はてなキーワード: お節介とは
気持ちは分からなくもないけど恋人ができないことに対して思い詰めすぎ。ある程度スペックが良くても恋人いない歴=年齢の人は男女問わずザラにいる。恋愛経験の有無だけで人の価値は測れない。人間として魅力的な人でも生涯独身の人は普通にいる。それを忘れないで欲しい。
それでも気が晴れないなら頑張って彼女を作る方向にシフトした方がいいかも。
増田のスペックで人より劣るのって容姿と身長だけ?それ以外(学歴職歴収入)は人並みで社会人になっても友達がいるくらいのコミュ力があるなら恋愛や結婚はそこまで絶望的じゃないと思う。
既婚の男友達がいるなら身だしなみや女性とのコミュニケーションについてアドバイスを貰ったらいい。グイグイいけるタイプじゃなさそうだから増田のことをよく知る周りの人に紹介してもらう方が向いていそう。紹介って本人が「探してる」って言ってくれないといい人がいてもお節介が出来ないからさ。
あと女性と接する際にドキドキさせる甘いアプローチなんて必要なんでない。そんなこと出来るのは上位数%のチャラ男だけでほとんどの男性はプロポーズの時に少し頑張るくらいだ。
まあ相手の重そうな荷物を持ったり増田が車道側を歩いたり飲食店の座席で奥側のソファを女性に譲ったりなんかはベタだけど有効かも。
てかSEO対策って言葉なんか当たり前になっちゃってるけどおかしくね
SEO自体が(Webにアップロードするhtml等の記述を)サーチエンジン最適化(することで表示ランク上げる)って意味で、SEOで完結してるんだから
最適化対策をするとしたらGoogleとかのエンジニアがやることじゃん
だいたいそんなもんに頼らなくてもね、自力で目的のページにたどり着ける知能がないと人間の情報リテラシーが最適化されていかないのよ
そうやって全員が経験値稼いで実力をつけていくことのほうが大事なんだよ
なんでもかんでも相手がお誂え向きにデータを整え分類してくれてあると思っちゃダメ
秩序立てて分類することで利益を得ようとするエンジン側勢力にアップロード側が寄り添って、メタデータを充実させてやるのも悪いお節介ではないが
同居人って何?で終わる話では?
https://anond.hatelabo.jp/20230618170454#
虫とかのように部屋の隅っこに勝手居る人とか、いろいろあって面倒をみないといけない親族ではないなら、
増田が自分で望んで自分で選んだ相手なんだから同居人のありようを楽しめばいいのでは?感
とりあえず、同居人(って何?)がやってることは受動攻撃(ハラスメント)なので、親切・お節介以前のお話
増田みたいにそういう人が好きな人以外は、「そういう言い方をされたら傷つくよ」と伝えて受動攻撃をやめさせると思うよ
ただ、『察して!!!!😡』やっているのは、現在ではない過去に積み重なった不満があるからなので、
やめさせるには長い長い時間がかかるだろうね
セブンで買ったスイーツを2人で食べている時に同居人が明日の家族との食事会で渡すお土産を買うのを忘れたと言っていたので、
自分「目の前にあるコーンスープの元はどう?」同居人「いやいや笑」
自分「セブンで買ったのドーナツ持ってっていいよ」同居人「いいよ笑(不要の方のいいよ)」
自分「ふるさと納税で送られたジャガイモは?」同居人「それもいいね笑」
などという会話があって、家のものでいいのか、買うのか、緊急度も結局どうするのかもわからないまま、
しばらく時間が経ってから小袋のじゃがポックルがあったのでお土産によいかと思って「じゃがポックルは?」と見せにいったら「いらない💢」と急に怒鳴られた。
こっちは思いやりで言ってるんだ。なんでそんな言い方するんだと怒ったら、同じ事何度も言うな。しつこいと。買いに行くからいいと。
買いに行くというのは初耳だったので聞いてないといったら最初はどうしようか考えていたらしく、結論として早めに起きて買いに行くということになっていたそう。
そもそも家にあるものをお土産にするなんてありえないと。察しろと。じゃあジャガイモって聞いた時になぜいいねって言ったんだと聞いたら冗談だ。冗談も言えないのかと言われた。
どれくらいの温度感でお土産が必要だと言ってるのかわからないからこちらは冗談のつもりではなかったが、じゃがポックルがどうなのか聞いたのが冗談だった場合こっちには冗談言うなってことになる。
やはりどう考えても思いやりで言ってる相手に対して怒鳴るのはおかしいというと、それは思いやりでなくお節介だと。
ちなみにじゃがポックルが北海道でしか買えないお土産だということは知らなかったらしい。そんなん知るかと言われた。
なるほど、自分が思いやりだと思って提案していたのはお節介だったのだなと。
しかし紙一重ならどちらなのかの判断も紙一重なのではないか?状況が変われば簡単に変わるのではないか?そもそもお節介なら怒鳴っていいのかというところで考えても答えが出なくなってしまったので有識者のご意見を伺いたいです。
動のジョンウィックと静のイコライザー、似たような二作を同時期に観たけど対照的なサマを感じられて良かった。
ジョンウィックはアクションに遊びがあった気がする。一騎当千に飽きさせない工夫というか。満身創痍で暴れ回りつつ、ヌンチャクアクションはコミカルな感じもあった。MGSみたいな俯瞰映像も嫌いじゃない。凱旋門の往来は敵に囲まれるというよりオブジェクトに襲われる特殊ステージのような緊迫感があった。最後は決闘で締めるのも良いね。
犬のくだりとかで一応「報い」というテーマは挟むけど、総じてアクション面で魅せてくる印象だった。
イコライザーの方はもはや敵に倒されてしまうかもしれないなんて不安すらなく、スプラッター映画のように淡々と粛清する感じ。
序盤で惨殺死体の果てに登場する時の佇まいとか、完全に悪役のそれ。教会や十字を挟んで、やりすぎじゃね……?って感じの自問めいたシーン。スントを外してドンパチ抜きの休養で、美しい街と善良な人々の生活をじっくり映す。そしてそれを踏みにじる存在をねっとりと描いて、溜めて溜めての制裁。もはや戦いではなく、一方的。ぶっ刺したチンピラにじっと目を合わせる所とか、瀕死の相手をのたうち回らせて何をするでもなく側についている所とか、完全に異常者のそれ。一作目のDIY戦法、二作目のステーション・バーじみたお節介殺戮おじさんときて、最後は平穏というテーマに重きを置いた感がある。良いね。
イコライザーって音楽とかのやつを先に思い浮かべちゃうけど、確かにイコライズしてたわ。平等にするものが転じて銃をそう呼ぶの知らんかった。ピースメーカーとかと同じか。ホンマに平等になっとるか?
二作とも観て思ったけど、ただ銃で撃ち殺されるとか轢き殺されるとかよりも、ナイフで手を刺す所をジッと映すシーンのほうがウッてなるな。痛みが想像出来る分そっちの方がキツい。アウトレイジの拷問とかもそうだけど。
「そんなの受け取る側によるでしょ」というのが今回の日記の結論なのだが、やはり自分以外が共有している何か一律のラインがあるように思えてしまう。
私は心配症だ。ネガティブに語られがちだか、心配症というのも役に立つもので、知っておくと良い事を周りよりも先に知ることができたりする。しかしその一方で心配性が行き過ぎて周りを心配してしまうという悪癖が私にはあり、その情報を教えなければその人に不都合が起きてしまうのでは!?という気持ちになってしまうのである。
この時、相手がその情報を知っていたら完全なるお節介だし、迷惑になってしまう。どうすれば良いのだろう。
ここまで書いたが、これは本当に「相手による」としか言いようがないな!知らなかったら感謝されるだろうし、知ってたらお節介になるし!強いて言うなら悪癖の部分に関して改善点がある気がする……ぐらい
私は優しい人間である。高齢の方が困っていたら助けるし、友人が落ち込んでいたら励ましたりする。
しかし、私は弱く浅ましい人間である。高齢の方を助けるのは自分が困ったときに助けられたいからだし、友人を励ますのも自分が励まされたいからだ。
見返りを求める優しさは、弱さゆえの優しさであり、私は実際優しいと呼べるのか。
私は優しいとはとても呼べないと考える。
それならば、強さゆえの優しさが本当の優しさなんだろうか。それも、なんだかそうだと思えない。
優しさ、を強いか弱いかで推し量る事がそもそも間違えているのかもしれない。また、道徳と優しさを混同しているのかも。
そもそも優しさとはなんだろう。調べてみる。
優しさ、について調べて見たが、全体的に余裕があり、見返りを求めない人間が「優しい」とされるらしい。やはり強さゆえの優しさが優しいと呼ばれるのだろうか。
納得がいかないのは、おそらく私の周りが弱くとも優しい(と私は思う)からである。私の家はプロテスタントであり、弱くとも(ある意味では見返りを信じている)優しい人に多く接してきた。それらは優しくないのだろうか
中学から友人関係のある友達に久しぶりに会ったら宇宙人みたいな顔になっててびっくりした
その時はまだ目を二重にしたくらいだったのに今は全然面影がない
しかもメンタルも病んでいてゴリゴリのルッキズムに染まっててブスには人権がないと平気で言ってきたりした
こりゃまずいと思い、その友達とは家族ぐるみで付き合いがあったので友達の母親にメンタルが病んでいるかもしれないと相談した
これがダメだった
結局友達は大学時代に恋愛関係のトラブルで容姿コンプを拗らせたことが原因で1000万近い整形費を借金で払っていることがわかった
友達の母親からは教えてくれてありがとうと言われたけど肝心の本人はなんでチクったんだのお前とは絶交だの死ねだの散々言われた
10年以上付き合いのある友達だけど結局自分の整形が1番なのかって思ったし、母親に教えたことも後悔した
お節介でごめん
ここしばらくでいくつかの体験をして、怒ったり考えたり反省したり諦めたりしました。改まってこんなことを書くと「え?それって自分のこと?」って思う人もいるでしょう。それは多分当たってるところもそうでないところもあると思います。いずれにせよ、これはあなた宛の文章でも、あなたを論う文章でもありません。ちょっと長めの最近の、複数の体験からぼくがひねくりだした、一般的な結論です。
つまるところ。人付き合いのスタンスというか距離感というか。そういうものを少し変えていこうかな、と思っています。
やりすぎたと思うこともあるし、自分が欲しいものを過度に期待して、それが得られないと拗ねたこともあるし、嫌な気持ちを胸の内にしまっておけなかったこともあるし。いろいろ失敗しました。
なので。失敗を繰り返さないように、いくつか、自分への決め事を作ることにしました。
・人の失敗をリカバーしようとしない
遅刻も欠席も締め切り忘れも、あなたの失敗はあなたのものです。頼まれればお手伝いはするけど、ミスは未然に防いであげよう、補助輪になろうみたいな、余計なお節介はもうやめます。
・内心を忖度しない
書かれたこと、聞いたことは字面どおりにそのまま受け止めます。本当はこう思ってるんじゃないか、なにかの事情で言えない/書けないことがあるんじゃないか。そんな詮索はもうやめます。
字面どおりに受け止めた上で、ぼくの態度はぼくが決める。そうしていこうと思います。
昨日と/先週と/先月と、言ってることが矛盾してる。どっちが本音なんだろう。実はこうだったんじゃないだろうか。嘘をついてるんじゃないか。ちゃんと説明されないと納得できない。
ぼくの納得はいりませんよね。嘘だろうが矛盾だろうが、どれほど粗雑であろうが。そう説明して終わらせたいならそれでいいです。
・人の態度に一喜一憂しない
返事がない、挨拶がない、お礼がない、謝罪がない。親や教師じゃあるまいし、いちいちうるさいよって思うでしょ?そうですよね、わかります。だれにどんな態度をとろうがあなたの自由です。ぼくがそれを気に入らなければ、ぼくが自分で対処すればいいのです。
総じて。人付き合いでのがまん、みたいなものを減らしていこうと思います。
別にその場で咎めたり、怒ったり、怒鳴ったり、不機嫌になったり、そんなことはこれからもしません。ただ、ぼくはもともと、ぼくが楽しいと思う人と、楽しいように付き合いたかった。それを思い出そうと思います。
だから自分の友人は自分で決めます。あなたをその枠に無理に押し込めようとは、もうしないので、どうかあなたはあなたがやりたいように、楽しく遊んでください。
「この先ドラゴンが暴れているから近づかないほうが良いぞ(本当に近づかない方がいい)」
「崖を越える時はオーバーブーストを一瞬だけ吹かしてからすぐに止めると慣性で効率よく向こうに行けるぞ」
「ここから先はソウルレベル50ぐらいになってから来た方がいいな。村に戻って城の方に行けばちょうどいい難易度のステージだ」
「今回のミッションは縦方向に長いから縦方向に強いレーダーを持っていくといい。オススメを教えてやるからあとは財布と相談しろ」
「あいつは遠くから狙って攻撃すれば何とかなりそうだな。魔法が使えないなら弓でチクチク倒すという手もあるんじゃないか?」
「ミッション依頼者の情報を解析しましたが、彼らは貴方への裏切りを企んでいるようです。対AC戦の準備を推奨します」
みたいにイチイチ全部教えてもらいてえのか????
俺はぜってー嫌だぜ?
無理な時は攻略サイトを見るかも知れないけど、そのタイミングはゲームの側じゃなくて自分の意志で決めさせて欲しいよ。
お前ら、本当にフロムゲーに丁寧に手取り足取り何をすれば良いのか教えてもらいたいか?
剣の振り方もメーターの見方も全部手探りで身につけていくから達成感があるんだと俺は思うがね。
詰まってどうしても助けが欲しいなら攻略サイト見ればいいわけじゃん今の時代はまさに。
なんでそこで「ゲームの側が教えてくれればいいのに」ってなるんだ?
自力で攻略したという名誉は欲しいけど、自力で攻略はできないから、ゲーム側のお節介で仕方なく攻略情報をネタバレさせられてしまったという設定が欲しいのか?
ガキみてーなメンタルだなあ……
まぁ何個か理由があるけど割りと自浄かなって思う。
「特別扱い」ではなく参加した人や関わっている人が【許している】が正しい。
実際に燃えるケースってのは外側ではなく内側から燃え広がると非難の言論に説得力が増す訳で。
コミケなんかは内側が防火素材で出来てるくらには燃えにくい対策がされている。
・コミケ
コミケは対策などもオープンになっていて熱中症で倒れても参加者から注意しようね!って呼びかけが起こる。
何よりコミケの参加人数から考えても20人に収まるなら大したもんだという形に収まる(実際にようやってる)
よって比較的容易に【許す人が多い】。どちらかと言えば祭りの感覚に近い自己責任論が強い性質を持つのも強い。
・サマソニ
twitter上でも運営にポカリ没収された!!とか最前線で倒れかけました。などまぁ運営の不手際を指摘
するケースが多い。これはコミケと違って参加者が運営に対して不満がある。運営も対策はしているだろうが
参加者に伝わっていないのであるし。金を払っているのにこの仕打ちはなんだ!と客目線である。
これは【許さない人が多い】。運営団体が企業の商業の性質である。
・甲子園
まず学生が応援という事で学校行事も混ざっている点に注意したい。観客が倒れても学生が倒れても+1の数字。
怒っているのも親かもしれないし教育関連かもしれない。なので本人は大丈夫と言っても周囲が【許さない人が多い】