はてなキーワード: いるかとは
たぶんここに書いてくれた会話以外にもいろんな文脈があるんだろうとは思うけど、
「その点日本人女性は幼い頃から配慮するように教育を受けているから良いと思う」の点に関してだけ言えば、
「その点日本人は、男女問わず、幼い頃から相手に対する配慮や尊重について教育を受けているから良いと思う」だったとしたら、もう少し心穏やかに聞けたのかもしれないね。
アプリで、ある韓国人男性とメッセージのやり取りをしていた時のことだ。
恋愛の話になり、彼は前の彼女とは相手の配慮や尊重が感じられなくて別れたと言った。そして、韓国人女性はそういう配慮をしない、その点日本人女性は幼い頃から配慮するように教育を受けているから良いと思うと言葉を続けた。
現象としてというか、そういう考えを持つ人がいるのは知っていた。海外の男性でわざわざ日本人女性を選んで付き合いたいという男性は、そういう考えを持っているから気をつけろと。
でも、実際そういう言葉をかけられるのは、とても悲しく、悔しく、怒りが沸いた。
別に、そうなんですよ~日本の女性って控えめな人が多いから~とか適当に返せたかもしれない。でも、できなかった。ここで我慢をしたらダメだと思った。勇気を出して発言しなければと思った。
日本の女性が配慮があるという説明をそんな風にしてほしくなかった。そういう発言こそ配慮や思いやりがないのではないか?私には大人しくて、従順であるよう教育された日本人女性と付き合いたいという意味にしか受け取ることができなかった。
私は、それは良いことなんですか?女の子たちだけが、ああしろこうしろと言われて、男の子は何も言われず育つその結果が。それはちょっと日本人女性に対する偏見ではないですか?こういう話を聞きたくないかもしれませんが、私にはその言葉はちょっと聞くのがしんどいです。と彼に伝えた。
彼は、そういうことじゃないんだけど、お互いに配慮が必要で、どちらか一方が無理をするのはいけないよねということが言いたかったんだと笑いながら言った。
ではなぜ、最初からそう説明しないのか。その説明の前に、日本人女性が~という話をもってきてしまうところに、彼の偏見があるというのに。笑ってそのまま話を流してしまえる彼が羨ましかった。
あまり、私の言葉が伝わっていないように感じた。彼にとって、私の訴えは聞き流せる程度のものなのだ。
そういう説明は、配慮ということを説明するためにはふさわしくないのだと、私たち日本人の女性は、配慮をしましょうと教育を受けているのではなく、大人しくしていろと、出しゃばるなと、そういう風に言われて育つんです、それは配慮ではなく、ただ我慢しているんですよ、ともう一度訴えた。
彼は、それは初めて聞いたと、知らなかったと言った。
本当にそうだろうか。
なんだかもう考えるのが辛くなって、私は眠りについた。
いつもネット上で女性の為に、戦っている人たち。私はいつも発言を眺めているだけで何もしたことがなかった。でも、今回、初めて、彼女たちと同じ目線に立てたように思う。彼女たちはどれだけ空しく、終わりのない戦場に立っているのだろうか。その強い意志に支えられ私は今、あなたたちと共に一歩を踏み出した。抗う勇気を持ってみる。
増田の言ってる事はごもっともで、分解して箇条書きに展開すると
と言う所で、これに反対する人はいないんだよな。
これが難しい。
基本的には施策はここをターゲットにするべきで、国立人口問題研究機構などが行っているアンケートでも、実は育てたい人、育てる気概のある人の率は、昭和の時代から大きく低下していない。
では何故ここが問題かと言うと「育てたい人、育てる気概がある人」をターゲットにしていると言っているのに、ターゲットにしてない人から
と言うよくわからない反応が起きること。総論の状態で目標を掲げているうちはそうなのだけど、実際の事業や施策を動かしていくと問題になる。
特に、効果が大きい施策、結婚支援や税制改正、制度改正などで噴き出してくる問題だ。
ただ、こんなことを実際リアルな人間関係の中では言う人は少ないよね。だけど、政治活動の世界では多く発生していると言う不思議がある。
典型的なノイジーマイノリティだと思うんだけど、どうして声が大きく出てしまうのだろうか。
さっきのターゲットの話はノイジーマイノリティ問題だったけど、今度は逆。
子どもをもっと産める状況にするには、増田が言うように経済的な問題が第一だ。金がないのだ。
それに対して、現在行われている「もっと子供を産める状況にする」という方面の対策は、それを助長するような対策ばかりになっている。
これらの施策は子育て支援という名前になってるけど、これは子を産める状況にする、と言う対策では無くて、子育てを行っている層や、その祖父母層に向けた票集めのための施策になっていて、「もっと子供を産める状況にする」の裏返し「子どもを産める状況になっていない」人たちに対する支援になってないんだよね。
例えば、高校の授業料無償化や、小児の医療費の無償化といった施策は行われているが、そう言った施策が広まっていっても子育てにかかる金額ははどめがかかっていない。
これは当然で、子育ては競争という性質が強く、また金があったらいくらでも金をかけてしまうと言う性質を持っているから。
例えば支援無しで100の資金が合った人に、30を援助すると、130の資金にして全部投入されてしまう。
するとどうなるかというと、子育てにかかる金額がどんどん増大して新規参入障壁、つまり新しく子どもをつくりたい、増やしたいという人が増えにくくなっていく。ハードルが上がってしまうのである。
この傾向が最も分かりやすいのが、出産費用と私塾の料金。支援金が増えるとそれと同じだけ価格が上昇してる。
標準的な子育てをシステム化してみなこれをやっておけばよい、と言うメソッドを構築すること。
その代わり。その費用は公的な仕組みで全部出すこと。ちょうど健康保険や介護保険の様な仕組みにする。
例えば、大学学部卒までの学費、食料費など全部含んで自己負担金を、住民税基準のようにゼロからMAX20万円ぐらいまで設定する。
学校はその金額の中で運営し、それ以上は利用者からとってはならないとする。対価がある寄附行為も全部禁止。
また、医療介護の標準のように、標準的に守るべき部分を入れて定期的に監査する仕組みにする。
こうすると、養育費の上限が固定されて、大規模な改変がない限り、大学学部卒業までに、月額いくら払っていけばいいのかが確定する。更にここには保健機能を付加しておいて、何か重大な事故があった場合も保護される。
まぁそうだ。
というか、教育に関しては当時の為政者が住民を都合良く洗脳すると言う過去の経緯があって、政治が絡みすぎている。
例えば大物政治家が不祥事で落選した時、自分と懇意にしている私立の学校法人の教授や理事に収まって政治活動を継続する、と言ったことが凄く多い。
治外法権で聖域化しているし、ここまでの巨大な改革は相当難しいと思うが、そこまでやらないと色々と解決は難しいと思う。
政治に興味を持って投票行動を取る人、と言うのは、結婚したり子どもができたりして意識するようになる人が多いようだ。
一方で独身者の投票率はかなり低い。今となっては、子どもよりも政治的影響力が無い。
そして独身者で投票する・政治活動をする層と言うのは、ノイジーマイノリティ化した層だ。
彼らが意見を代表しているかのように政治に影響を与えてしまう。(統計ベースでは、彼らがノイジーマイノリティであることは明白なのにもかかわらず、だ)
この増区政の人々に味方しても票が増えるわけでは無いのだ。なので、受けない。
地方議会などは、切実にわかっているのでやるのだけれど、より劇場型政治の性質が大きくなっていく国会などではどうやっても優先度が上がらない。
と、思わず読んでいて思いついたので頭を整理する意味でダラダラ書いたんだけど。
どうしたらいいんだろうね。
一人じゃなく本当に沢山いるから
人生で結婚を経験する人の半数以上が28歳時点で初婚を経験しています。
交際から結婚に至るまでの期間はゼクシィの調査によると最頻値が2-3年となっています。
つまり、女性22~24歳、男性23~25歳くらいが結婚相手探しのピークです。
はてなに書かれている内容は遅すぎです。
芸能人や大富豪などの結婚が遅いことはありますが、一般庶民が28歳までには結婚しているから、厚労省の人口動態統計では男性27歳、女性26歳が初婚最頻値という結果が出ているんです。
大富豪やイケメン俳優のつもりで安心しないでください。松本人志なども参考にしないでください。松本人志のファンでしかないあなたたちは、地方都市のヤンキーより性的魅力に乏しいです。
40歳の男性が、両親も衰えてきたしそろそろ婚活でもするか~!共働きで同居介護可能な女性希望!みたいなこと言っていますけど、活動の開始が15年以上遅いです。
はっきり言って、もう手遅れです。手遅れの自覚を持ってください。そして25歳未満の人たちに「男はいつでも結婚できる」といった嘘を言って、怠慢による手遅れに巻き込まないでください。
チームでやるゲームのドラマ……それはゲーム部分ではなく、チーム部分に描写がおかれる。
ゲームというのは基本的に、見ていて楽しいモノではない。純粋に見ていて楽しいゲームは、少ない。
それはスタジアムの体験や、動画での漫才や、カメラワークのダイナミズムなど……
でもそれは、ゲームの楽しみ、ゲームのプレイヤーが得ているものとは根本から異なるではないか。
ゲームを行うことと、見ることは、決定的に異なる。当然だ。
翻ってゲームを描写する物語においては、それが、プレイヤーの内面の得ているものを如実に、おもしろく、写せる媒体と手腕がない限り、ゲームを通した人生が描写されることに重きをおかれるのは、当然なのだろう。
逆に言えば、もしゲーム"で"創作を行うなら、そうしなければ、大抵は何をやっているか分からない、つまらないものになりガチである。
増田でのハイコンテクストな文では、背景と意図と文脈と思考は読者に依存することになる。何を見ているかが他人に伝わらないことは当然であるからだ。
逆に言えば、それを暴くことによって自分が何を見ているか、相対的な視点を獲得すること可能と言えるので、諸君らにおいては、噛みつかれることを恐れてはならないと言っておく。
ただし、レスバには応じないように。
おもしろい。
信頼(しんらい)とは、相手や対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性や信頼度という。
(wikipediaには信用の項目は無し)
イマイチ要領を得ない。社会心理学の用語として載せられている。ここで調べる先を間違っていたことに気づく。
信頼(しんらい)
1. 信じて頼りにすること。
信用 (しんよう)
1. 信じて任用すること。
wiktionaryの定義によれば、信頼は一種感情的なものでさえある。しかし信用は、例えば"信用取引"などという言葉があるように、感情ではなく、どちらかと言えば"合理的な期待"に類似することが分かる。
/* だが、信用と信頼を、意識して使い分けている人が、どれほどあるのか?あるいは、ごちゃまぜに認識している人も、いるのではないか?というのも、私もイマイチ意識していなかったために、こうして調べているのだから。
例えば「そんな人のこと、信用しちゃダメだよ」この文がどちらの意味を(感情か、合理的な期待か)持って信用という語を使っているのか?それは発言及び人物の背景を見ないと分からないと感じる。
形而上の言葉というのはそういうものだろうか。(哲学初心者)*/
信頼とは裏付けも担保もなく相手を信じること。 これもアドラーの言葉です。 信用というのは条件つきで相手を信じること。(引用元)
「信用」と「信頼」では微妙に意味が違う。前者は損得を計算した上で相手を信じる行為を指すが、後者は利害を超えて相手に身を委ねる気持ちがあらわれている。違いを意識した上で英語に訳すと、「信用」は「give credit to s.b.」、「信頼」は「rely on s.b.」というのが適当かと思う。
藤田達蔵著「ガイドとの交信マニュアル」の第5章「交信のコツ」の「5自信を持つ」から以下抜粋する:
「必ず期日までに返済するならお金を貸してやろう」というのが信用です。それに対して、「きっと返済してくれると信じているからお金を貸してあげよう。もしも返してくれなくてもそれはこちらの責任。君を信頼しているから貸すよ」というのが信頼です。
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村上春樹氏は、『村上さんのところ』に収められた読者への返事に自らの考えをまとめた:
長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下の選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。
「信用」と「信頼」、「信任」を使い分ける | Web Pages Japanese-English And English-Japanese Wiki | Fandom
木浦 幹雄 / KIURA Mikio @ANKR DESIGN
@kur
テツロー
@punpupuuuun
·
返信先:
@bombombomb2017
さん
事例あります(ドヤァ)で終わること多いですよね。。。なんで?って聞くと、信頼性、コスト、納期ぐらいしか皆さん言わないですし。。。
ここで"信頼性"という語を思い出す。これは「reliability」の訳語だろうか。統計やモノ、サービスがどれほど"そうである"という期待を持てるか、というところか。この概念は信憑性、確実性とも言いかえられる。やや"信頼"からは離れた言葉のようだ。
話が逸れた。まあ、ここまでの感じを見ると、「聞いた話を元に株を買うことと、株を買うために金をそいつに預けること。」は、双方、信用した結果の行動というところか。
信用は、必ずしも信頼を必要とせず、例えば過去の実績や、業績などを理由に行うことができる。という感じだな。
モノに使う場合は、"機能を発揮することの期待"(0/1)が信用で、"可用性、もしくは妥当性を期待すること"(1が継続すること、あるいは1が1であること)が信頼かもしれないが、調べたりないし、もう飽きたのでまたいつか。
地球圏で生まれ、働いていた地球人だった私が、とある事情で宇宙コロニーで働くことになった。
宇宙コロニーといっても、人口数十万で、地球へのアクセスは悪くなく、商業施設は充実している。
ただ、車がないと不便で、休日に出かける場所がジオンかジオンになってしまうような、よくある辺境コロニーである。
東京のベッドタウンで土地だけは広いから人口は無駄に多いけど、イオンすら車がないとアクセスが厳しいし、雄大な自然はないけど、娯楽施設も観光施設も文化的資産もなく、特色ある施設と言えば鉄道博物館くらいで、県民は遊びに行く時はみんな東京に出る。東京に隣接しているから東京の恩恵は受けられるけど、埼玉県内には戸建て住宅とちょっとした商業施設しかなくアパートですら殆ど見かけない有り様。田舎以外で表現する言葉がないくらいに田舎。人口さえいれば都市になるってのはあまりに無理筋過ぎる。
> もし、黒人がどうとか女がどうとか政治的な議題になったら、弱者男性はお前らを殺す権利が生まれちゃうよな
読解あっているかわからないけども、今は弱者男性が政治的な議題になっているから、他の属性に生存権を握られているということ??
昨日見たテレビの話とかしても同じ番組なんて見てないんだしさ誰も。
誰々さんって変わってるよねーから始まって「まあ個性だよね」「アスペルガーって奴かも知れないからそっとしておこうかー」で終わる感じ?
自分基準での「痩せすぎ」「太り過ぎ」「飲まなすぎ」「健康に気を使いすぎ」「自炊アピールやりすぎ」「自炊してなさそう」とか好き放題言うわけだが、お互い様だから別に問題ないっていうか、そもそも心の中でそういう風に思ってるんだからどうせ口に出さなくても一緒というか。
人間を話題にした雑談をやたら否定する人って、単に自分が他人に興味がないだけでしょ?
それか自分は他人と違って世の中の本質的な難しいことを考えているから、身近な人間如きのことでいちいち口や耳を動かす暇はないって調子に乗ってるんじゃないの?
結局さ、近くにいる他人のことをこの世界に何十億といるモブキャラの一人だとしか思ってないから全てがどうでもいいんだろ?
そこに一人の人間の数十年というドラマがあるってことを感じ取れる普通の人間は差、そこに興味を持っちゃうのが当たり前なのよ。
つまりね、他人の悪口で盛り上がりすぎだろと言ってる奴らは別に心優しいから人の事を変に言わないんじゃなくて、他人のことを社会を動かす歯車ぐらいにしか見てない冷血動物だから他人の全てがどうでもいいんだよね。
まあつまりは、自分を優しいと思ってるけどその理由は優しいという概念を理解するための共感能力がそもそも身についてないだけのサイコパスってことよ。
元増田だけど、ぶっちゃけこの人のいうこともわかる。ヨーロッパに関してはイタリアとか木切りまくって建物なかったら砂漠みたいなところもけっこうあるもんな。スペインとかポルトガルとかフランスも、モノカルチャーやりすぎで酷い状態。オランダとかも環境大国とかいうけど、自分のところの汚染を嫌って、アフリカに肩代わりさせてるだけだろって思うことも多い。環境対策って経済競争の武器にも使われているから、ヨーロッパは我田引水考えて環境問題=CO2上昇+プラスチックみたいに言いたがるけど、窒素リンリサイクルとか、新規化学物質(核汚染含む)とか考えたら電気自動車なんてクソじゃん。そういうのも本当に疲れてしまった。
アメリカは…考えている人は商機でもあるしうんと考えてるけど、まだ天道説も信じている人がいるような国だし、エネルギーの使いっぷりは異常で…疲れるね。
絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。
少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。
絵を描くときには基本的に目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。
これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲンの意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。
でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄な行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。
最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラストを凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。
リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師は別世界に棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである。
だがしかし、絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。
それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。
他の、著作権がどうのという問題は、絵師が共通で抱えている嫌悪感のすり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆が無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。
冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。
少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIのファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。
おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。
当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。
最近は、どうみても実写丸出しの自称「アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道陣である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社と関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。
どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替えて問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。
だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自の問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ。
この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから、比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。
機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。
これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語の論文を機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳は考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章に意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。
小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。
そうした現状にあるのに、海外製品の公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。
これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。
なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。
それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージは存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。
というわけだ。
現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。
さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。
彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから、絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージが市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分は市場に支持されているのだと信じることができた。
が、今は違う。
生成AIから出しただけの画像と手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまったからだ。
だから、自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望は理解できる。
そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像のクオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。
高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげな画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。
そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージを理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術を評価してくれない」という絶望の世界だ。
それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在の伝統的製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体の喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。
何となくだが、男だと「格下認定してる側からなぜかマウント取られ」ても必死だなあwで終わらせる人多そう
そこが違いかもね
それは旧札についての判定をセキュリティチップによってのみ行っている、という前提だろうが・・・
例えばセキュリティチップ以外の部分が単なる白紙でも真札判定してしまうほどのガバガバ判定にせよとでも言うのか?
まぁセキュリティチップというのは「旧札における偽造防止の特徴点の1つ」を比喩していると捉えておくが、
実際には読み取り機はいくつもの観点から札の真偽を判断しているだろう。
で、新札の登場時に古い読み取り機でも新札を使えるようにするには
古い読み取り機が着目する旧札の特徴点すべてを新札でも踏襲する必要がある、が、
各メーカーが独自に解析して割り出した旧札の特徴点をどうやって網羅するんだ??
いくつあるのか知らんが、全読み取り機メーカーに判定仕様を提出させるのか??
スーパーウルトラ社外秘かつ偽造組織に絶対わたってはいけない情報を社外に持ち出す??
そこを何とか持ち出したとして、全社のロジックを確認した結果、新札に踏襲しなくてはならない特徴点が1000とかあったらどうするんだ?
少なくとも「旧札用の読み取り機で新札も読み取れるようにする」のであれば
だから「旧札の時点で発行側(国)が真偽判定の仕様を作成し、読み取り機メーカーは一切独自判断を行わない」という条件が必須だ。
その条件がない場合、前述のような到底実現不可能な全メーカ特徴点網羅の課題が待っている。