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2023-07-24

故人に対する強い憎悪をどうすればよいのか

自殺した人を憎んでいる。

わたしの妹。

の子不登校だし働かないし醜いしヒステリーだし愛されたがりなのに愛そうとしないし気に入らないことがあるとすぐに脅すようにアームカットするし嫌いだった。

首吊ったときはそりゃそうだと思った。

不出来で嫌われて当然なのに、お母さんはずっと妹のことばかり。

わたしの方が頑張ってるのに。

勉強仕事趣味も何もかも妹よりがんばって、理想の娘、自慢の娘になれるよう、がんばってきたのに。

周りの人に認められるよう、たくさん頑張ってきたのに。

の子が全くしなかった努力を、わたしはたくさんしてきたのに。

お母さんの蔵書、お母さんの卒業制作、お母さんの好きな歌手、お母さんの好きな映画、この世で誰よりも知っているのはわたしなのに。

の子は興味すら持たなかったそうでしょ?

若くにお父さんと別れて、経済的に苦労してきたお母さんのため、早くに独り立ちして、お金を入れてきたのもわたしだよ?

の子は、ただパラサイトし続けてきただけじゃん。

ヒステリー起こすたびに、この世で1番あの子を思って心を折っていたお母さんを、口汚く罵ったあの子がそんなに大切なの?

お母さんに、「もうあなたのことを愛せない」と言われたの。

「あの子が死んだから、仕方ないの」と言われたの。

の子が死んだから、何なの?

の子が死んだことが、わたしを愛せない正当な理由になるとでも?

わたしのほうがお母さんのこと愛しているのに。

妹が憎い。

死んだことによって特権を得た妹が憎い。

お母さんは変わってしまった。

わたしを愛してくれた母は死んだ。

妹が殺した。

わたしが頑張ってきたことも努力してきたことも心を砕いてきたことも全てあの女の死が台無しにした。

「ごめんね、お前は2番目なの」と泣く母を抱きしめるのは地獄の苦しみだった。

死んだら1番になれるのか。

死んだらわたしを蹴落とすことができるのか。

生きていることは意味がないのか。

生きて努力しても母はもうわたしを振り返らないのか。

わたしに残された努力余地は、あの子と同じように、死ぬことだけか。

お母さんだって困っていたくせに。いつまでも働かないでわがままばっかりのあの子を。

死んだら全て許されるのか。

わたしももう、仕事も何もかもどうでもいい。

死んだ妹への憎悪と、愛されない悲しみと、お母さんから「要らないもの」と扱われる苦しみから、逃げたくて、死にたい

死んだら妹のように全て許されてまた愛されるはず。

妹をあの世まで追いかけにいって、復讐したい。

お母さん、遠方の結婚式に行って、帰ってきたと思ったら、真っ先にあの女の仏壇お土産を供えに行ったの。

わたしへのお土産はなかった。

居ないものとして扱われるなら、死んでも構わないよね。

わたしが死んでも、恨むなよ。

2021-06-07

常連かわいい店員さんにアレを見られてしまった

ドラッグストアかわいい店員さん。

出会ったのは去年の冬ごろ。駅近くにオープンしたドラッグストア仕事帰りにも空いているので、納豆豆腐なんかを買いに週1〜2回利用するようになった。ちょうど私のシフトと被っているようで、いつ行ってもそのかわいい店員さんはいた。

気だるげなレジ打ち、触覚、ぱっつん前髪。特に会話が発生することはなかったが、きっと彼女も私を認識していると思う。

多分私と同い歳ぐらいだろう。大学生か専門学生かな。私はあんなふうにかわいいタイプではないから、ああかわいくて夜に働いていると面倒な人に目をつけられたりしないかちょっと心配に思う。

ストーカー心理みたいだが、まあこちらも同い年くらいの女なので許してほしい

その店員さんを引かせてしまった。知り合いと会うわけではないバイト帰りで暑く油断していた。夏でもつねに七分袖をきているが、うっかり腕を捲っていた。みえていたのであるわたしアームカットの跡が。

もう3年ほど前のものだし、そう生々しいわけではないめだたないものだ。全面にびっしりというわけでもないささやかものだし。とはいえ会員カードをだしたときにばっちり彼女から見える角度だった。そして店員さんは挙動不審になりレジ袋を買ったのに入れ忘れてしまった。

申し訳なかった。そう痛々しいものではないとはいえ愉快ではないし、私はかわいい店員さんのようにかわいくはなく、メンヘラっぽい見た目でもない(と思う)からびっくりしただろう。

話は少しずれるが、私もバイト接客をしている。夏になるとやっぱり時々リストカット全開のお客さんが来る。良いんだよね別にそれで。でも知り合いに見られて気を使われるのはとても申し訳ない。人それぞれ自傷には理由や原因があるが、やっぱり人を心配させたいわけではない。やったときは構ってほしかったという理由でも、赤みが引いて仕舞えば残るのは虚しさ。

普段なら店員さんや電車で隣になった人に見られてもすこし申し訳ないなとは思いつつ気にしないのだが、店員さんを驚かせてしまたことが悲しい。なによりこれから彼女と顔を合わせるたびきっと彼女は傷を思い浮かべるだろうから

申し訳ない。リストカットなんてやるもんじゃないよ

2021-02-24

30歳になる頃には

30歳になる頃には見た目も中身もそれなりに成熟しているものだと思った。

生活が安定しているとか老いることに対して何も不安がない訳ではなかったけど

30代は何もないものだと思っていた。想像すらできない世界のようにも感じていた。

それを何かしら変えてしまったのは予定に入れたこともなかった結婚出産人生を大きく変えた。

はいわゆる、社会不適合者であり精神科にも数年前から通っている。規則正しい生活をすることも

周りの人たちと同じように生活をするのが難しい事にも子供のころから気付いていた。

から結婚をする気がなかった。恋人がいるのは遊ぶ相手の延長線上なだけ。

一人でする食事も好きだし、誰かに連れて行ってもらう知らないお店を好きになったりするのもよかった。

きっとこういう風に適当に遊んで死んでいくと思っていたのに妊娠が分かった時に何故か、私の分身であって

私とは別個人お腹にいていつか自分の足で歩いていくのかと思ったら出産したくなった。

人生学校で習うよりずっと不公平が横行し、大人は偉い人ほど後手後手で平気で嘘をつく。

誰かを救う人より救われたいとしか考えない人の方が圧倒的に多い。こんな世界に新しい命を、と

考えると躊躇する気持ちも何度も沸いた。だけど母体保護法であったり色々な結果、臨月まで決意の狭間にいた。

妊娠出産もいろんな人が書いているのと同じように辛く不安な日々と壮絶な痛みだった。

だけど産まれたと安堵した時に溢れた涙も「大事に育てていこう」という気持ち自然と抱いたもの

それは今も一貫して変わらない。今も子供が笑いかけてくれると何故か嬉しい。喜んでいると私も嬉しい。

だけど私は今、とても離婚がしたい。

それは私の問題であって夫に不満は多少あっても離婚に至るほどの事ではない。

私自身の問題で私が自分を許せないから夫を自由にしたい、解放したいという気持ちなのだ

親権は当然に夫に行くだろう。

実家のない私、家族や親戚と言ったものに縁がなかった私としては

当たり前にある正月の集まりや親戚という存在、従兄弟かい兄弟とは違う

年齢の近い他人との関わりを「普通に持ってる」あり触れた環境下で育って欲しいと思うから

それでも構わない。面会が無理なら写真だけでも定期的に、と自分勝手は暴走する。

夫には何度も離婚を願い出た。全て有耶無耶に終わった。

今はもう生きてるのも辛い。ただただ死にたい

でも育児ノイローゼだったとか言われるかもしれないと思ったら死ぬ死ねない。

自殺のコストという本がある。持ち家にしても賃貸にしてもそこで死ねば大きなお金が動く。

それは子供のためのお金から差し引かれるだろう。

どうして無慈悲事件事故ニュースに出るのに私は今日も何もなく生きているんだろう。

30歳になる頃、それはもう今年の春の頃。私は未だに自傷癖も抜けていない。

夫にアームカットがバレて怒られた時、刃物を全部隠されたり壊されてた。

その度に何度でも目を盗んで購入し切って気持ちの整理をつけている。

精神成熟は日々の努力の賜物だとしたら私は何処で間違ってしまったのだろう。

近所の顔見知りの店員さんに子供歩いてるところを声をかけられた。

「あれ?兄弟?」

「あ、私の子供ですよ」

「え?学生さんだと思ってた」

こんなことがあった。成熟は?

私が他者と決定的に違う部分で何処だろう。

いつ気付ける?やり直せる?

離婚はどうなる?一人になりたい。

2020-06-30

32歳無職妻子持ち

どうやって生きていけばいいのか。

男。都内私大卒。

妻子あり。関東賃貸住み。貯金は400万。

鬱を患って4年。

休職復職を繰り返し、騙し騙し働いてきたけど鬱が爆発。

自殺未遂をしこれ以上は無理だと周りが判断退職となった。

勤め先は世間が羨む大企業ではなかったが、とてもホワイト企業でいい会社だった。

いい会社は頭のおかし人間が(ほとんど)いないから、余計なことを気に病まなくてよい。

業務だって終電生活なんてこともなく、都合に合わせて休みもとれた。

それでも自分ダメだった。

あの日早朝覚醒すると、

死にたい死ぬしかない生きてちゃいけないんだ」としか思えなくて

妻と子どもの顔を見てから首に包丁をあてた。

1度目はうまく切れなくて、洗面台に行って鏡を見ながら切ることにした。

実際に首筋に包丁が当たっているのを見ると

手は震え呼吸は荒く、脇と背中から汗が流れるのを感じたし、ふくらはぎがつりそうに緊張していた。

兄弟友達のことは何も思い出さなかった。

ただこれを引いて死ぬことと、さっき見た妻と子どもの寝顔だけが頭の中を駆け巡った。

その状態で何分いたのか分からないが、そこから先はあまり記憶がない。

たまたまトイレに目を覚ました妻が自分を見つけ、止めてくれた。

(取り乱さず落ち着いてそっと包丁を持っていってくれた。対応がよかったと思う)

その後は妻が私の親などに連絡をしてくれたり、仕事を休んで付き添ってくれた。

自分は2日ほど寝込んだ。

通院していた精神科から入院を勧められたが、精神病院はなんだか怖くて自宅で過ごした。

その後もリストカットアームカット首つりを試みたりしたが、死ぬには至らず数日経ち落ち着いてきた。

辛うじて生きている。

今は毎日ぼーっとして過ごしている。

体調が良ければネットをしたり、少し散歩をしたりしている。

自分はこれからどうしたらいいのだろうか。

鬱は治らないというし、この苦しみや不安感が死ぬまでつきまとうのだろうか。

誰かなんでもいいか言葉をかけて欲しい。

2020-05-01

バニーガールによるメイドへの差別問題

 常々バニーガールのキワッキワの谷間とか、ギリッギリの鼠蹊部とか、アミアミタイツを見てハッピーになりたいなと思っていた。2019年12月末。久しぶりに会った大学時代の友人と2人で飲んでいた時、ちょうどエロの話で盛り上がったので、一緒にバニーガールバーへ行くことにした。

 バニーガールバーは古い雑居ビルの4階に入っていた。2階には「マッサージ、ドデスカー?」的なお店。3階にはメイドバー……という、いやらしい匂いがぷんぷんと漂うビルの狭い階段を、ドキドキムラムラしながら友人と登った。

 俺たちを迎えてくれたバニーガールは期待通り股間に訴えかけるものが多分に含まれ芸術的衣装で、さらに愛想も良く、俺はハッピーになり始めていた。俺と友人の仕事の話だとか、網タイツしょっちゅう破けて困るだとかそういう話題を経て、このバーが入っているビル話題になった。俺はなんとなく「下のメイド達と交流とかはあるの?」と聞いてみた。するとバニーガールは、眉をひそめ「メイドやばいコばっかなんですよ〜」と言って話し始めた。

「あのコら、あの狭い階段で全ッ然道譲らないの。あのスカート、広がっていて邪魔だッていうのに、全く知らん振りなんですよ!」

 友人が「メイドやばいのおもろいな〜! どこのメイドやばいんかな?」と言うと、バニーガールは一層嫌悪感を露わにして

「いや、絶対そうですよ。前メイド喫茶でバイトしてましたけど、あのコら無断欠勤かめっちゃするし、礼儀とか全ッ然身についてないし、頭おかしいコばっか。メイドにまともなコなんてほとんどいないですよ!」と言い放った。

 

 彼女メイド差別的発言をしたと感じた。その場は「へーそうなんや」と言って別の話題に切り替えたが、友達と別れた後にジリジリと不快になってきた。

 この「不快」というのは、友達同士との何気無い会話の中で、特定人種の人々に対する、本人にとっては悪意のない差別的発言と直面した後にも迫ってくる。だがそれらは決して差別的発言のものに対する、怒りだとか、悲しみといった不快感という意味ではなく、自分感情のあり方にぐるぐると悩み初め、その取り扱い方に困ってしまう、という不快感だ。

その後振り返ってみて俺はどう感じたか

 メイドへの差別的発言を目の当たりにしたが、咄嗟のことだったので「そんなことを言ってはいけないよ」とバニーガールに指摘すべきだったが、できなかった。そのことについて悔しさに震えた。

 いや、それは違う。単にバニーガールの機嫌を損なうのが恐しく差別的発言を指摘できなかっただけだ。それをメイド糾弾されるのも恐ろしく、「悔しかった」と言って誤魔化し「咄嗟のことだった」と言い訳をしているに過ぎない。結局俺は周囲を顔色を伺ってばかりいるような人間なのだ。俺は自分の臆病さを情けなく思った。

 いや、本当に考えるべきことは、差別的発言を指摘できた・できなかったという次元ではなく、そもそもなぜバニーガール彼女メイド差別的発言をしたのか、という点かもしれない。彼女自身について少し考える。どうやら彼女は、自身が「ヤバいコが多い」と感じていたメイドをやっていたようだ。それに、彼女とは別のバニーガールアームカットの跡で肩がまるで焼きイカのようになっていた。彼女のことはよく知らないが、働いてきた中で結構追い詰められていて、メイド差別し見下していないと自分肯定できない状態に陥ってしまっていたのかもしれない。俺はそんなバニーガール境遇に同情し心を痛めた。

 いや、これはバニーガールを「メイドを見下さずには自分肯定できない」と見下すことによって、俺は自らを肯定しようとしているのかもしれない。それを偉そうにバニーガール境遇に対する同情だとか言い繕うなんて、なんて高慢卑怯なんだろう。俺は自身卑劣さに悲しくなった。

 いや、そもそも悔しさに震えるのも、臆病さを情けなく思うのも、同情し心を痛めたのも、卑劣さに悲しくなったのも全部嘘で、結局どれも「差別はよくない」という世間に受け入れて貰うための薄ら寒い演技に過ぎず、本心はただ寂しさを埋めるために差別問題を利用しているだけではないだろうか。いやいや、それもまた違って……。

 差別的発言に直面すると自意識という触手にがんじがらめにされ、一体自分がどう感じているのかが全くわからなくなってしまう。鏡合わせの空間に迷い込み、どの鏡に映る自分が本物なのかわからなくなってしまったような不安に陥る。そういう意味で、差別的なシーンはとても不快だ。

 こんな不快な思いはしたくないし、バニーガールメイド共存し手を取り合い、2人で俺を笑顔で迎えてくれる社会になるのであれば、それはとてもとてもハッピー社会だと思う。なのでこのバニーガールによるメイドへの差別問題がなくなれば良い、とは思う。

 しかし、差別問題について解決しようだとか、どうこうしようだとか考えるのは、メイドでもバニーガールでもない第三者の俺にとっては想像以上に体力を消費するし、例の不安な気分に陥ることになる。こんなことに頭を悩ます位ならば、例えばマイクロビキニ女の子について考えていた方がハッピーだし、有益時間を過ごせるだろう。よし、というわけで今度はマイクロビキニバーへと行くことにしよう。

2017-12-20

ゆゆ式アームカット

この記事女子高生 Advent Calendar 2017 20日目の記事です。

わたし日向ゆかり。同じ情報処理部のゆずちゃんやゆいちゃんと楽しく女子高生生活を送ってきました。明日三学期の始業式、おうちでのんびりする予定だったのですが朝からなんだか体がだる重で虚無みが深いです。生理はこの前終わったばかりなのになんでしょうこの無理、どうにかしてすっきりしたいものです。あっそうだ、ゆずちゃんにメールしてみます。ねぇねぇゆずちゃん、なんだかとてつもない虚無に襲われていてさっぱりする方法を探しているのだけれどなにか知らない?送信っと。あっ返信が来ました向こうも暇なのでしょうかそれにしてもリスカ^~とだけ書いて送られても何なのかさっぱりです。しょうがないのでゆいちゃんにも聞いてみましょうついでにリスカ?のことも。しばらくすると返信が来ました。わたしはそういうときはいつもストロングゼロでなんとかしてるけどゆかりんちそういうのなさそうだしリスカが良さそうあっでも本当に手首だと危ないかアームカットにしてね☆だそうです、アームカットのやり方が添付されています。ふむふむこれなら私にもなんとかできそう、ちょっと頑張ってみようとおもいます。ガッコで使っていたカッターがありましたね、サビのあるところを折り捨ててエタノールで消毒してっと。じょろじょろごしごしし終わったら利き腕でカッターをしっかり握って反対の腕をどこか安定した机とかに置きます。そしたら刃を腕に当て、刃先を人差し指で押さえつけるようにしてそのまま刃に沿ってゆっくりと引くのです。するとすると微かな鋭い痛みとともにサッと脳に快感が走ります。なんかこれいい!楽しくなってきて気づいたら何筋もの赤い筋が腕に生まれ、ところどころにどす黒い球がうかんできました。深く切れば切るほどザッという重みのある気持ちよさが腕から伝わってきます。指をつたって赤黒いにゅめっとした液体がとろとろ流れ落ちてくる頃になるといつの間にか垂直になったゆらゆらしてる床がだんだん赤黒くなるのを多幸感に包まれながらぼんやりと見つめることしかできなくなりました。

2011-11-01

単純に、疑問なだけなんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20111031192301

元増田です

性風俗産業に従事されてる人らの中には、誇りを持ってるというAV女優もいるようだけど、生きて行くためとか誇りとか大義名分でも作らないと本当はやってられないんじゃない?って思ってる。

世に送り出す写真の加工って、顔の全移植することもあるし、アームカット根性焼きの跡も綺麗に消す。

写真では感じないけど、実際合ったら知的障害がありそうな娘もいる。

そこですでにありのままでは受け入れられないことがハッキリしてしまうけど、

男に好まれるためだけのニセモノに仕立て上げられるのは気分がいいのだろうか?

18やそこらで顔出しの娘が看板に決まった時、店の人間は「家族の了承をとりつけたからしばらく辞める事はない」と言っていたよ。

了承する家族ってなんだろうね?

しかも、若いうちはチヤホヤするけど、体型変わったり老けたらすぐに切り捨てるようなの相手のサービス業

若さと顔の良さと穴がついてれば、みたいな程度の低いのにも変な顔、変な格好ですっぽんぽん晒して体触らせるんだよね?

消せない過去になるけど、本当にそれは誇りになるのかね。

金持ち旦那が現れるまでの割りのいい繋ぎで、我慢してるとかならなんとなく理解できるんだけど…

客も雇い主も信じられない状況ってどうなんだろう。

2008-07-25

恋愛がどーのこーのと言う話題が

増田では流行ってんのね。若いっていいなぁ。

この話題は、個人的には自分のブログに書くのはちょっと気が引けるので、増田を使わせていただきます。もーしわけない。

なるべく分かる人にはばれるよう、普段の文体で書いてみる。

自身の経験について

実はおいらには恋人「らしき」お相手が居ます。でもその馴れ初めって言うのが世間体的に言えばとてもじゃないけど誉められた物じゃあないのですよ。

おいらには友達が居ました。彼女は、その友達の奥さんでした。

ある日、その友達がうつ病になりました。実際のところ、彼らが結婚する前から、彼にはそういう気があったというか、その手のお薬大好きだったというか、南条あやシンパだったというか、まぁそんな感じだったのですが、いい加減冗談ではすまない状態になってきてしまって、アームカットは繰り返すわブログでは構ってちゃんになるわ突然死ぬとか言い出して夜中に家を飛び出すわで結構大変だったんです。とくに奥さんが。

で、おいらとしては、当時はやっぱり親友だと思っていたし、同業者でもあったしで、助けたいと思ったのですよ。それで、腐れ縁の仲間内ってのが他にも数名いたんだけど、実質おいらが中心に、何かしら理由をつけて時々お見舞いに行ったり、電話とかで相談に乗ったり、「死にたいようわーん」な電話を受けて話を聞いたりとかしていたわけだ。

ところがそうやって行動に出たのが仇となったと言うべきか、いや、仇だなんておいらは思いたくないんだけど、まぁよーするに彼女関係を持ってしまった。おいらはそのとき少なからず自分の弱さと芯の無さを恥じたし、その思いは今でも引きずっていて、暗い影を落としている。彼女彼女で、彼からも彼の家族からも理不尽なほどに頼られる日々に疲弊し、外部に救いを求めてしまっていた面はあったとはいえ、そういう状況に至ってしまったことをやっぱり恥じていたし、彼への不誠実を今でも気に病んでいる。絶対に許されないことをしたという思いで僕らは通じているし、その思いで通じているからこそ、お互いに次のステップへ踏み出せずに時を過ごしている、っていう面もある。

ただ、あのときおいらが行動を起こさなかった場合に、彼女がどうなっていたのか、っていうのは、想像するととても恐ろしくて、おぞましくて、それだけはどうしても避けなきゃならなかった。なにより、あいつが愛するかけがえのない存在を、あいつ自身が苦しめているという状況を傍観できるほど、おいらはできた人間じゃなかったんだ。彼女はあのとき明らかに介護うつになっていたし、今でも心療内科に通って薬を服用し続けている。お酒はなるべく控えるように言っているし、実際控えていらっさるんだけど、時々仲間内で飲みに行って図らずも飲み過ぎてしまったりすると、帰り道に突然過呼吸を起こして泣き叫びながら、近くを通る車の音とかに過剰反応して「××くん死なないでーっ、死んじゃ嫌ぁーっ」とか叫んだり、「おねがい●●、××くん助けて、助けて、、、」とか懇願してきたりするんだ (もちろん記憶は残ってないけど)。彼女の背負う十字架は、きっとおいらの背負うそれとは比較にならないほど重く鋭くて、それを思うとそれはそれで、おいらも辛くなってくる。

その友達とはここ 2年ほど交流どころかお互いに音信もなくて、実際彼がその後どうなったかはおいらは知らない。病気が完治せずとも、多少は和らいで、あるいは和らがなくとも病気とうまく付き合いながら、それでも生き続けてくれていることをおいらは願う。そんなおいらは、自分でも反吐が出るほど、つくづく身勝手だ。許して欲しいなんてこれっぽっちも思わないし、むしろいつおいらのことを殺しに来ても、仕方がないんじゃないかとすら思う。

倫理とかそういうこと

で、そんな経験をしてしまったおいらとしては、ナンパ容認派の論に反発する代表的な指摘としての、「相手のあることなんだから、誠意を持って接するべきだ」とする論については、実に耳が痛い限りで、事実として起こっていることと、その出来事に参加する人間の力関係を勘案した結果、友人を裏切って悪人になり切るという選択しかできなかったおいらに言わせれば、理想論だよな、としか思えないんだ。一言に相手と言ったって、慕うべき異性ただ一人じゃないんだぜ。あなたに掛け替えのない人ができたとして、その人にはすでに慕うべき別の人がいるのかも知れないし、それが居ないとしても、その人には親兄弟も居れば友人も居るだろう。異性だが恋人ではない、しかし相談相手だとか仕事仲間だとかと言うことで絶対に切り離せない間柄の人、というのもいるかも知れない (ソウルメイトなんて陳腐な言葉じゃ語り尽くせないような)。あるいは逆に、彼 (彼女) を恨む人間だっているかも知れないし、血縁関係の中でも君の常識とはかけ離れた常識で日々の活動が回っているかも知れない。親同士が折り合えない場合だってあり得るし、君の両親が君の大切な人を苦しめることだってあり得るんだ。誰かと関係を持つっていうことは、すなわちそういういろんな人との二次的な関係をも受け入れる、っていうことだ。じゃあそのすべての人々に対して、誰もが全く困らないように配慮しきることが必要なのか? それのみを以て「誠意」と評されるべきなのか?

もちろん、理想は「みんな仲良く」かもしれないな。おいらはそれを強要する学校教育を敵視する。どうやったって仲良くなれない相手はいる。どうやっても仲良くなりようのない状況はある。でもそれだって全部受け入れた上で、それでも行動しないことには、愛しい相手と結ばれるどころか、自分の意志を貫くことすら、できやしないんじゃないのか?

ナンパする人を尊敬する面

だからといって、じゃあ女をモノとしか思っていないナンパ DQN 野郎が許せるのかって言われりゃあ、そりゃあまあ彼らが本当にそういう精神性で動いているならおいらだって軽蔑するけれども、実際問題としてナンパしてるやつらがみんながみんなそんな非人間なのかと言われると、おいらとしては疑問を抱かざるを得ない。おいらの友人にも軟派野郎は居るけんども (いっしょにやろうぜって誘われたこともある、ノらなかったけど)、彼がそのときそのときで付き合っていた女性に対する誠意ってのは尋常じゃなかったし、確かに端から見れば女とっかえひっかえなんだけど、誰かとの関係が失敗に終わる度に、割と長い時間を一人の時間に割いては、自分の至らない部分についてしっかりと直視してた。それもただ反省するだけじゃなくて、そういう物の一つ一つに対して、割り切れる物と割り切れない物とをしっかり区別もしていた。

こういう人はどうなるかって言うと、人とのつきあい方がどんどんうまくなっていくんだ。そして誰に対しても臆せず接せられるようになる。人生経験がものすごく豊富になる。だから人間関係で困っている人に対しても、ものすごく適切にアドバイスできるようになる。

そりゃあ、若い内は無茶もするだろう。考え至らないところが多いから、結果論として人を人として見れていなかった部分ってのが仇になる。でもそうやって痛い目見た結果として、めちゃめちゃ懐の大きい大人ができあがる。そういう人間に、出会いを求めることの大切さを説かれちゃったりすると、偶発的な出会いに由来する付き合い以外を否定したがる純情ボーヤ的には、返せる言葉を失っちゃうんだ。

だから、誤解を承知でこれだけは言っておきたい。

出会いを求めること自体は、悪い事じゃない。むしろとてもいいことだ。

誠意とかは「後付け」でいい。割とそれで十分だ。

最後に。

おいらはどちらの精神性がより正しいのかを議論するのはナンセンスだと思う。

もちろん、自身に築いてしまった倫理観を打ち崩すのは簡単な事じゃないし、それを超えて向こう側にいる人と打ち解けあえって言うのも無理な話だ。

ただ、この相容れない精神性が、利害を共有して組んだときには、割と大きな力になるんじゃないかな、と言うのはなんとなーく妄想する。

ナンパ経験者の営業力はハンパねーですぜ。まぢで。

純情無垢で geek な君は、彼らに自分らが作った商品のすばらしさを説得する練習をしておくといいかもしれない。

走り書きだから誤字とかありそうな気がするし、あとでちょくちょく修正加えるかもー。

 
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