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2023-06-21

anond:20230621091827

ヒョウモントカゲモドキ飼ってるけど

懐いてるっていうよりは環境の一部として受け入れてるって感じだな

安全場所のあったかい岩の上で腹だして寝てるのとあんま変わらんのだと思う

2019-11-26

ヒョウモントカゲモドキみたいな動きと態度の赤ちゃんいて大好きになってしまったけど、自閉症の子だった、、、大人しくてかわいいと思ってたけど、こういう時言っていいのかどうかわからない

2018-12-16

入院するかもしれない

からよく高熱を出す子供だった。

小学生の頃よく吐いてしまい、親に迎えに来てもらうことなんて当たり前で、点滴を打った回数も覚えきれないほどだった。

中学生の頃に過敏性腸症候群で何時も無自覚にオナラをしてしまい、クラスメイトに遠巻きにされた。ファブリーズをかけられたこともある。

緊張するとお腹が痛くなり、運動神経がない(バレーのレシーブもできないレベルで)から体育が憂鬱で緊張するものになって、結果お腹が痛くなる。見学になったり保健室で休んだり。体育の先生には嫌われていたと思う。

3年生になると受験ストレスで体調を崩してしまった。自律神経がおかしくなった。3学期にはほぼ毎日早退。過呼吸をよく起こし、授業も受けられず先生には心配された。数少ない友達にも焦りから辛辣にあたってしまい、遊びに誘われることもなくなった。

受験は倍率2倍の高校入学でき、さて新生活だと意気込んでいたけれど、膨大な課題につき寝るのは12時、7時からの朝学ための5時起き、満員電車ストレスコンボ5月意識を失ってしまった。救急車で運ばれ、一体何が原因なのかと色々質問されたが結局はなにもわからなかった。親に心療内科に連れて行ってもらったけど、何もわからず。その1年はただ眠って過ごした。次の年になったら復学できるように祈ることしかできなかった。

結果から言うと、復学はできなかった。それどころか体調はもっと悪化した。体がそわそわと落ち着かず、ずっと吐いていたし、海にいけと何度も何度も幻聴が聞こえた。行ったけど何もなかったが。

そして1番最悪だったのは夜中に外に出ることだった。記憶にはないけれど、親によると雨の日の深夜2時に大きな通りの1歩手前でぼうと立っていたらしい。もしかしたら車に轢かれていたのかもしれないと思うと今でもぞっとする。

これはさすがにおかしいと心療内科先生相談、即日保護入院が決まった。一応と頭のレントゲンを撮って、肉体的な病気ではないと診断される。

そこから3ヶ月の精神病棟での入院生活が始まった。

私は隔離病棟に入れられた。

最初はずっとトイレで吐いて、歩き回らないと足が死んでしまいそうで、心臓が嫌に跳ねていた。落ち着きがなく、貰えないとは分かっていたけれど(一日2回4時間あけての薬だから)ナースステーションで何度も薬を強請った。

あとご飯が美味しくない。高齢者が多いから納得ではあるのだが、若い私はもっと洋食を出して欲しかった。しかも量が多くて食べ切れない。残したら食べた方がいいよと言われ、口に詰め込んだがすぐにトイレで吐いてしまった。

夜寝る頃になると相部屋の人がボソボソと呟き出す。お母さんごめんなさい、とか、なんでそんなことせないかんと、とか、あんたらが悪いから私はこうなったんだ、とか恨みつらみを一通り呟いて泣いていた。私は眠れなかった。

そんな生活にようやく慣れたのたとき仲良くなったのは自傷癖のある人(今後Aさんとする)と二重人格の人(今後Bさんとする)。どちらもいい人なんだけどBさんは被害妄想が酷く卑屈だった。

お見舞いに来た私の父(初対面)に突然「生きててごめんなさい」って言ったぐらい卑屈。3人で話している時に「私その話苦手なんでやめてくれませんか」とか言ってくるしAさんと話してたところ入ってきて「私の悪口ですよねすみません」って言って勘弁してくれって思った。「私年下の子を見ると嫌悪を感じるんですよね」私もその時精神的に不安定だったからしんどくて。私も年上の方と話すの苦手です、ぐらいしか言えなかった。とある日、ふいに人格が現れた。どうやら主人格のお兄さんらしい。暇すぎて何往復もしていた短い廊下で呼び止められ「こいつお前の社交性があって素直な性格嫌いだから」って言われてそうなんだ…とちょっとだけ傷ついた。

1ヶ月経たころ、人数の関係で病室移動。アルコール依存症かつ躁鬱病の人、統合失調症の人、夫に自殺きっかけに鬱になってしまった人と相部屋になった。色々身の上話をし合って、色んな人がいるんだなあと思った。

今日は眠れなかった」は挨拶みたいなもので、決して不健康アピールではないのだと知った。

いきなり叫び始めて八つ当たりし始めたおばあさん、食後お腹痛くなったらしくて看護師さんに「ご飯に毒を盛りましたよね」とか言ってる人などもいた。

私はパーキンソンの症状が出て体の震えが止まらなくて常に視線が上を向いて口から泡が出そうになった。夜になっても眠れない時に看護師さんに言ったら「我慢出来るならしてほしい。皆そうだから」って言われた。あいにく土日を挟んでいたので、その2日間はその状態が続いた。出勤してきた主治医に症状が辛いから何とかしてくれと頼んだら「えっ、なんで」との反応。パーキンソンの薬はちゃんと出すように言ってあるとのこと。「あー、薬が切れてるみたいですね…ナースセンターにっと言っときますね」っていう明らかに病院側の過失だった。

特に謝られることもなく薬は出された。飲んだら治ったから、まぁ、よしとしよう。

入院して3ヶ月目、高校はどうするかのはなしに。さすがにこれ以上留年するのは…と思い通信制高校を探し始めた。

退院間近になると外泊や外出で外からの刺激を受けて大丈夫かどうかのテストをした。そこで何も無ければOK。私はポケモン映画を見に行った。

何も無かったから無事に退院することが出来た。

退院してからはなるべく刺激を受けないように、テレビ動画を見ないようにと忠告された。眠たくて眠たくて、昼も夜もひたすらに寝ていた。

すると指で広げないと目が開かないという状況に。眼科に行ったけど、ドライアイの薬しか貰えなかった。

通信制高校は登校が楽そうなところを選んだ。暫くはゆったりとそこに通っていた。しかし今年の2月悪夢をよく見るようになった。人を殺す、人が死ぬ自分が殺される、など。しかもどれもがリアルで起きた時に感覚が残っていた。首が痛かったり、虫が肌を這いずる感覚があったり。

それがきっかけだったのか、私は記憶をなくした。

小学4年生から記憶がなくなっていたのだ。朝起きると難しい漢字が読めない。上手く計算もできない。けれど記憶をなくしたのは3週間程度だった。よかった。

記憶が戻った今も精神年齢は10歳な気がする。その頃から家族に、それこそ子供のように甘えるようになった。

それからはまた家でのんびりしたり登校したりしてゆったりと暮らしていた。開かない目のことが気がかりだったが。

しばらくすると6月になって、また幻聴が聞こえ始めた。今度はひたすらにしねしねしねと耳元で囁かれるような幻聴

鬱が酷くなる。

それからは高い建物を見るとあそこから落ちたら死ぬかな、風呂に入ってるとここで寝たら溺れるのかな、睡眠導入剤をたくさん飲んだら眠るように息絶えるのかなとずっと死ぬパターン妄想していた。

そこで現れたのはヒョウモントカゲモドキ

ペットショップ一目惚れをした。元々爬虫類が大好きな私にとってその子はとても魅力的に感じた。親と相談して買ってもらい、毎日かごを眺めるようになった。すると生活が一変する。ヒョウモンに餌をあげるために、と義務感が湧いていたのか、今まで夜型だった生活から夜8時に寝て朝4時に起きるようになったのだ。毎日3食、十分な睡眠時間の確保など健康的な生活を送ることが出来た。

そうなると気になってくるのはやはり目が開かないこと。神経内科はどうだろうかと主治医に言われ、紹介状を書いてもらい行ってみた。結果は特に異常なし。それを主治医に報告すると、もしかしたら薬が悪いのかもしれない、とのこと。あまり主流じゃない副作用から確信は持てないけれど、これ(薬の名前は忘れた)減らしますねと薬を出された。それから体調が悪くなった。吐いて寝込んで精神的に不安定になって泣き出して。1週間後に予約を入れたのでふらふらとしながらも病院へ。目は開かない、具合は悪い、最悪な状況だった。次の薬で良くならなかったら入院してもらいますね、と薬の量を増やして服用している。

それで今日に至るのだが、目は開くようになった。吐き気もない。ただ睡眠時間が狂ってるだけ。

これは入院しなくていいのだろうか。そう思う午前1時。

2017-06-10

爬虫類かわいい

ヒョウモントカゲモドキコーンスネークを飼い始めてから生活が変わった。

飼育難易度が低い入門種らしいけれど、そのほかの種類にも興味が出てきた。楽しい

・臭わない

・餌の頻度が少ないから、一週間くらい置いて旅行に行ける

・色や柄の種類が豊富

・懐かないからこそ、たまにこちらを見ていたり餌をピンセットから食べてくれた時にとても嬉しい

・見た目や仕草がとにかく可愛い

長生きする

ふれあいはあまりできないけれど、一人暮らしペットにすごく良いと思う。

近い将来、アオジタやボールパイソンに手を出しそうな自分がこわい。

2016-07-09

私の近くにいた陰謀論

 高校時代同窓に、陰謀論者の男の子がいた。

 系統としてはユダヤ資本が何百人会議世界金融しかしてその正体は敵か味方か爬虫類人というアレである


 はためには勤勉で真面目な少年だった。 

 体育会系でこそなかったものの外向的な性格で、友達も多かった。

 まれに「世界真実を教えてやる!」と友人を集めて9.11に隠された陰謀だとかホロコースト真実だとかを流布しようとすることを除けば、おおむね普通高校生だったと思う。


 彼は性別の別け隔てなく友達づきあいするタイプではあったが、私はあまり深く関わらなかった。

 今思えば後学のために彼の主張をすみずみまで拝聴しておくべきだったかな、と悔やまないでもないが、私は私で当時恋に勉強に何かと忙しい女子高生だったのだ。


 今はもうあの頃の制服は着られない……。


 しかし遠巻きに見ていてさえ、彼がなぜ陰謀論にハマっているのかわかる気がした。

 彼は生真面目な人間だったのだ。

 無遅刻無欠席だとか、進級に関係ない夏休み課題計画的にうっちゃったりせず全部やるとか、その程度の生真面目さではない。

 なにもかもキッパリパッキリしていなくては気がすまない人間だった。

 正義感も強かった。義心に溢れていた。

 自発的に近所の自然保護団体?(教育機関的な役割も兼ねているようだったが実態はよくわからない)に属しているようで、そのグループ活動でも少年部のリーダー的な役割を担っていた。そのことを知ったのは彼がEM菌普及活動講演会スピーカーの一人として登壇したからだ。

 クラスで、いや、学年でもあん人間は彼だけだっただろう。

 見た目は「いい人」だった。

 いや、事実「いい人」だったんだろう。

 クラス内の評価も「おおむね良い奴」だった。彼の口走る政治ネタは影では冷笑的に受け取られていたが、彼の眼前でバカするのはなんとなく憚れられる空気があった。

 哀れみでも、恐れでもなく、ただ「こいつは良い人」だからという遠慮があったんだと思う。


 彼は日頃から自分日本という国を良くしたいと公言していた。

 キャリア官僚として官庁就職し、ゆくゆくは中央政治に関わっていきたい。

 そう言っていた。

 まるで甲子園を目指す高校球児のような爽やかさだった。


 彼は学年一の秀才というわけでもなかったが、もちまえの生真面目と努力を惜しまない姿勢評価され、

 推薦でそれなりに優秀とされる大学へ進んだ。

 その後、彼がいかなる道程を歩んだかは知らない。

 私はフェイスブックをやってないし、彼の下の名前も忘れてしまったので、ググろうにもググれない。同窓会成人式ときに一度開かれたっきりだ。

 この前ふと気になって、高校大学と私と同学でその後某省でキャリア官僚になった友人に「あの子、どうなったんだろうね。もしかして、同期で入省したりしてない?」とたずねたが「いやあ、聞いてないなあ」とどうでもよさそうな返事をされただけだった。「もしかして、あの子のこと好きだったとか?」

 いや、そういうのじゃないけど、と私は言って、それでもうこの話題打ち切りになった。


 



 高校卒業式が近づいたある日のこと、帰り際に彼に呼び止められた。

 みょうに緊張した面持ちで私の経験則から言って、十中八九告白前触れだった。

 予感は当たり、彼は私に想いをぶつけてきた。付き合ってくださいと。大学は違うけど、遠距離になるけど、その、なんというか。

 私は最敬礼で「ごめんなさい」と言った。

 彼はしばしショックを受けて硬直したのち、こう問うてきた。

「え……なんで?」

 ここで、「なんで?」と訊くようなやつだからだ、と言ってやってもよかったのだが、その日たまたま私は虫の居所が悪かった。ので、ウソをついた。


 うち、爬虫類飼ってるからヒョウモントカゲモドキ


 なぜ、ヒョウモントカゲモドキという馴染みのないワードがあそこで出たのかはわからない。

 前日にNHKかなにかの動物番組たまたま出てきてそのキュートビジュアルが脳と網膜にやきついていたためだったろうか。にしても、その瞬間までにはまったく忘れていたのに。ヒョウモントカゲモドキ


 今では、私の部屋で私の帰りを唯一待ってくれるのもヒョウモントカゲモドキエクレア通称エーちゃん)。

 なぜなら、彼女もまた特別存在からです。

 こんなかわいい爬虫類になら征服されてもいいと思う。

 
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