はてなキーワード: システマティックとは
40過ぎた中年は悩む。ミッドライフクライシスだの中年の危機だの、言い方はいくらでもあるが、とにかく悩む。
んで、もっといえば若いコは若いコなりに悩む。ジジババはジジババなりに悩む。
ようは人類、皆、悩む。
そんな苦しい人生をシステマティックに整理し、より良く生きるためにはどうしたらいいのか?という一つの問に対する一つの答えを、ここに記した。
もともと人生に意味などなく、仕方なく人間として生を受けた者も例外に漏れず、
ただただ生かされるだけの存在でしかなく、そこには一切の意思や価値など存在しない。
すべて思い込みに基づき、後付けで定義したものに過ぎないからだ。
よって、どんな人生であれ、死ぬまでの暇潰しでしかないといえる。
勝利も敗北もないまま、孤独なレースは続いていく。(ダンダンダンダーン ミレソー)
DNAに死がプログラムされている以上、これは受け入れるしかない。
「じゃあさ、せっかく暇潰しするんだったら、より楽しいほうがいいよね」ってことで、
仕事頑張ったり、趣味に打ち込んだり、恋愛楽しんだりするわけだ。
が、しかし――。
生きている間、神的な充足感をどれだけ感じられたか?
このQuality Of Lifeを積分した値が、あなたの人生の幸福度だ。
1.私の定義する精神の充足度は、以下の5種類のパラメータから構成される。
(2)人と繋がること
(3)社会貢献すること
(4)自分の成長を感じること
(5)何かに没頭すること
2.もう一つ、私の定義する精神の充足度(ベーシック版)は、以下の5種類のパラメータから構成される。
(3)週に2回、運動をすること
(4)瞑想すること
・1.の(1)~(5)、及び2.の(1)~(4)について、毎日、10段階で評価し、グラフにつける。
・ついでに、精神の充足感も同時に、日記へ一日一行でいいからメモする
・これを一ヶ月続ける。
・グラフが示す値と自己判断した充足感に、正の相関があることに気づく
・今度は、QOLを自分なりに分解してみて、同様のことを試みる。
・人生って、( ・∀・)イイ!!
発達障害の人間が言いそうなありきたりなことしか言わないけどマジで普通の人間になりたい。
っていうか普通の人間になるために23年間ずっとずっと頑張ってきた。で、24年目にばっきん折れて、そっから学生という名のニートしてる。
ありがちすぎる。馬鹿か。
もう私が発達障害なので幼稚園の時点で分かっていた。教室にいる時間より脱走してウロウロしてる時間の方が長かった。
はい、あるある。教室に1人はいただろ、座ってられないクソガキが。そいつが私だ。勿論親は白い目で見られる。可哀想以外の言葉がない。私だったら絶対ぶん投げてる。
しかし母はぶん投げない。偉すぎる。
母が偉すぎるので私は小学校も特別教室じゃなくて普通学級に通えるぐらいには人間の形にしてもらえた。
忘れ物、もちろん母が10回確認してくる。10回確認されたら8回目ぐらいで何とかなる。それは何とかなったとは言わねえよ。
テスト。勉強だけはできるが、もちろんケアレスミスがヤバい。3回解きなおしてた。なにせ時間だけは死ぬほど余る。
人間関係。ヤバい。何がヤバいか私には分からないが母はものすごい頻度で学校に呼び出されてた。
どうしようもないガキの親、どんなクソ親かと思って呼び出してみたら普通の人間が出てくるから先生も驚いただろうな。
実際私と同程度の問題児の親は、子供にピアス開けたり子供を金髪にしたり学校からの呼び出しバックレたり子供のおもちゃ酔っ払ってドブに捨てたりご飯作らなかったり育児放棄してたり、ヤバいのしかいなかった。
いや、産んで愛して生存させてるだけで100点だと私は思うけどね?世間はそうは言わない。
まあ最初は親に憤っていた担任も、1年終わる頃にはお母さんも苦労されますねまで折れてるのが毎年恒例だった。
そんなどうしようもないガキだった私も、周りの大人のおかげで人間のふりがちょっとずつ上手になって高校を出る頃には……なんて美談はない。
朝起きる、時間を守る、期限を守る、約束を守る。その他色々。死ぬほど苦痛だった。苦痛に耐える力が多少上がっただけだ。ストレスで高校3年間で5回ぐらいしか生理来なかったけど。
生理が止まるまで頑張っても、部屋片づけられないとか起きれないとか時間守れないとかそういうの全部努力不足で片付けられる。そうか、まだ足りないのか。
じゃあもっと頑張るしかない。私が普通じゃないのは努力が足りないからなんだ。
はい、この流れどっかで100回読んだわ。思春期過ぎてメンヘラ堕ちする発達障害。ありがちすぎる。
大学は発達障害の掃き溜めと名高い工学部に進学した。女で工学部なら学校推薦で大手企業に入れるだろうと思った。
逆に、人間性を見るような面接をされてしまうと絶対落ちる自信しかなかったので。
普通のサラリーマンになるにはシステマティックな採用をしてる古いメーカーに肩書で潜り込むしかない。
そこで女が少ないのを利用して手堅い理系男子を捕まえて結婚して大手企業の手厚い育児支援を受けながら働くんだ。
そこまでやればきっと私はどこから見たって普通の人間の型を踏襲してるって言えるはず。
大学では普通の人間になるためにめちゃくちゃ頑張った。オタク趣味も全て封印して告白してきた好きでもないけど普通っぽい男と付き合って、普通っぽい男に惚れたら普通になれると信じて好きになる努力をして、普通に遅刻癖や汚部屋をだらしないと糾弾されまくって、飲み会では美味しくないビールをいつか美味しいと感じるって言葉を信じて毎回飲み干して、たまに吐いて、興味もないファッション誌を購読して、好きでもない流行りの服を着て、好きでもない工学を学んで、好きでもない研究をして、嫌いなことをすればするほど、人間に近づいていく気がして嬉しかった。
ほらまたどっかで100回聞いたような話をする。うるせえ女の愚痴なんてだいたい100回聞いたような話だろ。
で、その夢がそろそろ叶おうという就活の目前で私は突然全てが嫌になり全てをぶん投げたため大学院を留年した。
馬鹿か。ぶん投げるならもっと早い段階でぶん投げておけ。23でやっていいことじゃないぞ反抗期。自分探しなんざ学部1年の夏休みに北海道で済ませておけ馬鹿が。
まあぶん投げたところで、1年までならセーフだろうという浅ましさである。全てを捨てられないところが本当に凡夫のそれだ。そしてまあ1年が経ったわけだ。
もう一回、レールに戻って、毎日普通の人間になるために努力する日々を送るための段取りは整っている。
教務課に、学校推薦を下さいって言うだけで私は普通のサラリーマンになれる。
私が23年間頑張って普通の人間になるために敷いてきたレールに、戻るべきか否か。
ですよね。
最高に頭が混乱し、最低のグッドトリップをした経験を、忠実に、正確に、有意に脚色を加えて書き残す。実に珍しいことだと感じたので。
12月9日午後12時35分、就寝。男は一晩中寝ていなかったらしい。漫画を読み、充足感と不足感のままに乱暴に寝た。夢は見なかったそうだ。
12月9日午後6時18分、起床。外は暗い。男は電気を点け、あまりの明るさに愕然とする。どうせやることもないし、このままもう一度寝てしまおうか、とも考えたが、蛍光灯とブルーライトにやられた目と脳は閉じることを拒んでいた。
男はなにも考えていなかった。なにも考えられなかった。夢と現実の狭間に迷い込んだかのようだった。外の暗さと部屋の明るさに、矛盾した鬱憤をかかえながら、ただ時間を過ごしていた。とりとめもない文章を連ね、他人に送りつけたりしていた。46億の人々の生活を消費し続けたりしていた。孤立していた。
12月9日午後7時24分、男は世界が一つではないと気づいた。その瞬間、目に映る文章、天井のライト、部屋の景観、今までのすべてが、文章となって脳になだれ込んだ。あまりにも煩かった。慄いた。これまでの自分にあった全てを悔い、取り消そうとした。しかし気づいている男は、そんなことができないことにも気づいているのだ。どうしようもなく時間は早く進む。不可解な理解から逃げ出したかった男は、もう一度布団にくるまった。
12月9日午後7時48分、逃げ出した男は、なにかに縋った。とにかく狭間に帰るべきだと考え、今の自分がいかなるものかを他人に伝えた。まるでそれらが自分ではないように。なにもない狭間になにかを忘れてきたかのように。男にとってそこは、唯の狭間ではなかった。すべてを満たす無に安堵を覚えていた。凪の水面に落とされた水滴、もとい大雨は、大きな波紋を広げ、自己を顕示する力を生んだのだ。
12月9日午後7時57分、男は気がついた。ここにはなんの変化もない。
12月9日午後7時57分、私は気がついた。ここにはなんの変化もない。
何も起きていなかった。安堵した。凪の水面は存在しなかったのだ。あわやヒトという環に取り込まれそうになった私は、なんの問題もなく生活を取り戻した。システマティックに組み込まれたひとは、再び運動を始め、するすると抜け落ちた狭間の快楽に気づくこともなく回り続けている。
男達は偽物だったと思うことにした。
これは観察に基づく偏見なんだけど、毎日風呂入ってるだろうけど汚らしいおっさんとかいるじゃん?
そういうおっさんって会社のお昼とかに横目でちょっと見てみると大抵コンビニ弁当食ってるのね。
で、弁当だけだと罪悪感があるのかコンビニのサラダも付け合わせに食ってんの。甘じょっぱいドレッシングたっぷりの。
コンビニの食べ物ってさ食中毒とか出すと企業への信用に甚大な悪影響が出るから、かなり徹底的にシステマティックに衛生管理がされてると思うんだよね。
なんども洗われたり添加物を入れたりのあとで、砂糖と塩づけで濃いめの味付けにされた食べ物ってどう考えても体に良くないじゃん?
いや30代以下の若い頃はさ、新陳代謝が良いから適当な食事でも肌や髪の艶が保てて、清潔感もなんとかなってたんだと思う。
でもさ、よく言われるようにそういう食事の影響って年を取ってから急に来ると思うんだよ。
どうせKKOって「今日は暑いからコンビニの冷麺食べちゃうぞ。小腹が空いたときのために菓子パンも買っちゃおう」とか考えてるんでしょ。
個人的には好きなものを好きなだけ食べれば良いと思うけど、清潔感が出なくてモテないってんなら普段食べてるものも考慮すべきなんじゃなかろうか?
「パートIII.Dで、当財団は、ダイムラーが使用した違法操作機器の運用にかかる委託研究について説明する。 ••••••(以下:••••••)が実施したこの調査では、これまで他の利益団体や当局が使用していない根本的に異なる方法論を採用した。端的にいえば、当財団が購入したEuro 6 Test Vehicleでテスト走行を行い、エンジンと排気ガス管理を制御するECU(Electronical Control Unit)から走行中の情報を読み取ったのである。これにより当財団は、試験車両の違法操作機器の根本的なメカニズムと機能を初めて洞察する者となった。本調査により当財団が同定できる限り、少なくとも8つの違法(SCRおよびEGR)操作機器が配備された、驚異的に複雑で洗練された排出詐欺が明らかになった。これらの違法操作機器はそれぞれ、実際の運転条件でシステム全体の効率を大幅に低下させる。ダイムラーのトリックの結果として、これらの違法操作機器はNEDCテストサイクル外でのみ動作する。」
「III.B.1. 序文
255. このセクションでは、当財団は、排出規制および適用される判例法に基づいて、違法操作機器の特性について説明する。 前述のとおり、当財団はとりわけ、2020年4月30日の欧州司法裁判所 Eleanor Sharpston 法務官の意見※に特に注意を払っている。(図14を参照)。」
※「2020年4月30日の欧州司法裁判所 Eleanor Sharpston 法務官の意見」はこちら。↓
"Court of Justice of the European Union PRESS RELEASE No 52/20
Luxembourg, 30 April 2020
Advocate General’s Opinion in Case C-693/18CLCV and Others (defeat device on a diesel engine)
According to Advocate General Sharpston, a device that adjusts upwards the operation of the emission control system of diesel engine vehicles during the approval testing of those vehicles is a ‘defeat device’prohibited by EU law
The objective of slowing down the aging or the clogging-up of the enginedoes not justify the use of such a device"
https://curia.europa.eu/jcms/upload/docs/application/pdf/2020-04/cp200052en.pdf
III.D.1. イントロダクション、研究の関連性、および主要な調査結果
295. このセクションでは、当財団の研究結果について論ずる。 この研究は、その方法論によって、上で説明した研究※とは区別される。 前述のように、この研究は、入力値(周囲温度や車速など)と出力値(PEMSで測定された排出量)を測定するのみならず、ECU自体の内部機能を測定することを目的とする。 テスト中にECUから直接情報を読み取ることにより、ECUの設計と操作を再構築可能である。」
※直前のIII.C で、第三者が公表した調査結果を挙げている。
「296.このアプローチは、概ねメーカーのソースコードがなければ違法操作機器の動作を検出および分析することは不可能であると考えられていることから、これまでどの型式承認当局・関連団体にも採用されていない。間違いなく可能であるとはいえ、費用と時間がかかり、専門知識を用いねばならない。この理由もあって、当財団はこれまでのところ、この研究を単一のテスト車両(本テスト車両)に限定している。本テスト車両は、第306項でさらに指定されているユーロ6対応型メルセデスE350である。モダンなユーロ6車両を選択する理由は、この車両タイプに、EGR(排気ガス再循環)とSCR(選択的触媒反応)の組み合わせからなる高度で複雑な排出制御システムが装備されているためである。このような複合システムでは、SCRシステムが処理の大半を引き継ぐため、EGRシステムはNOx排気負荷を減らすために「ハード」に動作しなくてもよくなる。 Euro 6モデルのECUソフトウェアはEuro 5ソフトウェアの拡張バージョンであるため、以前のバージョンの多くの機能がまだソフトウェアに存在している。調査が示すように、本テスト車両のECUには、機能しているEGR操作機器も多数含まれている。この点で、本研究結果は、EGR装置のみが装備されていた古いメルセデスベンツモデルにも関連している。
297. 要するに、この調査により、SCRとEGRの違法操作機器の範囲が特定された。これらはそれぞれ、特定の条件下でシステムの全体的な効率を大幅に低下させ、これによりSCR触媒コンバーターはほとんどの条件で動作容量のうち最大で60%に制限されることとなる。」
「300. 本調査の結果、違法なSCRおよびEGR操作機器は、NEDC検査下の状況では動作せず、通常の使用状況でのみ動作するようにプログラムされていることが判明した。 違法操作機器は、条件がNEDC検査条件から少しでも逸脱している場合にアクティブになることがわかっている。 さらに、SCR関連のいくつかの違法操作機器には、車両が数か月間使用された後にのみ違法操作機器を操作するように設定されたタイマー機能があり、NEDC検査を確実に通るようになっている。」
「302. 本調査はまた、これらの違法操作ツールのほとんどがソフトウェアの更新後にテスト車両から削除されたことを示している。これは、エンジンの損傷を防止したり、車両の安全な動作を確保したりするために違法操作ツールが必要ないことを意味している。このソフトウェアの更新によって、テスト車両のすべての違法操作機器が実際に削除されたかどうかは明らかではない。……」
III.D.2.a)はじめに
305. 本調査で使用されるメソドロジーは、データ収集、ソフトウェア分析、およびテスト車両から生れたテスト結果の解釈とを、組み合わせることである。306. 前述のように、本テスト車両は、メルセデスベンツ E 350 BlueTEC 4 MATIC Tであり、OM 642型 190 Kw、2987 ccm、6気筒エンジンを搭載している。本テスト車両の検査文書のコピーを別紙57に提示した。……
307. ECUの情報チャネルは複雑で量が多いため(ECUは内部で10,000を超える信号を処理)、イテラティブなプロセスを用いた。 最初のフェーズでは、通常使用中に車両のECUのプロファイルを作成するために、広範なデータ収集が行われた。 排出制御に関連するソフトウェアとデータは、ソフトウェア分析を使用して特定した。 その後、データ収集プロセスをさらに洗練し、より詳細なデータを得た。」
308. 調査中のデータ収集は、OBD-2ポートを使用して実行した。……」
「310.前述のように、ECUソフトウェアのソースコードや完全なドキュメントについては、ダイムラーがその情報を慎重に管理しているために、本調査者はこれらを得ていない。 ただし、ドキュメントやソースコードが利用できないソフトウェアの分析については多くの研究があり、そのような分析はIT業界で定期的に行われている。研究者は、「逆アセンブル」(ソフトウェアが人間が読める形式に変換される)やソフトウェアシミュレーションなどのいわゆるリバースエンジニアリング手法を使用している。 これらの手法により、ソースコードが利用できない文書化されていないソフトウェアの分析が可能になり、本テスト車両のECUソフトウェアの分析にも使用されている。」
315. 本SCRシステムでは、主な制御変数の1つはAdBlueまたはDEF(ディーゼル排気流体)の投与量である。本テスト車両のECU、Bosch EDC17CP57 は、システムに投与されたAdBlueの量を計算する。 SCR触媒コンバーター内で、AdBlueはアンモニアに変換され、次にアンモニアがNOxと酸素と反応して窒素と水に変換される。
316.有効性の尺度は、「SCR除去効率」または「変換効率」である。 SCRの潜在的な効率は、以下を含む多くの物理的条件によって制限される場合がある。
317. 以上のリストは完全なものではないが、適切に機能しているSCRシステムが物理的な制限を受けていることを示している。 これらの制限に対処するために、本ECUソフトウェアには、2つの異なる動作モードが含まれている。
318.最初のモードは、以下「アンモニア負荷モデル」と呼ぶもので、SCRシステムが完全に機能するモードである。 このモードは公的にアクセス可能なメディアでは説明されておらず、この用語自体は文献で使用されている標準ではないことに注意されたい。
319. 2番目のモードは「代替モデル」である。 これは、不正な操作ツールによってアクティブ化されるモードである。 代替モデルがいずれかの操作ツールによってアクティブ化されると、通常SCRは最大60%となる。 特にいくつかの違法操作ツールが同時にアクティブ化されている場合は、効率が大幅に低下する可能性もある。……」
330. 本調査による観察結果の要点は、代替モデルでは、実際の運転条件のほとんどで、SCRシステムのターゲット効率が比較的低い値に保たれるが、これは物理的な制限に基づいていない要因やポリシーの選択によって生じているため、 違法だということである。 言い換えると、SCR触媒でのNOxの還元に直接影響を与えることがない入力に応じて、効率目標が意図的に低い値に低減される。 したがって、これらの要素とポリシーの選択、およびそれらが有効にするメカニズムは、違法な操作手段と見なすことができる。
331. これらの違法なSCR関連の操作ツールは、以下の機能を共有する:
(i)それらは、温度、排気ガスの質量流量といった、極端な条件下で一般的に制御する必要がある物理的特性に応答する。
(ii)ただしそれらは、通常の「実際の」運転条件では、システマティックにアクティべートされる。
(iii)それらは、たとえば、正当化されないヒステリシスを使用することにより、アクティベート後に、ある効果が出るように設計されている。
簡単に言えば、ヒステリシスという用語は、新しい状態への切り替えを引き起こす値と元の状態への戻りを引き起こす値との間に特定の「範囲」がある状態を表す。一般的な例は、特定の温度で加熱がオンになるサーモスタットで、温度が初期値よりも数度低い場合にのみオフになることで、システムのオンとオフが連続して行われないようになっている。今回のケースでいうと、ヒステリシスは、元の状態(この場合は「アンモニア負荷モデル」)に切り替えるしきい値が「代替モデル」が動き出す状態に切り替えるレベルよりもかなり低い(または高い)場合に発生する; そして
(iv)それらはSCRシステムの目標効率を大幅に低下させ、AdBlueの投与を大幅に削減する。これにより、NOx排出量が大幅かつ大幅に増加する。
332. 本調査の結果、8個以上の違法操作機器が発見されたが、そのうち6個はSCRシステム(およびAdBlueの投与量)に関連している。……」
「III.D.4.a)SCR操作ツール1:排気ガスの質量流量
335. 最初の違法SCR操作機器は、SCR触媒コンバーターを通過する排気ガスの体積(排気ガスの質量流量)を参照する。
336. 上述したように、排気ガスの質量流量がSCR触媒の処理能力よりも大きい場合、排気ガスはSCR触媒から逃げることができ、NOxチャージを減らす機会が与えられないこととなる。 これに対処しないと、SCR効率の過大評価につながり、AdBlueのオーバードーズにつながる可能性がある。 このことで、SCR触媒がアンモニアでオーバーフィルされ、アンモニアのスリップが発生する可能性がある。 したがって、質量流量を監視し、過剰なマスフローが通知されたときにSCRのターゲット効率の推定値を下げることは、原則として、有効なストラテジーになる可能性がある。
337. ただし、テスト車両では、フィルタ後の排気ガスの質量流量の制限は、時速170 kgに設定されており、これは、実際の運転状況では約100 km / hに相当する。 このしきい値は、技術的な観点から見て、言い訳けができないほど低くなっている。 このしきい値を超えるとすぐに、ECUは代替モデルに切り替える。 さらに、(-80 kg / hの)強いヒステリシスが適用されるため、負荷モデルに切り替える場合、質量流量は90 kg / h未満でなければならない。 60 km / h程度の低速でも、このしきい値は日常的に超過している。 さらに、エンジンが一定している場合、短時間では負荷モデルに戻らない。
338. この制限は、正確には、SCRシステムの「エージングファクター」によって決まることに注意せよ。この機能に関連して、ECUはSCR触媒コンバーターがその耐用期間中にさらされた温度を記録し、これに基づいて経年変化の影響をモデル化する。ただし、以下のグラフに示すように、この違法操作機器のエージングファクターは、完全な100%(完全に新しい状態)が1%~99%(すなわち実質的に新しい)まで減少するとすぐにアクティブになるように設定されている。すでにその時点で、上限は時速200 kgから時速170 kg へ削減され、下限(ヒステリシス)は時速120 kg / hから時速80 kg / hに削減されている。 NEDC検査は完全に新しい車両で行われるため、輸入検査でこの違法操作デバイスを検出できないと推定できるのである。これに対し、本テスト車両はこれらの観測の時点で70,000マイル走行しており、ソフトウェアは69%のSCRエージングファクターを示していた。」
差別と表現規制の話題を,人工知能学会誌表紙,キズナアイ,宇崎ちゃんポスターと追っているが,フェミニスト側の立論の雑さが目立つようになってきた.フェミニストによると,これらの表現は
という.
この2点について,多くの規制反対論者が「エビデンスはあるのか」と問うてきたが,フェミニスト側は真面目に答えようとしてこなかった.ここでは,市民にエビデンスを提供することが期待されているであろう,社会学者たちがいかに知的不誠実な態度に終始してきたかを見ていきたい.
ここでいう「エビデンス」とは evidence based medicine (EBM; 根拠に基づいた医療) や evidence based policy making (EBPM; 根拠に基づいた制作決定) におけるエビデンスで, 単なる「根拠」「証拠」より強い意味を持つ.例えば,EBMにおいては下記のようなエビデンスレベルというものがあり,一口にエビデンスといっても質の強弱がある:
I | システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス |
II | 1つ以上のランダム化比較試験による |
III | 非ランダム化比較試験による |
IVa | 分析疫学的研究(コホート研究) |
IVb | 分析疫学的研究(症例対照研究、横断研究) |
V | 記述研究(症例報告やケース・シリーズ) |
VI | 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見 |
もちろん,社会科学分野では完全なランダム化比較試験は難しいという事情はあるだろう.それでも,行動心理学の研究や,具体的な事例の紹介はできるはずだ.以下で指摘するのは,表現規制の議論において,社会学者たちが,質の高いエビデンスを提示せず,最も低い「VI 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」相当の論考しか提示してこなかったという怠慢である.
宇崎ちゃん事件の発端となったのは弁護士の発言であったが,しばらくして,牟田氏による下記の論考が出た:
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185
女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。
たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。
上のエビデンスレベルに照らすと,条約や所見は最も低いVIに該当するであろう.もちろん,所見を作成する上で何らかの質の高いエビデンスが参照されている可能性はある.残念ながら,そのようなエビデンスがフェミニスト側から提示されることは現在までない.
と,有害性は明らかであるとする.自治体のガイドラインは炎上しないためのHow toであり,これに抵触したからといって即時に性差別にあたるわけではない.例えば,日弁連のポスターですら,形式的にはガイドラインに抵触することが指摘されている:
https://togetter.com/li/1425795
こういう立論の雑さが「お気持ち」と揶揄される一因になっているのではないか.
キズナアイ事件の発端となったのは千田氏による下記の論考である:
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/
「相槌」がなぜダメなのかと思うかもしれないが、社会学では「権力」は相互作用の場面からもつくられていくと考えられている。コミュニケーションの場において、どのような言葉が交わされ、どのように会話が達成されるのか。コミュニケーションは当然、社会システムのなかで行われ、そしてまたその社会システムを再生産するのだ。
このNHKのサイトで「キズナアイ」に割り振られた役割は、基本的に相槌である。それは、従来「女性」に与えられてきた役割である。ある意味で、性別役割分業を再生産していると言えるのだ。
「性別役割分業を再生産」というのが上の「1. 現実の性差別・性犯罪を助長する,あるいは直接女性を加害する有害性を持ち」にあたるだろうが,この点に対してエビデンスは示されることはなかった.問題になっているキズナアイのイラストのように,ポルノとは言い難い軽度の性表現がどの程度人の行動に影響を与えるのか,質の高いエビデンスを示してほしい.
https://twitter.com/chitaponta/status/1047386005139906560
ズナアイは可愛いし、別に愛でてくれていいし、ノーベル賞のサイトから引き上げてくれとか要求もしてなくて、今後、同様の企画を作るときは、少し考えてくれと言っているに過ぎないんだけれど、「誰も傷つけていない」「考えすぎ」というのは少し違うと思う。思春期の自分は、やっぱり傷ついたから。
自分が年をとると快適で、性的対象として見られることがときに女性をいかに傷つけるか、想像もつかないことは理解できる。自分の趣味にケチつけられたら、腹も立つだろう。
ここでも,氏の言う加害がどの程度普遍的に通常人に成立しうるのか,なおかつ公共空間から排除すべき加害性なのか,提示されることはなかった.もちろんこれが社会運動なら,こういった「共感」に訴えるだけで事足りるだろうが,当該分野の専門家としての発言が「共感」に終わるだけでは,なんというか残念.
千田氏自身は,法規制を求めているわけではなく「市民的公共性」から自主規制を求める立場であるとする.なるほど,権力の介入を避け,市民の議論によって線引がなされるべきというのは同意できる.その上で,学者として,市民の議論の補助となるエビデンスを提示してもらいたい.
今年の4月,フェミニストから称賛された上野氏の祝辞があった.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
上野氏は祝辞という限られた環境ながら,種々の研究を紹介し,数字を引用し,現在の社会にある男女差別を提示してみせた.統計の扱い方には色々と難があるし,私とて上野氏の思想で同意できるものの方が少ない.しかし,ここで注目したいのは,エビデンスを提示しようとする上野氏の姿勢と,表現規制でエビデンスから逃げ回る社会学者たちの姿勢とのコントラストである.
恐らく表題だけからなにの話か分かる人は多いかと思いますが、某所で交通事故を起こした車を運転していた方が「アクセルが戻らなくなった」と説明していたそうです。
「アクセルが戻らない=車が止まらない」と思っている方が多そうなので少し車の工学的な面を解説したいと思います。
車はエンジンの動力を車輪に伝えることで進みます。これは誰でも知っていることですが、どうやって伝えているかを知っている人は少ないように思います。
最近の車はアイドリングストップ機能がついていたり「静止しているときにエンジンも停止させる」ことが増えていますが、古い車や冷暖房などを使っている場合は車が静止していてもエンジンが停止しません。たとえば車のエンジンをつけた直後は止まっているのにエンジン音はしますよね。
つまり車は止まっているけどエンジンは回っているのです。ということはエンジンが回っていても車輪が回らないための仕組みがあるのです。
このための仕組みはおおまかに二種類あって、どちらを使っているかは車がオートマ(AT)車なのかマニュアル(MT)車なのかによって異なります。
MTの場合にはエンジンの駆動力を車輪に伝えるために「クラッチ」と呼ばれる機構を使っています。
このクラッチは大雑把に言うと二枚の鉄板で、ペダルを使って離したりくっつけたりすることができます。
クラッチがくっついているときは車輪に動力が伝わり、離れているとき(クラッチを切っているとき)は伝わらないという仕組みです。
そのため、たとえアクセルペダルが戻らなくなったとしても、クラッチを切ってしまえばブレーキを使って減速することができます。
詳しくはわかりませんが、クラッチを切り忘れたとしてもクラッチは滑ることができるため、ブレーキを踏みさえすれば減速するのではないかと思います。
ATにもいろいろな種類があるのですが、一部スポーツカーなどを除いた車ではトルクコンバーター(トルコン)という仕組みを使ってエンジンと車輪をつないでいます。
トルコンは2つのお椀型のパーツでできていて、中にローターとステーターというパーツと液体が入っています。
ここで重要なのは「液体が入っている」という部分で、エンジンからの動力はこの液体を通して伝達されるということです。
つまり、クラッチと違って何もしなくても空転することができるのです。
そのため、エンジンによって発生する動力を、トルコンを介して車輪に送る力より、ブレーキによる制動力の方が勝っていれば、トルコンが空転して車両は減速するはずなのです。
これが「アクセルが戻らなくなった」ことが「事故を防げなかったことに対する言い訳にならない」と主張する理由です。
ATにしろMTにしろ、エンジンのパワーよりブレーキの方が圧倒的に強いはずです。
高速で走る車が止まれないのはブレーキの性能の限界ではなくタイヤの性能の限界であることの方がはるかに多いです。
特に高パワー車でもない今回の事故を起こした車種で、恐らくトルコンATであることを加味すると、運転者のペダルの踏み間違いだったのではないのかと疑ってしまいます。
特に高齢ドライバーで踏み間違いが発生しやすいことは明らかなので踏み間違えにくいデザインをすればいいのです。
もしくはよりよい解決策として、高齢ドライバーに積極的に運転支援機能のある車を買ってもらえるような制度を作ればいいのです。
今回のような事故は特に、被害者はもちろんですが、加害者にとっても大きなダメージとなっているはずです。わざとやっているのではないのですから。
「高齢になって運転しているのが悪い」「免許を返納させろ」という声もあるかと思いますが、やはり車というものは便利ですし私もいざ高齢になったときに免許を返納できるかと言われたらYesと答えられる自信はありません。
葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。
確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田のレポートがあった記憶があるが、ああいうものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。
この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売だから阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的に阿漕なものだ。
簡単に死んで簡単に野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。
増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。
親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれや世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法(散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。
もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間が結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。
検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼やコミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。
身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。
業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者が私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣いが商売なのだろう。
親ふたりの葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。
どちらの葬式も業者の葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホではてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメールや電話をしても、なんていうかしんどい。確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。
TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族がいたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。
親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCDは家族でドライブに行くときにはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCDを葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。
この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシックの室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエルの合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。
これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットやTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。
あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式をオールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。
会議名をちゃんと書けば良いと思うんだけど、やっぱりコミュニティが狭いから大変なんだろうな。
"ソフトウェア工学"は "工学"って名前に入ってるし、工学のフリをしているけど、成り立ちは社会学に近い。
その上で、議論しているので厳密な話なんて出来るはずもなく...
とりあえず適当に学問の特徴的な所を述べておく。社会学だなぁと思っていただければ。
他にもいろいろあるけど、長くなるのでいったんこれで留めとく。
昔のプロセス管理(図と人の管理)時代からの習慣として、再現性が無くても真実っぽい考察のある知見ならOKってのがある。
プロセス管理は方法論が社会学由来なので、ソフトウェア工学ではベースになっている。
プロセスを完全に再現なんて、どうやってもやりようがないのだから。
これは実践的ソフトウェア工学なんて名前を付けても変わってない。
汎用的な提案をして、評価対象だけに特殊化したりしても問題ない。
評価のための実装ですと書いていた場合、評価対象毎にチューニングしてても良いのだ。
コンピュータを使う研究者なのであって、プログラミングが出来る必要がない。
学問自体には、現代的なプログラムを書く/ソフトウェア開発をするモチベーションが無い。
某エントリのようなソフトウェア関連の研究してるのに oo が使えないなんて...ってはなしになる。
システマティックレビューやサーベイは検証ではなく現状追認にしかならない。検証しようがないのだから。
理工学の延長線上として見るからダメなのであって、社会学としてみれば問題はない。
実際とかけ離れてて、役に立たちにくいのは社会学だからでいい。
もし本気で言ってるのなら、品質なんて担保できるわけがないのだ。
あのドキュメント群が、どのようにしてこの世に産まれ出たのか、顧客(エンドユーザーではない)も開発チームも知っているはずだ。
決して詳細設計ではなく、「プログラミングを一切知らないエンドユーザーが見て解る」機能について説明しただけのドキュメントなのだ。
そして更に、上っ面の機能ではなく内部仕様までこと細かく記述した「詳細設計書は作成しない」ことになったのだ。
それを顧客⇔開発チーム双方合意したうえで書かれたモノである。
すなわち今あるドキュメントは、たとえば「○○画面には△△が入力でき、決定ボタンでホストシステムに登録されます。」ということが書かれているだけで、決して「入力された△△を5byteと3byteと8byteの位置で分割し、□□と連結したものを送信用XMLのほにゃららタグにセットしてからホストに送信する。」といったことは書かれていないのだ。
なぜなら、システマティックな知識を持たないエンドユーザーが読んでもわからないからだ。
エンドユーザーは、仕組みはどうあれ、思った通りに入力したデータがホストシステムに登録できることだけを望んでいるのだ。
ところが、だ。
なぜか今は、その上っ面の機能だけが書かれたドキュメントだけに基づいてシステム要件が検討されていると言うのだ。
無理に決まっている。
上っ面の機能ですら必ずしもすべて書いてあるわけではないのだ。
誰がどう見ても数字しか入力しない入力欄には、誤って英字や全角文字を入れてしまうことが無いようチェックしたりしているのだが、「そんなの当たり前でしょ?」的なレベルのことは省略されていることも多々ある。
そしてその「それは書かなくて良いんじゃん?」には明確な基準は無く、レビュアーの感覚、さじ加減次第で省略されるのだ。
経緯は絶対に知っているはずだ。
絶対ということは絶対にない!と言うのなら、ドキュメント作成時から上流工程に携わっている人間でも知らない可能性が無いこともないのだろう。
だが、本気で「知らない」と言うのであれば、恐らくその人間はポンコツの極みである。
そのような経緯があるにも関わらず、今になって「ドキュメントに書かれていないこと」を見つけると、「ドキュメント不備だ」「きちんと書かれていないから正しい要件調整ができないじゃあないか」「不具合なのだからすぐ直せ」だとか……もうね、アホかと、バカかと。
期限と費用を重視して、詳細設計書を省略したんじゃねえのかよ?
であれば、追加開発時に改めて現状把握のためにソースコードの解析を伴う調査が必要になるに決まってるじゃねえかよ。
でもその工数を開発チームに与えることはしない。
未定義部分は末端の担当者に「ユーザーに質問してみて」と、体の良い形で実のところ調整作業自体を丸投げする。
遅れや障害でも発生しようものなら「なぜだ?!」の追及の手は緩めず「対策を考えろ」とか、根本原因の大部分を上流が占めていることを認めようとは決してしない。
それで「このプロジェクトはウォーターフォールだから」とか、どの口?
もうね、アホかと、バカかと。
こんにちは。しめさば(@nukaduke_saba)と申します。
この記事読んで「いいね!」と思ってくださったらTwitterで私のことをフォローしていただけるとうれしいです。
Twitter内で『しめさば112回医師国試』と検索するとスムーズです。
それかid: @nukaduke_saba を打ちこむと出てきます。
Word 18枚分の長い記事なのでブックマークして頂いて読みたいとこだけちょこちょこ読んでいただいてもけっこうです。
はてなユーザーの方がいらっしゃいましたらはてなブックマークの方で登録していただけると嬉しいです。
私のTwitterの固定ツイートをしばらくこれにしておくので、ブックマークしなくても私のTwitterをフォローしてくださればすべて解決します。
しめさば112回医師国試(@nukaduke_saba) です。
表題の通り先日、第112回医師国家試験を受けてきたので以下の内容について書いていきます。
・第112回医師国家試験総評
・勉強会のススメ
・勉強法Tips
長いので内容をざっくりまとめるとこんな感じになります
・Dr.孝志郎は今年も神だった
・medu4『あたらしい公衆衛生』も神
・QBは一周目問題だけ解こう!
記事の信頼性を担保するために書きますが、自己採点(みんコレ)の結果はパンリン86% 必修94%でした。
目標である上位10%内に入る、には届かなさそうですがそこそこ上位の方だと自負しております。
再試常連の部活の先輩に「国試ってどう勉強すればいいんですか!」って聞くよりかはこの記事読んだ方が参考になるかと思います。
あとTwitterの国試界隈で自分の点数をつぶやくと点数マウント警察がシュバってくるので注意しましょう。
「いまはまだ勉強なんてやってらんねーよ!部活だ部活!」という方もブックマークをしていただいて、
一年後くらいにでも読み返していただければと思います。
また、適当に読み飛ばして興味あるところだけ読んでいただいても結構です。
下級生へのおすすめは『勉強スケジュール』と『勉強法Tips』です。
もちろん一字も読まずにブラウザアプリごとタスクキルしてもらってもいいんですけど、その場合もTwitterだけはフォローしてもらえるとうれしいです。
『@nukaduke_saba』です。
それではやっていきましょう。
まずは112回の国試について受験生の目線から総括してみたいと思います。
ガチなのが読みたかったらmedu4が公開しているガチの総評も合わせて読むといいです。(https://medu4.com/general/112)
今年の国試は『いい点数を取るだけなら簡単な試験』だったと思います。
解きながら思わず「なるほど!」とうなってしまうような問題も見受けられたのですが、
それらの背景がよくわかってなくても「なんとなく」で解けてしまうような出題の仕方や選択肢の並べ方をされていたと思います。
今年から形式がガラッと変わったので厚労省の忖度でしょうか。
実際に私も消去法やなんとなく選んだ解答が正答であることが多かったです。
2/13時点での『みんコレ』の下位10%ボーダーが73.3%と非常に高めなのは一般・臨床合算になったからだけではなく
前述の傾向が影響しているものと考えられます。
(これから下がってくるんですかね。もう4000人くらい登録してるんで固まってきたかなって思うんですけど)
問題の難易度を模試と比較すると個人的には冬メックと同じくらいでした。
テコ4よりは難しいですがテコ3よりは簡単でした。
これ結構気になる人多いと思うので参考までに。
厄介なのは、点数が取りやすい=合格しやすい という等式が成り立たないことです。
なぜなら一般・臨床問題の合格基準は相対評価により厚労省が勝手に決めるからです。
試験が簡単だろうが難しかろうが落ちる人数はだいたい同じ、ということですね。
もちろん必修(こちらは80%以上の得点が合格要件、すなわち絶対評価)が易化したのは
個々人の合格・不合格の観点から言えば非常にありがたいです
が、必修で落ちる人が少ないとその分、一般・臨床のボーダーが高くなる(不合格者の人数調整のため)と言われています。
『良い・悪い』や『簡単・難しい』という視点からは語れないことがお分かりいただけると思います。
あと輸液の問題とかオペ室でのお約束的なのとかいろいろ多くて新傾向でした。
輸液はたぶん来年以降の予備校各社が教えてくれるようになるでしょうし
外科領域の問題に関してはポリクリですべて学ぼうとすると
変なローカルルール学んじゃったりしてまあ微妙かなって感じなので
そこも予備校頼りでいい気がします。
だって剃毛とか病院によっては普通にするし、未だに手洗いでブラシ使ってる先生とか普通にいるでしょ?
予備校各社について上から目線でいろいろ言う前に、まずは医師国試予備校界隈のテクニカル・タームについて整理しておきます。
5年生くらいから取り始める臓器別の講座。MECでは『MEC臓器別講座』、TECOMでは『SELECT』、medu4では『あたらしい~』シリーズがそれに該当する。
6年生の秋くらいから配信を開始する演習用(+予想問題)の講座。MECでは『サマライズ』、TECOMでは『TARGET』、medu4では『テストゼミ』が該当。
直前も直前である2月に入ってから開講される。今年のトピックやこれまでの傾向を踏まえて予想問題を中心に構成されている。
MECは『ラストメッセージ』、TECOMは『ラストV』、medu 4は予想ではなく既出事項中心にまとめた『国試究極MAP』(1月配信)
国試で一番出題されるのがこの公衆衛生。暗記事項が多く苦手とする人も多い。6年生秋くらいから配信が始まる。講師が臓器別とはちがうことが多いので別の枠組みで説明。
講座や講師の特性をあらかじめ理解しておくと教材選びがぐっと捗ります。
無駄な講座を取らなくなるとお金も浮きますし、何より時間を無駄にせずに済みます。
国試の勉強量というのは膨大ですので、時間が非常に重要なリソースとなります。
学習効果の低い講座をガマンして40コマ見る、みたいなのはもったいないので避けたいところです。
それではやっていきます。
講師:三苫先生、井出先生(模試おじさん) 他
三苫先生が担当する臓器別講座。書きなぐりノートが廃止になってよかったですね。
臓器別講座についてはどこもそんなに変わらないので書くことないです。
三苫先生が担当する演習講座。
SHIKETAIは問題を臓器別ではなくジャンルごとにわけて解説していくというなかなか面白いスタイル。
臨床問題の解説が非常にレベルが高く、長文問題から読み取れる病態をまさに「クリアカット」に整理。
個人的に今年度におけるTECOMのハイライト。この講座を受けてから臨床問題の学習効果が凄く高まりました。
ただ網羅性には欠けるのでTARGETやサマライズとの併用が望ましいです。
TARGETは問題演習を中心にもう一度、全科目(除:公衆衛生)の総復習を行います。
三苫先生がよく言う「まだら痴呆」を防ぐための講座。
80回台(30年前!)の問題も普通に掲載されておりちょっとアレな感じも否めないですが、
解いてみると意外と良問があり驚きます。
ただ、時代に合わせて選択肢の改訂を行うくらいの気遣いは見せてほしかったですね。
『当時は正解だったが現在では行われていない』みたいな解説はさすがにちょっと。
ただ良質な講座・教材であることに変わりはなくテキストを合計3周くらいはしました。
予想にはあまり比重がおかれてないので、ターゲットをとるにしてもサマライズ(後述)の内容は学ばなくきゃいけない気がします。
三苫先生の予想が聞きたくば、『SELECT 111』という回数別の解説講座を取るのが吉か?
数コマで切ってmedu4に移行しました。
指導者の立場からすると暗記事項が多い公衆衛生の講義をするのは非常に難しいと思うのですが、
まあなんというかよくなかったです。
すいませんすぐ切ったので内容あんまり覚えてないです。
ただ、テコムの公衆衛生を真面目に取り組んだ人と話してると「なんか覚えるポイントずれてるなー」と思うことが多々あったので
(もちろん講座によって教える内容は微妙に違うのでしょうが)。
みんなこの講座を見たあとにQB公衆衛生をやっていました。
後述のmedu4『あたらしい公衆衛生』ではQBの併用がいらないので、金銭的な面からも公衆衛生に関してはmedu4推しです。
国試前日の12時から5時間くらいかけて配信される講座。
問題は掲載されておらず講師が予想事項をひたすら読み上げる。
受験生の試験前日の既にパンクしそうな脳内に5時間かけて『新しい・細かい知識』パルスをかけるわけです。
おまけに三苫先生は一切出てこない。日程設定といい講義内容といい正気の沙汰とは思えない。
Aブロックの最初の2問でリピドーシスが的中しましたが、
「リピドーシス出るかもよ!」くらいのノリで10秒くらい話しただけの内容を『大当たり!』と称して来年以降の宣伝に使うとしたら
ちょっとどうなんって感じです。
テコ1からテコ4の全4回。テコ1は受けてなくテコ2は記憶がなくテコ3はむずくテコ4は過去問ゲーだった。
模試を受けた人が視聴できる解説講座は模試おじさんこと井出先生が担当。
非常にクセが強い講師で
セリフにコンテンツ力が内包されていると感じた私は勉強会やTwitterで流行らせようとしたがまったく流行らず。
肝心の講義内容については基礎事項が中心なので「そもそもこの病気よくわからん!」って時におすすめ。
逆に選択肢吟味や細かい所見については話してくれないので
「そんな簡単なことはわかってるからその奥が詳しく聞きたいんだ!!」みたいな状況に陥るが「おわ」で先に進まれてしまう。
頭出しは出来るが倍速視聴が出来ないので時間の無駄感が強く、私のような模試おじさんのコアなファン以外には積極的にはおすすめできないかもです。
講師:Dr.孝志郎、Dr.渡 他
MECの臓器別はDr.渡が担当。
Dr.孝志郎に合いたくば5年の間は我慢するしかないです。
テキストに書き込む形式である、という点がTECOMとの違いでしたがTECOMも同様の形式になったため、
現時点でこれといって大きな差異はないです。
サンプルなどをみて合うと思ったほうを取りましょう。
あるいは後述するmedu4の「あたらしい~」シリーズを取ろう。
毎年秋冬にかけて全国を行脚しM6 JDを両腕に抱き寄せ写真を撮ることが趣味の偉大なる預言者、圧倒的カリスマのDr.孝志郎が
ここで満を持して登場。
前期がTECOMでもmedu4でも後期は断然こっち。
もしTARGET間違って取っちゃっててお金がなかったら、勉強会メンバーにサマライザーをなんとしても組み込もう。
111回に引き続き今回の112回でもランブル鞭毛虫をはじめとしてホームランを連発しました。
私はSELECT買った時点でTARGETも取るプランにしてしまってたので、サマライザーを勉強会に召喚。
要点だけ教えてもらいました。
当時の私は予想問題などはっきりいって眉唾で
「トリッキーな予想で印象を強くしているだけで、実際そんなに当たらないのでは?出ても一問くらいでしょ!」
と愚かにも思ってましたが、本番でブロックを解き進めるにつれて自らの過ちに気づく運びとなりました。
とにかくDr.孝志郎の予想は不自然なくらい当たるので最後は彼に頼るべし。
見てないのでわからないです。
ただし、取った人の話を聞く限り(n=5くらい)ではそこそこよかったようで。
「TECOMと両方取ったけどTECOMよりいいよ!」の声もありました(n=2)。「そうなんだ。medu4の方がよかったよ」と言っておきました。
Dr.孝志郎が担当。
国試本番4日前くらいに配信。
必修問題を中心としたDr.孝志郎の予想問題が80問ほど並ぶ。
TECOMの『ラストV』と違ってこちらは視聴後、1~2周くらいは復習する時間がある親切設計。
今年はPrada-Williなどが的中。経口セフェムを背景とする出題も見事的中。
春メク、夏メク、冬メクの全三回。
春メクは時期的に受ける必要なし。夏メクは記憶になし。
冬メクは過去問類題&サマライズの内容がずらりと並ぶのでMEC勢とTECOM勢で点数が結構変わったりもします。
推しの予想問題(今年はCBD。出ませんでしたが)を夏メク一般問題 → 冬メク臨床問題 の流れで出してくれる上に
きちんと解説講座で取り上げるあたりは一貫性を感じて好印象。
講師はDr.渡。小児科のみ違う人(失念)が担当。
Dr.渡の講義は初めて受けたのですがすっきりまとまっていて板書も綺麗でとても良かったです。
YouTubeで配信してるので速度もいろんな感じに変えられるしタブレットとの親和性が良いので良いです。
頭出しできないのだけがちょっと不便。
特に夏メック解説講座の『神経根の損傷と対応するリハビリ器具』と『Compromised Hostの肺炎の鑑別』がとてもわかりやすかったです。
もちろん模試の内容は毎年違いますが『かゆいところに手が届く』『わかりやすい板書』の講義は来年も期待できることでしょう。
国試前日と1日目終了後に送られてくるメール。
50個くらいの出題ポイントが簡潔に説明されているのですが、
その他もちょいちょい出たりしてました。
Dr.孝志郎はサマライズ、必修予想講座、ラストメッセージ、直前予想メールと彼の担当するほぼすべての講座で予想を的中させてくるので
これらは全部受講し、神あるいは未来人のお告げだと思ってしっかり勉強しておきましょう。
講師:穂澄先生 他
穂澄先生が担当。
実際に講座は取っておらず、人のテキストをチラ見したくらいなんですけど良いと思います。
medu4は『新世代型』の医療教育を提供すると銘打っているだけあって、講義の内容はさることながら学習・復習効率を非常に重視しています。
『印刷して手書き』or『PDFのままタブレット勉』を選べるテキスト、重要事項はみんな大好き赤シート勉が出来る仕様、
講座に出てくる問題をランダムで解きなおすことができる『過去問DB セット演習機能』・・・・・・
あげればキリがないですが、穂澄先生のわかりやすさに定評のあるまとめ方にこれらの特徴が組み合わさって、まさに鬼に金棒。
講座とってないくせにべた褒めするのも信用ゼロであれなんですけど
数年後にはmedu4がTECOMを食ってもおかしくはない、くらいの勢いとポテンシャルは秘めています。
Twitter上ではリアル比率(しめさば大学調べ)に比べてmedu4比率が高かった気がします。
ついでに言っておくとTwitterの人たちは模試で上位の人が多かったです。
講師 穂澄先生
テストゼミ①~③からなる。③が予想問題編。
これも取ってないのだが、過去問DBのフォーラムにあがっているテストゼミ関連の質問をみて勝手に内容を類推する限りでは
なかなか面白そうな講座であった。時間があったら買ったのだが直前期にやることが多すぎたためあえなく断念。
受講を検討している人はYouTubeにあがってるサンプル動画を見るといいだろう。
講師 穂澄先生
前述したとおりTECOMの公衆衛生から私が乗り換えたのがmedu4のこの講座である。
公衆衛生という科目はとにかく数値が多く煩雑な暗記事項が多く
大切な場所とどうでもいい場所の判断がつきづらくかといって出題数Topであるため捨てるわけにもいかず
とんでもなく迷惑なやつ、なのだが、この講座を取って全12コマを2週間くらいで見終えて、
あとは毎日1チャプター 20~30分くらいで復習すれば自分の勉強会の誰よりも公衆衛生が得意になれる。
私はなれた。
穂澄先生の講座を受けたのはMEC時代のCBT講座以来なのだが、
『国試において大切な部分とそうでない部分の明確な線引き』『学習しやすいまとめ方』というのが彼の持ち味である。
実はこれは公衆衛生の講座において最も求められる講師特性であるため、medu4の公衆衛生講座というのはまさに穂澄先生の真骨頂である。
知識ゼロの自分がみるみるうちに公衆衛生が得意になっていくのは本当に気持ちがよく楽しかったので、
講師 穂澄先生
どんな講座かはYouTubeで公開されているサンプル動画を見るのが早い。
1科目につき一枚のでっかい紙(A3くらい?)にぶわーっと書いてくらしい。
基礎事項に不安がある人、まだら痴呆が怖くて網羅的にやりたい人におすすめなのだが、
配信が遅くスケジュールを上手く立てられないのが難点であるとの声もある。
私自身は取ってないのでよくわからない。
講師:清澤先生、盛永先生
友達と話していて『メディックメディア』という単語を出すと「なにそれ?」といわれることが往々にしてあるのには結構驚いた。
メディックメディアとは『病気がみえる』『イヤーノート』『クエスチョンバンク(QB)』などを刊行している会社である。
予備校とは少し毛色が違うのだがいろんな教材について書きたいので同様にやっていきます。
臓器別のQB。メジャー科目、小児産婦、マイナーがある。(公衆衛生と必修はVol.6、Vol.7として秋以降に発売)
これは私の国試勉強初期~中期における『最大のミス』を踏まえたアドバイスなのだが
というのを肝に銘じていただきたい。
私はすべての問題を律儀に解き、キャパの少ない脳みそメモリに無駄な知識を詰め込み、周回スピードも遅くなり、ひとえに苦難でした。
国家試験における過去問の重要度は直近になればなるほど高くなります。
しかしそれは比例的に高くなるのではないです。ここが私の勘違いでした。
国試というのは想像以上に出題内容が過去数年の傾向に左右されるため、
過去問は直近になればなるほど『指数関数的に』重要度が高くなっていきます。
すなわち同等に細かい事項でも昨年出題されたものと20年前に出題された事項では重要度が雲泥の差なのであり、
昔に問われて今は問われてない知識は本当にやるだけ無駄なので覚える時間とメモリの無駄です。
QBは疾患知識の網羅性を重視するという方針のため、
どうしても古い知識を取り入れた古い問題も掲載せざるを得なくなります。
ただ我々受験生は必要な知識(それだけでも膨大だ)をスマートに学んでいかなければいけません。
80回台、70回台の問題に用はないのです。
その前にまずはここ10年で問われている事項を抑えておく必要があります。
そのための一周目問題です。
必要な知識だけを得る & 周回スピードをあげるためにもQBは一周目問題だけ解きましょう。
公衆衛生のクエバン。Vol.1~5に遅れて秋口に発売。
新ガイドラインにのっとった30問ほどの予想問題つき。
TECOMあるいはMECの映像講座を見た後にこっちを周回するのが私の周りでの王道パターン。
しかし、この記事を読んでくれてるみなさんにはそんなコスパの悪いことはしないでいただきたいです。
medu4の公衆衛生(学習効果の高い良問を400問掲載)をやっていれば買う必要なし。
心配な人は新ガイドラインの予想問題だけ図書館で解くか友達に頼んで見せてもらいましょう。
こちらは必修のクエバン。秋に発売。
三冊あり全部で1300ページくらい。
こちらもはっきり言ってコスパは悪いのですが必修は心配なのでやるしかなかったです。
一周して△・×問題だけもう一回直前に解きました。
主要症候のところはしっかり勉強するとまだら痴呆を防げる上、鑑別疾患を挙げる際に症候からスムーズに考えることができるので
しかしこれをやったからと言って必修の得点が上がるかといわれたら
別にそんなことはないし、1300ページするのは疲れるし、なんだかなーといった感じです。
レビューブック必修で身体診察や手技、検体の扱いなどを適宜確認して
あとは模試や過去5年分の必修をしっかりやるほうがいい気がします。
それでも必修落ち怖いからやっちゃうんですけど。
講師:清澤先生、盛永先生
QB OnlineのシリアルコードをVol.1~Vol.5まで入力すると見れるようになります。
2020年までは無料配信らしい。
ところどころ抜けている講座もあるが全体的にわかりやすくまとまっていて良かったです。
メインにするにはまだ流石に勇気がいりますが、
苦手な疾患をさくっと15分くらいで勉強したいときには非常に頼りになります。
なお直前講座で盛永先生がなんか的中させたらしいです。
見たはずなのにわからない。
以上、予備校各社の評価でした。教材選びの際に参考にしてください。
次、勉強会についてやっていきます。
映像講義の発達により、一昔前よりは勉強会の重要性は薄れてきています。
しかし、友達に教えてもらった知識、みんなで議論して正解を導き出した知識というのは忘れにくいもの。
また勉強会は重要な情報交換の場でもあります。週1くらいのペースで行えるといいでしょう。
メンバー編成に際して、仲の良い悪いなどなど人間関係が絡んでくるので難しいかもしれませんが
できるだけ色んな人をいれるといいでしょう。
具体的には『MEC勢とTECOM勢を両方いれる』『成績が良い人と悪い人の両方をいれる』といった感じです。
前者についてはサマライズの項で説明したとおり。
後者については『教える人』『教えられる人』の構図がはっきりしてた方が場や議論の向かう方向が明確になり
脱線しにくいように感じました。
みんな同じくらいの知識レベルだと細かい知識合戦による張り合いが始まりがちでちょっとアレな時もありました。
『成績良い人』があんまメリット感じないかもなのでそこはラーメン奢るなり飲み奢るなりで買収しましょう。
ラーニング・ピラミッドを持ち出して、「教えることはすごく学習効果があるんだよ!」と説得するのもありです。
それと、男女混合のほうが緊張感?みたいなのが生まれていいと思います。
同性だけってなんかだらけません?「ちょっと男子ー。ちゃんと掃除しなよー」みたいなノリが必要です。
面倒なことになるのでラブは生まれないようにしましょう。
ちなみに私の勉強会ではこんなことをしました。
です。公衆衛生は日本史とか世界史みたいなものなのでクイズ大会との相性◎です。おすすめ。
過去問3年分も対策しました。
『みんなが一周は解いた後』かつ『予備校各社の解説講座視聴済み』だと議論に深みがでるのでとても学習効率が高かったです。
全員が去年の国試をまだ解いてない状態で『みんなで一問目から順番にやっていこう!』みたいなのはやめたほうがいいです。
以上、勉強会のススメでした。
上から目線で長々と書き連ねてきたことをまとめた私なりの理想の勉強スケジュールを書きます。
ちなみに私はこの通りにはぜんぜん出来ませんでした。
QB Vol.1~5の項で書いたように『一周目問題以外の問題』も律儀に解いてたからです。
臓器別一周が終わったのが6年夏くらいなのでこの理想スケジュールに乗れたのは10月くらいからです。
そのころからここに書いてあることを意識しながら勉強したら成績が飛躍的に伸びた(偏差値10くらい)のでそのへんは信用してください。
国試を受け終わった今、思うのは、『国試はとにかくやることが膨大!』ということ。
やり切れずに悔しい思いをした講座や教材もいくつかあります。
この記事を読んでくださってるみなさんにお願いしたいのは『学習効率を常に意識すること』です。
一番最後にも書きますが、『忘却曲線』や『ラーニングピラミッド』など有名な勉強法を取り入れながら
常に軌道修正を試みてやっていってほしいです。
CBTを適度にがんばる。
4年からポリクリが始まる場合はそれに合わせて映像講座なども見始めよう。
MECかTECOMかmedu4の選択は本記事などを参考にして前期講座を選ぼう。
MEC勢以外は間違っても後期講座まで一括のプランを取らないこと。
6年生になって、そのときの時流に合わせて決める必要がある。
MEC勢はサマライズまで一括でとっていいよ。
ちなみに私がもう一回、国試を受けるなら前期講座はmedu4の『あたらしい』シリーズを取ります。
ポリクリをしながら、前期講座とQBをベースに臓器別の知識(いわゆる『縦割り』)の勉強を進めていきましょう。
おすすめしたいのはポリクリで実習が始まる前にその科の映像講義とQB一周目問題は終わらせておくこと。
「実習しながら映像もみてQBも解いて超学ぶぜ☆」みたいなことをやってる人がよくいますが、
先にベースとなる知識を叩き込んでから実習した方がいいに決まってます。
ベースがある上でわからないこと・忘れてしまったことを先生に聞いたり適宜復習するのが賢いやり方。
どうしても覚えられ
まず発達障害者と一括りにするのは不適切です。人によってはむしろ言語外情報のやりとりも要求される通常のコミュニケーションよりも、言語に集中できる文章読解の方がやりやすいというケースもあります。結局のところ得意不得意は個人的なもので、大学も欲しい学生を採る権利があるはずですから、そこまでの配慮は不可能でしょう。
また、小説の心情読解の問題にもある程度システマティックな解法は存在しますから、感性的なものに頼らずともある程度対策可能です。
そもそも感情というものは、感覚とは異なり、文化的な要素が強いものです。顕著な例として、「恥」と言う感情が挙げられます。日本人とその他の文化の人々の間で、恥という概念は共有されますが、どういう場面でどういうことが起こった時に恥という感情が生じるかは、文化によって異なります。つまり、恥という感情には、後天的に身に付けなければならない、文化の中で定義されるある種の知識・技能の側面もあるということです。
この事の裏を返せば、国語の試験で問われる心情問題というものを、文章として描かれている登場人物の置かれた状況に対し、上述のような定義に基づいて感情を当てはめることができるかを問う、一種の語彙問題と捉えることもできるということです。例えば、主人公と敵対関係にあった人物が、悲惨な状況に陥った主人公に対して一瞬敵意を収め、微かに気遣いを見せた場面があり、そこでその人物の心情を問われたとすると、解答の最大の焦点となるのは「同情」「憐れみ」と言った語彙が出せるかどうか、ということなります。その際基本となるのは、それらの感情表現の辞書的な定義を理解・運用できるかという理知的な言語能力であるはずで、それを要求・評価するのは国語の試験として至極正当であると言えるでしょう。
もちろん普遍的に通用する系統だった解法が存在するわけではありませんし、非論理的な設問も存在しますが、小説の問題と言えど考え方は全くのブラックボックスではないことを理解して、どの科目の試験にも相性のような要素はあることも踏まえれば、多少の向き不向きがあるとしても適切な指導次第で対策可能であると考えます。
余談ですが、昨今入試問題に対する意見を多く見かけます。これを機に、そもそも試験というのは出題者から一方的に与えられるものではなく、受験者やその指導者それぞれが関わって成り立たせてゆくものだということに立ち戻って、出題する側もそれを解く側も、より良い問題を作り、より良い考え方で解く、という意識が共有されるようになることを期待しています。
リバタリアニズムが自由最高ヒャッハーみたいな種類の思想だというのは、左翼や右翼やちょっと聞きかじった程度の半端な理解の人間による印象操作なんだよ。
ちゃんと調べて、まともな学者の書いた本を読めば、究極に理性的な思想だということがわかってくるはず。
北斗の拳みたいな世紀末状態がリバタリアニズムの終着、みたいな認識が2ちゃんやらの日本のネット上では書かれている事がよくあるけども、とんだ見当違いだよ。
じゃあどっちかというとアナーキズムか、というとそれも違う。アナーキズムだって、反支配ではあるが無秩序を望む思想じゃないし、むしろ調和をめざす非暴力の思想だ。
一部のアナーキストが、支配から脱するための暴力革命やテロリズムを認めているにすぎない。
話を戻して、リバタリアニズムは自由放任と表現されるけど、それがややこしくしている。その単語が表すイメージとは次元が違う。
きちっとした法治を是とするのは当然として、その場その場の属人的な裁量ではなく洗練された最小限のルールで世の中を究極にシステマティックかつシンプルにしようという考え方。
そうして、自由放任にしても大丈夫、人がどう動こうと失敗しようと必ず救いがあるし報いがある、だから寛容になれる、そういう環境をつくる、という意味での自由放任だ。
そのための最適なルールを、常識に囚われず考え続けることに余念のない人たちがリバタリアン。
もともとはリベラルと呼ばれた考え方だけあって、個人、人権を尊重しようとする考えはしっかり根底にある。
だから他人の自由を侵害することにも特に敏感で、それこそが右翼や左翼との違いでもある。
リバタリアニズム的な思考に基づく発言とか政策を切り取ってみると、傲慢や強欲を感じられる事もあるかもしれない。
でもそれは、国家よりもまず個人の幸福を尊重するからであることがほとんどだ。
長期的視野や全体的視野に立ってみると、国家に従属して集団の幸福を実現するより、技術的進歩に従って個人レベルの連携でもうまく機能する社会システムにシフトしていったほうが健全だし盤石だし平和的だろうという考えがあるから。
そういう感じで、一見突飛な意見も、より良い未来を導くビジョンに繋がっている。
そうではない、「怠惰な弱者は自己責任だから救済する必要がない」だとか「再配分は自発的な寄付、トリクルダウンで現状でも賄える」みたいな事を言う人は、
確かに昔のリバタリアンと呼ばれた人にはそういう人も多かったようだけれども(今でもいないとは言わないが)、もはや現代のリバタリアンはそんな強者の論理を振りかざす人たちとは違ってきていて、より柔軟で現実的になっている。
でもネットでリバタリアニズムを調べて出て来るのは、そういう古臭く悪印象な強者の論理ばかりなので、ほとんどの人がそこで学習が止まっている。
リバタリアンとされたミルトン・フリードマンだって、まじめに再配分を考えていて、負の所得税のような今で言うベーシックインカムに繋がる政策を考案したその人であるし。
彼のマネタリズムのようなリバタリアン的政策は、あの時代では失敗したけれども、現代そして未来のあらゆるものがデータとして数値・属性で可視化されるようになった世界では、
金融政策ではないにしろさまざまな分野でリバタリアン的な「裁量よりルール」が有効に働くようになってくるだろう。
リバタリアンと分類されて馬鹿にされる人たちの多くは、一般の人の想像が及ばないくらいの精細な未来の人類のビジョンを持っているように感じられる。
その人の専門分野、技術的知識によってその推測は本人的には裏打ちされているんだけど、他人からみると理解されない。
「いま」を生きる大衆目線で見ると愚か者の暴論にしか見えず、袋叩きにあうしかないんだけども。それでリバタリアニズム自体もなめられている。
はあちゅうさんが、岸勇希氏から「電通」でセクハラやパワハラを受けた
この件が話題になるにつれ、はあちゅうさんが過去にTweetした
「童貞いじりの件」(彼女Twitterでの言葉を採用し、この言葉を使うが、わざわざ逆撫でする言い方をしなくても良いのにとは思う)
これはどうなっているんだ、これもセクハラではないのか、と批難の声があがっている。
感情に流されない識者は、岸勇希氏からのセクハラやパワハラと、「童貞いじりの件」は別箇に議論されるべきであって、
今回の彼女の告発は、相対化されるものではないとコメントしている。
まったくその通りだと思う。
はあちゅうさんが、「私は電通の考え方に染まったのから『童貞いじりの件』をTwitterに書いた」といえば味方できるのに、というのも、この二つの件を混同している典型に思える。
一番問題なのは、「理想の被害者ではないと声をあげてはならない」と、被害を被っている側、被害者の相談を受ける人が内面化することだろう。
しかし、この二つのことを一緒くたにしてブーメランだとか、語る資格はないと語る人がいる。なぜか。
「童貞いじりの件」という言葉は、女性から男性へのセクハラ、同じセクハラという言葉の定義に抱括されてしまうからだ。
Wikipediaのセクシャルハラスメントのページ(いろいろ見て回ったがWikipediaがわかりやすかった)を参照する。
セクハラは、対価型セクハラと環境型セクハラに分類できるそうだ。
今回のはあちゅうさんが「#metoo」のハッシュタグで告白したものは、対価型セクハラに分類される。
一方、はあちゅうさんの「童貞いじりの件」は、分類するならば、環境型セクハラに分類されるっぽい。
(あくまで私の私見である。きっとこのように綺麗に分類できるものではないし、セクハラにあたるのかもわからない。私は専門家ではないので、専門家に詳しい解説を願いたい)
どうも、この対価型セクハラと環境型セクハラをセクハラという大きな言葉で括っていることが
要はセクハラと言ってもいろいろなモノがあり、そのひとつひとつの拾い上げて検証する必要があるのではないだろうか。
対価型セクハラと環境型セクハラという分類も、大雑把な分類だがこの性質はまったく違う。さらにその中でも発信される場所などに対しての考慮も必要だろう。
対価型セクハラは、権力を持つものが、セクハラもしくはパワハラをその権力を笠に行うので、セクハラ・パワハラ被害を訴えにくい。
対価型セクハラは、声をあげ辛く、議論の俎上にも載せにくい。なぜなら声を上げるだけで不利益を被る蓋然性が高く。匿名で訴えたとしても、信憑性にかけると判断される可能性もある。
一方の環境型セクハラも職場や学校など限定された環境であれば、声をあげるのは難しい。
しかし「童貞いじりの件」は、インターネット上の発信であり、批判の声を発信者に届け、議論の俎上に載せることは容易である。
そもそもはあちゅうさんが、童貞に対して(語りかたが不愉快だから)何も語る資格を持たないというのも、冷静に考えれば妙な話であり、
さらに言えば、はあちゅうさんの今回批難されているTwitterの「童貞いじりの件」は、概念としての童貞を語っており、誰か個人を晒し上げているわけでもない。
そもそもセクハラなのか、これは環境型セクハラに分類しちゃって良いのだろうか(専門家の意見求む)。どうもビミョー臭い。
本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。
と、いうはぁちゅうさんのコメントは、童貞をタブー視することこそが問題なんじゃね?と彼女なりの考えがあっての発言にも思える。
彼女の言い回しに対して違和感がないわけではないが、言わんとすることはわかる。
すべての、セクハラという言葉で定義できるものをシステマティックに片付ける社会は嫌だけど、許せないことはある。これは矛盾しない。
私はセクハラやパラハラの専門家ではないので、発言を控えるべきだとも思った。
しかし、かつて酷いパワーハラスメントにあい「言ったとて、どうにもならない」と言い出せず、悔しくて、惨めな思いを味わったこともあり、
今回の#metooの動きで声にならなかった言葉が可視化されて、今後「私だけじゃない、これは怒っていい奴だ」と声をあげやすくなるのは、
とても素晴らしいことだと感じ、考えを述べた。