はてなキーワード: スーパーモンキーズとは
90年代アイドル、小室哲哉にプロデュースされた篠原涼子や鈴木あみ、観月ありさ、内田有紀とか、
その篠原涼子がいた東京パフォーマンスドールとか、あと乙女塾系(CoCo、ribbon、Qlair)もがんばってたし、(もちろん広末も)
80年代後半に始まったバンドブームから90年代前半のビーイングブームあたりまでは音楽的には完全にアイドルは斜陽だったな。
バンドブームと並行して永井真理子とか鈴木彩子とか遊佐未森とか歌がうまい女性がたくさん出てきて、
ていうかその辺はWikipedia「GiRLPOP」 https://ja.wikipedia.org/wiki/GiRLPOP に全部書いてあったけど
SPEEDなんかも安室奈美恵(とスーパーモンキーズ)の流れを受けて歌とダンスが上手いという売り出し方だったし、
「スーパーモンキーズ」初期メンバーが明かす“アムロの圧倒的才能”
「(安室)奈美恵は最初、友達の付き添いでアクターズスクールに来たんです。第一印象は、色が黒くて、すごく細くて、ごぼうのよう」
そう語るのは、ダウン症の子どもたちのためのエンタテインメントスクール「LOVE JUNX」の創設者・牧野アンナさん(46)。父は、あの安室奈美恵を見いだした沖縄アクターズスクール(以下・アクターズ)の創設者で校長のマキノ正幸さん(76)。アンナさん自身、スーパーモンキーズの結成メンバーとして、安室とともにデビューした元アイドルだ。
引退後も、アクターズのチーフ・インストラクターとして、MAXやSPEED、三浦大和、黒木メイサ、満島ひかりなどを育ててきた。現在は、AKB48やSKE48の振付指導も担当。SKE48のファンからは、その厳しい指導ぶりに「鬼軍曹」「クラッシャー・アンナ」などと呼ばれている。
安室がアクターズに現れた’87年当時をアンナさんが振り返る。
「どちらかというと暗い感じで。レッスン場でも隙間に隠れるようにしているし、発声練習のときも手で口元を隠すような女の子でした」(アンナさん・以下同)
ニコリともせず、事務所の隅でモジモジする10歳の安室に、誰もがスター性など感じなかった。ところが、正幸さんは違った。安室の歩き方だけで、輝くオーラを感じたのだ。一度、帰りかけた安室を呼び戻し、母親に電話を入れ、「特待生にします。授業料はいりません」と、その場でスカウトしてしまう。
そして、正幸さんはアンナさんやアクターズの生徒たちに、「俺は奈美恵を特別扱いする。おまえたちとは才能が違う。奈美恵は絶対、スターになる」と宣言した。当初、アンナさんは、半信半疑だった。
「後になって、奈美恵を後のMAXのミーナと一緒に『ちびっこのど自慢』に出したんです。ミーナは歌がうまいと評判で、私たちの間では断トツの優勝候補でした。ところが本番になったら……」
無口で、いつも隅っこにいた安室が、ステージの上で突然、スパークした。明るくはじけて、踊り、歌った。
「驚きました。その姿に、私も『イケる!』と思いました」
歌と踊りがとにかく好きで、無類の負けず嫌い。母子家庭だった安室が、往復260円のバス代を浮かすために、片道1時間半の道のりを歩いて通っていたという話は、アクターズの伝説になっている。
「難しい子ではありましたね。まず、言うことを聞かない」
練習をサボるのではない。練習をしすぎてしまうのだ。「練習しすぎで、喉の状態がおかしいから控えなさいね」とアンナさんが言った直後に、レッスン室から、安室の歌声が聴こえてくる。慌てて、注意をしにいくと、聞かないふりをして、まだ、続ける。
「人から指示されてするのは嫌だったんでしょう。嫌なことは、絶対に嫌。何時間、説得しても、横を向いてツーッと涙を流し始める。後年、本人が言っていました。『言いたいけど、うまく説明できないから』と。言われたことが理不尽だと感じていても、それをうまく伝えられなくて。葛藤の涙だったんでしょう」
やがて、20歳のアンナさんをリーダーに安室、後のMAXのナナとミーナ、そしてヒサコ(新垣寿子さん・振付師)の5人で、スーパーモンキーズが結成された。’92年1月、5人で上京。大田区の3DKのマンションで共同生活を始め、9月には、第1弾シングル『ミスターU.S.A.』がリリースされた。
だが、すぐに売れたわけではなかった。東京のスーパーマーケットのレジ前で、パフォーマンスをしたことも。
「私なんて、胸のうちで『サイアク』と思いながら踊っていたのに、奈美恵は『歌えて踊れて、楽しかった』って、ニコニコしながら言うんです。私とは違うなと思いました」
デビュー前は、アンナさんがセンターだったが、デビュー後は、安室に代わった。
「ステージで一緒にパフォーマンスをしていると、わかるんです。観客もスタッフも、みんなの視線が奈美恵に集中する。技術も大事だけど、もっと大事なのは、人を引きつける魅力。奈美恵にはそれがある。でも、私にはなかった」
圧倒的な才能の差を目の当たりにして、アンナさんは、父の言葉を思い出していた。
《スターになるのは、才能を持った人がさらに努力した結果だ。おまえは裏方。裏方として輝く道だってある》
’92年年末。アンナさんはスーパーモンキーズをやめて、沖縄に帰った。スターになる夢はきっぱり捨て、指導者として生きる道が定まった。
「奈美恵は、できる子なのに、チヤホヤされてもてんぐにならず、もっと努力できる。あ、でも、彼女のは、努力じゃないのかもしれません。道を歩いていても、奈美恵は自然に体が踊っちゃってる。私だったら、どんなに楽しくても、『さぁ、やんなきゃ』になる。でも、奈美恵は自然に踊っちゃって、歌っちゃってる。『やんなきゃ』じゃない。それこそが才能なのでしょう」
昨日買ったグローバルワークの
でも、テンション上げていきましょう!
あのさ、
リア充と聞くと
三充士を思い出すわ。
なんか、
剣を高らかにかかげて
一人はみんなの串のために!
みんなは一人の串のために!
串に刺さったネギマ焼いてる絵が浮かぶわ。
って、なんだ~
公園の至る所に
お手軽に屋外バーベキュー!
でもさ、
あれって三充士って4人じゃなかった?
すなわち、いわばホモサピエンスたち。
でも、その後の
スーパーモンキーズさんたちは
胸が熱くなるわ。
出世魚のようよ。
でね、
そのバーベキューコンロで
持参のヤミーで美味しそうな、いくつかの魚を焼いてたの。
おいおい魚かよ、って怪訝そうな顔されちゃうけど、
食べさせてみると
美味しいじゃないか!って、彼らの顔がほころぶのよね。
やったー!ほらみなさい。
魚だって美味しいのよ!って。
ネギマのことは
すっかり忘れちゃってたわ。
でも、
ネギマって考えた人って偉いわよね
うふふ。
春ならでは!って感じ。
それにスクランブルエッグに
それに比べてパイン缶は便利よね。
しっかり水分補給!
よく、デトックスウォーターで使った後の果物はどうするんですか?ってあるけど、
結構味が抜けてるのよね。
まあ、結局はお好みでってなっちゃうわよね。
ヨーグルトとかと一緒に食べたりもするわよ。
いろいろ試してみて。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
志村けんががっかりしていたらどうしよう。
昨日も一昨日も志村けんのお話を書いていたのに、今日は少し遅くなっちゃったから。
ちょっとここを読むのが楽しみになってきた志村けんが、なんだ今日は俺のお話はないのかよ
期待して早く帰ってきたのに、なんて少しがっかりしちゃう。
もしも毎日俺のこと書いてくれたら嬉しいのに、最近はお笑いのレギュラーないからちょっと楽しいのに
チンパンジーなんて本当は嫌いなのに、スーパーモンキーズが良かったのに、
だめだそんなこと言っちゃいけない、ブログに書いたら炎上しちゃう。
パブリックな志村けんとして言いたいことを我慢しなきゃいけない辛さ。
公人としての志村けんってなんなんだ。ただのお笑い芸人でいいんだ。
志村けんとしてはあんまりこういういじられ方はないからちょっと新鮮に感じているかもしれないし
本当に楽しみに思ってくれてるかもしれない。
でも絶対読んでないよね。わかってる。