はてなキーワード: シルバーデモクラシーとは
既存政党による政治腐敗、数が多いだけの老人のためのシルバーデモクラシーに辟易としてきたので、新党を結党します。その名も若者党です。
若者党は、主に40代までの働き盛りの支持を得るために「若者のための政治」をスローガンに掲げ活動していきます。
マニフェストは以下の通りです。
老人は多すぎます。今の日本にはこの老人を支えていくような財源も人手もありません。そのため、75才を超えた後期高齢者に安楽死という選択肢を開放します。これにより、社会保険料の上昇を抑えます。
なぜ後期高齢者にもなって犯罪を犯すのか。万引き、窃盗、交通事故。生きている価値がありません。刑務所で余生をすごしてもらいます。
・政治家の75才定年導入
なぜ民間企業には定年があるのでしょうか。それは歳を重ねることで能力が下がるからではないでしょうか。それなのに、政治家は組織票や党利党略により年齢関わらず当選してしまいます。後期高齢者が政治家になっても、能力低下、会議で居眠り、何の役にもたちません。そのため、75才定年制を導入します。あらかじめ定年が設定されていれば、世代交代もしやすいのではないでしょうか。
子は国の宝です。死にゆく老人に金を持たせても何にもなりません。子供出産につき1,000万円のお祝い金を支払います。もちろん、オムツ代、子ども手当も拡充させます。ベビーシッターも頼みやすくします。
まだまだ、子どもファースト、若者ファーストの施策を考えていきたいと思います。ぜひご意見ご要望あればコメント下さい。よろしくお願いします。
シルバーデモクラシーって実証的に怪しいよね、と政治学の論文では言われだしているのに、今さら都市伝説を喩え話に持ち出されてもな。
政治学者の内田満が日本で最初にシルバー民主主義に警告を発したのは1986年でしたし、
元税金党代表で参議院議員を四期務めた野末陳平は、1997年に出版した『老人栄えて国亡ぶ』(講談社)で、「日本を悪くしたのは、老人たちにおもねる行政や政治に責任の半分がある。あとの半分は、老人たちの理不尽で過剰な要求だ」とし「老人栄えて国亡ぶ」と指摘しました。
また、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは『シャルリとは誰か?』(文春新書/2016年)で、やはり、欧州におけるシルバー民主主義を批判しています。
シルバーデモクラシーは、毎回毎回、選挙が近づくたびに話題になるだよ。
新聞やテレビそうだけど、Twitterやはてブをみていると「男/女」と「世代」ばかりで社会問題を語りすぎ。
社会問題で切り取るべき線は、「学歴」「所得階層」「職業」「都会/地方」など様々あるのに、みんな男女と世代の対立に還元されてしまう。
貧困や労働の問題として語るべき問題が、女性差別(あるいは男性への「逆差別」)にされたりしている。典型的なのは、病院勤務医の過労問題に由来する入試差別が女性差別の問題としてのみフレーミングされたり、高齢者はデータ上は貧困率が非常に高い年齢層なのに、「高齢世代は得をしている」という言説ばかりが強いことなど。「シルバーデモクラシー」とか言うけど、この10年は年金減らされているんですけど。
なんで日本人はジェンダー論や世代間対立論がこんなに好きなのか。いい加減にしたほうがいいと思う。
(追記)
断っておくと、ジェンダー差別や世代間対立はどうでもいいという話ではなく、それそれで大事な解決すべき問題。避けなければいけないのは、ジェンダー差別をジェンダーの枠組みだけで論じたり、世代間格差を世代という枠組みだけで論じたりすること。事実、罰則付きの男女雇用機会均等法は20年以上前にできたけど、長時間労働や安定雇用の減少という問題を完全に無視して進めたため、かえってジェンダー格差が広がってしまった。事実、ネットフェミニストは労働問題や貧困問題にあまり関心がない。
あの問題にしても、オープンレター側はジェンダー差別意識や「女性差別を娯楽にしている」という単純な差別意識の問題として片付けたいようだが、「まだテニュアを得られてない身分不安定な男性研究者が、テニュアの大学教員が女性というだけで被害感情を全面に出すことのできることへのモヤモヤ感」を「差別意識」の一言で切り捨てるのは違うだろうと思う。
まあ、日本なんて人口1億人もいるんだから1人くらい学校に行かない奴がいても別にいいじゃないか。
と、俺は思うが実際に炎上するのはそれなりの理由があるわけだ。
勉強はしておいた方がいい、と知識人は言うが、8割ぐらいの一般人は大した勉強なんてしていない。
その8割ぐらいの一般人が学校で学ぶのは、コミュ力という名の同調圧力だ。
予定時間の5分前には集合しろと言われたら、その通りにすること。
そうやってムラの掟を守って生きてきたから、洗脳を受けず自由に生きようとする人間が一人でもいることが許せない。
考えてもみろ、なんでタダ働きした挙句に貰えるはずだった残業代を会社に献上して帰らなきゃならない?
その金はあんたの会社の、同族経営の社長さんが優雅な暮らしをするために遣われるだけだ。
社畜が恐れているのはそれだろ?ムラの掟を破った奴がのうのうと生き延びてしまったら、自分の人生が否定されてしまう。
だけどもう終わってんだよ。多数決じゃシルバーデモクラシーは解消できない。
若者が投票に行くとか行かないとか、そんな決められたルールの中に答えはない。
なぜならもう取り返しがつかないから。何をどうしたってここまで来てしまった結果が変えられない。
そしてアラフォー、アラフィフになってしまった氷河期世代を救済する(=リソースを割く)より、他に回したほうが「氷河期世代以外にとっては」都合がいい。
氷河期用就職支援とか採用枠とか設けられてたと思うけど、できてあれくらいでしょ。
もし救われる可能性があるとしたら、ベーシックインカムなどで苦しくない程度の暮らしができるようになって、好きな仕事ができるような機会を得られたらじゃないかなと思うよ。
(氷河期世代のみ優遇してBIしろというわけではないです。BI導入は全体的にやってほしいと思ってます)
氷河期世代の先頭(1993年卒)なんて大卒でももう50くらいになってるからあと15年くらいで定年でしょ。
年齢相応のポジションにつくことは経験がないと難しいから無理だし。会社のミドル層も、氷河期世代後が育ってきているし。今の時点でロストしている人をそのままロストしても問題ないように、時間が解決していってしまってるんだよ。
だからこの世代の気持ちが救われることはもうない。もうないんだ。
その上でおそらく、今コストとして問題視されてる年金とか老人医療とか社会福祉とか。すぐにどうこうはならないだろうが、もし削られるように話がまとまったらこの世代がお世話になるころにタイミングが合っちゃうんじゃないかなあ。
その頃にはシルバーデモクラシーの反動で政治が若返ってて、「若者のための/働く世代のための政治を!」って言ってたりしてね。
つまり最後は姥捨て山行きだよ。これも今のルートだと回避できない。
思うに、もう「氷河期世代」ってくくりで当人が何かを言っても仕方ないどころか、人数が増えた下の世代からもうざいと言われる時期に来てしまった。
だから氷河期世代云々を抜きにして、問題点を挙げないといけないんじゃないか。
たとえば「ワクチンの順番が40〜49歳を抜かされているのはおかしい」みたいな指摘はもっともで、それ自体は悪くない。
でも話の頭に自己紹介で「氷河期世代だけど」をつけると、それを切り捨てたほうが都合のいい奴らに「まーた氷河期世代がピーピー文句言ってるw」で終わらせられてしまう。
そうならないようにその問題、その不利益を「氷河期世代のせい」として当人が語ることはせず、問題の内容をみて、さらにもし他の世代にも当てはまるなら全体的な問題としてあげたほうがいいんだろう。
それで氷河期世代とか関係なく、その問題をみてくれそうな政治家に投票していかないといけないんだろうよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210827203034
ただ、増田が氷河期世代と言いたくなる気持ちは仕方ないものだし、増田に書き込むのも悪くない。ここはそういうもんだ。
それは、そういうのはもう、書いちゃえ。
これベーシックインカムもそうだけど、突き詰めればなんだかんだでデフレを維持してしまうのも年金受給者にとってはデフレが一番良いからなんだよな。
人口に占める高齢者の割合が増えてシルバーデモクラシーが進むと最早デフレを抜けることは難しくなる。
数も投票率も大きい層がデフレで利益を受けるんだからもう政党以前の問題。
そういう意味では日本の政治は基本的には非常に有権者を意識して行われているわけよ。
年金生活者にとっちゃ現役世代の給料が上がろうが関係ないし、ひたすら物価が安くなればなるほど年金で買えるものが増えて得をするのだから景気が落ち込んでデフレのままでいてくれた方が嬉しいわけ。
人口比が変わらない限り民主主義政治がこれを変えることは出来ないだろうからどこの政党がやろうが一緒だよ。
年金は、もらってる老人と少ない老人の格差がはげしいから、もらってる老人のを減らして少ない老人に回せば解決するって辛坊治郎が言ってたな。
でもシルバーデモクラシーだから絶対無理だとか。
(参照:豚猫大好きぶーにゃんの社会的弱者研究所http://sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp/entry/2017/03/06/173930)
当時の就職企業説明会がどのようなものだったかが記されており、就職氷河期に中小企業でさえ就職するのがいかに難しかったか理解できるかと思います。
私は就職氷河期世代なのですが、病気療養のため同世代と同じ時期に就職活動することができませんでした。
ですので、自分自身は就職氷河期の就職活動を経験したことがありません。
しかし、ときどき体調の良い時に大学に行って就職課の求人を見ることがありました。
例年なら満杯になっているはずの掲示板に半分くらいしか求人情報が張っておらず、給与も正社員でありながら手取り15万円にも満たないものが多かったことを記憶しています。
また、同年代の知り合いからは、いわゆる“カラ求人”も多かったと聞いています。
聞くところによると、一斉に企業が採用をやめたので求人倍率が低くなり、あまりの厳しい数字に厚労省が「これはまずい」と思って、“採用しなくてもいいので求人を出して欲しい”と企業にお願いしたことがあるとか、ないとか…。
企業が求人を出して、さんざん面接をやって、結局1人も採用しなかった…なんて話も聞いたことがある時期でした。
今世間で知られている就職氷河期の求人倍率も、このような“カラ求人”の分を除けば、もっと低かったんじゃないか、という意見も聞きます。
さて、そんな就職氷河期世代、または団塊ジュニア世代ももう40代~30代後半。
もう、企業も受け入れが難しい年齢ですし、私は「このまま我々の世代は見捨てられていくんだなぁ」と悲しい気持ちでいました。
ところが最近、八代尚宏先生などの本を読んでいて、「あれ?もしかして就職氷河期世代は見捨てられるどころか、これから影響力が強くなるんじゃないか?」と思うことがありました。
なぜか。
去年から“シルバー民主主義”や“シルバーデモクラシー”という言葉が取り上げられるようになりました。
これは、相対的に数が多い高齢者世代が自分たちの都合の良い政策を実行する党に投票するあまり、若年世代にとって不利益が多い社会になってしまう…というものだったと思います。
この代表格がいわゆる団塊世代であったわけですが、彼らも近年続々と75歳以上という後期高齢者に突入しています。
いろいろ指摘されているように、団塊世代の人も75歳以上になると健康的な問題で投票に行けないことが多くなり、徐々に彼らの政治的影響力は弱まってくると考えられるのです。
「そんなことにわかには信じられない」と思われる方も多いでしょう。
しかし、医療機関で働いていると、75歳を境にしていかに人間が弱くなるかが良くわかるのです。
人間は75歳も過ぎると、大きな病気にかかるとなかなか回復しません。
ちょっとの病気ですぐに足腰が弱くなるので、外出も少なくなります。
また、認知症にもかかりやすくなり、認知症の影響で自力での健康管理ができなくなると、体調が崩れやすくなり、あっという間に亡くなる方もいらっしゃいます。
(そもそも認知症になったら、判断能力が低下するので投票できなくなると思われます)
そういうことを考えながら、人口ピラミッドを見ると、否応にも団塊ジュニア、いわゆる就職氷河期世代の数の多さに目が行きます。
八代先生などによると、年代が上がるにつれて投票率も上昇するそうです。
つまり、これから団塊世代の政治的影響力が弱まると同時に、団塊ジュニア、つまり就職氷河期世代の政治的影響力が強まってくると考えられるのです。
しかし、他の方がさんざん書かれているように、この世代は社会に出てこのかた、ちっとも良い思いをしていません。
新卒で就職活動した時は、不況の影響でどんなにがんばっても正社員として就職できませんでした。
就職してもブラック企業で、過労死したり、精神的疾患を患って退職を余儀なくされる人も多かったです。
仕方なく非正規雇用で働いても、“非正規”という身分差別のため正社員と同じ仕事をしているにも関わらず、給料は少ないままほとんど変わりませんでした。
社会保険にも入れてもらえず、老後の貯蓄もできず、がんばっているにも関わらず「甘えている」「自己責任」と言われる始末です。
一昔前であれば、過去の政治的出来事は時とともに忘れ去られることが多かったと思います。
でも、今はネットに就職氷河期のドキュメンタリー映像や当時の政策の記録が残っています。
こうした状況を考える時、「これから就職氷河期世代がどういう投票行動を取るのか、どのような政治的影響力を及ぼすのかわからないな」と思うのです。
昨年、与党はにわかに就職氷河期世代の支援策を打ち出し始めました。
この背景には減り続ける社会保険収入や税収を増やし、生活保護受給者を減らす目的があるんじゃないかと思っていました。
しかし、団塊世代の次に票をたくさん持っている年代を考えた時、団塊ジュニア世代、つまり就職氷河期世代に注目が集まったのではないかとも考えられるのです。
就職氷河期世代は企業にとって魅力のない年齢になったのかもしれません。
彼らは少なくとも、あと30年間は投票に行けるのです。
今後、就職氷河期世代は政治的にどのような選択をするのでしょうか…。
もし、本当に就職氷河期世代の復讐があるのとすれば、“揺るぎない絶大な投票数”という形で現れることもあるのかもしれない、と思った次第です。