はてなキーワード: バンドブームとは
90年代アイドル、小室哲哉にプロデュースされた篠原涼子や鈴木あみ、観月ありさ、内田有紀とか、
その篠原涼子がいた東京パフォーマンスドールとか、あと乙女塾系(CoCo、ribbon、Qlair)もがんばってたし、(もちろん広末も)
80年代後半に始まったバンドブームから90年代前半のビーイングブームあたりまでは音楽的には完全にアイドルは斜陽だったな。
バンドブームと並行して永井真理子とか鈴木彩子とか遊佐未森とか歌がうまい女性がたくさん出てきて、
ていうかその辺はWikipedia「GiRLPOP」 https://ja.wikipedia.org/wiki/GiRLPOP に全部書いてあったけど
SPEEDなんかも安室奈美恵(とスーパーモンキーズ)の流れを受けて歌とダンスが上手いという売り出し方だったし、
LOVEBITESという日本の女性メタルバンドの周辺がいまちょっと面白いことになっているので解説します。ヘヴィメタルに興味がない人も人間ドラマとして味わい深いのでよかったら読んでみてください。
LOVEBITESの動画には「私は今年70歳になるロックファンだが30年振りに夢中になれるニューバンドを見つけた」というような英語コメントが頻繁に書き込まれる。「LOVEBITES reaction」でYouTube検索すると膨大な量の海外リアクターの動画と、そこに書き込まれた膨大なオタク早口の英語コメントを見つけることができる。Wikipediaは日本語版より英語版の方がはるかに充実している。そういう存在のバンドだ。
世界中の音楽チャートがヒップホップやR&Bといったダンスミュージック中心になってもう長いこと経つ。そんな中で日本のチャートは異様なほど独自の多様性がある。別の言い方をすると世界的な音楽トレンドから取り残されて、時代遅れのダサい音楽も生き延びる余地があるユニークなシーンだ。
2010年代前半BABYMETALがアイドル+メタルの企画物としてデビューした。しかしながらボーカルの歌声とメタルアレンジが本物すぎたので妙に受けた。特にメタル音楽がほぼ失速していた海外においてメタルファンが衝撃を受けた。それ以降、流行りの音楽とは別の嗜好を持った世界中の音楽ファンたちが日本のインディーバンドを熱心に発掘するようになった。
なぜ、日本ではロックバンドが生き延びているのか。アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の設定にもあったが、80~90年代のバンドブーム世代の人たちがお父さんお母さんになり、親の聴くロックバンドの影響を受けた子供たち世代が出てきたのが今の日本だ。
BABYMETALと同時期に国内ではDESTROSEという女性ジャパメタバンドが活動していた。DESTROSEはメンバーも安定せず成功したとは言い難いが、現在のシーンを牽引するNEMOPHILA、FATE GEARなどのメンバーを輩出した重要バンドである。そしてまたLOVEBITESも元DESTROSEのメンバーが結成したバンドだ。
NEMOPHILAやLOVEBITESの世代の特徴は圧倒的に本格派という点にある。例外はあるが、それ以前の女性バンドは男性バンドにくらべると演奏技術がそれほど高くなかったり、どこか女性的なポップさがあったりした。だが今のバンドは演奏技術や音の志向において、もはや男女の区別は意味を持たない。
LOVEBITESの音楽は、アイアン・メイデンやジューダス・プリーストのようなパワーメタルと、ハロウィンやドラゴンフォースのようなメロディックスピードメタルの系譜にある。サビがメジャーコードのメロスピを演奏してさまになるのは国内では稀有な存在である。
日本人女性の発声はハイトーンになると細くキンキンしがちでメタルでは不利なことが多い。BABYMETALは、アイドル的な透明感がありつつ激しい演奏の中でもよく通るSU-METALの声が重要な成功要因であった。LOVEBITESのボーカリストasamiは低い音から高い音まで発声の気持ち良さが特徴で、他のボーカリストやボイストレーナーから発声に関する評価が非常に高い。やさぐれた感じがせず声を張り上げたりドスをきかせたりしてもどこか品がある点も過去にあまりいなかったタイプだ。さらにクラシックバレエの素養もあり、長いギターソロ中でも手持無沙汰になることなくパフォーマンスできる。
バラードはほとんどやらない。全員が鍵盤楽器を弾けて本格的なクラシックピアノが弾けるメンバーもいるが、これまで50曲近くリリースした中で激しい展開にならないスローバラードはわずか1曲のみである。基本的にはテクニカルでパワーとスピード命で、海外メタルのトレンドも踏まえた音楽性になっている。そのためデビュー後すぐに海外からも注目された。
デビューの翌年には英国のメタル雑誌でBEST NEW BANDを受賞して、その次の年にはドラゴンフォースの英国ツアーに参加している。
バンドも好調で、2020年のZepp Tokyoのライブはもはや伝説的なクオリティだ。
そこまで注目されていたLOVEBITESだが、2021年ベースのmihoが脱退する。コロナの影響による環境変化でライブなどの活動ができなくなり、いろいろと思うところがあったようだ。mihoはバンドの創始者であり、LOVEBITESのコンセプトもmihoによるものが大きかったはずだ。バンドはそのまま終わってもおかしくない状態と思われた。
2022年コロナ禍が徐々におさまる兆しが見えてきた中、残されたメンバーはベーシストオーディションプロジェクトを発表した。東京都内近郊を拠点として日本と世界各地で活動できること、というのが唯一の条件で、年齢・性別・国籍・プロ/アマ問わず応募可能としていた。
このオーディションには、すでにソロ活動で一定の評価を得ている彪(AYA)、一ノ瀬といった実力派ベーシストも参加した。
ここで登場するのがfamiだ。
YouTubeにやたらうまいベース動画を上げているJKがいると以前から話題になっていた配信者、登録者数は67万人もいるチャンネルなので一度は見たことがあるかもしれない。顔出しをせず、自室のドアの前で踊りながらスラップやタッピングを多用したトリッキーなアレンジでボカロ曲カバーを演奏する。リアルぼっちちゃんレベル100みたいなベーシストだ。
高校を卒業し、クラウド・ファンディングでソロアルバムを出し、すぐに川口千里のような実力派ミュージシャンとして活動していくものと期待されていたが、その後あまりうまくいっていなかったようでYouTubeチャンネルも数カ月更新が止まっていた。
それが2022年10月に「皆様に大切なお知らせがあります」という動画を突然公開した。
YouTuberの言う大切なお知らせはたいてい大切でもなんでもないしょうもないものと相場が決まっているがこれは違った。
LOVEBITESのオーディション最終選考に合格して、バンド側の発表動画も公開されたという内容をオタク早口でたたみかける内容だった。また、この動画から顔出しをしてカメラに向かってしゃべっており、アーティストとしてあらたな道を踏み出した決意を感じる。
どんなベーシストでも前任者のmihoと比べられてしまうのは避けられない。mihoは安定したリズムと時折見せるセンスの光るオブリガートの評価が高い王道メタルベーシストだった。手足の長い恵まれたスタイルに低く構えたベースのたたずまいはステージ映えしてLOVEBITESの悪そうでかっこいい側面を担っていた。
famiのキャラクターはそれとはまったく異なる。明るく楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら5弦ベースをスラッピングするベーシストだ。オーディション時点では19歳でおそらく他のメンバーとは10歳近い差があり新世代という印象だ。この新たな風こそがバンドの必要としていたものだった。
アイアン・メイデンのスティーヴ・ハリス的ベーシストが抜けてミスター・ビッグのビリー・シーン的ベーシストが加入しLOVEBITESは新体制となった。以前からfamiとLOVEBITESの両方を知っていたリスナーにとっては、別々の線がひとつに交差して、止まっていた二つの物語がトップスピードで再開するという衝撃的な嬉しいニュースとなった。
ただ、famiはトリッキーでテクニカルではあるもののメタルのベースが弾けるのか、と心配する声もあった。公開している曲はボカロカバーばかりだし、ソロアルバムもメタル色はなかったからだ。
そんな中、2023年2月22日に満を持してLOVEBITESの新アルバムがリリースされた。吉と出るか凶と出るかfamiにとってもバンドにとっても審判の日である。
そこにはBPM200の16分音符で凶悪かつスリリングにルートを刻むfamiがいた。ドラムとの相性もよくメタルのベーシストとしても超一流であることをfamiは実力で証明した。これを聴けばもう心配する人はいないだろう。実はLOVEBITES加入まで語られてこなかったがfamiもまたメタラー親父に英才教育を受けたメタラー二世だったのだ。
他方、バンドの方にも変化が見られた。アルバム発売日に公開された新曲のMVはいままでのLOVEBITESとかなり異なるものだった。曲のパワーとスピードはこれまで以上であるが、以前のようなメタルの美学的な映像ではなくカジュアルな服装で楽しそうにわちゃわちゃ演奏している明るいMVになっている。こういった演出もfami加入以前には考えられなかっただろう。
アルバムとしての評価も高く、すでに世界中のメタルチャートで一位となっている。
そして3月の復活ライブはチケットが瞬殺した。YouTubeコメントを見ると海外ファンも飛行機に乗ってこのライブを見るためにチケットを買ったらしい。その後も9月には国内ツアーが予定されている。完全復活である。近いうちに海外イベントにもまた出演するだろう。
第一次黄金期が90年代だったとして、第二次黄金期は2020年代になるんじゃね?
2000年以降、音楽業界はずっと「斜陽」だと言われてきたじゃん。
2010年代になると業界は嵐とAKBに支配されて「誰もが知ってるその一年を代表するヒット曲」すら無くなった。
音楽バブルが弾けて、CDが売れなくなって、客層ごとに流行る曲がバラバラになり、オリコンの権威が低下し、テレビから音楽番組が消えた。
そこからのこれですよ。
90年代における新人発掘ツールとしてのバンドブームや「ホコ天・イカ天」を、ボカロ勢がより大規模なかたちで再現していて、
シンフォギアとか、少し前だとキルラキルとかグレンラガンみたいな熱い展開の源流・元ネタはバブル崩壊で一度途絶えそうになったと思う。
音楽はバブル崩壊後にバンドブームや渋谷系があった。アニメもそういう方向へ流れたと思う。エヴァがあってハルヒに至った。
サブカルチャーと合流してサブカルをアニメ勢が飲み込み、今ではサブカルというと漫画・アニメがメインカルチャーみたいになっている。
サブカルを支配した漫画・アニメはハイカルチャーを飲み込もうとした感じはあるけれど、そこまでは手が届かなかったのか、それとも決別したのか、諦めたのか。今ではハイカルチャーを標的とする感じはしない。
それはどうでもいいのだけど、オタクはカッコつけなくなった。ちょっと前までは(カコイイのかはともかく)伸ばした髪を一つにまとめオープンフィンガーグローブを身につけカッコつけていたのに、今ではそんなオタクはいなくなった。
オタクアイコンを避けてパンピーの擬態をしているのかもしれないけど、だとしてもカッコつけていない。むしろかっこ悪くて悪目立ちしているし、オタクであることを隠そうとする擬態はオタクが考えているほどできていない。それどころかオタクはオタクを隠さないサブカル女子をメンヘラと批判する。
なぜなのか。かつてカッコつけたオタクはどこへ行ったのか。
僕の20歳は、「人生」っていうバンドをやりながら東京で一人暮らしをしてて、医療系の専門学校を中退した年ですね。臨床検査技師の勉強をする学校だったんですけど、1年目の途中であんまり行かなくなって、2回目の1年生の夏に、ドラクエ のやり過ぎで辞めたんです。辞めたからといって地元の静岡に帰っても仕方ないし、仕送りを止められたので、バイトとバンド活動に明け暮れてました。あ、明け暮れてはいないですね。バイトをそこそこやりながら、あとは遊んで暮らしてました。すいません、ちょっと自分を良く言おうとしちゃって。お恥ずかしい。
このころは幡ヶ谷のワンルームマンションに住んでました。いまもバンドを一緒にやっている(石野)卓球が笹塚に住んでいて、ちょうどその中間地点に練習スタジオがあったんです。当時はインディーバンドブームで、僕らも雑誌に取り上げてもらったりして、幾らか知名度はあるインディーバンドっていうようなポジションでしたかね。
仲の良い友達と始めたバンドだから面白かったですけど、僕は部活みたいな感覚でやってましたから、とうていそれで食っていくってことを思いつくはずもな く、とくに将来のことも考えずに基本毎日ぷらぷらしてたんです。夢中でガチャガチャをやり過ぎちゃったり、CDをジャケ買いして失敗したのが痛いとかで、 明日の晩ご飯代がないみたいなことはありましたけど、そういう無目的な若者でもなんとかやれる土壌があったというか、都市の遊びの部分に上手くハマってたんだと思いますけどね。
ただ21歳になるころ、インディブームからバンドブームみたいなものに変わっていって、僕らのバンドでやれることも飽和していたので、「人生」は解散したんです。
当時はちょうどテレビで深夜放送が始まったぐらいのころで、よくバンドのPVが流れてました。「人生」を辞めて僕はもうバンド活動はしないと思ってたから、それを見て、PVの監督になりたいなぁと思ったんですね。それで知り合いが紹介してくれて、バイトで四谷三丁目にある小さな映像制作会社に入ったんです。
そこは、地方のCMや企業の宣伝用の映像とか、そんなにメジャーじゃないバンドのPVを作ったりするような会社でした。20歳そこそこの小僧が見る世界としては、高価な機材とか目新しいものがいっぱいあるし、撮影の現場で「本番!」みたい な感じがすごく面白かったですね。ただ会社が小規模なので、現場に付く下っ端が僕一人しかいないんですね。教えてくれる人もいないのに、現場はどんどん進んでいくわけですから、とにかくしんどかったです。辛くて泣きましたもん。夜中に帰って、当時一緒に住んでた彼女に「仕事が辛い」つって「うぇーん」って 泣いて、その45分後には「仕事行かなきゃ…」って言ってたりとかね。
そこで働き始めてしばらくしたら、卓球から連絡があって「こんど電気グルーヴっていうユニットを新しくやろうと思うんだけど、お前もやんない?」みたいなことを言ってきたんです。なんでまた俺を誘うのかなと思ったんだけど、「良いよ。でもこれは完全に趣味で、部活みたいにやっていこう」って言って、電気グルーヴの活動を始めたんです。
それで2回目か3回目のライブを見たソニーの人から声をかけられて、呼び出されて新宿の寿司屋に行ったら「君たち、プロでやる気はないの?」って言われたんです。そりゃ、やりますよね。だって、部活でお金くれるんですから。とは言っても、条件は月給10万円。ザッツオール(笑)。
ただこのとき、僕は、制作会社の人たちにはお世話になってるし、少人数の制作体制で自分が抜けることの意味が分かってました。かといって二足のわらじはとうていムリですから、最終的には上司に「こういう話があって、すごく迷ってるんです」って切り出したんですね。そうしたら、「若いんだから、絶対音楽の方に行った方が良いよ」って背中を押してくれて、それでデビューすることに決めたんです。僕個人としては「どうせこんなバンド、ポシャるだろうから(笑)、 まあ、3年ぐらいプロのミュージシャンの世界を見てきても、いま21歳だから24歳。まだいけんな」っていうのでデビューしたみたいな感じでした。だからプロになったっていう自覚はあんまりなかったんですけどね。
すぐにレコーディングだってことで「マンチェスターとニューヨーク、どっちがいい?」って言われたんです。「さすがソニー。金持ってんなぁ」みたいな感じでマンチェスターに行くことにしました。昔から好きだったニューウェーブとかギターポッ プみたいなものはマンチェスターのやつが多かったですからね。向こうに2ヶ月ぐらい滞在してファーストアルバムを作りました。当時「マッドチェスター」っ て言葉があって、マンチェスターが狂ってた時期の後半で面白かったですね。ライブを見たりクラブに行ったりすると、イギリス人にもゆるいやつとかメチャクチャなやつがいて、刺激はいっぱい受けましたね。まあ、こちらは21歳でなんも考えてないですからね。それはねぇ、そんなやつを自由にそういうところに行かせたら、やっぱり何色かに染まりますよね(笑)。
電気グルーヴはふつうのバンドと違って、主要な旋律はだいたい機械が出してくれるわけですよ。だから練習よりは、ライブの日のテンションの方が大事だったりするタイプのバンドだったんです。僕は楽器をやるわけじゃなくて、たまにマイクを持ってがなったり、まあ歌ったり、歌を間違えたり、歌わなかったりとかもしますけど、ほとんどステージに出てフラフラしてるだけなんです。バンドって遊びの側面があるじゃないですか。僕の感覚としては、その遊びみたいなことをずっと続けてるのに近かったんですけどね。まあ客の盛り上がり加減を見ては「今日はもうちょっともっていけたのにな」って思うことはあったけど(笑)。だいたい、僕を見てるとは思ってなかったですもん。みんな卓球とかを見てて、たまに見られてる箸休め的な感覚でやってましたから。
長らく続いたバンプフォロワーみたいなバンドブームでなくようやく別のブームが来たようだ。ここ数年はバンプにシティーポップ(笑)を混ぜたような感じのが若干流行っていたっぽいし今でも流れは続いているっぽい。でもなんでこう半端なサブカル野郎達が好きになる音楽はこういうスカスカなやつなのか。大抵の人間の中身がスカスカだからか。
一時期GReeeeNみたいなの流行ったけどそれを例示すればわかりやすいかな。結局それを一段(たった一段のみ)表現を深くしたのがシティーポップ(笑)の流れなんだろうし、結局ファンはまだスカスカ民族の層であることには変わりはないんだろうな。別にここで言う「人間の中身」というのは「いかに精神的にいろんな論理武装を備えているかの量」的な尺度なので別にそれがミッシミシに詰まっていても現実社会では全く偉くはないんだけど。
なんで流行る音楽って、わざわざ表現が浅いやつなのいちいち。なぜいちいち文化的に少しレベルが低いやつが流行ってしまうのか。それはやっぱ最初に書いたとおり「大衆が文化的にレベル低いから統計的に売上がそうなっていってしまう」ってことに収束しちゃうんだろうか。どうでもいいな
1995年の話。
当時YAMAHA音楽学校主催のTEEN'S MUSIC FESTIVALという10代対象の音楽コンテストがあった。
バンドブームだったこともあって当時のイケてる高校生はバンドをやっていたし、実際高校生バンドがデビューしたりもしていた。このコンテスト自体は1人でもバンドでもいいし自作曲でもカバーでも自由、とにかく10代のみ参加可能というものであった。
高校卒業を目前にした2月、同級生が出るということでそのコンテストの地方大会を観に行ったところ、なんとそのバンドが地方大会1位を取り、春に行われる全国大会に出場するという。
全国大会はラジオで生放送され、編集されたものが(たしかNHKBSあたりで)放映もされるとのことで、ラジオも聴いたし番組もVHSに録った。
そして繰り返し観た。
知っている人が頑張っているからというのもあったし、実はその美形でギターが上手い同級生に憧れの気持ちがあったからというのもある。しかしそれ以上に、全国から集まった地区代表の舞台に魅せられたのが大きかった。
繰り返し観たのでいまだに覚えている。グランジっぽい衣装を着て、「マニラの熱い夜を忘れないぜ」という歌詞の曲を歌うバンド(10代が書く詩とは思えない)だとか、女性だけのバンドは当時何て呼ばれてたんだったろう?とにかく女の子ばかりのバンドで、ものすごくしっとりした全編英語の歌詞の曲を歌う妙にエロい感じのボーカルの子だとか、完全に素人であり10代であるにもかかわらずものすごい熱量と完成度の高さがあった。
全国大会に出た同級生は、結局なんの賞にも入らずに終わった。優勝したのは2人組の女の子で、1人はピアノを弾き1人は歌っていた。歌っている子が曲を作っていたようで、それが高く評価されたようだった。私にとっては彼女の声がとても魅力的で、少し鼻にかかっているけれどとても聞き取りやすく、曲の雰囲気に合った可愛い声だった。オーバーオールを着て、当時流行っていた髪をまとめたところに太めのターバンを巻くといったヘアスタイルだったと思う。
そして舞台の上で、軽くリズムを取りながら歌う様子は優勝者の貫録すらあった。タイトルは「あいつをふりむかせる方法」
aikoがデビューした瞬間は知らないが、花火という曲を初めて聴いた時のデジャヴ感は衝撃的であった。しかしそのコンテストの際、2人組のユニット名が「aiko」だったので、ろくにネットも使えない時代であったがすぐにふたつが自分の中で結びついた。aikoがTEEN'S MUSIC FESTIVALでデビューのきっかけを得たというのがaikoファンにとってどのくらい周知されているのかはわからないが、もしあの当時の番組を観ることができるものがあるのなら是非教えてほしい。もう一度通して観たい。
そしてそれからさらに後、前述の英語歌詞をエロく歌うボーカルの子が椎名林檎であることに急に気づいた。just missed the trainを歌っていたのだが、今思えば10代とは思えない雰囲気であった。
今思えば自分が知らないだけで、あの時あのステージにいた人で今も音楽活動をしている人がもっといるんじゃないか。いまだに地元で音楽活動を続けている元憧れの同級生のように。
シンフォギアとか、少し前だとキルラキルとかグレンラガンみたいな熱い展開の源流・元ネタはバブル崩壊で一度途絶えそうになったと思う。
音楽はバブル崩壊後にバンドブームや渋谷系があった。アニメもそういう方向へ流れたと思う。エヴァがあってハルヒに至った。
サブカルチャーと合流してサブカルをアニメ勢が飲み込み、今ではサブカルというと漫画・アニメがメインカルチャーみたいになっている。
サブカルを支配した漫画・アニメはハイカルチャーを飲み込もうとした感じはあるけれど、そこまでは手が届かなかったのか、それとも決別したのか、諦めたのか。今ではハイカルチャーを標的とする感じはしない。
それはどうでもいいのだけど、オタクはカッコつけなくなった。ちょっと前までは(カコイイのかはともかく)伸ばした髪を一つにまとめオープンフィンガーグローブを身につけカッコつけていたのに、今ではそんなオタクはいなくなった。
オタクアイコンを避けてパンピーの擬態をしているのかもしれないけど、だとしてもカッコつけていない。むしろかっこ悪くて悪目立ちしているし、オタクであることを隠そうとする擬態はオタクが考えているほどできていない。それどころかオタクはオタクを隠さないサブカル女子をメンヘラと批判する。
なぜなのか。かつてカッコつけたオタクはどこへ行ったのか。