はてなキーワード: ガウス分布とは
知能や才能が人口間でガウス分布することはよく知られているが、資産分布は典型的なべき乗則(パレート則)に従う。このように入力の正規分布と出力のスケール不変分布の不一致は、その背後に何らかの隠された成分が働いていることを示唆している。この論文では、非常に単純なエージェントベースモデルを用いて、そのような成分が単なるランダムネスであることを示唆する。特に、人生で成功するためにはある程度の才能が必要であることが事実である場合、最も才能のある人が成功の頂点に立つことはほとんどなく、平凡だが感覚的に幸運な人に追い越されてしまうことを示す。私たちの知る限り、この直感に反する結果は、膨大な文献の行間に暗黙のうちに示唆されていましたが、今回初めて定量的に示された。この結果は、到達した成功のレベルに基づいて功績を評価することの有効性に新たな光を当てるとともに、結局のところ単に他の人より運が良かっただけかもしれない人々に過剰な栄誉や資源を配分することの危険性を強調するものである。
つまりいくら努力しても意味はないし、俺が童貞なのも運が悪いからであり俺が努力しなかったからではないんだよかった
そういえば上野千鶴子も似たようなこと言ってたな
ズレを平均μ分散σのガウス分布でモデリングしてμとσを測定値から推定するというのが最もシンプルなやり方だと思うが、測定値の平均がゼロなんだったら平均μはゼロと推定するしかないな(厳密にはロバスト推定とかノイズモデルの想定によって色んな推定方法があるが)。基準値をずらすだけ(これをバイアスと言う)で対応しようとするなら、それが最も合理的でそうならざるを得ないと思うけど、それでは実運用的に困るということなんだろうか?困るのだということは、基準値をずらすだけの処理では実際にやりたいことを実現できないということだろう。その場合は分散を考慮したり、実際に起こっている困った現象に沿ったモデリングとその利用を考える必要がある。
具体的にどういうことが起こってどう困ってるのかをもう少し具体的に書いてくれたら何か言えることがあるかも。
ちゃんとやるならスミルノフ・グラブス検定かなあ、値が正規分布である(ディスプレイの遅れとぴったり同じところの値が出ることが1番多くて、そこからだんだん離れていくと出ることが少なくなっていく)と仮定して、一番離れている値が正規分布からあまりに離れていたら外れ値とみなす、みたいな方法
定式化されてるからパラメータ決めて実装すれば外れ値が弾けるはず
外れ値の検出、とか検定、とかで調べると色々出てくると思います
あとこの辺は確率統計だけどコンピューターサイエンスでは習うので数学ってほど数学でもないと思います
追記:正規分布=ガウス分布です、ほかのトラバと一緒に読む時に用語で混乱しないように念のため
あととりあえずで実装してみるなら四分位範囲の1.5倍とかでぶった切った方が楽かも!箱ひげ図のWikipediaの定義のところの下の方に書いてあります
いや、単に確率分布の性質の話をしただけで、知能の指標がべき分布に従っていることを「証明」なんてしてないぞ。
常識的・経験的に考えてガウス分布のわけないよね、というだけ。IQ(WAISだのWISCだの)も極めて単純化した知能の一側面を切り取るテストでしかないし、身の回りにいる異常に脳が優れた連中と大学受験の模試かなんかで偏差値50出す奴との知能の差がガウス分布の2σとかその程度のわけないじゃんねという話。
「結果がガウス分布になるように調整」というのは本質的にできないよ。その意味は「データからガウス分布をフィッティングした」という意味でしかない。例えば範囲付きで直線状になる分布関数が得られてしまった場合や一様分布になってしまった場合を考えてみればよい(一様分布と言うとBox-Muller変換を思い浮かべてしまうかもしれないけど、あれはサンプリングの話なので)。
モーメントというのは、確率分布関数があったらそのz変換のようなものとしてモーメント母関数というものを定義することができて、モーメント母関数のn回微分をn次のモーメントと言ってx^nの期待値に一致することから来ている。だから平均を1次モーメント、分散を2次モーメントと言う。
あとべき分布とコーシー分布は別物だよ。べき分布はp(x) ~ x^{-a}となるような分布のことで、他のレスにも書いたけどx>>1でのp(x)の挙動がそれに従うという意味で言うことが多い。コーシー分布もそうだけど1次や2次のモーメントが発散するような分布に従う変数については中心極限定理が成立しないんだけど、それでも一般化中心極限定理というのが成立する場合があってそのような変数の和は安定分布という分布に従うことがある。安定分布の裾はべき分布になってる。
いやいや、元増田旦那はもっと想定以上のバカだとおもったほうがよい。
つまり彼は19時~21時半にガウス分布とかmodとかをあてはめて、最頻値(もっとも確実そうなライブ終了時間)を20時15分と想定しているレベルのバカなんだよ!(とか想像するの結構楽しいです)(人はこれをゲスパーというが理系的には普通なんだろうと思うよ)(modと最頻値おんなじじゃん)(てか答え合わせないのかね、ないか)(本当の話ならたぶんイラツキ解消のためだけに明日に影響する量である4本ものませておいてまだ飲ます気かっていう意味だろうとかいた別のトラバさんのほうが真実らしいとおもうけど、ASあぶりだしクイズ的にはこっちのほうが面白い)
いや、最低限の基準を満たしてない人間とは議論しないでしょ普通。それこそ先生じゃないんだからさ。
仕方が無いから少しだけ教えてあげるけど(つまり先生になるということ)、世間のアホ共は勘違いしているが、「平均」という量がその対象の統計的性質を記述するものとして意味があるのは、その対象がガウス分布という確率分布に従っているときだけだ。
例えばコーシー分布という「裾の厚い」分布は平均が発散してしまって定義できない。データがあれば標本平均は無理矢理にでも計算できるが、もしそのデータがコーシー分布に従っていたとすると、その計算した標本平均は何の意味も無い量ということになる(もう一回違う標本を取って計算してみると全然違う値になったりする)。
「平均値の時間変化」が意味を持つのは、「任意の時点におけるその対象が常にガウス分布に従っている」ときだけだ。
本当にそれは成り立つのか?長期的に人口を維持するという意味なら、短中期では人口が平衡点の周りで変動しながら、長期スケールでは維持されているという状態が解ではないのか?
高齢出産でも絶対3人以上産めるようにする!なんていう荒唐無稽(しかしほとんどどんな場合でも人口は維持できる)で超力技な方法を実現するのにかかるコストはどれだけだ?そんなコスト払う余裕あんのか?その結果長期的に人口が増え続けるという解になってしまったらどうするんだ?
ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。
昔オーディオの新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンのオーディオマニアに向けてこういうことを言った。
完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。
すなわち:
これは明らかにおかしい。
オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている
しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。
これが有名なシュレーディンガーのオーディオシステムというパラドックスだ。
昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験)
その後、1905年にアインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。
数学者だったクルト・ゲーデルはオーディオマニアだったことでも有名だ。
彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデルは自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分の言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。
すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。
日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。
このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニアは市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。
もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。
このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者の名前を取って、フェルミ・ディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。
なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。
同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計も発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニアを想像できなかったことからこの統計は採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。
転機は90年代半ばに訪れた。自分の意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニアが尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験は危険であるとして禁止されている。
やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。
あまり期待に添えそうにないが
コンビニのレジ打ち程度ならこのくらいの数学で十分じゃない?俺としてはガウス分布理解できない奴から参政権奪ってほしいんだけど。
昔は「最近の女は何でもカワイイと言う」と、アホの表現力のを嘆いたものだが、はてな村の村民は何でもキモイ、キモイと、頭の悪さ炸裂だな。
なんだろうこの不思議な感覚
それがかの有名な、「遊びなれてない男が水商売にはまる」と言うやつだ。
一般論で言うと、お前は貴重な経験をしているよ。公開日記を書いてみると大うけすると思うぞ。ひょっとすると出版の話も来るかもしれない。ただ、客観的になるとその気持ちを維持しにくいだろうな。
なぜそれが貴重な経験かと言うと、そういう「水遊びで玄人の女に夢中になって入れあげる」というのは、社会的には珍しくないからだ。矛盾して聞こえるかもしれないが、たぶんお前は10000人に1人の経験をしている。これは映画のオーディションに受かるくらいの貴重さだ。しかし、おおよそお前の年代の男性が1000万人いるとすると、全国でこの手の遊びにおぼれる男は1000人くらいいる。女難の中でも水難は経済的な滅びにつながるし、結婚していると家庭が破綻するので社会的には危機感をもって認識されており、それが水難事故率の低さにつながっている。つまり、まっとうな奴はそんなことに狂わないのだ。お前はガウス分布のずいぶん端のほうにいる珍しいサンプルだ。
もう少し、きつく書こう。お前は「海水浴でビールを飲んではいけません」と言われたのに海水浴でビールを飲んでいるバカだ。「ああ、本当はいけないんだよな」と思いつつ、一缶開けては泳ぎ、泳いでは一缶開けている。このさき、何があるか分かっているのに泳ぐのをやめない。そんなバカは割合少ないが、それでも毎年馬鹿な死に方をするやつはいる。
非モテだかなんだか知らんが、馬鹿なことはやめろ。くだらないことに金を使うのをやめて、本屋で小説でも買って読みまくれ。その女は決してお前にまともな世界をもたらさないが、本はもたらすかもしれないぞ。ついでに言えば、まっとうな本を読み続けてつけた教養と言うのは、男を結構魅力的に見せるものだ。
水商売の女は恋をする相手じゃない。金を使って遊ぶ相手だ。遊びは適当にお開きにするのが約束であって、それができない遊びをする奴は馬鹿だ。どういうつもりで書いたのかは知らんが、それが苦しくても甘い恋だとでも思っているのか?笑わせるな。
繰り返すが、お前はバカだ。今すぐやめろ。