はてなキーワード: ロイヤリティとは
ヒステリーというかパニックになってて非科学的な記載が目立つ。
「人参の皮はむくな。」とかいってるけど、根菜の皮はほかの葉物などの作物にくらべて土中の重金属や農薬の吸収率が高いので皮を厚めに剥いて捨てることが推奨されている。ずっと食べているとたとえばイタイイタイ病のような病気になるかもしれない。
もちろん、輸入人参でも農薬などが基準以下のもののみを市販しているが、全数調査ではないので根菜の皮は厚めに剥いて捨てるに越したことはない。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed/60/1/60_1_25/_pdf/-char/en
あと、じゃがいもの場合は皮にソラニンが蓄積していて食中毒になることがあるし、
そうでなくても単純に胃腸にキツい。胃腸がつまる病気になりやすい手術経験者や老人には食わすなマジで。いっとくけど日本の人口の半分はもう老人。
粗食だの農林水産省のフードロスを気にして無理な生活をして病気になると、抗生剤、点滴、ワクチンなど工業の集約のトップにある、高額な石油製品を使うことになる。(直接ではなくても、殺菌や精製やパッケージング、あと人件費や開発費・知的財産権ロイヤリティなど間接的に世界中の石油エネルギーをたっぷりつかっているので高額になる)
三割負担でも薬は高い。10割負担の額にしたらほぼ一般人の手には入らなくなる。アメリカ人がメガネかけないのとおなじようにな。
あとコロナで給食の牛乳もあまって違法だけど川にながして捨てたいってなってただろう。ツイッターで蘇という料理のレシピが流行って牛乳と光熱費を無駄につかう料理をしはじめたりした。
だから病気の影響のほうが環境への負担もおおきいんだっていってるだろ。
つまり、現在市場で入手できるあらゆるものの値段は、(関税や米価調整などの政府調整がはいらなければ)およそ、完成までに使用した石油エネルギーの量に比例している。
素の値段の高いものは環境負荷が高いといえる。(くわしくは環境負荷、環境アセスメントで自分で調べろ)
牛肉が高いのはどこかから運んできた牛にどこかからはこんできたコーンを食わせ冷暖房をいれて何年も育てたあげくどこかへ冷蔵車で出荷されるからだ。鶏肉・鶏卵が安いのは育成期間が短く、一年程度でエサ代冷暖房代が少なめのうちに出荷でき、各地に養鶏場があるからだ。もやしやかいわれ大根も圧縮解凍みたいな作物だから各地で水だけでつくれて安いしうまい。
作物が基本的に安いのは、天から運ばれた水と太陽光でその場で育つし、手間暇かかりすぎるなら価格競争に参加できないためその時点で製造・出荷をとりやめるからだ。
(米や塩の値段だけは政府が調整をいれていたが今はやってないかも)
だから人参の皮をたべてまで安いものを無駄にしない=余計買わないようにしたところで、
そのせいで高い医療サービスを買わざるをえなくなるなら環境負荷も家計負担も政府の医療費負担も増えてしまって本末転倒なのだ。
以前アルファーGOという人工知能があって人間の棋士を負かせるほどの棋譜をつくれた。だが1枚の棋譜に1兆円のサーバー電気代がかかるからグーグルは開発を停止した。
人間棋士(トップクラスでも生涯賃金10億程度の激安価格で200枚やそこらは棋譜を生み出すだろう)のほうが、安くすむし、環境負荷は低かったということだ。
だからこの手の増田も、目の前の高性能コンピューターを無駄につかってないで「ごく普通の、あたりまえの」生活知識を磨き、子供を生み育てろよ、バカめ
人間は石油を直接燃料とせず知的労働の成果を製造できる唯一の家畜だ、それが営々と環境最適化をした今が文明社会の最先端なのだ。
とりあえず紙でガッコーというところで配られる基礎知識セットくらいはあればこんなにヒスらなくてすむんだぜ
ちなみに欧米人もボナペティはいうし、場所によっては神に感謝の祈りを(5文字よりもっと長く)ささげる。
親のつくった温かい飯を前にいただきます言わないで食い出して言い訳に4000字も猿みたいな勢いでキーボード打つやつはマジ家畜だから少なくともプロ棋士以上の知的労働成果を挙げろよな
もとい、謝れない。
https://togetter.com/li/1805022
運営会社がまともな判断能力があって謝罪した方が鎮火が早いと思っていたとして、それをやることで噴き上がる厄介な味方が居るからだ。
彼らも客商売なのでメインターゲットであるオタク達には媚びていたいのは当然。
そもそも主な収入源も、キャラクターの使用をロイヤリティーフリーにして認知度を上げ、グッズの売上等で回収するというスタイルだからね。
オタク達にそっぽを向かれたら肝心の収入源が減収する可能性があるわけだ。
それが怖くてもたついている内に、もう謝罪できないフェーズに入ってしまった。
結果論だが、最初に火が点いた時点で次の日に謝罪と修正とその経過報告を纏めて出すべきだった。
今となってはオルトオタク共の旗になってしまったので引き返す判断が取れなくなっている。
かといって対応しない訳にもいかないので、ひとまず後援企業を非表示にはしてみたと。
ダメージコントロールを上手にやろうとしているようだが深い傷が入るのをそのまま先送りにして負債を積み上げているように見える。
これならオタクからの擁護が全くない状態でサンドバッグにされた方が謝罪もしやすくてよっぽど鎮火しやすかったんじゃないか。
元記事はインタビューを細切れに編集したような内容で、見出しに
若い頃は「嫌なやつでした」
とあるので
若い頃?今もでしょ
等という見出しにだけ反応したコメントが絵に描いたようなエコーチェンバーを形成し大量に溢れかえっていたのだが、それは今回どうでもいい。
問題とすべきはこの上から4番目のken*****なる人物のコメント
復興支援ライブの準備が大変云々と書いてあるが、そのチャリティー金を巡り、吉川晃司は全額寄付の姿勢に対し、布袋寅泰は俺にも売上のロイヤリティーをよこせと言い、
吉川晃司が布袋の顔はもう葬式の時まで見たくないと激怒して、後味悪い結果になった。
何をこの人は美談で語っているのでしょうか
これに対し返信コメント(スクショ画像。重いので注意)で
のようなツッコミがいくつか入る。
その後reb*****なる人物が
とのコメントを書き込む。
そこで私は当該ムック『別冊カドカワの本 愚 日本一心 吉川晃司』を入手し、先刻読み終えたところである。
2017年に七千万ぐらい集めた劇場版アニメの感想noteを読んだので勝手にレスポンス
Twitterに書いてたら長くてツリーにするのがめんどくさくなったので。
これは勝手な推測だが件のアニメがあんなシナリオになっているのは、当時の原作ゲームが出たとき、
「なんで男たちは出てこないのか。ほかのキャラは出てこないのか。FDではないのか」
という声がメーカーにたくさん届いたのだろうと思われる。
ので、その当時の声に従って、当時は作れなかったそれを作っただけに過ぎないのではないか。
商業メーカー的には、ロイヤリティの高いユーザーたちから多数その声が届けばそれが唯一の正解なのでは。
劇場版アニメのヒロインキャラについて、メーカーは正直扱いに困っていたのかもしれない。
スピンアウト作品である原作ゲームのスピンアウト元作品では、男キャラたちがメインディッシュで人気がある、とされていた。
とはいえギャルゲーメーカー的には男キャラグッズをバンバン作れば売れたか、というと実際そんなに出ていないことからも、
「商業的な人気」はそれほどでもない、とソロバンを弾いたのだろう。
なので彼女のグッズはたくさん出た。初出の作品が15年近く前になるのに2021年にもフィギュアが出るぐらい。
メーカー的にはありがたいはず。
そこの社長がアキバブログがどっかで、当たり(人気)キャラは天然的に生えてくるから難しい(意訳)みたいなことを言っていた気がする。
ただそのキャラはメーカー生え抜きのシナリオライターからは産み出されなかった(それが何故かは識者が答えてくれると思う)。
キャラクターデザインを行った原画家を売りだすことは成功したから、結果オッケーと思っていたかも。
扱いに困るだろう、とはそういう意味。
Vチューバーが中の人交代で荒れるように、萌えキャラの中身が解釈違いになることは荒れることでしかないし。
そんなこんなで自社IPとして活用しようとしたとき、メーカー視点からは、かつてユーザーから出た不評を回避しようとして、
最大公約数的なシナリオにしたのだろう。アンケート、ネットの評判いろいろから
件の「スピンアウト作品(原作ゲームそのもの)」を好きな人又はそのキャラがすきな人 <
(多く見積もって前者は3~4割、後者は6割と勝手に想像している。)
このロジックはつまるところ、原作ゲームの忠実なアニメ化は不可能である、という命題の前に、ディレクターだかライターだかが頭をひねったのだろう。
TVアニメ版はそもそもギャルゲーなのに友情ゲーといわれてるから恋愛描写を削ったぐらいで、そこから派生してるのだから当然の流れではある。
とはいえ、件のクラファンは「原作ゲームのアニメ化」を謳って資金を募ったわけで、最初から「スピンアウト元作品の拡張OVA作ります」
にしておけばnoteのひとみたいな悲しみを生まなかったのではないか。
そうであれば多数派以外のひとも笑って見られたのでは。
「なんで男たちは出てこないのか。ほかのキャラは出てこないのか。FDではないのか」
六割取れれば勝ちである。
と、メーカーは考えたのかもしれない。
それだけの話のような気がする。
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。
700話超の話数、200万文字を超える物語。よく書き上げたものと思うこと、しきりだ。
思いつきで始めた小説。
少しだけ時間に余裕ができたので、小説を書いてみることにしたのが3年前。
適当に妄想して、案外いけそうだと判断して、半年くらいで完結するお話を作り始めた。
完結して2年も過ぎれば書いた内容を忘れて楽しめるだろうと思ってのことだ。
Webで小説を読んでいる中で思った事、自分が望む事を詰め込むことにした。つまりは自分の為の小説。
歴史に埋もれた秘密。暗躍する組織。権力闘争。そんなことを意にも介さず突き進む主人公。冒険するのは、不思議で、愉快な土地。
そしてハッピーエンド。
やりたいことを詰め込むのは思った以上に大変だった。
書いてみて、思い知る事も多かった。
資料の集め方に、どうやって空想の穴を埋めるかの方法、などなど。
始めたばかりの時には思いも寄らなかった諸々の問題を一個一個対処していった。
図書館は思いのほか有用だったし、VRも巨大建築物の雰囲気を知るには有用だった。
そうこうしているうちに、見積もりの甘さも分かってきて、完結まで半年の予定だったものが、1年を超え、2年を超え、とうとう3年も要する結果になった。
最初は楽しくかけていたが、1年を過ぎたあたりから、仕事が忙しくなったこともあって、しんどくなった。
キーの叩きすぎで手が痛くなり、音声入力に切り替えるなどの工夫もこらした。
最後らへんは、引くに引けない戦い……終わりの見えないマラソンをしているような感じだった。
完結が間近になった時は、事故に遭わないように、気をつけて外を歩いたりしていた。
それがようやく終わる。
本当に大変だった。
得るものも多かったが本当に大変だった。
とりあえず、ちょっぴりだけど投稿サイトのロイヤリティが入ったので、お寿司を食う。
今日くらいは、自分は小説で飯を食っている……そんな気分を味わおうと思う。
いや、本当に苦労した。でも、完結できて嬉しい。
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追記:
以下が今回完結させたお話です。
召還社畜と魔法の豪邸 ~ 召喚されたおかげでデスマーチから逃れたので家主の少女とのんびり暮らす予定です~
ここ最近、特によく海賊版ガレージキットについてのツイートを見かけたので、この問題について思ったことを自分の咀嚼用にまとめようと思う。
○○○○○
→版権許諾を得て販売しているガレージキットの海賊版が流通することにより、そもそも今後の版権許諾が得られなくなる可能性がある。
※
海賊版が流通してしまうことで、版元が当日版権をおろしてくれなくなるのではないか?
通常、版権ガレージキットをワンフェス等のガレージキットイベントで販売する場合は、当日版権制度というものを利用する。
(この制度を利用すると、イベント当日に限ってディーラーは製作したガレージキットを版元公式の商品として販売することができる)
これはあくまで出版社等の版権元の厚意で成り立っている制度なので、版権元が許諾をしなくなればそれでおしまいだ。
個人がガレージキットを売る場合、量産にかかる金銭的負担が大きく、一般的に販売個数は10〜100ぐらいのディーラーが多い印象。
これは企業が企画する商品の販売規模とは比べ物にならないほど微々たる個数のため、版権許諾時に版権元へ数%のロイヤリティを支払う場合でも、版権元にしてみれば金銭的な利益はほぼないといって差し支えない。
つまり、さして利益があるわけでもない当日版権にもかかわらず、版権元は手間をかけてガレージキットの販売を許諾をしてくれているのだ。
こうした版権元の温情、厚意のもと成立っているのが当日版権制度。
そんな制度を利用して販売されたガレージキットの海賊版がわんさか…となれば、版権元にしてみればマイナスしかない。
じゃあそもそも版権許諾するのをやめる!と言われても仕方がない。
海賊版を買うことは、先人たちが作り上げたこの素晴らしい制度とガレージキット文化を危険に晒すことに他ならないのだ。
→原型師にも著作権はあるが、訴えるには金銭的被害もなく主張として弱い。
※
キャラクターの版権は企業のものだが、キャラクターものであっても、ガレージキットに対しては原型師にも著作権がある。
これは同人誌(こちらは正規の許諾を得ているわけではないが)の無断アップロード問題でも度々言われているので例にする。
ex.キャラクターの著作権は持っていないが、二次創作であっても同人誌自体は著者の創作物なので、著者は著作権を主張できる
が、権利の侵害を主張したとして、実際に金銭的な被害があるかというと、被害を受けていると証明できる要素に乏しいのが実態。
販売数量が少なく、人気のガレージキットはほぼイベントで完売。
コスト的に生産数には限界があり、版権元の数量制限がある場合も存在する。
つまりは、ディーラーが販売できる数は限られていて、それを売り切っている以上は「売れるはずだったものが売れなくなった」=海賊版と競合することによって売り上げが下がって、金銭的に被害を受けた!
とは言い難いのだ。
自分が何十時間何百時間とかけて、丹精込めて作ったものが勝手に複製され、さらに海外の見ず知らずの人間の金儲けに使われているとなれば間違いなく原型師は不快だろう。
苦労して作ってイベントで売っても、製作にかかった自分の人件費は到底回収できない場合がほとんどでも、ガレージキットの販売を通して趣味を分かち合うことを良しとして皆製作に励んでいるのだ。
でも、権利の侵害をされていることには違いなくても、具体的な被害がないから訴えることも難しい。
(版権元の方がキャラクターの権利侵害で訴えられる分訴えやすいかもしれないが、おそらく割りに合わないし難しい。
版権許諾をやめて、そもそもガレージキットを生み出さないようにするほうがよほど現実的。)
国内ならまだしも、海外のサイトの場合は海賊版は常にいたちごっこで、漫画村的なサイト同様撲滅は難しいのだ。
結局のところ、ガレージキット愛好家のモラルに訴えかけるしかないのが現実だ。
→正規品が買えないんだからからしょうがない!という主張の層は、法律でなんとかできない限りまず改心しない。
※
海外だと正規品のガレージキットは手に入らないから仕方ない!という主張があると聞く。
そもそも版権ガレージキットは海外に向けた製品ではなく国内向けなので、そこで憤るのはお門違いなのだが、こうした考えの人がいる限り海賊版はなくならないだろう。
繰り返しになるが、法律で海賊版を規制するのが難しい以上、ユーザーのモラルに訴えるしか道はない。
海外のガレージキット愛好家にも正規品しか買わない人もいるだろうし、一緒くたに言ってはいけないとも思う。
あとは、海賊版と知らずに購入している人もいるだろうから、情報発信することは大事なのだろう。
ただ、知らずに購入している人やモラルのある愛好家以外の、買えないんだからしょうがない!という人たちはおそらくどうにもならない。
人を殺しちゃいけません!を理解できない人のために、殺人罪という罰つきの法律があるのと一緒だ。
取り締まれる法律がない(効力がない)となれば、モラルのない層はどうにもならない。
だから、Twitterで怒っても、そう言う人たちは多分ほとんど見てないし、興味もない。
そういうのを見てるほとんどの人は、国内国外問わずきちんとモラルのある愛好家だと思う。
そんなわけだから、Twitterで海賊版へのヘイトをつぶやくのは、ちゃんとした人たちが見て憂鬱になるだけなのでは…と感じたりする。
綺麗事かもしれないけど、それだったらそのパワーを創作にのせて、ちゃんとしている人たちとガレージキット文化を楽しむことに充ててほしい。
見つけた報告もいりません。
できる限り再販するし、オリジナルも版権物も色々作るからみんな楽しんで作ってね!
こういう姿勢が一貫しているのもあって、人気があるんだろうなと思う。
海賊版に怒ったって暖簾に腕押し、まともな人がその話題にうんざりするだけ、という諦めもまた大事なのかなと。
もちろん、海賊版の不買を訴えることも大切だし、サイトとか作ってきちんと活動すれば一定の効果はあるかもしれない。
そういうことをできる人はすごいとも思う。
ただ、金銭的な被害を被っているわけではないし、ある程度割り切る方が気持ちとして楽な部分もあるんじゃないだろうか。
○○○○○○
結局、
海賊版を買うのは圧倒的にモラルに欠けた、変なふうにヒケちゃったキットを喜んで組み立てる、見る目のない可哀想な人だなー
そんな人に数限りあるハイクオリティな正規品ガレージキットなんてもったいないわー
と思って、そっと見なかったことにするのが一番なんじゃないかなぁと思う今日この頃。
怒る(不快)という感情は自分の精神も痛めつけてしまうから、そんなモラルのない人たちのために、大切な自分の精神を傷つけないでほしいと思う。
そんな呟きよりも、僕は皆の原型とか、彩色がいっぱい見たいです。
(続き)
といった問屋関係の逸話が当時バンバン登場した。メーカーも対抗すべく(?)ダンピング出荷、返品受付などで一本でも多くソフトを売りさばこうと必死だった。このあたり、問屋も小売店もメーカーも、市場の異常さに気が付かずもがいていた感じが否めない。初心会と二次問屋は、問屋の本分である「日本全国に適正量の在庫のゲームソフトを流通させる」という機能を忘れ、ただただゲームソフトを動かすことで得る利益をあげることに無我夢中だった。
ここで注意をしておきたいのが、「任天堂や初心会が、一方的にサードパーティや小売店から利益を吸い上げている」という既存の論調は近視眼的だ、ということだ。スーパーファミコン市場に参入したサードパーティはおよそ200社。このうち途中で撤退を決めたのは10数社で、しかもこれら撤退したメーカーの多数は異業種メーカーであり、本業での業績が低下したためだったり、バブル期の不動産に手を出して大やけどして倒産…といったもので、ゲームと直接関係あっての撤退ではないのだ。
小売店も同じことで、当時はファミコン-スーパーファミコンという新しい分野での市場拡大に手を出す小売店が多数いた。ただ問屋に苦しめられるだけの業種であるなら、こんなことは起きるはずがない。甘い蜜はそれなりに存在していたわけだ。ざっくり要約すると「不満はあるが儲けもある」といったところか。むしろPCエンジン・メガドライブの有力ソフトをスーパーファミコンに移植して一旗あげようとするサードパーティのほうが多かった。それほど有望な市場であるがゆえ、いろんな輩が入り込もうとやっきになったわけだ。
市場が拡大している間はそれでもよかった。しかしスーパーファミコンが円熟期を迎え、対抗馬として「次世代機」の姿がちらつくようになってきた頃に、いよいよおかしくなってきた。多数現れた三次問屋が小売店と二次問屋の中にねじ込み、己の利益を吸い取ろうとし始めた。手法としては品薄になりそうな人気ソフトを抱きかかえ、「小売店に小売価格そのままで」卸したりした。商圏を無視して跨いで他社の領域に食い込んで商売するところもではじめた。初心会の中にゲームソフトを投機商品のように扱う問屋が現れ、二次問屋三次問屋が喜んで利益の分前を頂いた。その分小売店に負担が偏り、結果的にはプレイヤーにも巡り、最終的には市場に悪影響を及ぼす。スーパーファミコン市場は歪んだまま大きくなり、そしてついに縮小を始めた。
衝撃が大きかったのはプレイステーションの登場だ。なんと問屋を使わず、ソニーが直接小売店にものを卸すという。革命的なやり方だった。返品なし、定価販売というところがネックになったが、どの商材も掛け率が一定であることに小売店は喜んだ。今までは問屋ごとに掛け率が違ったり、注文する本数によって掛け率が変動したり、そもそも抱合せで仕入れるしかなかった(違法? しったことか!)からだ。
こんなことが可能なのはプレイステーションがCD-ROMを採用しているからだった。リピート生産がROMほど時間がかからない。お金も自前の工場だからさほどかからない。最悪在庫になっても簡単に破棄できる。それゆえ最初こそ少量生産で行い、売り切れたら即リピート発注すればよい。こうすれば過剰な在庫にメーカーも小売も苦しめられずにすむ。値崩れ・抱合せも心配いらない。
ROMカセットを採用していたらすべて実現不可能なことだった。ちなみにセガもサターンでCD-ROMを採用しているが、他社の工場での生産だったためなかなかリピートが上手く行かなかったらしい。(なお、詳しく書かないがここで上手くいった改革は現在すべて崩壊している)
一方、任天堂はROMカセットの採用を64でもやめなかった。ディスクシステムに手を出してそのあまりに長いロード時間に苦慮したことの経験があるからだ。そしてこれを機にもう一度市場のリセットを図ろうとした。市場にはスーパーファミコンのワゴンセールが始まっている。なんとかして初心会内外にあるゲームの投機的扱いをやめさせなければならなかった。ソフトの数が少なくなれば、そのような動きはできにくくなる。そのためサードパーティのソフトをとにかく減らし、少数精鋭路線で進もうとした。初心会外に取引を広げ自前で流通を行うという選択肢もあったが、これは取らなかった(実はSFC時代にトイザらスが日本進出をしてきたとき、任天堂や各大手メーカーに直接取引を持ちかけてきたが、これは上手く行かなかったようだ)。山内社長はファミコン時代の遥か昔から取引を続けていた初心会を切ることに抵抗があったからだ。それに「絶対に売れない」といってたファミコンも買い取ってくれたのは初心会だ。この前もバーチャルボーイというズッコケハードを出したが任天堂は全量初心会にハードを買い取ってもらっているので被害は最小で済んでいる。(その負債は初心会が被り、さらにその負債は小売店に押し付けられた構図だ。)
しかしそれでも、初心会と二次問屋たちは目先の利益を追い求めるのに夢中だった。
スーパーファミコン市場末期の1995年発売の聖剣伝説3は初回出荷は70万本だったが、実は初心会からの注文本数は合計140万本だった。前作がミリオン超えをしていたのでそれだけ期待があった、という表側の理由だが、ようするにこれも投機的に扱われることが明白だった(そもそも前作聖剣伝説2も結構な数がワゴン行きしていた)。あまりに酷い値崩れを嫌ったスクウェアは出荷本数を半分の70万本にし、かつ卸値を10%引き上げると初心会にアナウンスした。こうした動きに一部の問屋がなんと小売店に対して「スクウェアを公正取引委員会に訴える!」と言いまわってしまった。もちろんスクウェア側には一切の非はない。運が悪いことに(それとも狙ったか)スクウェアは夏休みに入ってしまったので、小売店は真相を確認することができず業界の一大事が起きたのではないかとパニックになったところもあるという。この話は巡り巡ってなぜか「任天堂が悪い」ということになった。PSが発売されて半年以上経とうとする頃でも、初心会に危機感は全くなかった。
その年の末発売のドラゴンクエストⅥの発売にあたっては、初心会とエニックスの間で注文数の予測で大紛糾だった。初心会の予測は250万本。エニックスの予測は300万本。エニックスは自信満々だったが、初心会はそこまで売れないと踏んでいた。初期出荷は250万できまり、エニックスは自前で50万の在庫を抱えることになったが、この読みは的中する。即リピート発注がかかり、エニックスは二次出荷を行った。
最終的に320万出荷を果たすわけだが、売上予測ができない問屋にメーカーは価値を見出すだろうか?
そして、ついに、終わりのときは訪れた。
1997年2月21日。任天堂本社で毎年のように行われる初心会の懇親会。その幹部会の席上にて初心会会長である河田会長が宣言した。
幹事会は静まり返った。関係者には事前に知らされていなかったのだ。解散は任天堂山内社長と、初心会河田会長のトップ会談で秘密裏に行われた。今後一切の取引は商品ごと個別に行われ、しかも初心会内の特定10社のみそれが行われる。今までゲームソフトを投機的に扱って儲けを吸っていた会社は任天堂から拒絶され、二次問屋に落とされた。しかも64の少数精鋭路線のおかげでこれから商材はどんどん減る。今までのような振る舞いは不可能になった。
任天堂はスーパーマリオクラブの立ち上げにより売上予測をするようになった。つまり、予測のノウハウを自ら身につけつつあった。そうなれば商材を投機的にあつかう問屋は不要だ。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。かつての山内社長の言葉だが、流通のプロがプロに値する仕事をしないのなら、切られても仕方がないというわけだ。
実はこの流通改革に前後してプレイステーションでも問題が発生した。デジキューブだ。スクウェアがプレイステーションに参入する条件として、コンビニに自分たちで卸すデジキューブをSCEに許可させた。
もともとプレイステーションはすべてSCEが自前で小売店に流通することを売りにしていた。ところが後から来たスクウェアはSCEを通さず自前で流通させるという。
このあたりを詳しく解説する。SCEはソフトメーカーと協議し、ゲームソフトの初回生産量を決める(ということになっているが、実質決定権はSCEにあった)。
SCEは特約店(一部、ハピネットといった問屋も使用していたが)からの受注数がその初回生産量に満たない場合はSCEが自腹で在庫を抱える(ように努力いたします、という注釈付きではあった)。
と、ソフトメーカーにかなり親切のように見える。しかしこれには問題が含まれていた。初回生産量はSCEが決め、実際に流通させているのもSCE自身だ。ソフトメーカーが営業をしかけ多くの受注を獲得したとしても、SCEがOKを出さない場合、本当にそのソフトは流通しなくなる。実際に飯野賢治がプレイステーション版Dの食卓で自分たちで在庫を抱えてもいいから多くつくるべきだと要望を出しても、SCEはそれを良しとはせず、結果売り切れを引き起こし機会損失を生んだことがあり、飯野賢治はセガ陣営への鞍替えをしたことがあった。
ソフトメーカーからしたら、リスクも多いが儲けも大きい自社流通に切り替えたがっていた時期だったが、任天堂もSCEもそれを良しとはしなかった(ただし任天堂は初心会通しであるため、一社が売れないと踏んでも他の問屋が受注してくれる可能性はあるし、このときPSの取扱店はまだ初心会流通よりは少なかった)。しかしスクウェアだけには特例としてそれを認めるというわけだ。SCEは流通に関わらず、スクウェアが直接小売店とコンビニにゲームソフトを卸すわけだ。当然、初回生産量も自由に決められる。
いったいどういうことだ、SCEはロンチから頑張ってきたメーカーに対して不義理じゃないのか。こうした理論で反発したメーカーがいた。コナミである。
コナミはSCEに対して自社流通を求めた。ゲームをつくる製造委託費とロイヤリティは支払うから、お前のところの流通網は使わんぞ、ということだ。こうすることでコナミはSCE流通分の費用を削ることができる。5800円の小売価格のうちの取り分を増やすことができるわけだ。もちろん在庫リスクや小売店へのやりとりはコナミ自身がやらなければならないから、自社流通が完璧というわけではない。結果的に大手メーカーはみな自社流通になっていくが、ナムコだけは付き合いもあってか(ナムコはかなり初期からPSに絡み、ライブラリの整備も行うほどだった。自社プラットフォームを諦めたかわり、PSに注力したということだろう)SCE流通を使い続けた。
プレイステーション側でこのようなことが起きてるのだから、当然余波は任天堂側にも及ぶ。コナミは64やゲームボーイの自社ソフトに対して「これから初心会を使わず自前の流通網使いますから」と一方的に任天堂に要求した。かつての任天堂ならば決して受け入れるはずのない要求だろう。だかしかし、任天堂は簡単にこの要求を飲んだ。そして門戸が開かれた自主流通のおかげで、ゲーム業界の流通改革は全メーカーを巻き込んだ。最終的にはコナミ、カプコン、コーエー、スクウェア、エニックスといった大手は自前で流通網を持ち、中小サードパーティはそこへ委託流通する形に落ち着いた。つまり元初心会の問屋たちを全く必要としない流通を実現してしまった。
解体された初心会はボロボロになった。合併倒産が相次ぎ、その多数が姿を消した。残された10社は直接小売店と取引するようになり、二次問屋三次問屋は居場所がなかったからだ。
しかも任天堂から選ばれた10社も順風満帆ではない。10社のうちモリガングはバンダイ系列のハピネットに買収された。石川玩具はタカラへ事業譲渡した。松葉屋はラスコムに事業譲渡し、そのラスコムも後年自己破産している。そんな一方テンヨー、カワダ、カマヤは今でも元気に問屋業を営んでいる。(名前が出てこない他の会社は調べても出てこなかった。情報plz)
そしてジェスネットは任天堂の子会社となり、アジオカは事業譲渡を行って「任天堂販売」となったが、これはなんと2016年の話だ。初心会が解体されて20年近くたったが、完全に自前で任天堂が流通するようになった。
こうして初心会は歴史の中に消えていった。良い面悪い面両方ともあったわけだが、特に末期には悪い面が強く出すぎていた。しかしこうして羅列してみると、「初心会があらゆるあくどいことを駆使して不法に市場を牛耳っていた」というわけではなく「初心会が市場を牛耳っていたのでいろいろとあくどいことができた」ということに気がつくだろう。その市場も確固たるものではなく急激に膨らんだ不安定なものであり、なおかつ悪行も任天堂の山内社長の怒りが落ちない範囲内の話でしかなかった。
悪徳の町、ソドムとゴモラは神の怒りに触れ一夜にして滅んだ。初心会も同じ運命を辿ったのだった。
参考文献
東洋経済 1997年3.22号 盟友・初心会を抜き打ち解散した山内・任天堂 焦りの流通改革
平林久和/H.Hirabayashi @HisakazuH
大森田不可止 @omorita
※この旧版になります。完全版は無料でnoteで公開中ですので、是非そちらの方をご覧下さい。
https://note.com/syosin_kai/n/nb97f2a0a193a
ちょっとゲームの歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉『初心会』。
とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。
そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。
この初心会について、私が調べたことをゲームの流通の歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!
もともとの任天堂は花札屋であり、そこからトランプやおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業は明治時代だ。
1960年代前半の任天堂は問屋を通じてテリトリー別に小売店を団体で集め、トランプやかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときはあくまでローカルな親睦団体という形でしかなかった。
1973年2月、光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。
ファミコンのゲームはROMカセットだ。ROMカセットはCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場にお金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズは京セラがつくっていたらしい)
つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫の在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このときの任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。
それゆえ当時の任天堂社長山内は初心会の力を借りることにした。ファミコンとゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制。在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコンの専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下の二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店にファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋の意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。
ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンとナムコがサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂はサードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリがサードパーティであるアクティビジョンを販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティが合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)
このときのナムコは簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。
ハドソンが問題だった。ハドソンは能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。
任天堂からしたらさらに想定外の事態だ。どうやればスマートにサードパーティ用のソフトを流通させることができるのか。任天堂はリスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法を模索する必要があった。
最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂に製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂は工場にROMを発注する。作る数は任天堂、サードパーティ、初心会の3つで相談して決める。初心会はサードパーティが任天堂に委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。
もちろんこれが全てではない。年末はクリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーがソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるから、リピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体の在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要は中古で落ち着いてしまう。そういう理由で初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価で二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコン版グラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。
この中で任天堂を非難する流れがあった。サードパーティがソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティを徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォームを計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。
ファミコン時代の流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェアの創設者鈴木尚が2003年岡山大学にてインタビューを受けたときの発言である。
>初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンスの役割を果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみません、お金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形を担保に銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコン・ブームが終焉しない限りは、返ってくるだろうという。
この時期はスクウェアがファミコンに参入したての頃を指す。任天堂はROMの製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割を果たしていたということだ。
スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかしファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアのバックアップに動いているように見える。
そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータ・ゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会や小売店に対して各ゲームメーカーが披露する展示会だ。この展示会自体は1988年からやっている。
しかし1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。
この場合、メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっとも有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。
そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋は二次問屋や小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫の売れ残りゲームが抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)
さらにはバッタ屋ルートなるものも存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取、独自のルートで小売店に売る。このときの小売店はゲーム屋とは限らない。スーパー、ディスカウントストア、リサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくらの世界だったそうだ。こういった不人気ソフトはワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。
ちなみに抱合せ販売は違法なので、公正取引委員会による排除勧告が初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人気ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。
これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂はアタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフトと初心会の流通在庫は市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格をディスカウントしてしまえば、プレイヤーは適正価格でゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。
そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般のモニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータは問屋や小売店に送られる。このデータは雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブはソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団の予測が的中した。後年はマリオクラブの参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式な任天堂の品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。
任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場をリセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法がほとんどなかった。商売相手は小売店やプレイヤーではなく、あくまで初心会だからこんなことになったわけだ。
当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。これは初心会オンリーの流通を自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通のプロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。
そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会の初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。
・スーパーファミコン本体がほしい場合はアクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかもスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りのケーブル(スーパーファミコンはAVケーブルが別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。
・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき、初心会のとある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店や二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ(違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。
・とある問屋がメーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店にソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。
・メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。
(続く)
https://anond.hatelabo.jp/20210504185958
コロナ下においては、実質的な意義が判然としない緊急事態宣言によって、様々な業種が営業自粛を迫られる。
これには大きく分けると二つの効果があって、個人が営む飲食店などの小規模な自営業者の弱体化と、対する巨大資本によって成立する大規模な業種(特に、顧客との接触を伴う業種)の相対的な弱体化である。
小規模な自営業者の受けるダメージは甚だしく、中には撤退を余儀なくされたり、悪くすれば自殺に追い込まれたり、あるいは債務が嵩み資本を取り上げられたりする経営者もいる。
このような小規模の自営業者がダメージを受けることによって起こる帰結とは、これまで自営業者に流れていた顧客の、より経営の体力がある大規模な業者への流入である。つまり、これまで小規模の自営業者に流れていた顧客が、コロナ下における自営業者の撤退などによって消費の矛先を変え、より経営の体力のある大規模な業者へと向かうのである。
ここではまた、金銭の流れが統一化される。小規模な自営業者は甚大な打撃を受け、産業から撤退し、大規模な業者が、これまで小規模な自営業者が取っていたパイを掠め取ることによって、相対的に伸長することになる。
一方で、大規模資本によって運営される業種においても、接触型の産業は相対的に弱体化する。例えばUSJの運営が正にその事実に直面している。GW期間中に一切の商売を停止しなければならないという政府の要請のために起こる機会損失は、非常に甚だしい。
このような機会損失によって、大資本に基づいて運営される大規模な業種も、今後の競争力において大きな影を落とし、他企業による買収への抵抗力を失うことになる。接触型の企業に限っては、大資本を伴う企業にせよ、非接触型の企業に対する脆弱性を(少なくとも可能性の上では)抱えることになる。
この場合非接触型の企業とは例えばappleなどがそうで、勿論店頭における端末販売は接触型の業種なのだけれど、インターネットを介した売買やあるいはアプリ販売におけるロイヤリティなどの商業行為は非接触的である。このような業種はダメージを受けにくい。接触型の企業との、非常に鮮明な対照がここにはある。
仮に大企業による買収などが今後行われるとすれば、そこにはコロナの影が落ちているといって過言ではない。
また、このような買収によって、やはり金銭の流れが統一されることになる。コロナ下において相対的に競争力の低い企業が、買収などによって相対的に競争力の高い企業に呑み込まれる可能性が、生じるのである。
ここまで、あくまで起こり得る可能性についてのみ限定して話を行ってきたため、厳密にはこの話は陰謀論に該当しないとは考えている。とは言え、これから述べる結論は極めて陰謀論的であり、全く裏が取れていない。以降の文が陰謀論の真骨頂である。
恐らくコロナの陰には、アップルコンピュータやグーグルといった非接触型の企業と、そしてそのようなコングロマリットとの間に大きなパイプを持つ米政府の存在がある。米政府は日本の官僚にコロナ下における対応を指示することによって、日本国内の特定の産業を弱体化させ、そして、最終的にその金銭の流れが、アップルやグーグルといった非接触型の企業へと統合されるように仕向けているのである。
まず初めに、Switchが足りていないのは、需要にたいして供給が足りていないのであって、転売ヤーに買い占められているからではない。転売ヤーがもたらす混乱で流通に多少の非効率が生じているのは事実としても、抽選に落ちている人や、高額かつ非道徳的な転売ヤーから買うのを控えている人がいるのにかかわらず、今供給されているすべてのSwitchが売れているからだ。(現在高価格であるのに、転売ヤーが在庫を積み上げるメリットはどこにもない)
さて、国際金融のトリレンマは以下の3つが同時に成り立たないことである。
・固定相場制
この3つは言い換えるとこうである。
この3つが同時に実現できないのはなにも通貨に限らない。
まず、商品の自由市場での取引は、資本主義社会では是認せざるを得ないだろう。つまり、メーカーが指定した業者以外(フリマ等も含む)による取引に罰則を与える政策がとられることはないだろう。特に、商品の同質性が高く、買い手の付きやすい商品(金銀宝飾品・ハイブランド雑貨やゲーム機)は市場が成立しやすい。
したがって、価格の固定を選ぶか、市場供給量の制御を諦めるかどちらかになる。書籍やソフトウェアは増産が容易なので、市場の要求に合わせて商品を供給することができる。したがって、価格の固定を選ぶことができる。他にも、市場に供給すべき量を予想しやすい商品は、価格の固定が比較的容易である。
一方で、予想外に需要が増減したり、生産に予想外の支障が生じる商品では、市場が求めるままに商品を供給できない。したがって、価格の固定を放棄するより選択肢がない。これを諦めなかった場合、末端の小売店が個別の判断で転売人との取引を拒否したり、顧客のロイヤリティーに訴えかけることで「自由市場での取引」を拒絶するという無理な方策を強いられる。
価格の固定は、継続してビジネスを行う企業として、顧客との関係構築に大きなメリットがあるのだろう。しかしながら、金利負担やリスクに直結する在庫を削減しながら、先の見えない市場に柔軟に商品を供給し続けることはむずかしい。このあたりが真の問題なのである。そういうわけで、転売ヤーが「自由」を行使していることは問題の片隅にすぎない。
YouTubeなんてのも究極一緒
いろんなロイヤリティを発生させるシステムがあるし会員制のなんとかにまでわざわざ登録して好きなものにお金をかけるのよ
ただ、その新人は、というか新人をプロデュースしてる奴はド下手
100ワニと同レベルの勢いで稼ごうとしたけど展開の仕方が普通のキャラ物と同じスキームで展開しちゃって100ワニという作品をちゃんと理解してない馬鹿が集まって物売り始めたから追悼も何もなく絵本もなんも売れなくなっちゃった、そんなタイプのプロデュース
新人っていう部分もわかってないし、VTuberも理解して無い、ただの出来損ないのアイドルと同じスキームで展開してるんだと思う
それこそ無茶苦茶昔の電波少年やらの時代からどういう人間がどういうプロデュースをされるのかをやらせ込み込みで見てたのに、今の時代のプロデューサーはスピードさえ早めたらカッコつくと勘違いしてる馬鹿だから一ヶ月くらいでストーリーが出来上がってると勘違いしてる。
お前が倍速で動画再生してるだけで世の中の人は0.5倍速、それ以下のスピードで動画も配信も見てるのに、
ビジネスで発破をかけるタイプのと同じノリでやっちゃうから視聴者が置いてけぼりになってる。
まぁその新人も半年やら一年くらいしたら運営と離れることになって裏話やらなんやらをするだろうけど、それでも、その新人を好きで、理解力があるタイプのオタクが金を出してくれるだろうけど
そこまで金を出さなくても良いかなってなったら、そこで終わるだけよな
まぁ所詮水商売よ。キャバクラと一緒、メイドカフェやらリフレやらと一緒。
創作というガワを被っちゃいるがその時々の民草のご機嫌次第で主流や好き嫌いが変わんのも一緒
それでも、その時代の主流でも、一番愛されてる存在でも、認められるべき正義でもないものに金を出してくれるから水商売の奇妙さなんだろう。
でもその奇妙さは、そのお金を出す人に対しての期待や理解して納得できるようになったスジを理解したら奇妙さも解消される訳で。
だから、増田が違和感を覚えたなら、その商売は下手くそだったんだと思うよ。
そして、何度も言うけどそんな不出来なものでも、そのキャラが好きだからで金を出す物好きはいるんだと思う。
それこそ、百人でも定期で金払ってくれる人いたら小遣い稼ぎ、維持費ぐらいにはなるかなってお話で
それが千だの万だの行ったら大儲けよ
それでも、好きなものが生きるなら、じゃん。
「とある商業漫画家からBL二次創作同人の民へ告ぐ」という増田を読んで、いやいや……いやいや……
いやなら公式や作家側からガイドラインで明言してくれ〜〜〜〜〜〜!
同人は嫌だと原作者が表明してはいけない!?増田の所属媒体古いな!?
と思って狂ったコロナでヒステリー起こしてる同人女(買い専)です。
「お目溢し」されている、とするくらいなら、ガイドラインや作者の表明で全面的にNGを出してください。
FGO:同人誌に関しては全面OK(営利目的はNGなどの文言もない)、グッズは営利目的NG
刀剣乱舞:販売数量の総累計数が200個以内であり、売上予定額が小規模(10万円以下)で、対面頒布は許可。この基準を超える場合、公式にロイヤリティを支払えば許可
東方:だいたいOK 原作の流通(一般的な同人流通)を越えた形態での販売は不許可
ということで、今回COMIC CITY大阪にはコナンの元担当も参加しております!!」
例の増田の意見に「じゃあこうして」と出せる材料がいろいろあるわけです。
なので余計に、特に同人誌を制作されたりしていることを見ているというならば「嫌なら言えよ」としか思えない。
私のいるジャンルは同人誌が製作可能なジャンルとガイドラインで明言されていますので、確実にあの増田の作者とは関わりなく生きています。
良かったー!!!!
コロナでイベントが無くなって神が新刊出すのやめたのを数回食らったから余計に思うんですが、こういうお察しや黙認の風潮のせいで、頒布方法が本ではなくデータ頒布の場合、
「データ頒布だ!? 金をとりすぎだぞ! お目溢しされているだけだぞ!」
されて、神がウォチスレ建てられてお気持ちが飛んでくるから未だに神の新刊が手に入れられない悲しみがある。
同ジャンルでも、男性向けならデータ頒布に文句たれてる人はいないのに、こういう増田の作者や、女性向け界隈の隠れなきゃ! なお気持ちの風潮のせいでこんな……こんな……
コロナでイベントが無いんだからデータ頒布しか道が無いのに……
もうさあ〜〜〜〜〜〜だったらデータ頒布の電子書籍にしたら使用料として頒布数の数割献上とか書いてくれよ……コロナ渦だよ〜〜〜〜〜〜
4月中頃からリモートワークに切り替わり、今は自宅で日々を過ごしている。
先行きが見えないので当然で、出来る仕事は限られている。
一体どこから自分の給料が捻出されているのか不思議で仕方ない。
こんな状況で生活が長く保つ訳がない。
SNSで、
「文化を維持するために救済を!」
という有難い声を見掛ける。
「オリンピック開催の為の生贄じゃねーか!」
「政治家が会食してんじゃねーよ!」
などと憤っていた。
会社の問い合わせ電話口で「何故この状況でイベントを中止しないんだ」と一銭も落としていない奴から言われたときは、「じゃあお前がその分支払ってしてくれるのか?」と言いたかった。
散々叩かれていたK-1のイベントもとても他人事には思えず、悪者のように取り上げていた報道には本気で殺意が湧いた。
「こんな時だからこそ無料配信します!」という大手エンタメ企業の波に焦りを感じていた。そんな体力はうちにはなかった。
そうこうしているうち、ウイルス封じ込めは失敗し、ライブエンタメ以外の自粛も始まり、今に至る。
憤っていた頃には分からなかった深刻な状況を理解しはじめ、「自粛したことに意味があった」と分かったことでやや気持ちが救われた。
ご存知の通り、エンタメ特にライブエンターテインメント業界は、いま瀬戸際の状態だ。
弊社の名前でエゴサしたところ「●●は大丈夫だと思うけど…」と言われていたが、そんなことは全然ない。貴方の推しが散々世話になっているあの会社この会社も、明日潰れてもおかしくはない。大手の状況は知らんけど。その大手も雇っている、個人で仕事を受けている大勢の裏方スタッフは、更にままならない状況下だと思う。
どうしたらクリエイターやスタッフやキャスト、関係会社の社員や派遣、アルバイトが生活していけるのか?
三密を避けながら、これまで通りエンタメを本業として続けていけるのか?
恐らく、今後ライブエンタメから配信に乗り出す会社は増えていくだろう。
この状況でも(この状況だからこそ、の方が適切だろうか)Netflixは売上が上がっていて、そのほか配信界隈は好調のようだ。これからは音楽ライブは勿論、お笑い・声優・ミュージカル・ダンス・コスプレといった専門的なライブエンタメジャンルに特化したサービスが本格的に参入してくると予想している。家に居ながら提供できるものを模索していく流れにならざるを得ないのは事実だ。
しかしライブから配信に切り替えるといっても、ドラマの収録も出来ず、ワイドショーもリモート出演のこの状況では、以前と同じクオリティを保ったコンテンツを配給していくのは困難だ。ヘアメイク、スタイリスト、カメラマン、照明、音響、編集、作家、ディレクター…そういった本来多くのプロの手で作られていたものが、現状の急場しのぎでやっているものと同等のクオリティであるはずがない。
そして「餅は餅屋」というように、既に何年も配信の実績があり生業としているプロが既に居る。これだけ溢れている配信コンテンツの中で人気者になるには、そのための研究や才能といった何かしらのチカラが必要なはずだ。
「配信は気軽」かもしれないが、「気軽に配信のプロにはなれない」のではないかと思う。配信主はこれまでの生業での人気という貯金を切り崩していくことになるだろう。
また、キャストやクリエイターは独自に発信することは可能だが、裏方スタッフには仕事が回らない。稼働出来て、ヘアメイクスタッフとスタイリストくらいだろうか、それにしても三密の環境は避けられないだろう。劇場やライブハウスで働く技術スタッフに関連させることは更に難しい。無観客イベントをするにしても、スタッフキャストは三密不可避だし、何より採算が合わないだろう。
最近話題に上がる再放送については、作品の権利を持ってる会社には利益が入る可能性があるが、裏方スタッフにまでロイヤリティが入るという契約は聞いたことがない。
クラウドファンディングで有志から資金を募るにしても、不可抗力によるクオリティの限界が知れてしまっている状況では、これはもはや善意の募金のようなもので、健全な商売とは言い難く、このコロナショックの不景気の最中では長続きしないと思っている。打撃を受けているのは何もエンタメ業界だけでなく、これまで応援してくれていたファンの生活自体が危ぶまれている状況なのだから。
公的な補填なしに、これまで通りのエンタメの存続は難しいだろう。
※現在エンタメ補償は現実的ではないことを理解した上での、自分の結論だ。
何が基準となるのか?
文化的価値。優先順位。妥当な補償金額。これらを定義するのはとても難しいと思う。
エンタメ業界に限った話ではないが、天才、凡人、善人、クソ野郎、いろんな人がいて、才能がある者が必ずしも人格者ではなく、どうしようもない人間ほど人気があったりと、労力を掛けた分の報酬があるわけではない。
「この人は素晴らしい作品を創る」と思うこともいれば、「しょーもない作品創りやがって」と思うこともあった。
これはあくまで自分の感想であって、正反対の感想を持つ人もいる。
…という、自由度が高く将来性が未知数というエンタメの特性は、公的な保障ととても相性が悪いと感じる。
でも、正直、逼迫しているこの状況で、これまで存在していたエンタメ全部が必要か?と言われると、そうじゃないんじゃないか?
「この状況を乗り越えられない小規模エンタメは淘汰されるほかない」というのは、信条には反するが、そうかもなという気持ちもある。
アイドルはジャ●ーズ、お笑いは吉●、音楽は●●レコード、アニメはスタジオ●●、演劇は劇団●●…というように、好き嫌いはあれど大多数の人が知っている国民的存在。社会でエンタメを担うのはそれなりの体力のある会社に託されることなのかもしれない。
そして。そして何より。
安全なところで文化的な活動をする人と、危険地帯で生活を支えている人と、どちらがお金をもらうべきなのかは明白だ。
いま、限られたお金で社会を成り立たせるために今最前線で戦っている人は、十分な恩恵を受けられているのだろうか?
社会インフラを保つために働いてる人
この人たちとエンタメ作ってる自分たちが、並び立って「お金をください」と言えるのか。そして、今後国から支えてもらうだけの社会的役割を果たすことができるのか。
https://twitter.com/Pkn2zVN6iC1DHmX/status/1250599556472958976?s=20
知恵や技術や物資での支援が難しい状況下、いま苦しい人の為になるものは何だろう。
絵? 歌? アイドル? Nintendo Switch? 総理大臣が自宅で寛ぐ映像?
誰にとっても有難いのはやっぱりお金だ。あなたはこれだけ価値のある仕事をしてくれたと一番わかりやすく可視化されるものだ。経済的だけじゃなく、精神的にも救われる。
昨日スーパーでスタッフ急募の張り紙の時給を見て、混雑したレジをさばく店員さんの姿に「割に合わない」と感じてしまった。
この労働を「感謝の気持ち」で済ませてはいけないのではないか。
見合った対価を払わず人の良心に付け込んでいるだけではないのか。
もし自分が最前線で働いてる立場だったら、安全なところで自分のやりたいことやってる文化人が国から補償が貰えるってなったら、「その金俺に回せよ!」ってブチ切れると思う。
これまでお世話になってきたエンタメ業界が辛い中踏ん張っている中、水を差すようなことを言って本当に申し訳ない。
自分自身、エンタメ業界しか経験せず年を取りつぶしが効かず、生涯独身のつもりだったので結婚の予定もなく、正直これからの生活には不安しかない。
たくさんの人に感動を届けたい。そう考えて就職して、作品を作った。
でも、本当にこれからも、必要なのだろうか。求められている活動なのだろうか。
自分たちの経済的事情ばかりを気にして、エンタメという文化を笠に着て、安全地帯に留まっているだけではないだろうか。
お客様が配布行為の直接の主体となる場合。すなわち、イベント等での対面販売、もしくは通信販売であっても自身のHP等、小規模な案内のもと、自ら受注を確認し、配布物を梱包し、発送の手続きを行うようなものは直接販売とみなします。委託販売やオークション等、第三者を仲介し、または不特定多数に向けることを目的とし、継続的かつ反復的に販売を行う行為は、認められません。
なお、上記例は例示的記載であり、たとえば内容や対象等が特殊な範囲内において、特定可能性が高い対象に対して、結果的にその活動が小規模となりうると推測しうる範囲での行為であれば表面上委託販売であっても、直接販売と判断しうるような場合もございます。
種類、内容、契約期間によらず、販売する数量は同一の商品について総累計200個までと制限させていただきます。なお無体創作物についても同様です。また名称や価格の変更等、商品本体の変更を伴わない変更があったとしても、これは同一の商品とみなし、総累計数にカウントしてお考えください。
売上予定額とは、「生産数×販売価格(税抜)」を意味します。実際の販売数ではなく、生産数によりますのでご注意ください。なお売上予定額が10万円を超えるような場合には、小規模行為ではないと判断させていただきますが、別途ご申請および版権利用料(ロイヤリティ)のお支払いをいただければ、例外的かつ部分的に許諾可能です(アマチュア版権窓口までご相談ください)。
ほかのところも、小規模で直接販売だから許す(目こぼす)であって、
電子書籍で無尽蔵に販売するって言ったら、無視は出来ねぇんじゃねぇかな・・・
多くのところがガイドラインは出していない
公式でなんでもOK!のゆるゆるのガイドライン出してるビッグタイトルは
もちろん二次創作の電子書籍を扱ってる会社があり、ガイドラインのない電子書籍同人誌が販売されていることを認識しているが、
そういう会社はお目溢しするんじゃない?