はてなキーワード: ニンテンドードリームとは
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12173-056478/
はじめに、誤解のないように言っておくと、私自身は所謂「ネタバレ」はお勧めしない。
だからブログなどに投稿するときに「ここから先はネタバレなので注意して下さい」と注意を書いたり、
「物語最後の方で、とある人物があれを持っていることが判明するのは予想していなかった」等とぼかして書くのは分かる。
一方、そのようなファン同士の“揉め事”を未然に防ぐために、アーティストやアイドルのファンの間では、ライブツアーの最終公演が終わるまではセットリストや演出内容などがわかる感想を投稿しないという“ネタバレ禁止”文化が存在する。
アーティストたちにとっても、参加回数に関わらずライブを観に来るファン全員を同じように楽しませたいという意識もあるのだろう。実際に、NEWSはメンバーの希望で“ネタバレ禁止”を徹底しており、ツアー中はネット上でほとんど情報が出ない。
だが、基本的には“ネタバレ禁止”はファン側の“暗黙のルール”。ファン同士の“配慮”によって成り立っている部分が大きい。どこからNGなのか、どこまでOKなのか、ファンになりたてのネットユーザーにとっては困惑することのひとつでもあるだろう。
本来投稿すること自体は自由であるはずなのに、何故禁止なのか。
見たくない人に強制的に見せつけることは問題であっても、「ネタバレ自体禁止です」という権限はNEWSのようなアーティスト・主催者側にも、ファンにもそもそも無いはずである。
権利がないのに権利を主張する、これは「擬似著作権」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E4%BC%BC%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9)に構図的に近い気がする。
「ネタバレの著作権」「セットリストの著作権」という意識で主張しているのかは分からないが、構図的には近い気がする。
「ネタバレ注意」は分かるが「ネタバレ禁止」はおかしいと考える。
こうして今思った事だが、誤った権利意識が人の権利を侵害しかねないのかもしれない。
まして事実を書くという問題のないはずの行為に禁止ですというのは正当性があるのだろうか。誤解を拡散しないでくださいなら分かる。
ところで、余談であるが、ネタバレ禁止というのはいつまでの期間なのだろうか。
一つ思い出した例がある。任天堂の人気ゲームソフト、ゼルダの伝説 時のオカリナ(1998年11月21日)にゼルダ姫という人物が登場する。ゲームが進むと、ゼルダはシークという人物と同一人物である事が判明する。
同一人物という情報はネタバレ禁止で当時雑誌にも載せていなかった。永久規制と言われていた。
しかし、その後任天堂より発売された「大乱闘スマッシュブラザーズDX」(2001年11月21日)という格闘ゲームでは、ゼルダ姫はシークと姿を変えながら戦う。
スマブラを先に遊んだ人が、ゼルダの伝説 時のオカリナを後から遊んだら、シークを見て「知ってる。この人の正体はゼルダ姫でしょ」と分かる。
つまり、スマブラはゼルダの伝説のネタバレになっている。それも発売元の任天堂がネタバレをしている。
私の記憶では、当時ニンテンドードリームという雑誌では、ゼルダとシークが同一人物というネタバレは禁止ではなかったのかという疑問が読者より寄せられていた記憶がある。
作品発表よりも、何年も立てばネタバレ禁止は意味がないと判断したのかもしれない。
想像だが、展開が有名な作品はネタバレとは見なされないのではないだろうか。
それとキャラクターを特徴付ける重要な設定は、後から判明するものであってもネタバレとは見なされにくいのではないだろうか?むしろ、ファンからすれば知ってほしい事実のような気がする。
モバゲーからデレマス・Mマスを引き上げろというアイマスファンはいない
任天堂ファンである小生も振り返れば何故かマリオやポケモンといったキャラクターより任天堂ブランドそのものを愛したがり
しかしひとたびアイマスファンを見れば、運営会社なんかに目もくれず、一途にアイドルを愛し続けているではないか
もしかしたら彼らは所作がおっさん臭いだけの純粋な少年少女ばかりなのではないだろうか
小生はひどく落ち込んだ、みじめに思えてならなかった
しかし小生には彼女を純粋に愛せない、彼女は社会の不運によって存在を消されかけた
普通の企業ならそのまま負の歴史と共に存在を消されてしまわれかねなかった
しかし彼女は任天堂の懐の深さにより見事復活を遂げたのだ、そう、それは素晴らしきアメリカンドリームならぬ素晴らしきニンテンドードリームだ
愛情の半分しかニッキーを愛していないのだ、アイマスファン比で50%の愛情パワーだ
タイマンになったら戦力差は歴然、ワンパンで小生のニッキーを愛する心は粉々に砕かれる
意識が遠のく中で彼の愛した輿水幸子という存在を知ろうとするも、輿水泰弘(相棒の脚本家)のモジャモジャ頭がうっかり思い浮かび
そのモジャモジャ頭が走馬灯のようにグルグル華やぎながら、全てが黒の中に消え失せてしまうだろう
そうじゃないのだ、ニッキーを私は純粋に愛したいのだ、贅沢を言わず120%くらいのパワーで
なのに、小生はそれができない
みじめだ