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2021-01-10

anond:20210110233414

易怒性(いどせい、Irritability)とは、生物における興奮性のことであり、

それを取り巻く環境が変化したことに対しての反応として現れる。

この用語は、刺激に対しての生理反応として使われることもあれば、

病的で異常な度を超えた過剰興奮性としても使われる。

ホルモンの分泌バランスの乱れ・変化との関連では、女性では月経前や妊娠中、

更年期女性ホルモンの影響でイライラやすくなります(月経前症候群、更年期障害)。

男性も加齢に伴い男性ホルモンの分泌が低下して起こる男性更年期障害によってイライラが起こり得ます

病気との関連では、こころ病気(双極性障害統合失調症依存症など)のほとんどはイライラ引き起こしやすいことが知られています

また、脳の病気(脳卒中低酸素脳症脳炎認知症発達障害など)やけがによる高次脳機能障害イライラの原因となることがあります

忘れてはいけないのが認知症です。攻撃的な発言をしたり、すぐに怒鳴ったりという初期症状が出ることがあります

2017-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20170105125059

その時は、たまたま通りかかった先生に助けられたが、

隆には低酸素脳症障害で脳が一部壊死したため、今でも人並みに話したり、歩くことが苦手という。

三人称だけど障害を負ったのは殺そうとした隆?殺されかけた隆?

学校名前がかぶった話

小学校の時、同姓同名の子がいた。

うちの田舎はよくあることだけど、特定名字が多い。

私は増田隆だったが、同級生増田隆だった。

その他に、増田孝雄がいて、増田貴子もいる。

そんな小学校だった。

そんな田舎なので、クラスが30名1クラスしかない。

そのクラスの生徒のうち、増田姓が半分ぐらいいた。

増田隆が同じ学校に2名存在した場合

普通なクラスをわければ混乱は少なくなるだろう。

でも1クラスしかないここではそうはいかなかった。

先生は困り果て、生年月日のはやい順に増田隆A、増田隆Bと呼ぶことにした。

ところが、これが親からの猛反対にあった。

子どもものみたいに記号をつけるなと。

じゃあ、どうして欲しいのかという意見は親からでなかった。

先生さらに困り果て(代わりの教師はいないのも理由だ)、

教室には「増田隆くん」は1人しかいませんとみんなの前で発表した。

突然はじまったその説明によると、

朝登校して、机の上に三角錐でできた「当番」とかかれた木材を置かれたほうが「今日増田隆」ということだった。

ボク達は、ちょっとわくわくしてそれを受け入れた。

もちろん「親には内緒だよ」という先生の教えも忠実に守っていた。

から、当番札が置かれなかった増田隆は、

教室存在してはいけない増田隆になった。

ボクが「非番」の日は、図書室で本を読むことにした。

江戸川乱歩シリーズや、岩波児童文学を片っ端から読み漁っていた。

勉強が好きではなかったので「非番」が少し寂しい気もしたが、嬉しくもあった。

もうひとりの隆くんは、授業も先生も好きで、当番になると素直に喜んでいた。

二人はそれぞれの好みにあわせて、しばらくはうまくやっていたようにも思えた。

そんなある日の放課後、背後からやってきた隆に、

傘の柄を首にひっかけられ、殺されかけたことがあった。

その時は、たまたま通りかかった先生に助けられたが、

隆には低酸素脳症障害で脳が一部壊死したため、今でも人並みに話したり、歩くことが苦手という。

隆は「ずっと当番でいたいから隆が邪魔になったんだ」と泣きながら弁解していたが、

まわりには聞き入れてもらえず、この事件きっかけに名前を孝に変え、親戚の家へしばらく引き取られた。

先生のこの企みが白日の下にさらされて、先生も他校へ異動となった。

そしてこの週末、成人式で隆に久しぶりに会うことになっている。

どんな顔をするんだろなぁ。

2013-04-27

Iさんへ

Iさんへ。

君には本当によく助けてもらいました。ありがとう

少し元気ないまのうちに、君にだけは僕が消える経緯を明かしておきます

この間話した通り、僕は今、所謂うつ状態なのです。所謂「大うつ病」というやつです。

休職することになりましたが、仕事のものが原因ではないのです。

飲み会に誘われないという、そんなくだらない理由が引き金なのです。

当然、それは引き金でしかなく、ここ10年ほどの、いろんな鬱屈した思いが積もり積もってのことなのです。

仕事中は、あまり気を遣わせたくないし、自分の不幸自慢みたいになるのは嫌なので、これらの話はあまりしたくなかったのですが、

やっぱり一度くらいは吐き出させてください。

10年前、僕は今と同じようなうつ状態になり、半年休みました。当時の上司が原因です。

当時は周りの理解も少なく、復帰には紆余曲折あり、復帰後も周囲に仕事を認めてもらえるようになるまでとにかく頑張ったつもりです。

その後結婚し、その半年後に今度は父が脳梗塞で倒れて半身不随になり、介護を続けています

続いて祖父が亡くなり、弁護士まで出てくるような相続を父の代わりに対応し、なんとかまとめ上げました。

そして一昨年、早産で子供が生まれ、少し障害があって、その後ミルクの逆流で低酸素脳症になり、先日亡くなりました。

そんなこんなで、自分の中では精一杯頑張ってきたつもりなのです。

いつも僕は飲み会に呼ばれませんでした。

先日の歓送迎会も、その前も、もう数年間、飲み会や遊びの場には呼ばれていません。

から僕は、ずっとみんなに嫌われていると思っていました。

君に相談したとき、びっくりしていましたね。嫌われてなんかいないと。

君が言ったように、確かに僕は嫌われていたわけではないようです。

空気になっていたのです。

誰も声をかけていないことに気づかない。だけどその場にはいいから、いつしか遊びに行かない奴と思われ、ますます孤立感が深まっていったのです。

これだけ人数いながら、誰も気づいていないのです。僕が断ったわけではないのに、君も含めて全員、誰かが声をかけたけど僕が断ったと信じていたのです。

僕が先日の飲みで、急に泣いてしまったのはこれがショックだったのです。

本当は、君やみんなにもっといろんな悩みを打ち明けたりしたかった。

でも、避けられてると思っていた自分には無理でした。

家族のこと、仕事のこと、全部、一切吐き出すことができずにため込んできた結果、今の状態になっていったのです。

つらつらと書いてしまいましたが、そろそろ締めますね。

どうして君に、今こんな日記でこんなことを書いているのか。

たぶんさよならからです。僕はもう復帰できないでしょう。

以前のうつの体験が大きく影響しています

義父母も、今の役員も、わかってくれません。

役員方は僕が以前休んだとき、辞めろと何度も迫ってきた方たちです。

確かに、その後制度も整え、同じ状態で休んでも復帰できる人たちが増えてきました。だから今は考え方も変わっているかもしれませんが、僕には大きな障害に感じます

義父母も、僕が再度うつになったと知れば離婚を迫るでしょう。僕も妻にはこれ以上苦労かけたくありません。

ごめんなさい、何を書いているのかわからなくなってきましたね。

それと、こっちが本題かな。

君の告白への返答ですが、今は疑心暗鬼で、ちゃんと受け止められる自信もないし、自分自身信じられる状態ではないのです。

から少し、今の人間関係と距離を置かせてください。

でも、おかげで少しだけ希望を持てた気がします。嘘だったとしても嬉しかったです。ありがとう

 
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