はてなキーワード: ロジカルとは
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。どら焼き。夜:パン。間食:ピーナッツ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。
月末シナリオも読んだ。
Cygamesのことを横断的に遊んでて、全部好きだから遊んでるんだけど、こう、その、言葉選びが非常に難しいですが、デレマスの安斎といい、プリコネのカスミといい、その、いや、マジで言葉選び間違ってないか不安になるけど、その“ サビ0秒の令和の時代に、段取りロジカル小説はかったるい”と思っている人は世の中に特定の作家一人以外にも大勢いるんだろうなあ、と思うことばかりです。
あまり他のゲームと比較してやいのやいの言うのは下品で申し訳ないですが、こういう点ではFGOの方が面白そうだなあと横目に羨ましく思っています。
・論理的思考が一切できない。
正義や人権や大人の振る舞いなどのことを、ロジカルに考える能力が一切ない。個人の感想と区別できないほどに、ロジカルシンキングができない。現代人なら子供でもできるが、日本人は大人でもできない。
・上記のことは、昔の賢い人々が徹底的に細かく理詰めで徹底的に論理的に組み立てている。数学のようなもの。普通の現代人はそれを理論として学んでいるわけなので、普通はロジカルシンキングができる。
・現代人にとって、上の正義、道徳(宗教観の一つ)、人権、コミュニケーション、政治、などなどは「極めてロジカルなこと」である。
・日本人は、そのような一般的教養が一切ないため、感想や思想が土人レベル。現代人とはまともに話すことすら困難。上に挙げた分野の教養レベルが土人なので、「意見を交わす」のは無理。
アニメとゲームとエロと趣味とか、そういう与太話しかできない。
・メンタリティのほぼ全て
・道徳を無駄に信仰してるが道徳がどんな位置付けにあるのかを全く理解してない
・正義が何かをわかっていない
・人権が何かをわかってない
・法律が何かをわかってない
・政治が何かをわかってない
・民主主義をわかってない
・市民社会をわかってない
・全体主義や権威主義など自らの従う規範のイデオロギーを客観視できない
・大人の振る舞いとは何かをわかってない
・コイツらの言ってる「大人の振る舞い」は、たとえば「嘘も方便」「相手に耳心地のいいことを言って気づかせずに状況を転がす」といったような、宗教観とか文化的感情だけで形式的に決まっているだけのもの。所作として綺麗と考える宗教観はあるかもしれないが合理性が一切ない
お金は要らない、餓死してもいい、貧しい生活でもいい、それでもいいから貧乏人のお金を集めてお金持ちをもっと大金持ちにしよう!という政策を貧乏人が自身の権力によって実現している。
お金持ちのお願いは、どんなものであっても(もっとお金を稼いで豪邸を建てたい、とかね)快く大金を渡してくれる、気前のいい人。
関わらなくても大金をジャブジャブくれる。
エロだらけで土人で人を人と思っておらず、論理性がなく、感情的で、慈愛のない人々で、会話は成り立たないので、あまり関わりたくはない。
両親ともに優秀ではないにせよ四大くらいは出ている
でも本当尊敬できないどころか、物事をロジカルに考えることができず軽蔑すらしている
感情を口にするだけの人たちだから会話したいと思ったことがない
自分は某先進国で働いていたり外の世界を少しだけ知っている分、日本をディスりがちなんだけど
それは日本によくなってほしいと思うが故であって、無知ゆえに日本すげーすげー褒めて
テストで-100点とって、それを良しとする両親より愛国心はあると思っている
すまん。脱線した。
うちは親子関係最悪(少なくとも自分は近寄りたくない)なんだけど
https://anond.hatelabo.jp/20231011203212
女性が多い職場でも上の立場になればなるほどロジカルに考えていかないといけない。
トレンドでハイブランドのデザイナーが決めてるんでしょ?と思われがちだけど、やってることはマス層への提案なのよ。
みんなスキニー飽きてるはず。広まりすぎて没個性なのが嫌なはず→ワイドパンツどう?フレアパンツどう?みたいな感じ。
それも過去に流行ったものを調べて、今風にしたり新しいデザインを入れて提案してるわけ。
(正直ファッション以外もそんな感じじゃない?料理とか建築とか。まったく新しいものって殆どなくない?)
だから保守的な日本じゃ流行らなかったものとか全然ある。逆にオーバーサイズは通販とマッチが強いからなかなか廃れなかったり。
んでさ、それはやってることの一部はマーケティングとかリサーチとかプレゼンなわけじゃん?
トップデザイナーを外から連れてきてブランドの立て直し計ったりもするわけじゃん。
服のデザインしてればいいってわけじゃない。
そうなってくるとやっぱ特性上、男性のほうが強いよねって思う。
逆にお客さんのために!みたいなホスピタリティとか、顔色見ながら細かくコミュニケーションとって~とかは男性苦手傾向だと思う。
まあ立場の男女比もあるかもしれないけど、立場が横並びでもハラスメントは起こりえるわけで。
そもそもの特性的に接客向いている人が多くて、本人たちも直接お客さんの役に立ったりすることが好きな人が多いように思う。
逆に小難しいことは苦手。
もちろん「多い」ってだけの話だし、間違っている可能性もあるし。
なにより全員により良い活躍の場があればいいなっていう。
時機を逸したけど。
最近のSFも割と好きで、それこそ伊藤計劃みたいに現実の社会問題を扱う作品のおかげで「社会学や社会学SFなんてつまんない」って気持ちをひっくり返してくれたし、最近はキャラクターがかわいいSFが多いんだけど、古典SFのキャラや社会問題よりも、核にある純粋な論理を重んじる姿勢はやっぱり時折読み返したくなる(僕の友人はダンチェッカーはツンデレかわいいとか言ってるけど、それはさておいて)。
確かにこの作品というかシリーズには欠点もあって、特に第3作は陰謀論っぽくてあまり好きじゃないし(人類の愚かさを人類以外のせいにするのはダサいってのが僕の感覚)、ホーガンは途中でトンデモ宇宙論にハマっちゃうんだけど、ロジカルな作品世界が僕はとにかく好き。
確かにこの作品はベストじゃないけど、やっぱりティプトリー・ジュニアは好きだ。「愛は定め、定めは死」がお気に入り。
ある編集者が「最近のSFはつまらん、男らしい作品を書くのはティプトリー・ジュニアくらいだ!」と嘆いていたら実は女性だったって結構笑える。
古い作品って、いろんな作品の元ネタになったりしているから、ダサいと考えるよりも、そこから派生した作品をそっと差し出すと、この作品が好きだって言った人にも喜んでもらえるんじゃないかな? もしかしたら派生作品も含めて好きといったのかもしれない。
ノーランだったら「TENET」のほうが確かにSF度が高くて好き。背景の地球の滅亡の理由もよくわからないし、何となく宇宙に行かずに大地に縛り付けられた農家をバカにしているところあるし。SF設定がザルな個所もかなりあるのは認めないといけない。でも、SF映画の場合リアリティのレベルを小説と同水準に持っていくのは無理があるし、科学的な論理で驚かせるのは小説のほうが向いている。時間旅行SFでは感傷的にして泣かせてなんぼでしょう。そりゃあSF慣れしてたらこれ伏線だろうなとか最後は年齢差で泣かせる気だなとか読めちゃうけど、それが作者が悪いというより僕ら受け手がスレてるんじゃないかって疑うべき。
僕はSF映画に関しては科学的正確さよりも、どれだけ絵になる風景が出てくるかと、作中の機械や装置のデザインがどれ程優れているかで評価している。
それにロボットかわいいじゃん。加速する宇宙船の中であんな角張ったロボット危ないに決まってるけど、人間離れした姿に善意を持つロボット萌え。
基本的に僕は加点評価が方針、そうじゃないとSFに限らず古い作品って読めなくない? 実際、創作してみると科学的厳密性とキャラ立てとわかりやすさとその他色々、トレードオフの関係にあって、理想の作品って滅多に会えるもんじゃないってわかる。
「暗黒声優」とか面白かったじゃない。作中でエーテルが存在するとしたらどのような物理学が現実のものになるかを、虹色に輝く地球の表面として美しく描写してくれている。
好きなんだけどなあ、手塚治虫のSF短編。確かに今読み返すと、当時は最先端だったけど今は陳腐化したネタとか、科学的正確さがいいかげんなのはあるんだけど、それでもつまんないSF映画よりもずっと面白い。ストーリーの語り方・盛り上げ方がすごい。話が面白いと、すでに否定された科学理論に基づいた話でも読みごたえがある。
というかどんなジャンルも書けて、しかも常に一定以上のレベルの作品を出力していた手塚治虫って化け物だよ。創作しててそう思ったよ。
関係ないけど「W3」のプッコ中尉のドタバタはドナルドダックに似てるし、星真一の父ってディズニー版ピノキオのゼペットじいさんに似てる。
作者が弐瓶勉と椎名誠が好きなのがひしひしと伝わってきて楽しい。
あと、この人は一発屋ではなくて、「人間たちの話」だとかいろいろSF短編集を書いてて、とくにこの表題作を読んで「この人こんなウェットなストーリーも書けるんだ」ってすっごく驚いた。ひょいひょいとアイディアがわいてきて、それをスマートに調理するもんだから、頭が良くていけ好かないと感じていたんだけど、この一作で評価が変わった。
「沈黙のリトルボーイ」って短編も原爆SFとしてオススメ。宮西健礼「もしもぼくらが生まれていたら」と一緒に読むと楽しい。
「タイタンの妖女」や「スローターハウス5」のほうが好きなんだけど、最初に読んだので思い出深い。村上春樹の初期の短編とかブローティガンとか好きだし。
あまりにも悲惨な現実を相対化するのは、一歩間違えば現実逃避の冷笑主義になるんだけれど、狂気の世界を別の狂気で批判する方に踏みとどまっているから好き。
気が向いたら「三体」の好きなところとツッコミを入れたいところについても書くかも。
ロジカルに考えましょう。
元増田が言ってることが正しいなら、元増田の言う通り、譲ったほうがいいですよね。
逆に、元増田が言ってることが大間違いで、ただ早く先に行きたいだけ前走者を煽る走り屋のキチガイなら、そんなやつもやっぱり譲ってやり過ごすほうがいい。だってそうしたほうが安全だもん。
ね、つまり山道で追いつかれて煽られたら、どっちにしろ道は譲ったほうがいいんです。
いちばんダメなのは山道で追いつかれて後続車をじりじりさせてるのにいつまでも道を譲らないことです。
一部ブコメはいつものごとく「法律を守って制限速度で走るのが正しいに決まってるじゃん」みたいな意固地でお花畑な極論を展開してますが、正しさって何でしょうね。好きだよねー、正義。
元増田をオレオレルールって言うなら、「こっちは道路標識だけを守る、他人の指図は受けねえ、文句あっか!」みたいな態度だって十分利己的だと思いますよ。利己的というか、融通が利かないというか。
車を運転しない人や運転しても町中だけって人はわからないと思うけど、山道には後続車に気遣いするならわし・しぐさみたいなのがあります。
不文律とかマナーと言ってしまうと少し大げさだけど、少し想像力を働かせればわかると思います。ご説明しますね。
山道、峠道はだいたい途中に分合流のない一本道です。それが数キロ、長ければ20キロとか続きます。
ということは、道の途中で前後の位置関係になった車同士は、ずっと前後同士のままなんです。別の車が間に挟まる機会がないので。
もし前の車のほうが少しペースが遅かったら、前後車両の間隔が広がることはありません。後ろの車はずっと前の車の後ろ姿を見ながら走り続けることになります。峠道が終わるまで、数十分間。
前の車は前が空いているのでマイペースで走ることができますが、後ろの車はその先の数十分間他人のペースに合わせ続けなければいけません。
前の車がどこかで先を譲ってくれさえすれば、そこからは両車ともマイペースで走り続けることができます。車間は広がっていきますから、両車は邪魔しあうことがありません。
ところで、「ペース」という言葉が出てきました。
山道の運転をイメージできない人のために、ペースについて少しご説明しますね。
ドライバーの技量や自動車の性能などによって、自然に、楽に、快適に走れるペースは車ごとに異なります。
たとえば、山登りやトレッキングをする方なら、途中で「階段」が出てくると「ウッ」となりますよね? 自分にとって楽な歩幅ではなく、無理やり階段の歩幅や段差に合わせて歩かされるからです。人間の体格や筋力は人それぞれですし疲労度なども場面で違いますから、好みの歩行ピッチが階段と一致するほうがむしろ稀です。
自動車の運転も同じです。運転の技量や車の性能によって、山道を楽に快適に走れる速度はそれぞれであり、他人のペースに合わせて走らされるよりも、前に誰もいない道を自分のペースで走るほうがずっと楽なのです。
ペースとか楽とか快適とか言う前に制限速度を守れや! まず制限速度ありきやろが! と思われるかもしれません。
たとえ「上限◯◯km/h」という制限速度を全員が守っていたとしても、やはりそこにペースの違いはあるんですよ。
ペースの速い車と遅い車は、制限速度よりも下のエリアでやっていることが全然違うんです。
ブレーキの違い、加速の違い、旋回速度、ライン取り(1車線の幅の中にも効率的な走行ラインはありますよ!)、等々を総合したものがその車のペースです。
制限速度より下のエリアでの出来事なので、遵法運転でも(イニシャルDのように攻めなくても)、差ははっきりと出ます。
やたら手前からブレーキングを始め、必要以上にそろそろとコーナリングし、カーヴが終わっても加速がもたもたしている。そんな車はペースが遅い車です。
必要な位置でしっかりとブレーキングし、前輪に荷重を残しながらスムーズにコーナリングし、コーナーの出口に向かって加速していく、これはスポーツドライビングの基本ですが、この走り方を街乗りの速度域でやさしく行うと「滑らかで乗り心地のいい運転」になります。車の運動が合理的なので、ペースはとても速いですよ。
制限速度の範囲内でも、山道はカーヴだらけですから、このちょっとしたテクニックの差が掛け算で効いてきてしまうのです。
同じ制限速度の中で走っていてもペースの違いがあることがおわかりいただけましたか?
譲る/譲らないは、制限速度を守る/守らないの話ではなくて、制限速度の範囲内におけるペースの違いなんです。
ペースは、山道運転においてはドライバーの練度に大きく左右されます。
自分が大名行列の先頭になったのなら、それは後続車が制限速度を守っていないからではなく、あなたのペースが遅いのです。
ペースの速い車にストレスをかけ続けることをやめて、すみやかに道を譲りましょう。
見通しの悪いところで無理に譲る必要はありません。というか、そんなところで譲られても危ないので後続車は抜こうとしないと思います。
見通しのいい直線、あるいは退避エリアが出てくるまでご自分のペースで走ってください。
退避エリアは突然出てくるのでなかなか機敏に反応できないかもしれません。後続車に気を使ってスピードを上げるとせっかくの退避エリアを通過してしまいますので、「もうちょっと待ってね~すぐ譲るから待ってね~」と念じながら安全に走ってください。