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はてなキーワード: トランスセクシュアルとは

2023-06-19

トランスセクシュアルとかトランスジェンダーとか性同一性障害とかの

まれ持った性別と「自認」が異なる状態性分化疾患は別)って

自分自分を何者だと思うかの問題として語られがちなんだけどもそれはウソ

常に「対社会」の問題、つまり自分他人から何者だと見られたいかということなんだと思う。

自分自分しかないのでもともと自分の心そのもの性別はない。自分精神の働きについて「男(女)特有の考えだな」というバイアスを知覚することはない。

別の言い方をすれば性別文字通り属性であって自分自身ではない。「日本人である」とか「昭和生まれである」とかと同列のものだ。

性別は対社会局面しか現象しない。「私の心は本当は男なのだろうか、女なのだろうか」みたいな問いには意味がない。「私は男(女)として見られたい」があるだけ。

性同一性障害というのは自己のもの自己に付随する属性混同した虚像なのではないか

やたら「病名」を欲しがるメンヘラ同様、浅薄な“カタログ思考”に毒されているのではないか

2023-05-05

スウェーデン真実

避妊をあまりせず、未成年者の中絶日本の4倍ある

離婚率は50%を超えている

・平均的な婚姻年数は10

犯罪を犯す子供が急増

銃撃事件が急増

強姦発生率は日本20倍以上

強盗の発生率は日本100倍以上

2018年から女性徴兵

現場仕事私企業STEMは男に押し付けられ、女は優先的に公務員・保育・清掃

2013年までトランスセクシュアル承認に対し不妊手術強制

介護施設では老人の誤嚥肺炎放置し老人を文字通り処分している

2023-03-10

anond:20230310012132

女性(異性)の身体になりたい(身体違和)ていうのが性同一性障害GIDトランスセクシュアル

女性(異性)の文化を纏いたいだけで身体性器)を変えたくないのがトランスジェンダー

全然違うんやで

2020-09-21

https://anond.hatelabo.jp/20200921231425

耳なし芳一って性器にお経書き忘れてたら、

トランスセクシュアル芳一になってたの?

そしたら尼寺に行ってたのかな?

2019-05-10

LGBTTQQIAAP

セクシャルマイノリティはLGBTだけじゃない!あなたは"LGBTTQQIAAP"という言葉を知っていますか?

この記事読んだ。

LGBTはご存知の通り以下の4つ。

Lesbian(レズビアン女性同性愛者)

Gayゲイ男性同性愛者)

Bisexual(バイセクシュアル両性愛者)

Transgender(トランスジェンダー性別越境者)

そこにさらに以下を足したのがLGBTTQQIAAPらしい。

Transsexual(トランスセクシュアル性別違和)

Queer(クイア、当事者セクシュアルマイノリティ全てを包括する言葉総称)として抵抗運動クィアムーブメント)や連帯合言葉

Questioning(クエスチョニング、性自認社会的な性、性的指向確立できず、自問している人)

Intersex(インターセックス身体的な性別(体の性)を男性女性どちらにも分類できず、性染色体に異常がみられる。両性具有など)

Asexual(アセクシャル恋愛感情を抱くことがなく、性的に興奮することもない)

Ally(アライ、人権平等化やLGBT社会運動支援する)

Pansexual(パンセクシャル性的指向性別という概念を持たず、どんな性に対しても同じように性的指向を持つ)



え、おかしくない?

なんで「アライ」とかが平然と入ってるの?「クィア」?連帯合言葉ってなんだよ。

これ、性的少数者の分類じゃねーじゃん。ただ自分の味方とか認めてるやつを並べてるだけじゃん。

しかもしれっと「PZN」(ペド、ズー、ネクロ)とかを省いてる。

PZNも性的少数者なんだけど?「アライ」なんかより優先順位が下だってのか?

おかしいでしょ。そこまでして性的少数者内で差別を続けたいの?

はっきり言わしてもらうけど、こういう不誠実なダブスタ差別を続けてる限り、LGBTには何の正義もないよ。

蜘蛛の糸の犍陀多。救われようとしてるくせに、他の性的少数者を蹴落とそうとしてる。


記事のまとめ文を引用しよう。

セクシャルマイノリティ理解は我々日本人にはまだまだ足りていない部分が多いと思います

現状では、セクシャルマイノリティの方々が安心して普通に暮らせる環境がまだ整っていません。

誰もが自分らしく生きていける世の中にするために、一人一人がセクシャルマイノリティ理解を深めていく必要があると思います

そうだな。まずお前が理解足りてないよ。

この国で、いや世界で一番差別を受けてる性的少数者の分類は何か。

Pだよ。paedophilia。

性的少数者であるというだけで「犯罪」「加害」として石を投げられ続け、同じ性的少数者から差別される。

安心して普通に暮らせる環境」どころの話じゃねーよ。

2019-03-20

みんな!トランスジェンダー範囲を知ってるかい

【みんながLGBT意識高くなっていてウザい】anond:20190319214717

結論から言います。この増田トランスジェンダーなのでLGBTに含まれます

みんな「???」って思った?でもトランスジェンダー定義からすると増田は立派なトランスジェンダーなのです

例えばこのサイトではトランスジェンダーをこのように定義してます

http://jobrainbow.net/gender-expression

トランスジェンダーとは、実は大きく3つに分けることができます

(1)(狭義の)トランスジェンダー性自認と周囲からみられる性が異なる状態

 例:「性自認身体的性も男性だが女性として見られている」「性自認身体的性が異なり、周囲から性自認とは別の性として見られるものの、外科的な手術までは求めない

(2)トランスセクシュアル身体的性と性自認が一致していないことに対して違和感嫌悪感を抱いている状態

(3)トランスヴェスタイトクロスドレッサー):性自認身体的性は一致している状態で、それとは異なった服装を身にまとう状態

これらすべてを包括するのが、広い意味でのトランスジェンダーという言葉なのです。

この定義によれば増田は(3)に当てはまりますからトランスジェンダーなわけです(この定義が正確かどうかは知りません)

さてトランスジェンダーをこのように定義した場合ちょっと困ったことが起きます

以前話題になったこれです

『松浦大悟さんの「女湯に男性器のある人を入れないのは差別」論への疑問』

男性器のあるトランスジェンダーが女湯に入ってくる。それを拒むと差別になる」

男性器のあるトランスジェンダー」とはいったいどのような人なのかということです。

先ほどの定義からすれば増田は「男性器のあるトランスジェンダー」になるわけです。

性同一性障害ホルモン療法をして性別移行手術直前の人も「男性器のあるトランスジェンダー」です。

この二者を同一のくくりとして議論するのはさすがに無茶があります

なので「トランスジェンダー」の話をする場合、どの範囲の話なのかあらかじめ明示しておかないと大変なことになるよ!

大変なことになるよ!

2019-01-13

「男体への恐怖」を正当化する差別主義者多すぎやばい

https://anond.hatelabo.jp/20190112150155

SRSして戸籍も変更、基本的に埋没して男性結婚しているMtFですが、一番最初の「トランス女性への根源的恐怖感はスルーされていいわけ?」(https://anond.hatelabo.jp/20190110110456)の人も、心情的にはわかります。ただ、恐怖を理由にしたら何でも言えてしまうわけで、「怖いからやめてください!」を振りかざされるのには、それこそ恐怖を感じてしまます

わたしはオペ前に公衆浴場に入るなどということは考えたこともないですし、現在でも基本的公衆浴場温泉は利用しません。使ったことはありますが、裸になってジロジロ見られれば骨格その他でわかる可能性はあるわけで、それに対して不快感を覚える人がいたら嫌だからです。これは単に「他人迷惑をかけたくない」ということもありますが、それ以上に「恐怖の対象」のように見られてしまうことに「恐怖」を感じますし、また尊厳を傷つけられるからです。

当然ながら、こちらとしては積極的に恐怖を与えるつもりはないですし、シス女性やそれ以外の方の大勢もそうでしょう。そういう「普通の人」が、他人から「うわーこわーい、逃げろー」みたいに扱われたら、酷く尊厳を損なわれるし、悲しい気持ちになるでしょう。シス女性の一部はあまりそういう状況を想像したことがないのかもしれませんが、大抵の人は「うわーこわーい」と言われたら悲しいと思います

恐怖の対象として扱われるのも嫌ですし、「仲良くしてやってやる」と上から見られるのも不快ですから、どうしても人との距離は離れめになってしまます。まあこの辺はわたし個人性格によるもので、似た立場の人でも人懐こい方はたくさんいらっしゃいます

上の「『男体への恐怖』を正当化する差別主義者多すぎやばい」の方は、ちょっと口調がキツすぎてかえって反感を買ってしまうのではないか心配しますが、筋道としては概ね同意します。一方で、心情的には「恐怖」の人の気持ちもわかるわけで、またあまりにかたくなな態度をとってかえって攻撃を煽っても嫌ですから当事者としては心情は複雑です。

と、とりとめがなくてすいません。

当然ながら、これはわたし個人経験見解であって、似た立場の人を代表するものではまったくありません。「似た人たち」を十把一絡げにすることこそが差別だと思っています。だからわたしは「LGBT」とかいう恐ろしく大雑把な言葉も嫌いです(が、とりあえず術語としてそうした言葉が便利に使えるというのはわかりますし、またこういうわかりやすい=不正確なワードを広めることで薄く広い「理解」を進められている、という利点は大いに認めますが)。

ついでに言えば「トランスジェンダー」という言葉にも少しモヤモヤしてしまます。昔は「トランスセクシュアル」という言葉などとセットや対比をもって使われていた気もするのですが、最近はその辺、随分大雑把になりましたね。もちろん、身体的特徴でもって弁別するような考え方が薄まったということな肯定的に捉えるべきかもしれませんが、SRS程度で社会的生存を許されるならお安い御用、というか、それくらいは当事者責任として頑張ろうよ!という気持ちもあり、これも複雑です(保険適応にも反対でした)。

筋道としての正しさと、社会的共感を生んで平和裏に共存するための努力というのは、分けて考えるべきなのかもしれません。

結論がなくてすいません。

2016-11-05

中学校LGBTの人にも使いやすトイレ」のニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20161104/k10010756371000.html

ブコメの反応が思った以上に否定的で驚いたんだけど、よく考えたら、なんの前知識もなければ私も文句つけてたと思う。

記事の中に

「ほかの学校で応用する場合当事者本人の意向を丁寧に確認して対応していく必要がある」

とあるが、その通り。丹原東中だから大丈夫なんです。

私は愛媛に住んでいて、丹原東中の挑戦を割と近いところから見ている。

2014年度、文科省人権教育研究指定校となった丹原東中は、当時の校長の発案で「性的マイノリティ」を題材に取り上げた。

独自資料書籍を集めたほか、愛媛LGBT当事者団体と連絡をとり、教材作りから全面的な協力を受けている。

当事者団体代表は、最初に「生徒さんの中にもいると思われますが、当事者探しをするようなことにだけはならないように」とお願いした。

中学生の中には「マイノリティ」の意味もわからない段階の子もいる。繊細な問題を、焦らず段階を追って教えることに、先生方は大変な努力をして取り組んだ。

私は、LGBT当事者サイドからその取り組みを追っていた。正直最初不安だったが、日を追うごとに生徒の様子が変化するさまを見ると、素晴らしい経過をたどっていることがわかった。

それは実際の生徒の言葉からも感じられると思う。段階を踏んで、このように変化した。

最初は、どうせ『道徳時間』を作るための授業だろうと軽く考えていた」

「世の中にはそういう人もいるんだ」

社会偏見があるとわかって、家族や友人に、言えなくて苦しんでいる人がいるかもしれないと思った」

「今はまだわからないだけで、自分が『性的マイノリティ』の可能性もある」

周囲の人を思いやる段階さえ過ぎて、自分のこととして捉える感性が育っているのだ。

丹原東中の性的マイノリティ学習は、「性的マイノリティ知識を身につけ差別をなくしていく」という趣旨で始まったが、学校側や関わったLGBT団体の期待した以上の良い変化を生徒にもたらした。

差別用語を使って人をからかうようなことをしなくなった。

精神的に安定し、穏やかになった。

セクシャリティに限らず、相手が何か問題を抱えている可能性に配慮し、また、自分の抱えている問題相手が暴くことはない、という信頼関係が生まれ育っている。

こういった学校であるから、まだ教育を受けておらず差別的言動をしてしまう新入生がいても、徐々に人権感覚を身につけていく。

3年にわたる連続した学習があって「思いやりトイレを使ってもいじめられることなどにはならない」と、確信を得て今回に至ったのだ。

また、元記事中で使われている「LGBT」という用語は、レズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダートランスセクシュアル)の頭文字からきた言葉ではあるが、そのほかにも様々にある性的マイノリティ総称だ。「トランスジェンダーの方に配慮」といった時にこぼれ落ちてしま性的マイノリティを含むという考えでこの言葉を使っているのだと思うので、LGBには関係ないなんて責め方しないでやってください。

2009-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20091027221047

元増田です。ご意見どうもありがとうございます。

まあ元記事に上げている通り、自殺率がヘテロに比べて六倍だという事実もありますし。

私にだって思春期には色々と悩みもあったんですよ。

ええですから、よく考えもせずに現実はそこまで救いようがないことはない、などとは仰らないで下さいね。

因みに、ホモセクシュアルトランスセクシュアルといったマイノリティーが、メンタル面に多く問題を抱えざるを得ないという状況にあるという事実は、昨今でも多く取り沙汰されております。


同性愛者に多発する自殺と向き合う・NHK

http://www.nhk.or.jp/heart-net/mukiau/shirou3.html

2009-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20091017110009

何日か前にこのエントリを書いた。元増田と言うのだろうか?

ブクマコメで温かいお言葉をたくさんいただいてしまった。大変ありがたい。

優しいのは私の周りにいる人達だけじゃなくて、多分世の中には優しい人が大勢いるんだろうと思う。あんまり優しい人が多いものだから、私はちょっと世の中をナメてしまいかねない。そんな生やさしいもんじゃねえぞと言ってくださっても構わない。

色々言っていただいたので、軽く追記しようと思う。

まず、自分について把握していること。

重症軽症という言葉を使ってしまったが、これはいわゆるトランスセクシュアルトランスジェンダーと呼ばれるもので、前者がいわゆる性同一性障害の中核群、後者は肉体を変えたいとまでは思わないが性別違和があるというものである。ともに性同一性障害として認知されており、私もこの後者の部類であるものと自分では思っている。

とは言え、広く一般のトランスジェンダーに対し「覚悟がない」だとか「肉体の性別で生きていくという選択肢もあるんじゃないの?」などと言う気は全くない。今回ぼやいているのはあくまでも私個人の問題だ。あくまでも私が、私の中にある不安のために、私を宥めてみたり鼓舞してみたりしようとしているだけだ。以降も、そういう文脈と思っていただきたい。

考えていたこと。

前回のエントリ

この辺りの「どっちでもいいよ」感というのが、非常に微妙なところで、批難されるに値するところだろう。

と書いた部分が、どうも人目に止まるものだったようだ。実は、指摘を受けてぎくりとした。

この文章自体は、実のところ何の気なしに書いた。ただどうも色々露呈してしまったらしい。つまり私は、そもそも心のどこかで、「どっちかであるべき」と思ってしまっているのである。

自然摂理とかその手のものを持ち出すつもりはなく、それは一種の「しめし」の問題だ。

つまりこういうことである。「特殊」な人間がそれを白日の下にさらけ出して生きるなら、それ相応の、格好よく言えば「覚悟」のようなものを示すべきなのではないか、それが大人としての礼節であり責任というものではないのか。そして実際そのくらいでなければ、世の中渡っていけないんじゃないの、という。

以前友人の一人が、私がこのような人間であることを知らないままに率直さをもって、このように言ったことがある。「オナベって、美人じゃないと説得力ないよね」。正直に言うが、私は納得しさえしたのだ。このように思っている人は大勢いるに違いないのだろう、という点において。

私たち(私は性同一性障害というものになにか帰属意識を持っているわけではないが、こう言う)はどう言い繕っても特殊である。特殊な人間は多分、普通よりもいろんなものを持っていなければならない。嫌悪されないだけの人格や、社会から不要と見なされないための能力軽蔑したがる人につけいられないためには隙(醜さもその一つだ)があってはならず、見当違いな憐憫を浴びないためには生まれ育ちが不幸でない方がよい。あまりにも乱暴な物言いと呆れられるかもしれないけれど、それが実際のところなんじゃないのと思っている。

だから常に毅然としていなければならない。物事をよく弁え、その上で覚悟を持ってこの生き方を選択したのだと言うことができなければならない。不快だと顔をしかめられても、だけど仕方がないじゃないですかと言えるだけの、こちら側から示せるもの。それがつまり「しめし」と言ったことの意味だ。

ちょっと格好をつけ過ぎたので恥ずかしい。繰り返すがこんなこと、他人に押しつけるつもりは毛頭ない。そもそもいつでもこんなことを考えているわけじゃなくて、冒頭にも言ったように、「世の中結構なんとかなっちゃうもんでしょう」くらいのつもりで日々生きている。

けれど多分心底には、このような物事の捉え方があるのだと思う。だから前回のエントリで「批難されるに値する」と書いた。

そして、けれど、多分本当のところは、こういう考え方がちょっとおかしいんだということは、自分でも薄々分かっている。前段落で書いたことのうち、まだしも尤もらしいのは「覚悟を持って選択した」あたりくらいのものだ。それ以外はクソみたいな「べき」論だ。

考えてみること。

本当は、「どっちでもいいよ」と言ってしまいたい。どっちでもいいんだけど、どっちかと言ったら男として生きたいと思っていて、どちらを選ぶかは自分勝手だから勝手にするんだよ、何と引き替えるつもりもなければ何の努力も払うことなしに、当たり前みたいな顔でそうするんだ、と、そういう風に言ってのけられるようになりたい。

私は、そうする権利を持っていないつもりでいる。心のどこかで、それは不当に失ったものだと思ってさえいる。

だけど多分ここに書いたようなことは全部、何もかも、自分の一人相撲でしかないんだろう。規定しているのは自分自身で、だから必要なものがあるとすれば、それは「自分で選んで、自分で決めるんだ」という覚悟だけだろう。それがありさえすればきっと、「どっちでもいいよ」と言い切ることもできるようになるんだと思う。

長々しい愚痴に対してのご静聴、ありがとうございました。

追記

そういえばここに至るまで、私が感じていると主張するところの「性別違和」や「どっちでもいいや」感の実態というものに触れていなかった、と思い出したのだけれど、それはここで問題にしたいことではない気がするのでやっぱり書かない。あまりにも長くなってしまうこともあるし。

性同一性障害の人はネット上にたくさんいて、私よりも心情吐露に優れた人もすぐ見つかるだろうと思うので、そちらをあたって「こんなようなものなのかあ」と読んでいただければ、それでいいかと思う。

2007-03-06

きっかけ

私:27歳OL彼氏ありバイセクシュアル

姉さん:結構年上。お堅い職業。MTFTS。

もともと、とあるボランティアサークルで知り合ったんだけど、たまに連絡ごとと雑談メールメッセでする以外は、姉さんの事は落ち着いた大人の男性としか思っていなかった。いつも物事を俯瞰して、議論が脱線しそうになったときや空中分解しそうになったとき、的確な意見をくれる。そんな存在

一方私は、彼氏と一部の親しい友人くらいにカムアウトして、一時期そういう団体に所属して勉強会とか交流会に参加したりしてたことがあったけど、もう彼氏と付き合う前の事で、当時の友達ともほとんど縁がとぎれてしまっていた。

自分のセクシュアリティについての実感も薄らいでいて、「あー若い頃はそんなこと言った事があったなぁ」くらいの感じ。

それが、急に思い出すきっかけは某SNS。入ってみたら、当時のLGBTレズビアンゲイバイセクシュアルトランスセクシュアルの略)関係の知り合いが民族大移動か!っていうくらいに皆いて、少しづつだけど交流が戻ってきた。

そんな私のところに、友人から「パレード行かない?」と誘いが。

歩くのは抵抗があるけど、関連イベントパーティーなら行く!と久しぶりにゲイナイト(正確にはGAYMIX)に参加したのが去年。

もう、ここが私のルーツだ、といっぺんで感動したね。絶対来年も来るんだ!!と熱い日記SNS更新してからあっという間に一年が。

その間に交流も増え、ボランティアつながりとギョーカイの人と、リアル友人がごっちゃになるカオスを呈してきた頃に、私がSNS日記

「今年もパレード行くんだ!!」って書いたら、姉さん(当時Sさん)から1通のメッセが。

 
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