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2019-02-14

俺たちは無能フォレストガンプだ、っつー増田を読んだ

anond:20180224163548

ある時、テレビ映画フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能フォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公フォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。

あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。

ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督ロバート・ゼメキスDVD副音声でこう言ってる。

IQが低い男の映画なんて作る気はまったく起きなかった」

監督が求めたのは、自分意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢キャラクターだった。90年代映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。

じゃあさ、「フォレスト・ガンプ時代現実知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年1990年アメリカ知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。

1950年

劇中、フォレスト・ガンプ少年IQの低さから公立小学校への入学拒否されかけたのだが、ママ校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。

愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。

1965年ウィローブロック州立学校という知的障害児の施設リークされた。

潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間生活する環境とはとても思えない状況だった。

このニュースアメリカ全土に衝撃を与え

とにもかくにも、この時代知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間尊厳はない。

1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。

ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法勉強させません」なんて言い返している。

個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。

というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。

それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者コメントを求む。

■1960~1979年

ガンプがベトナム戦争英雄になった1960年代

血の日曜日事件アラバマ州舞台でありながら公民権運動スルーしたことで、白人礼賛の保守映画認定されがちな本作であるが、1960年代黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。

1963年には脱施設化の転機である精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、

1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設収容されるべきではないという判決が出された。

公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカ障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)

設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。

個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクスカウトされてないほうが疑問なわけだ。

■1980~1990年

アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。

ガンプは走りたいから走っていたが、現実知的障害者たちはそういうわけにはいかない。

結局デモなりなんなりで、「地域暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民了解を得るしかない。

というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別禁止する公民権法だ。ダン中尉政府おっぱい限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府障害者の権利を認めたのだ。

実はこの法律ハリウッドにも大きな影響を与えている。

「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。

90年代ハリウッドでは障害肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。

革命なのは2000年代ファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。

さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害肯定的に捉える映画企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。

だって俺、興味ねーし」っていう。

結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。

まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。

知的障害者だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。

今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活エンジョイしてる知的障害者もいる。

日本の話だけど、この前バリバラ地域子育てしてる知的障害者夫婦が出てたぜ。ハロー1950年代、これが2019年だ。

から、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。

俺にだって自由希望を持つ権利があるし、

俺にだって、周りから尊重されていいはずだし、

俺にだって、平均的な経済水準を保証されていいし、

俺にだって普通地域普通の家に住んでいいんだ。

当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。

2018-01-03

ある朝、いや、夜でもいい。目が覚めたら、そこが30年後の世界だったらどうする?目覚める前とは全く違う場所、思うように動かない手足、鏡に映る自分の姿は30歳分年老いているとしたら?そんなこと、現実には起きそうもないから、真面目に考えるのは難しいよね。

でも、これは実際にあった話。ある病気で30年間、事実上眠り続けていた男が、優しくて熱心な医師治療で30年ぶりに目を覚ますその男は30年間の空白を埋めるように、本を読み、音楽を聞き、人と会話をし、恋をするんです。生きるって最高だなって思いながら、でも、病気が完全に治ったかどうかわからないし、投薬も続けているか病院からは出られない。病院から出たい、普通に生きたい。でも症状が安定しなくて、強い痙攣が止まらなかったりする。何もかも思い通りに行かない状況でどう行動するか、周りの人は何をしてあげられるか。レナードの朝っていうのはそういう映画

映画のど終盤で、その男は、強い痙攣と戦いながら、好きな人ランチをするんです。痙攣を止められない、醜い自分好きな人に見せながら、その男が何を言って、その女がどうするか。どうすると思う?たぶん、想像してることと全然違うことになるんだよ。そこで、泣いちゃうんだよね。そのシーンを見るためだけに、2時間があったと言ってもいいくらい、印象的なシーンなんです。

レナードの朝を誰かに勧めるとしたらこんな感じになるかもしれない。ネタバレしすぎな気はするし、こんなに長々話して、見てみたいと思ってもらえるか疑問。人に何かを勧めるって難しい。アカデミー賞作品賞ノミネートされた映画です、みたいな権威付けしたくないし。難しい。

2014-05-02

人の不幸を見て幸せを噛み締めること

わたしが小さい頃、母はわたしをこうやって諭したり慰めたりした。

「世の中にはこんなに不幸な人がいるんだよ。それに比べてあなたは恵まれてるのよ。」

テレビアフリカの貧しい人が映った時、湾岸戦争の時、駅の柱の下にうずくまっていたホームレス…。

わたしの家は貧しかった。父はわたしが生まれた直後に亡くなり、母はわたしを女手ひとつで育ててくれた。そのことは、本当に感謝している。何の技能も持っていない女が、社会に出てお金を稼ぐことの難しさを、わたし自身も社会人になってから身に染みて実感することができた。何度も心がくじけそうになったのだろう、そしてその度に母は上の言葉自分にも言い聞かせていたのだろう。今ではそれがわかる。そうやって自分を奮い立たせ、わたしを育ててくれたのだ。

でも、当時のわたしはその言葉を聞きたくなかった。辛く悲しい気分になったからだ。自分より下の人間を見て、自分幸福を噛み締める。では、もしわたしよりも恵まれている子(クラスの大抵の子はそうだった)が、わたしを見て同じことを思っていたら?

わたしに向けられた強烈な蔑みの目に、その架空の目に幼いわたしは怯えざるを得なかった。

レナードの朝」という映画がある。原題は「Awakenings」といい、嗜眠性脳炎という不治の病を扱った実話にもとづく映画だ。数十年間昏睡状態にあり、石のように固まってしまった嗜眠性脳炎患者たちに、新薬のL-ドーパを与えたところ一時的意識を取りもどすが、次第に薬に対する耐性ができてしまい、また昏睡状態にもどってしまう。L-ドーパによって数十年ぶりに朝を迎える患者たちの”目覚め”と、この平凡で退屈な世界に対して驚き感動する患者たちが、周りの人達に与えた”目覚め”、この二つの”目覚め”が原題の複数形たるゆえんだ。

わたしはこの映画のものはとても好きなのだが、ふたつ目の”目覚め”が言わんとするメッセージに、どうしても違和感を覚えてしまう。自分より不幸な人を見て気づか”された”幸せは、本当の幸せと言えるのか?もし幸せという状態があるとするならば、それは相対的ものではなく、絶対的ものでなくてはいけないはずだ。

2年前に早くして亡くなった母へ。

あなた人生が、他の誰にも邪魔されることなく、幸せものであったのなら嬉しい。だってわたしは、あなたの娘であるというだけで幸せなのだから

2013-06-18

ネットみのもんたの一番悪いところは相談者が藁人形なとこだよな

俺の観測ではいわゆる「モテない奴」の大部分は「破れ鍋に綴じ蓋」という言葉を忘れている。

ここまではまあいいよ。

ぼんやりした一般論としてそう変なことは言ってない。

個人的に賛成しなくもない。

というか、自分が「破れ鍋」であることを認めようとしない。

特にこの傾向はヲタに強いように見える。

そんな自信満々なオタクってレアもんだと思うんですが。

リアルで観測してもネットでも観測しても。

オタク自己評価テンプレと言えば顔は「※」、性格真面目系クズ、って感じだよね。

2chでも双葉でもそれ以外のオタクコミュニティでも。

で、「モテたい」とか「男になりたい」とか言ってる奴に素直に聞く。

いや、どこにそんなオタクが居るのよ。

少なくともオタクマジョリティではないよね。

モテたい」みたいな価値観に身を投じるのってやっぱりリア充志向の人だと思うけど。

そういうのに過剰に必死になってるのがキョロ充

オタクって言うのは良くも悪くもそういうとこからちょっと離れちゃってるわけで。


ていうか「男になりたい」ってなによ。

そんなこと言う奴オタクじゃなくてもなかなか居なくね?

キモオタとは別の方向に超気持ち悪い。

ほんのり加齢臭もする。


あと無意味なとこで「素直に」とか書くの

TM2501とかいう頭悪い無職に似てる。

結局おまえら、どうなりたいの?

楽しくお付き合いする相手が一人欲しいだけじゃないの? それともアニメみたいにチヤホヤされたいの?

わかんねーのかよ!

いい機会なのでここで語らせてもらうが、俺の観測では

とか言って偉そうに出てきといて

非実在オタクの話をタラタラ語った挙句

結論は自分でもわかんなくなってる

ってなんじゃそら。

オタクモテたがってる」

オタクは男になりたがってる」

オタク高望み」

オタクアニメみたいにチヤホヤされたがってる」

オタク叩きとしても相当周回遅れだよなこれ。

今はむしろ

オタクは卑屈」

オタク美少女になりたがってる」

「要は勇気がないんでしょ」

オタクは他人に興味を持ってない」

みたいな方向で叩くんだよ。

(っていうかこれも既に古くなってきたよな)


一体どれだけピンボケな目と頭を持ってたら今時こんなトンチンカンみのもんたが出来るのか。

10年ぐらいレナードの朝してたおっさんかなにか?

 
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