はてなキーワード: 「チョン」とは
例えば嫌儲民の書き込み情報が個人を特定できる形で流出したとする。
そしてある嫌儲民が日本人の蔑称であるとされる「ジャップ」という言葉を連呼していることが発覚した場合、
その嫌儲民は日本人を差別する差別的な人であると批判を受けるだろうか。
「『ジャップ』という言葉は嫌儲民の持ちネタであり、この書き込みは差別的ではない」と思う人がいれば、
「『ジャップ』という言葉は差別的であり、この嫌儲民とやらは差別的な外国人なのだろう」と批判する人もいるかもしれない。
ではこれが「めくら」「部落」「チョン」などの言葉を使っていた場合はどうだろうか。
各々で思うことはあれど、結局は「個々の発言の文脈やニュアンス次第」となるだろう。
そう、つまり、その発言が差別的かどうかは文脈やニュアンス、そして読み手の判断によって決まるものなのだ。
ここで本題に戻るが、件のサッカー選手デンベレが、本来プライベートな状況でラフに発言したフランス語のそれを日本語に翻訳した文章からは
否、できない。
フランス語を理解する人のあいだでも判断の分かれている微妙なフランス語を日本語に翻訳した文章から、その微妙なニュアンスなどわかりようもない。
前後の状況も判然としない短い動画からは文脈もわかりようがないだろう。
いや「ネトウヨ」と「ツイフェミ」は大体同レベルだと俺も思うけど、「チョン」や「ニガー」をそれと比べちゃダメでしょ。
それを安易に同列に並べる言動がまさに「ネトウヨ」や「ツイフェミ」”的な振る舞い”そのものだと思うよ。(単なる売り言葉に買い言葉だろうからそこまでネチネチ突くつもりもないけど。)
「妥当な定義があるかないか、妥当な用法で使われているか」と「定義・用法そのものが差別にあたるか」は全く別の議論だよね。そもそも前者の話をしていたはずだよ。
「ネトウヨ」や「ツイフェミ」という用語の定義・用法そのものが差別にあたるか?という問いには、「あらゆる罵倒は差別になりうる」という視点から肯定することも論理的には可能ではあるけど、それは「チョン」や「ニガー」といった用法が持つ明白な差別性に比べたら遥かに弱いよね。
「バカでもチョンでも」という慣用表現における「チョン」とは「朝鮮人」を指す差別用語である――
という言説に対し、
――「バカでもチョンでも」における「チョン」は朝鮮人のことではない
とする反論がなされて、いまではそれが定着している。
頭が悪い人に対する「ちょん」という蔑称は江戸時代から存在しているので、朝鮮人に対する蔑称とは別物だ、というのがその主張である。
まず、その頭が悪いという意味での「ちょん」の語源はどう語られているのか、と調べてもはっきりしない。
拍子木の「ちょん」という音に由来する説と、「ゝ(ちょん)」という踊り字に由来する説とが一応あるが、それがどうやって「頭が悪い」という意味になったかの説明は曖昧である。
公益役職などにおける役務を帳票に記す際、筆頭名主は役職名と姓名を記したのに対して、筆頭以下の同役に対しては「以下同役」の意味で「ゝ(ちょん)」と略記したうえで姓名を記したことに由来し、「取るに足らない者・物」を意味した。
などとWikipediaに書かれていて多少の納得感があるが、これは定説にはなっていないようである。
一方で「ちょん」の最古の用例として挙げられるのが、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』である。
ちょん
[名]
4 俗に、頭の悪いこと。また、おろかなこと。
「ばかだの、―だの、野呂間だのと」〈魯文・西洋道中膝栗毛〉
しかし、「ちょん」の用例が、明治三年の『西洋道中膝栗毛』よりも遡らないのであれば、そもそも江戸時代からあったとする話は怪しいのではないか。
西洋道中膝栗毛での実際の表記は「馬鹿だの豚尾だの野呂間だの」で、「豚尾」に「ちょん」という読み仮名がついており、これは明らかに当て字である。
日清戦争(明治二十八年)の頃には、中国人の蔑称として「豚尾」「豚尾漢」などが使われていたらしい。
明治三年の時点で「豚尾」と「中国人」が結びついていたかは定かではないが、仮に「チョンは朝鮮人ではなく中国人の蔑称だった」なんてことになるとややこしさが極まってくる。
あるいは、「バカでもチョンでも」という表現は、明治や大正の頃でさえ広まっていなかったのではないか、という疑問もある。
調べてみても『西洋道中膝栗毛』の他に同時代の用例は出てこない。
Google Booksなどで検索してみても、どうも広く使われるようになったのは昭和に入ってからだという感じがする。
一方で、朝鮮人が「チョン」という蔑称で呼ばれるようになった時期はいつごろだろうか。
こちらの時期もはっきりとしないが、戦前に遡ることは確実である。
となると「バカでもチョンでも」が広まった時期と「朝鮮人=チョン」が広まった時期とが接近してくることになる。
朝鮮人のことを「朝公(あさこう)」と呼んでいたのが「チョン公」となり「チョン」となった、というのが一応の定説である。
が、頭が悪いという意味の「ちょん」と掛けて朝鮮人のことを「チョン」と言うようになったという説もある。
そうであれば無関係どころかがっつり関係している気がするが…。
1960年代に自動露出のコンパクトカメラが発売されて「バカチョンカメラ」と呼ばれるようになった(ただしこれはVacation Cameraの日本語読みという説もある)。
一種の流行語のように気軽に「バカチョン」と言われるようになったのはこれ以降である。
それから1975年には三笠宮崇仁親王が言った「バカチョンカメラ」が差別用語とみなされて抗議を受けたという。
以降、散発的に抗議が起こり、「バカでもチョンでも」は差別用語である、とする認識が1980年代に形成されていった。
「バカでもチョンでもは朝鮮人のことではない」といったカウンターが盛んに言われるようになったのは1990年代からか。
以上から、「バカでもチョンでも」のチョンはやはり朝鮮人のことであった…などと強弁するつもりは、もちろんない。
ここで言いたいのは「『ちょん』という蔑称は江戸時代から存在していて朝鮮人に対する蔑称とは別物だ」という主張は怪しいぞということだ。
この頃正直覚えていない
ネットユーザーは一部を除いてほとんど政治に興味がなかったと思う
この頃も実は大して盛り上がっていないが
大体の論調は
・マスコミがどうやらひどい
・中国怖い
みたいな感じだったと思う
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8D%B1%E9%99%BA%E6%B3%95%E6%A1%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF
時期は前後するが、こういうのだ
・1000万人移民政策
・裁判員制度(可決済み)
改めて分析すると、これらは
・何らかの規制
になっている
いわゆる「憂国」ってやつで、この思想は今でも続いていると思う
例えばブロッキングに対するはてな界隈の強い反発は「何らかの規制」に対する反発に非常に似ている
表現の自由に関わる話もそれに該当する
mixiなどのSNSがブームだったことも有り、結構な規模のデモにまで発展した
とは言っても、それでも民主を持ち上げる声はなかった(ギャグ要員と思われていた)
自民以上にやり玉に挙がっていたのがメディア(マスゴミと言われ始めた頃)で
簡単に言えば「俺らがこんなに気にしてる危険法案を報じないのは意図してやってるに違いない!」みたいな雰囲気があって
「国の問題(中韓問題)」に対して、中韓に対して強い姿勢を取った麻生内閣は非常にありがたがられた。
プラスして、漫画文化に明るいということでそういう層も取り込んだ。
ここで勢力が分断したのかもしれない。
麻生内閣を持ち上げる一群がある一方で
これが後にネトウヨと呼ばれたと思う
「ネトウヨ」と言う単語が盛り上がったのは、政権交代があったからだ
これは悪口として使われた
結局互いの勢力の悪い部分を論って「これだからネトウヨは」「お前ネトウヨだろ」という風に使われた
奇しくもそれは少し前に韓国人のことを「チョン」と言って笑っていた状態に似ていたが
もちろんどの層にもまともな者からおかしな者まで居たので、どこでも起きていた現象でしかなかった
「反マスコミ、麻生支持、アニメ好き」という勢力が、「自民支持」ということになったのは
むしろ当時民主支持だった人が「自民支持」と呼んだのが発端な気もするが
その後色々あって、民主党への反発として自民支持の色を強めていったと思う
ちなみに鳩山内閣が誕生したときは、アレだけ煽ってた人も「マジかよこいつかよ」みたいな反応をしてたので
ここらへんは非常に落ち着いていたというか
どの勢力も、急速に政治への興味を失っていったように視えるのは私だけだろうか?
そしていよいよこの時代になってインターネット世論は落ち着いてしまい
元々ネトウヨと呼ばれていた層は、安倍・麻生支持者が大半だったので声を荒げる必要はなくなり
最近は「反安倍」という勢力としてまとまりつつあるが、はてな等極一部で盛り上がってるだけに見える
振り返ってみると、インターネット世論のイデオロギーというのはどうも稚拙だと思う
といったように、我々インターネット世論の拠り所は「何に対して腹が立つか」「何のアンチなのか」が非常に大きいウェイトを占める
それを言ったら、一個上の世代の論調は右翼に反対して左に寄ってるし
更に上の世代はその上の世代の反対で右翼によったみたいな話も聞く
別々の勢力にいる人でも、敵が同じなら味方になるような、そんな人種なのかもしれない
次は何のアンチになるんだろうか
そう言えばまとめブログについて触れるのを忘れていた
麻生政権~政権交代付近で、たまたままとめブログが盛んになったおかげで、情報の偏りが生まれ右翼左翼両方の濃度が増したんじゃないかと思う
まとめブログが縮小しSNSが台頭すると、言論の統一が難しくなり、自分で考える人と、昔の感覚(例えば嫌韓)を引きずってる人に別れたのではないかな
嫌韓問題は、とにかく切れ目なく韓国が色んな事をするので、しょうがない面も大きいと思う(拉致問題も含む)
一方で韓国良いよって言う人の意見も耳に入ってきたことで、良い面の知識も増えた
韓流文化や韓流アイドルは、最初ゴリ押しな感じが強かったが、徐々に成長し身内でも「韓流ドラマ良いよ」みたいな声が上がってきたお陰か
嫌韓の人でも「ドラマや映画やダンスは良いよね」って言う人が増えていて少し面白いと感じた
中国もすっかり経済的に成長してしまったので、中韓とは仲良くする流れになるとだろうと思っていたら
https://anond.hatelabo.jp/20170817200113
ご存じの通り、韓国では、戦後40年以上の長きにわたり反日教育を続けてきました。
徹底した反日教育を受けた子供達も、成長し社会に出て活躍を始めます。
当然、韓国の若者達は「日本人は悪人」だというイメージを持っています。
韓国も経済復興し、世界中の様々な場所で活動することになるわけですから、悪口も日本人にも伝わってきます。
お隣の国が、日本に対し悪口罵詈雑言を並べ立てる以上、仲良くできるわけありません。
有名なところでは、故本田宗一郎氏の「韓国人とは関わるな」発言があります。
アジア諸国への技術支援のという事で、昭和40年代前半に本田技研の創業者、本田宗一郎氏が、台湾と韓国へ技術支援に行きました。
暫くして、台湾から、「日本と同じものが作れるようになりました。是非見に来てください!」と、嬉しい連絡が入りました。
我ら韓国でも「日本と同じものが作れるようになりました。もう来なくてもいいです。」
そして韓国は本田とのライセンス契約を一方的に解消し、エンジンからデザインまで全くのコピー品を”韓国ブランド”として販売を始めました。
本田宗一郎氏は大変失望してこう話したそうです ”韓国とは絶対に関わるな”と。
この無礼な態度は、バイク、自動車、エンジンなどの産業に関わる人を中心に、日本国民の知ることとなりました。
暴力団を抜けろとか、覚醒剤を辞めろとか、むしろそういうことですれ違いになるならわかる。
金銭的利益やしがらみや中毒症状なら、おいそれと辞めようと思って辞められるものではないのは、気持ちはともかく頭では理解してやれる。
でもたかだか、日常会話で「チョン」だの「ニダ」だのいちいち言うな、反日だ在日だなんてくだらない敵対意識を持つのはやめろと言うだけのことが、ここまで伝わりもしないとは思わなかった。
もしかしたら精神医学的には、それこそ覚醒剤並の中毒症状のある、一種の病理なのかもしれない。でも、これはどうしても理解してやる気にはならない。
どこまで行っても根は同じ人間同士であるという、人と人とが上っ面だけでも諍いを起こさず共生していける最低限の同意を、覆す行為だ。
人間のいのちに対する敬意を持てない奴に、どうしてこちらから敬意が持てる?
差別主義者(racistの訳。本来の意味は「主義」の有無など関係ない、人種で差別する人、という意味)は人殺しと変わらない。かれを差別するものはわれも差別する。そういう、人間と言う種そのものに対する敵対者だ。
相手がどんな奴であれ、人を「殺そう」と思って殺す奴には本能が警戒する。俺のことだっていつ「殺そう」と思うかわかったものではない。少なくとも彼の選択肢には、彼に取って邪魔なやつ、いやな奴を、場合によっては殺す、という項目が存在するのだ。
俺にはもう、彼の「友人」に対する好意すら信じることができない。
彼は「友人」じゃなければここまで全てを否定する攻撃性を持つ事ができるのだ。「友人」じゃなくなれば、俺も何を言われるか、されるかわからないのだ。
そんな「好意」を、どうして素直に受け取れる?
彼とは明確に絶交したわけではないが、もう俺は彼を友達と思う事ができない。
彼に「友達」と思ってもらえるという自信もない。