがすでに生きづらい理由だとも言える

anond:20240422113917

共感性が低いのはあってるけど、軽くななめ読みでいいから元の文章は読んでほしい

具体的に何がつらいのか問われてるのにその解答では0点だよ

anond:20240422102755

からないというのは、要するに共感性の低い人間だということだろう。

ミラーリングは上手くいかなかった。

いじめられてる男子は、着替えを覗かれる女子のようには理解されなかった。

考案者が見落としていたのは、いじめられた被害経験のある男子の数は、実は少ないということ。

から悲惨さを想像できず共感を得られなかった。

立場の不均衡があり過ぎて境遇理解されない。ここに女性絶望がある。

足を踏んでいる側は踏んでいることさえ気付かないのだ。

ところで、この結果から重要洞察が導かれる。

真に虐げられてる人が訴える被害は、笑われているはずだ。

笑われてる人を探せ。

誰にでも笑われてる人がいるならば、すなわち彼は誰よりも被差別者なのだから

新幹線ナラ問題の整理

新幹線ナラ問題とは

発端はこのX(旧Twitter)のポストである

୨୧ あみちゃん ୨୧出稼ぎ民୨୧@amirichaaan

本当に男ってキモい

https://x.com/amirichaaan/status/1781263819861532792

新幹線自由席に座っていた若い女性の隣におじさんが座った。若い女性はそれをキモい・加害だと感じ、おじさんを盗撮してXにポストした。このポスト女性から広い共感をもって受け入れられ、万バズ(いいね数が1万を超えること。非常に共感されていることの指標として使われる言葉)を達成している。

一方で、この女性に対する反感も強く、男性からも強い非難が幾らか寄せられている。現状で引用ポストも1万を超えており、その中には女性非難する内容で万バズを達成しているものもある。

議論ポイント

  1. 若い女性は自由席に座っており、空席はいくらか存在する状況だった
  2. 若い女性は隣の席に荷物を置いて占領していた。女性の力ではキャリーバッグを上の棚に載せることができなかったためである
  3. おじさんは若い女性に声をかけて隣に座った。若い女からは、おじさんが意図的に、加害するためにそうしたように見えた
  4. 若い女性は隣のおじさんがキモいことをXにポストするためにおじさんの足を撮影したが、それは同意を得たものではなかった(盗撮であった) 

女性観点共感

女性共感ポイントは、多くは3であるように思われる。女性の多くは、「空いている車内でわざわざおじさんに隣に座られる」という経験をしており、そのことに少なからず恐怖心を抱いている。そのため今回の件も、若い女性の隣を意図的に選んだことがキモい・加害であると感じられた。

おじさんは意図的若い女性の隣に座ったのか?というのが議論ポイントの一つになっている。男性からすれば、「自由席なのでどこに座ろうと自由であり、意図して若い女性の隣の席を選んだわけではないのではないか?」という反論がいくつかある。

おじさんが若い女性の隣を意図的に選んだ可能性は高い。2の通り、女性は隣の席に荷物を置いて占領していた。本当にどの席でもいいと考えているならば、他に空いている席があるなかでわざわざ荷物が置かれている若い女性の隣は選ばないだろうと考えられる。

ただし、おじさんに若い女性の隣に座りたいという下心があったかは定かではない。自由席を独りで2席使おうとする女性の目論見を崩してやりたいという、どちらかというと社会正義的な意図で座った可能性も指摘されている。

少なくとも、おじさんが若い女性に分かりやす加害行為(足を広げて接触しようとする、声をかけてナンパする、など)をしていたとは書かれていない。しかし、女性には分からないように加害行為に及んでいた可能性はある。(匂いを嗅ぐ、女性身体をジロジロ見る、など)

男性観点の反観点

男性の反感ポイントは、主に2と4であると思われる。

まず2のポイントについて、自由席乗車券さえ買えば誰にと座る権利のあるいわば公共の席であるのに、隣に荷物を置いて占領するのはマナー違反であるという話だ。

ただ、マナー違反なのはその通りではあるが、満員で人が溢れている状態ならまだしも、いくらか空いている車内で隣の席を荷物に使うことは殊更に指弾するほど悪いことではないと考えられる。

加えて、女性には非力であるためにキャリーバッグを持ち上げられないという理由もあった。若い女性が隣に誰にも座らせないという悪意をもって隣の席を占領していたとは言いづらい。

4のポイントについては、おじさんが意図して悪いことをしたわけではないのに盗撮するのは悪だ、という反感が多くあった。

盗撮については確かに迷惑行為であり、おじさんに対する攻撃的態度であることは否定できない。ただし、写真に写っているのはあくまで足の一部であり、それは性的な加害や、個人特定する目的で撮られたものではなかった。

若い女性にとってはおじさんがわざわざ隣に座ってきたという恐怖心もあり、その恐怖心が盗撮という行為に及ばせた可能性も大いにある。

anond:20240421153232

つくたべ

凪のお暇

明日カノ

このへんが好きな女が苦手

アンチフェミというわけではない(というか自分フェミだ)

被害者意識が起点になってる表現共感するタイプが嫌いなんだと思う

anond:20240421225408

問題社会の低知能化。

学術が衰退しメイク学部が勃興、政界芸能界化が進行して

見た目・雰囲気共感社会運用されていく。

2024-04-21

anond:20240421194330

盛り盛りしすぎて逆に共感得にくくなっている好例

岡山の県北でもそこまでではない…アニメの2週間限定上映なら別だけど

そもそも映画代含めるのおかしいし…

文化的格差を言うなら、テレビ県域制度だけで十分

芝居とか漫才見ようと思ったら、新幹線乗らなあかんやん

高速代で6000円とか相当な未開発地域を想定しているみたいですが、地方都市度にもグラデーション的に色々あるので、多分、違和感を感じている地方民もけっこういそうな気が....

anond:20240420164311

https://togetter.com/li/2350181

雪わいこ先生の「社畜アイドルにハマってしまった話」の推し活が人生を彩る描写共感する声続々

これも30代まで

anond:20240421101600

自分海外に行かない・外国人としての立場経験する見込みがないか相手共感する必要もないし、最大限ふんぞり返って居丈高に接します」ってことだよ

わーくにのスカスカ国士様をナメてもらっちゃ困る

anond:20240421112230

冷静な自己分析だな良く出来てるなと思って読んでたけど

ADHDってASDと違い共感性には問題いから実は能力に劣る部分以外は恋愛に不利じゃないと思うよ

女ならその部分は特に不利じゃないよ不利になるならそれは男の話

2024-04-20

anond:20240420212328

そういう共感があることは否定しないよ。

ただ、それは多くの人が共感するような説得力の変わらない一般的歌詞の話では?

anond:20240418200740

ワイ、それぐらいの地方都市出身

この増田にとても共感できる

人口数十万で都内へのアクセスは悪くなくて商業施設は充実した地方都市

 

このレベルの半端な田舎

都会に行くほど優秀でもなくて

でもギリギリ仕事はできる中途半端な知能を持っているから。

精神生活ができない人よりも本気で鬱憤が溜まっている

 

自分無能理解する知能程度ならあるため

人間として一番めんどくさい

 

結婚Iターンしてきたとか言い訳してる人も

「都会でやっていけなくなったので安い地方で暮らすしかない」が本音(仕事を見ればわかる)の人たちが多い

このタイプの人たちは家庭のストレスと、自分への苛つきでめちゃくちゃイライラしている。

 

スキル学歴ないけど私は主婦ですとか威張ってるだけの謎のお局とか

都内でそこそこ名のある(超有名企業ではない)会社でやっていけなくなり自主退社したおっさんが零細で偉そうにしてたり

その下に都内では暮らせないスキル感のどうしようもない人たちがぶら下がっている

 

その土地に生まれて、かつ地元愛があるので残っている優秀な人もいるのだが

優秀であるが故にそういう品性やばい人間が大量にいる職場に耐えられなくなり

別に都内に行きたくもないのに「生活のしやすさ」を求めて出ていきます

 

中途半端地方都市

魔窟です

 

増田ガチ炎上するのも

そういう「つつついてはいけない連中」に刺さったか

 

ワイもパワハラ三昧で逃げた

この人たち連合組んでパワハラして優秀な人追い出すから

優秀な人がいれば自分たちの仕事無くなるじゃん

2024-04-19

チー牛女、垢抜けを決意する 1日目

転職してからもう何年も使ってる最寄駅の壁は前からこんなに煤けた色だっただろうか。

初めてこの通路を通った時は、最寄りがこんなにきれいなだってことに密かにモチベーションを上げて面接に挑んだような気がする。

から目を離して看板を見上げる。エスカレーターを登って、ホームに着いて、先頭車両へまっすぐ向かう足に淀みはない。

一連の動作身体は覚えてるのに慣れない景色を見ている。毎日いか歩きスマホをしていたかが浮き彫りになって少し怖くなった。

昨日充電せず寝落ちしてしていなかったら、ずっと気がつくことはなかったんだろうな。

辺りを見渡すと、1人の人はほとんどが俯いてスマホを眺めている。私もいつもはこの風景の一部なんだと思うと、1人だけ夢から覚めてしまったような変な感覚に囚われて、帰宅するまではそれを楽しむことにした。

 

こうして見ると、世の女はみんな可愛い

SNS見て病んでる人は外に出ろ 美女なんかいいから」という言葉勝手に安堵してた自分が恥ずかしい。外に出て勇気をもらえる人は私とは次元の違う容姿で、芋ブスが共感するのなんか身分違いにも程があったことに気がついてしまった。

みんな髪の毛は綺麗にセットされていて、ほんのりシャンプーのいい香りがして、化粧も姿勢も崩れてないし、平均体重を下回ってるはずの私よりもずっと細い人がそこらじゅうにいて、なんか上品な服を着てる。

私はこのホームの中で、最も階級が低いダサくて清潔感のないおばさんなんだ。三食チーズ牛丼なんだ。

洗濯物の山から拾い出したしまむらのシャツと、GUセールになってたやたら厚手のパンツが急に気になり始める。前髪を整えてみるけど、半年以上美容室に行ってない、セットもしてないような髪はすぐに元の寝癖に戻った。

 

可愛くなれるとは思わない。ただ、このまま生きてたら私は化け物になる。なんとかしないと、取り返しがつかなくなる。

やらなきゃいけないことは山ほどある。やめるべきこともたくさんある。

 まずは帰って、風呂に入って、髪をちゃんと乾かしてから寝るところからだ。

 

anond:20240418114405

彼女らをなんとかするには優しくすべきなのはたし🦀そうだと思う。

でも、下手なやり方で優しくするとか共感するとかすると益々そういう思い込みを強化しちゃうのが厄介よな。

実際、集団共感しあうことで、こういう思い込み世間女性たちに広まってるよね。

岡崎律子メロキュア

岡崎律子を知ってる人は多くないとは思うけど毎年この時期になると思い出してしまう。

いたたまれないこのモヤモヤを一旦出力しておこうと思う。

そのうちどこかの記事にまとめるかもしれないけどそうなっても許して欲しい。


2004年3月17日彼女リーダーをしていたメロキュアベストアルバム『目処ディアスハードキュア』が発売された。

彼女の作る楽曲歌声は俺の荒みきった心にスーッと染み渡る即効性があった。

本当に生活や世の中への不安共感してもらえたような気持ちになれた。

本当に完璧アルバムなので一度聴いて欲しい(DM)。


CDが発売されてかしばらくしてストアイベントをやるとの告知が出た。

しか突然だったと思うけど当時飛ぶ鳥を落とす勢いで調子にのっていた俺は

「こういうのは発売前に告知しろコロムビア常識が無いのか!?

「もうアルバム買っちゃったしどうすればいんだ!」

などと思ったのかもしれない。

このあたりの記憶曖昧だ。


渋谷HMVでのイベントアニソンには似つかわしくない場所だよなと感じたのは覚えている。

そもそも当時44歳の彼女は表に出てくることはほとんど無いのだ。

俺は勇気を振り絞ってヤングの街渋谷の領域に行く決心を固めた。

今にして思えばこれは虫の知らせだったのかもしれない。


イベント当日の2004年4月6日渋谷場違いな俺、いや、俺達は100人くらいだったと思う。

HMVCD売り場にちょこっと作られたイベントスペースに集合させられた。

表現は悪いかもしれないが、ソーセージ試食や半額弁当に群がるハイエナの如き様相だった。

鎖で囲われ脱出不可避の晒し状態になりイベントスタート

ハイエナ共を囲った鎖の外には望月久代も来ているのも確認できた。

明らかに業界人じゃないし通りすがり一般人でもない普通の人が何人か認められた。


ミニライブではあったが彼女の肉声は本当に最高だった。

この時受けた感銘は一生忘れることはない、し、この気持に異論を唱える人は誰ひとりいないと思う。


彼女は『ふたりのせかい』では振り付けまで披露してノリノリだった(この振り付けはこの楽曲を耳にするとついやってしまうくらいお気に入り)。

MCでは(別に嫌というわけじゃなかったけど)はしゃぐ彼女と、イメージとの違いに若干の違和感はありました。

相方日向めぐみも「リーダーはしゃぎすぎだからもっとおさえて!」と訝しげにしていた。

握手会でも彼女は丁寧にコミュニケーションをとっており、日向の流れ作業とは本当に対象的だった。

ものすごい牛歩だったけど、そろそろそのくらいで!とか声を荒げるスタッフはいなかったのも印象的だったな、やるじゃんコロムビア

このイベントに本当に参加してよかったと心の底から思えた。


そしてそれは突然訪れた。

イベントから1ヶ月後の2004年5月12日彼女訃報読売新聞掲載された。

彼女2004年5月5日敗血症ショックのため永眠した。


俺達は知るすべは無かったか2004年6月6日読売新聞の追悼渉によると1年ほどの闘病生活だったそうだ。

2003年5月に胃ガンと診断され翌月から入院、病室にキーボードを持ち込みでクリエイティブ作業継続

(ちなみにこの記事掲載された彼女写真2004年3月撮影されたものであった…)。

日向めぐみ望月久代の「なんて目をするんだ…」という様相は俺達に向けられた侮蔑眼差しではなかった。

場違い普通の人たちはケアマネさんかもしかしたら医療関係者だったのかもしれない。


このような状況下で『メロディアスハードキュア』は造られ俺達に届けられたのだ。

突然のイベント告知は彼女の体調次第、おそらくは彼女わがままを押し通したのだろう。

正確なところを知るすべは無い…しかし俺は感じ取ることは出来たのだ…

他人一方的愛情を向けることの気持ちよさと恐ろしさについて

一方的愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元キャラクター」だとか、そのあたりのことだ。

から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。

近日、「蛙化現象」という言葉があたかミームのように流行った。流行ったそれ自体誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。

あるとき自分分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。

これが、適当意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすとき根底にあるんだろう。

己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である

から、「自分いちばん近くで自分理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。

ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。

から、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。

本題。

私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。

特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである

ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。

自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。

私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。

元々はAの紡ぐ言葉けが大好きだった。

世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズ自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。

そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。

要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。

から凄く辛い。

自身尺度他人の持つポテンシャル性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。

なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。

Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空人物言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。

ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。

自分特に好きなAの言葉は、主に後者だ。

とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路バックグラウンド空想してしまう。

まあ、ただ考察するくらいなら至って個人自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。

どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライド自分性質がそれを許してくれない。

薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。

私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。

だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。

私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。

拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察事実であろうと、他人が私の秘めたる感情時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。

Aの言葉は、結構これに類するものが多い。

自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。

そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉自分の中で大事大事仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。

あくまでも自伝であるのに、その言葉共感したり感銘を受けている私が。

だけど、好きなのである。どうしても。

人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉性格に惹かれる。

けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。

から絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。

私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。

乱雑でこんがらがったままだけれど、自分感情を推察する余地他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。

最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである

他人一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとから好意を受け入れたい。自身根本を推察されることを拒絶したくない。

とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。

このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います

2024-04-18

anond:20240418225124

共感羞恥は恥ずかしくはなるけど、叩く方向につながらないでしょ

自分を呪うとか、生暖かく見守るとかそっち方面に行くんじゃね

anond:20240418224851

いやそれこそ共感性周知じゃね?

「昔自分もやった痛々しい黒歴史を今やってる若者を見て恥ずかしくなる」のは嫉妬じゃなかろ

anond:20240418214025

ミラーリング・チェック

ガチャポン弱者男性シリーズ

☑️ 売れそう

パルワールドのように、あえてタブーに挑戦すると爆発的に話題になりうる。

爬虫類を飼ってる家庭が多いのは、キモい生き物を所有してコントロールするのが気持ちいいという側面がある。

キモくてカネのない手乗りサイズおっさん全12種類、とかは結構良さそう。

☑️ 目的中傷ではない

ソフィーフィギュアは基本愛でる需要のために作られて、女性を傷つけるという意図がなかったのは明白だ。悪意がないからこそ無意識迷惑さを浮き彫りにさせるためにミラーリング必要になった。

弱者男性シリーズが当て擦りのために作られたと思われるとミラーリング効果はないだろう。

しかし上述の通り、普通に所有欲を引き立てられるので、その恐れはない。

☑️ フィクションである

着替えを覗かれて涙目で怒る女性現実には存在しない。女性を覗こうとする欲求特に責められない男は現実存在する。

弱者男性フィギュア現実の男たちを風刺してると捉えられるとダメだ。

ガチャポンおっさん達に名前をつけ、キャラクターに仕立てる必要がある。

☑️ 男女の立場の不均衡があるため、加害者側は足を踏んでることに気付かない

弱者男性社会に置き去りにされる問題は、ポリコレへのバックラッシュとして噴出したのであり、それを主張してるのは主に男性アンチフェミ論者などだ。

一般女性層にはあまり浸透していないと思われる。

たとえば童貞いじりなど、男性あざ笑う行為比較問題視されない傾向にあった。まさしく不均衡による不可視化されてる状態と言える。

…………ここまで見て、概ねミラーリングとしては成立してると判断する。

さて、その上で男性たちが「ぐぬぬ」と唸るか、「ほらね」俺らは十分我慢できるし女も我慢しろよ、と高を括るか、ミラーリング効果を予想しよう。

☑️ 男性アイデンティティを刺激して、共感を覚えさせられるか

おそらく弱者男性として生きづらさを訴える層は、それなりに厚い。

現代では、フェミニズムへの反抗分子だけでなく、純粋に虐げられてる立場男性は多いからだ。

オレは弱者男性だ、と素直に手を上げてる人はたまに見るが、弱者男性だと言われて激昂して否定するシーンは見たことない。

これは弱者男性アイデンティティとして十分機能してるためだと思う。

男性全員の心に訴えることこそできないが、しかそもそも女性フィギュアの時点で別に怒ってない女性もそれなりにいたと思われる。

全員の共感を誘うのは無理でも、一定数の人々の反応が炎上として観測できればミラーリング説得力を持つだろう。

anond:20240417195407

自分感情意見言葉にするのが苦手な人にとって、インターネット上に溢れる様々な意見は、とても便利な存在になっています

言語化するのが難しいと感じる人の中には、自分の考えがまとまらなかったり、適切な言葉が見つからなかったりして、フラストレーションを抱えている人もいるでしょう。そんな時、ネット上で自分と似た意見を見つけると、「あ、これだ!」と膝を打つ経験したことがある人も多いのではないでしょうか。

ネット意見は、自分感情や考えを代弁してくれる心強い味方です。うまく言語化できない気持ちを、他の誰かが既に言葉にしてくれているのを見ると、安心感を覚えます。「自分だけじゃない、同じように感じている人がいる」と共感できることで、自分感情肯定されるような気持ちにもなれます

ただし、ネット意見に頼りすぎるのは危険です。自分感情意見言語化する力を養うことは、とても大切なことです。他人意見鵜呑みにするのではなく、あくまで参考にしながら、自分言葉表現する努力を続けることが重要だと思います

anond:20240417195407

自分感情意見言葉にするのが苦手な人にとって、インターネット上に溢れる様々な意見は、とても便利な存在になっています

言語化するのが難しいと感じる人の中には、自分の考えがまとまらなかったり、適切な言葉が見つからなかったりして、フラストレーションを抱えている人もいるでしょう。そんな時、ネット上で自分と似た意見を見つけると、「あ、これだ!」と膝を打つ経験したことがある人も多いのではないでしょうか。

ネット意見は、自分感情や考えを代弁してくれる心強い味方です。うまく言語化できない気持ちを、他の誰かが既に言葉にしてくれているのを見ると、安心感を覚えます。「自分だけじゃない、同じように感じている人がいる」と共感できることで、自分感情肯定されるような気持ちにもなれます

ただし、ネット意見に頼りすぎるのは危険です。自分感情意見言語化する力を養うことは、とても大切なことです。他人意見鵜呑みにするのではなく、あくまで参考にしながら、自分言葉表現する努力を続けることが重要だと思います

anond:20240418153825

可愛くないガキのイラストなんて見せられても、共感なんかできねーよ、というのもあるか。

そして「職場へ配る産休のアレ」という絶妙に身近な感じが、火を点ける。

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