はてなキーワード: ティーパーティとは
人に興味ないよねとよく言われることが多かった。確かに人の名前は覚えられないし、学生の頃話題になりがちな誰と誰が付き合っているだとか全くわからなかったし興味もわかなかった。
あるときふと気づく。確かに私は人のことをあまり覚えられない。でも大切にする人は大切にしていると最近気付いた。人に興味のない人の言い訳のテンプレートのようなものだけど、これが事実でほとんどの人に興味はなく、興味の大きさがクソデカ感情しかない人間だったらしい。
そんな私の3つのリアルクソデカ感情とその相手について話そうと思う。
不思議というか破天荒というか突拍子もない行動をするというか、世間的には問題児でしかないような彼女。なにか問題起こしてもまぁ彼女ならしかたないよねという風潮まであった。タバコを吸うとかそういう問題ではなく、体育祭で日傘をさしていたり、人間が入れないはずの小さいロッカーから飛び出てきたり、入学式そうそう他クラスまで殴り込みにいき、名前なんていうの?って聞いて回るような変人。しかも一回みたひとの顔と名前は絶対に忘れないという変人オブ変人だった。
そんな変人で、すらりとしていて、いつも飄々としていた彼女が美しいとしいと思ったのだ。恋愛的な意味ではなく、なんといえばいいのかわからないけど、毎日彼女がかわいくて仕方がなく、「おはよう、今日もかわいいね○○さん」と挨拶のように言っていた。かわいいね、好きだよと毎日言っていた。女の子同士のじゃれあいのような感じではなく、かといって恋愛的に好きなわけでもないのに、私はほぼ真顔で毎日伝えていた。私自身それがクソデカ感情だとよくわかっていなかったからである。彼女ほどではないが、彼女に限らず、女の子がかわいくなったら、なにも考えず本心で「かわいくなったね」とか「美人になったね」と真顔で言っていたし、男の子にもまた「なんかかっこよくなったな」ということもあった。そのときは大抵ドン引きされるか「でっしょーーやっぱり私超美人だからさーーww」と茶化されることばかりだった。それが当たり前だとは思う。
引かれてもおかしくないような挨拶を毎日していたけれど、何故か彼女はいつも普通の顔をして「おはよ」といっていた。
学校を卒業して一年後あったときに流石にクソデカ感情抑えようと以前の挨拶をしなかったら、「もう私のこと好きじゃないの?」ときょとんとした顔で聞かれた。流石に沸いた。何故かわからないけど彼女は私のクソデカ感情を、こいつはそういうもんだと思って受け止めてくれていたのだ。ありがたい。
部活動で私とふたりセットにされる男の子がいた。ふたりとも他の部員より積極的に活動していたからか、この学年だとこのふたりだよねといわれるようなセット。
彼は意図も言わずに理解できないような無理難題を急に言い出して、私に押し付ける。不思議なことにそのどれもが成功し、私に押し付けた無理難題は確実に意味のあるものだった。
最初は彼のことが恋愛的に好きだったのかもしれないけれど気づいたら、恋愛なんてなにもなく、崇拝していた。彼のやることなら絶対に成功する。彼の思い描いた思想を叶えることが楽しくて楽しくてしかたなかった。相棒のように頼り、頼られることがなにより嬉しかった(振り回されてばかりだったわけではなく、こちらからもかなり頼っていた)。部活動で死ぬことはないと言えど、不思議なことに彼のためなら死んでいいなと本気で思っていた。
ここにきてやっと、もしかしてちょっと重いかとしれない?と思うようになったこと、またもともと恋愛的に好きだった疑惑もあいまり、クソデカ感情をぶつけるのは流石にアカンなと思うことができたらしい。しかし隠せないのがクソデカ感情というもので、疲れているときに無理難題を言われると、「君のいうことは必ずいい方向に向かうし私は君のためならなんだってやりますよ」とか言ってしまっていた。何度か言ってしまったことがあり、スルーされたり苦い顔をされたした。本当に申し訳なかったと思う。
遠い昔「クラスも部活も一緒なわけでもないし仲良いけど、二番目なんだよなー」とある女の子に言われた。他意はなかったのだろう。放課後とか休み時間によく遊びはするけれど、お互いの家に言ったこともないし、クラスも部活も違う。クラスも部活も同じ子とより仲良くなるのは当たり前だ。
いや、わかるけどわざわざいうかね?一番になりたいというより、どれだけ仲良くなっても私は二番目という認識が離れなかった。
私は特に怪我をしているわけではないが階段が苦手で降りるのも上るのも無意識なら上れるけれど意識するとよたついてしまう。母親には階段の上から「落ちても助けんからねーw」とよく言われていた。当たり前だ。幼稚園児や小学生ならまだしも高校生相手なら私じゃなくて下敷きになった母が大怪我する可能性がある。人が上からふってきて怪我したくないもの。リスク避けるのは大事。
ある日疲れからか死ぬほど段差に弱い日があって、「おまえほんと今日ヤバイよ気を付けるどころの騒ぎじゃない」と周囲に言われていた。そんな日でも階段を使わなければならないときはあるもので、彼女と一緒に下の階へ向かおうとしていた。
「おまえ絶対落ちるなよーww」といいながら彼女は私の前にでた。前と言うことは私の下。
「え、前いくん?落ちたら危ないよ?」
「目の前で落ちたら気分悪いじゃん」
彼女は当たり前かのごとく少し前にでて後ろを振り返りつつ私をみて「大丈夫かー」と声をかけつつ降りてくれたのだ。もう二番目といわれたのは何年も前だけれど、二番目でも良いから彼女になにかあったら絶対に守ろう。彼女が心配してくれたその言葉だけで生きていける気がした。
これ以来彼女は階段を上るときも下るときもいつも私の落ちる側にいて声をかけてくれる。その度に彼女になにか嫌なことを言うやつがいたら、胸ぐらつかんで殴りにいこうと決心するのだ。
彼女はおそらくクソデカ感情が苦手なのでなるべく出さないようにしている。やっと自分がクソデカ感情持ちだと気付いたのだ。ただ、やっぱり隠しきれないのがクソデカ感情であり、彼女へのクソデカ感情を出すとガン無視される。ごめん。以前手紙をかいたらラブレターになってしまったのは本当にごめん。
ほかにもあと2,3人ほどクソデカ感情を向けている方もいるが、あまりにも長くなってしまうので割愛する。
クソデカ感情をぶつけられて気持ちのいいものではないと思う。私は嬉しいが、苦手な人だっていっぱいいる。流石に私もあったことのない人にクソデカ感情向けられてぶつけられるのは怖い。クソデカ感情が生まれてしまうのはもう仕方がない。なるべく出さず、クソデカ感情が苦手な人に無意識にぶつけないようにしなければならない。相手に不快な思いをさせてしまったら駄目だ。
あとクソデカ感情以外の人たちにもっと興味をもつようにしなければならない。興味の触れ幅が0か100しかないのはいろいろと不便。あと大変申し訳ないのが彼氏がいたときですら、クソデカ感情のほうが限界突破してしまっているという状態(今は彼氏いない)。勿論彼氏のことはちゃんと大好きになるし大好きだから付き合った訳なのだけれど、その思いがクソデカ感情に勝てない。相手に申し訳ないし、失礼だからちゃんと向き合わなきゃいけない。
私の人生はまだまだ続く。
クソデカ感情によって人を不快にさせないように。拗らせて犯罪を犯さないように。明日我が身だと自覚をもってクソデカ感情との向き合いかたを考えつつ生きていかねばならない。
なにか困ったことがあるかもしれない。私が相談にのってよいと君が思うのならば私がいくらでも話を聞こう。愛する人を見つけるかもしれない。直接教えてくれたとしても風の噂で聞いたとしても私は全力で祝福しよう。直接教えてくれたのならば心からのおめでとうを沢山伝えよう。風の噂で聞いたのなら祝福の意味を込めてひとりぼっちのティーパーティをしよう。
読みたい本が無くて3ヶ月ほどで解約したんだけど、好きな漫画雑誌がKindle Unlimitedで毎月読めることがわかって再度契約した。
こうなれば自分にとってはほとんど定期購読みたいなもんで、読まなきゃ損!元を取らなきゃ損!って気持ちが無くなったので良かった。
大抵は古くてビミョーな漫画か、流行りな漫画の一巻だけとかなんだけど、
たまにあれっと思うような当たり漫画が全巻読めてよい。
昔流行ったビジネス書籍とか自己啓発本の類も読めて飽きない。仕事は楽しいかね?とか、初めて読んだ。多分読み放題じゃないと読まなかった。
書店では買わない、もしくは恥ずかしくて買えないけどちょっと興味がある、ぐらいのジャンルの本が色々つまみ食い出来るのもいい。
異性のファッション誌とかね、
じゃあKindle Unlimitedを万人にオススメするかっていうとまずしないんだけど、
読みたい本や雑誌がたまたま対象になってるとか、とにかく活字に飢えてて読み散らかしたいんだーって人はとりあえず無料期間だけでも試してみてもいいかも、ぐらいの感じです。
やや旧聞に属するが、「韓国の茶道では魔法瓶を使う」というのが、はてな・にこにこ動画・2ch等で話題になり、
「茶道なのに魔法瓶wwww」ってな感じの嘲笑のコメントが数多くついていた。
(これね→http://www.nicovideo.jp/watch/sm21555732)
「フイタ」理由として挙がっていたものを最大公約数的にまとめると、
「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」ってのになると思う。
しかしこれらは日本の文化を多少知っていれば、どちらもおかしいと分かる話だ。
まず前者のどこがおかしいかであるが、そもそも「お茶を飲む」という習慣はお茶の原産地である中国ではじまり、
そして日本にきた段階で始めてお茶がわび・さびと結びつき、日本の茶道ができあがっている。
(珠光が結びつけ、利休が完成した。)
だから日本以外の国のお茶にわび・さびがないのは当たり前の事に過ぎない。
わび・さびは日本特有の(だからこそ誇るべき)文化なのだから、
イギリスのティーパーティにはわび・さびが感じられないといって嘲笑うのとたいして変わらない。
昔読んだ本によれば、江戸時代、茶人といえば変人の代名詞的な側面があり、
極端な例になると、わび・さびを演出する為に新しい茶碗をわざわざぶち割り、それを修復したり
したそうだ。
利休自身、たった2畳しかない茶室・待庵を作るなど極度のミニマリズムに走っており、
お茶を飲むだけの為にこんな狭い部屋に入らねばならない理由は
日本人ですら理解する人は少なそうだ。(だからこそ江戸時代変人扱いされた。)
私自身は利休の茶道を一切の無駄をそぎ落とした素晴らしいものだと思ってはいるものの、
日本のこんな極端な文化を基準にして他国のお茶の文化を嘲笑うのは
さすがに無茶としか思えない。
次に「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」って意見に関して。
韓国をはじめ海外のお茶の習慣はよく知らないから断言はできないのだが、
冷静に考えてみれば分かるようにそもそもただお茶を飲むのに威厳を要求する方がめずらしい文化
なんじゃないか?
日本では茶道、武道、芸道、香道などのように
「道」を求める文化があり、それは禅が関係しているそうなのだが、
禅は仏教の一形態に過ぎないのだから、他の東洋の国が同じような文化を持っているとは限らない。
それに日本の茶道は秀吉をはじめとした権力者と結びついていたが故に威厳を求められた
という事情もあるだろう。
であるなら、歴史や文化が違えば、威厳なしでお茶を飲む茶道だってありえるはずなのだ。
だって、多かれ少なかれ茶道というものは礼儀作法であり、おもてなしなのだから。
丁度フランス料理を食べるときの作法が一通り決まっているように、
であるなら、魔法瓶でお茶を飲むときの「礼儀作法」が「茶道」として
きちっと決まっているならそれはそれでよい事ではないか?
魔法瓶でお茶をさめないようにするのもおもてなしとして理にかなっている。
一方日本の茶道は魔法瓶のような現代の日用品を使った場合の作法について
何も教えてくれない。
人間、どうしても自分が学んできた事・知っている事に縛られてしまい、
外国の文化を自国の文化を基準にして裁いてしまうという愚行を犯しがちだ。
だが今回の件はそれ以前の問題として、そもそも自国の文化にすら詳しくないが故に
起こってしまった誤解のように思える。
自国の事すら知らない人がなぜ他国の事を裁けるのか。
他国を判断したければまず自国について知らねばならないのではないかと思うのだ。
付記:
こういう記事を書くと「茶道の韓国起源説が~」というレスが沢山つきそうだが、
そういったものとは別次元の指摘だと理解していただけると思う。
日本共産党が労働者の味方とか、デマを流すな。赤旗に無制限の金融緩和は許さぬとか書いてあるが、無制限でなく、条件を決めてるだろ。共産党の政策は明確な小さな政府。デフレ時に小さな政府を指向するのは、リベラル政党でもなんでもなく労働者の敵。
亡国“アベノミクス”/大型公共事業推進と金融緩和 - 日本共産党中央委員会
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-31/2012123103_01_1.html
共産党って何でこんなに経済音痴なんだろう。言ってることが、新自由主義と同じ。安倍自民はデフレ時に大きな政府を指向しているわけで、それは、世界各国のリベラル政党が主張していること。そして、これに反対しているのがティーパーティだな。何だ、日本共産党って、ティーパーティー一味だったのか。
金融緩和をして公共事業をして、大きな政府でデフレを脱却する←これって、世界のリベラルな主張そのものじゃないか。これに反対しているのが新自由主義者なんだが。日本共産党は新自由主義政党だな。
「無駄な大型公共事業のバラマキで巨額の財政赤字」とか赤旗に書いてあるが、あのね、日本の借金なるものは国民の債権でね、ってここからもう意味が分からんのだよな、経済音痴の日本のリベラル気取りは。ギリシャと同じって何を言ってるんだか。ギリシャは純然な国民の借金だが、日本の借金の内実は国民の債権だからな。
赤旗って公共事業より財政規律重視って、デフレを推進して自殺者を増大させてきたのはこの小さな政府で、共産党ってリベラルでもなんでもなく労働者の敵で、日本国民を殺しまくってきた政党だな。自民党が反省して安倍自民で大きな政府指向のリベラルになったからって、共産党が居場所がないからってデマまで流して叩きまくる。
それにしても、日本共産党が労働者の味方だから投票する!って、これって肉屋を支持する豚そのもの。共産党が言ってるのは、近所の自分に関係のある人の手助けはするが、それ以外の人は知らないと言ってるのと同じ。共産党支持者と話しても、デフレ時の大きな政府がリベラルで小さな政府はリベラルではないが分かってないどころか、大きな政府って何?って状態だったよ。
まぁ、共産党候補者の演説を聞いていると、知性の欠片もなく、どうやってデフレを脱却するのか?が何もないからな。労働者は日本共産党には投票するな。デフレを推進してさらに給料が下がることを共産党は延々と言っている。デフレ時に公共事業反対の大きな政府反対はリベラルではない、まずはこのことだけでも理解してほしい。
A Guide: How Not To Say Stupid Stuff About Egypt
(訳註:アメリカ人向けっぽいところもあるけど、そのまま翻訳)
こういう発言のどこが変なのか分からなかったら、
同じことをラテン系やアフリカ系に向けて言うかどうか考えてみてください。
言いませんね。
エジプト人8000万人のなかには、文章がうまい人も高学歴の人も多言語話者もいます。
考えてしまうのはしかたないかもしれませんが、口に出すとバカ丸出しです。
ムバーラクはずっと「俺が地域の安定のかなめだ」と見せかけていました。
エジプトといえばミイラ以外に思いつかないから、デモ隊がやったと思うのでしょう。
やったのは彼らではありません。
アレクサンドリアで彼らが図書館を守ったということを知っていましたか?
http://www.bibalex.org/News/NewsDetails_en.aspx?id=3128&Keywords=&fromDD=-1&fromMM=-1&fromYY=-1&toDD=-1&toMM=-1&toYY=-1
「本図書館はエジプトの青年たちのおかげで無事でした。図書館スタッフ、デモ隊その他が一緒になって図書館を略奪から守りました。私は外出禁止時間にも出勤しますが、一般に向けては数日のあいだ閉鎖されます。開かれるのは、禁止令が解かれ、無秩序状態が解消され、政治問題が解決してからです。」
公式サイトか、
わかりやすい解説でも読んでおいてください。
http://terrorism.about.com/od/politicalislamterrorism/a/MuslimBrothers.htm
ムスリム・ブラザーフッドムスリム同胞団はアメリカテロリスト組織リストに入っていません。
暴力行為は1970年以降していませんし、実力組織もありません。
(2006年12月のマーシャルアーツ演舞は少し挑発的でしたが)
違います。
エジプト人はムバーラクとサーダートに拷問され投獄され抑圧されました。
放水砲の前に立ってくれたわけでもありません。
身代わりに投獄されたわけでもありません。
そういうのを見てサラ・ペイリン的な人がバカなことを言い出さないかと心配していたからです。
彼らの必死の行動をツイッターのおかげみたいに言ってしまうのは傲慢ではありませんか?
ナワル・エル・サーダウィの回想録には、サーダート時代の女子監獄のことが書かれています。
http://www.amazon.com/Memoirs-Womens-Prison-Literature-Middle/dp/0520088883/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1296499465&sr=8-3
当局が遮断したがるということは正しいことをしている証拠です。
Hmm, maybe they are speaking truth to power? (訳註:ここわからん)
おや、アルジャジーラはどうやら権力者たちの横暴をあばいてしまったようですよ?
だから、新政権ができたらイスラエルとの戦争がはじまるとでも?
イスラエルが主導権をにぎれなくなるかもしれません。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jan/31/israel-egypt-mubarak-peace-treaty-fears
不安定化を防ぎたいからといって、8000万人のエジプト人を抑圧する理由になるでしょうか?
アメリカがそう言われたら、と考えてみましょう。
最近のティーパーティ運動もブッシュ政権も、同じくらい世界の安定を乱しています。
だからといって、そういう動きを摘発するような政権を支持すべきということになるでしょうか?
世界の安定を乱しているのはエジプトよりもむしろアメリカです。
それにこの発言を解釈すると、ある種の国家や国民や宗教に民主主義を与えるのが危険だということになります。
人権と民主主義と自由を軽視して、人種と国籍と宗教で差別する人のやることです。
あなたが想像していたのは、きっと、ターバンとジハードとアリババとテロリストと(以下略)あたりでしょうが……
アフリカ系やアジア系にこんなことを言ったらどうなると思いますか?
見下してるようにしか聞こえません。
でもアメリカって医療周りの制度設計はマジ終わってるレベルだし、事実上階級社会だし、学費はクソ高いし、最近どんどん排他的(ティーパーティの馬鹿共とか。昔からと言えばそうだけど)になってきてるし、経済に勢いは無いしで色々躊躇はするよな。もちろん、最も躊躇する問題は日本に残す家族とかなんだけど。ヨーロッパも社会経済的に死に体に近い状態。今は行くなら中国やインド、ベトナム辺りという感じだし、そうなると日本人としてはやっぱり腰が引けるだろう。
あとやっぱり「全てを捨てて単身で海外へ」というほどの人はまずいないってのはあると思う。「世界で戦える力がある日本人はいっぱいいるのにもったいない!」とか主張してる人がいたから、「でも親や家族が病気だったり経済的に豊かじゃなかったり、色々事情がある人は多いと思うんだけど」と質問したら何も返ってこなかった。結局ああいう人達の言う「世界で戦える日本人」ってのは、能力だけじゃなくて親の経済的豊かさとか生まれた環境の良さとかを当然の前提として言ってるんだよね。彼ら自身が「持てる者」だから、それが当たり前だと思ってるんだろうけど。そういう前提で議論するなら、日本全体の豊かさが減退してる今、海外に行く人が減るのは当然の帰結となる。
日本人の海外嫌い傾向を憂慮する発言をしてる人のかなりの割合はこういうお花畑野郎なんで、それは差し引いて考えた方がいいと思う。