「ウラスマ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ウラスマとは

2016-08-16

初めてSMAPを見た時は4人だった

アラサーになってもまだジャニヲタやってるなんて笑う。

今はSMAPの後輩のグループを追いかけているけど。

2001年ウラスマツアーだった。

もう今から15年も前になるんですね。

当時の私は13歳。中学1年。

同年誕生したばかりの札幌ドームコンサート

母の友人がジャニヲタだった。

経緯は聞いていないがその友人から急遽チケットが余ったから来ないかと誘われて行った。

当時の人気から考えれば相当なラッキーだったが、

今考えると吾郎ちゃんが例の謹慎で参加しないことがわかったから急遽余ったのかもしれない。

少し母の話をすると母は元々郷ひろみが好きで、

たぶんその流れでSMAPも好きだったんだと思う。

所謂「誰担」かというと中居くんだと思う。たぶん。

でも「木村はやっぱかっこいーわー」と現場に行くと言うタイプ

そんな母の元に生まれた私は

気がついたら当たり前にテレビSMAPを見ていて、

気がついたら慎吾ちゃんが好きだった、俗に言うジャニヲタ英才教育タイプだと思う…

相当早くから茶の間ファン(他ジャンルでいうと在宅ヲタというやつ?)はしていたか

森くん脱退時のスマスマを見た記憶も残っている。

話を戻し、2001年に始めてドームに足を運んだ私は

まれて初めてジャニーズを生で見る。

しかも今思い出すと座席アリーナBブロあたりだったと思う。

当時まだ150センチほどしか身長がなかった私は必死で人の間から見たのを覚えている。

周りのお姉さん方、開演前に厚底ブーツに履き替えてたのよく見かけてた。笑

初めていったし、今みたいにSNSが発達していたわけでもなく

アルバムを事前に予習して現場に行く、なんて当たり前の現場ライフハックも当然知らない私。

しかも「ウラスマツアー」は「ウラスマ」というカップリング曲ベストアルバムツアーだったため、

本来ツアーよりもおそらくメジャータイトル曲は少なかったはずなのである

それでも私は今でも当時のブロンズみたいな髪色でロン毛の慎吾ちゃんがかっこよくて、

とにかくかっこよくて、手を伸ばしても届かないのにすぐそこにあった眩しいステージに引き込まれて魂ごと持っていかれる経験をしてしまった。

色々拗らせて、それなりに色んなグループを見た今とは違う、

まっすぐにエンターテイメントに心動かされた初めての経験SMAPだったのは本当に贅沢だけど本当に良かった。

15年立ってもかすかに映像として記憶に残ってるんだから、たぶん死ぬまで忘れないと思う。

そのあと超名盤だと今でも思っているDrink SMAPツアー慎吾ちゃんがTarzan企画ダイエットして

めちゃくちゃイケメンだったMIJツアーと足を運んだ。

Drink Smapツアーでやっと5人揃ったSMAPを見られたし、仲間って強い、SMAP強い!と

グループとはなんぞやというものを教わった気がする。

ただ、実を言うとこの後デビュー当時からSMAPと平行して茶の間ファンをやってた嵐に降りてしまい、SMAPからは少し遠ざかった。

MIJの後のツアー個人的事情で急遽いけず

さらにその次もチケットが取れず現場に実質4年ぐらいいけなくなったこととそもそも長く続いた世界に一つだけの花ブームうんざりしてしまったことが原因)

それでも一線で活躍している彼らの活躍テレビで、CDで定期的には見続けていた。

そんな彼らの新たな一面を見られて、また魅力を感じたのはKis-My-Ft2(以下キスマイ)のデビューが大きかった。

デビューする少し前からキスマイ応援し始めた私だったが、(ちなみにキスマイデビュー後に前述の嵐からキスマイに降りています

デビューするとSMAPの後輩としてテレビに出るようになる。

所謂バーターというやつである

賛否両論あったし相当露骨バーターだったので私自身も首をかしげることもあったが、

SMAPが先輩として後輩を可愛がる姿というのは新鮮だった。

あの頃よりおじさんになっていても、やっぱり圧倒的オーラそのままで、やっぱり格好よかった。

露骨バーターのおかげか、歌番組の観覧にキスマイ目当てで応募し、SMAPも一緒に見るという(世間価値は逆なのでしょうが私の価値としてはこの感覚なのです。笑)

一石二鳥経験をしていくうちに、やっぱりもう一度SMAPコンサートに行きたいか・・・と思うようになった。

そして私は2012年Gift of SMAP東京公演に足を運んだ。

圧倒されるばかりだった。あの頃もすごかったけど、やっぱり今もすごかった。

しろ今の方が、すごかった。痺れた。震えた。

あの頃と違ったのは周りの観客におばあちゃん達が増えていたことぐらいか。笑

脳天から突き抜けて舞台上の眩しい光の中に魂ごともっていかれそうになるあの時の感覚

初めて足を運んだ2001年からはもう10年以上経っていたのに、まだその感覚味あわせてもらえるんですかと驚いた。

興奮しながら母に連絡したのを覚えている。

母は嵐にはてんで興味を持ってくれなかったが、SMAPと一緒にいるキスマイには少し興味をもってくれるようになり

上京して離れて住むようになった私と連絡することが増えていた。

その後のMr.Sツアーチケットが取れず、足を運べなかった。

でも、次は母と入りたいし、2年後は25周年だし、こりゃあ次は楽しそうだな~と呑気に考えていた。

そしたらこうなった。

今年の1月の時点から母とは色々話していた。

どれが本当の話でどれが嘘なのか陰謀なのか陰謀なんてそもそもあったのか、本当のことは知りえない。

母は例のマネージャーさんの話も副社長とその娘の話も通じるので

あーでもないこーでもないと話していたが

ぽつりと、もう解散でいいよ・・・と言っていた。

諦めではなく「もう痛々しくて見ていられない」という意味でそう言っていた。

どんな形でも残ってさえくれればと願うファンがいる一方で

もう無理してまで一緒にいることないよと思うファンもいる。

私も母と似たような感覚でいる。

元をたどればメンバー内の確執なんかではないことくらいわかってる。

それでも結果こうなった。

一緒にい続けるって労力がいる。

仲良しこよしの飲み仲間ではなく、一緒に戦うパートナーからこそ

妥協した関係じゃないからこそ、我々の想像を超えた関係からこその結果なのかもしれない。

年末までまだどうなるかわからないし

復活を期待する声もある、本当の原因ってやつを探している人もいる、

だけどそんな周りの状況を含めて、「もういいよ無理しないで。」と思う人もいるんです

しかったあの日の思い出を傷つけられたくないだけかもしれないですけどね。

私と母の大事な思い出ですから

何もまとまっていないけどとにかくつらつら吐き出したかったのでここで。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん