「ヴェルディ川崎」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ヴェルディ川崎とは

2014-12-08

二〇一四年清水エスパルスシーズン終了の辞

9ヶ月にわたった戦いも、はや過去のこととなり、わが清水エスパルスは、今やその任務を果して、ここに今シーズンを終了することとなった。

しかシーズンは終了しても、そのために我らサポーターの務めや責任が、軽減するということは、決してない。

この残留で収めた成果を、永遠に生かし、さらにチームを強豪にするには、シーズン序盤、終盤の別なく、まずもってチームの主力層に対し、

重要な役目を持つ若手・ユース層が、常に万全の戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である

ところで、その戦力であるが、戦力なるものはただ年俸や名声の物や数によってだけ、定まるのではなく、

これを成長させる能力すなわちサポーターの実力にも実在する。

百発百中の砲は、一門よく百発一中、いうなればスタジアムに毎節行くサポーターは年間に1度しか応援に来ないサポーター34人と対抗することが

できるのであって、この理に気づくなら、われわれサポーターは無形の実力の充実、即ちリピーターに主点を置かなければならない。

先般わがエスパルスが残留を得たのは、もちろん大榎監督の奮励によるとはいえ、一面また危機的状況下のサポーターの応援によるものであって、

それがあのような事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終ったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。

考えるにクラブの一生は戦いの連続であって、その責務は優勝争いであれ、残留争いであれ、

その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。スタジアム試合があれば、声を枯らして戦力を発揮するし、

試合が無いときは、チームの状況を見つめ、ひたすらその本分を尽くすことにある。

過去数ヶ月かの間、風雨と戦い、寒暑を冒し、しばしば強敵とまみえて生死の間に出入りしたことは、もちろんたいへんなことではあったが、

考えてみると、これもまた、長期の一大演習であって、これに参加し、多くの知識を啓発することができたのは、サポーターとして、

この上もない幸せであったというべく、なんで残留で苦労したなどど、いえたものであろう。

もし選手太平安心して、目前の安楽を追うならば、補強の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものしかなく、

ひとたび引き抜きにあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである

むかしJリーグ創立当初無敵の強さを誇っていたヴェルディ川崎が、数年間は日本代表するチームであったけれども、一たびオーナーが手を引くと、

たちまちこれを失い、また近世に至っては、ジュビロ磐田太平になれ、世代交代おこたると、数人の主力の扱いにもフロントが苦しみ、

また過去様々な下位チームは資金力のあるチームから主力をねらわれても、これに立ち向うことができなかった。

目を転じて西洋史を見ると、スペインサッカー初期から存在するレアルマドリードは、毎年一人はビッグネームを獲得することで強豪チームをゆるぎない

案泰なものとしたばかりでなく、それ以後、下部組織の後進が相次いで、よくそ能力を維持し、世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く

伝統を守り、名門を伸張することができた。

考えるに、このような古今東西のいましめは、チームのあり方にもよるけれども、そもそもはサポーターが平安な時にあっても、戦いを忘れないで、

チームを愛しているか、どうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである

われ等残留後のサポーターは、深くこれ等の実例を省察し、これまでの応援の上に、残留の体験を加え、さらに将来の進歩を図って、

時勢の強豪チームにおくれないように努めなければならない。そして常にスタジアムに足を運び、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、

時節の到来を待つならば、おそらく、永遠に王国の大任全うすることができるであろう。

神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、

ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。

昔のことわざにも「勝って兜の緒を締めよとある

出典・引用元聯合艦隊解散之辞」より

2013-08-06

モチェルダウンス

どこかで聞いたことのあるようなフレーズ。ググっても見つからなかったのでネット外の伝聞情報をここに記す。

概要

モチェルダウンス(モチェルダウンス)は、イギリスロックバンド1969年ヘルシンキ前身バンドを結成、1992年メジャーデビューデビュー以降外部ミュージシャンの起用は多いものの、同じパーマネント・メンバー活動している。「ハテナムーラ」がヒットして以降は常に第一線で活躍し続け、現在アメリカ代表するバンドの一つである

ローリングストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1327位。

メンバー

現メンバー

ジョン・レモン

アマデウス・オオミカ

メンバー

ミンナ・アホネン

ディスコグラフィー

シングル
「柿を食え」(607年)
デビューシングル。鐘がなるぜよ
「泣かないで」(794年)
泣くよウグイス平安京エイリアン
美しい国」(1192年)
最近はいい国作ろうとは教えないらしい
「変」(1582年)
M・アケチが脱退。
アルバム
ワイマール憲法」(1889年)
それまでDHCが持つ通販化粧品ナンバーワン記録を更新
相対性理論」(1905年)
天動説を覆す
トラトラトラ」(1941年)
最近MAXを見ない
「1969」(1969年)
稲垣潤一、もしくはヴェルディ川崎
マリリン」(1985年)
ハッピーバースデーディアプレジデントでおなじみのホンダ
「アイアンアーム」(2003年)
うちの近所のアトムボーイはここ数年で次々と閉店
 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん