はてなキーワード: ネクタイとは
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そこまで希少な体験をしたつもりはないが、この時はまだ20代後半である。感受性は高かったはずだ。
F君が福祉課3年目の頃だった。人事異動で職員が何人も代わって、施設グループ内でも経験年数が長くなっていた。彼より長いのは、最初の方で述べた性格がキツイ女性のみだった。やはり性格がねじ曲がっていた。例えばF君が職場にあるコードレス電話にかかってきたのを取って、♀宛てに子機を渡そうとすると、手先を拒否的に振って嫌がっていた。
そうなると、F君は「仕方がない」という顔をして、相手方に電話を折り返す約束をして♀に電話メモを渡したりしてた。日本人だから、『穢れ』というやつを気にしていたのだろう。
この頃になると、F君も♀とだいぶ口論できるようになっていた。1年目の頃は、反論できなくなると、のらりくらりと躱したり、ハラスメント発言が出ると「待ってました!!」とばかりに悪態をついたり、後は会話を普通にスルーしていた。
この頃は、例えば……♀がキレて、「もう私に聞いてくるのやめにしたら? 必要なことでも今後はお前には教えん」みたいなことを言ったとする。そしたら、F君は「いいえ。相談に行きますので、その都度断ってください」と返した。
するとまた「もう来るなって言ったのわからへん?」となって、さらにF君は「その都度行きます。私の相談に答えるのは職員としての義務ですが、その義務を果たさない自由もありますから」と言ってた。メモに取ってるから間違いない。
うまいというか、ズルいというか。職場の慣習やルールと、自分と相手の課題というか、そういうのを見極めていたと思う。それで、♀はまたキレてしまって、「来るな!!」「いや行きます」の水掛け論になった。
♀「嘘つくな」
F「やっています」
♀「マジメにやってるように見えない。仕事はマジメにやらないといけないよね?」
♀「なぜ?」
♀「じゃー答えろや」
F「答えません。それは私が決めます」
♀「……お前をフォローする側にもなれや。お前の後輩が働かんかったらどうする?」
※♀側の意見。F君は仕事そのものはちゃんとやっていた。はず。
F「その状態でも一応は認めます。市民の利益に関することはフォローします」
♀「認めるなや、そんな屑」
F「ところで、仕事というのはマジメにやらないといけないんですか?」
♀「どういうこと?」
F「仕事ができなくても、別に死ぬわけでもないでしょう。北朝鮮やロシアだったら死ぬかもしれませんが。あと、その人が仕事をしなくても世の中は普通に回りますよね。仕事のクオリティが低かったら文句を言われるでしょうが、時間が経てば、世の中の評価基準がクオリティが低い方にスライドしていきます……それで仕舞いです。恐縮ですけど、労働者は仕事をマジメにこなさなくてはならない……まず、そういう基本的な思考から疑わないといけないのでは?」
♀「職務専念義務って知ってるよね。さすがのあなたでも。公務員って、身を粉にして働かないといけないって地方自治法に書いてあるよね。民間とは違うの」
F「そんなの壮大な建て前でしょ。第一、それって特別権力関係の理論(※)ですよね。すでに否定されています。公務員はサラリーマンの一種であり、自治体と雇用契約を結んでいる。その雇用契約の上に公法契約が乗っかってる。それが答えです」
※特別権力関係・・・昔は、一般職の公務員は会社員とは法的に異なる存在だったらしい(法治主義の原理の適用が排除されるべき存在)。今だと、行政法的には公務員は民間の会社員の仲間という扱いになってる。
「いいえ、仕事はちゃんとします。ただ、この世界には……仕事よりも大事なことだってたくさんあると思うんです」
♀「この、あっほっがあああぁっ!!!!」
F「ありがとうございます。自分の存在が肯定されている気分です」
空気感としては、F君は別にここまでひどいことを思ってるわけじゃない。けど、♀の叱責のやり方があまりに侮辱的で、彼は頭にきてるみたいな、そんな空気だった。
そして、またあの時みたいに、グループリーダーが「お前ら、うるさい!」と♀に怒鳴ったのだ……。その時だった、♀が急に過呼吸を起こしたみたいになって、その場に倒れ込んだ。苦しそうにもがいていて、F君も俺も、ほかの職員も駆け寄った。立ち上がることも難しい様子だった。
その場で救急車を呼ぼうと思ったが、「落ち着くまで待とう」というのが福祉課長やグループリーダーの判断だった。
一応はF君をフォローしておくが、彼は上のやり取りのような考え方は採用してない。断固として言える。普段の仕事振りを見てたらわかる。あくまで、経済社会におけるひとつの考え方(ひろゆきが番組で喋ってるみたいな……)に過ぎない。それが、彼も頭にきてたんだろうな……つい、ポロっと口に出てしまったのだ。
♀による日頃からの口撃に腹を据えかねていたのではないか。だから、悪態をつくみたいにして、相手の大事にしてそうな考えを、スズメハチの針でプチッと刺すみたいなことをしたんじゃないか。俺はそう思ってる。
こんなことを考えて彼に同意してる時点で、俺も公務員には向いてなかったのかもしれない。
それから約一年後になるが、その先輩女性は左遷された。2010年代が終わる頃で、世の中の動きはハラスメント撲滅に傾いていた。はてなブログとかでも、そういう方向性の記事がランキングに上がることがあった。
結局、勤務中に差別的な発言すらしていた♀は、上下水道局に異動になった。あそこは基本的に男しかいない。男性職員ばかり40人だったっけ? とにかく女性がいない部署だった。
こういうのは、人事からのメッセージのひとつだ。「あなたは間違ったことをした」というのと「嫌だったら辞めていい。むしろ辞めていただきたい」という二種類の。
ほかにも、辞めてほしい職員にはそういう人事異動を行う。1年単位での部署異動とか、逆に掃きだめみたいなキツイ部署に10年単位で張り付けなど、とにかくいろいろだ。介護家族がいる職員への遠隔地出向などもある。査定の低い職員は、60才になる年に再任用の届け出を出しても当局側から拒否される。
ただ、あの♀については可哀そうだった面もあるよ。体質的に感覚過敏とか、神経過敏みたいな症状があったのかもしれない。病気とかやってたのかもな。ストレスが溜まってたんだろう。
俺だって30代半ばだ。気持ちはわかる。けど、俺は勤務中にああいう発言をする職員はやはり許せない。青臭い考えかもしれないが。
この頃になると、F君はそこまで悪質な人間ではないのでは? という考えが生まれていた。職員に対して態度が悪いところはあるが、企業や団体を含めた市民の方を向いて仕事をしていたし、結果も出ていた。
《エピソード①》
まず例としては……この頃、大きな会議があって都内まで行ったことがあって、その帰りにF君と一緒に電車に乗っていた。で、都内ってやっぱりさ、半グレみたいのが多いじゃん。どこの市区かは地域差別につながるから伏せるけど。
その車両では、3人ほどの半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていた。酒を飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車だ。
あまりにうるさいから、ほかに乗っていた主に高校生らもビビっていた。それで、半グレどもの1人が、「やってやるからな!」と大声を出したあたりで、F君が立ち上がって――別の車両の方に歩いて行った。
その途中で、目配せをしたんだよな。高校生らに。「この車両、離れろ」って感じで。で、女の子の方から前の車両に移っていった。いやあ、あれには参ったね。たまにはいいことするんだなって思った。俺には思いつかなかった。
半グレ風の男の1人は、気が付いたみたいだった。席を立つと、F君に近づいていって睨みつけた(さっき叫んでいた奴だ)。F君に視線を向けて、何十秒かバチバチとやりあった後で、元の席に帰って行った。途中、俺達が座っていた座席に痰唾を吐き出した。それも2回。
その後は俺達も前の車両に移った。それから何もなかった。無事に庁舎に帰ることができてよかった。
《エピソード②》
あとは、高齢者に優しい。公務中に、道端とかで爺さん婆さんに話しかけられることがあったんだが、F君はきちんと対応していたよ。ちょっと話して去るとかじゃなく、じっくり話を聞いてた。五分以上になることもあったかな。親切丁寧だった。ほかの職員にもあれくらい丁寧に接してほしい。
年配とまではいかないが、俺が休日出勤で警備員詰め所の前まで来た時、副市長とF君が一緒にいるのを見た。あの知性の鬼で知られる副市長が、F君と和やかな感じで雑談してたんだ。副市長がカードキー探してるところに、サッと自分のを差し入れて扉を開けてた。それで、「副市長、今日も休日出勤なんすねwwwwww」みたいにふざけてた。
《エピソード③》
あとは、なんだったかな。福祉事務所の仕事で、虐待を受けてる可能性がある市民を保護施設に連れていく仕事があった。暴力沙汰になっても大丈夫なように、若い職員が中心になって家にお邪魔する――虐待者がいない時間帯を見計らって。今回は午前中だった。
古風な家屋だった。半分空き家レベルの。職員数人でお宅の呼び鈴を鳴らすと、ちょっと事情ありげな(詳細は書かぬ...)お爺さんが出てきて、ああ、この人だなと思った。女性職員がお爺さんに説明を始めて、それではさあ保護施設へ……となったところで、虐待者と思しき人が乗った乗用車がこの住宅に帰って来るのが遠目に見えた。この丘陵地帯には家が数件しかなかった。
「まずい」と思った。こういうのは本来、うちの総務グループの仕事ではないから、自分は虐待者と直接対応した経験はない。どうしようかと焦っていたら、F君がその乗用車の方に向かって行った。俺達の視界から消える時に「行け!」とジェスチャーした。
お爺さんを公用車に乗せて、無事に門扉を出た後、F君の姿が見えてくると……虐待者を呼び止めて、どこかに行ってた。おそらく何かコミュニケーションを取って、それとない理由でどこかに案内を求めたのだと思う。グッジョブだった。
これはあれだよ、クソ度胸というやつだ。見つかってたら大変だった。前任者によると、運が悪いと連れ去り事案で警察に通報されるらしい。お巡りさんも事情を話せばわかってくれるが、当然ながら福祉課に対して「もっとうまくやりなよ……」という警察からの指導がある。
昼休みが終わって、F君が福祉課に帰ってきた。徒歩だった。「大丈夫だったか?」とグループリーダーが聞くと、「問題なしです」と言ってた。F君が席に座ろうとする時、胸襟のところを見るとネクタイや胸ボタンがダメージを受けていた。
ここまで書いてて気が付いたが、おそらく俺は憧れの感情を抱いていたのだ。F君に対して。
F君は自由だった。俺はといえば、上司や先輩の顔色をうかがってばかりで、いつもへコヘコして、自分の仕事を肯定するために法律文や引継書類を探してた。承認欲求も満たされてなくて、週に一度は後輩(特に女性)や臨時職員にマウントを取ったりして、そんなのばかりだった。
今思えば情けないが、これが普通の20代の男なのかもしれない。商人欲求に飢えている。今思えば、俺も弱者男性のひとりだったよ。だって、弱いじゃん。当時の俺は。今もそうかもしれないけど。ここまで読んだあなたも、そう思っただろ。
でもF君は、いつも堂々としてたし、良くも悪くも人の顔色をうかがわないし、法律や引継資料よりも自分のロジックが主体で勝負してたし、後輩の女の子や臨時職員にマウント取ってるのを見たことがない。
俺は自由じゃなかった。それは、俺にとって一番ほしいものだった。でもF君は、全部じゃないけど、そういうのを持ってた。俺と同い年なのに。そういうのが歯がゆかった。
男も女も、類似性で仲間を形成する。男の場合、概ね以下のカテゴリになる。
1.スポーツが出来る奴
2.ガリ勉
4.無能
5.何考えてるかわからん奴
スポーツ、ガリ勉、オタク、無能の順番でモテる。高知能集団だと社会で活躍できる要素がモテに反映されてガリ勉の方がモテることもある。
上位の序列と親しいことは喜びで、
下位の序列と親しいことは汚点となる。
この軸を基本に、暴力性が掛け算される。暴力性とは、態度の大きさとそれを正当化する筋力、身長、武術、人脈を示す。人脈とは、主に不良コミュニティとの交わりを指す。
暴力性が高いと、序列が上がる。序列が上がる理由は、モテるからだ。
なぜ母親が男の育てをしてはいけないかと言うと、母親には暴力性の概念がわからないから。
将来のために沢山お勉強してほしい、優しい子に育ってほしい。
これは同性に対するベストプラクティスであり、男子学生にとっては舐められ要素だ。
小さいうちに同性から舐められると、学校での活動が大きく制限される。自分の意見を伝えて、受け入れられる確率が下がる。
学校の活動で成功体験を得るためには、意見を通すための裏打ち、つまりモテ要素、スポーツ、身長、筋力を養って行く必要がある。
お母さん方は、自分が若い頃に感じたトキメキ、強くて怖い男に対する妙な安心感や頼りがい、
これを思い出すべきだな。
そして、息子にもそういった要素がないと、
クラスの端っこで勉強して、話も面白くない、とにかく関わる価値のないのない陰キャ扱いされてしまう。
そこを考えてあげた方がいいな。
ワイも最初これがわかってなかった。らだが息子の学校の男子らの喧嘩や力関係を大概試合や行事の観察で理解した。男社会は力が支配する。力がなければダメだ。
それは父親がルールを教えなければならない。女にはわからぬ世界だよ。
だからワイは一歩引いている。母やが細かく世話を焼くのもダメだ
男社会のルールを知らないから。うちの婆さんはシンママだったから叔父さんも苦労したらしい。女所帯は近所からも舐められて石を投げられバカにされまくった。
単に力って言うとあんまり面白くないんですどね。男社会には男社会のエレガンスもあるんですよ。
紳士協定みたいのがある。
男は敵にも加減する。敵も友になる。
女はそれがない。手心を加えない。加減がわからないから叩きのめしてしまう。
ここからは「今日知った言葉」の趣旨から外れた、超個人的な余談になるため別記事で書く。
餃子靴という言葉を知ってから、記事を書くために調べていったんだが、この靴は現代だと「おっさんが昔に履いていたダサい靴」という扱いをされていた。というか餃子靴という通称自体、そういった揶揄的な意味合いも込められているようだ。
おっさん靴といえば、厚底のボリューミーなスニーカーが“ダッドスニーカー”といわれることもあるが、これは今でも一定の需要と供給があり、若者が履いていることも珍しくない。
対して餃子靴は、現代だとまずみない。おっさん靴で、どうしてここまで差がついたのか。考察ごっこを楽しんでみたい。
まず考えられる理由ひとつめ、「餃子靴がビジネスシーンに適さないことが認知された」から。
そもそもスリッポンタイプの革靴はカジュアル寄りのアイテムだ。さらに餃子靴はシワも悪目立ちする。アイロンでシャツのシワを伸ばしていても、足元がシワだらけの革靴では格好がつかない。
だが昭和の時代はネットなどの情報を得る手段に乏しく、スーツ店の営業も試行錯誤の段階だった。サラリーマンのビジネススタイルも今より馴染んでいない。
模範的なビジネススタイルや、ドレスコードを知る人が少なく、知る手段も限られている。「スーツにネクタイしめて、革靴履けばいい」となるのも無理はない。革靴であれば何でもいいのなら、あとは機能性重視で着脱簡単・履き心地そこそこの餃子靴が選ばれるのも自然の流れである。
しかし模範解答が出揃った現代で、あえてこの“不正解靴”を履く新卒はいないし、需要の減ったものを大量生産するメーカーもいない。
ふたつめの理由は、「ビジネス・カジュアルシーン(ビジカジ)ならスニーカーを履く」からだ。
現代は働き方も見直され、コロナ禍などにより環境も変化、それらに合わせてビジネススタイルも多様化した。ボトムスをジーンズやチノパンにした所謂“ジャケパン”スタイルは随分前から定番化しているし、近年では在宅向けのパジャマスーツなんてものも流行った。
そんな現代において餃子靴の付け入る隙はあるのだろうか。大手の靴メーカーがビジカジ向けのスニーカーを提案してから随分と経った。当時のサラリーマンに使い勝手の良さから親しまれていた餃子靴が、現代のスニーカーと肩を並べられるだろうか。
みっつめの理由。「餃子靴がダサい(と思われている)」。ある意味で、最も深刻な理由かもしれない。
ひとつめの理由でも触れたが、そもそも“変なシワの入った革靴”はコーデに馴染みにくい。その上、革靴としては不出来に見えやすい。
カジュアルシーンで使う革靴は履き込むことで味わいがでて、その人の足に馴染んでいくことを楽しむ。履き心地は二の次のカテゴリだ。
そんな中で、履き心地のために施された餃子の皮のようなギャザーは“不自然なシワ”と捉えられる。この意匠は“機能美”ではなく、“見栄えを犠牲にした”ものというのが大方の見解だ。
「昭和世代、靴に無頓着だったサラリーマンが履きまくっていた」というイメージも根強く残っている。それでも現代で履くなら、よほど強いこだわりがないと難しいだろう。
餃子靴が再び流行る可能性があるかといわれれば、正直ビミョーだと思う。
革靴の潮流は、他の靴カテゴリと違って緩やかで鈍い。昔からあるディティールのものが順繰りに流行り、せいぜい素材使いや靴底が変わったりするくらい。
餃子靴以外の“おっさん靴”としてはダッドスニーカーが有名だが、スニーカーの流行とアップデートは勢いがあるから若者など大衆にも親しまれている。餃子靴にはそれがないから廃れたのだと思われる。
それでもワンチャンあるとすれば、餃子靴特有のあのシワを“そういうデザイン”としてプロデュースすれば、もしかしたら……ってところ。
例えばスニーカーやブーツなどに餃子靴をイメージしたデザインを取り入れて、パリコレとかミラコレとかで披露する。「ギョーザライン」みたいな名前つけてさ。
それを他のブランドも真似して、インフルエンサーとかが盛り上げていけば、ゆくゆくはルーツたる餃子靴も再評価されるかもしれない。
課長がすごい剣幕で「おい,謝りに行くぞ‼」と言って
なんのことかわからず付いていく。
私がいつも連絡を取っているその係長も何を言われるんだろうと困惑気味
間に合わないかもしれません。すいませんでした。」と私の後頭部をつかみ頭を下げさせる。
この時点でも,何のことかわからない私
全員揃ったところで,
係長「どういうことですか?」
課長の話を要約すると,私は100社近くから提出される資料を集計して,その係長に渡すのだが,
私のところへ提出される対象資料の期限より前に,その係長に渡す期限が来るので
私のところに期限ぎりぎりにくると,その係長に期限内に渡すことができないから
その期限の設定なんて,提出が難しい場合はご相談くださいって最後に記載してあるから,
私のところに提出が遅れそうな場合,事前連絡があって,その連絡を受けて
私がその係長に連絡して,最終的なデッドラインまでに提出することになっている。
そのことを知らない世間知らずの課長が一人で騒いでいるんだよね。
「承知しました。事前にお伝えいただきありがとうございます」と言って
少し話した後に席を外した。
神妙な顔で演技した。その場はそれで収まったが,
収まらないのが私
後で,その係長が「お疲れ様です。心中お察しします。お疲れさまでした。」と
言ってきた。
私も「すいませんでした。そちらの課長もお忙しいのに付き合わせてしまって。よろしくお伝えください。」
と返事をした。
そういった期限の調整は係長の仕事なのに,仕事の分担をわかっておらず
本当に仕事のできない課長で有名なんだけど,私がいろいろ指示せざるを得なくなって
指示しているのに,それをなんで,係長がそこまでやるんだ?むかついているのが分かる。
することがないから,私の仕事ぶりを暇そうに見ているのは知っているが
前任の課長のようにプライオリティを考えて進めるということができないのが致命的なのです
トラブルの度合いが分からないから,なんでも上に報告してしまうのもウザいって
幹部は思っているだろう。
フーディとトレーナーでも
この寒い時期はお仕事着を着なくてもいい人はだいたいパーカーかスウェットなんだよなあ
セーターとかかわいいカーディガンとか洗うのが気を遣う手間がかかる服を着たくない
そりゃおしゃれな服は着たいけど朝は子供を幼稚園に送るために忙しくてなんならお弁当作らないといけないし
私はフードがついている服が嫌いなのでスウェットがよいんだよな
部屋着とかパジャマにパーカー着てる人いるけど仰向けに寝転んだときにフード邪魔じゃないか干すときだって面倒だし
それにしてもポリエステル100パーセントのスウェットは1枚千円くらいで買えて、安すぎる
すぐに毛玉だらけになるんだろうなと思うとポリエステル100%のスウェットは買えない
私はこの冬は寝るときも起きてるときもスウェットとジョガーパンツスタイルで朝の着替えをしなくてもいいようにした
社会人として働く人たちもオフィスとかでスウェットで働けるようにしたらいいのにね
寒いのにわざわざYシャツとかブラウスとかネクタイ締めて、とかさ
オフィスファッションを楽しみたい人はスーツスタイルとかきれいめの服を着ればいいけどさ
あったかいスウェットを着るという選択肢があってもいいんじゃないか
ストリートファッションとかアメカジみたいなかっこうでオフィスで働いてもいいんじゃないか
えー俺ADHDだったのかな、気質がめちゃめちゃ同じだしこの人となら仲良くなれそう(そして吸い取れる情報全部吸い取ったら次に何言っていいかわからなくなって分かれそう)
ただ集中したくないものに集中できる方法をなんとかあみだした(たとえば興味のない教科の先生の似顔絵を描き続けることで起きていられるようになった)ために全然生きづらくないんだよね
あとみくびらせておくのはとてもラクだけど30越えたら絶対威厳がほしいとおもってて口ひげはやしたりネクタイ派手なのにしようかとは思った
自分では宗教者として万人にいい顔しておく係とか政治家とかになればとてもやりやすいとおもう
初めて会う人にひとなつっこく親身に接することが出来る
ただ一生に1人だけにささげるとか無理
まあなんだかんだ結婚はしたんだけどね
AV嬢になりたいというのと、風俗嬢になりたいというのはちょっと違うか。
話は違うけど、なんで日本はこんなに性風俗のマーケットが大きいのかね。
ちょっと検索すると3兆円規模~5兆円あるいは9兆円規模ともいわれる。9兆円ともなるとアパレル市場と同規模なんだそうだ。
AVだけでも、その製作本数は年間3万5千本、毎日100本以上の新作がでて、3000人が毎年デビューしているんだとも。
性風俗従事者いわゆる風俗嬢について正式な統計はないものの、経済学者の飯田泰之氏は30万人という推計を出していいる。
先ほども名前を出した飯田泰之さんは、全国の風俗店の推計稼働店舗数と、一店舗の推計在籍人数をもとに、風俗嬢と呼ばれる働き方をしている人は全国におよそ30万人いると推定しています。
30万人というと、沖縄県の那覇市や、三重県の四日市市などの人口と肩を並べる人数です。風俗嬢の年齢別ボリュームゾーンである20~29歳の女性に限った場合、20人に1人が関わっていてもおかしくない数値になります。
20代女性の20人に一人が風俗嬢? 性風俗業界が抱える「見えない孤独」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
ほええ。。
風俗嬢って案外、30代40代が多いと思っているので、ボリュームゾーンの考え方はどうかなと思うけど、多いのは確か。
AVなら偶像化されたい願望とマッチするかもしれないし、偶像化を求めるのは、日本の昔からの文化的なバックグラウンドが大きいんだろう。
でも、風俗嬢は?自己肯定感への渇望だけでは風俗嬢にはならないよなあ。少なくとも30代40代の風俗嬢というのは。
職業に貴賤はないとかいうのも、売る側にとっても当事者たちが自分を納得させるのに都合がいいからそういうだけであって、
ユーザーサイドからすると、実際には、風俗でもパパ活でも、自分はユーザー側でありながら、風俗嬢に説教する、というタイプの男性が往々にしているように、
建前と本音を使い分けている。なぜだろう。なぜ堂々と、お父さん今からパチンコ行ってくるねくらいのノリで、抜いてくるねとは言えないのか。もしくはAV嬢の星を目指せと娘を応援する、そういうことがいえて初めて貴賤がないとガチで信じているといえるはずだ。でも、それってそういうひとって普段の人間関係何かぶっ壊れてないですかね。
わいせつの消費や性風俗の利用は、その行動が通常の社会関係や信頼(家族)を壊しかねないわけで、
そういう事柄をわいせつと再定義できるのかもしれないとふと思った。
逆に言うと、通常の社会関係を維持しようとすると、どうしてもわいせつなものは卑しいと言わざるを得なくなるし、抜いてもらってから賢者タイムで我にかえって、
こんな仕事しててケシカランみたいなことを説教しだしたりする、浮世の社会関係から切断する操作が必要になる、そういう確認作業が、心理的なメカニズムとしてあるんだろう。
自分は風俗に通っておきながら、風俗は賤しい仕事でなければ困るわけだ。家に帰れば普通のパパでいたいからね。風俗と割り切れれば割り切れるほど賤しい。スナックの女に手を出す、みたいなのはかならずしも割り切れないから、危険な遊びということになる。芸者遊びとかお妾さんとか枕営業いうのは、そういう意味では地続きだ。社会関係を壊さないという満ち満ちた自信と権力があれば、危険な遊びは、カネで買う必要がなくなって、いくらでも社会関係の同一線上で行うことができてしまう。ジャニーさんみたいにね。
だから、風俗が賤しいという認識は、歓楽街と家庭の間に結界をつくって、穢れを断ち切ることで安心して家庭に戻りたい、凡庸なユーザー(男性)の側の勝手な都合が大きく反映している。
無店舗型の風俗いわゆるデリヘルが風営法改正で2000年代に急速に広がり、供給が増えることで単価も下がっていった。
供給の広がりはサービスの多様化も併せ持った。昔のようにソープ一択みたいな感じではなくなり、よりカジュアルな風俗が増えた。またインターネットの普及で、ネット予約が当たり前になったことで、風俗嬢にとってもユーザーにとっても風俗へのハードルが下がったこうした背景は間違いなくあるだろう。それがひとつ。
あともうひとつは、ユーザーのマインドとしても、バブル崩壊後の落ち込む日本経済を反映して、女性の貧困がますます浮き彫りになり、風俗への流入が進む一方で、男性は通常の社会関係を壊すような危ない遊びはしたがらなくなった、ということかな。
AVにしても、昔はポルノは映画館で暗闇でみるものだった。メディアがVHSのビデオになり、それからDVDへととってかわり、やがてネット配信の動画へと進化した。家で置き場に困り、ビデオデッキでガチャガチャっと音を立ててセットしなければいけない時代は遠く過ぎ去った。昔だったら、三本くらいのビデオを引き出しに隠し持っていたのがせいぜいだったのに、今では1000本くらいストックできるし、ストックする必要すらなくオンデマンドでどこでもいつでも視聴できる。エロの世界に浸るぞ、という仰々しさはどんどんなくなって、カジュアル化した。それが手軽にさくっと抜きたいユーザーニーズの多様化という需要にもマッチした結果なんだろう。
いつでもスマホでポルノ、みたいな手軽な時代になった、ということは、スマホでエロ動画をみながらも日ごろの俗世間の人間関係を簡単に維持できるということを意味する。江戸時代の吉原大門みたいな結界のあった時代と異なり、祝祭的な異空間から俗世間に戻ってくるような、ある種、宗教的ともいえる気持ちの切り替えの機会もない。
中井貴一がデビューしたての頃のドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年放送)のなかで、抜いてもらったあげく風俗嬢に説教するシーンがあるが、そういう気持ちの整理は、俗世界での人間関係の葛藤とセットだった。それは世間体とよばれるものであったり、家督といわれる家中心の考え方だったりした。中井貴一が風俗嬢に向かってこんな賤しい仕事はやめろよ、というとき、その心の裏側にあるのはあるべき家族像であり、家族の価値であり日々の人間関係だからだ。それを無意識に確認し、再生産する儀式として風俗嬢への説教があるという見方もできる。
ということは、風俗嬢側も、ヌキ終わったらさっとネクタイを締めて部屋をでるサラリーマンをみて、それはある程度、差別される宿命を理解していたし、今もしているだろうと想像せざるを得ないのだけど、そういうものが性消費のカジュアル化とともに少しずつ希薄になってきているのかな。
昔に比べて風俗嬢が増えている、かどうかは知らないが、AV嬢は確実に増えていると思う。
それはひとつに、性サービスがカジュアルになった結果、さっきまで浸ってたエロ世界と俗世界を切断する、みたいなユーザーもそんな儀式はいらないし、AV嬢や風俗嬢側も、昔に比べて差別されているという感覚が希薄になっていったということが、相乗効果になっているのではないかとふと思った。
また、同時に昔に比べて、家族の価値や日々の人間関係も希薄になったのだろうと思う。それは風俗に関わっていることが日々の家族のなかで発覚してもそれほど大きなダメージはなくなっている、ということなのかもしれないし、あるいは、元増田のいうようなこと、つまり家族関係に、自己肯定感をはぐくむ場としての機能が失われつつあるということなのかもしれない。それが悪いのかどうかはわからないが。AVがこんなに蔓延しているひとつの考えるヒントではありそうだと思う。