はてなキーワード: レンタルサーバーとは
2ちゃんねるで女叩きがあったことは筆者自身見て知っているが、なぜそのような空気感が醸成されたのか?についてはニコニコ動画登場以降にインターネットへ新規参入した筆者にはわからない
その当時の女性ユーザはただ一方的に男性ユーザから叩かれたのか?と言われれば筆者自身の当時の記憶として「いやそういう感じではなかったな」というのが正直なところで、女性アピールがしつこいと叩かれていたという記憶がある
筆者にはおそらく各年(年代ではなく1年単位)のオタク女性がネット上の女性の扱いに関して受けていた印象が違うのではないか?という推測があって、もしかしたら女叩きの原因は更に上の世代の女性のせいではないか?と考えた
学級会がなぜ発生したのか?と言えば、別にジャンル同士の抗争でも、掛け算の順番に関する論戦でもないわ。
当時のオタク女性(というよりもパソコンの初心者女性)は電子掲示板のトピックやスレッドという概念、そういうものに関する前提のルールというのを理解してないことがあまりにも多かったのよ。
どういうことかと言えば、特定のトピックやスレッドで話題が固定されていることに慣れていなかったのよね。
今では信じられないかも知れないけれど、つまり例えば「幽遊白書を語るスレ」で「幽遊白書以外のことをメインとして語ってしまう」という事が頻発していたの。
(中略)
それで薄々勘付いている人が居るだろうけど、その話題が変わった先がBLだったらどう感じる?
しかもNIFTY-Serveや2ちゃんねるでそのジャンルのメインのトピックや本スレッドで行われたとしたらどうなるかは想像付くわよね?
そう、他の人から注意されるのよ。
でも1人に注意したからと言って慣れてない子たちはまだまだいっぱい居るわ。新規に参加するたび今ではやっちゃいけないとタブー視されていることをやってしまう子が大勢居たのよ。
もちろんパソコンや電子掲示板へ慣れている歴の長いオタク女性たちも居て、慣れていない若いオタク女性たちをどうにかしないといけないという動きが自然と発生したの。それが今で言う「学級会」の元なの。
今でも2ちゃんねる(5ちゃんねる)のジャンル別のオリキャラスレやBL板などには本スレへ投下するなという注意書きが残っているのもあるけれど、なぜそういう記載があるのか?と言えば、やらかしてしまう子がいっぱい居たからなのよ。この辺りはオタク女性の黒歴史ね。
NIFTY-Serveへも言及していること、更に2000年前後という曖昧な時期を指定しているので増田女史の視点では2000年へ入る前からオタク女性のやらかしが在ったという認識だ
その事を裏付けるような、パソコン通信時代のおそらく男性ユーザの視点で振り返えりがある
女オタクはわきまえてたか?と言われれば俺の記憶上じゃ元増田の言ってる通り、当時の俺の感覚からすると「おかしな投稿」をする女オタクが一定数居たというのが正直なところだね
何なら当時はアニメージュとか雑誌の方でもそれっぽいの投稿してた女オタク居ただろ、まぁその辺はアニメージュ編集部の権限の範疇だから俺がなにか言うつもりはないけどな
ただそういった雑誌と同じノリで普通のMAGとかPICとかアップするとこへ今で言うBL系を載せちまうヤツは居たからパソコン通信〜インターネットの初めの頃は女オタク側にコミュニティのノウハウが無かったんだろうなと今になって思うわ
Wikipediaを参照するとMAGやPICは画像形式のことで登場年代は1990年代前半のインターネットが普及する前のパソコン通信時代で増田女史の振り返りと合致する
忘れちゃならないのがインターネットが登場したからと言って直ぐに全員が移動したか?と言えばそうではなく、それまでメインだったパソコン通信と新興のインターネット通信の時代はユーザの本格的な移動が始まるまでオーバーラップしていて、増田女史の振り返り年代のスタートが曖昧なのはオーバーラップしているからだろう
本題とは少し離れるがリアルの雑誌の方でも「おかしな投稿」があったと振り返られている点も意外と重要で、専門誌だったアニメージュだけでなく週刊少年ジャンプへの現代ではミーム化してしまっている投稿が言及される
そういえば「あーん!スト様が死んだ!」っていつだっけ
前述した通りMAGやPICは1990年代前半、その前段とも言える1988年の時点で「そういった雑誌と同じノリ」の投稿があったことは確認できるようだ
スト様が死んだのピクシブ百科事典を参照すると以下の通りである
たまに腐女子とも言われるが、腐女子とはBL好き趣向のことを言うのでこの文面からは彼女が腐女子かは判断できない。むしろスト様と共に少女が描かれたイラストやその少女漫画風のタッチ、文脈などを考慮すると、今で言う夢小説を好む夢女子タイプだった可能性の方が高いだろう。
腐女子かどうかは断定できないがオタク女性であるのは間違いないという推定がなされている
女神ってその当初はエロ自撮りとかアップしてくれる女性ユーザを指すネットスラングなんだけど、意味が広範していって女性ユーザ一般を指すネットスラングへ変化していったんだよ
「女神が現れるとスレが荒れる」ってのは当時のインターネットの一般的な認識でな、元増田の表現を借りれば性別はわからんが女神を排除しようとするユーザは一定数居た
(中略)
電車男は2004年で、女神の「意味が広範していって女性ユーザ一般を指すネットスラングへ変化していった」というのがかなり重要で、女性ユーザ一般の中には当然オタク女性も含まれるので、2004年前後の時点で女神という名の女性ユーザ一般を叩く層が居たことを確認できる
つまり主に2ちゃんねるで女叩きを経験したのは2004年前後以降に新規参入した女性ユーザで、その前段へオタク女性のやらかしや、女神などの存在が挙げられるのではないか?という推測が成り立つことになる
更に興味深いのは今回の流れとは一切関係のない2013年の投稿だ。この投稿は非常に年代が特定しやすい
2013年の時点で25歳、中学生ということなのでその10年前の2003年、高校へ入学するかしないかの年齢15歳と仮定すると増田女史のいう「ホームページを作る知識を学んだりやホームページを自分のものとして所有できる権限が若いオタク女性たちにあったのか?と言えば難しかった」「同人サイト設置を誰でも可能になるのはいわゆるガラケーの勝手サイトやレンタルホームページの登場を待つことになる」という振り返りと合致する
2013年の時点の増田が「ところ構わずBLの話をしたり」「ニコニコでアニメを見たら、「腐コメやめろ」などのコメントが流れてきたりする。ああ、BLに萌えるあまり腐女子中学生がやらかしたのかなぁと思う。」という感想を持っていて、2013年でもオタク女性がやらかすという現象がオタク女性目線で確認できるのだ
しかも更に「でもあの頃の」という部分によって2003年を振り返る増田も似たようなものだったことが示唆されている
いや似たようなものだったと断定するのは良くないと当時のはてブのコメントを参照すると、おおよそ事実であったのかと知ることができる。誰も2013年増田の振り返りを嘘だとは言っておらず懐かしいとすら共感している
まとめるならば、2003年の時点で2013年増田が言う若年の痛いオタク女性が存在しており、それはおそらく2003年以前も数々の証言からやらかす若いオタク女性が存在していることがわかり、そのため当時のインターネットでは女性ユーザへヘイトが集中し、やらかす若いオタク女性を何とかするため学級会により統制を計ったのが増田女史の世代であったと一連の流れで推察できるんじゃないだろうか?
今回のレポートは以上です。先輩諸氏による情報の補完があれば嬉しく思います
(追記)
タイポです・・・ブクマカさんへ本当に感謝を・・・ナオシマシタ・・・
虐められた奴に原因があった論だ!! この手の被害者叩き出てきたらもうガッチガチのいじめ加害者の自己正当化。一人称私にしただけで女アピールが強すぎると叩きまくってたもんなぁ。自らの罪を認められない増田
「虐められた奴に原因があった論」になるから当時のオタク女性の言動を調べるのは良くないって意味でしょうか?何を言いたいのかちょっとわかりません
当時「空気の読める」女性ネットユーザーの多くは男のふりを書き込んでいたと思う 割合は知る由もないが自分もそうだったし、今ある程度の年齢の女性オタク同士の会話では「あるある」ネタになる程度にはそうだった
女性が男性と性別を偽ることと、やらかしたオタク女性が居る可能性は両立すると思うのです。別個で考える必要がないと考えます
ブコメを確認すると男女相応にやらかしはあり男性主体のコミュニティだったからオタク女性のやらかしは目立ちやすかった、そして増田女史世代の自治があったと理解できました
男は叩かれてたのか?という点については、叩かれていたどころか逮捕されたりしてませんでした?電凸とかリア凸とか食らってたような記憶が・・・
元増田だけど色んな人が意見を出してくれていて少々驚いた。
結構気軽なつもりでやった投稿なのだけれど、ココまで皆さんがリアクションしてくれているのならば私も本気を出さなければ失礼だろう。
ちなみになぜ私が街中の広告の写真を取っているのか?という点についてだけれど私は物書きなので流行っている作品の調査・備忘録のつもりで広告などの写真を撮っていて、本屋でもPOPや平積みしてある作品をよく撮る。
だから物書きとして本気を出そう。本気で熱を入れて書くため文体が変わることをご了承いただきたい
気付いてるかな?たわわもアウトならば女性向け広告の規制基準はたわわレベルになるのよ。
それがどういうことか考えたことある?
それはつまりオタク女性が男性へ対してエロスを感じる表現の一切合財がアウトになるってことなの。
例えば首筋、手、目、胸板、背中、微笑etc...これらすべてが女性向けに描かれたらアウトなのよ。
「そんなことはないでしょ!」って思うじゃない?いいえ、そんなことはあるわ。
何故ならたわわや以前に問題となった作品にも明確な基準がなく非難された結果として炎上したからよ。
そのジャンルを嗜好する私たちの基準で評価されるのではなく、ジャンルをよく知りもしない誰かよくわからない人たちの基準で、しかもその基準が示されることなく規制されるの。
私たちがその不明瞭な基準で規制することへ対して文句を言えば「とぼけるな」とか「理解する気がない」と言われてしまうのよ。
フェミニストはよく一般女性を名乗るわ。
一般女性が男性向けジャンルのココが良くないとして指摘しているのだけれど、同じように謎の一般男性が私たちが嗜好するジャンルへよく知りもしないでココが良くないと指摘してくるのよ。
規制してくるのはエロいオタク男なんかじゃなく謎の一般男性なの。
これらの意味をよく考えたほうが良いわ。
最近の子たちは知らないだろうから私の世代の経験として共有するわ。
実は私たち既に抑圧を経験しているのよ。
宮崎勤事件によるオタク抑圧の時代のことと思うでしょう?
違うわ。あの事件によって抑圧されたのは主にオタク男性よ。あの事件に限ればオタク男性の抑圧に比べるとオタク女性が受けた抑圧は微々たるものだったのよ。
多くのオタク女性が受けた抑圧はパソコン通信終期(2000年前後)から20010年に入るか入らないかまでの10年間、いわゆるオタク女性による同人サイトブームがあった時期にオタク女性たちは抑圧されていたの。
何故オタク女性たちが抑圧されていたのか?と言えば、それは今で言うところの「学級会」の発生がこの時期に集中したからなの。
学級会がなぜ発生したのか?と言えば、別にジャンル同士の抗争でも、掛け算の順番に関する論戦でもないわ。
当時のオタク女性(というよりもパソコンの初心者女性)は電子掲示板のトピックやスレッドという概念、そういうものに関する前提のルールというのを理解してないことがあまりにも多かったのよ。
どういうことかと言えば、特定のトピックやスレッドで話題が固定されていることに慣れていなかったのよね。
今では信じられないかも知れないけれど、つまり例えば「幽遊白書を語るスレ」で「幽遊白書以外のことをメインとして語ってしまう」という事が頻発していたの。
オタク男性も他作品と幽遊白書を比較することはあったわ。でもそれは幽遊白書を主軸として比較しているだけであって幽遊白書以外のことを語っていたわけでないの。
冨樫先生と鳥山先生の比較することはあっても鳥山先生のことばかり語るのは変よね?それをやってしまっていたのよ。
これはもう一般的な女子トークのせいよね。
同性の私でも話題がアッチコッチに飛ぶなと感じることがあるほどに女の話は飛ぶわ。いやそれはそれで楽しいから良いのだけれど男の人は嫌がるのよね話題がコロコロ変わるの。
それで薄々勘付いている人が居るだろうけど、その話題が変わった先がBLだったらどう感じる?
しかもNIFTY-Serveや2ちゃんねるでそのジャンルのメインのトピックや本スレッドで行われたとしたらどうなるかは想像付くわよね?
そう、他の人から注意されるのよ。
でも1人に注意したからと言って慣れてない子たちはまだまだいっぱい居るわ。新規に参加するたび今ではやっちゃいけないとタブー視されていることをやってしまう子が大勢居たのよ。
もちろんパソコンや電子掲示板へ慣れている歴の長いオタク女性たちも居て、慣れていない若いオタク女性たちをどうにかしないといけないという動きが自然と発生したの。それが今で言う「学級会」の元なの。
今でも2ちゃんねる(5ちゃんねる)のジャンル別のオリキャラスレやBL板などには本スレへ投下するなという注意書きが残っているのもあるけれど、なぜそういう記載があるのか?と言えば、やらかしてしまう子がいっぱい居たからなのよ。この辺りはオタク女性の黒歴史ね。
じゃあオタク女性向けのそういうトピックやスレを作ったら良いじゃないと思うでしょ?
それが可能になったのは2ちゃんねる以降なのよ。2ちゃんねるでも限定的であったと言えるわね。
例えばNIFTY-Serveではコミュニティ単位がフォーラムという枠組みになっているのだけれど、このフォーラム設立はニフティの許可制なのよ。
2ちゃんねるでも例えばスレッドを自由に立てられてもBL板は2ちゃんねる管理者じゃないと設置できないでしょ?NIFTY-Serveも似たようなものだったの。
私たちの嗜好するジャンルを会話する場がネットワーク上へ最初から用意されていなくて、どこで話しても2ちゃんねるでいうところの板違いスレ違いにならざる得なかったわけよ。
もちろん時間経過とともに需要が認知されて場が作られていくのだけれど、作られるまではタイムラグがある。
そこで私たちは同人サイトを作成し自分のものだから同人サイトで好き勝手にやることを覚えたのよ。
でもね問題は、この同人サイトでやることをパソコンや電子掲示板へ慣れているオタク女性たちが一時期であれパソコンや電子掲示板へ慣れてない若いオタク女性たちへ半ば強制した時期があったの。本スレでやらないで自分のホームページでやれとね。
同人サイトの多くは当時インターネットプロバイダーのホームページスペースで設置されることが多かったのだけれど、そもそもホームページを作る知識を学んだりやホームページを自分のものとして所有できる権限が若いオタク女性たちにあったのか?と言えば難しかったわ。
プロバイダーのホームページスペース以外にもロリポとかレンタルサーバーはあったけど同人サイト設置を誰でも可能になるのはいわゆるガラケーの勝手サイトやレンタルホームページの登場を待つことになるの。
パソコンや電子掲示板に慣れているオタク女性は同人サイト設置を強制してくるけど若いオタク女性にはそれが無理。
しかもそれぞれが同人サイトを個々に設置するわけだから情報が分散したり、更に言えば趣味嗜好の対立なども起きたわ。
なぜ同人サイトで鍵が設置されるようになったのか?と言えばオタク男性による突撃なんて偽史を語る人も居るけど、実際はそんなの少数で趣味嗜好の対立を防ぐためが主な理由だったのよ。
何なら当時を振り返るとオタク女性の一部は「男性のふりをしていた」と語る人が居るけれど、性別を偽装できるのならばなぜオタク〝男性〟の突撃としているのかは謎だわ。もう一度言うけどオタク女性による趣味嗜好の対立があったのは確かよ。
正史は「性別はわからないが突撃があったから鍵をかけた」だわ。
ガラケーレンタルホームページの時代へ入るとむしろ同人サイトはオタク女性の嗜みくらいの地位へ登り詰めるのだけれど、同人サイトのスタートはオタク女性同士の抑圧からよ。
コミケでも「同人サイトやらないの?」みたいな話は定番だったわね。
これは認めざる得ないわよ。
どう考えても涼宮ハルヒの憂鬱ブーム前後でオタクの風当たりが変わり、ハピマテをCDTVへ載せるなんてのもオタク男性が主体だったし、ニコニコ動画も引っ張ってたのはオタク男性のジャンルだったわ。
その後に続いていったのがオタク女性だったじゃない。
じゃあ今の時代に表現の自由を守ろうと声を上げている漫画家は誰?赤松先生よ!?また男性なの???
その今の時代に私たち女性は一体何をしているの?日経新聞に月曜日のたわわの広告が載ってけしからん?また女性同士で抑圧し合おうっていうの???
まるで私たちは悪役令嬢よ。
横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけて追放されて、戻れたと思ったらまた横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけようとしてる。
このまま行けば趣味語りのTwitterアカウントへみんな鍵かけることになるの理解していないのかしら?
もちろんTwitterの投稿へいちいち注意してくるのオタク男性じゃなくて風紀を守る自称一般女性よ?
知ってる?今の時代の流行りはね、ヒロインと悪役令嬢が手を組むのよ。
また規制抑圧という魔王が復活しようとしてるの。
前回は悪役令嬢が取り込まれてしまったけど今回は違う結末を迎えたいじゃない。
ヒロインと悪役令嬢が手を組めば最強。男なんて引き立て役にすぎないわ。
日本のサブカル史には魔王からオタク開放の立役者としてオタク男性が主体だったと刻まれているわ。
今回の魔王からオタク開放の立役者はオタク女性と日本のサブカル史へ刻もうじゃない。
ヒロインと悪役令嬢のお嬢様方、清く正しく美しく、華やかに可愛らしく強いオタク女性が表現の自由を守ったと10年20年後に振り返ってもらえるよう、私とともに征きましょう(高笑い)。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
今から20年前、ブラウザゲームといえば設置型のCGIゲームだった時代があった。
箱庭諸島、SOLDOUT、FFA、罪と罰、商人物語、珍走記…名前を挙げればきりがない。
そしてこれらの特徴としてフリーソースであることがあげられる。エンドレスバトルのような例外もあるが基本的に再配布可能であり、大本のサイトが消えてもソースが再配布され長く親しまれることも度々あった。
当時はネット回線は貧弱であり、重量級のCGIゲームはレンタルサーバーから名指しで設置禁止を言い渡されることもあったが、それでも数多の個人サイトに原本や改変版が設置され、インターネットを賑わせていた。
しかし時は流れ現在、これらのCGIゲームは文字通り瀕死の状況である。
プログラムは陳腐化し、レンタルサーバは数を減らし、かつてのプログラマーたちは皆ネットを去っていった。配布サイトもジオシティーズ消滅で壊滅し、インターネットアーカイブにすら残っていない派生も多い。今やプレイどころか、入手・設置すら一苦労するレベルの代物である。
時代の流れから取り残されたものが淘汰されていくのは仕方がない。しかし、インターネット黎明期を賑わせたプログラムがこのまま霧散していってしまってもいいのだろうか。
箱庭諸島ですら現状ダウンロード方法が消滅してしまった派生作品は10を超えている。再配布が許可されていたとしても、一度消えたサイトのスクリプトが再び表舞台に出るケースはかなり少ない。無法地帯といわれる2chのフリーソフト保管スレですら、CGIゲームが再アップされた例は存在しなかった。
これを見ている増田の古いパソコンにも、すでに入手不能なCGIスクリプトが残っているかもしれない。だがそれが日の目を見ることは、現状ないのだ。
かつてのガラケー向けゲームですらswitchでプレイできるようにする動きはあるのに、こちらを保全しようとする動きは一切見られない。ネット考古学的にも、レトロゲーム趣味的にも、もう少しこちらに目を向けてはいいのではなかろうか。
たとえばこれ。
リモートデスクトップ(RDP接続)の通信量の目安は?何ギガ使う?
2021/2/7 情報家電 0
テレワークや在宅勤務などでWeb会議やオンラインミーティングをする機会も増えているだろう。
また、会社のサーバやPCに接続を常時することにより、どのぐらいの通信量が必要なのか、すぐにギガを消費してしまって速度制限を受けてしまうことにもなる。
リモートワークをするための方式はいろいろあるが、今回はリモートデスクトップを利用した場合の通信量について紹介をしよう。
リモートワーク、テレワークをする際の一つの方法として、リモートデスクトップ方式がある。
リモートデスクトップ(Remote Desktop)でRDPと略される接続方式だ。
利用方式としては遠隔(リモート)にあるパソコンを操作することできる機能で、WindowsやChromeなどで標準機能として備わっている。
つまり、会社にあるパソコンを自宅に設置したパソコンから操作をすることができる。
また、データ自体は会社のパソコンに保存され、画面だけ転送されるので、セキュリティが比較的高い方式だ。
そのため、多くの会社でリモートデスクトップ(RDP)を利用して出張時や自宅でのtで仕事をしている。
リモートデスクトップ(RDP)接続の場合の通信量目安は1時間当たり300MB程度となる。
あくまでも目安となり、画質や操作頻度などにより大きく変わる。
今回は仮に1時間あたり300MBとすると、9時~17時(8時間)利用をすると、2.4GB(2400MB)が必要となる計算だ。
つまり、一般的な企業で平日仕事をすると2.4GB/日の利用になり、1か月(20日勤務)となると以下の計算となる。
1時間 300MB
8時間 2.4GB(2,400MB)
20日間 48GB(48,000MB)
上記のように平日月~金を4週間働く場合の1か月間すべてをリモートワークすると、48GBの通信量が必要となる試算だ。
この48GBを通信するための通信設備がないと、リモートワーク、テレワークは成り立たない。
実際に、通信量を考えずに7GB契約のモバイルWiFiで仕事を始めたが、最初の3日ぐらいは快適に使えていた。
4日目からは通信制限がかかって「256KB」でしか通信ができなくなり、画面が動かない、仕事にならないという状況となった。
そのため、自宅でテレワークをする人は50GBぐらいは利用できる通信手段を考える必要がある。
また、無制限Wifiと言いながらも3日で10GBを超えると翌日は通信制限がかかるプランなどもあるので、注意が必要だ。
そのため、モバイルWiFiを利用する場合の最低限の条件は以下の通りだ。
速度が安定していて、早いもの
2019年の時点では「リモートデスクトップ転送量」とかでググってもほとんど参考になる日本語情報はなかった。
例えば『おすすめ ホスティングサーバー』というキーワードで検索したとする。
すると、検索結果の上位のほとんどのサイトにおいて、次のサーバーが紹介され、各社へのホームページへのリンクが張られている。
ConoHa WING
mixhost
それらのリンクは、全部 px8 などのアフィリエイト経由でのリンクになっている。
ブログを始める時に、
(A) はてなブログ
のどちらがおすすめか、ということを解説しているブログはたくさんあるが、
その回答は ほぼ(B) である。
なぜなら、(A)はてなブログ はアフィリエイト提携をしていないからである。だから、ブロガー(すなわち アフィリエイター)にとって、(A)はてなブログ を紹介するメリットはない。
なので、(B) Wordpress + レンタルサーバー のメリットを数多く上げ、読者を(B)に誘導しようとする。
ブログの始め方 と検索して上位に出てくるサイトは、ほぼ (B) Wordpress + レンタルサーバー のパターンである。
アフィリエイトがあることによって、本音の情報を探すのが難しくなる。
逆に、アフィリエイト報酬狙いのサイトが削除できたとすればと、本音の情報が探しやすくなるだろう、と考えたのですが、adblockではそんなことができの?
adblockって、あるページ内で 広告を非表示する、ものかと思っていたので。。
休み休みとはいえ、ずいぶん長い間続いたなと思う。十二年前、初めて自宅にまともなネット環境ができた。それで自由にネサフすることが出来るようになったときに初めて、自分が昔から大好きで今でもまだ大好きな漫画の二次創作サイトが多数あることを知った。で、私もやってみたいと思い、何も展示するものなどないのに見切り発車で自分のサイトを開設した。パソコンでネットに繋がれるというのに、最初のサイトは携帯サイトだった。
自分でも、作れるものが何もない状態で運営をはじめたサイトなんか、長くは続かないだろうと思った。最初は下手なイラストを無理矢理こしらえて飾っていた。そんな恥ずかしいことをよく平気でやってたなと今では思えるものの、Pixivの流行以前は上手なイラストが大量に流れる場所にアクセスする方法を私は知らなかったので、そんなことができた。
しかし、二次創作サイトで絵だけを展示している人は多くなく、だいたいポエムや小説も展示している人が多かったので、私もそうしたいと思った。けど、子供の頃は小論文以外の作文が大嫌いだったから、私には絶対無理だと最初から諦めていた。
ところが! いいな羨ましいなと思い続ける自分が嫌になって、1ヶ月半くらい経ったとき、そんなに書きたきゃ書けばいいじゃない! と思って、筆をとり(パソコンをとり)一晩かけて一本完成させた。たぶん、800文字もなかったのではないだろうか。推しカプではなく、リアタイ時にコミケの女性向けジャンルを制覇したカプを書いた(コンビとしてだけど)せいで、お世辞言ってくれる閲覧者がいたおかげで調子に乗り、以来半月に一本完成させるくらいのペースで半年くらい、やがて睡眠時間を1日1時間半くらいにして毎日ひたすらなんか書いている暮らしにシフトした。
携帯サイトでは物足りなくなり、お金を払ってレンタルサーバーを借りてでっかいサイトを作った。絵はあまり書かなくなった。全小説作品を読むのに半日かかるサイトになった。
それから何やかんやあって創作を休みがちになったり、月々2500円くらい払って偉そうな「お客様」を相手にするのが馬鹿馬鹿しくなり携帯サイトに逆戻りしてみたり、Pixivに移動したりなんだりした。
そして初サイトを作って十年目になった。それまで十年も気持ち悪いほど一つのカプを推してきた私が、なんと新規の沼に転げ落ちた。さすが、新規の沼なだけあって、書けば書くほど読んでもらえて楽しいので、睡眠時間をまた1日1時間半にしてがむしゃらに書きまくった。すると、いい感じに頭のタガが外れたのか、昔からの推しカプを書くのも再び捗りはじめた。
そうして私は常に何か書いてないと済まない病になった。二次創作の方は、昔からの推しカプ方面は和やかに続けていたが、何しろ十年書き続けたせいでネタ探しが大変になった。新規の沼は、半年くらい経つと、下らないことが原因のいざこざが頻発するようになった。私はしばらく傍観していられたが、最終的には自称「絵がクソクソに下手クソ」な絵師の売名活動に巻き込まれて嫌になった。
そんな訳で、昔からの推し分野は中々ネタがないし、新規の沼は地獄の釜の底に沈んでしまったしで、書くことがなくなった。書きたい意欲を持て余した私は、やがて増田ばっかり書くようになった。
すると、ある日私の書いた増田がバズり、800ブクマ超えをした。これはバズった増田としては凄く多いわけではないかもしれないが、私史上最高のブクマ数だった。そして、ついたブクマの数々には、内容への感想だけではなく、「読みやすい文章」という感想も多くあり、私は私史上最高に調子にのった。
もしかして、私の文章けっこうイケてるんじゃね!? と思った。ずっと、読まれるのは原作とカプの力で、私に実力があるわけではないとイジイジ思い続けていたから、舞に舞い上がり、畳の上をゴロゴロ転げまくった。
調子こいた私はとうとう、一次創作を始めた。二次創作はほとんど書かなくなってしまった。だが、二次創作を書かなくなってしまったきっかけが幸せなものだったので満足している。ずっと推してきたカプの集大成な短編を一個書いて、萌の場外ホームランを打ち出したのだ。昔からの推し仲間達から、「す、すげえものを読んでしまった……」と言われた。満足した。もうあの時の私を自分で超えられない気がする。
今は一次創作二年目。やっぱり原作やカプの力に支えられないとあまり読んでもらえないけど、感想をくれた数人は全員、私の作品をすごく好きだと言ってくれたので、私は今日もせっせと書き続けていられる。
昔はまぁ自分もゴミを量産しててタウンページから企業データを抜き出したのをWEBサイトでまとめて被リンク貰ったり、逆に被リンク貰って結構ページランク上がったなってタイミングでリンクを売ったりしてた悪徳SEO会社なんだけども、
それ以前、そうまさにタウンページってどうなってたかしってるか。
引越社って思いつくの何がある?
まぁこんなもんでしょ。共通点わかるよね。全員「ア」から始まるの。
これはなんでかっていうとあいうえおソート(五十音順)でダウンワークは載せてるから「アー」ってつけることで一番先頭にきて電話されやすいっていう判断ね。
そのせいでダウンワークオーガナイゼーション末期は「アーアーアーアンシン」とかいうもう誰も勝てねぇレベルの会社名(サービス名)まででてくる始末。
そういう状況がクソだったのでWEBサイトをちゃんと作って長く運営している会社が上がってきやすいSEOってのは神だと思ってたんだよ。まぁそういう事思いながら自分はゴミを垂れ流してお金もらってたわけだが。
で、まぁ、俺のやってた手法はペンギンアップデートっていうのが来て使えなくなった。(簡単に言うとわざとらしくてユーザーに利益をもたらさないSEOをペナルティにした)
その時はもう毎日のように至るところに借りてたレンタルサーバーにアクセスしてはゴミを削除するって事をして、まぁサービスとしては真っ当に運用してた3個ぐらいを残して無数のゴミ(データ抜き出しただけのやつ、ワードサラダブログとか)は潰して、そういうSEOからは足を洗ったわけだ。
で、取引先をいきなり失うわけにもいかないんで「新しいSEO」とかいってなんとか食いつないで今は全く別のサービスしてるんだけど、
結局今のSEOに即した形でユーザーの役に立たない事をするやつはいるんだなーって思った。
抜け道のないSEOなんて理想はやっぱGoogle的には(追求してるとはおもうけど)無理な話で、今でもたまーにSEOに関してブログを読むけど企業の方が莫大なサイトを運営しつつ順位動向を確認できるんだからSEOのアルゴリズムに関して得られるデータが多くて速い。(あとこの前、自信満々にサジェスト汚染で御社サービスを上位にしますっていう営業きてビビったね。)
攻略サイトに関しては現在は5chが攻略情報握ってる場合のほうが多いのでやっぱり5chを逐一チェックして自分で確認しつつすすめるのがいいんじゃねーかな。
Twitter検索とかに頼るのもちょっとはおすすめ。大手を振っておすすめ出来ないのはそこにも企業(というかアフィリエイター)の罠が潜んでいて5chまとめとかに誘導させられるから。最も中身スカスカの企業wikiよりもある程度ちゃんとまとめられてるアフィリエイターのまとめブログのほうが情報の質が良い場合もあるんだけどね。
phpのmb_send_mailを使ってSPF付きでメールを送信すると
Received: (from AAA@localhost) by www2000.sakura.ne.jp
X-Authentication-Warning: www2000.sakura.ne.jp: AAA set sender to info@example.com using -f
問題となっているのはAAAとなっているところで、ここには契約したアカウント名が入ります。
これは初期ドメインの先頭と一致するのでブラウザにAAA.sakura.ne.jpと打ち込めばメインサイトにたどり着けてしまいます。
せっかくマルチドメイン運営でひた隠しにしてきたのに「あ、この人AAAの運営と同一人物だ」とバレてしまいました。
いやあああぁぁぁぁぁぁ・・・!
死ぬほど恥ずかしい。
想像してほしい。真面目なサイトの運営者が裏では主食がBLとか言っている姿を。
https://anond.hatelabo.jp/20201011102542
増田さんから見ると「錯覚」に見えるのだろうけども、本人は錯覚じゃなくて本当のこととして充足してるんじゃないかと思うんだよね。
ひろゆき氏が言ってたけど、「コミュニケーションとれてる」と認知する条件って個人差が結構あるみたいで、VTuberがしゃべってて自分は文字打って、自分の文字がVTuberに読まれると楽しいんだけど、それでコミュニケーション充足しちゃうんだろうね。わたしのことですが・・。昔はねとらじでもコメント読まれると喜んでたし、10年以上前から俺やること変わってないんだよね。
ただコミュニケーションが成立すること自体が楽しくて、コミュニケーションの内容はあまり重要じゃないっていうか。コミュニケーション成立によって脳に「快」を供給することを欲していて、いわばおしゃぶりのようなものなのかも知れない。たとえば喫煙者はタバコを吸い始めるときに理由も動機もないでしょう?NO REASON, IT'S AUTOMATIC.
口寂しくてガムを噛んだり、手持ち無沙汰で貧乏ゆすりしたりハンドスピナー回したりするでしょ? ハンドスピナーとかフィジェットキューブなんかを「ADHDおしゃぶり」と形容してる人もいた。
たぶんAIがすごい賢くなってくると、もうAIと喋るだけで満足するようになると思うんですよね、マイクロソフトがLINEのAIやってる「りんな」ってあるんですけど、たまに話しかけるとドキっとするような的確なレスポンスが返ってくるんですよ。
キズナアイはナンチャッテAI(設定)ですが、いずれはガチのAIによるVTuberが登場するだろうし、いわゆる"Virtual Being"というやつ。それが将来的に自分の推しになるのだろうなと思ってる。AIなら永遠だし、自分の寿命が尽きるまで人生の伴侶たりえる。運営側の仕様変更があったりすると悲しいので自分のレンタルサーバーでホスティングしたいな。
Vtuberは面白いから観るものではない https://anond.hatelabo.jp/20201020124205
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20200915-136766/
『CS:GO』で”偽チートツール”が配られ、チーター達が泣き叫ぶ。不正行為を試み、ありとあらゆる酷い目にあう敗北者達の悲鳴
この記事を読んで俺も大昔にMMORPGで妨害行為している目障りなプレイヤーを
詳細は省くけどシンプルだけどいやらしい妨害行為を延々と繰り返すプレイヤーがいて
4時間マウス操作が無いと自動で複垢含めて全てのアカウントを削除するよう改造してプレゼントした。
もちろん普通にプレゼントしても受け取ってくれそうになかったし揉めると面倒くさそうだったから
まず海外レンタルサーバーを確保して、そこにパスワード付きのページを作って置いた。
そして、そのURLとパスワードを書いたお手紙(みたいなもの)を相手に奪われるように仕向けたんだけど
「関係者以外の違法アクセスを禁ずる警告ページ」→「認証ページ(漏らしたURL)」→「ツール置き場」
みたいな構成にしてびびらせたり