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2023-07-08

anond:20230708170328

親がさほど稼げる才能ないなら子もないし

五島慶太堤康次郎松下幸之助「やあ」

2021-04-15

伊豆急61

1961年がやってきた。

下田から薄汚い旅客が痰を吐きながら大挙して押し寄せてくる。

犯罪多発!東京が汚れる!そこで東京都庁は あのピストル堤の親戚、田中秘密に呼び…

旅客抹殺計画を依頼した。田中は殺しのプロだ。 900万人を一人残らず抹殺せよ!

しかし、東急では死亡した五島慶太を巨大兵器に改造する研究が着々と進んでいた!

2014-06-01

5月31日大人の遠足

5月31日鉄分の濃い有志11人で「大人の遠足」に出かけました。

写真ありきの記述になっているので、時折意味不明なのはご容赦を。

集合まで

東京メトロ葛西駅集合ということで地下鉄東西線で行ったのですが、ほとんどの電車は水色のライン電車なのに、偶然にも東葉高額、もとい高速鉄道電車が。一般の人にはJR中央線に見えるのではないかと。

今日5月31日明日6月1日から都営地下鉄消費税転嫁のため値上げとなります。4月に一斉に足並みを揃えられなかったので、東京メトロはじめ通しのきっぷ(連絡きっぷ)を販売する各社は二度手間を強いられました。

東京メトロの案内ポスター。下の方には各駅間の運賃が掲載されていますがポスターとは思えないフォントサイズ視力5.0くらいなら読めるかも……

地下鉄博物館

首尾よく集合して、まずは東京メトロが運営する地下鉄博物館へ。

入場券210円。少し前に来た時は自動販売機PASMO非対応だったと思います。しかしこの自販機、使いづらかった。

スマホモバイルSuica)をタッチして、紙の切符を購入。その先には自動改札機が……やっていない。そしてさらに先には有人改札。なんだかよくわからないですが、切符を切ってもらうのはいものです。

チョキン。

入るとまず出迎えてくれるのが、丸ノ内線赤い電車です。側面には∞∞∞のような模様(正弦波:サインカーブ)がありますが、塗装ではなくステンレスなのです。ドアが開くところもちゃんと。

普通電車電気天井上の架線から取りますが、丸ノ内線などはレールの横にあるもう一本のレール(第三軌条:サードレール)から電気を取ります。SがShoe(シュー:集電靴)、FはFuse(ヒューズ)だったかな?そして電線の部分以外は「木」!確かにここが金属だったら車内で感電しちゃいますね。こういうマニアックな部分が「大人の遠足」ならではです。

営団マークマンホール

銀座線初代の電車。「運轉室」の「轉」がいいですね。

銀座線の集電靴。これは「木」とハッキリわかります。

銀座線の車内。電気が流れている第三軌条の切れ目では、昔車内が暗くなっていて、その時にこのランプが点いたそうです。

銀座線丸ノ内線しかなかったころの案内図。

ラインカラーがありません。

丸ノ内線新宿止まり。

溜池山王駅がありません。

銀座線銀座駅丸ノ内線は西銀座駅、別々でした。

表参道駅はまだ神宮前駅です。

丸ノ内線の車内。運転士側は箱に入っていますが、車掌側は開放的ですね。

日本で一番古い銀座線開業から「打子式ATS」という、赤信号を超えた時の緊急停止装置がありました。丸ノ内線では98年まで現役でした。

レールにくっついた白い打子が車体の弁のレバーに当たり、ブレーキ管の空気が吐き出されて非常ブレーキがかかります。

これはなんのためのものかよくわかりませんでした

副都心線開業時の記念PASMO開業直後は毎日「!」でしたね。

メトロ3本目の日比谷線開業パンフレット丸ノ内線新宿から先は「荻窪線」と言っていました。450億円というのは今のどれくらいにあたるのでしょうね。

東横線との直通は終わってしまいました。

お金を入れると通れる改札口です。実際に試せます(お金は戻ってきます)。

リコ式のつり革。RICO社なんですね。頭を打つと痛いです。

客室にあるドアの開閉装置車掌も客室にいたのでしょう。

日本人「たん」をはかなくなって随分たちます。「たばこものめなくなりました。まどは開かないので「かほ」や「て」も出せません。

春場所の案内。当時は11日間だったのでしょうか。

マネキンに何か貼ってあります。固定資産使用シールです。そこに貼らなくても……同行者はべつの場所で、遺跡からの出土品に貼ってあるのを見たことがあると言っていました。

中央線の旧万世橋駅リニューアルオープンしましたが、銀座線に「万世橋」があったのは知りませんでした。「時代の最尖端を行く雷門直営食堂」とはどのようなものだったのでしょう。

13号線(現副都心線)の工事中ポスター新宿七丁目、新千駄ヶ谷という仮称でした。

輸送指令室のシミュレーションコーナー。駅でのトラブルにどう対応するか。正解は写真の後に。

正解は「ドアを開けたのち……」でした。お客様第一ではありますが、ダイヤも守らなければいけません。

こういうのを見ると、もともとなんと書いてあったのか「き」になります。

東京メトロでの車内冷房導入は極めて遅く、銀座線丸ノ内線はスペース的な問題もあって、92年にようやく冷房車両が登場しました。長年、トンネル内の温度上昇を抑えるために、トンネルを冷房して、窓を開けるという形をとっていましたが、その点の展示は見つかりませんでした。

以前の案内表記。「国鉄線」というのが懐かしいです。

銀座線ルーツは、浅草新橋東京地下鉄道と、渋谷新橋東京高速鉄道です。こちらは東急総帥強盗、もとい五島慶太氏が率いる鉄道でした。地下鉄の父、早川徳次氏は経営権を奪われてしまいますが、営団東京メトロはやはり早川氏や東京地下鉄道を誇りに感じているようです。しかし、百貨店と一体になった渋谷駅は、東京高速鉄道ならではのものではないでしょうか。電車は「三越前」まで直通してしまうのですが。

図書室に立ち寄ります。営団地下鉄建設史は「東京地下鉄道○○線建設史」のような題名がついていました。年代が下るにつれて、東京の地下は複雑になり、半蔵門線大手町界隈の工事では各所と協定を結んだようです。

営団地下鉄電車スタイル制服などでなかなかの洒落っ気があったのですが、一風変わった「マナーポスター」も有名です。図書室にはマナーポスターをまとめた本もあるので、是非ご一読を。先ほどの空調に関しては「窓を開けよう」というポスターが何度も作られているのがわかりました。

こちらで少し紹介されています。

http://jipangnet.blog.fc2.com/blog-entry-101.html

クイズコーナー。博士コースはなかなか難しいです。

車体が動く本格的なシミュレーターもあります。写真撮影は自由だがビデオ撮影ご法度というのは、やはり警備対策なのでしょうか。

BOSEスピーカーで走行音も再現。

この「出口」は旧デザインですね。

葛西から東向島

さて、葛西駅から西葛西駅に移動します。またもや東葉車でした。通過待ちに一枚。

西から読んでも西葛西、東から読んでも西葛西

都バス「亀29」系統で亀戸までやってきました。駅は正面の白いのではなく右の茶色いビルでした(笑)

東武亀戸線。東急世田谷線のようにメディアで取り上げられることも少ない、知る人ぞ知るローカル線です。駅番号は「TS44」東京、もといスカイツリーラインの支線扱いです。

次の目的地はここ。

8000系電車が短い2両編成でやってきます。おでこに車体番号を書くのが東武流。

もちろん先頭に陣取ります(周囲の乗客の方、すみません)。

途中駅の「東あずま」。他の地名は無かったものか、と思うのは私だけでしょうか。まぁ、日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅よりはマシかもしれません。

「津覇車輌東武にあまり馴染みがない私には、初めて見る銘版でした。

4駅目で終点の曳舟です。たった3.4キロしか走っていません。ここで乗り換えます。

福島県会津田島駅まで向かう区間快速が通ります。このように、私鉄としては旅情を感じさせる列車が多いのも東武ならではです。

東向島(旧玉ノ井)駅です。この後昔の地図を見て、銘酒屋という言葉が出てくるのですが、そういう意味だったんですね。隣の駅の「鐘ヶ淵」は、For Beautiful Human Lifeカネボウ、鐘淵紡績のルーツだそうです。

東武博物館

今日遠足の最終目的地「東武博物館」に到着。

ドイツ有数の観光地ローテンブルクの背後にそびえる東京スカイツリー(R)。

なんと、ここでは東武博物館名誉館長の花上嘉成氏から、説明を伺うことができました。写真はSL B1形です。

デハ1形5号電車。この斜めの支え棒?も見どころの一つだったそうなのですが、よく聞き取れず、すみません

車内。やさしい明かりと二重天井ダブルルーフが特徴です。

窓のブラインドは鎧戸。

上の小窓も開きます。

扉は手動。ゴロゴロと重々しく開閉します。

正面は五枚窓。側面には「草淺←→井新西」の案内がありました。

アルナ工機に保存されていた5700系5703号(前面部)です。搬出、搬入には相当苦労したようです。

戦後まもない1951年昭和26年)の日光鬼怒川向け特急、5700形5701号(ネコひげ)。後のデラックスロマンスカー(DRC)の先輩です。前頭部は搬入後に改めて当時の姿に戻したようです。

車内の様子。シートは前後に方向転換できます。あまりの人気に「補助席」も用意されました。デッキには売店も。昭和26年ですよ?

となりの小学校では運動会土曜日に開催するんですね。実は中庭展示の車両は、小学校の校庭から搬入されたそうです。車両は重く、校庭を傷めてしまうため、校庭の改良工事があるわずかな期間で搬入しなければならなかったそうです。保存への熱意に頭が下がりました。

ロープウェイゴンドラは生憎見られませんでしたが、搬入の様子が。

東武博物館は動かない車両の展示(静態保存)だけではなく、東武鉄道から車両を買い取って、動く状態での保存(動態保存)も行っています。この列車は貸し切りもできるそうです。6両編成の堂々たる電車の貸し切り!

参考:http://tusrail.seesaa.net/article/394766310.html

東武といえばDRC(デラックスロマンスカー)。カットされていますが、車内に入ることもできます。シート間の間隔が広いことにビックリ新幹線に初めて乗った時に車両間のドアが自動だったことに驚いた人もいたでしょうが、実はこの自動ドアはDRCが日本初で、この車には「自動扉 AUTOMATIC DOOR」と書いてありましたが、宣伝文句は「○○○○ドア」だったそうです。

その後、博物館の奥の「ウォッチングプロムナード」。観察の小道とは?と思いながら階段を登って行くと、天井の低い、殺風景な、廊下とも部屋ともつかない場所へ。しかし右をみるとそこには窓が!

軽症「あ、スペーシアが通ったヽ(^。^)ノワーイ」

重症「いまの音は住友台車だね(`・ω・´)キリッ」

「いやぁわれわれ脚フェチにとっては実にたまらない場所ですなぁ」

模型のパノラマもありましたが、やっぱり東京スカイツリー(R)が……

浅草

東向島駅に戻り、東武浅草駅へ。後ろ2両のドアはホームがあるのに開きません。ホーム先端まで行くのは狭すぎるためです。

天ぷらの名店で打ち上げ

鉄道グッズをかけたクイズ大会が開かれましたが、難問ぞろいで、13問のクイズの1位は8問正解の方。

オーソドックスな難問

銀座線開業時に一番切符を手にしたのは?」

(答:原信太郎氏。原鉄道模型博物館で有名)

■ひっかけ問題

大手民鉄16社中、関東で一番営業キロが長いのは……」「東武!」「……ですが、では2位はどこでしょう?」

西武

京成

「正解は、東京メトロでした!」

東京メトロ大手民鉄というのを皆、見落としていたのですが、よくよく考えると営団時代から民鉄協に加盟していたわけで、酒が入っていたとはいえまだまだですね……

マニアック問題

日本で初めて貫通路に自動ドアを装備した東武DRC。その自動ドア名称は?」

マジックドア」

■無茶ぶり問題

「(私が利用する)井の頭線渋谷駅アベニュー口の営業開始時間は?」

「……アベニュー口ってどこ?」

他にも、参加者の方の最近武勇伝や懐かしい話を肴に、楽しい時間を過ごしました。

せっかく浅草まで来たので、浅草寺に寄って、雷門で解散。

おつかれさまでした。

2010-01-15

日航は「空の小林一三五島慶太」たれ

日航に更正法適用が確実な情勢だが、肝心の「再建後の青写真」が見えない。

単にANAと同じ形態を目指すだけなら、下手すればJALANA共倒れになる。

であれば、格安航空に変身して生き残るつもりか?

格安航空になるには、人件費の大幅カットもさることながら、

潤沢な発着枠を羽田成田に用意した上で、ワイドボディ機主体の運航を

ナローボディ機(B737など)に変更しなければいけない。

残念ながら、現時点では羽田成田ともにそこまで発着枠を広げる余裕はない。

なので、ここらで誰も提案していない「青写真」を批判覚悟の上で提案する。

それは、戦前小林一三五島慶太阪神間京浜間で行なった史実を真似るのである。

阪神急行阪急)、東横電鉄は、鉄道を敷設することにより、鉄道そのものでも儲けたが、

それ以上に不動産収入益で儲けたのである。

五島昇は、戦後田園都市線建設不動産益をちゃっかり稼いでいる。

これを航空の世界に当てはめるとどうなるか?

日本航空が、発展著しいアジア地域で、空港建設都市基盤建設・宿泊施設建設

商社デベロッパー建設会社タイアップして乗り出す。

そして、「リゾート都市」「工業都市」「研究開発都市」として発展させ、

その開発益で以って「稼ぐ」のである。

都市が順調に発達すれば自ずから航空需要が膨れて本業でも儲けることになるが、

まずは「開発利益」を享受する、というビジネスモデルにするのである。

先日中国の三亜に行ったが、「中国ハワイ」として売り出し中であった。

マンションホテル建設ラッシュがものすごいが、しかし日本国内での知名度はゼロである。

HIS支店開設して売り出し中であるが、いかんせん「直行便がない」「日系ホテルがない」ので、

日本人は殆どいない。

結局、中国人ロシア人・韓国人が占拠してしまっている。

で、「13億の中国リゾート旅行が本格化すれば、とても三亜だけじゃ需要を吸収しきれない」

のである。

ベトナムフィリピンタイなどで、「海はキレイだが、手付かず」のところを見つけて、

中国資本に先駆けて、JAL商社デベゼネコン連合が開発して、「日式」(中国語で「日本式」の意)の

きめ細かいサービスホテルを作れば、中国富裕層にも、きっと受けるのではないか?

そうして、日本本土から&中国本土から航空便を飛ばすのである。

「21世紀の小林一三五島慶太」というのは、悪くない案だと思うが、如何?

 
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