はてなキーワード: フェーン現象とは
午前中に墓参りに行ったんだけど墓場が砂漠みたいで、自分の墓標が立ちそうだった
自分は基本的に夏が好きなんだが、今年は過去に類を見ない熱さだと思う
例年は真夏でもケッタに乗ってその辺ふらついて写真など撮っていたのだが
今年は日中に外に出ようという気にならない。仕事に行くだけで精一杯。休みの日は日中ずっと家に居る
移動は全て夜だ
せっかく「砂浜で昼寝しよう」と思ってポップアップテントとか買ったのに、全く出番が無い
海行ったら死ぬ
我が家の2匹の猫もいつもはエアコンを嫌って廊下とかで寝そべっているのだが
今年はエアコン漬けになっている
異常気象かな
なんか、「地球はこれから間氷期に入る」とかなんとか数年前から言われてた気がするんだけど
なんだったんすかね
恐らくだけど、
①特別扱いについては、辞書的な勇者とは「なる」ものであって、主人公は「そう”なる”とされる存在」だからこそ特別扱いなんじゃないだろうか。
例えば住んでる街にクマが出て怖がってる時に公からハンターが派遣されてきたら特別扱いもするでしょ。特にその人が過去にクマを何頭も仕留めた凄腕(ゲームで言うなら別の所で何らかの魔物退治の逸話を持っている)ならなおの事。
②呼称については単にその主人公のメジャーな称号が勇者だから勇者なのではないだろうか。
世界を救ってくれる(探せた限り)唯一の可能性で、王国とかから示されてるただ一つの呼び名が「勇者」なのだから人々は「勇者」と呼んでいる。
あるいは「勇者」とは辞書通りの「勇者」ではなくある立場に付いた名前。「モンシロチョウ」とか「フェーン現象」とか「たこ焼き」とかと同じ。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20170602204654
「動物に意識はあるのか」という問いは出来ても、「人間に意識があるのか」と問うのは難しいだろう。自分に意識があるのは実感として分かる。しかし自分以外の人間は、知性あるように見せかけているだけの、分子機械人形であり、意識はなく、自分だけに特別に意識がある、と考えるのは、おこがましく、中二病的である。
同じように、知性があり、「思考している自分が存在する」という認識に達し、自分について考えているコンピュータを見た時に、「こいつは知性があり、自意識があるようにも見えるが、所詮見せかけである。意識があるのは人間だけであり、計算機ごときに意識はない」と断ずるのも、同様におこがましいように思う。計算機にも意識、自意識は生じうる。
これは特に根拠のある話ではなく、「おこがましくない考え方をするならば」ということに過ぎない。しかし、その1でやったように、意識を機能として定義するならば、存在することは疑う余地がないように思う。
そうでない定義を採用しようとするならば、ではそれは何なのかという問いが生じる。「AIに意識があるのか分からない」といった場合、意識がどういうものか分かっていないので、それが存在するか分からない、というのが大方のところではないだろうか。しかし、なんだかわからないものが、あるのかないのかわからないのは、ごく普通のことである。
意識がどういうものなのか理解できれば、意識の存在は自明となる。意識について詳述し、定義することで、人の脳は、意識という存在を納得し、受け入れるようになる。
存在を見たことがない、たとえばエルニーニョ現象とか、フェーン現象と同じように、意識という現象も、存在を詳述することで、実際に見たことはなくても、人は受け入れる。だから、その1で私は、意識について詳述し、物理現象として定義した。
そして意識の存在を納得したならば、物体から意識が生じるのを、受け入れることになるだろう。あなたは非宗教国家日本で、現代科学文明の一員として生きているので、物理現象に、魂のような、科学で説明できないものが介入することを拒むと思う。全ての物理現象が物体から生じている、と考える世界観から離脱する気がないならば、意識が物体から生じていることを、認めざるを得なくなる。
意識について考えている時、それに付随して出てくる問題として、感覚とはなんなのか、というのがある。物体に感覚が生じるのか、という問題である。
あなたが感じている感覚は、あなたが感じているのであるから、存在することは自明である。そして、「すべての現象は物体から生じる」という世界観に留まるならば、物体に感覚が生じていることを、受け入れるしかなくなる。
犬や猫のような動物が、感覚を感じていることは、見れば分かるだろう。しかし、たとえば石を蹴った時に、石には神経がなく、痛みを認識する脳も、「痛い」と言う口もないので、痛みを感じているようには見えない。
他者の感覚も意識と同じように、観測できないので、現代人が存在を納得して受け入れるには、物理現象として記述する必要がある。たとえば、感覚は、五感のような感覚発生器官からの刺激を、情報処理していく過程で発生するものだ、と考えるのが自然だろう。神経が刺激され、ある種の電気パルスが発生すれば、痛みを司る脳の部位に電気パルスが流れ、痛みを感じる、といった感じだ。
計算機には感覚が生じるだろうか。今行った定義から見れば、感覚は生じているはずである。今は感覚器官、カメラやマイクなどの入力に対して、適切なリアクションを返していないので、計算機には感覚があるようには見えない。しかし、刺激に対して機械的反応ではなく、計算機が判断を行い、人間レベルまでいかなくても、動物レベルの適切なリアクションを返すようになれば、計算機に感覚が生じているように見えるようになる。そうなれば、計算機に感覚が生じるのが納得できないという、今の人間が持っている違和感も、大部分が氷解するはずである。
現代人が存在を納得するためには、物理現象として記述し、それを受け入れることが必要である。そして、その描写が正しければ、判断や予測に使える。私は、私がその1で書いた意識の定義が、そんなに間違ってるとは思っていない。人の意識について考える時に、この定義を使えば有用だし、予測も出来るだろうと考えている。(たとえば、言葉を口に出さずに考え直すことが、知性の発達を助ける、とか、カラスがクルミを道路において、車に轢かせて、中身を取り出して食べるのは、論理的に思考した結果ではない、といったようなことだ。偶然落としたら食べられたので、また落とすようになったり、他のカラスが落としてるのを真似した、といった程度のことである)
唯物論世界から出る気がないならば、物理現象に絞って考えることで、思考を節約でき、また予測など出来て役に立つので、オススメである。
今回私が訴えたいのはタイトルを読んで字のごとしなんですけれども、姉妹都市を擬人化して百合ってしまえば大変な町おこしになるのではないか!ということでございます。
たとえば岩手県花巻市とアーカンソー州ホットスプリングス市は温泉つながりの姉妹都市でございますから、擬人化おねえちゃん花巻ちゃんの頭には絶滅危惧種にも指定されている白く美しい市花ハヤチネウスユキソウ、フェーン現象で夏場はちょっと暑くなることもあるし温泉町でもあるわけですから衣装は着物というよりも浴衣、こう見えて交通機関も整っていて飛行機だって新幹線だって彼女の艶姿には足を止めちゃうほど、実は隠れイーハトーブ推しだったり、わんこそば全国大会だって開催しちゃうほどのアクティブ派。口癖は「かんぱねるらー!!」
一方、擬人化いもうとホットスプリングスちゃんはといえば、当然アメリカンな温泉娘でございますからホットスプリングス第4中学指定のスクール水着着用の上でのご入浴が必然、温かいお湯に触れると南北戦争で受けた古傷がちょっとだけ目立っちゃうのが自分的にはちょっとはずかしかったり誇らしかったりもしてそんなときの彼女のはにかみ顔はまるで天使とみまごうほど、当時のアルカポネやラッキールチアーノも彼女にはメロメロだったといいますし、そんな美少女彼女の口癖は「トーマス、ジェ、ファーソン!トーマスジェファー、ソン!」「アー、アカン、ソー!アーカンソー!」って、関西弁金髪女子?!
そういう二人の姉妹百合百合シーンともなれば舞台は温泉に決まっておりまして、pixiv有名絵師キャラデザの美少女姉妹がくんずほぐれつする都市型エンタテインメント、ゆくゆくはあなたの街の宣伝本部長愛川欽也さんの紹介を経て、ゆるキャラ化、おもちゃ化、ARアプリ発売、満を持してトリガーでバキバキ動く深夜アニメ化、全国的に人気を博すや両都市への聖地巡礼直行便が一日5便はアサインされるほどの姉妹都市擬人化町おこしストーリー。わっしょい、わっしょい!
っていうのはどうですかね、電通さん。