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はてなキーワード: ヤンゴンとは

2021-03-01

僕の名前ヤンゴン

僕の名前は○○○○

二人合わせてミャンマー

君と僕とでミャンマー

二行目の歌詞が思い出せないんだが誰か教えてくれないか

2021-02-21

ミャンマーの思い出

最近メディアミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部クーデター情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマー旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。

2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まりメジャー東南アジア観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAヤンゴン新規就航した。クレジットカードポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。

ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマー情報書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマー知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場ミャンマー人街を訪れ、増上寺ミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市ヤンゴン古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。

初めに訪れたのはパガン。初日ヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーふいにまり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。

ミャンマー古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマー流れる大河エーヤワディー川観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川ほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客ほとんどが欧米観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系韓国系旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラシャッターを切りまくった。だが航行時間10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。

10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレー市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かいマンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。

ミャンマー滞在最終日。最大都市ヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去イギリス統治時代建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線ヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期名古屋期間工をしていたらしかった。

駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマー情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナ収束しても、軍部主導の政治体制外国人が自由ミャンマー旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである

2017-02-28

一神教は異教徒侵略するが多神教は慈悲深く寛容で宗教戦争は起こらない」www

 反ムスリム運動の中心となったのが、僧侶のウィラトゥー師である

 彼は「仏教徒テロリスト」として、米国ニュース雑誌タイム」の表紙を飾った。急進派の仏教僧侶たちは「仏陀の九徳、法の六徳、僧伽の九徳」にちなんだ「九六九運動」と呼ぶ反ムスリム運動を展開。「ムスリムは妻を四人娶って子どもをどんどん産み、ミャンマーイスラム教で呑み込もうとしている」「無知仏教徒女性を騙して結婚し、無理矢理イスラム教改宗させ、仏教徒女性としての権利を奪っている」と説法を繰り返した。

 仏教徒ロヒンギャに対する偏見根深い。軍事政権弾圧された民主活動家人権派を自認するジャーナリストの口からも「ロヒンギャ不法移民」という言葉が当たり前のように飛び出すほどだ。

 筆者が昨年7月最大都市ヤンゴンで面会したリベラル派の僧侶に「慈悲と寛容を大事にする仏教の国だからこそ、ロヒンギャを受け入れたらどうですか」と促すと、彼は「ミャンマーには135の民族暮らしていますが、経済移民である彼らをその一つに加えることは絶対に認められません」と気色ばみ、「いわゆる『ロヒンギャ問題』は軍事政権違法行為が原因で起きたのです。軍事政権時代、ヤカイン州の入国管理担当者賄賂を受け取り、バングラデシュ人を違法越境させていたのです」と持論を展開した。

強姦、略奪、そして暗殺…ミャンマーでいま、何が起こっているのか(藤川 大樹) | 現代ビジネス | 講談社(2/3)

2015-12-01

先週現地の人に聞いた、今回のミャンマー選挙の見かたが180度変わった

昨日まで1週間ほどミャンマー旅行に行っていました。

その際、アンチ・アウン=サン=スーチーさんなミャンマーの方とたまたま1時間ほど話す事ができました。運よく連絡先もゲット。

勉強不足だということが主な原因ですが

いままでニュースで聞いた話しとはガラッと異なる内容で興味深かったので下記、まとめてみました。

長いですが、よければお付き合いください。

また、事実かどうかは不明ですが、ひとつひとつ調べていると遅くなるので、とりあえずは記載

事実と異なる場合は随時加筆したいと思います。聞いた話を書いているので「~とのことです」が多いのはご勘弁ください。

なお、投稿者コメントは#を文頭つけます。

2011年以降のミャンマーでは民主化への大規模な転換を行っていた。

2011年ミャンマーでは市民に対して友好的な派閥軍部政権を取った後、

政府の主導で緩やかに民主化の道をたどってきているので

今回の選挙もそれほど大さわぎするほどの話しではない、また、同じ理由国内の混乱は少ないとのことでした。

今では思想弾圧も無く、携帯電話や車の購入も解禁され、ワイロでの不法移民入国は鳴りを潜め、

ダム建設など国家事業の是非も国民意見を取り入れる良い政府になったそうです。

当初から2020年までの大規模な民主化計画が練られているとのことでした。

#確かに、特にヤンゴン市内では乗用車比較的新しいものが多く走っており、ラッシュ時にはひどい渋滞になっていた。バストラックボロボロのものが多かった。

#また、観光地バガンでは貧困層と思われる観光用の馬車の御者ですら携帯電話で連絡を取り合っていた。

アウン=サン=スーチーさんにはけっこうでかい影があった。

その方の話しでは、アウン=サン=スーチーさんの元カレイスラム教彼女思想的に親イスラムなので、

バングラデシュから移民ロヒンギャ族市民権を与えるのではないか、とのことでした。

やはり今回の選挙ロヒンギャ票も彼女に集まったそうです。

なので、今回の選挙の結果は生粋ミャンマー人としては本来ならあまり歓迎できる話しではないそうです。

それを知っている人は少ないそうですが。

また、彼女の父はイギリスから独立するために戦ったのに、彼女自身イギリス人結婚した事にも、不信感を持っているそうです。

ロヒンギャ族ミャンマーへの流入と、今回の選挙結果で、ミャンマーピンチになる気がする。

ロヒンギャ族は、バングラデシュから2011年より前の腐敗した軍へのワイロでミャンマーに流入し、

現在西部ラカイン州で、人口の80%を占めるまでになったそうです。

これに付随して、結婚などで地元住民が無理やりイスラム教改宗される問題も発生していまい、

熱心な仏教徒の多いミャンマーでは、大きな問題となっています

また、元々130以上の少数民族がいるミャンマーでは、それぞれの民族独立自治を目指しており

そこにロヒンギャ族問題が加わったため、状態さら悪化の一途をたどっているとの事でした。

ソビエトロシアに変わった途端にバルト三国などが独立し、国土が狭くなった事を例にして、ミャンマーでも今後同じ事が起こると話しています

しかも、ミャンマー小国で、アウン=サン=スーチーさんは親欧米派のため、

これまで以上に中国からの風当たりが強くなるのではないか、とのことです。

いままでの軍事政権中国と仲が良かったため、この危機を防いでいました。

お話をしてくれた方がアウン=サン=スーチーさんに投票した人たちになぜ投票したのか聞くと

彼女ミャンマーを変える!」という答えが返ってくるそうです。

しかし「どう変えると思うの?」と聞いても

「分からない。でも彼女は変える!」としか答えられない、と嘆いていました。

#観光地では平日路上仕事をしている子供も多く、国内教育の水準が低いことが一因かもしれません。


以上です。お話を聞いて、とても興奮し、より多くの方とこの知識と共有せねばと思い、こちらに投稿いたしました。

ちなみにこの方、軍の方でもなく、市井一般的商売をしているミャンマー人の方です。英語で会話しました。

私のつたない英語で聞いた話しなので、上記が誤っている場合は、私の英語力の無さが主な原因な気もします。。

現在ミャンマー政治は腐敗している、アウン=サン=スーチーさんがそれを変える、となぜか確信していた自分を恥ずかしく思います

ちなみに観光地としてのミャンマーは実感としては、高速道路が無く、舗装された道が少なく、電気・ガスがあまり通っていないため不便ですが

ものを落としても追いかけて渡してくれるくらい安全敬虔仏教徒が多いためか穏やかな気質の方が多く、西洋人観光客でごった返している、という感じでした。

30年くらい前は日本人だらけだったそうです。。「ビルマの竪琴」の影響か?

なお、はてなダイアリーには今回初めて投稿しました。調べながら頑張って書いてみましたが、見づらい、間違っている点などありましたら申し訳ありません。お知らせください。


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2015/12/2 7:30ごろ追記

コメントたくさん来てた。トラックバックも。ありがとうございます。じっくり読ませていただきました。QAすごい。。。

厳しいご意見が多いので反省ばかりです。皆様のおっしゃるとおり、今までそこまで関心はなく、ニュースも触りだけ読んできました。

1. 匿名ダイアリー間違ってましたか。ふらふら来て書いてみたのですが、ちょっと浅はかでした。匿名ダイアリー内の空気読めてなくて、すみません

ふつうはてなダイアリーが正しいのかしら。もし、そちらが正しいようでしたら、そちらに転載いたします。自分で調べろカスって言われそうですが。

2. セルビア、ご指摘ありがとうございます。これは完全な記憶違いでした、申し訳ありません。上記、バルト三国、と記載を改めました。

3. 360度変わった方々:煽りっぽいタイトルで期待させてすみませんタイトルを「変わる」ではなく「変わった」にしました。

   ちなみに、日本国内では360度変わる感じで報道されていることが多い印象ですか?

   NHK特集リンク、読みました。そういう報道もあるにはあるが、こちらの立場なのは、少数派のような気はします。

 
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