はてなキーワード: ゲイパレードとは
「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」がNHKでドラマ化したら「腐女子、うっかりゲイに告る」になった件。
タイトルの理解は正しくなくて、「僕」から見たら主人公は「ホモ」だけど、「腐女子」から見たら「ゲイ」だということで、なんの齟齬もない。
むしろ原題をそのまま使うのは難しいことから、彼女目線のタイトルに変えることで作者の意思をうまく尊重したのだという考え方すらできる。
それでも、という話。
この作品の主人公はどこまでも「ホモ」で、「ゲイ」じゃない(肯定的な意味でも否定的な意味でも)。
何の違いか、というのを端的に言うと、ゲイとしてゲイコミュニティに何の違和感もなく馴染めるゲイとそうじゃないホモということで、
(原作者はBLで目覚めて後からゲイパレードを始めとするゲイ文化を知り、愕然としたというバックグラウンドがあるらしい。
BLの対象となる「ホモ」と現実に存在する「ゲイ」という対比、ニュアンスもある、はず)
ヘテロにとっちゃどうでもいいことだろうと思うが、いわゆる「新宿二丁目」なゲイ像を男性同性愛者の全体が受け入れているということではない。
むしろ、ああいう雰囲気を移されないようあえて遠ざけているという人間さえいる。
作者のこだわりというが、自分もとても共感していた部分だったのでドラマの原題が最終的に「ゲイ」になったのが残念でしかたない。
もちろん、ホモなんて言葉を入れるわけにいかないことはわかっているけども。
「ただの同族嫌悪と何が違うんだ」「選民思想に溺れているんじゃないか」と謗られても説得力のある反論は思いつかない。
「そんなつもりじゃない」ぐらいしか言えない。
実際、自己肯定なのか自家中毒なのかわからない執着を抱えながら「ホモ」で居続けることが素晴らしいことだなんて思わない。
それでも、「ああ、一括りなんだな」という残念さが消えない。
女を「ババア」と呼んで勝手に親近感を持ったり、オネエ言葉を使ったりすることはアイデンティティとして受け入れられないんだよ。
一緒にされたくない、というのが偽らざる本音だ。
先日刺された最有力候補ボルソナロ氏、日本ではどんなお方かほとんど知られていないようなので、発言で打線組んでみた。強力すぎるの打順は順不同。
1番ファースト「警察の取調べにおける拷問の復活は歓迎する。」
2番センター(黒人女性から、あなたの息子が黒人女性を愛してしまったらどうするかと質問されて)「私は誰とも混交について議論する気はない。私の息子たちは、とてもよい教育を受けているし、あなたのような残念な環境の中で生きてはいない」
3番DH(ゲイパレードに招待されたらどうしますか?という質問に)「行かない。悪習を後押しすることになるから。」
4番レフト(3000人を虐殺し、数十万人を亡命に追いやったピノチェト政権について)「もっとたくさん殺すべきだったね」
5番ライト「あなたは醜い。レイプするほどの価値もない女だ」(議会で軍政時代の人権侵害調査を讃える演説をした女性議員に対して)
6番サード(集会でその場にいた子どもを捕まえて)「銃の撃ち方知ってる?」
7番ショート(もしあなたがゲイの息子を持っていたら? という質問に)「考えたこともない。私の息子たちはよい教育を受け、きちんとした父親を持っているからね。」
8番キャッチャー「アフリカ系の子どもは一番軽い若者でも7アローバ(約80㎏)はある。彼らは種馬にもならないね」
天寿をまっとうされなかったようで・・・
death6coin 死んでなくね?容態が急変したのかな?それにしても酷い発言だなぁ・・・
「○ねばいいのに」はいちおう避けようかと。
anond:20180819023849みたいないつもの「みんなに気に入られるタイプのゲイ」が出てきたので
みんなに気に入られないタイプのゲイの俺も一言言っておきたい。
※ そういや日本はゲイにとって住みやすいみたいなことを言ってる人がいたな。それはあなたがまわりの人に恵まれてるんだよ。心底うらやましいよ。
「日本は住みやすいし俺の周りはいい理解者ばかりだし人生幸せ」って言って叩かれたゲイが居るけど、俺は彼が何でああいうこと(一部では叩かれるであろうこと)を言ったか痛いほどわかる。
叩いてるやつらは「無神経なんだ」とか「思慮が足りないんだ」とかいう認識で彼のことを叩いてただろ。
つまり「このゲイは叩いてる俺たちより馬鹿でゲイについて考えが足りないんだ」っていう前提でさ。
んなわけあるかよ、思い上がるのもいい加減にしろいっつもいっつも。
グジグジしないでオープンにして仕事も交友も頑張って同じようなタフな結婚相手も見つけて
派手な結婚式開いて自分の友達を大勢招待してみんなに祝ってもらえる、
(同性婚を前面に出してマスコミやお前らみたいなよいこぶりたいやつらに祝ってもらうんじゃなく)
そういう人生を歩んでるわけ。
自分の頑張ってきた人生に自信を持ってるから「日本は住みやすいよ」「頑張ったらちゃんとこんな人生送れてる」って言ったの。
仕事の話でもそうだけど
日本なんて当人が努力とコミュニケーションの両輪おろそかにしなければなんでも出来るじゃん。
日本で人生詰んでるのなんて努力かコミュニケーションのどっちかを相当おろそかにしたケースでしょ。
だからおろそかにせず生きてきた人は「日本はいい国だよ」って言うけど
そうでない人は文句ばっかり言って「日本は最低!」「ジャアアアアップ!」っていう弱者の振る舞いをする。
イケゲイの彼を叩いてたやつらが彼を指して「モデルマイノリティ!」とか言ってるのが噴飯したんだけど。
彼はお前らマジョリティ(ノンケだけどおろそかに生きてしょぼくれた弱者の人生を選択したやつら)にとって都合がいいか?w
都合悪いだろ。ゲイの癖に強者の論理で来るからむかついて叩いちゃっただけだろーが。
現代の「モデルマイノリティ」ってのは元増田みたいなやつのことだよ。
ゲイで、
人生つらそうで、
これこそがお前らにとっては最高に都合がいいんだよなw
お前らだよ。しょぼくれた人生歩んでて仕事も友達もパッとしてないノンケのみなさん。
父親や母親になれる可能性持ってる人はエライ!とか持ち上げてくれて
暗い顔をしてくれて抽象的な助けを求めてくれる。
仕事も交友もパッとしないノンケのみなさんがノンケであるだけで肯定されて優越感持たされて頼られて人の役にたってる気までしてくる(でも何も持ち出さなくていい)。
わかった。心に留めておく。
きっっっっも!
パッとしないではてなでグジグジやってるようなやつらが世間様に対して優位に立てるのってサベツの話とかそんなんばっかだもんな。
「雑な生き方で仕事も交友もパッとしないけど差別については一般人よりも知識があり意識が高い自分」ていうお前らにとって
「心に留めておく。」「忘れないよ」なんて言うだけで善人ぶれてさあ。別にそのあと何するわけでもないのにw
これが「休日つぶしてゲイパレードに参加してください」「活動費1万円を毎月寄付してください」だとちょっと困るよなあw
元増田ちゃんの何の負担も求めず哀れっぽくノンケ様に優越感と善人自認だけをあげる誘い方完璧だわw
こういう卑屈な振る舞いが身についたゲイだけにはなりたくないものよ。
俺は元増田と叩かれたゲイの中間ぐらい(親も周囲もゲイと知ってるしはてなの暗いやつらの大半よりは収入も友人も多い)だけど
ゲイが強者として振舞って社会を肯定しただけでああいう叩かれ方するのって
「ゲイのくせに」じゃないならなんだっつーの?
差別される側があまりにも弱かった時代のモデルマイノリティは「社会で成功した移民」だった。
マジョリティはみんな自分の人生に自信持ってたから、マジョリティはみんな「この社会はいい社会」って言いたがった。
けど現代日本のモデルマイノリティは「社会に馴染めない暗い顔のゲイ」なんだよ。
マジョリティでも自分の人生に自信持てない負け組が増えたから、マジョリティでありながら「この社会は駄目!」って言いたがってる。
負け犬マジョリティはちゃんと生きて人生や社会を肯定するゲイが邪魔で邪魔で
「ゲイの癖に強者人生を生きやがって!」っていう嫉妬を持つんだけど
それを「モデルマイノリティ!」「意識が低い!」って言い方に変えて因縁つけるわけ。
はーやだやだ。
以上、
元増田みたいな「気に入られるタイプのゲイ」が作る予定調和だけだとバランスが崩れるので
「気に入られないタイプのゲイ」である俺からマジレスしてみましたー。
ゲイはお前らしょぼいやつらの精神的オナホじゃないでちゅよ~。あばばばば~。
お前らの「心に留めておく。」がより良い社会の到来にどう貢献してるんだ笑わせんなw
ほんとに社会を良くしたいんならネットで善人ごっことリンチに使う時間でもっと生産的なことに打ち込んでるはずじゃねーか?
ブコメしてる人が強者だとは限らないのでは。性的マジョリティではあっても、貧困だったり病気だったり障害あったりして異なるフェーズで弱者であり、同じ弱者への共感がある。私は少なくともいつもそうだよ
「お前らはマジョリティであるにも関わらず弱者なので上から目線で同調しつつ善人ごっこまでできる娯楽ツールとしての弱者マイノリティ(元増田みたくウジウジした腰の低いゲイとか)を求めてるんだよね」
って話をしてるのに
「ブコメしてる人が強者とは限らないのでは。」ってどういう国語力だこの知的弱者が。
ゲイだというだけでお前らみたいな劣等に同調されたり見下されたりしなきゃならんってどんな罰ゲームよ。知能に差がありすぎるのに。
https://anond.hatelabo.jp/20171029184154
なぜ醜いものや生理的に受け付けないものを「素敵」「綺麗」と誉めそやすことを周囲が強制されなければいけないのだろう。
今までの一般的な常識から逸脱する行為(この場合は男性のワンピース着用)を着用者が意識的に選択しているのだから
「気色悪い」「近寄りたくない」というリアクションが出てくるのは至極当然だと思うんだよな。
そういったリアクションを受けたくないのなら旧態依然とした常識的な服装をするか、
限られた空間、例えば新宿二丁目とかゲイパレードでのみそういう恰好をするべきなんだよ。
例えばkissや聖飢魔Ⅱだったり、マッドマックスや北斗の拳の敵みたいな恰好をして
普通に市街地を闊歩したり電車に乗れば、ほぼ間違いなく周囲からは避けられるし職質もされるだろう。
これは差別じゃないだろ?そいつの恰好が奇抜過ぎて「やばい奴なんじゃないか」と思われてるだけ。
「避けられた上に職質もされた!差別だ!」って周囲にキレるのはお門違いも甚だしいって話。
http://life.letibee.com/hatten_sentou_01/
https://rocketnews24.com/2016/11/01/820443/
https://anond.hatelabo.jp/20180122125425
「だから」差別してよいという話でも、「でも」差別はしてはならない、という話でもない
いずれの問題もマイノリティがマイノリティであることを利用、悪用して無責任な言動に出ている一端だろう
ノンケのアンモラル(インモラル)な行動を引き合いにだしてうやむやに出来る手合いではない
これは差別されるされないに関わらず、マイノリティがマイノリティであることによって
冒頭の記事では「公共の場でのモラルについていもう一度向き合ってみる時期が来たのではないでしょうか。」なんて〆で終わっているけれど、
ゲイパレードだかなんだかでパンイチになる暇と資金があるのなら、
ゲイの出会い系アプリに「公衆ハッテンはやめましょう」「ホテルを汚したら弁償しましょう」とでも広告を打ったらどうなのか
上記のような例が増えていけば、世論の潮流次第であっさり「同性愛者お断り」の店が増えるだろう
実害が出ているのだから、世間さえ許せば制限を加えない理由がない
いざ自分の身に降りかかった時にはどうしようもなくなっている
そんな私はずっと「男が好きだ」という事実を隠して生きてきた。
2018年に入り、LGBTが注目視されることが多くなってきた。
各地では、様々なゲイパレードを取り上げるニュースや、LGBTの認知拡大など多くのことに取り組んできた。
だが、私はそんなことを望んではいないのだ。
別に日本中に、世界中に「LGBTを認めろ」なんて微塵も思ってないのだ。
既に多くの人が今回の様々な活動により、LGBTについて知ることが出来ただろう。
それで充分だ。少なくとも私にとっては、これ以上は求めていないのだ。
何故LGBTの人々は、「法整備しろ」「差別を止めろ」などというのか、まったくもっておこがましいとは思わないのか。
今までそうやって糾弾された世界で、生きてきたのではないのか。その中で、個々の輝きを発揮してきたのではないのか。
なんJ民発、「#ネトウヨ春のBAN祭り」が始まって2週間余。
桜井誠の日本第一党チャンネルやヘイトエンペラー竹田様のような大物も含めてだ。
なんでリベラルの皆様にはこれができなかったの?
なんでリベラルの皆様はこれをやらなかったの?
日頃、「ヘイトを見過ごすこともヘイトに加担することだ」とか言ってるのに。
共産党とか30万人も党員いるんでしょ。組織力抜群なんでしょ。
志位さんとかが音頭を取って通報祭りやればすぐにレイシストどもをBANできたのに。
ああ、共産党は老友会だから難しいかもしれないね。じゃあ立憲民主支持者とかは何してたの?
去年の選挙じゃTwitterとかネットの活用がうまくて自民党のフォロワー数を軽々超えたとか自画自賛してたじゃん。
団結する機会はいくらでもあったでしょ。
「日本の労組がメーデーで第一に語ることは、賃金でも休暇でもなく憲法9条」とか揶揄られてんだから、
あるいはゲイパレードでレインボーフラッグ振ってる人に通報をお願いするとか、
シールズ、フェミニスト団体、安保、共謀罪反対団体、リベラル系弁護士、人権意識高い人たちが結束すれば、
日本のYouTubeからヘイト垂れ流し状態を改善できたのに。
グーグルなんて多様性の尊重を常々訴える企業なんだからリベラル諸氏の味方じゃん。
なんで味方に申し立てすることすらしてこなかったの?
「欧米のYouTubeではヘイト動画はすぐに削除される。日本は後進国だから放置。これだからジャップランドは」とか思ってたの?
欧米のYouTubeでヘイト動画がすぐに削除されるのは、リベラルな方々がすぐに通報するからだとは思わなかったの?
キミらのお相手はフェイクニュースに憎悪扇動に政権擁護にネットをフル活用しているんだよ。
公費使ってるという疑惑すらある(主にリベラル諸氏が言ってることだが)
これじゃ日本のリベラルが勝てるわけないよ。団結して戦うことすら知らないんだから。
なんJ民が「ネトウヨが右往左往するのを見て楽しもうぜ」なんて動機で初めて2週間でできることを、もう何年も放置してきたんだから。
LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」
https://withnews.jp/article/f0180406003qq000000000000000W03j10101qq000017134A
『LGBTが気持ち悪い人』の感覚―「理解」と「罪」の認識のズレ
http://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2018/04/08/130112
世間一般ではですね、一定年齢以上で子供が居ない人は半端者として扱われるのですよ。マジで二級市民扱いです。
同性愛者は子供が出来ないのが確定ですから、扱いとしては子無しの中年と同じになりますね。(バイやトランスは当てはまらない人も居ますが、この際は除外します)
同性愛者の方は若年の異性愛者と比較して差別されていると感じておられるのでしょうが、実際に比べるべきは子無しの中年です。
都市部では大分マシになりましたが、地方で30半ば過ぎて子無しって人権無いですよ。
私も里帰りする度に親戚と近所の人にパートナー諸共叩かれるので、すっかり帰らなくなりました。
ただし、その事を差別だと声高に訴える事はしません。他人がどう思うかはその人の自由ですからね。
私がそういう人と距離を置けば済む話です。
で、LGBTsの方々がポリコレ棒で誰も殴っていないというご主張を宇野ゆうかさんはされていますが、それはウソですよね。
完成された作品に、後付けで同性愛設定を入れろという主張がLGBT界隈から出ました。
世界的なファンがついた作品を特定界隈の都合で書き換えろという主張は暴力ですよね。
もちろん、一部の運動大好きな方々の暴走なのでしょうが、あの件は凄まじく印象悪かったですね。
後ね、LGBTsが気持ち悪いと言われる要因の大半は、運動大好きでゲイパレードしてTVカメラの前で同性パートナーとキスしてる方々の責任なのですわ。
男女のパートナーでもカメラの前でキスするとかやらんのに、絵面考えずにやるもんだからそりゃ酷い。
同性パートナーで例えるなら、拉致被害者のジェンキンスさんご夫妻が飛行機の搭乗口でキスしてたの見て、気分が悪くなった人多数でしょ。私の周辺でもあれは気持ち悪いと言った人ばかりでした。
キス顔が視聴に耐えるのは両方とも俳優レベルのカップルだけですわ。
でもさ、中年以降ブサイクパートナーのキス批判はポリコレ棒が飛びませんが、ゲイパレードでキスしてるのを気持ち悪いって言うとポリコレ棒が大量に飛んできますよね。
別に同性愛が気持ち悪いと言ってるわけじゃない。(私も含めた)一般人の大したツラでもないカップルがキスしてる所なんて他人に見せるもんじゃないのですよ。
この辺、運動大好きなLGBTs支援者が、意図的か無意識か知りませんが混ぜてポリコレ棒で殴ってますよね。
アメリカでは普通にやってるのでしょうが、ここは日本なのですよ。
一般人は誰も銃を持ってないし100キロ超えデブ同士が道端でキスするのが普通の国でもありません。
これが我々の文化である、主張である、全面的に認めないのなら差別であるからポリコレ棒で殴るとやったら戦争にしかならんでしょ。
重ねて言いますが、運動や主張が大好きな極一部のLGBTs及び支援者がウザくて気持ち悪いという話です。
確かに彼女は人がいいのだと思う。
https://twitter.com/81TJ/status/835743748281683969
http://jp.reuters.com/article/idJP2016110201001854
高樹沙耶の話を聴けば、その素晴らしさに目を見開いて大麻支持になるし
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/6736
LGBT活動家の話を聴けば、マイノリティの権利獲得の必要性を感じて、ゲイパレードに参加するし
http://www.afpbb.com/articles/-/3013704
三宅洋平の話を聴けば、沖縄の高江まで、反基地活動家の話を聞きに行くし
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/08280550/?all=1
右翼活動家の話を聴けば、その教育方針に感銘を受けて、名誉校長になる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.facebook.com/akieabe/posts/10153589760261779
ただそれだけのことだと思う。
「今までポリコレ棒で叩かれてたオタクがポリコレに守られてるわけねえだろ、反ポリコレになって当然だ」ってのは違うって。
「ポリコレがオタクを殴る」ってのは、ソフ倫の「近親相姦や獣姦禁止」とか、コンビニエロ漫画の「ランドセルやセーラー服は禁止」の方だよ。
駅乃みちか辺りの話は、「オタクが棒を所構わず振り回しだしたので、それで殴られるやつがいるからやめろ、と、棒を取り上げられた」って話なんだよ。
自分が持ってたはずの棒を他人に取り上げられたから、「あの棒で俺を殴る気だ!」って言ってるだけのことだ。
棒を振るなって言われたら「じゃあ、この棒はどこで振っていいのか。誰に向けてなら振っていいのか」をちゃんと突き詰めて、お互いに気持ちよく傷つけ合わずに好きな棒を振れる距離を見出さなきゃいけないのに、「その棒、こっちに当たりそうなんですけど」「じゃあ、もう棒振らない……」って逃げちゃうやつが悪い。
「そうか、この棒はお前の前髪掠ってるか。じゃあ、これくらい短めに持っておこう。代わりにあっちの空いてるスペースは、お前に当たらないから好きに振る」そういう話をちゃんとしていかなきゃいけない。
でも、「どこででも好きに棒を振り回していい」という状況に慣れきってた奴らは、それが出来ない。話し合うのがめんどくさい。というか、話し合う方法が分からない。
オタクは別に好きなように棒を振り回してない? むしろ、振り回さないように遠慮してた?
それは違うだろ。最近はちょっとマシになったけど、エロゲブーム末期の秋葉原はすごかったぞ。大通り沿いに平気でスジ晒した幼女のポスターが貼ってあった。
でも、それはそれで正しい(大通り沿いはどうかと思うけど)。秋葉原はオタクに特化した街で、そういう表現を好む人間が好んで集まる場所だから、そこではそれがメジャーなのだ。
そう、メジャー。秋葉原のノリはマイノリティのノリじゃなくてメジャーのノリ。
マイノリティがマイノリティとして、メジャーとの距離感を図る表現じゃなくて、メジャーがメジャーとして、それ以外の表現を駆逐する表現。だから、よそに持ち出した時に「お前、それはちょっと待てよ」と制止がかかる。
ゲイタウンでは、ムキムキマッチョが小さいパンツで股間をモッコリさせたセクシーポスターがいくらでも飾ってある。そういうのはゲイタウンの外では滅多に見ない(意味もなくビキニ姿な女性の広告はいっぱいあるけど)。
しかし、年に何回か、ゲイパレードではそういう人たちがみんなの前に出てくる。普段はみんなの目に触れないけれど、こう言うふうに暮らしている人がいます、という『自分の権利』を主張するために出てくる。
おネエタレントがいる。おネエと呼ばれる中には、ただのゲイもいれば口調が女っぽいだけのノンケもいるし、トランスセクシャルもいて、それが一緒くたになってる。
性転換手術済みのMtFでも、いっしょくたに「女みたいな格好したおっさん」として「きもーい」と扱われる。
「そう扱われるのは嫌じゃないですか?」というインタビューに「本当は女性タレントと同じように扱ってほしい。でも、今はまだそういう時期ではない。自分の次の世代からは変わっていくと思う」と答える。
隠れた場所で独自進化したものが外に出ていくときは、「どこまで受け入れてもらえるか」手探りで、全部を最初から受け入れてもらうのではなく、自己主張と融和を繰り返して「どこが中立か」を探っていくものだと思う。
それをせずに、いきなりどこででも秋葉原ノリで棒を振り回しだせば、「きもい!」と同じ棒で叩かれて当然だわ。
今までは意味もなくビキニ姿の女性のポスターが、街中のどこにでも貼ってあった。それは、そういう広告を出展するメジャー勢力であるおっさんが振り回してる棒で、その棒に殴られてた人が「すいません、今まで社会的立場が弱かったので黙ってましたが、もうそういうのやめてください」と言いだす。
そして、「少なくともビキニや下着姿である意味のない広告はやめよう」「そういう広告にするにしても、おっさんだけでなく様々な立ち位置の人に良い印象を与える表現にしよう」と『中立』を探っていく。
ビキニで胸の谷間を強調するポスターがどこにでも貼ってあったおっさんからすりゃ、窮屈で意味不明だろう。「女は露出して胸を寄せて男を楽しませるべきものなのに、なんで遠慮しなきゃならないんだ」って平気で言う。自分が振り回してた棒を取り上げられて、「みんなが俺の価値観を攻撃する!」と泣き喚く。
ビキニ姿の女性を、上司に無理やり酒を飲まされる若い社畜に変えても同じだよな。
ポリコレ棒はターン制ってのは正しい。棒を取り上げられたやつらは、その棒を取り戻してまた相手をボッコボコにしていく。
だから、これからはポリコレ棒を振り回してくるやつも全く容赦しなくなるだろう。お前らの息を完全に止めるまで、自分たちは棒で叩かれるって分かったわけだから。
ひと昔前なら(ほとんど)起こりえなかったろうと思う。
何故かというと、そんなことを言ってはダメだと知っていたから。
でも、男が男を、女が女を好きであることが特殊であることは事実。
身を焦がす想いに苛まれていたとしても
何より告白することが相手に対し負担を与えることだとわかっていたから。
カムアウトって誰のためにするの?
自分が楽になりたいだけだよね?
自分が楽になれば、それを聞かされた人が思い悩んでもいいの?
そんな自分勝手な理屈がいつの間にか「正しい行為」として推奨され、
その覚悟もないし出来もしない連中が綺麗事で書くから現実との齟齬が生まれる。
今回亡くなった大学生さんは、
まさにその歪みにはまってしまい、身後動きがとれなくなってしまった被害者。
敢えてどぎつい書き方をすると、「寛容な社会」を標榜する方々は、
あなたが男性だった場合、それは「あなたのチンポをしゃぶりたいんだ。
できればあなたのケツにも入れたいんだ。
(もしくはあなたのチンポをケツに入れて欲しいんだ)」を意味するんだよ?
世間に理解が浸透していくんだろう」みたいなこと書いてる人がいた。
捨て石のように考えてるんだと思ってゾッとした。
貴方(貴女)達こそ、「認めてあげなくちゃね」っていう上から目線でゲイを見てない?
そして、自分が偶然上手くいったからといって安易にカムアウトを薦めるゲイ達。
今回のような新たな悲劇を生む一因にもなっていることを自覚すべき。
日本で生活する上で、レインボーパレードしなきゃならないほどの窮屈を
『パレードに参加して5人とヤッてきた』なんて話、ゴロゴロあるよね?
みんなコンドームたくさん用意して出かけるもんね。
なんとなく放送大学を見てたらlgbtのなんたらいう番組をやってた。男から女になった人と女から男になった人と司会の人で、まぁ内容としてはゴリゴリ勉強するというよりも鼎談みたいな感じのことをしてて。そこらへんはよかったんですけど。
出演者の女性(元男性)が、派手な和装のクラブママみたいな感じの人で新宿2丁目で働いてるらしいんですけど、番組の最後で歌謡曲を歌いだしたんですよ。いきなり。なんか「その演出いる?」と思って。なんか、いる? それいる? ってなって。
番組の目的はよく知らないんだけども、「男らしさ」とか「女らしさ」とかいう固定観念がlgbtの人たちの足を引っ張る枷になってる部分もあると思うんですけど、「ゲイっぽさ」みたいのも固定観念じゃん。なんでそこをわざわざ強調する(ように見えることをする)のかなと思って。
死ぬほど当たり前のことを書くけど「男」の中にも色々いるわけじゃん。男がみんな車とロボットとスポーツが好きな訳じゃないじゃん。ゲイの人にも色々いるわけじゃん。mtfの人も「派手な衣装でメイク盛り盛りで人前で唄ったりするのが好きな人」ばっかじゃないじゃん。絶対に。
少数派、性的マイノリティのそういう生き方(ex.新宿2丁目のゲイバーで働くmtf)があると知らしめる。それがひいては偏見をなくす道である。わかる。わかるが「マイノリティの中のマイノリティ」の生き方ばかりが取りざたされて、やたら目立ってしまうのは、「マイノリティの中のマジョリティ」にとって不本意なことではなかろうか。
直近の例では、とある裁判官の人が半裸の写真をネットに云々ていう、それは全然よくて。ああこの人はそういう人なのねって感じなんですけど。なんかそれをまた別の検事だかの人が支援とかいってパンイチの写真アップとかしてて。それは余計じゃねぇの。普通に「支援」を表明するだけじゃダメだったのって。
そういうの見てると「ゲイのおじさんて脱ぎたがりなの?」みたいなイメージになっちゃうような気がして。マイノリティの中のサイレントマジョリティではないが、ゲイのおじさんでも「自分の裸をネットにあげたくない人」の方が多いと思うんだけど(裏は取ってない)、そういう人の声ってわざわざ出てこないじゃん。ネットで裸を見せたがる人もいれば「好きな人の前じゃないと脱げない」ていう人も恐らくいるわけじゃん。
でも脱ぎたがりな人たちのそういうのばっかが見えてくる感じだと、ふっつーの、なんかもう着飾って人前で唄ったり、裸の写真をアップしたりしない、もう極めてありふれたふっつーの暮らしがしたいと思ってる人たちからすれば「自分は違うんだけど」みたいな、どうにもモヤモヤするというか、釈然としない気持ちになってんじゃないのかな、と思ったり。
果たしてゲイらしさ(とはなんだ、という話もあるが)をあえて強調することは、当人たちにとってなんか意味のあることなんだろうか。単にアイデンティティの発露(そういうクイアな部分が当人たちの精神的支柱になっているからもはや否定できないとか)なのかもしれないが。ゲイパレードの映像に出てくるドラァグの人たちとかを見るたびになんとなく思う。あるいはそういう「おもしろいところ」から大衆に受け入れてもらおうという気持ちなのかもしれないが。それは諸刃の剣であるよな、という気もして。
念のため書いておくけどドラァグとか裸体をアップする人とかに「そういうのやめろ」と言いたいのではない。あの人たちは、それぞれそういう人ってだけのことであって好きにやったらよいと思うし。気になるのはそれを個人の特性と捉えず「mtfは全部ああいう感じの人なんだー」みたく十把一絡げに考えてしまう人が多いのではないか? さらにそういった「らしい」部分を無意識に強調してしまうことが当事者の中でも少なくないのではないか? という点。
「そういう人もいるけど、そうでない人もたくさんいる」ていう意識が一般的である状態に持っていかないといけないのでは? それにはふっつーの暮らしをしてるlgbtの人たちがたくさんいるってことをちゃんと伝えるべきなのでは、と思う。ところで放送大学の番組に出ていたftmの人は、そこらへんにいそうな感じ(失礼)の兄ちゃんだった。「男から女になる」ことの難しさも一つの要因なんだろうな。
余談ではあるが以前からlgbtに対する風当たりの強さを理不尽に感じることが多くて、放送大学のやつがきっかけでなんとなく書いてみたんだけど、しかしこのエントリもまた自分自身の「差別意識」を赤裸々にするんだろうな。それを指摘されたい、という気持ちもまたあるので、ぜひ気付かせてほしい。
職業上同性愛者とよく会うので、友人知人も同性愛者が多いです。そんな中、ゲイの友人に「同性愛者なら海外に行ったら?」みたいな言葉を平気でいう人達が一定数います。「同性愛者が結婚できる国の方が、良いじゃん」「あっちだったら(同性愛が)認められているからさ」なんて無責任に言っちゃうのです。私はその言葉を聞いて、非常に違和感を覚えます。愛のために、自分の居場所や今まで築いてきた関係、意のままにあやつれる母語をかなぐり捨てて、海外に行ける人なんてそうそういません。第一、海外に住むには膨大な面倒くささが含まれています。ビザの問題とか、仕事とか、住居の関係も。
私は2年くらいサンフランシスコに住んでいました。サンフランシスコにはレズビアン、ゲイ、バイシェクシャル、トランスジェンダー(LGBT)に対し、かなり先進的な考え方を持つ町でした。まさに、寛容、という言い方がしっくりきます。年に数回そういう人達のための集まりやパレードがあり、そう言う人達が集まるコミュニティやお店があります。そこで感じたことは、「この人達は行動したから、自分たちが欲する権利を得ているのだな」ということです。そして、一部の保守的な人達を除く一般の人たちも、その人達に関して非常にオープンでした。ゲイパレードの参加者の3分の1くらいは、異性愛者でしたから。
アメリカのLGBTの人たちは自分たちの権利のために行動します。積極的に情報を発信し、周知活動(パレードやポスター等)を行います。知ってもらうことは何よりも大事なのです。アメリカにはまだ保守的な人がいて、LGBTの人たちにひどいいじめをしたり、白い目でみたり、時には暴力をふるう人もいます。アメリカは、自由の国と言われていますが、実は保守的な面も色濃く、反発の力は日本よりかなり力強いものを感じました。しかし、「愛情の反対は無関心」と、昔の偉人が言っていたように、LGBTの人たちにとって、なによりも危惧しているものは、自分たちのようなマイノリティに対して、一般的な人達が無関心・無知であることだったように思います。だから、彼らはどんなに批判され、冷たい目で見られても、結構ケロっとしていました。(実は多分傷付いているかもしれませんが)
アメリカで同性婚が認められたことを非常に嬉しく思います。しかし、そうなって当然だったとも思います。異性愛者の生徒も交じる講義の中で、よくLGBTの権利についてディスカッションされました。それは、LGBTの権利が認められるかどうかではなく、彼らの権利は「認められるべき」だと当たり前のように話していました。その上で、今後どのように法律が変えられるべきか、自分たちはどうするべきか、という議論になりました。これは、LGBTの人々が積極的に周知活動を行い、認めてもらった結果であると言えると思います。
さて、冒頭の話に戻します。「同性愛者が結婚できる国の方が、良いじゃん」「あっちだったら(同性愛が)認められているからさ」このような言葉は、いかがなものでしょうか。あたかも、この国ではLGBTであることが認められておらず、この先も同性愛の結婚が認められないだろう、とするような言い方です。また、多分そういうことを言う人は、同性愛者の人たちの実情を知ろうとしていない(=わかりあえない存在として見ている)ような気がします。知ろうとせずに、無関心でいる人達に、そして、無責任に「同性愛者は海外に行け」と、自分たちから遠くへ追いやろうとしている人達に、警告を鳴らしたいのです。
分かりあえませんか。愛の形は同じで、たまたま生まれ持ったものが大勢の人とは少しだけ違っただけだった。それを知るだけで、だいぶ目線が変わるのではないですか。
そして、LBGTの皆さん、少しでも良いから、自分たちのこと、周りの人たちに知らせてください。一部の人たちを除けば、きちんとわかってくれるはずです。真っ直ぐした言葉で、発して下さい。「私は海外ではなく、日本で生きたいのだ」と。理不尽な言葉に、人知れず傷付いて、俯かないでください。
この国は、今後どうなるのでしょうか。お互いを知ろうとしないまま、人々はこのまま人間らしい美しい愛を持った人たちを、看過していくのでしょうか。私は、この国が好きです。もっと住みやすい場所になり、繁栄していってほしいと考えています。そして、LGBTの方々もまた、好きです。その人達にとっての安心できる居場所をこの国の中で作ってほしいと考えています。アメリカのように、とは行かないかもしれないけれど、この国のかたちにあった、LGBTのあり方を模索する時が来ているのだと思います。
最後の方に出てくる、黄金の夜明けっていう極右政党がすごいな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/黄金の夜明け_(ギリシャ)
2012年5月6日に行われたギリシャ議会総選挙では、「すべての移民を国外追放し、国境地帯に地雷を敷設する」という過激な公約にもかかわらず、7%の得票率によりギリシャ議会に18議席を獲得した。
「すべての移民」というのがすごい。ネトウヨの「中国人、韓国人、朝鮮人を追放しろ」が霞んで見える。しかも日本はそんな主張をする政党はいないし、いたとしても7%も支持されることなんてないだろう。
データは古いが、http://www.nikkei.com/article/DGXDZO10898940S0A710C1EB1000/を見ると、共産党が6%の得票率。
ネトウヨ達による政党が今の日本の共産党並みに支持されてる国。
それがギリシャ。
「ギリシャ人のみ」という但し書き付きだが、それでも実際に貧困にあえぐ自国民に身銭を切って支援してる、実際に行動を起こしているって点が評価できる。
ネトウヨは「生活保護の不正受給で、本当にもらうべき人がもらえていない」ってネット上で騒ぐだけだもんな。
ギリシャのゲイパレードを襲撃したことがある。サッカーでのフーリガン活動など、この団体の引き起こしている暴力沙汰は枚挙に暇がない。