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2022-12-17

『あの時好きだった子の結婚式』のダメージ、でか過ぎて息ができん

時間は止まらない。ハレルヤ・チャンスは来なかった。一度だけスポットライトを眩しく感じて、もしかして、と、一縷の希望を抱いてみたりしたけれど、キザなシルクハットの初老妖精が私の前に現れることも、テーブル芽キャベツを摘んで飲み込み、私の過ちを揶揄することも、「後悔しているか」、と問われてどうしようもなく狼狽える瞬間も、ついに空想のままで終わった。当たり前だ。

彼女は数少ない私の貴重な友達の内の一人だった。そしてそんな私とは反対に、彼女にはたくさんの友達がいた。学生時代というのはこの世で最も尊く煌めいて、同時に最も残酷な数年である特に女の人生にとって。

女の子は可愛ければ自然友達ができる。綺麗な女は同性の好意さえ簡単に集める。綺麗でなくては、女の子特別にはなれないのだ。というのは、私が散々惨めな高校生活を経て脳裏に刻み込んだ偏屈極まる私見である。器量が悪くても幸せな女など無限存在していることに薄々いや割合はっきり勘付きながら、私はなんとブスであることに諦めがつかないとんと哀れなブスだった。要するに学校で一番痛ましい存在である悲劇はブスに生まれた所からではなく私だって美人になりたいと望み始めたところから始まる。一軍になりたい二軍、美人になりたいブス、男にモテたい喪女、目立ちたい陰キャ…………。

そんな救いようのない私の目前に彼女はまるで天使のごとく現れた。今で言う「たぬき顔」みたいな甘たれた顔立ちで、柔らかく日焼けしたセミロングの髪を緩やかに編んで両耳の下から下げ、私より背が高かった。本当にかわいい子だと思った。入学と同時にバスケ部に入部し、放課後はいつも臙脂色ハーフパンツを履いていた。

私の何を気に入ったのか知らないが、彼女は私に本当に良くしてくれた。二人で写真を撮ってくれたし、連絡もマメに取り合った。ビタミンカラーペンケースは色違いでお揃いだった。勉強で多数の上に立つことにしか一生懸命になれない私だったが、彼女に誘われればテスト前だろうと遊びに出かけた。

当時の私は所謂一軍グループに属することしか考えていなかった。そしてその野望は結論から言えば5割方は達成されていた。要するに、キラキラグループには入れたが当然自分自身キラキラにはなれず、なぜか一軍にいるぱっとしない子、という塩梅にそれでも自分立ち位置にそれこそしがみつくようにして生きていた。自分自身の最も忌むべき点は、身の程知らずに一軍になりたいと望んだことより、そこにいる友人たちをステータスしか捉えていなかったことにある。

7人グループは8年の時を経て解体し、彼女の式に呼ばれたのは私を入れて3人だった。

彼女と遊ぶとき、私はいつも憂鬱だった。

何人かで約束した日は良かった。でも二人きりの日は不安だった。なんのために私と二人で会い、何を求められているのかまったく不明だったからだ。私にとって、彼女かわいいというだけで彼女を好く理由は有り余るほどにあった。だからその逆が本当にわからなかった。けれど、顔を見れば不安は消えた。彼女はいつも本当に楽しそうに笑う。

好きな人がいるの、と、仲良くなってすぐ彼女は私に打ち明けた。あいつに可愛いって思ってもらえたら、他の誰に思われなくても構わない。校外学習に行くバスの中でひっそりと告げられた声の温度も、一緒に口ずさんだ阿部真央の曲も、午後3時半頃のあつい夕日も全部はっきり憶えている。

私も気になる人がいる、と、口から出まかせのように呟いた。そうしないと彼女がどこかに行ってしまう気がした。彼女好きな人がいたから、私にも男の子必要だった。彼女と恋話をするために必要だった。クラスメイト脳内で全員スキャンして一人の名字を口にした。彼女のくりくりしたタレ目がおおきく見開いて、絶対いいよ、とひどく嬉しそうに笑った。

咄嗟名前を上げた男の子ホームベースのような顔の形がバスの前の方に見えていた。彼女の「絶対いいよ」、を聞いて、私もなんか、そんな気になった。

同じ教室で過ごしたのはたった一年のことだったが、その後の文理選択教室棟ごとクラスが離れたあとも、彼女と私の友人関係は変わらず続いた。休みの日には二人でカラオケに行ったし、相変わらず毎日のようにラインも続けた。何でも話せるふたりだった。けれども、いつまでたっても彼氏ができない私に気を遣ってか、いつしか恋愛の話だけはしなくなった。

高校3年生の頃、私が隣町から通っていたその市で一番のお祭りに一緒に行こうと誘われた。テレビ取材もくる大きなお祭りで、5月連休という時期的条件もあり、受験の年を迎えた同級生たちが最後の楽しみにと、こぞって一番の関心を寄せるお祭りだった。その高校生にとって特別な1日に、彼女はどうしてか私を選んだ。彼氏でも気になる人でも他の多くの華やかな友人たちでもなく、私を。やはり意味がわからなかった。

彼女がお揃いにしようと言ったから、一緒に服を買いにいった。その頃の私は醜形コンプのまさにピークにいて、服屋の商品に触れるときすら手が震えた。それでも、明るい彼女に悟られたくなくて我慢してひょうきんに振る舞った。

当日のことはよく覚えていない。彼女が知り合いとすれ違って挨拶するたび居た堪れない気持ちになっていた気がする。その日もやはり最後まで、彼女がどうして私なんかといたかったのか、ほんの少しもわからなかった。ただ、群衆を避け、駅前の寂れかけのイオン屋上で見た小さな花火だけはなんとなく覚えている。幼い日の名残りか、彼女はいつまでもその建物ダイエーと呼んでいた。いつ行っても盛れないプリクラ機のある小さなショッピングモールだった。

いいのか、と問うと、いいのだと答えた。疲れたからいいよと。彼女にとっては、十数年住んだ街での最後祭りだった。それなのに、小さな花火でいいと言った。暗がりの中の少し眺めの顎先まで好きだった。

長く続いた私達の友情がぷつりと途切れたのは大学入学してすぐのことだった。互いに遠く地元を離れたあとも私達はまめに連絡を取り合っていたと思う。夏休みに私が彼女の家まで行き、二人で遊園地に行った。例のごとくおそろいのワンピースを着て、髪を染めてまた綺麗になった彼女はとても目立っていて、キャストによく声をかけられた。それっきりだった。

その後私は整形をし、地元に顔を出さなくなった。加えて、正しくいなくても済む大学での人間関係に夢中だった。何より、また性懲りもなくその内の一人のことをしごく特別に感じていた。その子もまた、私には釣り合わないくら可愛い子だった。

たまにインスタで見る彼女はやはりあの本当に楽しそうな顔で笑っていた。気がつけば同じ高校の別の友人とおそろいの服を着て旅行していることもあった。もしかしたらそこにいたのは私だったかもしれない。そういう写真を見るとき、私はいつもそういうことを未練がましく考えた。自分から手を離しておいて全く自分本意な話である。けれども横に写っているのは私達の高校で一番かわいかった女の子で、その方がずっと彼女釣り合っている気がした。

彼女から招待状が届いたのは、それから数年後、すっかり社会に出て2年が経つ頃だった。

式は、まったく素晴らしいものだった。

私のイメージにあるステレオタイプな挙式とは全く違って、カジュアルで、愛に溢れ、来てくれるすべての人に楽しんでもらおうという新郎新婦の人柄がこれでもかというくらい詰め込まれた温かな数時間だった。遊び心とホスピタリティに溢れ、ほんのひと時も漏らさず楽しめる、本当にいい式だった、と、思う。円卓に集められた同じ高校の友人たちは皆美しく、ドレスの中で綺麗だった。

数名の友人代表が立ち上がり、彼女のために手紙を読んだ。どの子もとても綺麗で、どの子も同じように泣いていた。泣いていたのだ。チャペルのドアが開いた瞬間、披露宴に現れた瞬間、新郎が亡き父親手紙を読む瞬間に、その場にいる大勢が泣いていた。

ついに私は親友にもなれず、それでもなぜかここに呼ばれて、のこのこ顔を出しては無理に笑って突っ立っていた。

ありえないほど似合わないドレスに妙な頭に、他の友人達とはとてもじゃないが釣り合わない不器量な面構えで、たった一度も笑顔で手を振る花嫁の目を見れないまま。

久しぶりに会いたくて、と、彼女電子招待状と一緒に添えてきた。思い切って招待状を送ったのだと、だから、こ断ってくれても構わないのだよ、と。

そういうところが好きだった、私の臆病も偏屈も一息に飛び越えてなんでもないような顔で笑うあなたの、正しいところが好きだった。数年言葉をかわさない友人を、同窓会キャンセルするような私を、逢いたいと言う一言で誘ってくれるような貴方のその身軽さが、屈託のなさが、あなたのことが好きだった。

"嬉しいときは私より喜んで、悲しいとき自分の事のように泣いてくれる"

名前も知らない友人代表は立ち上がってそう読んだ。

知っている、と思った。

知っている、そんなこと。だから好きになったのだ。そういうあなたから、私はあなたを好きになった。

もしも私が男だったら、と、百万回近く考えた。もしも私が男なら、私はあなたと付き合いたい。

本当は違った。本当は、女のままでも、私のままで、私はあなたと添い遂げたかった。真っ白なドレスを着たあなたの、あなたの立っているのは私が良かった。スポットライトの当たるソファに私と一緒に腰掛けて、私の物語に泣いて欲しかった。

名前の知らないたくさんの参列者が、かつて同じ制服を着ていた友人達が、あなた幸せを願って涙する中でたった一人わたしが、私だけが、私のためだけに泣いていた。あなたのことが好きだった。たった一つ、その気持ちだけで泣いていた。ピンクグレーのカクテルドレスに身を包んで笑う、彼女世界一綺麗だった。

性格の悪い私は、あわよくばこれを読んでくれないだろうかとさえ思っている。ほんの小さな爪痕でも残せたら。

それでも、正しい彼女ははてぶなんて見ない。だからこのまま私の恋はここでゆっくり死んでいく。

祝儀袋に手紙を入れた。マナー違反かもしれないが、知るかと思ってぶち込んだ。「あなたのことが大好きだった」「今も、そしてこれからも」

大好きだよ、愛してるよ。

高校時代彼女はよくハグをしながらそう言った。大好きだよ、愛してるよ。

何でもないことのように付け加えた、大好きの意味はきっと伝わらない。それでも、私はあなたが好きだった。今も変わらず、好きだった。

2022-11-29

休みの日はドレス着てる

43歳独身喪女

からヒラヒラしたフリルや服に憧れていたものの地黒ブサイクなので似合わねぇなと気づき普段は地味な服を着ている。金もないし。

数年前親戚の結婚式レンタルしたパーティードレスを着た時に謎の高揚感があった。フワフワヒラヒラのドレスって動く度に揺れるから楽しくて着心地が良かったのだ。

それ以降古着屋やネットで1000円以下の可愛いドレスを買って部屋着にしている。パーティドレスウェディングドレスゴスロリドレス。それらを着ながら家事したりゲームやったり筋トレしたり寝転んで鼻毛抜いたりケツ掻きながら煎餅食ったりしてる。

ヘアメイクはしてない。ドレス着たらヘアメイクをしなくてはならない法律が無くて良かった。

友達にも家族にも言ってないが言う必要も無い。宅配便来たら上にジャージ着て出てるし誰かに見せるつもりも毛頭ない。年齢と見た目から似合うものではないのは生まれつき知っている。これは私による私のためのイベントなのだ

今度の休みは青いキラキラスパンコールが綺麗なカクテルドレスを着るのだ。楽しみだ。

2022-10-16

anond:20221016212903

生きてる社会によるんだろうけど、化粧しない場合ってどれぐらい生きづらくなる?日本だと少数派だと思うが、彼女は化粧してない日のほうが多いし、都会住みの海外の友人連中もあんまり化粧しないんだよね。個人的には化粧にはカクテルドレスくらいのフォーマル雰囲気を感じてるし、どこに行くにも化粧する女はちょっと不気味に思う。

2019-07-16

[]anond:20190716000313

本音を語らない彼。

交際して半年婚約者半年後には式の予定。

本音を語ってくれないので、不満が募る。

例えば。

結婚式ウェディングドレスの試着の段階でのこと。

彼にも、どのドレスがいいか聞いてみたところ、これがいい、と3着選んでくれた。

ただし、その3着は私が最初にいいな、と反応したドレスで。

あ、忖度したな、と思ってちょっとがっかりした。

何か二人で選ぶとき、こんな感じで私の反応を見て答えていることが殆どで。

本気で選んでないでしょ、私の反応見て言っただけでしょ、と。

どれでもいいなら、好きなのを選んでいいよ、って言えば、それで納得したのに。(もしかしたら、私にばっかり考えさせないで!とそれはそれで怒るかもしれないけど)

他にも、何着も着るとお金がかかるから一着でいいと私は言っているのに、式ではドレス着物両方着てほしい!と珍しく物凄く主張。

じゃあドレスウェディングドレスカクテルドレスのどちらがいいのか聞くと口ごもる。

カクテルドレスがどんなもの説明した上で尋ねてもはっきり答えないので、式で着用する衣服がどんなものかよくわかっていないのに、なんで2種類着ることに拘っていたんだろう?と思っていたら。

後々、義母が、ドレス着物両方着るべき!と言っていたらしいことを知った。

結局、彼本人の意見じゃないんかい!とモヤモヤっと。

新居に関しては、彼なりに拘りがあるようなのだが、はっきり言ってくれないので、なかなか決まらない。

私が予算内でいくつか賃貸物件ピックアップして提示すると、否定はせずいいね!と言いつつ首を縦に振らない。何がダメなのか尋ねてもはっきり言ってくれないので、一軒ずつ聞いては微妙な反応を返してくるのに、疲れる。

埒が明かないし彼にも探してもらうように頼んだが、探しているふうなことは言うけど、一軒も提示してくれないので、本気で探しているのかと疑ってしまう。

将来についても、近い将来戸建てを買いたいとか、子供ができたら専業主婦になってもいよ、とか言ってるけど。

年収考えたら無理でしょ、貴方転勤族なのに戸建て買ってどうする気?とどこまで具体的に考えての発言なんだろうと思ってしまう。

これも義母意見なんじゃないのか、と疑ってしまう。

(本人が強く主張するから、ある程度考えての発言なんだろうと思って従うと、痛い目に合いそうで正直ちょっと怖い。

このあたりは、今度突っ込んで聞くつもりだけど。)

気を遣っているからこそなんだろうけど(母に言わせれば、見栄をはりすぎ、らしい)、もっと彼の本音が聞きたいし、もっと真剣に考えて欲しいと思うのだけど。

それをはっきり彼に言っていない私も、本音を言ってない、ってことなんかなあ。

2018-04-25

母親マウンティングしてくる

母親の高級品持ってるのよアピールだとか、とても苦労したのよアピールが凄く気分悪い。

結婚式衣装合わせをしたと報告したら、「私は白無垢カクテルドレスも着て3回お色直ししたのよ」と言ってくる。

プレゼントダイヤネックレスをもらったと言えば「本当にダイヤなの?小さいね。チェーンはプラチナ?私はねプラチナの何カラットネックレスとか本物のダイヤ指輪自分で買って持ってるのよ。4Cも最高ランクのものをね」

苦労アピールも「内臓破裂して吐血して死にそうになった」だの「母はネグレクトだったか栄養失調症で貧血は当たり前だし死にかけたりした」だの「学生のころバイト頑張ったら倒れて入院した。けど単位落とさなかった」だの仮に本当だとしてもとにかく鬱陶しい。

隙あらば自分語りをしてきてマウンティングしてくる。これをやめさせたいが方法はあるのかな…

自分は「ドレス試着してきたよ」「あら写真見せて」くらいの軽い会話が望ましいのにな。別にあなたのお色直しの回数なんか聞いちゃいない。本当に気分悪いわ。

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170410123254

大筋同意なんだけど、2つ目の理由は全く説得力が無いような。元増田に言うなら1つ目の理由スカートの方が古い)だけで良かったような。

まずスカートのシルエット論が逆。リアルフォーマルであるドレスは、歴史的に見ても踝丈より長いフレアであるし、足を全く見せない方がフォーマル度が高い(ロングドレスカクテルドレス)。じゃあなんでOLスーツは膝丈タイトなのかというと、個人的見解としては。

1920年代以前は、女性スカート労働者階級も含めて踝丈以下(女性は足を見せないのが基本)だった。当時シャネルが膝(下)丈スカートを作ったのは、画期的なことだった。ちなみにシャネルのコンセプトは、女性を窮屈なコルセットから解放すること。膝(下)丈スカートは当時、超モダン。女が足を人前に晒すなんて、保守派から非難轟々。

現在サラリーマンの源流である都市型知的労働者が登場したのはこの時代タイピストなどの職業婦人も遅れて登場した。彼らは、モダン社会の中の超モダンとも言うべきウルトラハイパーモダン存在。この職業婦人服装として、当時の超モダンアバンギャルドアンチテーゼである膝丈スカートが相応しいと考えられた。

しかし、この時点でもまだ、女がズボンを履くことは考えられなかった。女がズボンを履く歴史第二次大戦中の工場労働(男手不足)から西洋古典を読むと、女のことを「スカートを履いたもの」と表現する例が頻出する。第二次大戦以前は、服装の性規範は強く、女が男の格好を(男が女の格好を)することは難しく、社会的な逸脱を意味した。この辺の流れが、女がパンツスタイル(男の格好)なんて生意気であるという意識に繋がっているかもしれない。

OLスカートのシルエットがタイトなのは、膝丈スカート創始者であるシャネルデザインスタイルとして確立してしまったこと、当時の保守であるロングフレアに対してタイトが新しかった(それが超モダン存在である職業婦人に相応しいと考えられた)ことあたりだろう。まあタイトスカート窮屈死ね!と思う人はシャネルを恨めばよいと思うよ。それでもコルセットから解放だったんだけどね。

そして時代が流れ、かつてのアバンギャルド保守本流総本山となり、その理由も忘れ去られるほど時間が経ち、元増田の疑問に至る、と。

2015-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20150614223244

舞妓さんなりきりは多いのにね。

ペチコートで腰がふんわりなドレス着てみたいしマーメイドドレスも淡いカクテルドレスも着てみたい。

気持ちわかる。

 
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