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https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13293425613
みたいな主張、ようは「数学的に証明されたら感覚的なことではない。感覚じゃない事実なことを示すために証明するんだ」みたいな主張に対する違和感から始まってんだよね、元増田は。
いや、定義自体が、人間にインプットされた「同一/非同一」とか「書き換える」みたいな原始的な観念/身体感覚に依存してる部分が多少なりともあって、このプリセットが全人類で同一か確認する術が不可知なのだから、
「感覚をあいまいなもとみなし、そこから『全く』逃れるために証明するんだ」という考え方は、誤りだろって突っ込みたい動機から始まってるんだよね。全くじゃなく、程度問題だろ、全く感覚の影響を排除できてるというのは思い上がりだろっていう。もちろん厳密であろうと努力する態度は尊いと思うよ。
数の概念は文化や歴史によって変化してきた。古代ギリシアでは、1は数ではなく単位とされていたが、現代では自然数の集合 N の最小の要素とされている。
数の概念は哲学的な問題を引き起こすことがある。無限や超準数といった数は直観に反する性質を持つ。例えば、無限は自分自身に加えても変わらないという性質を持つ(∞+∞=∞)。超準数もまた通常の数の演算法則が成り立たない(ω+1≠1+ω)。
数は実在するのか、それとも人間の心の産物なのかという存在論的な問いもある。数の実在主義は、数は客観的な実在であり、人間の心とは独立して存在すると考える。数の構成主義は、数は人間の心の産物であり、人間の言語や思考に依存して存在すると考える。プラトニズムは、数はイデア界に存在する普遍的な実在であると考える。ピタゴラス主義は、数は万物の根源であると考える。論理主義は、数は論理的な体系から導き出されるものであると考える。
数の概念は数学の基礎付けにも関わる。数学の公理や定理は、数の概念に基づいて構築されているが、その正当性や完全性には限界がある。ゲーデルの不完全性定理は、数の概念を用いた形式体系には矛盾しないが証明できない命題が存在することを示した。
数の概念は、かつて客観的な現実を表すものと考えられていたが、量子論の発展により、数はより複雑で主観的なものである可能性が高まった。古典物理学では、数は物理量と一致していたが、量子論では、数は物理量とは別の抽象的な概念として使われている。
自我や自由意識と同様に、数の本質はまだ解明されていない。しかし、量子コンピューターは数の概念を利用して作られており、数は物理システムを表現する有効なツールであることは、どのレイヤー、スケールにおいても明らかである。
数の概念は私たちの知識や理解を拡張するものであり、同時に私たちの疑問や不確実性を増やすものでもある。
数の概念は、私たちの世界に対する見方を変える力を持っている。(どやああああ)
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https://anond.hatelabo.jp/20240216124331
いや、そうではないです。
「概念自体」というものが存在すると考えてしまうこと(そしてそれを認識可能だと考えること)を神学者的だと言ってます。
規則や概念を定義したら、それによって、その規則や概念から導かれる論理的世界の全体が「一挙に」決定される、と考えてませんか?しかし、まだ誰も計算したことのない計算式の結果があらかじめ決定されているとするなら、それは経験を超えた神の国が存在すると言っていることになる、ということです。
私の考えでは、1+1=2という計算は、頭の中で1gの水と1gの水を混ぜ合わせているようなものです。つまり物理実験です(ニューロンの活動は物理現象ですしね)。物理実験なので、何かしらの要因でたまに結果がブレることはあります。同様に、数学の計算も、「ある結果が非常に出やすい」ということはありますが、「ある結果でなければならない」という性質は持っていません。つまり必然性を持ちません。
数学が特殊なのは、一度計算し合意された結果が、その都度「規約」に昇格するということです。数学におけるすべての推論は、実はそれ自体がルールになってるのです。
しかも、その操作と「1に1を足す操作(1+1)」が等しいことの証明は、1+1=2の証明というより、1+1=(1*4)/2というまた別の証明に過ぎなくないかい?
いや、それは2が実際には別の形で定義されてるからであって、2の定義がもし「1を4倍にして半分にした数」だったら、これこそが1+1=2の証明だよ
一応「応用性がない」ってのはその通りだと思ってたけど、ちゃんと証明として自体の不備もあるんだね?[
でも
「1を4倍にして半分にする操作」
は、1+1という左辺とは別の形で定式化されるものなので、1+1=2という証明とは無関係ではないか?
しかも、その操作と「1に1を足す操作(1+1)」が等しいことの証明は、1+1=2の証明というより、1+1=(1*4)/2というまた別の証明に過ぎなくないかい?
元の質問に対する回答になるけど、
1+1=2があまりにも自明だから違和感を覚えるだけで、例えば2の定義が「1を4倍にして半分にした数」だったら、「1に1を足す操作」と「1を4倍にして半分にする操作」の結果が同じになることを証明する必要があるのはわかるじゃん
「1は0の次の数」みたいな定義を使った証明がありますが、私が証明の意義を理解してないからなのかもしれませんが、ただ回りくどく等式を説明してるだけのように見えてしまいます。
というのも、たとえばこの等式の状況は自然言語で表せば、青い玉と赤い玉が一個ずつあったとして、これらに対して二個ある黒い玉とペアを作ろうとしたならば、余りが出ずペアが作れるということだと思います。
ペアにしたとき余りが出ないということは、物体がなんであるかを無視してその数だけを考えたときに、一方と他方の個数が一致しているということでしょう。
今、黒い玉は2個だといったのだから、それと余りなくペアが作れる赤い玉一個と青い玉一個について、物体がなんであるかを無視して、いやこの場合色の違いさえ無視して「玉の個数」ととらえたならば、この個数も2個であるはずですよね。
そして色の違いを無視した個数というのは、色の違いを無視しないで数えた各玉の個数の合計と同値でしょう。
そして1+1=2というのは上記の議論を踏まえた命題「~二個である」を個数に注目して定式化したものにすぎないなのですから、上記の議論が正当なら、それに定式化されたものとして対応している1+1=2という等式も正しいことになる、と私は考えています。
しかし上記の議論は「証明」とはまた違うような気がします。ですがだからこそ、1+1-2の正しさは別に「証明」によってなされるほどのものでもないと思いました。
に対して常軌を逸した返信が来た。
こういわれるとさすがに、お前の書き込みにしたって「説明」や「定義」「ありません」等の定義がないんだがって言いたくなるんだけどこいつがおかしいんだよな?
↑
これが一番おかしい。逆にするなら28歳女性と23歳チビ男性だよね。
「男も女も同じ仕事をする職場にあって職場の代表たる存在にわざわざ性差をつける行為は性差を求めているというメッセージに繋がるんだよね
若い女性しか求められていないのかなーとか、キャリア積んだ女性はいないのかなーとかね」
↑
募集要項が男女感で異なるなら分かるけど、キャラクターの設定からメッセージを受け取るのは妄想に近いよね。「○○なのかなー」なんてぼやかした言い方してるのはそれが妄想に近いからだよ。
一番引っかかったのは53歳と23歳って形にした部分だけど、多分28歳女と23歳男じゃあんまり違和感ないなって思って後付けしただけだよね?
御坊茶魔のキャラクターをGURPSシステムで表現する際に、有利な特徴と不利な特徴のバランスを取ることを目指し、キャラクターポイント(CP)の配分を考慮してみましょう。具体的な数値はGURPSの詳細なルールやゲームのバランスに依存しますが、一般的なアイデアを以下に示します。
- **特異体質 (Unusual Biochemistry):** 金持ちになる体質など。+10 CP。
- **交通手段 (Vehicle):** 亀に乗る特殊な移動手段。+5 CP。
### スキルとその他の特徴
キャラクター作成時には、有利な特徴と不利な特徴のCPの合計が均衡または所定のキャラクターポイント制限内に収まるように調整することが重要です。このプロセスを通じて、御坊茶魔のような複雑で魅力的なキャラクターをGURPSで再現することが可能になります。
実際のゲームプレイでは、GM(ゲームマスター)や他のプレイヤーと相談しながら、このキャラクターがストーリーにどのようにフィットするか、またはキャンペーンのテーマにどのように寄与するかを検討することが有益です。