はてなキーワード: 二級市民とは
『風呂は性器の見た目で決める』法、是非作ってみてほしい。でも、それってかなり筋の悪い立法で新たな争いが見れそう。
そら、ほとんどのトランス女性は法律ができたら従順に従って女湯に入らないだろうけど、
「ワイ、トランス女性。銭湯で女湯に入ったらペニス付きという理由で追い出される。ワイの戸籍は女性なんやけど? これ法的にワイは女性という意味なんやが。同じ女性なのに生まれつきの女性には当然ある女湯に入る権利がワイには無いんか? ワイは差別される二級市民か何かか? 『風呂は性器の見た目で決める』法って日本国憲法の『法の下の平等』に反してない? 知りたいから裁判起こすわ。ワイを追い出した銭湯さんは裁判が続いてる間ずっと『差別主義者』と叩かれ続けるやろうけど我慢して付き合ってや。ワイ小金持ちの暇な一般人やから最高裁まで争うやで。対戦よろしくやで」
トランス女性の女子トイレ使用に反対する人は下の2タイプに分けられるが、元増田が批判しているのは②の方だね。
①完全なTERF・保守派「男体持ちに生まれた女性などという存在は無い。トランス『女性』は嘘つきか精神病のただの男。よって一切、女性としての権利を与えるべきではない」
②中途半端なリベラル・フェミニスト「トランス『女性』は確かに女性だし、できるだけ女性としての権利を与えたいけど、トイレや更衣室や公衆浴場については、男体持ちが入れるようにすると性犯罪の危険が大きいから、トランス女性は我慢して使わないで欲しい」
①は潔いね。「トランス『女性』は存在しない」という前提さえ正しければ、言ってることに矛盾は無い。
②は理屈も倫理的にもダメ過ぎる。女性なのに女性としての権利を一部制限される二級市民を作ってしまっている。自分達マジョリティの利害に関わらない間はマイノリティの権利を守れと叫んで差別主義者を非難するのに、自分たちの利害に関わることになるとマジョリティの既得権益を守るためにマイノリティは今まで通り我慢して欲しいと差別主義者に豹変する卑怯者だ。
こういう批判に②の人たちは耐えられずに①に合流しているようだ。
「かつて私はトランスのアライだったが、シス女性の不安に対して全く共感を示さないトランス活動家に攻撃され続けて、『彼ら』は全く女性としての精神性を備えていないただの男性であると確信するに至った」
とお気持ち表明して。
女性がAEDをしてもらえないのが差別だと思うなら、まず声を上げろよ。
被害者が声を上げてないのに、先んじて男性側が気持ちを察して積極的にリスクを負ってくれるなんて思うな。
一人一派とかいうただのコミュニケーション放棄に甘えて、独りよがりをつぶやいてないで
女性たちの意思を統一させて、耳目を集めてみろや。話はそれからだ。
家父長制はやめろ、だけど女は保護してくれ——…
いつまでもそんな態度でいるつもりなら、女はやっぱり精神薄弱の甘え上手な二級市民だな、って時代錯誤のレッテルを貼らせてもらうぜ。
さあやってみろよ。『女性がAEDされないのは差別』をホットエントリーにバーン! してみろ。
できないのか?
(anond:20230331224644 ゲームのルールを守る一貫性を推すなら、例えばこんな風に言われてしまうでしょう)
俺も自分の意見表明増田書いたんだが、まあ、元増田と同じような違和感を覚えた。
百歩譲って、男女雇用機会均等法が無い時代を生きた昭和の男たちはフェミニストたちが批判する男尊女卑バリバリの人間たちかもしれない。
男性だけのコミュニティでホモソーシャルで女性を排除し、名誉男性を二級市民扱いしてきたのかもしれない。
2006年改正以降に男女雇用機会均等法に基づく人権教育を受けた人たちは、もはやフェミニストが話すような男の形をしていないと思う。
そして、今は女だけのホモソーシャルコミュニティで苦しむ男たちが見えてきた時代。
分野を変えれば女たちも男たちに似たようなことをしていると認識されてきた時代。
そんな時代に男たちだけをけしからんと話し続けてももはや時代遅れにしか見えない。
女性も多様な生き方をすればいいのに、いまだに男性社会を改革し、そこに入り込むような生き方を語る。
男性だってジェンダーロールに縛られずに自由に生きればいいと語ればいいのに、そういうことは語らず、ひたすらにいかに女性は被害者なのかを語る。
男たちは「おぬし、できるな」と男に言われるのがうれしいらしいが、女たちは「あなたも大変なのね」と女に言われるのがうれしいという似たような病理を持っていると思う。
その視点で言えば、あの番組は女たちによる女たちの「あなたも大変ね」と慰め会う会で、自由な人生を謳歌する未来なんて語ってはいけない会。
NHKのフェミニズムについての100分で名著をちらっと見たんだが、男たちはホモソーシャルな組織を作り、男から称賛されることを望んで生きているみたいな話で男を揶揄していて辟易した。
あの人たちはきっと、企業戦士として生き、戦場に立つなら女を捨てろみたいなことをやっていた男は知っている。
でも、あの人たちは家に入り、家事や育児をしている数多くの今時の男性たちを知らない。
時間が昭和で止まっていて、多くの男性が家のことをやるのが普通になってきている平成・令和の男性像を知らない。
そして、その数多くの男性たちがかつて女性たちが企業でされたような不当な扱いを家事・育児でされていることを知らない。
件の番組ではいかに男たちが自分たちのコミュニティを作り、女を支配して来たかを熱く語っていたが、それ、分野を変えれば女たちもそうだから。
父親が乳幼児向けのイベントに子供を連れていくと、完全にお客さんって感じ。二級市民感がものすごい。
男たちが、「おぬし、できるな」で喜ぶなら、女たちは「あなたも大変ね」に無上の喜びを感じるのではないだろうか。
異性に「愛している」と言われるより、同性に認めてもらえるほうがずっと喜びが大きいのは何も男性に限った話ではないから女たちだけで延々不幸自慢するのではないだろうか。
その辺をさっくり忘れて、男たちを小ばかにしたような話が延々と続くのを見て、フェミニストはすでに時代遅れで、公共の電場を使って流す意味もないと感じた。
男性の家庭進出と言っている人を見て思ったけれど、平日の昼間問題は解決したの?
俺の子供が赤ちゃんのころはウーマンスプレイニングデフォで男が児童館とかに行ったら完全にお客さんだった。
基本的に声掛けはお母さんしかいない設定でしか行われないので、「ああ、俺はお呼びでないんだな」というのはよくわかった。
子供も混乱してしまったのか、俺のことを当時「ママ」って呼んでた。
幼稚園選びに悩んだのでそういう会合に出ようと思ったら、「女性だけの気楽な場所で、授乳中の人が来るかもしれないので男性の方はご遠慮ください」と言われる。
幼稚園の保護者会も「男性の方はあまり来られないですね」と暗に遠慮しろと言われる。
小学校のPTAも男がそんなに育児をすることを想定していないようで、男が行くと「なんで来たの?」みたいな感じ。
俺みたいに気にしない奴はそれでもずかずかとぶち抜いていけるだろうが、チキンハートな男性諸氏はここまでのどこかで心折れてやる気無くすんじゃねぇの?
まあ、これは女性が男社会を切り開いたのと、周回遅れで女が男にそういう自分たちの領域にやってくる異性を二級市民扱いしているんだろうけどさ。
少し毛色が違うかも知れないが、こんな事件があったよね。
…
表紙と1ページ目の間に明らかに”陰毛と思われるもの”が挟まってました。きちんと発送前に確認していただきたかったです。
「こんなことで許してもらえるか分かりませんが、”私は20代前半の女性”です。」
ヤフオクの取引での面白い寓話として語り継がれてる話なんだけど。
だけど実はこれ、酷い話だと思う。
素人とはいえ商取引きしてるんだから社会的な責任は持っているはず。女性は、仕事人として誠実に対応するなら、謝罪一択でしかないのに、性を差し出すことで代替してしまった。
男性の方も叱りつけたりはしなかった。女性を対等に相手できるマトモな取引先として見ずに、女性性を搾取できる対象として消費してしまった。これでは、女性とは、いざとなれば性を差し出すだけの、理性や意思を発揮して問題解決する必要がない・できない——社会の二級市民になってしまう。
輪をかけて酷いのは寓話自体が「微笑ましいエピソード」として世間に流通している事だ。「しょうがないにゃぁ…」と同様に、それらが微笑ましいエピソード扱いになってること自体が、もう、ただただ絶望でしかない。社会の大多数の大人達が自分を1ミリも疑わずに不気味な微笑みを浮かべてるのを思うと背筋が凍るし、内臓全部を吐き出しそうになる。男の人には理解不可能だろうけど。
https://twitter.com/ShinHori1/status/1542815724934012928
赤松健さんに投票すると、参院選比例の仕組みの関係で、表現の自由に圧力をかけたがる山田宏さんのためにもその票が使われてしまう恐れがあります。
これについて赤松氏に対して色々と擁護が飛んでいるが、彼が通常の選挙区ではなく比例区で出馬することになった理由は明らかだよね。要するに一票は一票で、票に色はないってことだ。
色をつけたいなら、通常選挙区に登録して個人に投票できるようにすれば良いだけだった。それをしなかったのは、オタク票を養分にしたいっていう意図のストレートな表れと解するのが自然。
かつて、南アフリカで日本人が名誉白人として扱われたのは、西欧諸国の制裁下でも貿易を続けてくれる都合の良い国だったからだ。ただ、それによってアジア人が白人と対等の存在として認められるようになったわけではなく、あくまで、都合の良い手下としてでしかない。
そもそも自民党支持者の保守なんてのは、大半が、家父長制的な道徳観を守るためならどんな酷い差別も肯定するような思想の持ち主たちなわけで、そんな連中が「薄い本でオナニーしてるような連中」を本音でどう思ってるかは火を見るより明らかだと思うんだが。それを分かってないとは言わせないよ?
それを分かった上で、それでもあえて「中から政権党を変えるんだ」というのなら止めはしない。ただ、植民地の二級市民が一級市民と対等に扱われるようになるなんて、かなり無理ゲーだと思うけどね。フェミを敵視してる人たちが同様にバカにするBLMがどんだけ苦労してるか、知らないわけでもないだろうに。
フェミニストが女性が職場に入るとお客さんか二級市民扱いで、ろくに仕事をもらえないし、男性と同じ働きをしても同じように評価されないというけれど、ここではその逆バージョンを体験できるね。
知識不足や配慮不足に対して軽蔑と侮蔑のまなざしで見てくる小児科医。この辺、女医のほうがカジュアルにいわゆるマンスプレイニングしてくる。
「よくお手伝いしてくれていいねぇ」とパパをお手伝い扱いする児童館職員。
女性だけの気を使わない集まりだから...と、パパの参加が拒否される会合。
ママが来ることしか想定されていない児童館や幼稚園での呼びかけ。
こういう状況を子供が生まれてからずっと経験していると、「もういいや二級市民で」と思うようになった。
逆に、ママさんたちのべたべたした付き合いが面倒くさいみたいなときにパパ言ってーと便利に使われてるよ。
もうさ、それでいいじゃん。男なんてそういうポジションでさ。
最近は専業主婦希望の女性が増えていて、フェミニストの方々が「女性が二級市民扱いされているから意欲を失ってこうなっているんだ!」というけれど、まあ、逆の立場でいて思うんだよね。
たしかに、パパであることでママだったら当然やるよねみたいな義務が外れていて、それは楽だなって。
最初から期待されていないから、周囲のプレッシャーみたいなのはママさんに比べると軽いと思う。
子供が生まれたころに持っていた「僕が一番、育児をうまくできるんだ」みたいな気をはった時に比べたら、ほんと楽です。今の期待されていない感じが。