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はてなキーワード: 主観性とは

2024-02-21

[] 数学は量子物理学と同様に観察者問題がある

量子力学における観測問題についてはよく知られるように、人間主観性が量子実験の結果に重要役割果たしている。

ドイツ物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクによる有名な引用がある。

私たちが観察するのは現実のものではなく、私たち質問方法さらされた現実です。」

例えば有名なダブルスリット実験では、スリットの後ろに検出器を置かなければ電子は波として現れるが、検出器を置くと粒子として表示される。

したがって実験プロトコル選択は、観察する行動パターンに影響する。これにより、一人称視点物理学の不可欠な部分になる。

さて、数学にも一人称視点余地はあるか。一見すると、答えは「いいえ」のように見える。

ヒルベルトが言ったように、数学は「信頼性真実の模範」のようである

それはすべての科学の中で最も客観的であり、数学者は数学的真理の確実性と時代を超越した性質に誇りを持っている。

ピタゴラスが生きていなかったら、他の誰かが同じ定理発見しただろう。

さら定理は、発見時と同じように、今日の誰にとっても同じことを意味し、文化、育成、宗教性別、肌の色に関係なく、今から2,500年後にすべての人に同じ意味があると言える。

さて、ピタゴラス定理は、平面上のユークリッド幾何学の枠組みに保持される直角三角形に関する数学声明であるしかし、ピタゴラス定理は、非ユークリッド幾何学の枠組みでは真実ではない。

何が起こっているのか?

この質問に答えるには、数学定理証明することの意味をより詳しく調べる必要がある。

定理真空中には存在しない。数学者が正式システムと呼ぶもの存在する。正式システムには、独自正式言語付属している。

まりアルファベット単語文法は、意味があると考えられる文章を構築することを可能にする。

ユークリッド幾何学正式システムの一例である

その言語には、「点」や「線」などの単語と、「点pは線Lに属する」などの文章が含まれる。

次に正式システムのすべての文のうち、有効または真実である規定した文を区別する。これらは定理である

それらは2つのステップで構築されれる。まず、最初定理証明なしで有効である宣言する定理選択する必要がある。これらは公理と呼ばれる。

これらは正式システムの種を構成する。

公理から演繹は、すべての数学コンピュータで実行可能な印象を生む。しかし、その印象は間違っている。

公理選択されると、正式システム定理構成するもの曖昧さがないのは事実である

これは実際にコンピュータプログラムできる客観的な部分である

例えば平面のユークリッド幾何学と球の非ユークリッド幾何学は、5つの公理のうちの1つだけで異なる。他の4つは同じである

しかしこの1つの公理(有名な「ユークリッドの5番目の仮定」)はすべてを変える。

ユークリッド幾何学定理は、非ユークリッド幾何学定理ではなく、その逆も同様。

数学者はどのように公理を選ぶのか。

ユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学場合、答えは明確である。これは、単に説明したいもの対応している。

平面の幾何学であれば前者。球の幾何学であれば後者

数学は広大であり、どのように公理選択するかという問題は、数学の基礎に深く行くと、はるかに感動的になる。

過去100年間、数学集合論に基づいてきた。

すべての数学オブジェクトは、いくつかの追加構造を備えたセットと呼ばれるものであるということだ。

たとえば自然数のセット1,2,3,4,...は加算と乗算の演算を備えている。

一般的なセットとは、数学で正しく定義されたことがない。

集合論特定正式システムによって記述される。Ernst ZermeloとAbraham Fraenkelと、選択公理と呼ばれる公理の1つに敬意を表して、ZFCと呼ばれる。

今日数学者は、すべての数学を支える集合論正式システムとしてZFCを受け入れている。

しかし、自分自身を有限主義者と呼ぶ少数の数学者がいる。

彼らは、無限公理と呼ばれるZFCの公理の1つを含めることを拒否する。

言い換えれば、有限主義者正式システムは、無限公理のないZFCである

無限大の公理は、自然数の集合1,2,3,4,...が存在すると述べている。すべての自然数に対してより大きな数があるという声明(「ポテンシャル無限大」と呼ばれる)よりもはるかに強い声明である

有限主義者は、自然数リストは決して終わらないことに同意するが、いつでも自然数の集合の有限の部分集合のみを考慮することに限定する。

彼らは一度にまとめたすべての自然数の合計が実在することを受け入れることを拒否する。

したがって、彼らはZFCから無限公理を削除する。

この公理を取り除くと、有限主義者証明できる定理はかなり少なくなる。

正式システム判断し、どちらを選択するかを決定することができるいくつかの客観的基準...なんてものはない。

主観的には、選ぶのは簡単である

時間空間を超越した何かを象徴しているので無限大が大好きだ」と言えば無限大の公理を受け入れることができる。

ゲーデルの第二不完全性定理は、十分に洗練された正式システム(ZFC等)は、自身一貫性証明することができないと述べている。

数学者は、今日のすべての数学の基礎であるZFCが確固たる基盤にあるかどうかを実際に知らない。

そしておそらく、決して知ることはない。

なぜなら、ゲーデルの第二の不完全性定理によって、より多くの公理を追加することによってZFCから得られた「より大きな」正式システムにおけるZFCの一貫性証明することしかできなかったから。

一貫性証明する唯一の方法は、さらに大きな正式システム作成することだけだ。

数学を行うためにどの公理選択すべきかについて、実際には客観的基準がないことを示唆している。

要するに、数学者が主観的に選んでいるというわけである自由意志に任せて。

公理のための主観的基準というのは、より豊かで、より多様で、より実りある数学に導くものを選ぶという人は多い。

これは自然主義と呼ぶ哲学者ペネロペ・マディが提唱する立場に近い。

自分自身制限する必要がないので、無限公理を受け入れる。

特定公理のセットを選択する行為は、量子物理学特定実験を設定する行為に似ている。

それには固有の選択肢があり、観察者を絵に導く。

これが、一人称視点とそれに伴う自由数学において正当な場所を取る方法である

2023-12-06

anond:20231206081055

狂気が足りないよな。

増田女の書く長文には、もっとナチュラルな異常者の主観性が溢れている。

2023-11-30

「had better」がおいそれと使えないくらい強い表現だと後に知った時も衝撃だったけど

「will」が主に意志感情の動きや主観性が強いときに使われる


・「be going to」が状況や経験や予定などの客観性が強く、意志感情の動きが乏しいときに使われる



これらがネイティブ的には実は丸っきりあべこべだと知った時の衝撃はそれを遥かに上回ってた

2023-11-06

anond:20231106084039

地方単位で語る場合だと悪い面も平然と言うのに、日本という括りになると突然理想論主体になるよな

その辺が客観性意見か、主観性意見かの違いか

2023-08-27

anond:20230827162441

パラダイスシフトかどうかはともかく斬新自体主観性が拭えない言葉なわけだしそんなに斬新かどうかについてお前の感覚で問いただす意味あるの?そのことが企業が考えた学術的な知見を占有することの危うさの是非にどうつながる?

2023-02-23

ネトウヨの定義がわからない」とかい馬鹿も、「ネトウヨの定義」として何らかの属性提案する馬鹿も、つまり自他の境界曖昧ということなんだろうな。

客観性主観性の切り分けがまり得意ではないんだろう。

未成年のうちはそれでも可愛げがあるけど、ガキがガキのまま身体だけ老いるとそうなるのかな。

2022-12-08

子どもの声がうるさい」「それってあなた感想ですよね?」

ってなるので、本来客観的騒音評価で、何dBとかの基準があるべき。

公園廃止問題はざっくりとしかみてないけど、もし「子どもの声がうるさい」というだけなら、クレームの人の主観性をそのまま受け入れてるのがダメ。なんで、まずは「子どもの声がうるさい」というただの感想をそのまま受け入れてんだよと。

弁護士騒音測定の技師の立ち合いの元、んで屋内で窓を閉め切ってた状態騒音評価してはじめて、騒音公害と扱うべきなんよ。本来そういうのが無い限り「子どもの声がうるさい」は根本的に騒音ではなく、ただの感想しか無い。

騒音レベルも「これだったら、日常生活障害が起こったり健康被害がでる」ぐらいの高いレベルから、「ちょっと勉強に集中できない」という個人努力でどうにでもできるレベルまであって、今回の件はどうしても普通に、たぶん個人ちょっと我慢できるレベルなんだよな。たとえば、その公園で、100人とかの大人数の子どもたちが遊んでますみたいな状況だと違うだろけど、少人数で遊んでる程度の声だったらおそらくそこまで騒音レベルになるのは考え難いし我慢しろ程度だと思う。

騒音が「ちょっと勉強に集中できない」レベル程度なら、当時者同士の話し合いでなんとかなるし個人努力でなんとかなる。ほんとにどうしようもないレベル騒音だったら考えるべき。そうじゃなかったら、「うるさい」と言ってる人の怠慢でしか無い。

2022-01-17

anond:20220116164742

少しでも助けになるなら私の生存方法を書いてみる。

前提

この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇個人努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスネットワークの強化になっていくと仮定している。

人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。

考え方

"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。

ADHD は考えるだけ無駄

まず、ADHDワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。

全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。

例えば就労が困難だったというケース(あくま一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分馬鹿から仕事ができない"という形で問題カプセル化してしまえば、ワーキングメモリ節約できるため、ADHD問題単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。

では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。

 寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からいから、今日相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。

からこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分客観視するセンスがある。

考えない方法

マインドフルネス瞑想がよい。方法適当ぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。

人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分トラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロセラピストでない限り PTSDトリガーになりかねないので、慎重に。

考えられる人になるには

疲弊する環境を脱するのが最優先だ。

ストレス回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。

IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング読書楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。

生活

プロ相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。

あなた場合愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶トリガーが多く、思考ノイズ高まる瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争PTSDになった米兵戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。

孤独

追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホーム同棲抵抗があると言っている。

父に笑顔で頷き続けるか、他の障害者暴力を振るわれるかの2択しかない。

↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分場合、親には愛されているはずなのに。

 環境を変えても、私がダメからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから

ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。

今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化バイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職離婚病気のような失敗は何度も経験するのだ。

人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイル比較するのがいいと思う。親族、家、お金車など財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産ライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。

安全生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。

増田について

私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。

これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。

https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000

我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。

親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。

おせっかいかもしれないけど増田きっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。

ブコメ言及など

スターがついていたので。

hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善スタート地点

言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリ節約無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。

これも脱線するが、自分発達障害自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害知的障害は異なる。高IQ発達障害大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分IQを正しく理解している。

misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。

programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内ノイズをかき消す方法自分には良かった。

https://anond.hatelabo.jp/20220118124641

元増田ではないけどマインドフルネス瞑想トラウマ持ちだと困難だったぞ

TFT自己否定強いと自分を叩き出して失敗した

ブクマにもあったけど発達性トラウマ考慮しないと危ない

これはそうかもしれない。実は自分場合自己流の荒療治でトラウマ追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラー精神科医などプロ相談しながらがよい。

本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。

sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。

自分アイディアはこれとも違う。そもそも大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からモラハラがあった」「グループホーム暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。

もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。

aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ

私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。

2021-05-24

連立政権には民意が極めて少ない政党が入る問題

立民 枝野代表 野党候補一本化 国民民主との連立政権目指す

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210523/k10013047661000.html

立憲が政権を取るころには流石に立憲の支持率は上がっているであろう。

しかし、国民民主党はどうか?現在1%程度しか支持率がない。

これから先、国民民主党の支持率がどれだけ上がるか疑わしい。

もし上がらなかった場合支持率が1%程度の政党政権に入り、政策作りに参加することになる。

民意観点からみて問題があるのではないか

これは、無論、公明党にも当てはまる問題である


立憲 枝野代表 野党候補一本化 国民民主との連立政権目指す | 選挙 | NHKニュース

立憲と国民が度々仲違いする原因は立憲民主一方的意見と言って国民側の意見を聞かない事なんだけどね。自分絶対とやってるようでは政権取ってもまた仲違いするよ。2021/05/24 07:23

この人の主観性組織パワーバランス問題は置いておいて

国民民主党の要望があまり多く通り過ぎると

民意としてはそれはそれで問題なわけだよね。

2021-03-14

民族という概念は、まともな英訳すらできない以上は普遍的概念ではありえない。というか肌の色で差別することができなかった諸国において差別実施するために再発明されたものである以上はそもそも概念からして誤りを多分に含んでいる。

Ethnic group 程度の意味合いで使う分には良いように思えるが、扱いに非常に丁寧にならなければならないこの言葉適当に使う奴は敵だ。

そもそも帰属意識という主観性の強いもの客観的定義である糞みたいな概念自明存在すると考える方がどうかしている。具体的に言えばある人間は必ず特定民族にただ一つ属すると考える人間は学問と知性のどちらも決定的に足りない。そんなものを信じる人間学習能力に欠陥があるか、脳に物理的な欠陥があるか、成長段階の環境悲惨だったかのどれかとしか言いようがない。それはそれで可哀想だとは思うけれど、それでも害悪となる概念を振り回す権利はない。

民族伝統という言葉は指し示す概念存在しないので嫌い以前の問題だ。からし民族というものに根差すという幻想を共有している人間は須く無能だ。考え方が完全に逆である民族があって伝統があるのではない。伝統を守るものがその民族なのだ。肌の色や血筋関係がない。そんなものは何も規定はしない。そして一人の人間複数民族であるのだ。〇〇民族でありながら△△民族であり得るのだ。

君の身に付けているものけが君を定義する。先祖から伝統からと言って何も正当化され得ない。やりたいなら自身責任において全てをおっかぶり貫くべきだ。伝統から言い訳に過ぎない。例えそれがなにであれ、

私は

これを

やるべきだと考える

から

やる

以外に正当な理由はない。人のせいにしているんじゃねえ。君の行動は君の自由意志にの立脚する。そして君が何者であるかも君の自由意思によってのみ規定される。甘えるな

君が君自身増田民族を名乗ることまで私は止めはしない。ただそれは君の自由意思の結果であることを祈る。

2018-10-06

ネット社会に生きる人間を蝕むもっとも恐ろしい現象

AIを用いてネットニュース信頼性政治的な偏りを判断するという研究報告」

についての記事GIGAZINEで見た。

が、これはネットニュースよりも増田や5chみたいな投稿にこそ必要システムだと思った。

かにネットニュースは閲覧者が多く、影響力も大きい。

でもお仕事で書かれてる文章って、そこまで品性を疑うレベル偏屈さではない率が高いと思うんだよね。

少なくともここみたいな個人匿名で喋る場所比較したら。

メディア記事は別人によるチェックが入ることも多いし、ひどく偏屈ものは間違いなく炎上するし。

それに、メディアはそのメディア特性を踏まえて、構えて見るものだ(バズって本来の読者層と別の人に読まれる例だと「構え」ができてない事もあるけど)。

例えば産経なら右寄りだなとか、スポーツ紙の言うことだから~、オカルト雑誌記事から~みたいに。

一方で、口コミみたいな個人の主張の寄せ集めみたいなものを繰り返し見せられる場だと「構え」は困難だ。

結果、人はそれを「確かに」「正しい」「真実」認識やす脆弱性があると思うんだよね。

こっちの方が粗暴な論がゴロゴロしてるのに。

見慣れたネットスラングを、(出自が如何わしい台詞でも)いつのまにか恥ずかしげもなく使っている現象と同じで、

こういう場で見聞きした考え方や言葉遣いは、いずれ自分の深層に自分のものとして定着してしまう。

たとえ初めは下卑た論外な論だと判断できていても、それを繰り返しいろんな言い回し摂取する度に、染まっている。

まるで単純接触効果のように。

それが、匿名ネット上の議論品位や質が著しく低くなる理由だと思う。

もちろん、偏った意見を主張する人の声ほど大きくしつこく聞こえてくる(一方まともな見識ある人は論争に参加しない)、

という、先日ひろゆき氏が言っていたような要因も大きいとは思うけど。

それだけでは説明できない、ネット主義主張がなるべくして低きに流れる思考汚染とも言えるこの現象こそがもっとも恐ろしいものだと思う。

その思考汚染の申し子たちが、ここや5chやtwitterやなんかで、今日も男女、左右、老若などの陣営に分かれて、あるいは作品評などに関して、口汚く罵り合っている。

彼らの多くは、ネットの掃き溜めに浸かる以前にはそんな人間ではなかったはずだ。

うそうなってしまった人を救うことは難しいが、そうなりそうな人を救うには、

名もなき個人の声が跋扈する掃き溜めに紛れる「ヤバイものに「これヤバイやつです」というタグを貼って可視化していく必要があるだろう。

それを人間が手動でやるのは物量的にも無理だし、主観性問題もある。

冒頭のAIの話は、ファクトチェック自動化するような話だったが、

こういう場における発言の偏り判定をAIでするには、もっと複雑で高度な判断必要になるだろう。

それでも、これから情報社会に必ず必要になってくるシステムだと僕は確信している。

一部のまとめblogredditなんかについている、書き込みへのgood/badボタンは同系統の人力システムではあるが、

やはりそれもボタンを押す読者層のリテラシーレベル依存した評価しかできない。

wikipediaでよく見られるような注釈自動でつけるあたりが現時点で想像できるシステムであると思うが、

……眠くなってきたのでこのへんで。

2018-03-25

anond:20180324204110

伸びるかなと思ってたら伸びたな。

パラドクス哲学についての回答の1例を記す。

 

テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?

これは「観測者」に定義依存する。

観測者が「テセウスの船であることを認めない」と主張した場合は、その観測者にとってその定義有効とされ、

別の観測者が「テセウスの船であることを認める」と主張した場合は、別の観測者にとってはその定義有効とされる。

そして広義的な定義多数決によって執り行われる。

この場合部品を置き換えられた結果の船を周知していながら関連者はテセウスの船である認識しているため、

これはテセウスの船であると言える。

ただし、これにはオリジナルテセウスの船自体主観性がないとする。

日常において構成物質が変わっているのにも関わらず同一個体として認識されているものは「人間である

物体としては焼け落ちた城を再建させた城についても同じことが言える。

この場合も周りの観測者が大阪城と認めるから大阪城定義できる。

 

水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・

これは仮定としては十分成立する。

反論として現代科学において脳にこのような仮想世界を作り出すために必要コンピュータを作り出すのは物理的に不可能だというものがある。

しかしこれは現実世界科学技術物理法則を元に論じられており、

水槽の脳実在する世界」においては別の物理法則や遥かに進んだ科学技術を持っているという仮定をするだけで条件をクリアできる。

映画マトリックス世界がそうであったかのように。

そのためこの世が仮想現実であるという主張に対して、完全な反論存在しない。

その説そのものが、科学的な進歩において何の有益性もないという科学者や論者がいるが、

その事実仮想現実論の否定とは結びつくわけではない。

 

哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビは存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?

これに関しては解答不能である

人間とまったく同じふるまいをする、主観的意識を持たない哲学的ゾンビを作り出すために必要構成物質定義できないから、である

例えば魂と言われる霊的存在主観的意識人間のようなふるまいに必要不可欠であった場合哲学的ゾンビは成立しない。

魂の研究に関してはまだ発展途上の段階であり、最近になって発見されたクォーツなどのように、

仮に未だ見つかっていない法則や粒子が主観的意識構成する物質であり、必要な要素であった場合哲学的ゾンビは成立しないからだ。

まり主観的意識の有無が哲学的ゾンビの成立に関与するかどうかを科学的に証明できない限りは反論可能である

地球が平らであると信じられていた時代においては端にいくとその先に何があるか、という論議は成立するが現代では成立せず、

仮に魂の構成物質機能発見が終わった後にもまた、この問いかけは成立しなくなる。

私自身は魂がまだ未発見の粒子により構成されているという説が正しいと信じている。

 

スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験

こちらもやはり主観的意識構成する物質存在し、

それがコピーできないもの代替できないものである場合

全くの同一性定義上満たしていないことになる。

職場家族スワンプマンと元の男を見分ける術がないが、

これは素人が本物とよくできた贋作を見分けることができない程度の認識問題となる。

 

また、仮に最初落雷がある男に落ちずに沼に2度落ちた場合は、スワンプマンを含めた男は計3名となる。

しかし3名全員の主観的意識はそれぞれ別個に存在しており、

その点だけをくみ取ってもスワンプマンたちに同一性は成立していない。

よって沼にはじめて来た男とスワンプマンは同一存在ではないと定義できる。

 

哲学において同一性テーマが語られることが多い。

これは魂・霊的存在主観的意識科学において未だに解明されていないことを意味している。

科学的に解明されていない余地があるからこそ、思考実験バリエーションが多く組まれる。

また、観察者の能力についても、人類は正確に把握できていない。

そのため主体性意識を持つ存在認識定義について論じない、触れない哲学も多くみられる。

観測行為観測する者の不在では論じれない量子力学最先端物理学においては必要不可欠であり、

哲学が未だ観測者の能力機能性について、正確に学問体系に組み込めていないというギャップ引き起こしている問題だと考える。

2017-11-17

anond:20171117103325

増田女性なら本当に怖かったですね増田はなんにも悪くないよ(共感性パーフェクトコミュニケーション)

増田男性なら報告の主観性差し引きして考えると増田の方がよりキチガイであった可能性を排除しきれないので病院警察で話を聞いてもらうのが確実だと思う

2017-09-21

FGO 1000万DL記念対象☆4鯖のメタスコア

ゲーム攻略サイトAppMediagamewithGAMY神ゲー攻略ゲーム乱舞》の1000万DL☆4鯖オススメ記事と、個人ブログ代表としてこの集計をするきっかけになった《Nkentsukimiya氏の評価》を対象として集計をとった。

BoomAppGames記事作成途中だったが、全鯖網羅し点数はつけず長所短所の講評なので完成後も追加はしない。

ほとれいっ!は攻略情報のみ、ファミ通Appと電撃オンラインオススメはなく、従来型攻略wiki@wiki、wicurioでも主観性の高いオススメ作成されていなかった。

サイト80~100点、MAX590点(オススメ内の上下が無いサイトで一律90点としたため)


【6採用】4騎

ランスロット(570)高スペック

ヘラクレス(560)高難易度適性

術ニトクリス(540)周回適性

茨木童子(525)高難易度適性


【5採用】1騎

エレナ(450)周回適性


【4採用】6騎

アルトリアオルタ360)高スペック

セイバーオルタ(355)高スペック

エルドラドバーサーカー(350)高スペック

フラン(350)周回適性

ランスロット(340)周回適性

騎アストルフォ(325)周回適性


【3採用】4騎

ラーマ(270)、術ギルガメッシュ(270)、弓エミヤ(250)、剣鈴鹿御前(240)


【2採用】6騎

ガウェイン、槍ヴラドEXTRA、槍エリザベート、術ナーサリー、殺カーミラ、殺不夜城アサシン


【1採用】7騎

ジークフリート、剣ネロ、弓アタランテ、弓トリスタン、術メディアリリィ、殺ステンノ、讐ゴルゴーン


【0採用】14騎

デオン、弓エミヤオルタ、槍フィン、槍メドゥーサ、槍李書文、騎アンメア、騎マリー、騎マルタ

エジソン、殺エミヤ、殺新宿アサシン、狂タマモキャット、狂ベオウルフ、讐新宿のアヴェンジャー


以上全42騎。判断の参考になれば。

マーリンピックアップを回すならば☆4配布鯖の選択はその後でいい、締切に注意

・手持ちに無い鯖を求めるか、既存の鯖の宝具を上げるか

・周回性能を求めるか、高難易度適性を求めるか

・手薄なクラスを補強するか、他クラスの高スペックを選ぶか

ストーリー限定は入手しにくい

・手持ちの鯖・礼装との相性・相乗効果

・配布鯖との性能比較、☆5☆3との比較

自分の好み、キャラ

ネロ体操着


だから俺達は星4鯖の話をする時にキラキラしたいずれたどり着く夢の話しか出来ない

FGO配布星4鯖を決められない人へ

2017-05-08

私は卑怯かそれともバカ

私は「自分にとって都合の悪い事を言わない」という行為卑怯ものだと考えていた。

しかし様々な知人に指摘されたのもあり、もしかしたらそれは卑怯でも何でもないただの普通なことなのかもしれないと最近ようやく思うようになった。

いわゆるバカ正直というやつである


何か出来事が起きたときはなるべく主観性排除して中立的客観的事実を述べるべきだと考える人間であったため、

人に説明するとき、私は自分にとって都合が悪い事も含めて全て話すようにしていた。

そうすることで私は私自身に胸を張ることはできたが、それ以外はほとんど私自身が不利益を被るという結果が得られていた。

だとしたらこれはただのバカなのではないのかと最近思うようになった。

知人が戦略的他人誘導しているという話を聞いた際、本人に「面白みがないからこのことは相手に言うなよ」と言われたこともあった。

私はそれをチクったりすることはなかったが、「素直に自分に都合が悪いから言うなよって言えばいいのに何故そういう風に自分に都合のいい解釈ができるのだろう」と考えていた。

だがこれも恐らく世間一般的には普通解釈で、自分の考え方が厳しすぎたのかもしれない。

高校時代学校が嫌で、共働きの親に黙って仮病で休み遊びに繰り出したが、後で罪悪感に苛まれ親に自白して謝罪したこともあった。

親は私のことを褒めも𠮟りもせず、「バカだね~黙っときゃ一生バレなかったのに」と笑った。

当時は肩透かしを食らった気がして呆気に取られていたが、もしかすると親も私のバカ正直な点について懸念していたのかもしれない。

例え車がいなければ赤信号でも横断歩道を渡ってしまうように、私含め誰だってみな柔軟にルールを破る。

恐らく今回の件もそれの一環なのだろう。

それどころか考えてみると「自分にとって都合の悪いことを伏せる」というのはダメなことだというルール存在しないし、私がそう教え込まれ記憶も一切ない。

そこも考慮すると尚更私自身がバカバカしくなってきた。

上記のことを考えてから、試しに下手に自身にとって都合の悪い事を自ら言わないように意識して生活を送ってみた。

そしたらなんとまぁ簡単自身にとって都合のいい世界が構築できることか。

気分としてはチートアイテムを使って無双しているような気分である

だが恐らくこれはチートではなくもともと存在してみんなが使っていたアイテムで、単に自分がそれを使わない縛りプレイをしていただけなのだろう。

だが、今まで25年間ずっとこのような考え方をして生きてきたため後ろめたさがあることには変わりがない。

実際にあった話から自分にとって都合の悪い部分を消去し、捻じ曲げられたイメージ相手に植えつけ賛同を得るというのはどうももやもやとした感情が残る。

また、幸い友人も多く職場などでも非常に良好な人間関係を築くことができているため、今までの自分はやはりあながち間違ってはいなかったのではないかと考えることもできる。

伏せると生きやすいがやはり卑怯というイメージがぬぐえない。

伏せないと自身に胸を張れるが不利益を被ることが多くバカバカしくなる。

どこでバランスをとればいいのか。わからない。わからない。


都合の悪い事実を伏せる私は卑怯者なのか、それとも今までの私がただのバカであったのか、まだ私自身には冷静な判断を下すことができない。

自分にとって都合の悪い事を伏せて話すことについて皆はどう考えているのか、私はとても知りたい。

2016-11-02

ゲームカタログWiki

ちょくちょくゲームカタログWiki記事を書いているんだけどさ、ゲーム評価点や問題点って書いていくと、結構主観性の強い内容になっていくんだよ。

でもWikiで誰でも編集できるという構造上、編集編集を重ねるうちに揉めたりもするけど、そういう記事を書いた人の主観性ってのはある程度薄らいでいくわけ。

でもそれって、誰もが編集したがるメジャーゲームからこそ成立してる面もあって、自分がたまに作るマイナーゲーム記事なんて、たまに誤字脱字を校閲してくれる編集はあっても、内容そのもの編集してくれることなんてほとんどない。酷いものになると自分しか更新してない記事もあったりする。

ゲームカタログWikiってゲーム名でググる結構上のほうに出てくるから、そんな自分主観だらけの評価が、そのマイナーゲームネット上の評価みたいな扱いをされたりするんかな……と思うとちょっと怖い気がする。考えすぎかもしれないけど、なぜかこの手のWiki情報って、個人ブログなんかより信用する人が多いからね……。

まあそんなことをふと思っただけで、これまでどおり記事は書くと思うけどね。

前述のとおりマイナーゲーム基本的に作られにくい傾向にあるので、詳しい人がいたら記事をじゃんじゃん作成していただくようお願いします。

2016-05-08

主観的な「気づいた」はダメ

主観性の強い主張に「気づいた」を使うのはダメ

その主張と異なる意見を持つ者に対し、先回りして遥か上から見下すという非常に攻撃的な姿勢となる。

からダメ

逆にそれが意図どおりなら使えばいい。

でも俺の目の前で使ったらぶん殴る。

良い例

  • 1に1足すと2になることに気づいた
  • 俺の娘がかわいいと言われていることに気づいた

ダメな例

2015-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20150827160030

妻が感染症内科医なこともあり、子どもたちには任意のものを含めて予防接種を全部受けさせているし、その科学的意義は十分理解しています日本承認される前のワクチン(ちなみに、現時点ではすでに承認済み)を受けに、遠くのクリニックまで子供を連れて行ったこともあります。妻が専門家として判断しているからこそですが、その判断プロセス自分も共有しているし、彼の記述科学的に間違っている主張が含まれていることも分かります

ただ、生命倫理勉強をした黒歴史を持つものとして言わせてもらうと、予防接種強制の是非は、医療倫理的理論上難しい問題を含んでいるし、彼個人を一方的に叩くのは間違っているのではないかとも思います

ちょっと知識をひけらかすようなことを言うと、英米系の国は日本と比べて個人の権利よりも公衆衛生を優位に置く思想を持っています。たとえば、HIV感染があると、性的関係を全部調べあげて関係者調査する。予防接種拒否社会的ペナルティがあったり、入学拒否されたりすることもあります。いずれも日本では考えられないと思います。一方、西ヨーロッパ大陸法の国)は、比較日本と近く、公衆衛生よりも個人の権利重視で、予防接種についても受けないという選択が尊重されるべきという考え方です。

いわゆる英米法大陸法の違いという話ですが、それぞれ理論的には一貫性のある立場であり、簡単に間違っていると言えるようなものではないのです。どっちが正しいとか言うつもりはありませんが、少なくとも片方の立場を元に逆の立場一方的に叩くことができるような話ではありません。もうちょっと突っ込んで言うと、これはリスク評価主観性、そしてそれによるリスク評価多様性をどう社会的包摂するかという問題であり、簡単に答えが出る問題ではないのです。

そういう意味で言うと、彼の予防接種についての知識は間違っているかもしれないけれど、少なくとも大陸法系譜を持つ日本法体系上、それを「虐待」と言うのはおかしいのです。そして、ネットで寄ってたかって批判されているのを見るとすごく悲しくなる。なんていうのか・・・直感的には叩いている人の言うことも分かるのだけど、そこに欠落している法秩序への無理解、ある種の衆愚国家主義とも言える事態に悲しくなるわけです。

・・・・という意見増田あたりで理解されるとは思えないけど、メモ代わりに。

2015-08-19

人間性」や「人として」といった主観性の強い言葉

たまたまそこに居合わせた人の機嫌が損なわれたから、あるいは都合の悪いことを言われた/されたからといって「あの人には人間性がない」という人がいる。

そういった主観的な要素が強い言葉を使う人に会うと私は、その人に対して「人間性って何?」とつい、尋ねたくなる。

すると、相手方は私に対して「お前には人間性がない」「人としておかしい」と罵倒する。

どうやら人間性というのは人がロジック自分立場正当化するために使う言葉らしい。

こうした言葉はその発言をする人が年をとっていれば、ある程度の訴求力を伴う。

そういった意味では、私には人間性というものはないのかもしれない。

2015-06-25

邦画カメラワークがチープな感じなのはメタから目線から

結構前に話題になってた奴。

これ、日本ビデオゲームアニメもか?)の特徴でもあるんだけど、カメラ=観客 を神様の立ち居地に置いてるからだと思う。

メタから目線・観客席から目線・神から目線お茶の間から目線……要するに、安全なところからすべての情報完璧に見ることが出来る視線

ものすごく客観的目線のみで捕らえ、主観的目線を排する。

まず「カメラ主観的視線概念を極力排除」している。

注視するものって動かずに見え、背景こそが動いて見えるのが、目の機能としては自然なんだけど、日本演出注視すべきものほどよく動き、逆に背景は動きが抑えられている。

これによって、観客は「何に対しても注視していない感」が与えられる。

ビデオゲームは動かず注視される対象主人公なんで、そこはちゃんとしているんだけど、逆に敵に焦点が当たってないわけで、主人公に対して没入せず、他人目線を維持する。FPSを避けてTPSに走る。

また全体的に被写界深度も深く、これまた「注視してる感」を避けてる。

あと同系統の話しになるんだけど、「カメラに入るものは、全てが神のごとくよく見える」

手前に邪魔ものが入ったり、重要な部分が見切れたり、陰影でつぶれて、見るべき対象物がよく見えない、という状況をかなり避けている。

被写界深度もそうなんだけど、カメラに入るすべてのものが、きっかりはっきり情報を与えている。

注視対象は全て見えるようになっていて、緊張感があるシーンでは、真正から見据えてますます情報を隠させない。

あとそもそもとして「対象記号的に捉える」っていうのもある。

意味が一意に取れるシンボルとして描かれる。ある種のミニマリズム

UI理想形みたいな繋ぎ方をする。

要するに「観客にとって不安定で、意味を確定できない情報」がとことん排される。

超どアップが多用されるのも「見るべきものけがこの世界存在しているもの」だから

これらの禁則を破る場合インパクトを出すため。

ドッキリシーンとして一瞬だけ行われ、その状態を維持して不安にさせるような使い方はさせない。

で、視線主観性を排して、どこでメリハリをつけるかというと、時間軸に主観性を持たせて、そこでメリハリつけるのが日本物の基本。

特にこの辺にコストがかからないアニメなら、スローモーションバレットタイム、絵の一時ストップ、見得を切る瞬間、などなど。この辺はハリウッドに輸出された。

ただ、これもある種の神様視点特権かもしれない。

神はあらゆるものを精査に見渡せるのだから、見るべきシーンがスローでじっくり見られるのは当然という。

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150611204804

こいつが明らかに昭和偉人レベルの純主観性を持ち,昭和偉人意思を受け継ごうとした人間であるところ,昭和偉人に抑圧されていたゴキブリ自分時代が来たと思った瞬間こいつに虐殺されてまた昭和のエサ状況にされてしまって夏にしごきあげられていた悪ゴキブリ忸怩たる思いをしているだけなんだよ。

2014-04-21

 キルミーベイベー放送終了からもう、二年になる。

 この二年で、番組伝説から英雄になった。キルミーベイベーは今年も盛大にネタにされている。

 しかし、英雄に沸くネットの片隅で、私は思うのだ。例えば十年後、誰があの忙しい愚者、優しい殺し屋のことを憶えているだろうか。最初の日、「先生」が命名したこの『キルミーベイベー』は残っているのだろうか。

 争いも犠牲も、あぎりさんのあの微笑みさえも、全ては時の彼方に流されていく。

 いや、その方がいい。憶えていてはならない。何故ならあれは、英雄譚などでは決してなかったのだから

 全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。

 いつの日か、現在私たちも、未来の誰かの古典になるのだろう。

2014-02-09

現代音楽歴史超簡略版

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

ベートーベン事件の論評は間違いだらけ

まりに気の毒な当代一流の音楽家新垣隆

この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。

そこで日本現代音楽界とか教育Disるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。

大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。

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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代

まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。

一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12技法」ってのを作った。

これは何かってうと、まず1オクターブ12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。

で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。

それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。

まりルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなもの音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。

でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。

シェーンベルク弟子たちがそう考えて、より主観性排除する方向に向かうわけです。

どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。

どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。

そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。

同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。

(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要ポイントだと個人的には思ってるよ。)

でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明ものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。

ここまでが「無調」。

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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ

彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで

サイコロ演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージ最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。

ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。

このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。

このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽存在しなくてもいいんだよ。

さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)

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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。

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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては

調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。

ただ調性感のある音楽は大したことがないから著作権放棄する作曲家ばかりなのかは自分作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。

あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックバリバリやってた人です。

そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。

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