はてなキーワード: ケンカとは
まず持ってるところ見せつけるわけじゃないから、相手がビビッて殴ってこないという効果は期待できない。
いざケンカになったら、接近する必要があるので反撃を防ぐ技量が必要(できるなら素手で勝てる)。
ケンカ以上の武力が必要であれば、相手も武器をもってるのだろうが、拳銃にも鉄パイプにもリーチで不利。
丈夫な傘とか杖でも持ってたほうがいい。
先日、妻とケンカになり別居になったのだが、きっかけは「私が怖い態度を取ったこと」らしい。
そして「何が怖いの?」と聞くと、「◯◯しろ!」と命令口調で言われたのが怖かったらしい。
しかし、ここで問題が発生する。私はそんなことは全く言っていないのだ。
ただ、自分の無意識に言ってしまったかもしれないことを考慮し、妻に「その時に言われた『◯◯しろ!』の◯◯は具体的にどんなことを言ってたの?」と聞いた。
それで思い出すかもしれないと思い、聞いてみた。
妻は「いや、その◯◯はなんだったのか覚えてない」と答えた。
なんじゃそりゃ。
私は関係再構築のために、自身の何が悪かったのか反省する必要があると考えた。
しかし、きっかけになったらしい「怖い態度」を、私は取っていない。
だけど、妻はしきりに、「その乱暴な言葉遣いを言われたことだけははっきり覚えている」と言う。
でも私は、そんなことを言ったことは無い。
これは私が「具体的に何を言ったかは分からないけど乱暴な言葉遣いをした」ことにして認めないと離婚なのだろうか?
結婚生活を続けるために必要な「我慢」というのはこういうことなのだろうか?
丸く収めるためには、やはり認めるしないのだろうか。
でも事実ではないことを事実と認めることには、私の信義上、非常に耐え難い思いがある。
こんなちっぽけなプライドはさっさと捨てろ、ということか?
そんな人生は嫌だな。
「うどん“で”いいよ」→妻が5年間も抱えていたモヤモヤに、共感の声続出「麺類は簡単じゃない」「悪気はなく、本当に分かってない」
「ついに言いました。言うのもめんどくさいのでかれこれ5年ほどスルーしてきたけどちゃんと伝えましたよ。急に早く帰ってきた夫が放った
『俺はうどんでいいよ』
お互いお腹減ってる時はケンカになりやすいのでとりあえず作ってどうぞしてから
『あのさ、うどん“で”いいよ、そうめん“で”いいよ、はぜんぜん優しい言葉ではないのでもう2度と言わないで?」
デザイナーのS.AさんがThreads上に投稿したこちらのエピソードが話題です。
「そもそもおっきい鍋でうどんゆでてお肉とネギ切ってお汁作って、ゆであがったうどんをおっきいザルに入れて冷たい水でしめて、洗い物も大きいものばかりで手間めちゃくちゃかかってるよ?(笑顔の圧)
『〇〇でいいよ?でありがと~神~』ってなるのはカップラーメン“で”いいよ?と冷凍パスタ“で”いいよ?だけだからよろしく」
すると夫さんは、「了解しました!笑」と、S.Aさんの思いと労力を理解してくれたそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/14c3aa663b9a26567b0ba407bedeab2f1d81803e
悩むのはわかるけど世の中それがすべてではないのは本当のことで、たとえば増田のような美人ですら増田以外の生き方ややり方が無数にあるのよ
そうでない女の子の人生もありふれてて多種多様で無数に本当に存在するわけで、そこにだけ固執してそのときそのときの娘さんに向き合わないと本当に後悔することになると思う
増田が娘さんのこと存在まるごと愛してるのならそれを伝えに伝えに伝えまくってなにより自分が娘に嫌われたくない愛してるんだもんって気持ちを言外にも言葉でも伝えまくってあげてよ
たとえ母親相手のコンプレックスであろうともいつかは乗り越えられる私は家族にめっちゃくちゃ愛されてるから大丈夫って自己肯定感の強さを増田の愛で育てるしかないよ
自分の母親も美人で、増田の考えとは逆に自分でわたし美人だったからなあってあっけらかんと言う人だったし私にちょっと押し付けがましいくらいあれこれしてくれようともして一瞬拒食症とかになってヤバかったけど、
でも私のこと愛してくれてるのは本当にわかったし時代の古さゆえの美への執着だったって今はわかったから嫌味だったともずるいとも思わなくなったよ
増田の書いてる通りならこれから先娘さんは外からあれこれ言われると思うけど(学校関係はもちろん親類縁者からも)、そのとき味方になってあげられるのは増田なのよ
両極にいる対立した個としてじゃなくてこの人はなにが合っても私の側にいてくれる人間だという安心感を与えてあげてよ
世の中の現実の方じゃなくて娘さんに対して誠実さを持って正面からぶつかってあげてくれ
美容関係は言及しないんじゃなくて個性の方向にシフトするのも手
美人もひとつの個性ととらえて娘もそれと同じように一つの個性で、それぞれ自分に合うファッションとかメイクとか、何より自分のために楽しいことなんだって教えてあげてほしい
そのこと自体を避けるようになることや、なにをしても無駄だと思うことはつらい 増田自身が娘にそう思わせないようにがんばって
増田と娘は違うけど違う一個の人間としてめちゃくちゃ愛してるんだよかわいいよってぶつかれ
旦那は先生でワイは元教え子、歳の差は10個。辰年と寅年の龍虎図夫婦。
ワイが無理言って卒業後に連絡先もらってしばらくして付き合うようになった。在学中は一切不適切な関係は無かったって誓える。
付き合って初めて一緒に出かけた時、水族館行った後にカラオケに入った。西口のカラ館だったはず。
その時に彼(旦那)が歌ったのが、THE YELLOW MONKEYの「プライマル。」って曲。
上記の通りワイは彼より10個下だから、THE YELLOW MONKEYを聴いたこと無かった。世代じゃなかった。名曲「JAM」も知らんかった。
解散する前の曲らしく、吉井和哉さんの詩は「卒業」とか「さようなら」とか、好意を抱いてた人との別れの曲みたい。
ワイが卒業する時に思い出した曲なのかな。卒業式の後に、感謝の気持ちと好意を伝えたことを覚えてる。ありがとうってしか言われなかったけど、「プライマル。」を聴くと、あの時の先生(彼)の気持ちがわかる気がする。
先生は優しかったから、色んな話をするうちにワイの事を気にかけてくれるようになったんだと思う。それを「好き」って気持ちにしないでいてくれた彼に感謝。
彼はワイの授業を1個担当してただけで、この先もう関わる事なんてない人間だったから、「卒業おめでとう〜」「振り切ったら〜」って歌詞は彼の気持ちだったのかもしれない。もう一生関わることの無いだろう人への未練と応援、自分への決意表明。勿論ワイの深読みの可能性もある。
ワイが卒業した後にやっと好意を認めてくれたのかな。だから「きっと好きだった」なんだろうな。歌い終わった後恥ずかしそうな顔してたのも覚えてる。
ここからワイはTHE YELLOW MONKEYが好き。ファンクラブにも加入してる。他の曲も名曲揃い。彼の気持ちを伝えてくれた存在だからね。
彼との結婚生活はガチで大変。でも「プライマル。」を聴くと彼の気持ちを思い出すから、彼が愛おしく(?)思える。ケンカやばい時でも。
先日、SNSで「Aで○○って珍しくない?」という旨の投稿をしたところ、「そんなこと言い出したらBは××(○○の対極)だよ」と言われた。
多分相手は「○○か××に偏ることくらいよくあるよ」と言いたかったんだろう。俺はなんかモヤモヤしつつも「逆パターンやな」と返した。
だが、それだけのやり取りがずっと引っ掛かっており、あるとき突然このモヤモヤの正体が「だからなんやねん」であったことに気が付いた。
だからなんやねん。俺はあくまで「Aにおいて」○○が珍しいとう話をしたのであって、Bの話は1ミリもしていないのだが?
思い返すと微妙に腹が立ってくる。「逆パターンやな」という安牌な返しをして適当にその場を流したのはファインプレーだった。別に俺はそいつとケンカがしたいわけじゃない。
思い返してみればこいつは今までも俺が「すごいことに気が付いちゃったんだけど!」というトーンで話をすると「まあ△△は□□だしそりゃ当然だろうな」みたいな返しをしてくる奴であった。
人の話題を矮小化してくるのである。指摘がちょっとずれてることも多い(単に俺の発言の意図が伝わってないのかもしれんが)
じゃあ俺はそいつに自分の意見を噛み殺し、内心で「コイツこんなことにも気づかんなんてアホやな」と思われたいのかと言えば別にそういうわけじゃない。俺がそいつの立場でも相手の主張が間違ってるなと思えば訂正したくなることはあるし。
実家は太くも細くもなかった。統計年収の中央値、300万くらいは年収がある家だった。
田舎の有名企業の工場でブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり。家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。
勉強は田舎の公立小中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。
高校進学の時、親は地元の偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。
まず、この高校に進学するときに約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。
周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分が大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。
そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。
ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学金20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。
親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取りで20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。
その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。
でも、この世帯年収で特別に生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMacを自分のバイト代と親の援助で買うことができたのに。
だから、大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。
けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。
親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らしの最初の資金だけは援助してくれた。
それ以降は、昼間バイトして夕方から大学で勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパートの家賃も払うという生活をしていた。
でも、大学はお金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費も生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。
そして今、大学で出会った人と結婚して、子どももいて東京に暮らしている。
区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子どもの学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。
こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。
しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。
知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。
実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。
それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしまう世界が存在する。
これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。
だからもしかしたらこの結論が分からないかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。
だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。
結局いまネットで何か言わずにいられない人は火種や話題があればそれを肴にケンカしたいだけなんじゃないのって思うよね
他の増田でも思ったけどその文章の主旨が建設的なものであったりはっきり主題があるときでも
そこを無視して叩いたり論破できる他の部分をみつけて噛みついてる人が多い
本当に心を痛めてる人がどれだけいるのかな
「自分が・自分の意見を・誰かに・強く・何か言って・納得させたい・正しい自分を確認したい」欲を抑制すべき場面や状況だってあるのに
ご両親のコメントのニュースのブクマが伸びないの、それをしたくない人が多いからだと思ってる
黙ってブクマするよりも何か語れる記事へコメントを書くため・議論をするためのブクマをすることの方が重要になってしまってるんじゃないか
元の投稿は「ネットの馬鹿ども」ってかいてあるけどさ、それって「ネットにいるのは馬鹿ばっかり!そこのお前もだ!」って文脈で使われることもあるからさ〜。
語順は違うけど「馬鹿な日本人」「馬鹿な会社員「馬鹿なネトウヨ」「」馬鹿なパヨク」みたいなもんでさ。
「はてなの馬鹿ども」「ヤフコメの馬鹿ども」「フェミの馬鹿ども」「ミソジニーの馬鹿ども」「ネットの馬鹿ども」つったら、「ああ、自分はその属性だけど馬鹿じゃないから対象じゃないな」ってフラットには思えないよ、「馬鹿じゃないから対象じゃないもんね〜ざんね〜んwwwご批判には当たりませぇ〜ん」って子供のケンカみたいな反応はするけど。