はてなキーワード: サイドキックとは
HIITのエビデンスはググれ。
設定はタバタの4分。
プッシュアップを省いてとにかく素早く動くと息が切れて良い。
ジャンプをスクワット体勢に置き換えるバーピー。上のバーピーより回数を稼げる。
アニマルフロー(なんか流行のトレーニング法)で一番HIITに向いてる種目。
反復横跳びに片手を地面に付ける動作を加えたやつ。
スケーターランジ
手を抜かずに手と腰の動きを意識するとかなりきつい。
ランジはジャンプを加えるだけ一気にHIIT向きになる。慣れてきたら脚を空中で2回入れ替えてみよう。死ねる。
空中で脚を入れ替えるやつじゃなくて素早い足踏みのほうがおすすめ。集中力が切れるHIITの締めに一番いい種目と思う。
いろいろ書いてきましたが、一番おすすめはケガの心配がないペダリングのマシンです。
エアロマシンでもいいですが、手が動くエアーバイク(アサルトバイク)を買いましょう。
あと、筋トレと兼用したい人はケトルベル、ダンベル、メディシンボール、プライオボックスなど器具を加えたサーキットトレーニング種目が何千種類とあるので調べてみましょう。
いきなりおぞましい話をさせてもらうと、今の四十代前半は20年前手書きで書類仕事をしていました。
高学歴じゃない奴がノートパソコンを所有しただけで「ケータイ(今で言うスマホ)で事足りるでしょ」と嫌味を言われる時代があったのです。
今の時代は「ネット環境があるからついでにサブスク」と好きな時だけ月500円課金したり課金を止めたりが簡単ですが、昔は有料放送なんて月2000円以上(現在において2000円を超えるサブスクなんて余程ニッチなサブスク)に付け加え、何万円もの工事費用が必要だったのです。
「そんな大金を使って有料放送を観るのは優粋な教養番組を見るインテリかそういうインテリ親にただ乗りするキモオタだけ」という時代だったのです。
んで、今の40歳から55歳がここまでオタクを憎むのはそういう老害のサイドキックをやっていたという事実からの逃避。
口先で「IT教育の遅れ」と言いながら実際はやれ「中年(今では高齢者)への配慮が足りない」だの「ネトウヨガー」だの地上波利権のサイドキックをやってきた様な卑怯者がオタクを憎むのです。
昨日メチャ伸びてた天才の人の記事、素直にすげえと思う一方えもいわれぬ不快感があった
まず「しょうもない」って言っときながら明らかに権威ある肩書きだったりデータをバンバン出してくる、自虐風自慢っぽいところが鼻についたのは間違いない
まあでも21歳ならそういう照れ隠しはしたくなるし、俺だって多分するだろうからそれは別にいいんだ
MENSAとかIQの話に関しては、セルフブランディングというか「格」を印象付けることでヘンな難癖を防ぐ目的もありそうな感じがした あれで明らかに頭いいってことを示すデータがなかったらもっと攻撃的に噛み付いていく人は沢山いるだろうしな
でも、自虐風自慢であること以上に嫌だったのが、すげー几帳面に奇行の写真や動画を撮っていること、そしてそれをまとめて記事にしちゃっていること
俺の中で天才は無自覚かつストイックであって欲しいというか、「異常行動だと自覚した上で異常行動をし、それを記録してネットにアップする」って行為はダサく見える
作品とか行動自体は分かりやすいし面白いのに、それを自分でまとめて「見て!面白いでしょ!ヘンでしょ!」ってやっちゃうと途端に冷める
そういう感じなんですよね
いやまあこれ嫉妬なんだろうなあ いや嫉妬か?凄いと思ってるのは事実だしうまいこといって欲しいとも思ってるから嫉妬じゃないかもしれん
あの感じで行くなら本当に自分は正常だと思ってるか、ただ怒りのままに異常行動をとるだけで自己演出のことは一切考えないでいてほしかった
すげえ勝手な話だなコレ
でも本心なんだよな! せっかくいい感じに天才っぽいんだから俗っぽさ・ダサさを出さないでほしい、あの記事を出すのはその才能に惚れ込んだサイドキック的な存在の人であって欲しかった、と言う気持ちがある
ジャンルへの言及の王様 「ありがちな異世界転生」と作中人物が発言することで導入のシークエンスを飛ばす荒業が多用される魔境
不条理系のギャグ漫画だと結構な確率で「ギャグ漫画なんだから」的発言が出る メタ発言そのものがめちゃくちゃ多いこともあってあまり目立たない
ヴィランやサイドキックの概念、スーツを着る理由などを「既存のヒーローものへの憧れ」でごまかすことが多い印象 マーベルユニバースのアイアンマンの扱いなんかはメタっぽいのにメタじゃなくてすごい
これは密室殺人だ!(盛り上がり)みたいな反応をやる以上登場人物がある程度ミステリに詳しいのは確か あの辺はなんなら内輪ノリみたいなのがあってよくわからない
最近のは世界観が繋がってるっぽいのでよく分からないが、少なくともクウガとかアギトなんかで「これ仮面ライダーじゃん」「変身って仮面ライダーっぽくね」という趣旨の発言を作中人物が全くしないのはちょっと不自然
仮面ライダー世界には「仮面ライダー」という作品がないという皮肉が生まれている
シンゴジラ見てて思ったんだけどあの世界には怪獣映画の概念がないっぽい?公式呼称が「巨大不明生物」になるのはグッド設定だと思うけど、現実の日本人ならかなり初期の段階で「怪獣」の単語を出すと思う
デスゲームもの、さすがに若者なら誰でも一つぐらいは読んだことある状況になってる気がする
なのに「なんだこれは!」「ここはどこ?!」とか言ってみんな騒いでるのはヘン げっデスゲームやんけ!みたいなリアクションは意図的に省かれているっぽい(まあ俺も自分で書くなら省くと思う)
声優というキャラクターのファンのためのメッセージだよ。こじらせた野生の一般独身男のためのメッセージではない。
ガチファンがキレたり泣いたりするのは仕方ないと思うが、誰のファンでもないやつがギャーギャー言うのはほとんど被害妄想。
そもそも、りっかさまとるるきゃんは夫のプロ野球選手サイド(スポーツ紙)からの報告だし、
れいちゃまファンにとってヤクルトファンと結婚したというのはとても重大な報告だし、
のじょさんファンとってゴリラサイドキックと結婚したというのも極めて興味深い報告だ。
一部のニュースのブコメにもうんざりしてたんだが、「シンデレラガールズ」などという括りでしか語れないド素人が、小難しい抽象論振り回してイキリ散らす話題じゃない。
未婚イジりが下品だという点には唯一賛同するが、最後の一文で明坂さんの芸風を悪く言うんじゃない。声優のアイドル売りやめろって喧しいやつが多いが、食っていくための手段なんだぞ。人の仕事を悪く言うな。
そして、時に人は音楽というものに何を求めるか、それは何かであるかということで苦心する。
弟の友人であるミミセンは、そのあだ名の通り耳栓を愛用している。
大きい音や、雑音などが苦手だからだという。
その一環で、彼は家でもヘッドフォンをつけて音楽を聴くことも多かった。
それ自体は弟たちにとって慣れたものであったが、最近そこから漏れてくる謎の曲に不思議と引き付けられた。
「ミミセン、最近はその曲をよく聴いているよね」
「ああ、掃除をしていたら、物置にCDがあってさ。一昔前の曲だと思うんだけど、聴いてみたら中々いい感じの曲なんだ」
気になった弟たちは、その音楽をスピーカーから聞かせてもらう。
ミミセンの言うとおり、その曲はとてもキャッチーで、歌は思わず口ずさみたくなる小気味良さがあった。
「ユールネバー! ゲットイット! アウト、ヨア、ヘッド!」
シロクロが曲にノりながら、分かるような分からないようなことを言う。
恐らくだが、曲を褒めているのだろう。
「うん……いい音楽だね」
「クセになりそうだ」
だが弟たちには、一つの疑問が浮かんでいた。
「私もいい音楽だと思うけど、これ何て歌ってるの? どこの国の歌?」
その歌は弟たちの意味の分かる言語ではなく、少なくとも自分たちの国のものではなかった。
「それが分からないんだ。この音楽の入っているCDにも、ケースにも、タイトルや歌手すら書いてなくて」
最初はそれほど気にしていなかったが、ここまで謎が謎を呼ぶと逆にどんどん気になってくる。
「賛成。歌詞の意味が分かったほうが、よりこの曲が好きになれるだろうしね」
こうして弟たちは調査を始めるが、成果は芳しくなかった。
道行く人の答えは共通していた。
意外にも音楽自体は聴いたことがあるという人がほとんどだったが、その他のことは誰も分からないのである。
そこそこ期待していた魔法少女すら、答えは同じであった。
「なんで分からないんだよ」
「魔法少女でしょ」
「……」
魔法少女の肩に乗っている動物は、いつもならせわしなく動くのだが、今日は完全な置物のようだった。
どうやらペットを遠隔操作していた人が、席を外していたようだ。
「……本当、掘り下げれば掘り下げるほど夢も希望もない存在になっていくよね、この魔法少女」
学校では、さまざまな教科が教えられる。しかし実際に社会で営まれるような協力作業を実践するカリキュラムは、実はあんまりない。
あんまりないが、ない訳ではない。そしてその教科で活躍するものは、スターとなる。その希少な教科が、体育の団体戦である。だから運動能力に秀でたものは自動的に、学校社会の上位へ繰り上がる。いわゆるジョックスである。こどもたちは、体育の団体戦の時間に社会というものを知る。
一方、運動能力の劣る人種はカーストの下位へ追いやられて劣等感を覚える。さらに体育の授業において足を引っ張ったことは「協調性がない」というレッテルに変換され、それが貼られる。かれらは劣等感によってすでにナイーブになっているため、やがて自身でも「協調性がない」という評価を受け入れ自覚するに至る。(つまりその自覚は錯覚であることも多々あるが、ともあれ)こうしてナードに、ナードの自我が芽生える。そしていずれ理想郷をファンタジーに見出して、オタクとなる。
冒頭に書いたとおり社会…特に会社という組織は協力作業の塊である。それも上述の、学生時代に相克した元ジョックスと元ナードの協力作業である。
元ジョックスやサイドキックは、学生時代に自分の居場所を維持するために秩序を重んじていた経験から会社においても、協調性を最重要視する。一方で元ナードは協調性がないと自覚しているし理想をファンタジーに見出しているので、秩序とか協調性とかは、技術や知識を用いて破壊してしまうべきだと考えている。
ここまで書いてきた元ジョックスのコンサバティズムや元ナードのラジカリズムが、うまく噛み合い作動している組織もあるがそれは極めて稀なケースであって、これをお手本として追体験しようという試みは、おおよそ失敗に終わる。なぜなら、おのおののおのおのに対する偏見は学生時代に刷り込まれていて、それを大人になってから覆させることは極めて困難だからだ。たとえば昔アメリカという国では偏見に基づく秩序を覆そうとした結果、国土を南北に二分する戦争に発展した。
ともかくかようにしてスクールカースト間の相克は大人社会へも継承され、いつまでもジョックスはナードが協調性のない世間知らずとレッテルを貼って会社から追い出そうとするし、ナードはジョックスに理想郷の話をしたがる。結果、ナードは転職を繰り返す。オチのない悲劇である。
フェミニストによる弱者男性批判を見ていて思ったのは、明らかに弱者男性に当てはまらないような批判を混同しているということだ。
フェミニストは、弱者男性は強者男性に加担することによって利益を得ていると、批判しているわけである。弱者男性は強者男性の共犯者であるというのである。
しかし、このスクールカーストの序列を表した図を見て欲しい。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF)弱者男性にとっての弱者男性とは、一般的にLoserのことを意味しているわけである。しかし、フェミニストの弱者男性に対する批判には、本来ならワナビーやサイドキックスに対して行われるべき批判が含まれているのである。これでは弱者男性からの反発があって当然だろう。
論争に収集がつかないのは、弱者男性という雑な主語を使った結果として、冤罪が生まれているからである。それでも弱者男性はやっていないのである。批判の前にはしっかり頭の中でベン図を描いて欲しい。
ガンダムVSシリーズで二落ちしたとき、MOBAでfeedしたとき、ふと体育の授業でサッカーや野球をした記憶が蘇る。
運動が苦手だからスポーツが嫌いなのか、スポーツが嫌いだから運動が苦手なのかは分からないが、
とにかくスポーツが苦手で運動が嫌いな子供、いうなれば天性のインドア気質。今でもそれは変わらない。
当然そんな自分が体育の授業を好きなわけがなく、中でも集団競技は大嫌いだった。
サッカー、野球、バスケ、ドッジボール、得意なスポーツは1つもなく、いつだってチームの足を引っ張り続ける。
そんな時間が自分はたまらなく嫌いで、かといって自分を鍛えようという気にはなれないでいた。
それは面倒くさかったのもあるし、鍛えてる姿を人に見られたくなかったのもあるし、
体育の授業の中で一番嫌いだった競技はサッカーで間違いない。
サッカー部にいじめっ子気質の人間が大勢いたのも嫌だったし、変にルールが複雑なのも勘弁し欲しかった。
オフサイドの条件なんてサッカー部ぐらいしかしらないから、それこそ奴らの言ったもんがちにしか見えなかった。
授業開始前のチーム分けで、多くの生徒は上手いプレイヤーと組みたがっていたが自分は全くの逆。
下手なプレイヤーと組んで「みんなして下手だから勝てなくて当然」という空気の中でダラダラ時間の経過を待つ事を理想とした。
味方が本当に強いメンバーの集まりだとしてもそれは実はそんなに悪くはない、
例えば味方の戦力の合計を1000とした時に自分が1になるのならば、誤差が碌な結果を出さなくても大抵は気にされないからだ。
一番悪いのは一人そこそこ強い奴がいて、残りがそれなりの場合だ。
自分は誤差になりきれず、試合は勝つか負けるか分からない微妙なバランスで終始進む。
その状況で負けるとどうしても「アイツのせいで負けた」と言われることになる。
自分だってやる気がないなりにやる気を出していても、「もっと出来るだろ」と平気で叫ぶバカが出てくる。
やめてくれ、俺は誰とも競り合わなくいい状況でボールを拾ってインサイドキックのヘロヘロパスを出すのが精一杯だ。
そう思いながら罵声を授業中浴び続ける。本当に、本当に嫌な思い出だ。サッカーが好きな奴なんてみんな死ねばいい。
そういった罵声の中でのチームプレイはサッカーが一番印象に残っているが、
もちろん他のあらゆる集団戦スポーツでソレがあった事を記憶している。セパタクローのような体育でやらない競技は別だが。
そういった目にあうのは高校を卒業した時に最後にすることが出来た。
大学では筋トレだの座学だのでチマチマと体育の単位を取る事が出来たおかげである。
そうしてもう遊びで味方の足を引っ張っては怒鳴られる事とは一生おさらばだと思っていた。
だが、それは自分たちインドアの格好の遊び場であるゲームの中にも存在した。
多人数プレイゲーム、多人数VS多人数のプレイヤー同士の試合の中でそれは起きていた。
味方プレイヤーが弱い事を絶対に許せないプレイヤーが一定数そこにはいる。
味方のせいで負けるのは確かに気分が悪い。裏切られたような気分になる。
だが、自分が常に完璧なプレイを出来ていると思い込んでいないのでなければ、それは口にだすべきじゃない。
○○「□□テメーのせいで負けてんだよ」→□□さんが退室しました→○○「はっ、味方減ったせいで負けてんだけど」
ネットゲームを遊べば100試合に一度はこういった光景を見ることが出来る。
ただそういった罵倒を言いたくなる気持ちが分かることはある。
こっちが3で向こうが1だから力を合わせれば絶対勝てる、
そう思って進んでいったら味方は二人とも後ろのほうで引きこもっていて自分だけが死んだ。
「信じた俺が馬鹿なのか」、そんなフレーズが浮かぶようなシチュエーションが定期的に訪れる。
そんな時そっとリスポーンを待ちながら「お前ら馬鹿じゃねーの?」と言いたくなる自分を抑えるのはほんの少しだが苦労する。
そして、自分が誰かに「お前わざと足引っ張ってんの?」と言われてしまいそうなほどコテンパンに負ける日もある。
0キル7デスのような数字を見ると自分でも何が起きてるのかと困惑してしまう。
正直文句を言われても仕方がないと思いながら、チャット欄が無言なのを見て「良い奴だな」と感じたり、
チャット欄に飛び交う罵声や試合後に来るファンメール(罵倒メールの隠語)を見ながらそっとミュートボタンに手を伸ばす。
そんな時にふと体育の授業であった嫌な記憶を思い起こし、実に、嫌な気持ちになる。
コンピューターは人間の遊び相手としてまだまだ二流なのだから仕方ない。
エイムやコンボはやたらと完璧なくせに試合運びの事は全然考えていなかったり、
まともに思考を競い合ったら勝てないからか資源や視界でイカサマしてきたりする相手との遊びはやはり今ひとつだ。