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はてなキーワード: ノーブレス・オブリージュとは

2022-05-22

anond:20220522202926

あっちがそもそも例のアイデンティティポリティクス全盛で

黒人奴隷全然関係ない移民の子供だけど黒人から俺は弱者代表です」とか

学者センセーと医者の子供だけどアジア系黒人女性からとにかくわたち弱者なんです!!」とか

そういうのばっかりまかり通ってて

もうどこの誰にもノーブレス・オブリージュなんて求められる気がしない

金があろうが社会資本があろうが、ひたすら弱者属性を前面に押し出し弱者面するのが最善手になったこ時代

強者としての責任」なんて、いったいどこの誰が背負ってくれるというのか

もう終わりだよあの概念

2021-03-03

わかりやすくしてみる

横入りだけと、増田意見と元の意見、次のように整理できると思う。

なお、比喩がしばしば問題を誤魔化す可能性があることは承知だが、適切に使用すれば、問題構造単純化するのに有効ツールだとも思う。だから、あえて比喩を使って整理してみる。

比喩

「嫌うこと」=嫌うこと

嫌悪を表明する行為」=叩く(つまり、加害の一形態

差別」=被害が生じるような行為(だから社会的に許容されない)

批判」=注意する

これを用いた私的整理

元の意見は、「嫌いな奴を叩いたら痛いでしょと注意された」という人に対して「嫌うのと叩くのは別で叩いたら注意されるでしょ」

増田意見は、「だってアイツもアイツも人を叩いてるじゃん!叩いても注意されねーじゃん!認めろや!」


……こう整理してみると、問題は2点ある。

(1) 元の意見は、「注意は正当だよ=君は行為を改めるべきだ」と相手を諭す意見。つまり活動家立場。それに対して増田意見は「社会的公正さ」に関する話。これは理論家の立場。主張のレイヤー全然違うので、これはそもそも議論」にならない。

(2) 元の意見に対する増田批判を上のように要約すると分かるが、増田意見が「叩く行為」と「被害が生じる行為」の区別が難しいことを前提としていること。

(1)は理解やすいと思うが、(2)の問題がどこにあるかを少しだけ付言。「区別できないケースがあること」は「区別できないこと」を意味しない。だから区別できないケースがあること」をもって「区別した行為」を批判するのは筋が悪い。現代社会で「オレはLGBTが嫌い」を公言することは、明らかに差別になり得るし、それを指摘したこと自体は適切だ。それは、増田も認めるのではないだろうか。

その上で、増田意図が「区別できないケースもある」だからそういうケースでは当然「手加減すべき」という趣旨にあるのは理解する。(ポリコレ棒を用いて人を殴りまくる行為は、確かに最悪だ。そういう光景に覚える怒りにも共感できる。)たとえ相手強者であっても、叩かれて被害ゼロというわけではないので、それが受忍すべきものかそうでないか判断が難しいケースもあるだろう。弱者人殺しフリーライセンスがあるわけではないのだから。だがそれは、元の意見の人も当然認めるのではないか

では、問題はどこにあるか。私は、強者は当然のこととして「痛くない程度には叩かれるべきだ」と思っている。多分、このあたりが増田と私の違いではないか

おそらく、増田は公正さに敏感で、かつ、強弱に関する自己責任論をどこかで軽く前提しているのだろう。それなら、「自分責任弱者になっている人間」に少しでも「余計に権力がもたされる」ような行為社会的不公正さを感じる(言い換えれば「頑張って強くなった人間を、頑張らずに弱者である人間バチバチ叩くのは間違ってる」という感覚)のは当然かもしれない。それに対して前に述べた私の個人的見解は、強者弱者社会構造的に作り出している部分が大きいという考えをベースにしている。それは、言い換えれば「強者社会の中で置かれた立場強者として役割を与えられて振る舞っているだけであって、強者としてのメリット享受するなら当然そのデメリットを受忍する義務がある」と考える立場である。たとえばノーブレス・オブリージュもその一つだし、なんなら民主主義も(どんな強者も、その権利については弱者と同じレベルまで切り下げられることを認める、という意味で)その一つだ。これについては、強者は泣き言を言うべきではないとも思っている。なぜなら、まず先に社会構造的に弱者を痛めつけていると考えるからだ。強者気づきもしない痛みを弱者は日々甘受させられている。ならば、強者もまた同様に痛みを甘受すべきだ。これが私の思う「公正さ」だ。増田は「それなら、誰も強者になろうとしないし社会の発展も無いでは無いか、それは資本主義的ではないではないか」と言うかもしれない。だが、資本主義にも無限自由が許容されているわけではないし、無限自由を許容しなければ発展が見込めないというはずもない。むしろ「適切に強者を弱める」方が社会流動性を高め、健全競争を促し、社会全体を活性化させることが見込めるという考え方もできるだろう。「だから、その『適切さ』が問題なのだ」……と言うなら、もちろんその通りだ。そしてそれは、個々の場面について論じることでしか解決できないと思う。

から、元に意見については〈今回の指摘は適切だった〉。だが、増田が言うように〈それは常に批判が正しいことを担保しない〉。それでいいのではないだろうか。

anond:20210302122214

2020-12-14

anond:20201212181523

言いたいことはわからんでもないけど、それは佐々木希という日本で広くアイコンとして通用する人格に対するノーブレス・オブリージュであって一般論として通用はしないね

べつにマンションのとなりの部屋の人が紙を一枚提出しようがしなかろうがみんな気にもかけないのが普通だよ

2015-09-06

話題の【上級国民】の定義をまとめてみました!

上級国民

社会での強い既得権を持ち、一般国民上前をはねることに特化した国民日本国民の0.5~1%程度を占める。

ノーブレス・オブリージュを旨とするいわゆる「エスタブリッシュメント」とは真逆概念である

一般国民生産した財・サービス等を略奪することで生計を立てている。そのために、政・財・官の分野で団結し強力なコネクションを作り、助け合って暮らしている。

都内地方中核都市に巣を作り、社会的活躍する機会が多い。

ただし、手足を動かさないため、自身が思っているほどには能力は高くない。コミュニケーションスキルは概して高い。

上級国民の内部でも、激しいヒエラルキー格差がみられる。

なお、自分上級国民と考える者の全てが上級国民ではないので、注意が必要である

某所掲載のものを再掲

2011-03-21

寄付しない高収入者が叩かれているのを、おそらく低収入だろう奴らが必死に擁護してるのが謎。

どうせネット上で叩かれるくらいノーダメージなんだからほっとけばいいのに。

日本てほんとノーブレス・オブリージュの発想がないよな。自分で稼いだ金なんだからどう使おうと勝手だろ!って当たり前のように思ってる。

その金はゼロから生み出した訳じゃなくて、運や環境や周りの協力に恵まれて稼げたってどうして思わないのかな。感謝の気持ちがあったら社会還元しようと思う筈なんだから

2007-12-03

ノブレス・オブリージュ (noblesse oblige) ノーブレス・オブリージュ

自らを高貴なるものと位置づけ表明するセンスに

違和感を覚える。


ノーブレス・オブリージュ? - 学校教育を考える

高貴な原子

高貴な分子

高貴なアミノ酸

高貴なタンパク質

高貴な精子

高貴な卵子

高貴な受精卵

高貴な胎児

高貴な赤ちゃん

高貴な Homo sapiens sapiens (ホモ・サピエンスサピエンス


人々の意見が、彼ら自身の性格の告白である。エマーソン

人類は平等である。そこに等差を生じさせるのは

家柄や財産によるのではなく、

ただ徳によるのである。

ヴォルテール


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