はてなキーワード: 一夜漬けとは
批判的なブコメが多いみたいだが、良く出来たリストであると思う。
いくつか思うところもあるけれど、これらの作品を網羅できていれば、いわゆるマニアとの会話に困ることはあるまい。
もしも『こち亀』で中川や麗子が邦画キチの取引先と盛り上がるために一夜漬けするという回があったとして、そのときに両さんが作ってくれるリストとして出てきてもおかしくないものだ。
取引先「なんと、きみは『感染列島』でも『64-ロクヨン-』でもなくそんな作品を……面白いヤツだ!」
麗子「なるほど……」
もちろんリストを記憶した麗子の会食が両さんのせいで上手くいかないのがオチになるわけだが、それは今回全然違う話なので、リストの話に戻る。
そもそも100本は多すぎること。100本選ぶ流れなので仕方ないけど。
サイレントやアニメ、ドキュメンタリーなどは不得意そうなジャンルが見受けられる。
なので、高校生に最適なリストだとは思わないけれど、いいリストであることは間違いないと思う。
おそらく箸にも棒にも掛からない作品はないだろう(全作鑑賞済ではないので補償はしかねるが)。
年代順で丁寧なリストなのだが、重要度とかでのつまみ食いはしずらく、そういう点ではキネ旬とかのオールタイムベストの使い勝手の良さが逆に光ってしまう。
特に勉強をせずすごす 一応ベネッセを契約してはいたが付録目当てで特には勉強しなかった 特段点数が悪いわけではなかった
テスト一週間前だけイヤイヤ勉強をする これも一応契約してたベネッセの対策冊子みたいなのでごまかした
大学には行きたかったがそのために勉強するのが嫌すぎるし高卒ももっと嫌だったから高専に行く
行こうと思えば編入もできるしね
赤点とってもなんとかなるなと思ってからは赤点の鬼 ほぼ全てを赤点取って再試で突破
再試すら一夜漬けを超えた朝漬けだった
提出物だけは友達に手助けしてもらいつつ期限内に出したからか奇跡的にノー留年で卒業
当然勉強したくなかったので高専の推薦パワーでエンジニア職に就職
言われた仕事だけしてりゃスキル付いてるだろと思ったが上司に自分から勉強しねえとこの先やっていけねえぞ(意訳)と言われる
でもとにかく勉強はしたくない
仕事自体は嫌いじゃないけどプライベートの時間割いてまで勉強したくねえよ
誰か助けてくれよぉ
自分の場合は両親も自分も小学6年生の8月か9月ぐらいまではそんな世界があるとすら知らなくて
元はというと小学校の成績表がどんどん落ちてったんでヤバイと親があわてて適当な塾に放り込んだらそこが進学塾だったという
それで妙に試験結果が良くなっちゃって3カ月ぐらいで一番下のコースから進学コースに上がっちゃって
いつの間にか中学受験することになって気が付いたら合格してしまって
たまたま親が進学に金出せるぐらいは稼いでくれてたのが生まれた環境の違いといえば環境の違いなんだろうけど
なお大学受験で浪人するまで勉強したことなかったので勉強の方法身に付かなかった
親も勉強したことなくて一夜漬けだけでだいたいどうにかなったと言って勉強のやりかたなんて教えてくれなかった
そんなんでも偏差値60ぐらいの学校は受かったし勉強なんてそんなもんだと思った
今となっては後悔してます
さておき中学で私立に行った結果、地元のヤバイとこで有名な中学校には行かないで済んだことになった
もともと通ってた小学校の段階で学級崩壊で先生が管理放棄してたんでその進学先は推して知るべきなんだけども
その行くはずだった中学で教師が生徒に虐められて失踪したと新聞記事になったのを見たのが中学2年か3年のとき
結果的に親は中学受験は子の危機回避に使えると学習し、自分の下の二人は私立中学進学前提になった
進学先でイジメ行為がなかったかというと実はあったんだけども、自分の場合はマイルドな程度に収まったと思う
(殴る蹴るはなく、筆箱に弁当の中身を入れられるとかそういうぐらい。小学校だとイジリと直接暴力とカツアゲだった)
そんな感じなので中学受験イコール学歴というイメージが全然なくて済まん
クソな私立医科大学に行くと、教員たちが「一夜漬けはだめだぞ!」っていうのを真に受けて、ちゃんとした参考書や本を購入しちゃうのだ。それは実は間違いなんだ。
教員たちも能力がないので、ちゃんとした能力がないので、この大学にいる可能性が高いのだ。そのせいで、まともな試験問題を作れないのだよ。そんでもって、その教育の失敗を、学生に押し付けるという手法で学費をゲットするのだ。で、学生は「自分は不勉強だったから落ちた」なんて思わせることで、翌年もさっさと高い学費を払わせるゲスい集団がこの世にはいるのだ。
必要なことは、過去問をゲットして丸暗記して、国試の前に全部ロストして、国試直前に予備校の手法を身につけるということなんだよ。間違っても「うちの大学の先生に実力がある」なんて思って、国試対策だけをして卒業対策をしないなんて馬鹿な真似をしちゃいけない。
卒業試験なんてゴミです。ゴミがゴミにゴミされて、本当のゴミになり果てるなんて馬鹿のすることです。私達のやらされていることは、ただの「数年分の過去問」を再現するという作業です。たかがゴミ大学の試験です。こんなものに評価されてイキるのは無能の証明です。ボーダーを超えたら、ゴミ生成器の呪縛から開放されるのです。
我々は留年するために医学部に入ったのか。違うだろ。医者になるために、医学部に来たはずだ。医者になるには、医師国家試験を受けるまで自分を持っていかなきゃならないはずだ。全ては、ここに至る過程を重視しろ。
ps・CBT上位陣が卒業試験で留年する大学は、やっぱり何かがおかしいですよ。自分たちの能力を過信しすぎです。卒業試験を難しくして応対しても、国試の成績は上がりません。あまり変なことをすると、誰も研修医として残らなくなるからな。誰も受験してくれなくなるぞ。真面目に実習する学生を留年させる医科大学なんて、誰がいこうと思うのか。気をつけろよ。
自分は、親の言うことをよく聞く「いい子」だったし、親の言うことこそが真実と思って育った。
母が「○○(筆者の名前)は算数が好きだからね」と言えば、成績は悪くなかったこともあり、そうなのかと納得した。
母が「○○はコツコツ努力できる子」と評すれば、やはり納得し、他人の目にそう映るように行動した。
母が、「○○はお父さんを尊敬してるもんね」と言えば、「尊敬する人」の欄には「父」と記入した。
母ばかりなのは、父とはそんなに喋った記憶がないからだ。いつどこで不機嫌スイッチが入るのかわからず、怒らせたくなかった。
しかし、高校進学を機に親元を離れて、うっすら覚えていた違和感の正体に気づき始める。
自分は全然努力家なんかじゃない。どうにか楽して生きたいし、暇さえあればゲームばかりしていた。勉強も正直そんなに好きじゃないから、テストの類いはコツコツ勉強どころかほぼ一夜漬けで挑んだ。
父のことも別に尊敬してない。見習うべき点はあるかと思うが、それは「尊敬」という感情ではない。
なんのことはない、母は子どものことを理解したうえで言っていたのではなく、「こういう子であってほしい」という願望を言い聞かせていたに過ぎなかった。そして、自分はその通りになるように振る舞っていたので、母の願望は「真実」になった。それだけの話だったのだ。
そう気づいた後でも、自分は親に対する態度を変えることはなかった。高校~大学時代は経済的に親に依存していたので、今までの従順な子どもから急に方向転換するのはためらわれた。
社会人になり、経済的に完全に自立したところで考え方を改めた。
よっぽどのことがない限り、親には頼らないことにした。その代わり、親の顔色をうかがったり、言うことに無条件で従ったりするようなこともしない。
こうして書くと当たり前の話に聞こえるが、当時はそれができていないように感じていた。自分は親離れするので、親にも子離れしてほしかった。
自分が、新卒で就職したところを辞めて転職したのだ。親には転職の相談は一切しなかったが、引っ越しもするし報告しておくか、くらいの気持ちで事後報告をした。
しばらくして、母から返信が来た。曰く、父がひどく怒っていると。
数日後に父本人からも長文メールが届いた。まとめると、「そんな大事なことを、なぜ転職を決める前に親に相談しなかったのか」と怒っていた。
母にも苦言を呈され、お父さんがこの調子では最悪離縁すると言い出すかも……というようなことを言われた。
どうも、
というのと、
というのは、両親にとっての「真実」(願望)だったようだ。
彼らの連絡を受けて頭に血がのぼった自分は、二人に長文メールを返した。まとめると、「あなたたち二人は子離れできていないのではないか」という内容で。
以降、お互いに連絡もしてないし、帰省もしていない。
今思えば、上で書いたような「支援は仰がないけど言うことも聞かないよ」というスタンスを明確に親に伝えていれば、ここまではこじれなかったかもしれない。後悔しても遅いが。
つくづく、コミュニケーション不足な親子なのだと今になって実感している。
(オチはない)
何事も中途半端以下、努力も才能も、納期に間に合わせる力もないクズ。
そんなままこれまでの人生を生きてきた、自他ともに認めるクズ系クズ、それがわたし。
小学校の頃はまだまじめだった。いや、真面目の皮を被って生きていけた、というのが正しい。
合唱コンクールのピアノ伴奏で、本番にも関わらず二小節ほど停止した。
すぐ復帰はしたものの、「伴奏すら満足にできないクズ」「一生懸命練習しろよカス」と揶揄された。
「こっちだって十日前に突然任されたんだから」という思いでごまかしていたのが、クズの思考だったんだと思う。
高校の頃もひどかった。文武両道を語る、自称進学校にしか入れなかったのも原因の一つかもしれない。
だけれど、そうやって他責を真っ先に思いつきそれに縋るのも私がクズゆえの思考なんだと今になって自覚する。
夏休みの宿題を「明日出す」と一週間繰り返して出さなかった結果、生徒指導室行きになった。
テストは一夜漬けで、英語の赤点なんてザラだった。クズなので高3になってもベクトルの基礎がボロボロで「お前、やばいぞ」と叱咤された。
そうはいっても復習もしない、中身もない、自分に甘いクズなんだから仕方ない。
部活では、インターハイの三日前に怪我をしてキャプテンに詰め寄られてキレられた。
「本気じゃないだろ」「士気が下がる」「お前来んなよ」
重々承知してるけど、体面を気にするクズだから来るしかないんだ。ごめんなさい。
サークルでは技術の上達しないクズ部長を任された。指導は先輩に全部投げたし、全国大会ではわたしの凡ミスで奇跡的な逆転負け。
後輩を入れた以外は部室の置物として生きていた。これが本当の役立たず。
趣味の小説も電撃文庫に応募した。二次選考落選。それでプッツリキレて、投げ出した。
他の人たちは血のにじむ努力をしているのにさ、あーあ自分に甘いしメンタルが弱いドクズだこと。
研究室なんてひどさの塊だった。研究の報告会で、自分の研究をあまり理解していない始末、教官に顔をしかめられる状態がずうっと続いた。
ゼミの論文紹介なんて、内容が大したことないのに基本的なことすら上手く説明できずひたすら燃えて時間が終わった。
それを次に生かせれば良いものの、三年間ずうっと同じ感じでゼミは終わっていき。
最終的にドクターの先輩から「炎上商法」「ゼミの質問で、他の人が答える部分が多いのはM2としてどうなの」と御叱りをもらった。
修論なんて、実際完成度はめちゃくちゃ低いし、追い出され枠のお情けで卒業させてもらったんじゃないかと今でも思う。
修論とは別に論文化で必要なデータなんかも、わたしが責任もって行うべき部分を、残った人たちに押し付けて、逃げた。
正真正銘のクズ系クズ。そうやってこれまでの人生、生きてきた。
そして社会人になって、一か月。同期を数十~百人単位でとる企業に、文字通り『潜り込んだ』。
研修で、まだボロは出ていない。と思いたい。
しかし、この思考が頭に侵食されている時点でクズ系クズはまだ終わっていないし深く根付いていると思う。
それが社会人になって表出して、これまでとスケールの違う規模の失敗、負債を抱えてしまうことがたまらなく怖い。
そして今日、夢を見た。今まで迷惑をかけた先生やら同期やらいろいろな人が出てきて責められる夢。
全部元をただせば自分が悪い、出るとこ出れば10:0で負けることばっかやってきたので勝手にトラウマ負ってるだけなのだけれど。
実際甘えなのは分かっているが、このトラウマの数々を拭い去りたい。そして、人として多少はマシな状態になりたい。
藁をもすがる気持ちで、ここに吐き出して、書いている。
遺伝的に知能が高かったりすると中卒人生に向いていないのかもしれない。
ヤンキーで進学する気がない
などを筆頭に、親が宗教にハマッっていたり人格障害で荒れていたりすると小学校すらちゃんと通えていなかったりもする。
成人してある程度自由を得ることで、やっと人並みの努力ができる状況になる人もいる。そんな人はとりあえず根性がある。
根っから性格が破綻していなければ、常識がなくても世間に揉まれて最低限身につくし、コミュニケーションだって人並みに取れるようになる。
そこまで行って軌道修正できた後におかしな方向に進む人もいる。バランス感覚を身に付けることが出来なかったタイプ。
経験と知識が著しくアンバランスなのが自然体で、それを自覚する機会と縁の薄い生き方をしている。
学歴コンプを原動力とした知識欲なのか、あれこれインプットしては物事を拡大解釈する。その先には自己完結。
そして、それを仮説にとどめるブレーキが緩い。
学歴コンプがなければ、知識を糧にしようと背伸びして人と摩擦を起こしたとしても、「頭がおかしい」のような事を言われるだけだと見えない評価の予想ができるけど
学歴コンプが強いことで「中卒であることを馬鹿にされている」と受け止める部分があり、反発心と妄執で更に知識を求める。
知識欲が自己啓発やスピリチュアル、心理学に向かうと手が付けられなくなったりする。
「それらは多くの人が年頃に一度は興味を持ったりするもの」という観点が無いのか、救いを求めて手を出しているからか特別視していたりする。当人は特別視はしていないつもりで。
そういったものの危険な面を表面的に理解しつつも、経験が伴っていないため安全装置的なカンが鈍く深みにはまる。
学歴コンプを跳ね除けるべく努力した先が、頭でっかちの理想家。
ボキャブラリや見聞きしただけの観点ばかり増えてしまい、いわゆる『自分の考え』はほぼ空論
社会や他人の問題に対して、知的な振る舞いで問題視することが趣味になり、そうして自身の負い目を間接的に慰める。
「言う側」に立つことで精神の安定を保っているのかもしれない、エゴが肥大することを代償にして。
不都合な実態を他人の目から隠しても、自身はそれと常に付き合っている。
そうして、言行不一致による矛盾が増えては誤魔化すことを繰り返し、普通なら感じる限界の先に行くと巧妙な開き直りを思いついてしまう。
それは麻薬中毒者が幻覚の規則性を見抜いた錯覚のようなものだけど、乏しい経験に加わる「発見という経験」は正解に感じやすい。
そんな狂った感性を生産的な方法で昇華する手段、職業的なモノサシでも持っていないと、次のステージに進んだことにも気づけない。
良かれと積み重たものは、妄執に振り回されて行った一夜漬け的な努力の塊で、そこから生み出されるエピソードが
今までなんとなく生きてきた。
なんとなくでもそれなりにこなすのは得意だった。
ただ、それなりにこなすことができれば満足して、それ以上の努力はしてこなかった。
漫画だと一夜漬けのシーンは数コマで終わるのに、学生時代に真似したところで一夜漬けを始めて1時間で眠りこけてた。
昔から将来の夢を見つけることもできなかった。
ただ、なんとなく生きていた。
この頃から目立ちたがりだった気がする。
テストの点数は右肩下がりだったが、問題のあるレベルじゃなかった。別に焦りもしなかった。
そこには確かな夢を持った同級生がたくさんいた。
きっと自分も高校の3年間でやりたいことを見つけられるんだと信じていた。
3年間で彼女がいた時期もあった。自覚は無かったけど、所謂青春がそこにあったんだと思う。
ただ、将来の話題になると、具体的には何も思い浮かばなかった。
卒業前に題材自由のミニ卒論を完成させなければいけないんだけれども、題材を考える時間が一番長かった。
大して時間もかけずに、陳腐な内容で適当にお茶を濁して終わらせた記憶が残ってる。
学科柄、就職を進路に決めている人が多い中、なんとなく進学を決めた。
成績も優秀では無く中の下に成り下がっていたので、推薦入試も使えなかった。
やりたい事がみつからないからこそ、少しでも有名な大学に進学しなければと考えていた。
そんな後ろ向きな目標で必死に勉強することも出来ず、受験勉強もなんとなくだった。
一般受験をする生徒は珍しいので、同級生や先生は応援してくれた。
現役時代ですらまともに勉強できないのに、浪人が出来るとは思えなかった。そのまま第二希望で1ランク下の大学に入学した。
就職した同級生は皆輝いていた。何とかして自分も輝きたくて焦った。
でも、何となくで入った心理学科の授業はまったく面白くなかった。興味も持てなかった。
時間だけは沢山ある中、ネットゲームに実装されたばかりの対人コンテンツでランキングに入ることが出来た。
ゲームのフレンドからは賞賛された、知らないプレイヤーに声をなんどもかけられた。
そしてなにより、自分の名前がランキングボードに載っている事が最高だった。
ただ、それも長くは続かなかった。
コンテンツの人口が増え、コミュニティや戦い方が成熟し、要求されるスキルが上昇していくのについていく事が出来なかった。
声をかけられることもパタンとなくなり、かといって追いつこうと練習することもなかった。
ランキング上位への熱意も冷め切って気づいた頃には、単位の全く取れてない留年確定の大学生がそこにいるだけだった。
留年して通学する貯金もなく、そもそも心理学への興味が一切なかったので大学は中退した。
兎に角働かなければ食っていけない状況に追い込まれて、SIerに就職した。
面接で「君と是非働きたい」なんて言われて浮かれたけど、今思えば誰にでも同じことを言ってるに決まってる。
最初に配属された現場はプログラミングのプの時も無い倉庫整理だった。
中高と体育会系の部活に所属していたので、上下関係には慣れてたし、挨拶や体力に問題はなかった。
「直接雇いたいから連絡をくれ」と言われたが、22歳の自分にはこれからずっと倉庫整理で食っていくなんて考えられなかった。
何と言えばいいのか、変なプライドがあったんだと思う。
小中高と目立ちたがりだった自分がそんな誰にでも出来る仕事をこなして爺ちゃんになるなんて考えたくもなかった。
プログラミングのプくらいはあるかもしれないが、
メインはExcelに書いてあるように操作して、PASSかFALSEをつけていくだけだ。
これもそれなりにこなすだけだったけど、最初の倉庫整理よりかは給料がよかった。
今まで買えなかった漫画、ゲームを買える経済的余裕もでてきて、
毎月の給料で今まで金銭的理由で楽しめなかったコンテンツを味わって2年が経った。
ゲームも漫画も楽しいけど、仕事は相変わらずそれなりにこなすだけだった。
といっても特段業務内容に変化は無かった。
このまま何となく勤続年数に応じて給料が上がっていき、何となく生きていくんだろうかと不安になったし、まあそれでもいいかと思うようになっていた。
けど、変わった。
年末、山手線の高輪ゲートウェイ駅開通のテレビCMを見たときに急に何かに気づいたような感覚に襲われた。
「あ、これがやりたいことだ」と感じた。
これ、というのが簡潔にいうと「自分が関わったのがわかる形で"何か"を作り、残したい」だった。
言い換えれば、自分の存在を認めてもらいたい、つまりは承認欲求が溜まりに溜まったものなんだろうか。
昔から目立ちたがり屋だった事、ネトゲでランキングに名前を残すことに躍起になっていたことからも、人より承認欲求が特に高いのかもしれない。
"何か"は別に高輪ゲートウェイ駅みたいに実体である必要もない。
なるべく多くの人にこれは自分が作ったんだといって見てもらいたい。
具体的ではないけど、夢に近いものをテレビCMを見て気づいた。
義務教育にプログラミングのカリキュラムが導入されているこの時代、スタートは遅いけど、まだ諦めるには早いのかもしれない。そう思った。
どうすれば「"何か"を作る事」に近づくことができるかを考えて、開発側の業務に移れるようPythonの勉強を始めた。
Progateでチュートリアルやった後に何に手を付ければわからなくて、既に壁にぶつかってる。
特にスキルも身につけずアラサーを迎えたITエンジニアだけど、この気持ちを言語化してみたくて書いた。
やりたい事が見つかったからなのか、敬遠していたFaceBookを見ることができた。
文化祭で映像を作ってた友人はYoutuberになってたし、高校卒業前に惚れてた笑顔が素敵な女の子は舞台俳優になってた。
あれって単にヤクザが各大学から事前に入試問題を手に入れて、それを周辺の金持ちに売りつけるシノギをしていた、という話でしかないでしょ
証言している「日大関係者」って「日大から試験問題を事前に貰い受けていたヤクザ」ってことでしょ
東京医科大学の件から想像できる裏口入学とは別個のものだし、爆笑問題太田の疑惑は「漏洩入試問題を購入」したことである。
交渉から金払ったのは全部父親がやってたことだから太田本人が知らない、分からないというのは納得できないことではない。
父親が亡くなっている以上、太田の記憶頼りで、太田に入試直前にホテルに缶詰にされて一夜漬けをやらされた記憶が残っているか、が重要である。かといって父親のしたことを知らなければ忘れていたとしても仕方のないことである。
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。
大学進学のために上京してから悩まされていた不眠症。無計画が引き起こす学期末のレポート地獄。いつまでたっても片付かない部屋。ストロングゼロと煙草。
僕は地元の田舎では周りのやつらのようなガリ勉をせずともそれなりに勉強ができた。やる必要がないと思う提出物は出さなかったし、学校もサボりがちだったから高校の成績は悪かったけれど、大学受験では苦労せず希望の大学に合格した。今思えば僕は周りとは勉強の方法が少し違っていた(周りが1ヶ月かけてする試験対策を3日徹夜すればできた)。でもそれはむしろ僕自身の美点のように感じていた。もしかすると、時間をかけて勉強した結果僕より点数の悪い同級生をバカにしていた節さえあるかもしれない。と同時に、コツコツとした努力のできない自分自身を恥じてもいた。
それが、大学に行ってみたらどうだ。確かにガリ勉で努力をして入ってきたやつも大勢いる。でも僕みたいな一夜漬けを少し大掛かりにしたような受験勉強で大学にきているやつもたくさんいるじゃないか。それでもいいんだな。
大学3年間。将来の目標に向かって努力をするやつらをとにかく視界に入れないようにして、遊んで暮らした。レポートも学部2、3年までのレベルのものは一夜漬けとその応用みたいなやり方でなんとかなる(なんとかならないものは、それを察知した瞬間に取り組むことを放棄する)。試験が重そうな理系や法学部に行かず、文学部に進んで本当によかったと思っていた。
ところがどっこい、僕を待ち受けていた卒論は、そうはいかなかったのだ。いや、適当に済まそうと思えば、ギリギリ通る具合のものを提出して卒業できたようにも思う。ただ僕は変なところで完璧主義なのだ。テーマ設定のまずさと彼女との仲がこじれたこととそもそも外国語の読解が不得手であったことやらで、去年の12月に全てを投げ出し、引きこもり、学生証に留年シールを貼り、今に至るのである。
去年の冬から部屋に引きこもりがちになった僕を心配した研究室の教授に勧められて訪れた保健センター。大学にこんな施設があったとは、4年間通った大学だが知らなかった。診察室に待ち構えていたのは柔和な表情をした丸眼鏡の精神科医。質問票に答えたり、テストを受けたりと何回か通った後に医者が発した「ADHDですね」という言葉。
そんなことってあるだろうか。23歳にもなって。僕以外の人はもっと楽に生きているってわけか。自分が発達障害ということに気づきたくなかった。
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。僕は普通がよかったのに。
一年次や二年の前期もやばいやばいと言いながら試験に臨み、ギリギリのところで単位を取得してきたが、今回は特にやばい。
かつての私はコツコツ勉強するタイプであった。課題が出ればその日のうちにこなし、授業で出された演習問題はこまめに解くようにしていた。私はもともと地頭がよくない。大学受験も問題暗記で乗り切っていた。根本的なところは何も理解していない。講義を聞いただけでは微塵も理解できない。しかし、その後には必ず時間をとって、たとえ自分の頭で考えてもわからない内容でも、復習に努めた。
しかし、次第に周囲の影響を受けるようになり、期末の時期に過去問だけ解けばいいや、と思うようになった。実際、それで乗り切れてしまった。
そして来たる二年後期、なぜかこれまで全く興味のなかった読書にどっぷりとハマった。どうせ授業を聞いてもわからないという考えから、授業中もひたすら読書に耽っていた。自分の専攻する内容とは何ら関係のないものばかりだ。
私がいま思うのは、日頃からの復習をしておくべきだったということだ。二年前期まではそれなりに頑張っていた。考えてもわからないとはいえど、この過程を経ることによって、期末の勉強がスムーズに進んでいたのは明らかだった。しかし、今期は日頃の復習を全くしていない。授業の内容はますます高度になっていき、ノートや過去問を見ても何のことだかさっぱりわからない。
友達もいないのに周囲の影響なんていうのは自分でも滑稽に思えるが、とにかく私は周りに流されてしまった。単位なんてのは過去問を解くだけで取れるもの、と考えるようになってしまった。しかし私には過去問を解くだけで単位を取る能力はなかった。これまで単位を取得できたのは、わずかながらの日々の復習とこれまでの積み重ねによるものだったのだろう。現時点でその積み重ねは途絶えてしまった。宙ぶらりん状態である。
結局、私に合っていたのは日頃からの復習を怠らない勉強法だったのだ。周りの彼らは直前に一夜漬けで過去問を解いてエナジードリンクを飲んで臨めば単位が取れてしまうのかもしれない。しかし、私は試験前に一夜漬けなどしたことがないし、毎日7時間以上の睡眠を取らなければ次の日には全く頭が働かない体質だ。直前に詰め込むのは苦手であったし、コツコツ身につけていくのがこれまでのやり方であったはずだ。しかし、周りができるなら自分にも、という安易な考えからこの習慣を壊してしまった。自分のことは誰よりもわかっていたはずなのに。
自分に合った勉強法は無意識のうちに身についていたのだ。しかし私はそれに気づかず、自ら手放してしまった。自分のことは自分にしかわからない。周囲との違いを認識し、自分のやり方というものを発見しておくべきだったのだろう。
誰も記憶にとどめてないだろうし、私も記憶の彼方にあったが、ブックマークの片隅から見つけたので、
以下エントリーその後の2年と8ヶ月をここに綴ろうと思う。
大卒で大企業に就職したけどパチンコのせいでもうダメかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20150328233653
記事を書いた後、最後の貯金を握りしめてパチンコ屋に向かい、8万円の勝ちを得て
お金を借りること無く、事なきを得る。何の台かは覚えてない。
その後、このままでは人生どうにかなってしまうと感じ、以下の書籍を購入。即座に読了。
ISBN:4121504410 「私、パチンコ中毒から復帰しました 」(中公新書ラクレ)
本には「パチンコは依存症と呼ぶと病気と思えて甘えてしまう。だからあえて中毒と呼ぶ。」
「少しずつ辞めようなんて考えは甘く、辞めるには突然量をゼロにすべきだ」との
至言が並んでいた。パチンコをやめたい人は是非読んで欲しい本だ。
読了の翌日からパチンコを断った。パチンコ屋の敷地に入らない、当然トイレも借りに行かない。
パチンコ屋を視界に入れないのがコツだ。人間やる気があればなんでもできる。パチンカスなんて甘えだ。
3ヶ月後、そろそろ運が溜まってきたと思いパチンコ屋に赴く。
4万くらい負ける。
しかし、そこは大企業の力強さ。夏のボーナスで100万円のキャッシュを
得た私の前に怖いものはない。
3ヶ月我慢したことに加え、100万の貯金ができると、そんなにパチンコ欲はなくなった。
しかし、より掛け金の大きなギャンブルに進もうという気持ちは起きなかった。
やはりいつでもどこでもコンビニ感覚でいけるパチンコというものの魔力が
その後はたまにパチンコに行くも、損得が釣り合う程度の成果をあげていた。
痛い目にあっているので、負ける勝負をする気にもならないし、負けても
貯金があるので、1日に10万円突っ込むような深追いをすることもなくなった。
冬のボーナスも入り(60万円)、貯金が貯まるに従い、パチンコから足は遠ざかった。
部署異動を控え、なるべくいい部署に異動したいと考え、社内のTOEIC試験前日に有給を取得。
一夜漬けで900点のスコアを叩き出す(前回スコア比+150点)。
パチンコを辞めて運が溜まっていたのだと思う。
高学歴、大企業、グローバルっぽい仕事内容とミニクーパーという組み合わせで
モテは加速する。
海外出張も多く、ビジネスクラスも乗るのですぐにJALサファイア会員にランクアップ、JGCに入会。
現在、パチンカスから卒業して圧倒的に自信を蓄えた私は、自己の実力を過信し、己が力を世の中に顕示すべく
まとめると、ここ日本では高学歴、大企業勤務であれば多少パチンカスになったところで
まったく人生に支障にないということである。もうダメになんてなることはない。
まず、これを書こうと思ったのも目下課題の先延ばし中であるからなんだけど。こんなとこでうだうだ言ってるより課題にとりかかった方がいいに決まってるのに、目先のどうでもいいことがやめられない。
面白そうと思ってとった講義のテキストの数千文字の要約、これがど〜にもやる気出ない。締め切りは一昨日なのに、まだ命乞いすればなんとかなるかなって思ってる。甘えだ。未だ0文字だよ。一応数回読んでるし、講義だってテキストだってすごく面白いから、せっかくなら最後まで出席してちゃんと単位ももらいたい。でもとりかかれない。やる気が出ない。いっつもそう。
中学高校といつもテストは一夜漬けだった。高校時代の中盤からは一夜漬けでさえも先延ばしにしてたら朝がきてて、全く勉強しないままテストを受けることが普通になっていた。
あーあ。勉強嫌いじゃないのにな。締め切りまでにとりかかるのがどうしてもできない。正直提出したものの成績はそんなに悪くない。締め切り後に短時間で出したものでも、必死にやってた人よりいい評価をもらえることがわりとよくある。でもそれじゃだめじゃん。締め切り内でそれなりにいいものを提出できるほうがいいに決まってる。締め切りの時点で点数をつけるとして微妙な人が50点くらいなら、私は0点だよ。社会に出たらもっとやって行けないだろうな。
先延ばし癖は生活面でも私を脅かしていて、家事全般はいつも放置してえらいことになるのでその都度友達や母親が来て処理してくれたりする。泊まりに来た友だちが下着を畳んでくれていたりする。お風呂はたまに入らないことがある。たった数分でできる作業であっても面倒くさくて放置する。放置するものが溜まりに溜まって鬱状態に、というのがいつものパターン。言い訳とか取り繕うのだけが上手くなった。
こういう状態を検索するとADHDのサイトがたくさんでてきて、まさに自分だ!っていう症状(と言っていいのか?不適切だったらすみません)がいくつもあるけど、病院行くのももう2年くらい先延ばししてる。
自分は進学実績で名の通った高校の二年生だ。ここまで読んで「自慢か」と思う人がいるかもしれない。
だけど、一応私について書かせてほしい。
私が今の学校(中高一貫)に入学した時、親族にちやほやされた。
「将来は東大だね」とか「親族一の天才」とか言われて、正直うぬぼれていた。
で、私はこのころ周りを見下すようになっていた。
進学校へ行っている人はわかると思うが、入学していくらかは、学校の勉強をせずとも
受験知識でそこそこいい成績が取れる。学校の中でいい成績を取った私は、
同級生まで馬鹿にするようになった。私は勉強で手を抜くようになった。
学校の先生が「自分の力で勉強しなさい」と言う意味もわからずに、だ。
ちなみに私は中学の時は塾へ行かなかった。塾へ行くのを馬鹿にしていたからだ。
結果は言うまでもなく、悲惨だった。学校別の順位で、私は半分より下だった。
東大の判定は「D」だった。
勉強から目を背けようと部活に熱中した。気付いたら陰キャラになっていた。
ついこの間、私は塾へ行くことにしたが、
この間のセンター同日試験は900点中700点しか取れなかった。
同級生は750点とか800点とか取っているのに、
やっぱり同級生に追いつくことができない。
ふと立ち止まって、「なぜ東大を目指しているのか」考えてみた。
日本一だし、親が行けって言ってるし、同級生みんな目指しているし……
(ちなみにこのことを同級生に相談したら、「高卒で働け」と言われたorz)
それでもなぜか東大へ行きたいし、行かなきゃならないという気持ちが私の中にある。
多分「東大目指すのやめろ」と言われても目指してしまうと思う。
もうセンター試験まで一年を切ってしまった。東大の二次試験もあと400日くらいだ。
主要科目を固めて、副教科をやって……明らかに一年足りない。