はてなキーワード: ニアイコールとは
結論から言うと、小池百合子氏と、山本太郎氏と、ごとうてるき氏の3人って、政策は違うけどただパフォーマーという点でニアイコールじゃないのか。
俺と大学の後輩Aと、働き出してからの知人Bの3人で都知事選の政見放送を見た。
Bがごとうてるき氏の動画を見て極めて辛辣なコメントをして、Aは「何か懐かしい感じがした。ああいう奴、沢山いた」と言って、俺もAに同意した。
Bに散々「そりゃ、あんたらの大学だからだよ!」と言われて、確かに俺たちが卒業した大学はパフォーマー志望の多い学校だったのでその通りなのかもしれないんだけど、逆に言うと経験も知識もスタッフも欠けた人間が、とにかく人前に立って目立つという命題に向かうと、時にごとうてるき氏的なパフォーマンスに行き着くのも珍しくないのかもしれない。
だって、山本太郎氏だって30年前メロリンQだったじゃん。あれと何か違うか? となると、俺にはその差はわからない。
目的が【芸能界で身を立てる】か【選挙で当選する】かの違うから、やる場所がバラエティー番組か政見放送で違うだけで、双方手段が【インパクトで目立つ】という戦略を取っただけなんじゃないだろうかと思う。
確かに当時高校生だった山本氏と、既に30過ぎのごとう氏が同じ状態はヤバいでしょ。っていうのはわかるんだけど、でもそれ大きなお世話でしかない。
実際若手を中心に、芸人さんとかアイドルとかで、ごとう氏のこと全然笑えない人が相当数いると推測してる。
メロリンQに30年のパフォーマー経験と、スタッフを与えたら山本太郎氏になるんだから、ごとうてるき氏がどんくらいか経ったら山本太郎氏や小池百合子氏に到達してないと誰が言えるのか。
ほんでたまたま山本太郎氏の選挙演説をやってる所に出くわしたんだけど、動員がどうのこうのは知らないんだけど、さすがに人前で話すのが上手だなと感じたし、まあ芸だと思えば只で見られるなら人も集まるかなと思った。
あと、全然最近そういう動向気にしてなかったんだけど、山本太郎氏が演説してる時にでっかい三色旗が2本だか立ってたんだけど、れいわ新撰組って公明党の下部組織かなんかなの? 大作先生と大勝利って寸法なの?
「すべてのオタクを一括りにしているわけではない。全体としての傾向を語っているだけ」そういうエクスキューズが散見されるけど、
十年以上時が流れて現在は、KKOとオタクがニアイコールになり、現実社会で救われるべきと、オタクの主張の方が変わってしまった。
「知るか」で終わり。
私は生まれた時から私であり、「オタク」だとか「男性」だとかは私を構成する要素の一つに過ぎない。
「現実の女性とのセックスや恋愛は本当に必要ない、三次は惨事、二次元こそ至高!」と言っていた当時のその人物本人が、現代では「現実社会で救われるべき」と鞍替えしたんだという統計的なエビデンスでもあるのか?
というかね、今も昔も二次専が多数派になったことなどないよ。「オタク」コミュニティに限定してもね。ちょうど手元にある小麦ちゃんの漫画(2003年発行)に、二次専の脇役が出演してるけど。「奇特な人」という扱い以上の描写はない。(それなりの敬意がある描写で私は好きなキャラだけどね。)
最近はLGBTが「流行り」だけれども、LGBTがいつマジョリティになった?
単眼娘とかも「流行り」だけど、そこら辺の男女に見せたら大概は「キモい」と一蹴されるだろうよ。
黒人音楽が流行って何十年経つ?それから黒人差別はなくなった?
「マイノリティだから、流行る」し、「流行として消費されてきた」ことそれ自体が「搾取」であるという側面もある。
もちろん恩恵も多いから、マジョリティとは上手く付き合っていきたいとは思うがね。
まあ言いたいことはわかるよ。でもさ、そういう全体的な空気感に嫌悪を覚える人間の前で、「君たちって全体的にこうだよねぇ」という「事実」を突きつけることがどれだけ暴力的か理解してくれ。
便乗して語らせてください。
上野千鶴子がこういうことを言っていた時代と、「(ギャルゲーなどを消費するするシスヘテロ男性の)オタク」の側と、彼らに対する批判の内容が変わった結果、上野が過剰に非難されているのだと見ている。
*以後、いちいち書くのもうっとうしいので、「オタク」をもって「ギャルゲーなどを消費するシスヘテロ男性のオタク」に変えます。
当時、オタクの側の主張の大勢は、現実の女性とのセックスや恋愛は本当に必要ない、三次は惨事、二次元こそ至高!というものだった。代表としては、本田透の『電波男』だろうか。
対して、非オタの世間はオタクを、女性をものに出来ないからゲームや漫画を代替物として危ない性癖をこじらせている、本人の表面上の意思に反しても現実の女性とつがわせるべき。と論じがちだった。
で、上野は、オタクが二次元にしか興味がないというなら本当にないのでしょう。だったら現実に女性に加害をしないのだから、女性にとっては無害で、問題にする相手ではない。血縁家族を社会保障の前提とする現代日本では子供を作らないと困るフェーズが来るだろうが、それもオタクの自由のうち。というようなことを、過不足ありつつ散発的に言っていたと記憶している。
要するに、オタクの主張を信じて彼らのしたいようにさせておけ。というだけの主旨で、オタクの積極的な味方ではないが敵ではなかった。
十年以上時が流れて現在は、KKOとオタクがニアイコールになり、現実社会で救われるべきと、オタクの主張の方が変わってしまった。非オタの世間の方は、美少女コンテンツの氾濫ですっかり慣れた結果、いちいちオタクに違和感を表明しなくなった。プラス、上野は他にもオタクに嫌われる言動があり、上野の能力主義で自由主義な古典的リベラルフェミニズムとコンテンツ規制論を含む他の流派のフェミニズムとが混同された。結果として、当時の発言が実際以上にオタクを敵視したものとして取り沙汰されてしまっている。
と、こんな流れなのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20111026044608 の続き。
IMFへの資金供出とスワップ協定をあんまり平たくごった煮するとおかしくなる・・・というのもありますが。
為替的な意味では(暴落中の)韓国にとって都合が悪く、(上昇傾向の)日本にとって比較的安全な条件です。
つまり借金の枠は広げたけど貸し方も一緒、ではないのは明らか。
- Q4.なぜ、今回IMFを通さないのか?
- A4.韓国経済を監視できるのではあれば、特にIMFを通す必要性はありません。IMFの取立ては強硬で、だからこそIMFをかますべき、という主張がネット上にはあふれていますが、1997年のアジア通貨危機の際のIMFのやり方はあまりにも酷かったため、東アジア各国には概ね不評です。それにIMFの運営に関しては欧米の発言権が強く、相当の金を出している日本でさえあまり発言権を持てていません。IMFが関与するくらいなら、と危機が深刻になるまで支援を求めない、という事態を考えれば、IMFを挟むことにそれほど意味があるとは言えないでしょう。ちなみに、2008年の金融危機の際、韓国はIMFが関与するCMIの利用を避けて、アメリカに直接支援を求めました。また、CMIでは元々支援額が1割を超えればIMF関与を義務付けるようになっていましたが、IMF関与を嫌う傾向から、2割にまで条件が緩和されています。
あと『IMFに対する日本の発言権』がなぜここで登場するのかが不明瞭。
IMFに期待するのは日本がお金を貸したときに取りッぱぐれないこと。それだけです。
IMF関与を避けたい韓国の思いにいそいそと応じるのは、韓国のためにもなりません。
- Q5-1.なぜ今の時期なのか?
なぜ?に対する答えになっていません。こないだ中国がスワップの延長を拒否したから韓国の都合で、今!なだけです。
日本にとってはむしろ震災補正予算も完了していないのに火種を増やされ、甚だ迷惑なタイミングです。
とりあえず言っとけ、というのは欧米韓国中東いや世界中の外交見ていても基本のキです。
まあ関係ないわな。こんなんに釣られるのがおかしい。ネトウヨさん釣られたの?
そういうもんだからこそ、毀損される恐れの高いところにはお金を出すなよ、という話なんですが。
上から目線の回答が、実はズレてるのに気付いてないんでしょうか。
ああ破綻の可能性は日本もアメリカもEUも韓国と同格ですか。・・・そうですね、それじゃ、ごきげんよう。
1997年や2008年の対韓協定の条件も記者クラブ大本営を通じて表に出てますのでggrks
なんで今回になって公開すべきでないとか決めたの?そんなの絶対おかしいよ!
- Q6.韓国に資金を貸してもどうせ踏み倒すに決まってる!
「どうせ踏み倒すに決まってる!」は、充分あり得ます。
ここでいう返済とは、ロールオーバー(借り換え)のことを言っているのでしょうか?
金利払ってるからいいじゃん、てのはいずれ通らなくなります。詰みます(これは日本を顧みても・・・ね・・・)。
日韓スワップを使用しなかったのは、前述の理由で「使い辛かった」からです。
むしろ日本にとっては発動してリスクマネー化しなくてよかった話でもあります(金利厨乙)。
米韓スワップ協定の締結時点で、返済期限は2009年4末でした。
韓国、耳を揃えて払ってない!
ほぼ全部に噛み付いていたら、やたら長くなって泣きそうになりました。
この協定によって、日本が韓国にドルを貸したとしても、日本はその使途を追えません。
韓国は恒常的に覆面介入を行っているのですが、いつ、いくら、どう使ったか明確な情報を外に出しません。
2008年の米韓スワップ発動においても、いくら借りたか、という米側の情報しか出てきませんでした。
別の借金の支払いに使おうが、着服しようが、またどこかから金策して「返しさえすれば」OKなんです。
それは実質的に・・・日本が韓国にクレジットカードを渡した(アンタイドの援助をすると表明した)のとニアイコールなんです。
ネトウヨは「数学のテストで、式を書かずに感情で答えを出したらだいたい合ってた」状態です。
国対国ですからそこは信義がある、はず、ですけれど、日本政府には明細が届きません。
スワップ枠を維持しつつ、中国から切られて日米に金主を乗り替えたと思われる今回。
年末にかけて発動させて中国への返済や単純な韓国債償還に充てたら(+バレたら)、ネトウヨや産経が怒るのも当たり前だと思います。
次に倒れる時に債権持ってたら、そのぶんマネーゲームで言うところの負けですからね。
元増田は状況的に3万が相場かもしれないけど、2万でどうだろう。という話だと認識しているので
そういう状態なら3万にしとけ という 話だと思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20110203114235
本来は3万払わなきゃいけないところを相談して結託してみんなで仲良く2万円にしようっていう話がでた。
この手の話題は毎回でるけど、本来3万ならまぁ、3万にしとけという話も出すのが冠婚葬祭。
結婚しないとかならともかく、一般的に 呼ばれる回数と 呼ぶ人数はニアイコールになるから 同一クラスタないなら支出と収入の差分はニア同額になる。そして、結婚式直前直後はいろいろ物入り。助け合いの一種だと思って親に借りたりして出せるならだしとけばよろしいし。
まともな親なら、そのケースなら貸すのが一般的。まぁ、近頃は・・・ってのはあるかもしれんが。
ちなみに、知り合いが超貧乏で、その友達が超金持ちで結婚式に親友として呼ばれたんだけど・・・(祝儀どころかドレスもない)という質問をされたことがあって
性格はいいけど見た目がイマイチと、見た目はとにかく性格がいい人のどちらかとか、お金はないけど顔がと、お金持ちだけど顔は、そういうメリットとデメリットを並べてどっちがいいかっていう選択って意味がない。
遊び人だけど、定職がないけど、年齢が上だけど、お腹が、頭髪が、持病が、いくらでも似たような問いは作れるけど、好きなほうと結婚すればいいという答えに行き着いちゃう。
好きな人と結婚するか、好きじゃないけどオマケが魅力的な人と結婚するかそういう問いなら、好きな人と結婚しろということになると思う。
一般論として、
性格はいいけど見た目がイマイチと、見た目はとにかくだけど性格がいい人は、どちらが好きな人で、性格がオマケか見た目がオマケなのかはその人次第だけど。
それはとにかくとして、好きな人と結婚できる可能性というのは、とても低い。
重要だと思うのでもう一度。
前提条件として、すでに死んでいる人と結婚できないのはもちろん、既婚者とだって結婚できない。
そういう当たり前のハードルがなかったとして、恋人がいるかもしれないし、そしてなにより、相手が私を好いてくれるかどうかわからない。
好きじゃなくたって結婚はできるかもしれないけれども。
でも、好かれないって嫌だと思う。
そう、一番に好きじゃなくたって結婚は出来る。
現実問題、好きな人ランキング10番目くらいまでの人と結婚できればいいと思う。
それを悟った。
その代わり、相手にとっては私が一番であって欲しい。
私はすごく打算的で嫌な女だ。
でも、かといって相手の気持ちはとにかく押しかけて奪い取るとか、好かれてなくても既成事実を作ってしまって結婚までもっていくほうがマシなんだろうか?
私はそれは嫌だ。
私の両親はどうだったんだろう?
見合いだったから、互いにこんなもんかって思えるあたりで妥協したんだろうな。
父は自分のなかで4番目くらいに好きな女の人にプロポーズして、母が自分の中で8番目くらいに好きな男のプロポーズを承諾してできた愛の結晶が私なんだろうか?
いつか、赤裸々に話してくれたらいいなと思う私はマゾかもしれない。
セックスも、一般論としては一番好きな人とじゃなくて、まあこの辺と思える人とするんだろう。
「初めては好きな人と」という拘りをもった人は、じゃあ二回目からは一定レベル以上からならいいやってなるんだろうか。
風俗との違いってなんなんだろう?
少なくとも、金を積まれても気に入らない客には指一本触れさせないという花魁とはニアイコールに見える。
私にとって、譲りたくない条件は、相手にとって一番であることだ。
私は、流行ばかり気にする人が嫌いだった。(主に同性)
主体性がなくて、他人の評価ばかり気にする人、噂話ばかりする人が嫌いだった。
でも、こんな歳まで処女を守り続けた私がこだわるのは、相手にとって一番という、それこそ主体性のない相手の評価でした。
バーカ!バーカ!バーカ!と叫びたい。
誰に?好きな人に?私自身に?
バーカ!バーカ!バーカ!バーカ!
結局経済活動によって「豊かになる」という事は、
「仕事をしなくても良くなる」という事とニアイコールだと思うんだ。
今の軽度な段階ではそれは「効率化」として肯定されている訳だけど、
仕事における効率が上がれば上がるほど、労働力としての人間が必要でなくなっていく。
昔10人で作っていたものが4人で作れるようになるって訳だ。
じゃあ残りの6人はどうするかと言うと別の産業へ行く。
しかし今や「新たな(労働を必要とする)産業分野」が発生するスピードは、
ここ200年のそれと比較して明らかにスピードダウンしているのではないか?
あるいは、「効率化」によって労働者を排出するスピードが加速しすぎているのではないか?
市場経済における競争が新たなイノベーションを生み出すと経済のエラい人は言うけれど、
もしかすると人類の発想の泉はすでに枯れてしまっていて、
宇宙の神秘もクローン技術も、僕たちに明日のハンバーガーを与えてはくれないんじゃないのか?
この先もう第二のビル・ゲイツは現れないんじゃないのか?
誰も新しい椅子を作り出す事が出来なくなった時、
僕ら(世界の90%)は畑を奪い合って生きなくてはならないのだろうか。
そんな閉塞感を勝手に感じてしまったのであった。