はてなキーワード: マヤカシとは
全くその通りだ。
「大人らしい大人なんてオイルが流れるロボットだ!自由な心を持った大人になろうぜ!」というマヤカシを信じて、ちょいワルを気取ったダセー大人になったまま帰ってこれない人が大勢いる。
運の悪いことに下にはさとり世代がいるのでそれと比較してしまうと「え?あの年齢であの言動って人間として終わってない?」となりがちだ。
本当にキツい。
時代に合わせて「求められる大人のレベル」を調整できる余力を残した人達は今どき基準でパワハラを回避して動けている。
でもそうじゃない人、不器用なくせにカッコつけようとしてレールから飛び降り、そのままガキクセー大人になって帰ってこれなくなった人達は本当に悲惨だ。
部活の先輩みたいなノリで先輩風を吹かし、昭和~平成初期の部活の中ぐらいでしか許されないようなハラスメントをガンガンしつつ、たまにジュースを奢っておけば下からは尊敬の眼差しで見てもらえると思っている。
実際はそんなことはまったくない。
繰り返したハラスメントは恨みノートに蓄積し、限界を超えたタイミングで慰謝料へと変換されていくし、自分が得ていると思っている尊敬は薄っぺらい愛想笑いを本物と信じたい心の弱さが見せる幻だ。
完全に終わってしまっている。
老人であれば「頭がボケて来たようで」とまだ幾分生暖かい目を向けてもらえるが、これでアラフォーアラフィフぐらいだと「まだまだ脳みそは健康だろうから単純に性格が悪いんだな」で切り捨てられる。
不憫すぎるよ。
人間力に生まれつき乏しい人達が、それに見合った生き方を選ぶべき所を時代に流されてしまったんだ。
遊び人とつきあった真面目くんが人生を持ち崩す様を、10年単位の長い長い時間をかけて行ってしまったようなものだ。
ゆるゆると長い時間をかけて下ってきた蟻地獄の深さがエグすぎて、もう今の人生脱出するのは困難な所まで来ている。
彼らには翼がない。
だから落ちたら終わりなのに。
可哀想に。
よっぽど力のある人間だったら引き上げられるのだろうけど、多くの人間は自分1人が歩むので手一杯だから上からそれを見ていることしか出来ない。
「幼い相手とエッチするほどエロい」と「胸が大きいほどエロい」の2つが融合した結果というか、帰納法によって作られた法則を演繹法的に伸ばしていった果てにある計算づくのエロというか。
学習によって作り出された条件反射の回路に対して最も効果的に力を加えることに特化したパブロフの犬型の不自然な性癖というか。
多くの性癖が元々埋まっていたものが掘り起こされるのに対して「ロリ巨乳」というのは後付けで作られた極めて人工的な嗜好というか。
一見すると「より健康的な卵子を求める本能」と「より育児に適した伴侶を求める本能」の両立を図った当然成立しうる本能に見えるのはマヤカシというか。
それら単体では健全な交尾相手を求めているのに対して組み合わさると成長と性徴の不一致が起きている歪な個体を求めることになる矛盾というか。
「個人は憲法に縛られない。はい論破」なんて話をしてるんじゃない。
俺は「ゆたぼんの親を今すぐ裁け。でなければ俺の税金をただにしろ。ついでに労働も放棄するから黙って生活保護を寄越せ」と言うつもりだが、それを憲法に直接求めてなぞいない。
憲法を実現する役割を持った国家そのものが違憲のままで平然としていることに対して、「あの世で昭和天皇が泣いているぞ。愚かな政治家がまた日本を滅茶苦茶にしている、と。」って言っているんだ。
子供の意思に由来した不登校なら仕方ないと思うが、親の洗脳による不登校は許されないものだ。
罰せよ。
罰せよ。
納税せぬものを罰するときの勢いを持って教育につばを吐くものを罰せよ。
それが出来ぬなら俺に対して、勤労不可能の証明を必要としない生活保護をいますぐ寄越せ。
俺はこれを「ゆたぼんの親」に対してだけ言ってるわけじゃねえぞ。
それを放置することを平然と決め込んでいるこの国そのものに言ってるんだ。
マクロ経済学無視した結果が今の衰退でしょう。資金循環で他にまともな理論があるの?
リスクを取れ?
だから、共産主義というマヤカシに対してケインズが「資本主義社会でもやり方でうまくいく」可能性にかけたのがマクロ経済学じゃん。当時の連中ですら共産主義が持続不可能なのを、イギリスにいた連中はスペイン・ポルトガルの価格革命を通じて知ってるのだよ。もし仮に共産主義がメリットがあったら、イギリスが選挙で採用して共産国になってたっぺ。連中は共産主義に欠陥があるのを、空想的社会主義たちが馬鹿なことをして、無理なのに気がついてたのだよ。
金が無いやつは絶望的に弱いよ。そして金が無いゆえに食い物にされてうまくいない。一方で、こういう物ができると口先だけの詐欺師もうごめく。
だから、自前で通貨を発行するメリットがあるのじゃん?ギリシャはユーロでなければ、通貨を安くして国際競争力を高められたのに、通貨発行権がないから詰んだじゃん。
いや、詐欺師ももともと本当に何かを作ろうとしていたが口先だけで金を得られる美味しさを知ったのか、それともいろんな関係者に縛られて引くに引けなくなったゾンビか。
「ヤクザ」ってやつだろ?
まあ、基礎研究投資を復活させるしかないわ。コレ自体短期的に「本来だったら圧倒的な差のつく個人間の能力の差」があるものがあるって幻想でぼろぼろになってしまったものだからな。
理系の学問は世界中で使えるから、逆に先進国民にとってはコスパ下がりますやん。アホらし。それだったら、才能ある連中に抜けてもらった方が Win-Winでは?まさかだけど「アメリカ人と中国人では知能指数が近いから、給料も一緒で良いよね?」なんて言うなよ。アメリカが金持ちなのはジャック・マーみたいなのを否定しないからじゃん。
俺は生まれてこの方ずっとキモいが、中学で女比率の高い部活に所属していたときは若干モテた
自意識過剰ってことは多分ない 「先輩ちょっとモテてますよ」と言われたり、ラブレターまがいのものを受け取ったりした
全然嬉しくなかった なんなんや、やめてくれや、キショいねん と思っていた記憶がある
・部内の数少ない男に惚れるのは気の迷いだろという思い
・内面を知らんし、知ってもそんなに仲良くなれない予感がする人間と付き合うもなにもないという思い
・なんかいろいろめんどくさそう
一切まったく嬉しくなかったわけではないが、総合するとイヤさのほうが多かったのは事実
当時俺に好意を寄せてくれていた(?)人たちは個人的に全然タイプじゃなかったが、タイプの人にモテていても結果は変わらなかっただろうと思う
そんなに興味ない人から好意を寄せられるのってわりとイヤなんだよな
俺は大半の女の非モテ語りが嫌いだ
喪女、モテない、非モテ、恋愛弱者なんて言葉を使いつつ、サラッと「元恋人」だの「告白された」だのの要素が出てくるからだ
俺だって喪男を名乗りたいが、中学時代にマヤカシみたいなものとはいえ一瞬モテてしまったのでその自称は封印しているんだ
嬉しい・嬉しくないに関係なく、少しでもモテたことがあったら非モテを名乗ってはいけないだろ
……と思いつつ、好きじゃない人間にモテたのをノーカンにしたい気持ちもわかるんだよなあ!
全然嬉しくねえもんな
というか、好意を寄せられて嬉しい人間なんてかなり限られてるよなあ
例えば何かしらの費用を削ったとする。
そうでなくまあ貯めに貯めても面白い。
でもね、それは単なる遊びなんですよ。
金は天下の回りものって言うじゃない?
そうでなく、削って貯めるとか逆効果。
金ってのはね?
ガーッって使って、ガーッって手に入れるから価値が有るんですよ!!
え!?使う方がパチンコじゃないかって?いやいや何を寝ボケてるんですか。
使わねー金ってのは単なる紙屑や金屑の数値であって、それには何の価値もない。
つまり、どんな金でも使わなければパチンコ玉と変わらんのです。交換しなきゃ無価値。
わかりません?パチンコ玉も金も本質的に変わらんのです。交換する時にしか価値がない。
つまり、節約とは無駄に何かを我慢することでパチンコ玉を手に入れてるだけに過ぎんのです。
……つまり、本当に価値があるのは数じゃなくて、それで手に入る感動とか食事とか物品そのもの。
そして経済ってモノの正体は金じゃないんですよ。その、手に入る感動や食事や物品こそが経済なんです。
そう。節約ってのは「手に入る感動や食事や物品を失う事」で、言うなれば経済そのものを失う事なんですね。
じゃあ政府のやってる事は何なの?って言えば、その経済を削ることで別の何かに充ててるに過ぎんのですよ。
なんでも使う事に意義がある。
経済を削って金を手に入れる、金を使って金を手に入れる。
貯金が役に立つのは、その貯金分で下がった金の価値を、誰かが補填してるから。
貯金するんなら貯金をした分だけ人の役に立たないと、その貨幣全体が少しずつゴミになる。
頭の悪い人間が何をどう努力しようとしても、頭のいい人間に搾取される構造からは抜け出せない。
頭の悪い人間でも社会に貢献できますよ、という理由付けに使われる「比較優位」とかいうアホな概念も、結局、比較優位という概念を考えついた頭のいい人間が、頭の悪い人間の自尊心を傷つけないよう納得させて仕事させるために作り出したマヤカシだ。
比較優位だろうがなんだろうが、結局、頭が悪い人間が生産性の低い仕事を一手に引き受けて仕事しないといけないことには変わりはないじゃないか!それに、最初から、国民皆が頭のいい人間として生まれてくれば、生産性の低い仕事は全部国外にさせられる。
頭が悪い人間は、生まれてきた瞬間その瞬間から、頭のいい人間に搾取されているのだ。何をどう頑張ろうと搾取されているのだ。
やりがいとか恋愛とかワークライフバランスとか、それ、全部、頭のいい人間が、頭の悪い我々をなだめすかして、生産性の低い仕事に従事させて搾取するために生み出した産物なのだ。
この世界は、生まれた瞬間の「頭の良さ」で全てが決まるんだ。その「頭の良さ」が知能指数でうまく測れているかどうかは知らないが、そんなものは測定のやり方が間違っているだけだ。
頭の悪い人間が頭のいい人間の搾取から逃れる最も有効な方法は、生まれてこないことだ。我々、頭の悪い人間が子供さえ作らなければ、人口が減って、頭の良い人間は生産性の低い仕事に従事せざるを得なくなる。
頭の良い人間も、我々と同じレベルの仕事に就かせ、頭の良い人間の搾取から解放される。
もちろん、人には寿命があるから、頭の良い人間の搾取から開放されるのは1代限りだ。次の世代はどうするかって?我々、頭が悪い人間の子供が、次の世代に必要だろうか?
我々、頭悪い側の人間が子作りを避ければ、相対的に、頭の良い人間の比率を高めるのだから、長期的には、国の知能を向上させ、国のためにもなる。知能の6割は遺伝だ。努力ではない。
つまり、今の世代の頭が悪い人間、つまり我々が子作りを避ければ、頭のいい人間の搾取から我々は解放されるし、次のこの国の子供は知能も向上して、一石二鳥なのだ!
以上の理由により、頭が悪いという自覚がある人間が、結婚せずに子供を持たないのは、立派な社会貢献だし、この国の未来につながる賞賛されるべき善行なのだ!
どうだ!何か間違っているか!
具体的に、土日にどんな遊び方をしてるか聞かないと分からないんだけれど、
平日の通常子育てに差し障りがあることは、やめてほしい、というのがあった。
子どもと遊んで、お金も使って、いい顔をして、それで偉そうな顔をするのはどうなの、と。
時間の余裕があったら、片付けや料理や家事を優先してくれた方が嬉しい、ということでありました。
自分は在宅の仕事なので、おそらく、増田よりずっと子どもに時間使ってるんだが、
子育ては男女平等、というのは、あれはマヤカシに過ぎないから。男にとっても女にとっても。
実際増田のところもそうだろう。平日午後の幼稚園のお迎えなんて、50人中、男は俺しかいない。
一人目の子育ては保育園使ったが、保育園でも、父親なんてまあ、オマケですよ、オマケ。
結局母親が司令塔とか監督なんだから。俺は母親的なこと何でもやってるけど、
たかが百年かそこらの薄っぺらい男女平等概念で、母性なめちゃいかんぜよ、と思う。
監督には監督の仕事をまかせて、こちらは選手としてがんばればいいじゃない。
上手に、気分良く分担するのが、吉だと思うよ。
奥さんの求めてること聞いて、十のうち七か八は受け入れて、
どうしても自分がやりたいところだけ、丁寧に説明して「監督」に聞いてもらえばいいじゃない。
そいういう「選手」はたくさんいると思うよ。
「彼女いたことはあるんだよね?」
「はい。」
「恋愛に興味が無いとか言ってたけど、実際どうなの?」
「なにがですか?」
「だから、興味ないとか言いつつ恋愛してるじゃん?」
「はい。」
「それってどうなの?」
「どう、と申されましても。」
「嘘なの?」
「嘘ではありません。」
「じゃあなんで付き合ったの?前も聞いたかもしれないけど」
「そうですね。成り行きで、とでも言いましょうか。前も言ったかも知れませんが。」
「…まあいいや、成り行きで付き合った。確かどっちも告白とかしてないんだよね?」
「はい。」
「そうですね。」
「それは、いいです。」
「え?なんで?楽しかったんでしょ?」
「そう、ですね。」
「どういうこと?はっきり言ってよ」
「細かいことになってしまいますし、言い訳じみたことを言わないといけませんから。」
「はい。正直なところ、あまり覚えていません。すぐ最近の話ではないので忘れていることもありますし、特に、当時の心境などというのは、『今思い返せば楽しかった』というのと、『当時楽しんでいた』こととはまた違いますから。今思えば楽しかったんだろうな、とは思いますが、当時自分がどう思っていたかは思い出せません。」
「好きだったの?相手のこと」
「はい。当時は。」
「今は?」
「好きじゃないってこと?」
「そうですね。」
「なんとも思ってない?」
「なんとも、というわけではありません。今は友人です。」
「友達になったの?」
「そうです。一度付き合った人なので、他の友人とは少し違いますが、親しい友人です。」
「へえー…なんか変だね、それって、今まで付き合った人全員?」
「全員というわけではありません。中には連絡が取れない人もいますので。」
「だよね、全員だったら気持ち悪いよ」
「そうですか?」
「だって、また好きになったりしないの?」
「しません。」
「なんで?当時を思い出したりしないの?」
「思い出すこともあります。かといって、また付き合いたいなどとは思いません。」
「でも、当時楽しかったんでしょ?」
「はい。」
「もしかして、遠慮してる?」
「はい?」
「本当に楽しかったの?今も友達だから遠慮してるんじゃないの?いい人だし、彼女だったんだから、本当は付き合って楽しくなかったけど、楽しかったって思わなければ相手に失礼だとか思ってない?」
「思ってないです。」
「じゃあ、おかしくない?なんで楽しかったのにまた付き合いたいと思わないの?しかも今も親しいんでしょ?前は好きだったんでしょ?ちょっとぐらいそう思わない?」
「当時、楽しかったのは遠慮でもない事実です。そして、また付き合いたいなどと思わないのも事実です。」
「うーん…なんでもう付き合いたくないの?」
「え?」
「だって、前好きだったんでしょ?なんでもう付き合いたくないの?」
「え、別れたらもう好きにならないの?」
「私は、なれません。」
「なんで?」
「なんでと申されましても、じゃあ何故別れたんですか?もう無理だったから別れたんですよ?それなのに、また好きになるとか、おかしくないですか?」
「おかしくない。また好きになることもあるよ」
「…そうですか。私はありません。また好きになるぐらいだったら、別れたりしません。」
「壮絶だったの?」
「なにがですか?」
「…えっと、じゃあ別れたら絶対好きにならないの?」
「ならないと思います。」
「そこまで割り切れるの?」
「割り切るというわけではなくて、私にとっては好きになったり付き合ったりというのが、ものすごく不自然なことなのです。よくあること、ではなく、普通に生活をしていたらまず無いことなのです。それは、私の日常生活および、人生の中で、人を好きになること、恋愛をすること、というのが、初めから含まれていないから、とでも言いましょうか。
つまり、前にお話ししたように、元々関心の無いことなので、非日常なのです。異常事態なのです。ですから、一度その異常事態に突入して、別れたという形で失敗したにもかかわらず、もう一度その異常事態に突入しようと思いますか?失敗の原因が解決できているなら、それもあるかもしれません。しかし私には何が失敗だったのかもわかりませんし、もう、そういう原動力は起こりえないのです。」
「はい。ハードルなんて生易しいものではありません。私にとって宇宙旅行のようなものです。」
「なにそれ、それは言いすぎでしょ、意味わかんない」
「それぐらい難しいということです。第一、私は恋愛したいなどとは思いませんから」
「でも楽しかった」
「どちらかと言えば、やはりいい経験だったと思います。でもまたしたいとは思いません。特に同じ相手とは無いでしょう。あなたにもそういうことあるでしょ?」
「恋愛ではなくて、いい経験だったけれど、二度とごめんだという事です。すごく厳しかった習い事とか、アルバイトとか、受験勉強とか、そういうのありますよね?」
「あー、そうだねー、就職活動とかかな?二度とやりたくないけど、自分を見つめなおす機会になったし、勉強にもなったかもしれない。就活中に友達になった人もいて、楽しいこともあったけど、やっぱり二度とやりたくない」
「それと同じよなものです。」
「え?、違うでしょ?だって就活は、できればやりたくないけどみんな仕方がなくやってるものだよ?基本的に楽しくもなんともないよ?みんな嫌々やってるし」
「そうですね。その点は違います。そこまで深刻ではありません。でも似ています。」
「恋愛と?」
「私にとっては。」
「何がそんなに嫌なの?」
「嫌、というわけではないんですが。単純に関心が無いだけで。」
「でも嫌だったんでしょ?」
「でももう二度としたくないんでしょ?」
「そういうわけではありません。恋愛については、したいもしたくないもありません。ただ同じ人と付き合うことはもう無いだろうってだけの話です。」
「なんで?」
「別れた、という結果を経ているからです。もう一度同じ事をしたとしても結果が見えているからです。それはあまりに不毛なことでしょう?そのために傷ついたりするのはごめんです。」
「傷つくの?」
「はい。だって、異常事態ですから、負荷や圧力は尋常ではありません。ましてや、一度別れるに至るまで冷め切った間柄なのですから、それを乗り越えてもう一度付き合うなどということは、私個人の心情としてはあり得ません。」
「じゃあ、あなたから見て、一度別れた人とまた付き合ったりしている人はどう思うの?」
「くっついたり離れたり、というやつですか?」
「そうそう」
「そうですね。私から見て、彼らの付き合うことに対するハードルは、私に比べると非常に低いものだと思われます。軽いという意味ではありません。彼らの中には恋愛というものが日常に組み込まれているのではないでしょうか。私にとって異常事態でも、彼らにとっては普通のことなのかもしれません。ですから、私のように恋愛に対して脅えることもなければ、血圧を上げることも無いのかもしれません。失敗も成功も、それも日常的なのかもしれません。私にとっては宇宙旅行ですが。」
「よくわからないけど、恋愛が好きか嫌いかってことね?好きだから簡単に付き合うけど、嫌いな人は付き合ったり別れたりするのも嫌ってことね。」
「じゃあ、好きになったりしないの?」
「そうですね。その好きというのがよくわかりませんから。」
「女の子に興味ないの?」
「語弊があるかもしれませんが、飽くまで本能的には反応します。理性的には、女だからというだけで特別興味を示すことはありません。」
「どういうこと?」
「ですから、これも前回の繰り返しになりますが、女性を性欲の対象としてみることは出来ます。その時以外は、ただ人間としてみるだけです。」
「惚れたりしないってこと?」
「うーん…簡単に言えば、興味持つってことじゃないの?」
「興味ですか。」
「うん」
「どっちも含めて。でも、普通付き合いたいと思う相手を最初っからただセックスの対象としてだけは見ないよね?」
「そう、でしょうね。」
「だから、人として興味を持つことと、惚れることって同じじゃないの?」
「なんで?」
「だって、ヘテロセクシャルの人間でも、同性にも興味は持つでしょう?」
「あ、そうだね。じゃあ相手のことをもっと知りたいって思うこと?」
「それも、同性にだって思うことはありますよね。」
「あるね。じゃあなんだろう、相手と一緒にいたいと思うことかな?」
「それだって、同性にも思うじゃないですか。家族にも思いますよね。それが惚れるとか付き合うとかと同じですか?」
「違う違う!、なんて言えばいいんだろう。」
「私が思うには、」
「なになに?」
「はい。私が思うには、これはとても単純なことで、本当は言うまでも無いと思いますが、」
「うん」
「恋愛というのは、やはり、根源的には人類が子孫を残す上で必要な、ボカシ、マヤカシに過ぎないんですね。神聖なものでも高等なものでもなく、とても純粋な、ただ子孫を残すためだけの、言い訳とでも言いましょうか。それが人間心理、知能の発達に比例して、他の動物よりやや複雑になったというだけなのでしょう。結婚という制度もその上で出来上がったのでしょう。
人間特有の芸術や文明といった、子孫繁栄に直接不要なもの、とは少し違いますが、同様に発展した、子孫繁栄という目的を完遂することだけに囚われなくなった、文化の一つだと思います。」
「例えば?」
「例えば、有名な話で、スキージャンプという競技がありますよね?」
「うん、冬季オリンピックってもう終わったの?」
「すみません、それは知りません。」
「まあいいや」
「はい。スキージャンプという競技、もともとは刑罰だったと耳にした事があります。」
「そうなの?刑罰って、鞭打ちとかと同じ?」
「そうです。スキーを履かせて高いところから飛ばせる刑です。」
「恐ろしいね」
「なんで?」
「なぜかは知りません。囚人が面白がって病みつきになったんじゃないですか?それはともかく、もともとの、刑罰という目的から外れて、スキージャンプは競技として、オリンピック種目になるほど発展しました。」
「そう考えるとすごいね」
「何が?」
「どこが?」
「子供を作る言い訳だったのが、子供を作るという本来の目的だけに囚われることがなくなり、その言い訳の部分だけ人類の叡智と長い年月を経て文化的に発展を遂げたことです。」
「急にわからなくなった」
「私にもよくわかりません。」
「何が言いたかったんだっけ?」
「うん、そうだね」
「ですから、私で言えば性欲が存在しますので、その点ではズレは生じておりません。」
「子孫繁栄だけで見ればそうだね」
「そうです。そして、恋愛とは、その子孫繁栄に付属する要素の発展系です。」
「なにそれ、どういう意味?」
「はい。私にとっては、スキージャンプは刑罰以外のなにものでもないのと同様に、私にとって、子孫繁栄にとりまくごまかしというのは、スキージャンプのオリンピック競技までの発展についていけませんでした。」
「わかりにく!」
「子孫繁栄だけに囚われなくなった、発展した概念として、そこに存在はするのはわかりますが、理解や関心の対象とならなかったということです。」
「…ううん」
「ですから、惚れるということがよくわかりません。」
「ごめん、やっぱりわからない」
「私も言っていてわかりません。」
「じゃあ、恋愛についてどう思った?」
「経験してみて、どう思うの?楽しいって言ったり、もうしたくないって言ったり、どうでもいいって言ったり、結局どう思ってるの?」
「ええと、ちょっとまってください、それぞれ言ってることを整理してもいいですか?」
「どーぞ」
「はい。まず、私はもともと関心がありません。」
「恋愛に?」
「恋愛に。」
「うん、それで?」
「はい。元々関心はありませんが、何度か付き合うことになりました。」
「うん」
「そうだね、今独りだもんね」
「はい。楽しかったから、といって、やはり興味をひくものではありませんでした。」
「え、ちょっとまって、」
「はい。」
「それはどういうこと?」
「はい。楽しいと感じたからといって、全てにおいて興味を持ちますか?そんなこと無いですよね?」
「うーん、どうだろう」
「例えば、私はスノーボードを2回だけやったことがあります。」
「2回?なにその2回って」
「なんかそういう機会があったのです」
「うん…そうなんだ。それで?」
「はい。それでですね、スノーボード2回だけやったんですが、楽しかったです。でもその2回しかやったことはありません。」
「それって最近の話?」
「2年前です。」
「もう行きたくないってこと?」
「そういうわけではありませんが、楽しいと感じたからといって、興味は持てなかったという意味です。」
「うーん、めんどくさいって事かな?」
「少し違います。心が動かないとでも言えばいいでしょうか。ただ楽しいだけなのです。」
「そんなに言うほど楽しくなかったってこと?」
「そうですね、熱狂するほどではなかったですけど、楽しくなかったわけではありません。」
「なるほどねー面白いって思っても、誘われないとやらないこととかあるしね」
「…同じなんだ」
「同じです。ですから、楽しいかったですけど、関心はありません。」
「それって、もてるって言いたいの?」
「なんかそれ、前も聞かれましたね。もてませんよ。」
「まあいいや、恋愛についてはどう思っているの?関心が無いにしても経験したんだから感想ぐらいあるでしょ?」
「そうそう、どうだった?」
「はい。一経験としては楽しかったですけど、恋愛そのものは非常に苦しいものだと感じました。」
「何が苦しいの?」
「システム?なにそれ?」
「システムってなんでしょうね、何て言えばいいのでしょうか、恋愛の仕組みとでも言いましょうか、過程、ですかね、わかりませんけど、それがとても辛かったです。」
「何がつらいの?」
「うわ、苦手そう…」
※前回、前にも、
運命と言うのは、実は頑張ったから何かが変わるようには出来ていない。
もともとが不公平なもの。
だから、不公平について言及するのはナンセンス。
不公平。
人間に食べられるために殺される牛も不公平。
生きていくというのは、その中で何をしていくか?ということ。
恋人がいて、sexして、子供が生まれて、その子供と家族のためにひーひー生きていくのが幸せか?
その幸せはDNAの中に組み込まれているマヤカシではないのか?
この混乱した現状の中で、死ぬまでに何が出来るか?
楽しかろうが辛かろうが生きていることだけがリアルであり、
己という乗り物にのって、どこへいくのか、辿り着くのか。
そういう世界を生きているのだ思う。
キャバクラでいつでも夢中になる人ですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20070110204819
何かおかしいなと思うのが、よほど親しい関係でないと年収や自分の卒業大学なんて吹聴しないですよね?
プロフィール欄を鵜呑みしているのであればそれはよほど世間知らずです。
年収1000万超えているが自己破産経験ありの人が出会い系で遊んでいました。
都合の悪い情報は本人からなんて絶対でてきやしないよね。
住まいが豪華だからなんていうのもマヤカシです。
もっと言ってしまえば名刺なんて他人のものでもいいよね。
あまり取引のない会社の部長の名刺を持って遊んでいるという可能性すらあるよね。
にしても、「愛してくれる男」っていう意味が「抱いてくれる男」って意味になっちまってないかね。
どうなんだろうね。言わぬが花かな。