はてなキーワード: スーパーゼネコンとは
巨大な集合住宅の建築現場で施工設計に駆り出された記憶をメモする。
1 展開図 床の間の前にある垂壁をとって床の壁の収まりを見たいから作図して欲しい。
200部屋を超える床の間の展開図から垂壁の線画を削除して、床の間の部材を延長する形で書き直し、寸法も入れ直した。所要時間は2週間以上。
BIMでモデリングされていれば断面線を動かすか新設するかで瞬時に完了する。たとえ200部屋を超えても1日程度で終わったはず。
2 新たな断面図をつくってほしい
構造図、平面詳細図と展開図から要点を拾い出し繋いでゆく。複雑なので確認と修正を繰り返し2日かかった。
BIMでモデリングされていれば必要なところに断面線を引くだけで瞬時に完了した。
CADのデータがすべてただの線の集合体で、ここから柱や梁を指定することができなかった。1本づつハッチングをかけとか非効率も甚だしいので構造平面図と構造軸組図、伏せ図あわせて60ページほどを紙で出力しラインマーカーで塗り分けた。まる2日かけてなんとか最終確認まで持って行った。
BIMでモデリングされていれば階と部材で検索し該当する要素に色をつければいい。要素が何百だろうが何千だろうが瞬時に完了したはず。
4 数千件にのぼるデータを2次元CAD使いが人海戦術で修正していて何がどこにあるのか、最新の図面がどこにあるのかを正確に把握しているひとがいない。設計変更や仕様変更が反映された最新のデータのありかが共有されていない。図面探しでかなりの時間が失われる。
5 基礎梁の断面積を見たら人通口が開口できないことがわかり急遽基礎梁を下に拡張、これにともないラップルコンのレベルもかわった。ものすごい数の設計士がどんちゃん騒ぎをして2週間ほどで基礎の図面をぜんぶ修正した。
BIMでモデリングしていれば、1人が1日くらいかければ完了しただろう。段取りと確認の時間をとっても3日以内におわったはず。
6 すべての部屋の床を種別ごとに求積・積算しエクセルにまとめる。
2次元CADがローエンドすぎて求積機能が貧弱、作業が煩雑。ぜんぶBIMソフトにほうりこんで変換、ゾーニングで作業をおこなった。取り込んだデータがぜんぶ閉じていない線分で構成されており、微細な隙間などもあったのでマジックワンド機能が動作せず、ゾーン境界をポリラインで引き直した。このため2日以上かかった。
BIMでモデリングされていれば何もしなくてもはじめから面積表は自動生成されていた。
没落国家の建築現場ではBIMの普及ははてしなく遠い。本社が本気で取り組んでも末端の建築現場事務所が2次元CAD時代から何も進歩していない。たとえスーパーゼネコンでも。
当時高校生だった私は、とある理由で全校生徒が体育館に集まっていました。
ある時、携帯電話から聞いたことのない音が鳴り響きました。校内持ち歩き不可のはずの携帯電話は男子生徒の制服の内ポケットから、スマートフォンは女子生徒のカーディガンのポケットから、そして渡り廊下の奥の教室から、けたたましく鳴る不快な音。
そしてズズズというこれまた聞いたことのない大きな低い地響きの後に、突き上げるような揺れが起こりました。体育館という建物はバネが効いているので、観測された震度の何倍もの揺れを身体に感じていました。
女子生徒の悲鳴、頭を覆えという教師の怒号、ギシギシと動く体育館の壁、そして見たこともないくらい左右にぶらんぶらんと揺れる天井の照明、何が起こったか分からないと口を開けたままの友人の顔。
大きな揺れは収まりましたが、集会は中止になり即座に帰宅の指導がありました。地元が同じ人間は一緒に帰って欲しいと先生が言っていました。電車は動いていなかったので、電車で通っている人たちは親の車を待つことになり、しばらく校内に残っていたといいます。
この時、電波はなく、また不幸なことにこの地域だけ停電と断水が起こっていました。私たちは大きな地震が近くで起こったのだということしかわかりませんでした。
私は比較的学校の近所だったので、歩いて帰りました。雪が残る道を必死に帰りました。家に帰ると、祖母が外で近所の人たちと話をしていました。咄嗟に外に出たと言います。着の身着のままで、寒さからなのか、揺れの怖さなのか、身体が少し震えていました。それは私も同じでした。あの体育館で感じた恐怖がまだ残っていました。
家の中はぐちゃぐちゃでした。食器棚が全て開き、割れた皿はなかったものの、倒れたものが床に散乱していました。
祖母は病気の後遺症で目が悪く、なにも触らなかったと言います。私はそれを片付け、両親が帰るのを待ちました。父も母も小学校教諭でしたので、我が家にすぐ帰ることは出来ませんでした。2人とも、自分の学校の生徒をすべて家に帰し、家まで送り、その後に家に帰ってきました。
私の住んでいた県は断水が少なかったと、後から言われましたが、私の家のある地域は断水しました。そして停電も続きました。
雪国の3月上旬、オール電化だった我が家は非常に冷たく、静かで、怖かったことを覚えています。家がこんなに寒かったのだと、靴下を履いて眠ったことは初めてでした。
それまで肌が乾燥することはありませんでしたが、寒さにより乾燥し、頬が粉を吹きました。クリームを塗りなさいと親に言われたのは人生で初めてで、そこで寒いと肌は乾燥するのだと知りました。
全く暖房がないわけではありませんでした。石油ストーブがありましたが、この後どうなるかが分からないので、居間でひとつだけ点火し、大事に使おうと決めました。
父が帰宅して、仏壇用の蝋燭の火を囲み、家族4人でスープを飲みました。
その時に、宮城県が揺れたらしいと教えてくれました。父も母も私も、携帯電話の電池が惜しくてネットを見ていませんでした。電波はかろうじて復活していたようでした。
明日になれば電気は戻るだろうと、その日は早くに寝ました。何もすることができず、寝るしかなかったのです。
眠る前、ストーブの灯油を入れるために外に出ました。その時、見上げた空を一生忘れないでしょう。私の住んでいた土地は田舎で、普段でも晴れた夜は星が綺麗に見えていました。何度か旅行に行った東京の何倍も星が綺麗だなと思ったものでしたが、その日だけは違いました。星しか見えないのです。大きな星が爛々と瞬き、小さな星たちが埋め尽くし、いつもの星空とは全く違うものでした。
あんなに暗い田舎でも、明るかったのです。真に光がない夜はこんなにも星空を輝かせるのだと、心が震えました。そして、とても怖くなりました。知りたくなかったのです。こんなに星が美しいことを、災害で知りたくなかった。冷えた空気が鼻腔を凍てつかせたので、早く家に戻りました。
家に戻ると、父と母が携帯電話を見つめていました。母は手で目を覆っていました。ほら見ろ、と見せられたのはワンセグ放送でした。そこに映し出された映像を見て、足がすくみました。津波の映像でした。仙台空港が波に飲まれていく、その映像でした。私は仙台空港自体には行ったことはありませんでしたし、仙台市にもあまり行ったことはありませんでしたが、石巻や名取市閖上地区、気仙沼には何度も行っていました。仙台空港がこのような状況なら、私たちが旅行に行っていたあの場所はどうなっているのか、これはどんな被害なのか、何が起こったのか、全ては分かりませんでした。父の充電はギリギリで、それ以上は見ることができず、その日は諦めて横になりました。私はしばらく寝られませんでした。
閖上のサイクルセンターのどでかい合宿所みたいな部屋に家族4人で泊まり、その施設の飲食店で晩ご飯を食べたことが昨日のことのように思い出され、その建物は、そこの人たちは、どうなってしまったのか、怖くて怖くて堪りませんでした。
人が死んでしまうような災害だったのだろうかと、それすら曖昧でした。
情報がないというのがこんなにも不自由なのだと思ったのもこの日でした。
翌日電気が復活し、テレビの報道で津波の被害を目の当たりにしました。
あとはもう、ご存知の通りです。
断水復活までは少し時間がかかりましたが、私の地域はそんなに被害がありませんでした。建物に大きなヒビが入ったり、道路が割れたり、といったところでした。余震は続きました。
ただ、普段明るくおちゃらけた雰囲気の友人が、宮城県に単身赴任をしている父親と連絡が取れないと瞳と口の端をぶるぶる震わせて話す姿が目に焼き付いています。彼女の父親は津波で亡くなったと聞きました。
私は大学生を経て、社会人になり仙台に転勤してきました。もっと生々しい震災の話を聞くことが多くなりました。
南三陸や女川出身の子達は皆、口を揃えて言います。家は流されて実家はないのだと。仕事がなくなって仙台の街中に出てきたのだと。避難中に津波に巻き込まれて、電柱にしがみついて生きながらえたという人もいました。
私の仕事もスーパーゼネコンの施工管理でしたので、震災復興事業が主の時期でした。真新しいコンクリートの壁が海を阻みます。防波堤は高く高く、そびえ立っていました。ひび割れだらけの建物が、そこらかしこらにありました。そして、本丸と呼ばれたあの地にも行きました。人の住まなくなった家は、あんなにも朽ちるのが早いのかと今も恐ろしく思います。
なにより、この地域はよく写真展を開きます。震災前の写真、直後の写真、今の写真、それらを並べて展示するのです。私はその写真を見て泣いてしまいます。イオンの一角で、震災を知らない子供たちが走り回るイオンの中で行われていた写真展を見て、泣いていました。
今でも、その地に行くと、津波最高到達点という線が刻まれた建物があります。ここまで津波が来たぞという標識があります。
どうか忘れないで。風化しないで。思い出して。
今日だけでいいです。
お願いです。
忘れないでください。
転売についての議論のたびに「商社だって中抜きしてるじゃねーか」という意見が出てくるのでここで反論をしておきたい
■「中抜き」ではなく、「売掛金回収リスクを負う」ことに対する対価としてのフィー
増田食品が新しくカップラーメンを開発し、全国のスーパーに販売を行うとする
スーパーは現金取引はしてくれないので、掛け(月末締め翌月末現金払い)だったり手形での回収となり、増田食品は売掛金の回収リスクを負うこととなってしまう
増田食品に全国のスーパーの支払能力を調査することは難しい そこで間にはてな商事(商社)に入ってもらうわけである
増田食品は1~2%程度の手数料を払うかわりに、与信管理を全て商社に丸投げすることが出来る
仮に販売先のスーパーが倒産したとしても、増田食品ははてな商事から代金を回収するため影響を受けることがない
■長期プロジェクトの期間中のリスクを引き受けることの対価としてのフィー
国内企業が億単位の大型機械を発注した場合、発注から納品まで1年から1年半程度かかる
代金は「契約時金」「中間金」「竣工時金」の3回に分けて支払われるわけだが、1年から1年半の間買い手売り手それぞれにリスクが生じる
まず買い手のリスクとして、「代金は払ったが、完成までの間にメーカーが倒産してしまい、機械が受け取れないリスク」がある
売り手のリスクとしては、「機械は完成したが、買い手が倒産してしまい代金が全額回収出来ず、完成した機械も誰にも引き取ってもらえないリスク」がある
この場合、間にはてな商事が入り、買い手売り手ともにはてな商事と契約することになる
仮に買い手が途中で倒産すれば、はてな商事が代金を支払って機械を引き取り、新たに機械を買ってくれる企業を探す
売り手が途中で倒産した場合には、製造途中の機械をはてな商事が引き取り、新たなメーカーを見つけて完成まで漕ぎつける
こういったリスクを負うことで、商社は相応のフィーを受け取っているわけである
■メインコントラクターとして海外企業の与信管理&プロジェクト期間中のリスクテイク
どの総合商社にも船舶営業部は存在する 日本の商社の特徴がフルに発揮されている案件はやはり船舶建造プロジェクトであろう
世界の中でバルクキャリア(ばら積み船 石炭やら小麦やら要はなんでも運ぶ船)を建造しているのは日本、韓国、中国の3ヵ国
ヨーロッパ(主にギリシャ)やアジアの船主から日本国内の造船所に対して発注が成されるわけだが、双方ともに相手の財務内容を完全に把握しているわけではない
そもそも船舶案件の場合、バルクキャリアであれば一隻20~40億円程度、大型コンテナ船ともなれば1隻100億円超になる
そんな巨額の案件で「発注して一部支払ったはいいけど造船所が途中で倒産した」「受注して船舶建造してるけど途中で船主が倒産した」なんてことになれば間違いなく連鎖倒産である
そのため、メインコントラクターとして全てはてな商事が主契約者になり全ての責任を負うのである
仮に海外の船主が途中で倒産したりキャンセルしてくれば、はてな商事が代わりに代金を払って船を引き取り、新たな買い手を探す
逆に造船所が倒産した場合には、船舶建造を引き受けてくれる新たな造船所を探し、必ず工期までに完成させる
商社はこれだけのリスクを負っているので、当然のことながら1案件あたり双方から数千万円単位のフィーを受け取っている
(商社抜きで直取引をやるケースもあるが、海外船主からのドタキャンやクレームによる引取拒否で経営が傾いてしまった造船所も複数存在する)
商社なんて商品を右から左で暴利貪ってんだろみたいな意見があるが、商社の実態を正しく理解し、
「リターンを得るためにはリスクを負う必要がある 商社の利益はリスクを負った結果の報酬である」ということを理解して頂きたい
あ、でもスーパーゼネコンの丸投げとか某広告代理店の丸投げとかはありゃ完全にただの中抜きだからね 思いっきり叩いてやってください
【追記1】
商社の場合仮にソニーがプレステ5の製造を中止したら他のメーカーに作らせるっていうまでのリスクを負ってるの
それを同等のリスクだと思ってるの?
⇒「頭悪いブコメ」という表現は不適切でした 「的外れなブコメ」に訂正させて頂きます
【追記2】
クレジットカード会社ですら3~5%の手数料取ってるので、商社が1~2%ってのは低すぎですね 実際にはもっと取ってると思います
自分の商社機能に関する知識はビッグコミックスピリッツ「なぜか笑介」(聖日出夫)で得たものが大半なので実態と異なる部分も多々あると思います
BIMが普及したら積算っていらなくなるだろうという話は同僚と良くしますが、まだまだスーパーゼネコンが実験的にやっているといった感触で、僕らはまだまだ電卓とにらめっこです。新聞とか業界誌では頻繁に名前は聞くのに、現場まではまだまだ届いてない感じがします(あくまで僕個人の感想ですが)
今までぶつ切りだった建設関連会社が、同じ資料を共有し運営していくというモデルは大変理にかなったシステムだと思います。今後もっと普及するよう、我々も保守的にならず新しいものを取り入れなければならないと思います。
とはいえ積算も昔に比べればだいぶ技術革新し、今やcadのように図面を書くと各々の数字が拾えるようなシステムも普及しています。ただやはり収まりは機械には分かりかねるところは大いにあり(もともとゼネコンで現場監督をしていた上司とかの説得力は本当にすごいです)いくらシステムが普及しても、そもそもの土台自体は確かなものを築かなければならないなと思います。
もしくは、2ちゃんねらーが電凸する価値があるか否か、Yes/Noで答えよ
★東京通勤圏の駅前にある、地上四十数階建てのタワーマンション現場
★発売中だった筈だが、リクルート社「Suumo」の物件案内ページから、忽然と消えた
★但し、現時点で事業主は当該物件を自社サイト販売ページから削除していない。
(なお、販売中物件は通常はそのままSuumoに載る。自社サイトに掲載されてSuumoに載らないことは、通常はない)
(部外者による冷やかし閲覧を防止するため、パスワードがないと閲覧できない設定)
【未確認情報】
「7階建設中に柱の不具合が発覚」「4階あたりで一部コンクリートの打設もれ」
「4階部分まで一旦解体」「一旦販売中止」との未確認情報が飛び交っているが、
「契約者向けに事業主からこの件で連絡があった」との情報もあるが、未確認
【背景】
翌1月に週刊ダイヤモンドが取り上げ、一気に表面化。
3月24日にブルームバーグが取り上げ、一気に表面化。
【取材方法】
「購入検討しているのですが、『販売中止になった』と某掲示板に書かれているのですが、事実ですか?」
「購入検討しているのですが、Suumo掲載中止になった理由は何ですか?」
「購入検討しているのですが、工事は順調に推移しているのですか?」
と電凸する。
【余談】
結局、五輪によって、これまで厳しかった所はもっと厳しく、地方とか完全においてけぼりになるだろうね。
首相がさんざん、明日にでも使える金が何百億とある、って言ってたけど、
んなもんあるならやることいくらでも今あるだろう。。。
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/09/08/182813
読んだ。
私も分からない。
どうして「東京」で開催することを喜ぶんだろう。
日本人のほとんどは、実際会場に行って競技観るわけじゃないでしょ?
せいぜいバーや街頭ビジョンに集まって、みんなでワイワイやる程度。
大阪万博じゃあるまいし、大多数の日本人は自宅観戦。長野・札幌五輪に行った人ってどれだけいるんだろうか。
ヘタすると娯楽もメディアも多様化してるから、自宅でも観ないかもしれない。
これが地方開催で、土建屋が「うっしゃぁあああ!!」って喜ぶなら分かる。
おそロシアの風刺人形劇みたいに、どっかの芸人がネタにしてくれたら嬉しい。観る。