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2022-03-29

anond:20220329122655

コリン・ウィルソンの5%のモデル説明すると

テクノロジー進歩させるのは5%の知的エリートであって

残り95%の人間は、思考が硬直・単純化する自動ロボットみたいな連中なのよね(ひどい言い方だけど)

2021-09-03

anond:20210826162126

しか人間の大多数(コリン・ウィルソンによれば95%)は、その時々で思いついた尤もらしく聞こえる言説を適当に垂れ流しているだけではあるが

IDが表示されるソーシャルな場で発言する時は、主張が一貫するように心掛けるのは信用を失わないための行動でしょう

その整合性を保つと、幸せになれるのか?

整合性を保たないと、論敵によって信用を毀損され不幸になるおそれがあります


・もちろん一見矛盾のように見えて実は一貫している場合もあるので、その時はちゃん説明すればよい

Q:一般人は太っていると評価が下がるのに相撲取りは太っているほど評価が上がるというのはダブスタでは?

A:一般的現代人は努力して痩せるが、相撲取り努力してちゃんこをたくさん食べて太る。より努力したほうが評価が高くなる点で一貫している


・それはそれとして

「ある記事ブコメではAの意見が人気だったのに、別の記事ではAとは矛盾する内容のBが人気だった。

ゆえにブクマカ一貫性がない」みたいな増田がたまにいるが

これは意味のない指摘だ

AとB両方に星をつけたID抽出(Googleスプレッドシートですぐできる)して、「これらのID一貫性がないのでは」と言うなら意味はあるが

2021-06-22

anond:20210622150852

小説描写は正確なイメージ情報が読者に伝わるためにされなければならない、なんて俺は学校で習った覚えはないが。

吉田健一コリン・ウィルソン視覚イメージ移転にこだわってみっちり描写する作家を「小説ってそういうもんじゃねえだろ笑」と批判してたなあ。

手元にある純文学小説開いてみ。登場人物の外見的イメージを伝える情報ビックリするほど少ないと思うから

それでも上手い作家ならそうと気づかせず、読者の頭の中に各々勝手登場人物像をイメージさせることが出来る。

2020-09-04

anond:20200904075613

それが正しいと考える人々は、単純な感情で動いている暴徒とは限らない。

なるほど。

ただ、後方から理論方面支援する人はそうだろうけど

前線活動してる人はそこまで俯瞰的自分の行動を見ていないケースも多かろう

人間は時に興奮・熱狂支配され、または何らかの理由で冷静さを欠くという事に、もう少し注目してほしい

暴れている真っ最中フーリガンは、フーリガン行為をやるとサッカー名誉に傷がつくのではないか、とはおそらく考えていない

ジダンも、疲れきってヘトヘトになってなかったら、姉を侮辱されても頭突きはしなかったろう(※ヘトヘトだから頭突きをして良いと言っている訳ではない)

黒人差別に抗議するデモ暴徒化すると、黒人経営する店までもが略奪のターゲットになる

コリン・ウィルソンはこれを火山噴火のようなものであって、一定量マグマを噴出するまで終わらない、と評した(※何故黒人の店までターゲットになるのかを例えで説明しているだけであり肯定・推奨しているわけではない)

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901102804

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223最初トラバ先)

http://anond.hatelabo.jp/20130831142238自分の記事)

元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。

(実は若くなかったら申し訳ない)

念のために書いておくけれど、僕は最近ラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。

実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)

教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格人達で、しかも扱う分野が本来主観的ものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。

それに、最近ラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。

そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。

(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベ流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)

から専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コスト賢明な判断だと言える。

しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない

特に3番目の問題、

でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?

もっと柔らかくて、鵺のように捉えどころがない。そんなものを『教える』ことなんてできるんですか?



は、創作を志す人間が当然抱いて然るべき疑問だ。

元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校体験入学ときで解決してしまった気分になっていることだ。

僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。

そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。

これから、僕の認識できた範囲での参考資料を挙げようと思う。

おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人から客観的添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。

また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジオックスフォードもあるかもしれない。

そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。

「文章作法」について



文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。

下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。

日本語の作文技術
理科系の作文技術


「文章作法」について、上記以外



さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?

それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。

からといって、先人がそれを教育世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。

どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。

「文章作法学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。

読みやすものから順に挙げる。

文章表現400字からのレッスン
新作文宣言


「作文」の価値を捉え直した、文章表現入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのもの価値を再発見している。

文章表現法講義


大学講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。

だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。

レトリック感覚
レトリック認識
レトリックの記号論


前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。

レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論記号論観点から再評価した名著。

なぜ直喩隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。

新しい文学のために


大江健三郎による文学論。そもそも小説文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。

それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。

文章読本


文章読本は色々あるが、その中でももっと実践的と言われる丸谷才一の本だ。

歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。

しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)

小説の諸相


E.M.フォースターによる文学理論Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店1000円で入手できた。

ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。

ナボコフの文学講義 上
ナボコフの文学講義 下


最近文庫本で読んだ。

小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。

ロリータ」を読む視点が変わる。

まだ見ぬ書き手へ


新装版が出るんだ……。

芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイック小説を書き続けている作家文学指南書。

テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。

アウトサイダー(上)
アウトサイダー(下)


ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソン大英博物館一気呵成に書き上げた文芸評論書。

アウトサイダー」というキーワードのもと、文学美術舞踏哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。

本気で読むと人生が狂う。

日本文学史序説〈上〉
日本文学史序説〈下〉


先の記事で書いた。全日本人が読むべき。

なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している

偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。

しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性結構あるつもりだ。

教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。

オリンピック選手だってコーチはいるのだ。

失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。

そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOSエディタコンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。

 
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