はてなキーワード: 佐藤信夫とは
「日本語の文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベルの知識で可能で、その点村上春樹は文章のプロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない」
あのね、この時点で完全に間違いなの。
平易な短文を積み重ねて、子供の作文じみたものにせずに、大人の鑑賞に耐えうる文章にするっていうのが、どれだけ難易度高いかわかってない。
一度自分でやってみ。ほぼ間違いなく読むに耐えない文章になるから。
こういう「一見、子供の作文みたいだけど実は」っていう文体を最初に発明したのはヘミングウェイなので、増田は一回ヘミングウェイの初期短編を味読するとよい。できれば原文で。
ヘミングウェイの文体はチャンドラー経由で村上春樹にも入ってる。
文章における技術とは、小説における技術とは何か、両者の関係とはいかなるものか、については以下の本でも読んで自分で考えてください。
デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』
こういう状態を何とかするには自分で作品を書く側になって別の流れを作るか、自分も長文感想を書く側になって流れを動かすかしかないです。で、読む限り増田の人は自分には小説が書けないと思っているようなので(それも思い込みだと思うけど)、長文感想を書いてなんとかするためのやり方もあるよという話をします。もしなんとかしたいならですが。
それで、「いやいい感想書けたら苦労してないんだよ」という件です。元の記事にある書けない理由を拾っていくと、「語彙力があれば小説を書くなどしている」「うまく言葉にできずに」「作者の意図を正しく受け取れているか、端的に言って自信がない」「気に入らない感想だったら……みたいなことを考えてしまう」「感じたことをうまく纏められない」って書いてあります。
纏め直すと、
③下手なこと言って作者に嫌われたくない
この3つだと思うので、1つずつなんとかしていきましょう。まず1から。
身もふたもない話をします。金を使いましょう。参考になりそうな本を買いましょう。それだけです。たかがインターネットの二次創作に媚びるためにそこまでする? と思うかもしれません。でも、それはつまりそこまでしない人が大半だということです。やったら大半の人の一歩先に行きます。もちろん、一歩先に行ったところで、先頭に立てるわけではないですが。それでもなにもやらないよりは絶対にマシです。あと、読解力を上げるって別に二次創作以外にも役に立つ。話を理解する能力が高くて困るということはないです。
じゃあどうするかというと、高校入試用の問題集を一冊買いましょう。当時使ったものがあるなら、それ使ってもいいです。とりあえず解いてみてください。思ったよりできたできないはあると思いますし、点数を目標にすることも有効ですが、大事なのは回答と照らし合わせてなんで間違えたかを確認することです。言い換えれば、自分の読解の手癖を確かめることです。文章というものには最低限の読解というものがあって、それを踏まえた上で発展的な解釈だったり書いていないことを読み取ったりするべきです。幸いなことに問題集には解答があるので間違いを確認できるんですね。最高。自分が読解を焦りがちなのはどういうところなのか、思い込みがちなのはどういうところか。一回総ざらいしてみる。パッと解けて、点数も高いし全然読めてる!と思えたなら、もっと難しいものに取り組んでもいいです。場合によっては大学受験用の問題集に取り掛かりましょう。案外解けなくて落ち込むときもあるでしょうが、でも無駄にはなりませんから。自分の読解の間違いを知れて、なおかつ正解と比べられる機会って学校出るとそんなにないんですよね……。
絵とか漫画の読み方が不安という場合も同じで、こっちも本でドーピングできます。なんとこのドーピング合法なんですね。読書なので。絵の読み解き方や観察力を上げる方法についての本は結構豊富で、書店に行ってぱらぱらめくってみて面白そうだな~ってなったものを一冊選んできちんと読むといいです。個人的なおすすめは『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』と『観察力を磨く 名画読解』。感性とは理屈に裏打ちされた経験の蓄積であるということがわかりやすく書かれてます。まあ書店行くのが難しい情勢ではあるけども。
たぶん感想というものでこれが一番高いハードル。ただ、記事を読む限り増田の人はある程度できているんですよね。増田とはいえ長文書けてるので、必要なのは文章が書けることではなく感想のための文章をかけること。だからおすすめは「良かったところを箇条書きで抜き出して、どう良かったかのコメントをそれに加える」という感想を、誰にも見せずに書くこと。よかったところ箇条書きは話題として手軽だし、このやり方を実際に使うと感想貰う側もここがよかったんだっていう目印になりやすい。誰にも見せないのも重要です。どれだけ不格好でも平易な言葉でも構いません。とにかく書こう。なんか感想とかで執拗に語彙力語彙力って言う人たくさんいるけどあれどうかと思う。もちろん単語をたくさん知ってるに越したことはないけど、難しい言葉が強くて平易な言葉が雑魚みたいなヒエラルキーがあらゆる状況で成立するわけじゃないので。どれだけ平易でもそれが適切なら平易な言葉を使うことにビビんなくていいです。好きなら好き、良かったなら良かった、エロかったらエロかった。じゃあそれがどう好きでどう良くてどうエロいのか、も含めて言葉にできるとよりいいんですが、ここでも平易な言葉をためらわないでください。「あの場面でAがこうしたところがAらしくて、そのAらしさが原作で私が感じたものと同じでありながら新鮮で好きでした。」みたいな。この段階で自分の読解が正しいかどうか不安になるのは自然なのでそれを少しでも薄めるために①があります。あと、たとえ書いてあるのが①での「最低限の読解」だったとしても、もらう側は安心できます。きちんと書いたとおりに伝わっているかどうかの確認ができるのは、下手すると褒められるよりも嬉しい。それすらもわからないのが普通なんで。文章じゃなくて漫画とか絵の場合も変わりません。ただ、絵の場合は何が描いてあるのか、どういう強調をしてあるのか、をメモにしてみるのがやりやすいです。
ここまでやってみて、それでも言葉がたりない、もっといい表現があるはず、と思えるなら答えは簡単です。金を使いましょう。参考になりそうな本を買いましょう。類語辞典とか。それだけです。辞書引くのは手っ取り早いです。いやまあ別に類語くらいはインターネットでいいかもしれないけど。あと、即効性はありませんが、佐藤信夫のレトリック関連の本はとりわけおすすめです。書きたいことを書きたいように書けない、というのは人間がずっと悩んでいる問題なのがわかります。
③下手なこと言って作者に嫌われたくない
えっとね、これは無理!無理です! さっき平易な語彙使うのビビるなって書いておいてなんですけど、増田の中に「最高」「好き」「可愛すぎる」って呟いてる記述あったじゃないですか、それ嫌いな人はめっちゃ嫌いなはずなんですよ。なんだったら表に出されないだけで既に嫌われてる可能性すらあると思う。どうしようもないです。同じ「最高」という二文字の感想にも「言葉にならない気持ちをなんとか最高という二文字にしてくれたんだろうな、本人ももっと適切な言葉で伝えたかったんだろうけど、それを乗り越えてでも伝えたいと思ってくれたんだ。嬉しい」と思う人もいれば、「自分の感想を言葉にする努力をせずに定型句でインスタントに褒めてそれで終わりなんだ。読んでくれたのは嬉しいけど…」と思う人もいます、その人次第!逆に長文感想も「自分が書いたわけでもないのにしたり顔されて不快」とか「単純に勢いが強くて怖い」とか思う人もいるよ!ていうか二個目はマジで言われて二週間くらい死んでた。そこはもう感想送るって決めた時点でどうしようもないです。なるべく不快な思いをさせないように努力したいという気持ちは大切だけど、逆にある程度のところで踏ん切りをつけるのも大事ということです。
だいたいこういうことを意識して感想を書いてます。別に書いたことで変わらないかもしれないが。ただ少なくとも、ストレスぶつける先を、増田でバズることじゃなくて伝えたい人に自分の気持ちを伝えることに変えられたら、界隈に左右されずに好きなものを好きでいられるんじゃないでしょうか。めんどくさいよー、「界隈」。本当は強くなって一抜けするのが一番だと思うけど、それはそれでとっても難しいしね。
http://anond.hatelabo.jp/20130830202223
特定を恐れずに、その経験談を書いておこうと思う。
400文字詰原稿用紙のレポートを何度も書かされた。学校までの道案内や入学式の報告といった、無味乾燥としたレポートだ。
その400文字は、先生の厳しい添削で真っ赤になるのが常だった。
まともな文章をたった400文字すら書けない。その現実の中で僕らはもがいた。
本を読んだ。
プラトンから「神々の指紋」まである推薦図書のリストがあって、半分は読んだと思う。(神々の指紋は残念ながら読んでいない)
村上春樹や吉本ばななや江國香織が好きな人が仲間内では多かった。一方で、ラノベばかり読むグループもいた。
その時期いちばん読んで良かったと思うのは、佐藤信夫の「レトリック感覚」「レトリック認識」だった。
ただ、読んで良かった、という気持ちだけが残っていて、内容は詳しく覚えていない。
50枚書くことは難しくなかった。
夏にはもう初稿が提出できて、先生にはそれなりに褒めてもらえた。
しかし、自作が何となく気に入らなくて、勝手に最初から書き直してしまった。
書き直した作品は、生徒みんなの前で罵倒された。(トラウマだ)
合計で7回は書き直したと思うけれど、何度やっても評価はされなかった。
そちらも同じように失敗した。
レポートなども合計すると、2年間で2000枚は書いたと思う。
授業では色々な人から話を聴いた。
某有名ゲームのプランニングをしていた人・女性雑誌の編集長・とある古参ハッカー・ラノベの大御所・今ではずいぶん有名になってしまった当時の新人作家……。
映画や演劇もたくさん見せてもらった。レポートの宿題が必ず付いていたけれど。
民俗学で古事記を読んだり、美術学で有名絵画から聖書のシンボルを読み解いたり、構造主義を応用して物語のプロットを組み立てる授業もあった。
教えてくれる人はみんな(出来る範囲で)熱心で、青臭い自分の言葉もちゃんと聞いてくれた。
ちなみに、小説の先生は往年の一太郎ユーザーで、ESCから始めるショートカットばかり使っていた。
キーシーケンスの組み合わせを暗記していたようで、VimやEmacsに通じるところがある。
日本語IMEについて、ATOKは使い物になるが一番良いのはWnnだ、と言っていた。その真意は定かではない。
提出ファイルにはShift-JISのプレーン・テキストを指定し、タイトルや名前の入れ方も詳しく指示していた。おそらくマクロで処理したのだろう。
ただ、提出メディアがフロッピー・ディスクだった。もう10年以上前の話で、テレホーダイの記憶が鮮やかだった頃だ。
僕が通っていた学校に限れば、環境としてそんなに悪いところだとは思わない。
当初は周囲を見回して傲慢になっていたけれど、その鼻柱は見事に折られてしまった。
客観的に言って、使おうと思えばいくらでも使える環境だったと思う。
ただ、進路が難しい。学校を出た後でどう生活を立てていくかが難しい。
卒業生の進路はそれぞれだった。
定職に就いていない人間もきっと多いだろう。
頭の良い同期は大学に転入した。
プロとして活動していると言えるのは、50人の同期の中で3〜5人だと思う。
おそらく最良の選択は、大学に転入し、標準ルートに戻ることだ。
標準ルートを知ることも大事だし、それから生活を安定させてデビューを目指せば良いと思う。
(ただし金が掛かりそうだが……)
何も知らない自分に大きなトラウマを与えてくれたのは、本当にありがたい事だ。
ただ、自我の捨て方は教えてもらえなかった。
こればかりは、学校の外で年齢を重ねてから、知るほかなかった。
某純文学系の新人賞に一度だけ送って落選した実績しかまだない。
そして、日本語よりJavaを書く時間の方が長く、それよりもD言語を書きたいと思う毎日を、無為に過ごしているのだ。
トラバでも言われてしまったけど、「学んだこと」と言いながら、学んだ技術的な内容をあまり書いていなかった。
多少参考になる部分があるかもしれないので、追記してみたい。
ストーリー構成の教科書としては、シド・フィールドが使われていたようだ。
ただ、当時はろくな翻訳が無かったらしく、教師オリジナルのテキストを使っていた。
ハリウッド流の伝統的な4分割構成が基本で、自分のアイディアをとにかくそれに落とし込み、内的整合性を保って読者に提示する技術を教えられた。
たとえば下記のような点をチェックするよう繰り返し言われた。
他にも色々と細かいテクニックについて教えられた。書くときの気構えであったり、推敲や添削の方法であったり。
今はストーリー構成の良書も多いだろうし、自分で教科書を集めて勉強できる環境も整っているかもしれない。
だから、自分で体系的な資料を集め、先生になってくれる人や切磋琢磨できる仲間を見つけ、継続的に書く環境を整えられれば、わざわざ専門学校に行く必要は無いだろう。
専門学校などという人生を浪費する施設より、週末の教室+Webでの作品発表・添削という形の方が適しているかもしれない。今の時代はきっとそうだろう。
レベルの高い卒業生の作品を見ると、内的整合性の点では下手なラノベよりしっかりしているものが多かった。
しかし、
「全体的に整合性が取れていて、ちゃんとした盛り上がりがあり、伝統的な構成に従って無駄なく構成できているか?」
という問題と、
「それが商業的に売れるか?」
というのはまったく別の問題だ。
商業的消費はたぶん非体系的な世界で、体系的技術がそれにどこまで寄与できるかは分からない。
とあるデビューした卒業生の処女作は、内的整合性など何も考えていない、次々と新しい要素がひたすら出現する怪作だった。
その一方で、しっかりした技術のある人が、なかなかデビューの糸口を見つけられないでいる。
ちゃんとした構成や一貫性よりも、変に魅力的な脇役が愛されたりするのが商業の世界だ。
特に日本において、消費者は全体よりも部分を好む傾向が強いと思う。
そして、部分で受けることを狙うのはかなり難しい。
部分を愛する文化というのはきわめてハイコンテクストな文化で、普遍的・一般的な技術が原理的に存在できない気がする。
それは様式美に満ちた世界で、日本の文化はそういった様式美の継ぎ足し・連続で出来上がっているようにも思う。
こういった事は加藤修一の「日本文学史序説」に素晴らしくまとまっていて、とても面白かったので、創作に関わる人は序章だけでも全員読んだ方が良いと思う。
マンガもゲームもアニメもラノベも全部これで説明できるし、将来的にどんなものが日本で流行するか判別する目安にもできそう。
以上を要約すると、ちくま学芸文庫から上下巻で出ている加藤修一「日本文学史序説」を3000円で思い切って買おう、それを読めば専門学校に行かなくても大丈夫、場合によってはラノベを書かないで済ませられるかもしれない、ということだ。