はてなキーワード: けいすけとは
幼少期
はじめて、教えられたのは
石積みだった
プルプル・・プル・・・
コトッ
「わーーーーーーーーー!!」
「パパ見てーーー! のんたんが、石積みしたよ!」
パパ
「おー、のんたん。さすが、でかしたぞ!」
「きっと、この子は立派な石積みする子になれるね!」
パパ
「そうだな、のんたんの将来が楽しみだ」
石積み、
だけど、ママもパパも、石積みをしている
ぼくは、ただなんとなく、石積みをしなければならないのだなって思った。
学校で教えられることも、みんな石積みについてのこと
石積みについて、いろんな見方で石積みのことを教えている
先生は言っていた、みんな将来は立派な石積みをする大人になるんだぞ!って
「おざきは、立派だ!みんなもおざきを見習って、高く積めるようになるんだぞ!」
立派がなんなのか、よく分からないけれど
石積みをちゃんとしていれば
いつかは立派な大人になれるんだと思ってた
だけど、
石積みは石積み
誰もしたい訳じゃない
したいっていうやつもいるけれど
それは、石積みをした後のことを楽しみにしていて
石積みだけがしたい訳じゃない
それは、とてもめんどくさくて、退屈な作業だ
みんな石積みは嫌いだけど、けどしない人はいない
ぶーぶー文句いいながら、みんなちゃんと毎日石積みをしていくのだ
中には、周りを油断させる為に
「俺、石積みなんて全然してないよー」とか言いながら
コトッ
そして、ぼくも今日も石積みをする・・
石積みをしている
ぼくは割りと、容量よく石積みが出来る方なので
石積みを続けてきて、分かったこと
それは石の積み方には個性があるということだ
学生時代の連中も、それぞれ石を積み上げてきた
石をたくさん積むのだけど、慎重すぎて積み上がった石が高くないやつ
石を積むのはうまいんだけど、安定感がなくてどこか危なっかしいやつ
石積みというものをいまだに、分かっていないやつ
石積みをしなきゃしなきゃと言いながら、全然やってないやつ
一見大きな石の山のようになっているけれど、親の積み上げたものに石を乗せている、すねかじりのボンボン
そう比較すると、わたしの石積みはとてもバランスがよくて、石積みをよく理解していると思われるような綺麗な山だった
崩れないほどに安定していて、無駄に安定させず工程数も増やさない、理にかなった重ね方
石積みの真髄は、いかに効率よく無駄な手間をかけずに高く積み上げること
そんな石積みを見て、まわりは評価する
君の石積みは立派だ
ぼくも君のような、石積みがしたいと
けれど、わたしには
いままでずっと感じていた疑問があった
なぜ、石 積 み を し な け れ ば な ら な い の か ?
「なんで、石積みをしないといけないの?」
「それはな、大人になってから分かる。そして大人になってから、石積みをしていて、よかったなーって気付くものだよ」
他の大人も似たようなことを言って、
同級生の友達も「石積みはしなければならないもの!」の一点張り
いつか、わたしが立派な石積みが出来たら、分かる日が来るのだろうと・・
けれど、そんな日は来なかった
理想の石積みに近づくほど、疑問は鮮明になっていき
日に日に、なぜ石積みをしなければならないのか
ただひたすら、石積みのことばかり教育されて、
石積みをさせるようにマインドコントロールさせているようにしか見えない
路頭に迷っていたわたしは、行き先もないのでふらふらとその病院へ行った
まーまー、あなたは、いままでがんばりすぎるほど、たくさん石積みをしてきました。
けど、わたしは石積みをする理由が分からないから、石積みをしたくないんです。
あんまり、石積みのことを考えてしまうと、それが負担になっちゃいますから、あまり深く考えずに、のんびり〜のんびり〜いきましょう。
はぁ・・
わかりました。
1ヶ月後
それから、わたしは、石積みに対する疑問は、ならべく持たないようにした。
これからも、わたしはきっと、石積みを続けていくんだろうと、ぼんやり思った。
蟻たちは地面の腐敗物を清掃するように
あぁ、なにかおかしい気がする
気を紛らわせてまで、したくもない石積みをしなければならないのは
なぜだろうか
まずこの二文字の字面が似てるので、どっちがどっちかが分からなくなる。ディスプレイの小さな文字で見ているとぱっと見一緒に見えて困る。
あと読み方の幅が広すぎる。一文字だと、「ゆう」なのか「ひろし」なのか「たすく」なのかが分からない。初見殺しで困る。二文字の名前に使うときにも、「ひろ」になったり「すけ」になったりして訳がわからない。例えば桑田佳祐ってみんな知ってるから「けいすけ」と呼べるだけで、何も知らなかったら「よしひろ」って読んじゃうかもしれない。けいすけとよしひろじゃ全然違う。
もちろん読み方が変わる漢字なんて無数にあるはずなのだけれど、自分にとってはこの「祐」と「佑」にずば抜けて苦手意識がある。おそらく、例えば弘佑(ひろすけ)さんがいたとして、読み方によっては「ひろひろ」になっちゃう可能性があるこの感覚。これが苦手意識に強固に繋がってるような気がしている。
なんとなくこの苦手感覚を共有したくてここに書いてみました。
かっこいいところ〜ってあるし、たぶんさわくちけいすけの方だろうなあ
話し合いができることも前提で、クリティカルなところはちゃんと伝えておいて、それでも変わらないところも必ず出てくるので、自分側で対処しましょう。
あと、セックス超大事。会話を始めるきっかけになりますし、お互いのことを感じて振り返られる大事な時間です。
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相手は変えられない前提で考える
さわぐちけいすけか漢弾地か、みたいな印象なんだけど、他にも該当者はたくさんいるんだろうな。
あえてリンクシェアしないけど、結婚はエラいエラくない云々の漫画を目にしたときに違和感の正体が分かった気がする~— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
作者の人、環境に恵まれてないのか他人から結婚しろ云々のプライベートな領域に踏み込まれて、きっとすごい嫌な思いをしてきたんだろうなとは思うんだけど、自分の身近で起こる嫌なことの原因を「一般的に」結婚して子どもがいる人をエラいと本気で思ってる人がいるせい、としてるのがまずおかしいよな— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
この人、有象無象とか言ってるけど「結婚を本気でエラいと思ってる」のは自分自身だったりしてね。だから、違う人生を送っていることに深層心理では負い目があって、そのことを代弁して責めてくる他者を「敵」として批判・攻撃する対象にすることで、必死に自己肯定しようとしているように見えるよ— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
私はあれの一コマ目で家族の姿が邪悪に描写されてるのがすごく嫌だったし、子もちであることを否定されたと感じたよ。だから三コマ目で「子どもがいるからこそ得られる幸せ…は、確かにあるのだろう」とか書かれてるの見て「こいつ多様性を認めてるフリしてんな」って気付いちゃいましたバレバレです— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
この人、素直に「独身を否定してくる俺の回りの数人ウゼー!家族とかいらねーよ!エラくなんかねーよ!羨ましくもねーよ!ほっとけ!」とだけ叫んどきゃ良かったにな。一般論にこじつけて幸せのカタチ(キラキラ)みたいなものに言及したせいで、考えの浅さと自分の中の矛盾がバレちゃったよ。— にんじん (@nrcsnarcissus) 2017年6月8日
問題文入手して読んでみたんだけど、
俺には小林秀雄の『鍔』より
そのあらきけいすけの文http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20130119/p1の方が読みにくいぞ。
主題が途中でふら付いてるっていうのもまさにこのあらきさんの文のことだよ。
要らんこと書きすぎ。
具体的に言うと
入学試験とは学力を測る行為ではなく、学力をネタに足切りの線引きを行う行為である。
東大、京大に入った人は、学力があったから入ったというよりは、そのときの受験生集団、そのときに出題された問題に関して、点数がたまたまボーダーラインの上にいたというだけである。出題された問題によってボーダーライン付近の人間はごっそりと入れ替わる可能性がある。もし本当に学力を測っているのならば、入学定員に関係なく「学力水準」を達成した人に入学許可を与えるのがスジであろう。教員と教室をどう割り当てるかという経済的な理由があるから、学力によらず毎年、一定数の学生を入学させているのである。
入学試験とは学力を測る行為ではなく、学力をネタに足切りの線引きを行う行為である。
だから良い入試問題とは、その大学のその年の受験生集団に対して、点数の分散が大きく、線引きが容易になるような試験問題である。東大にとっての良問を岡山理科大に出しても誰も解けないし、岡山理科大にとっての良問を東大に出しても点差が付かない。自分の大学の「身の程を知る」ことが良い出題の前提条件である。
ここ全部要らない。
後段に繋がってないんだもん。
ここのせいで文章の目的とか、この人の入試に対するスタンスが一瞬わからなくなる、
その上で
小林秀雄にしても、小説の牧野信一にしても、そのような文脈で60万人の人間に序列をつけ、線引きを行うために、
わざと分かりにくい、奇妙な文章を出題して、文章の構成要素を「文脈を斟酌して読み込む」技術の達成度を見ているのである*1。
これが解けて何が嬉しいというのであろうか?
前段落と全く繋がってなくて流れ出読んでくるとマジで混乱するんだけど
まあ言ってることはいいとする。
しっちゃかめっちゃかな文章を批判的にではなく「とりあえず丸のみ」にして要素の解析を強要するのである。
いや、センター試験の国語問題の目的は「合理的に論理をくみ上げる作文力のトレーニング」じゃないだろ。
(前段では自分でも試験の目的を「学力をネタにした足切りのための線引きだ」って言ってんだぜこの人。)
このような問題に対してハイスコアを目指すための勉強を18歳年齢人口の約1/2弱の子供たちが強要されている(といっても、真剣に取り組んでいるのは上位層だけだろうが*2)。
同じテーマについていくつかの例で話をしていて少しもふら付きが無い。
問題はどれもいくつかの例について簡単に内容聞いてるだけ。
実にちょうどいい難易度だよ。
試験問題の悪い点としては本文よりむしろ本文後ろの注が全体的に馬鹿みたいなことばっかり書いてあってどうかと思う。
注のほとんどが
・説明がおかしいこと(打刀の説明とか、これは「間違い」と言ってもいい酷い説明だし、少なくとも全く無意味な説明だ)
のどれかだぞこれ。