はてなキーワード: ポケットピカチュウとは
私が求めていたものとは違いました。
睡眠のデータを集めはしますが、そこから先の分析が難しいですね。
レムとノンレムのリズム統計を取ってくれるので最低ラインには達していますが、スマートウォッチ連動と比べるとデータ自体が少ない。
スマホと枕の距離によって感度がかなり変わりやすく、近づけすぎるとやたらと暴れまくったグラフになるし遠ざかると全てが深い睡眠状態として扱われる。
エアコンやラップ音の影響も受けやすいですしスマホ録音型は睡眠アプリとしてはスマートウォッチ型に二回りほど落ちると感じます。
同じタイプのアプリと比較した場合でも睡眠前後の情報についてメモを取る機能もないので、なぜその日はその睡眠になったのかを後から振り返りにくいのでポケモンスリープは「睡眠改善アプリとしては中の下のレベル」と言わざるを得ません。
他のアプリのデータと比較してメチャクチャなグラフになってはいないので、完全にインチキなデータを出しているタイプでないのは幸いです。
「ねむりの約束」というスタンプカードがあって、毎日自分で決めた時間の前後30分に眠りにつくとスタンプが押して貰えるんですよ。
このスタンプカードの「自分で決めた時間」というのが、ずっと継続なんですね。
つまり、「2230~2330に眠ります」と自分で決めたらそれを守らないとスタンプは貰えない。
連続じゃなくて間が空いても良いですし、スタンプカードを作り直せば時間は再設定できるんですが、スタンプの効率を考えるとソレは悪手です。
つまり、「毎日同じ時間に寝る」が最適解としてゲームから提示されていることになります。
夜勤の日と日勤の日が高頻度に入れ替わる仕事をしている人間が決められた時間に毎日眠るのは難しいです。
それに対してゲーム側から「お前、毎日ちゃんと同じ時間に寝ろよ」と言われるのは結構ストレスですね。
別にプレイヤーの全てを肯定して欲しいとまでは言いませんが、自分の働き方を否定されるような機能があるゲームというのはUXが低くなります。
モサっとした動きです。
ボタンをタップする→2秒ぐらい読み込む→3秒ぐらいアニメーション→2秒後に再タップ可能みたいな感じ。
導線もやたらゴチャゴチャしており
と「睡眠スコアの確認とは全然関係ない要素」にやたらと時間や神経を使わされます。
「いい睡眠をすることでポケモンを育てやすくるという導線」は引かれてはいますが、その改善としてゲーム側から提供されているのがTIPS機能とねむりの約束ぐらいしかない。
他のアプリもこの辺に大きな差はないと言えばそうなのですが、なまじっかポケモン育成に時間が使われる割にはそこに睡眠改善の資となるものがほとんど見つからないというのはモヤモヤします。
「睡眠とポケモンが連動している」というアイディアは面白かったのですが、そこから進んで「ゲーミフィケーションを通じて睡眠を改善」には辿り着けていない感じです。
アレは「万歩計とポケモンを連動」という所で止まっており、それ以上でも以下でもありませんでした。
別にそれでいいと言われればそれまでですが。
ポケモンスリープは睡眠連動アプリの初歩としては悪くないと思います。
健康のために運動をすることの第一歩として万歩計を買う程度の立ち位置としては。
本当に健康になりたくて睡眠アプリを使うなら他のアプリを使用することをオススメしますが、別に併用ができないわけではないので複数使うのもいいでしょう。
実際に開発が想定しているのもそういった使い方なのかも知れません。
「ねむりの約束」はシフト勤務の人間が下手に使うと生活リズムがかえって乱されかねない危険性を感じますので付き合い方は慎重に。
フレンド機能はありますが、あまり他人と睡眠の質や傾向を比較しないほうが良いと思いますね。
睡眠の正解不正解は個人の体質によるものが大きいので、ポケモンスリープの睡眠スコアがそこをちゃんと加味しているのか疑問なのも不満点ではあります。
「明らかに悪い睡眠」が存在するのは間違いないのですが「100点の睡眠」を定義するのはどうなのかなと。
ましてそれがゲーミフィケーションと連動しているのは……うーん……睡眠アプリを全くつかないよりはマシなのですが、他に自分と相性のいいアプリが見つかった後は「使わない方がいいアプリ」なのかも知れません……。
先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティがクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。
私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20220818181739
»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
について掘り下げる。
どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。
1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう
2. クリスマスにポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングでポケットピカチュウをもらう
私の親は、ポケモンは暴力的なゲームで子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行りものと認識していた。
2022年に「ポケモンは暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるか分からないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。
子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。
ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか。
・友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。
・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。
・・・と思いついた。
おそらく、当時の親は周りの子どものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。
私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。
それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園の同級生」と「ママ友」という【地域】コミュニティに膨らむ。
子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。
『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃんは進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃんは結婚したって』
と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。
肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。
私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。
自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達のママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。
なので、公園の片隅で
「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」
「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子も男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかれちゃうわよ。」
なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。
あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。
私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。
周りの子と自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。
ピカチュウはちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。
当時ハローキティはキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年にデビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。
対してピカチュウは1996年に誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。
2022年にはピカチュウが誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。
あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。
ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?
サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。
本来であれば25日の朝のプレゼント開封でクライマックスを迎え、幸せなクリスマスになるはず。
ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。
「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、
「ああ、この子が主張していたものを勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。
人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。
3000円のポケットピカチュウはお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、
ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。
在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらスが在庫を持っていたと想像する。
私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。
26日の朝に「あれー!サンタさん今日もプレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦にお年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。
なんらかのタイミングでポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。
アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事を執筆することもない。
前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。
ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。
ポケットピカチュウで思い出した
小学生低学年の時にクリスマスシーズンに出たドラグーンビクトリー、ベイブレードが爆発的に流行った頃にめちゃくちゃ欲しかった
確か機体の中にマグネットが入っていて専用のスタジアムを使えば磁力で留まったり反発して予想外の動きをするらしい
コロコロコミックで主人公のタカオくんが使ってたバチクソにカッコイイ機体だ
クリスマス当日、ワクワクしながらサンタさんのプレゼントらしい手紙を開けると「ドラゴーンビクトリー引換券」と書いた紙が入っていた
泣いた、すごい泣いた、声が枯れるまで泣いたかもしれん
当時を思い返すと丁度引越しが重なっていて忙しかったんだろうなーと思う
綺麗な親父の字で書かれた引換券で俺はサンタさんがいないことを知った
正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。
万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。
たまごっちと万歩計とピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html
いまは東京のビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年は幼稚園に通っていた。たしか年中だった。
おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。
それまではミッキー、くまのプーさん、ハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。
当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシ・カスミ・タケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。
ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。
残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。
ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。
当時大流行していたたまごっちのスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。
価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。
流行らないはずがない。
スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。
「えーいいな。ずるい」
あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。
ーーーー私はまだ買ってもらえない。
ポケットピカチュウをスイミングスクールのバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。
ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html
ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。
スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。
私は母に相談した。
「ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」
「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)
「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」
想定通り蹴られた。
「サンタさんに頼んだらもらえるかもね」
手紙を書くために、一生懸命ひらがなとカタカナを書く練習をした。
クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。
「サンタさんにポケットピカチュウたのんだから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」
「たのしみだね」
「うん」
朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。
これで、やっとみんなと遊べる。
ポケットピカチュウが発売されたのが1998年の3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年の11月だからざっくり1年半は待っている。
5年ちょっとの人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。
はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。
出てきたのはーーーーーー
ピンクだった。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html
でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。
「ピカチュウ」といかいう、一過性のキャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか。
キャラクター同士が戦闘をするようなアニメ・ゲームは教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。
私は2000年に小学生になったので、幼稚園のメンバーとスイミングスクールにバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。
みんながポケットピカチュウで通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティでキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウとポケットハローキティでは通信はできない。
親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。
私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。
現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。
いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。
もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。
ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児期から私のダメなところだったのだろうか。
このお盆に実家を整理していたとき、たまたまポケットハローキティが出てきた。
親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事に遊んだおもちゃだと思って大切にしている。
ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
*****
追記:
1人目は、間違いなく今の私だ。
20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。
2人目は、当時の親(サンタさん)だ。
私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティの存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。
公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。
あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。
そういえば、我が家はポケモンのアニメはポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。
アニメもダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。
3人目は、当時の私だ。
包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。
親は自分の判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウがハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。
私は自分の気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。
これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。
初代から今の代まで本家ゲームのポケモンは一切プレイしたことはなかったが気が付いたら泣いていた。
増田は年代的には赤緑世代だったが、親から携帯ゲーム禁止令が出ていたので当時はプレイすることはできなかった。
プレイステーションは家にあったのだが、どうしてもポケモンがやってみたくて母親に強請ってみたところ、
「プレステでもポケモンができるようになったら買ってあげる」と言われたことを今でもよく覚えている。
(姉はちゃっかり祖父からGBとソフトを買ってもらっていたので揚々と遊んでいて今それなりにポケモンエンジョイ勢である)
幸いにもアニメや漫画には寛容な親だったのでアニポケや4コマ漫画劇場はビデオテープやページが擦り切れるまで見ており、例のポリゴンショック回を録画したテープは数年前まで家にあったはずだ。ポケモンカードも家庭の事情で一緒に遊ぶ友達はいなかったがそれなりに集めていたし、ゲームはできないが買ってもらった攻略本を読んだり、ポケットピカチュウを見つからないかドキドキしながら学校に持って行ったりした。
(今思えばGBはダメでなぜポケピカは買ってもらえたのだろう)
それだけポケモンが好きなら今からでも最新作を買って好きなだけプレイすればいいとは思う。
だけど大人になりこの手の育成要素があるゲームは不得手だと知ってしまった今ではどうしても二の足を踏んでしまっている。
もし子供の頃マサラタウンから旅立てていれば何か変わったのかもしれない。そんな考えがよぎる。実際はなにも変わらないのだけれど。
体調を崩して仕事ができなくなって、家でゲームするくらいしかできなくなったので、レッツゴーピカチュウを買った。ニンテンドーカタログチケットというやつで。(もう一本はベヨネッタ2を買った)
ピカチュウにしたのは、自分が子供の頃初めてプレイしたポケモンがピカチュウ版だったから。小学校低学年の頃、ある日突然、黄色と黒のゲームボーイポケットとソフトを、親が不意に買ってきた。それがピカチュウ版との出会いだった。あとモノクロのポケットピカチュウ(万歩計のやつ)もクリスマスプレゼントでもらった。
自分のポケモンの腕(?)と言ったら下手なもので、属性の組み合わせ(何が何に強いとか)がほとんど覚えられなかった。水と火や電気と水とかはイメージで理解できたけど、じめんといわの違いはわからなかったし、ひこう、ドラゴン、どくとかになるともうさっぱりわからなかった。その上個体値とか、戦闘中のデバフなんてわかろうもなかった。とりあえずニドキングのにどげりがめっちゃ強いんだと信じてひたすらレベリングしてた。だって2回攻撃できたし。
それは大人になってからも同じで、ポケモンGOも少しやったけど、フェアリーとかゴーストの属性や倒し方なんて攻略サイトを調べて初めて知ったくらいだった。
それくらい下手だったので、当然原作のピカチュウ版ですらチャンピオンロードをクリアできておらず、自分のセーブデータはむじんはつでんしょの中でサンダーが捕まえられないままになっているのだけど。そんなドのつく下手くそにとっても、ポケモンは確実に幼少期の思い出だった。
下手くそなりにも、イワヤマトンネルをさまよったり、シオンタウンの音が怖くて音消してプレイしたり、サイクリングロードの坂道に抗ってみたりした思い出はある。それからポケットピカチュウをこっそり学校につけて行ってピカチュウに嫌われないように毎日一緒につれあるいたり、好感度をあげようとおやつを貢いだりもしていた。
結果的に、レッツゴーピカチュウはそんな私の思い出にどストライクなゲームだった。いつか歩いた町をもう一度歩き回り、耳コピして弾いていた曲のアレンジに懐かしんだり。相棒技のソラワタリやミズバシリは、ピカチュウ版のOPで何度もみた光景だった。ついにあれが自分のピカチュウにもさせてあげられるんだと思うと嬉しかった。
それから、何よりも良かったのがコミュニケーションの点だ。ボールから出したポケモンに話しかけるとコミュニケーションが取れるのは、ピカチュウ版でできたことだ。あれがピカチュウ以外の仲間ともできるようになっていた。当時はピカチュウのことしか知ることができなかったけど、今作では皆とコミュニケーションできるようになった。お花をみて喜ぶナゾノクサが可愛かった。
相棒のピカチュウを撫でたりきのみを貢いだりして喜んでもらえるのは、ポケットピカチュウでやってきたことだ。レッツゴーでは、撫で続けるとくすぐられすぎた子供みたいに笑うピカチュウが本当に可愛くて、何度も何度も撫でてしまった。
そして、属性表をみたりレベリングを頑張ったりして、どうにか してんのうを倒すこともできた。カンナさんというセクシーなお姉さんがいるなんて知らなかった。
殿堂入り後のピカチュウとのやりとりでは号泣してしまった。そのピカチュウとの付き合いはレッツゴー以来のはずだけど、子供の頃からゲームの中の自分の後ろをついて回って歩いていたピカチュウから返事がもらえたみたいで、ようやっとあの子からの返事をもらえた気がした。これを書いてる今も泣いている。
そして、プレイ開始後から今に至るまで、ゲームフリークという会社に感謝の念が絶えない。随所に散りばめられたその思い出に、たとえばゲーム内のゲームフリークの事務所に貼ってあるポスターひとつとっても、「ぼくたちは遊んでくれたきみたちを覚えている」というメッセージが込められている気がしてならないのだ。自分たちがかつて遊んだ遊び場を、持ち主がまだ大切に持っていてくれて、もう一度自分たちを遊ばせてくれているような。そんな嬉しさがあった。
そうして一通りクリアして、ソフトを終了して、スイッチのホーム画面に戻った。レッツゴーピカチュウのパッケージが目に入る。そこで自分は気づいた。このパッケージイラストは、ピカチュウ版のゲームOPのスタート画面のピカチュウと同じポーズなんじゃないかと。絵柄こそ今風になっているけれど、ポーズや視線、表情はよく似ている。そう思ったらいよいよ泣けてしまった。「かつてピカチュウ版を遊んだ子たちへ」というメッセージを勝手に受け取って勝手に泣いてしまった。全て思い込みだけど。でもそう思い込みたいくらいには、かつて遊んだあれこれがアップデートされて帰ってきてくれたような感覚があった。
小学生の頃たまごっちが大流行し、学校に持ってきたら先生が没収するという決まりができた。
それからしばらく経ってポケットピカチュウというのが発売された。万歩計とたまごっちが合体したような、歩けば歩くほどピカチュウが育つのか?知らんけどそんな感じ。
ある日から担任がそれを腰につけて学校に来るようになった。30代半ばくらいのおじさん先生。授業中も腰に付いてて丸見え。正直「はぁ?」と思ったし、クラス全員「それはないだろ」と思っていたと思う。
その頃ちょうどポスターを作成する授業があって、気の強い男子は「学校に持ってきてはいけません」と書いた下にたまごっちとポケットピカチュウの絵を描いた完全に当てつけのポスターを作っていた。
もともとあまり好かれていない先生だったが、あの事件以降完全に生徒に嫌われ、舐められ、先生としても学級を運営する上で散々だったと思う。