ふてくされつつ、ちょっと冷静になってみた。
APIが提供されてるって事は、既に某かサービスが提供されてるんじゃねーの?
…。
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http://anond.hatelabo.jp/
忘れた。
どこからいらしたの?
忘れた。
お父さんは?
忘れた。
お母さんは?
忘れた。
おいくつ?
忘れた。
おどりゃー人間か?
えーん(A)、えーん(A)。
泣かすな。こいつ"A"frican-"A"merinanなんじゃねいか。ほら、鼻の形。
恐ろしいこじつけだな。しかし、…こいつを作った(置いてった)奴は出て来ーい!
よかったですね。
これは Google に保存されている http://tekipaki.jp/~oldmania/ura_folder/doujin.html のキャッシュです。 このページは 2009年6月26日 20:44:41 GMT に取得されたものです。 そのため、このページの最新版でない場合があります。 詳細
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C翼同人誌昔話
ここでは私が見たまま感じたままに、C翼全盛期頃の昔話をしていきたいと思います。私は買い専一筋で、自分で同人誌を作ったことはまったくありません。
本来なら、こういう話は描き手だった皆さんがするべきなのだと思いますが、買い専が外から眺めた話もたまにはいいかと思いますので
つれづれなるままにつづっていこうかと思います。
また、あまりにも大昔の話であるし、初期の頃買った同人誌はすべて捨ててしまっており、手元にはまったくないため記憶のみを頼りに
書いているため、記憶違いがあるかもしれません。あまり語られることのなかった黎明期のお話を始めたいと思います。
それに同人史関係のインタビュー記事などに登場するこの手の話をする人たちは東京か大阪在住だった大手同人作家の人達ばかりなので、
そんな世界とは無縁な片田舎に住んでいた漫画好きの一般人(こんなサイト作っている点で一般人ではないのかもしれない)に
同人界というものがどう目に映ったのか、地方民から見た同人界というものを語っていきたいと思います。
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キャプテン翼がなかったとしたら
キャプテン翼以前の同人界
いつかだれかがどこかで
健小次はどこから来たの
同人誌23歳引退説
淘汰され行く同人誌
あっという間に世間を席捲
定番パラレルの登場
他のジャンルが出回る頃
同人誌は何のためにあるのか
同人誌はなぜおもしろかったのか
星矢のことトルーパーのこと
キャプテン翼がなかったとしたら
現在同人誌は何万冊出回っているのでしょうか。田舎の小さな本屋にまでアンソロジーや時には同人誌そのものが置かれています。
ボーイズラブだけでひとつの棚が埋まっている。若い人は知らないだろうけど、キャプテン翼以前にはボーイズラブなんていう
ジャンルそのものがなかったのよ。お耽美juneというのはあったけどね。「風と木の詩」とかね。外国が舞台の寄宿舎ものとかね。
それがいまやホモ漫画の専門誌がずらーっと本屋に並んでいる。やおい同人誌そのものまで本屋で売っていたりする。
これが当たり前みたいな状況になっていますが、はっきりいって間違っている。この間違った状況を作ったのがキャプテン翼。
サッカーのほかに日本にやおい文化を作ってしまったのがキャプテン翼。
キャプテン翼がなければ現在の日本の同人界はこんなに大きくならず、地方の公民館あたりでファンジンが細々と売られているだけだったと思います。
そんなばかなー。もちあげるのもいいかげんにしろと言われるかもしれませんが、事実は事実だと思います。
聖闘士聖矢は傑作ではありますが、車田正美の個性が災いしてキャプテン翼ほどのムーブメントにはなりえず
同人界に大きな広がりを持たせた「トルーパー」はその方式のすべてがキャプテン翼の遺産を引き継いで作られたもの。
「トルーパー」単独では現在の同人界を作る力などないと思います。
だいたいトルーパーは地方では放映されていないのです。サイバーフォーミュラも地方じゃ未放映。
それに比べて「キャプテン翼」は25~40歳ぐらいの人なら知らない人のほうが少ないであろう超メジャー漫画。
当時はジャンプの一人勝ち時代でしたから喫茶店でも病院の待合室でも置いてあるのは必ず「少年ジャンプ」
当時のラインナップが「北斗の拳」「キン肉マン」「キャプテン翼」「ウイングマン」「ドラゴンボール」「シティハンター」「きまぐれオレンジロード」
「「魁!!男塾」「銀河-流れ星銀」「ハイスクール奇面組」「ついでにとんちんかん」「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でした。全部アニメ化されてるね。
オタクなものに縁のない私の亭主ですら「キャプテン翼」のキャラのほとんどの名前を知っていたりする。
元々はその超メジャー漫画のファンジンが発達してできたものだったんだけれどねえ。
時代がずーっと後になって出てきた「スラムダンク」にそれだけの力があったのかどうか。それはなんとも言えないなあ。
キャプテン翼はショタコンの最初の巨大ムーブメントでもあるので、ショタ萌えできない「スラムダンク」が現在の同人界を作れたのかどうか。
荷宮和子さんが「キャプテン翼」が女性にとっては「もしも少年に生まれていたのなら遅れたのかもしれない青春の日々」であるのに対して
「スラムダンク」は「ぼくたち男の子、きみたち女の子」である。だからキャプテン翼ほどの巨大ムーブメントにはなりえなかった、と書いておりましたが
やっぱりそれだけの力はないでしょうかしらね。「幽遊白書」「封神演義」単独でブームをおこせたかどうか今となってはわかりませんが。
とにかく「キャプテン翼」は同人界のすべてを変えてしまいました。85~86年の二年間で同人界の二十年分くらいの変化が起こったと思われます
キャプテン翼以前の同人誌界
実は私は詳しいことをほとんど知らないんです。私は少女漫画おたくでしたから「ぱふ(だっくす)」とか「ふゅーじょん・ぷろだくと(コミック・ボックス)」の愛読者でした。
当時の「ぱふ(だっくす)」「ふゅーじょん・ぷろだくと(コミック・ボックス)」は高級な漫画評論誌で今のようなミーハーなものではありません。
当時出版されていた少女漫画雑誌をことごとくチェック。毎月LaLaとプチフラワーとプリンセスを購入。友人のものを回し読みしていたのが「花とゆめ」
「週刊マーガレット」「少女コミック」。あと「グレープフルーツ」とか「Duo」とかいった少女漫画高級紙を立ち読み。フレンド系は読んでなかったな。
同人誌の存在は知っていましたが興味なし。「ぱふ」や「ふゅーじょん・ぷろだくと」で毎月3ページぐらいの同人誌紹介コーナーがありましたからそれで
知っていただけで中身はあまり知らないんですよね。紹介されているのは創作漫研と漫画やアニメのファンクラブ会誌がほとんどで、いわゆる「やおい」
なんてほとんど載っていなかった記憶があります。「やっはるー」とか「らっぽり」とか「ラヴリ」とか「クイーン」とかが人気同人誌らしかったですが、
田舎の今は無き本屋になぜかそれらの本が置いてあって読んだことはありますけど内容全然覚えていないです。
ぱらぱらと見ただけですけど質の悪い紙にぜんぜん知らん素人の漫画が載っているという認識しかなかったです。
「ぱふ(だっくす)」だの「ふゅーじょん・ぷろだくと」だのは富山市か金沢市まで行かないと売っていませんでしたから、当時の田舎の女子高生は私のようなよっぽどの
おたくでもない限り、同人誌などの存在は知ることはなかったと思います。コミックマーケットは当時でも行われていましたが、東京人ならとにかく田舎者が
そんなものの存在を知るわけがありません。「ぱふ」読者の高校生だった私はコミックマーケットの記事を85年まで見逃していました。
記事が載っていても読もうともしなかったのです。それくらい田舎者には遠い世界でした。
「OUT」も毎月読んでいましたから、シャア×ガルマとかマーズ×マーグとかあることは知ってはいましたが、
ホモ漫画の大嫌いな私には興味のない世界でした。
あと、友達の漫研の会誌とか「肉筆回覧誌(その名の通り、肉筆で描かれた漫画を友人間でまわし読みする)」とか見たことがあります。
とにかく田舎の一般人は知る由もない、これが「キャプテン翼以前の同人誌界でした。
いつか誰かがどこかで
さて、最初のC翼同人誌って誰が作ったのでしょうね。誰が始めたというわけでもなくある日突然50サークルぐらいがどーんと出てきたのだそうですけど。
最初のC翼同人誌は83年ごろから見られたそうですけど、単なる原作ファンクラブ誌であったと思います。
私がファンになった頃、通販で最初に手に入れた同人誌もそういうタイプのものです。会員から原稿を募りそれを集めて本にしたという形式のものです。
会員数はだいたい2、30人といったところで内容は、似顔絵と原作の感想文で構成されていました。それにギャグ漫画なんかがついていることがあります。
漫画といってもページ数は多くて8P程度のものです。会員さんは若くて中学生と高校生中心。小学生も多く混じっており男性も何人かいました。
男女混合低年齢、イラストというより高橋陽一の絵の模写を会員が一生懸命描いたものと原作の真面目な感想文。こんな構成のまさにファンジン。
こんな初期のものでも手に入れたときは本当に嬉しかったです。私のほかにもこの漫画のファンがいるのね、この漫画が好きっていう気持ちが共感しあえるのね、って。
そのうち同人誌が直接買える即売会というものの存在を知りまして、さっそく出かけました。85年の春ごろだったかなと思います。
当時はまだカラー印刷なんてものが少なく、オフセットそのものが半分ぐらい。コピー半分。ガリ版なんてものもありました。
当時もうC翼は同人界の一大勢力となっておりまして、他のファンジンを押しつつある勢いでした。手にいれたもののほとんどがファンジンでしたけど
多少毛色の変わったものが何冊かありました。20Pぐらいの個人誌が一冊あったのと、初めて読んだやおい本…。
個人誌は当時実に珍しい存在でしたし、何よりもショックだったのがやおい本。 やおいのファンジンとでも言いますか、10人ぐらいの描き手がそれぞれ
5、6ページ程度のやおい(といってもキス程度。カップリングもいろいろ)を集めた本だったのですがそれで初めて男同士のベッドシーンを見ました。
しかも初めて読んだのが健小次で漫画だった…ギャグだったけど、すっごーいショックだった。男同士のベッドシーンなど少女漫画で何度も読んで
いましたからそんなものショックでも何でもないはずなのですが、少年漫画の自分の良く知ったキャラがナニをしているのにショックを受けたのです。
「うっ、心臓が…」と三杉くん状態になってしまいました。そんな本でもやっぱり高橋陽一の絵の似顔絵と原作感想文が入っているところが初期のファンジンなのです。
ひとつの本の中に健×小次だの小次×健だの小次×岬だの源×健だの源×岬だの小次×淳だのいろんなカップリングが脈絡もなくごちゃごちゃと入っていたり
していました。会員それぞれが自分の好みの組み合わせをそれぞれ描いて一冊にしていたのですね。
あと初期には別のジャンルのファンジンが化けました本もありました。本来なら「ゴッドマーズ」や「ボルテス」や「J7」のファンジンのはずだったのに
会員の大半がC翼に転んでしまって、集まった原稿がC翼ばかりのゴッドマーズ本やらガンダム本やらがありました。
やおいにしろシリアスにしろ短編ばかりで長編は見かけませんでした。が、そのうち長編を描く人が出てきました。
初期の長編は原作の穴埋め漫画中心です。高橋陽一が描きそうな話を高橋陽一のような絵で描くのです。原作で語られない番外編を自分たちで作るのです。
そのため絵はいかに高橋陽一の絵に近づけるかに重点が置かれていました。
以前はお耽美Juneサークルだった人たちまで必死こいて陽一の絵のまねをしていました。
健小次はどこからきたの
私が同人誌読み始めた頃は、小次健ばっかりで健小次なんて見たことなかったんだよねえ。
それもギャグばかりで…というか初期の頃は先に名前がある方が攻めで、後にあるほうが受けなんていう法則すらなかったし。
C翼でシリアスにホモなんて考えられない…。お耽美とはほど遠い健全少年漫画、スポ根漫画で何をしようというのだ
という考え方が一般的でしたもんねえ。
だからC翼でホモというのはむしろギャグの対象として使われていたんです。原作におけるあまりにも大げさな友情をからかい、笑うために。
健全健康な漫画のこいつらの友情表現大げさすぎてくさすぎて笑える…ほとんどホモと言う様に。
たとえばこいつらホモにしてみたらめちゃ笑えるというのと同じで、例えば「釣りバカ日誌」のスーさんと山ちゃんが実は出来ていたとか、
「美味しんぼ」の山岡四郎と海原雄山が出来ているとかそういうお笑いにしかならないホモの一種として描かれていました。
(釣りバカ日誌や美味しんぼのシリアスやおい本なんてあるんだろうか)
だってみんな高橋陽一の絵を耽美に描き替えようなんて思いつかず原作の絵まねして描いてたから、あの絵柄ではホモにしてもギャグにする
しかないもの。
からかいの対象になるのはそれでもやはり、日向×若島津で、「わざわざ埼玉から東京の私立中学にまで追いかけていくなんて
こいつ押しかけ女房かよ、わっはっは。」ということで二人を夫婦やカップルに見立てて笑いの対象にするのが初期の小次健といいますか。
その場合、女役、妻役にされるのは髪の長い若島津のほうでして、わざと若島津をどすこく描いてごつい奥さんとして笑いをとることはあっても
若島津を攻めにするのは見かけなかったなあ。
そんなおり、読者の日向、若島津感を覆すひとつの出来事が起こりました。少年ジャンプにキャラの公式プロフィールが載ったのです。
それによりなんと若島津のほうが、日向よりも背が高く、体重も重いことがわかったのです。これはキャラの上下感を作る当時の重要な要素です。
昔は年下攻めだの下克上だのそんなものありませんでしたから(攻めは受けより年上で体が大きいと決まっていた。)
それでもたった2cmの差でしたから、小次健ものはたいして気にしなかったり、原作設定無視したりでそれなりにやってましたけど
まずは小説だったと思うんですけど、若島津を攻めにして日向を受けにしてしまおうという逆転発想をする人たちが出てきました。
色黒で凶悪で野性的で口の悪い受けという設定はそれまでまったくなかった発想で、実に新鮮な存在でした。
絵も変化いたしました。みんな高橋陽一の絵を必死こいて真似する中、開き直って耽美絵で描く人たちがでてきました。
私は最初これ見たとき、「この絵のどこがキャプテン翼だ。こんなのファンジンじゃなーい。」なんてそりゃびっくりしました。
だって健全健康スポ根少年漫画と耽美なんてとても結びつける発想ができませんでしたもの。
キャプテン翼でシリアスやおいなんてえええええええっという感じで、そりゃあショックでして「こんなのファンのすることじゃなーい」
なんて最初言ってたくせに、あっという間にはまってしまいました。
あの頃は純情だったなあ…OUTに載った「シャワーボーイズ」・キャラみんなで石の湯に入りに行くというだけなのにものすごくドキドキしたし…
キャラを夫婦やホモカップルにみたてているイラストだけで大爆笑できたし
同人誌23歳引退説
その昔、同人誌はあくまでも若年のための文化でありました。同人活動は学生のするもの。
社会人となったら引退するという暗黙の了解のようなものがありました。23歳以上は同人誌活動をするものではない。
大学を卒業したら引退する。社会人になってまで活動するものではない。そういった認識がありました。
同人活動は学生さん中心で社会人で活動している人はとても少なかったように思えます。
同人誌の収入で生活する。専業同人など考えられない時代でしたからね。アンソロジーもありませんし。
同人誌=ファンジンでしたから、学生さんがお小遣いを出してファン活動をするファン会誌。こういう認識でいました。
ですから「就職のため、同人は引退します」というお知らせが良く見受けられました。
イベントに来る人たちも本当に若かった。売り手も買い手も若かった。25歳以上の人などめったに見られない。
ですからキャプテン翼最盛期にすでに20歳を過ぎていた私は、私のような高齢者は参加してはいけないものだと思っていました。
描くのはもちろん25過ぎたら買いに行くのもいけないことなのだと。ましてや30過ぎて同人など絶対に考えられない世界なのだと。
実際私が子どもを生む前に最後に参加したコミケでは、参加者が本当に若くて、26歳だった私は浮きまくっているように感じました。
昨年10ウン年ぶりにコミケに行ったのですけど、私のような高齢者がけっこう多くてびっくりしました。親子連れもいます。
時代は変わったものです。
淘汰され行く同人誌
初期のイベントでは大手も小手もなく、行列もなく、壁だの入り口だの場所わけもなく、みんなわきあいあいと並んでいる本を
端から順にみて買っていくことができました。「キャプテン翼」でひとくくりでまとめられてはいましたが、カップリングわけなどなく
やおいも健全もごっちゃで(だいたい一冊の本の中にやおいもあれば、健全もあり、カップリングもごちゃごちゃある状況だった。)
売れるサークルも売れないサークルもありませんでした。参加者もサークル数もそれほどでもなかったしね。
私はキャプテン翼を扱っている本ならどんなものでも買っていました。
小さなイベントなら売っている本を一冊残らず買ったこともあります。
「キャプテン翼」という漫画が好きという気持ちを共有したいから買うのであって、本の内容も出来具合も問題にはしていなかったのです。
でも徐々に参加サークルが増えてくると、いかに社会人で自由になるお金が多いとはいえ、売っている本すべてを買うというわけには
いかなくなりました。
それで買う本を選ぶようになりました。だんだん買う本にかたよりが見られるようになりました。私が買うジャンルは二種類で、ひとつは
オールキャラ総出演によるギャグ本。そしてもうひとつは日向小次郎と若島津健のカップルを扱った本でした。
ホモ漫画は苦手なはずの私でしたが、日向小次郎と若島津健のカップリングは感情移入して読むことができました。
最初は日向小次郎と若島津健さえ出てくれば、どんなカップリングでも買っていましたが、それでも追いつかなくなり、
日向×若島津と若島津×日向に落ち着きました。この組み合わせなら何でも買っていましたが、さらにサークルが増え
るとさらに選別するようになり、絵やストーリーの上手い人を選ぶようになりました。
そうしていたのは私だけではないはずです。売れるサークルと売れないサークルが出てくるようになりました。
「売れ線」というものが出てくるようになりました。世に言う大手サークルの誕生です。
やはり絵やストーリーの上手いサークルは売れます。そしてやっぱり「やおい」は売れます。
それまでにはなかったサークル同士の対立だの、力関係だのが見られるようになったようです。
あっという間に世間を席捲
キャプテン翼を大々的特集として扱った最初の雑誌は84年度10月号の「ファンロード」でした。
でもこれは同人特集ではなく、普通の人気漫画、人気アニメとしての特集でした。
では、最初に大々的にキャブテン翼の「同人」特集をした雑誌のは何なのかといいますと、「ぱふ」です。
諸星大二郎や星野伸之やCOMの特集をする硬派な漫画評論誌だったはずの「ぱふ」ですが、大判化した85年ごろから
少々ミーハー化してきました。それが決定的になったのが85年5月の「かわいいキャラ特集」。
読者公募によるかわいいキャラを特集したのですが、一位こそ「エイリアン通り」の翼ちゃんでしたが二位の「岬太郎」以下は
キャプテン翼キャラぱかりがずらずらと並び、この号は事実上の「キャプテン翼のかわいいキャラ特集」と化してしまったのです。
さらにミーハー同人化が決定的になったのが、86年の「キャプテン翼特集号」…これはキャプテン翼特集というより、「キャプテン翼同人特集号」で
数ページにわたってキャプテン翼の大手同人サークルが、その年の夏コミの配置表とともに大々的に紹介されたのです。
この特集号はすさまじい売れ行きと反響を呼んだようで、「ぱふ」のその後の編集方針を決定付けてしまいました。
以前の硬派な評論誌のおもかげはまったくなくなり、ミーハーな特集、それも女性向けのホモっぽいものばかりが中心になりました。
昔は読者は男性中心だったはずの雑誌が、やおい好き女性のための雑誌になってしまいました。
毎月大手同人作家の紹介コーナー、同人誌の紹介コーナーができるようになりました。
当時の同人界は「女性向けサークル=キャプテン翼サークル」でした。同人誌の紹介コーナー=キャプテン翼の同人誌紹介です。
昔の応募票を見ますと、サークルの区分が「キャプテン翼」と「その他」の二種類しかありません。
だいたい当時の同人誌全体の総数は「その他」よりも「キャプテン翼」のほうがはるかに多いのです。
「ぱふ」のホモ化同人化傾向はどんどんエスカレートしていき、現在はほとんどボーイズラブ専門誌となってしまっていますね。悲しいことです。
86年は同人界を「キャプテン翼」が覆いつくした年となりました。その勢い、エネルギー、出された本の量、本の質、本の厚さ、発
行部数世の中に与えた影響、同人界におけるジャンルの占有率、作家の質と量、すべてにおいてキャプテン翼を上回るものは今後も出ないでしょう。
キャブテン翼は女性向けの他ジャンル、オリジナルサークルを壊滅状態に追いやってしまいました。
女性向けジャンルにおけるキャプテン翼の占有率はすさまじく、「キャプテン翼サークル」が100とすれば、「キン肉マン」2、「北斗の拳」3、
「銀河~流れ星銀」2、その他のアニパロ1、オリジナル1、ぐらいしか発見することはできませんでした。
学漫や男性向けが来ない地方のイベントになるとさらに占有率がすさまじくなり、オンリーイベントでもないのに売っている本の98%が
C翼本ということもありました。ひとつのジャンルで数千サークルも集めてイベントができるようになったのもキャプテン翼が最初だし、
カップリング別のイベント、発行部数が数万部というのもキャプテン翼が最初でしょう。
そのように本の発行部数が増え、参加する人も増えると困ったことも出てきました。以前はスムーズに本が買えたのに行列につかなくてはならなくなりました。
行列には下手すると二時間以上並ぶはめになり、しかも並んだのに自分の目の前で売切れてしまうこともありました。
通販があやしげなサークルも多く、イベントで買いのがすと二度と本は手に入らない。同人誌は貴重品となったのです。
そうなるとよからぬことを考えるやからが出てきます。
同人誌でお金儲けをしようと考える連中が…
定番パラレルの登場
最初は原作のファンジンとしてスタートした「キャプテン翼同人誌」だったのですが、その種類や規模が拡大するにつれ、とてもファン活動とは
いえない部分がたくさん出てきました。「キャプテン翼同人誌」が「キャプテン翼」の原作とは離れた存在となり、読者の中には原作をまったく
読んだことのない人や、時には「キャプテン翼」は売れ線だから描くというまったく原作ファンではない書き手まで出てきました。
アニパロはネタの新鮮さが命ですから、原作のギャグパロディはネタが古くなると使えなくなりますし、やおいも原作に忠実な設定のみ
日常生活中心の学園物ではマンネリ化してしまいます。(私はぜーんぜん飽きないのですけれどもね。)
そこで取られたのは「パラレル」や「二重パロ」です。最初はギャグとして童話などをネタに白雪姫、シンデレラなどの童話をキャプテン翼キャラが
演じる学芸会的なもの中心だったのですが、だんだんシリアスな物が出てきました。定番なものとしては
遊郭もの
大抵受けが花魁で金持ちの攻めが身請けするパターン。父の残した借金の形に売られる美少年日向(笑)
身請けするのは若島津だったり若林だったり三杉だったり
吸血鬼もの
黒ずくめ萌えなんろうけど、攻めの吸血鬼が人間の受けを襲うパターン。
吸血鬼若島津は美少年日向(笑)を襲うのであった。最後は二人とも吸血鬼となってハッピーエンド。
医者もの
白衣萌えなんだろうけど、医師若島津と患者日向の恋。日向の医者というのはあまり見ないな。同僚の医師に反町がいる。
生まれ変わり
初対面のはずなのにどこかで会ったような気のする二人。実は○○の生まれ変わりなのであった。
天使・悪魔ネタ
悪魔の攻めは天使の受けに恋するのであった。もしくは天使(悪魔)の攻めは人間の受けに恋するのであった。
アンドロイドネタ未来を舞台とするSFは大抵これ。
人間の攻めはセックス用アンドロイドの受けを買い取るのであった。
逆に人間の受けが攻めのセックス用アンドロイドを買う話もある。
やくざもの
攻めと受けの二人は組長、副組長のカップル。幹部とその部下。二人ともチンピラということはない。
舞台は現代だったり、明治だったり。
リーマンもの
昔はプロサッカーリーグがなかったので、パラレルではなく普通にキャラの成人後のストーリーとして存在した。
記憶喪失
あっぱらぱーと化した受けと同棲生活を送る攻め。相手の記憶がないのをいいことにあれやこれや。
女体化子育てもの
受けは女体化してミニマム化した二人の子どもを育てる。
ナチスもの
リリアナ・カヴァー二の「愛の嵐」ネタ。ナチス親衛隊員の攻めに飼われるユダヤ人の受け。最後に待つのは破滅。
ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」ネタパターンもあり。
コレクターもの
ウィリアム・ワイラーの「コレクター」ネタ。狂気に駆られた攻めは受けを誘拐の上、監禁してセックス漬けにする。
(ワイラーの映画では肉体関係はなく、主人公はヒロインが体で誘惑して逃げようとしたら怒り出すストイックなもの)
王子と従者もの
従者の攻めは受けの王子に恋するのであった。もしくは貴族の攻めは奴隷の受け(実は戦争に負けた隣国の王子)に恋するのであった。
百合もの
キャラ全員が女体化したレズ物
芸能物
説明不要
で、これらのいわゆるパラレルの定番設定がその後出てきたありとあらゆるジャンルにも使われるようになったようです。
またこれらのありがち設定がキャプテン翼以前のゴッドマーズやJ7の時代からあったのかどうかは知りませんが、
一般的にわーっと広がりを見せたのはキャプテン翼以後のように思います。
こうなってくるともはやファンジンとは言えなくなり、どこがキャプテン翼本なのやらという感じの本も出てきました。
キャプテン翼とさえ出しておけば売れるのだから、ほとんどむりやりキャプテン翼キャラを出しているようなものやら、
オリキャラばかりがぞろぞろ活躍するキャプテン翼本まで…。
また既成のストーリーをキャプテン翼キャラに演じさせる二重パロも多く、定番の「華の嵐」はじめありとあらゆる
映画や漫画や小説のストーリーがキャプテン翼キャラで語りなおされました。しかもギャグではなくシリアスとして…。
私自身これらの物語が既成のものであるとずっと後になって原作を発見するまで気づかず、同人作家さんのオリジナル
なのだと思い込んでいて、なんと素晴らしいストーリーテラーと勘違いしていたものもありました。
でも絶対数が多かったので、質の良い本も圧倒的に多かったのです。
カップリングも本の種類も何でもあり。南宇和本から難波本から吉良耕三本から神田幸志本まで石崎、浦辺のやおい
ないものはなし。本の形式もやたら凝っていて、箔押し、上製本は当たり前。
新聞形式やら巻物形式やら変な形にカッティングされた本やら飛び出す絵本やらオルゴール付やらソノシート付やら
赤青のめがねで見る3Dやおいやらビロードのカバー付きやら印刷のありとあらゆる可能性が試されていました。
他のジャンルが出回る頃
86年の末ごろから「聖闘士星矢」が出てきました。久々に出たキャプテン翼に対抗しうる巨大ジャンルになりそうでした。
87年になると同人界も飽和状態になり、もうイベント会場だけではおさまりきらないようになってきました。
ある日私は地元の小さなイベントで妙な販売物を目にしました。明らかにそのサークルの本ではないものがそのスペースで売られていました。
東京の大手サークルの本が倍くらいの値段で売られていたのです。
どうやらそこでは東京で大手サークルの本を大量に買い付けて、リベートを上乗せして売っていたのです。
これが「転売屋」のはしりなのでしょうね。
当時は同人誌の書店売りはなく、通販のあやしげなところが多かったのでこういう転売商売がなりたっていたのです。
それからとあるサークルでは2,3年前に発行された他サークルの本を売っていました。
自分で昔買ったけどもう飽きたので売り払いたくなったのでしょう。当時は古本屋で同人誌は扱ってくれてませんでしたものね。
これが「同人誌古本屋」のはしりなのでしょう。
さらに私はぎょっとする発行物を本屋で発見します。同人誌のアンソロジーが堂々と一般書店で売られていたのです。
ふゅーじょんぷろだくと発行の「つばさ百貨店」…。これが本邦初の書店売り同人アンソロジーです。
それまでもアニパロコミックスの単行本「ゆりこみっくす」「ういんぐすふぃーるど」「世紀末翼伝説」「いつか天使の降る空へ」
「漫画の描き方入門」「戦場で…」といったC翼アニパロ本が一般市場に出てはいましたが健全な原作アニパロ本でした。
あくまでもファンクラブ誌に近い作りのギャグ本ばかりだったのに対し
「つばさ百貨店」は「やおい本」でした。しかも収録されているのはすべて健小次のみ。さらに巻末では大手同人作家による対談まで収録。
ここまで来るととてもじゃないけれどファン活動とは言えなくなってきました。アンソロジーの作品を描いた人たちはまだそれなりに
原作を愛していることはわかりますが、出版社の意図は何なのでしょう。
88年になると「サムライトルーパー」とか「シュラト」などが登場しますがこのあたりで私の脳は疑問符でいっぱいになっていました。
もうアニメブームは終了していましたから、それらの作品は地方では放映されていません。実は「聖闘士星矢」も富山県では未放映なのです。
それなのに地元のイベントではそれらのジャンルが占拠するようになっていました。「売れ線」に乗るつていうやつですか。
思えば「キャプテン翼」同人誌は実に自然発生的でした。原作が発表されてから同人界でブームになるのに実に時間がかかっているのです。
原作の第一話がジャンプに発表されたのは81年です。アニメになったのが83年でブームになったのは85年。
同人界がC翼一色に塗りつぶされたのは86年で、原作の発表から実に5年ほどかかっているのです。
同人誌は何のためにあるのか
同人誌とは本来ファンジン、つまり原作ファンクラブの会誌であったはずです。
何のためにあるのかというとその原作が好きという気持ちをファン同士でわかちあいたいから…その気持ちを互いに
交換する場であったはずです。
ですからその同人誌での利益など誰も考えていませんでしたし、また利益が出るようなものでもありませんでした。
そういった漫画のファンクラブ活動をするのは当然学生で22歳以下。同人誌で利益が出るなんていうことは
「キャプテン翼」以後のことでしょう。アンソロジー書店売り、転売屋、同人誌古本屋、そして同人誌そのものの書店売り。
こうなってくるともう商業誌といったいどこが違うのかまったくわかりません。
どうも原作が無料素材化しているようにも見えます。売れ線狙ってどんどんジャンルを変えていく人たち…。
キャラクターを原作から無断借用させていただいている、そして著作権侵害でもある意識はあるのでしょうか。
C翼初期の頃まではまだ同人作家たちもある程度の贖罪意識を感じながら描いているように感じていました。
同人界はマイナーなアングラ世界で決して表に出るものではありませんでしたから。
どんなにお金はもらっていても表には出られない妾のような存在で世間からもまったく存在そのものを認められていない世界
情報源は口コミだけでコソコソと地下活動をする世界、人からは馬鹿にされる世界。
そんな世界だからこそ人様のキャラにホモ行為をさせてもある程度はゆるされてるのではないかと思っていましたが
同人界が堂々と表に出て利益を出して活動するようになってしまうと何のための同人なのやらと疑問に思うようになってしまったのです。
同人世界がここまで巨大化してしまうともう昔のささやかな世界にはもう戻れないしょう。
疑問に思うことはいろいろあっても私にはどうすることもできません。
ただあのC翼同人ブーム初期の本当に好きだという情熱だけで集まっていた人々のあの熱気、あの情熱、
あのような世界にはもう二度と戻れないのだと思うと一抹の寂しさを感じるばかりです。
同人誌はなぜおもしろかったのか
同人誌はとてもおもしろい、楽しくて魅力的な存在でした。
商業出版された漫画に比べ、絵も下手で手抜きだし、背景は何も描いてないこともしょっちゅうでした。
それでも私はそれまで夢中だった少女漫画の数々を読むのを一切やめてしまい、キャプテン翼の同人誌を買い込むことに
すべての情熱とお金を費やしていたのです。じゃあなぜ買うだけで作らなかったのかというと、
単に当時からすでに年をくっていたからなんですよね。昔の同人界は社会人は参加してはいけないというようなかんじの
暗黙の了解がありましたので。私も当時中学生とか高校生の年だったら参加していたかな。
何がそんなにおもしろくて同人誌を買い続けていたのかというと、描き手の方々読み手の方々と感情の共有をしたかったからなのです。
以前夢中だった24年組の先生方は、「神」でした。あくまでも「先生」でした。近寄ることのできない存在でした。
とても常人では思いつけない物語や設定、キャラクターを作ることができる「超人」で自分とはかけ離れすぎた存在でした。
それに比べて同人作家の方々は「おともだち」でした。あらじめある設定、世界、キャラクターを使って妄想する…
それを見て「キャー、この人私と同じ妄想してる」「この人私と同じこと考えてる」
そしてこの漫画描いている人も買っている人もみんな「キャプテン翼」が好きなのよねー。仲間なのよねー。
という友達感覚を感じることができました。描き手はぐっと身近な存在になりました。
私が求めていたのは「キャプテン翼が好き」という感情の共有だったのです。
自分と同じ妄想をしている人を見つけた時の嬉しさといったらありませんでした。
漫画そのものの面白さだの上手さだのはまったく求めていなかったのです。
オリジナル漫画を描くときには読者にまず登場人物の説明やら世界観の説明やら設定の説明やらを長々と書かなくてはいけませんが
パロディ同人誌ではそれらの長々とした前段はいっさいいらなくなります。あらかじめ読者はキャラクターの設定やら性格やら関係やら
生い立ちやら世界観やらをすべて承知しているという前提のもとに描かれています。
それらの前段をなくしたことによって同人誌ではただひたすら描き手の感情、思いのみがダイレクトに描かれることになります。
その勢いがあることといったら商業誌の既成の漫画との比にはなりませんでした。
描き手の生身の感情のみがばんばんぶつけられるのですから。
オリジナルではキャラクターの造形や物語の構成にエネルギーをそそがなくてはならず、頭を使って構成しなくてはならないのに対し、
アニパロ同人誌では脳裏に浮かんでくるままに妄想や萌えをひたすら描けばいいのですから勢いがあるのは当然なのです。
私はその感情「私は●●くんが好き好き、キャプテン翼が好き好き」というものにとても酔うことができました。
あんな楽しい読み物はかつてないことでした。
C翼同人誌はそのおもしろさゆえ大量の購入者がつき、なおかつ知名度の高い題材と学園ものというハードルの低さから大量の書き手が出ました。
以前とは比較にならない量の需要と供給がなりたったゆえ、巨大なマーケットシステム、商業システムを確立してしまいました。
現在の同人界のシステムはC翼が作っていったものと思われます。
C翼でなりたっていなかったのはモトネタ供給者自身が同人誌活動を嫌っていたことぐらいかな。
わざわざ腐女子目当ての作品が作られるようになり腐女子対象の商売を積極的にやりだしたのは「トルーパー」からでしょうか。
ただやおい同人誌は萌えが命ですから、萌えなくなったとたんに描けなくなってしまいます。
そして好きでもないのに流行だからという理由で書かれた同人誌は「萌え」がないから面白くないものです。
星矢のことトルーパーのこと
86年に「聖闘士星矢」が登場しました。星矢にはC翼から流れた人もいれば、C翼には転べなかった人がこれでやおいに
参入したりしました。C翼との違いは、星矢には以前からあったホモ漫画の耽美的な要素やファンタジー的要素があった点です。
C翼には転べなかった耽美漫画派の人たちも星矢なら興味をもつことができました。
星矢の同人界への登場には車田正美の原作よりも荒木&姫野原画によるアニメ版のほうが影響度が高いです。
このアニメが耽美な作画でなかったら同人界ではこれほど人気が出なかったんじゃないかな。
車田正美の原作の絵柄は古典的少年漫画のもので、物語は大変面白いのですが少女には少々とっつきにくいものでした。
以前の「リングにかけろ」とか「風魔の小次郎」とかも女性に人気があることはあったのですが、人気作として扱われていたのは
「ふぁんろーど」紙上くらいで全国的な人気とは言えませんでした。
「星矢」アニメ版では古典的で泥くさかった車田正美の絵がベルばら調の耽美なものにブラッシュアップされ、
効果も構成も音楽も背景も音楽も作画もその時代のアニメとしてはトップクラスで、大変質の高いものとなっていました。
それに対しC翼のアニメは作画もいいかげんで、ユニフォームは板みたいだし、主題歌は「ちょうちょうサンバ」に「チャンバ」だしで、
お世辞にも質の良いアニメとは言えませんでした。C翼旧作アニメの唯一良かった点はあくまでも原作に忠実に作ってあったことなのです。
星矢はあくまでも耽美でSFでファンタジーでしたから、キャラクターは身近な存在とは言い難く、日常生活からはかけ離れた存在でした。
ですから同人誌を作るには少々難点がありました。同人誌ではキャラクターの日常を描くことが多いのですが、戦闘だの生まれ変わりだの
架空の出来事中心の星矢ではキャラクターの日常を描くとどうしても原作と離れてしまう部分がありました。
それにキャラクターの成長とか将来とかが想像しにくい作品でもありました。
「星矢」の同人誌も人気を博しましたが、キャプテン翼の人気にはおよばないものでした。
その後「キャプテン翼」に迫る同人界の人気作が登場します。「鎧伝サムライトルーパー」です。
新作アニメとしてトルーパーの記事をアニメ誌に見つけた時は思いっきり吹き出してしまいました。
サンライズはロボットアニメが行き詰まり大コケ作品を連発していた頃だったので、ここまで露骨に「星矢」をパクるのかと苦笑いたしました。
トルーパーが放映された頃はアニメブームが終了して二年もたっていましたから、このマイナーなアニメは当然富山県では放映されませんでした。
にもかかわらず富山県でもトルーパー本が作られたり売られたりしているんですよ。中央のブームに乗るっていうことなんですか。
そんなにブームになるのなら「トルーパー」のアニメとはどんなものだとレンタルビデオ屋からビデオ借りてきて見てはみたんですが
ただの並の少年向けの戦闘ものアニメにしか見えませんでした。作画も演出も物語も「星矢」に比べると劣るし「劣化版サンライズ星矢」にしか
見えなかったのです。確かに「星矢」に比べるとキャラクターが身近で日常的なんですけどね。
トルーパーが新たにもたらしたもの、「C翼」「星矢」との違いといえば、製作者側のほうが積極的にやおい女相手の商売をしていた点でしょうか。
それと「C翼」「星矢」には女性ファン以上に一般人の男性ファンも多くついていて、別に女性相手の商売をしなくても男性相手だけでも十分に
商売がなりたっていたんですよね。ところがトルーパーは「同人のみ」で人気が出たジャンルなんです。アニメそのものの完成度はお世辞にも
高くなく「キャラ萌え」のみでできたキャラクターが記号と化したジャンルとでも言いますか。●●という設定と性格のキャラクターと■■という設定と性格の
キャラクターをホモカップルにした物語を書いたり読んだりするのはおもしろいなーというものでファンジンとしての同人誌とはほど遠いものになっていました。
実はその頃になるとC翼もキャラ萌えのみの記号となった同人誌が中心になってしまっていたんですが。
キャラクターの設定と名前のみを借りてオリジナルの物語で語り直したどこが「○○本」なのやらといった感じのものばかりで。
だからと言ってそれを彼女らのオリジナルの本であると呼ぶ気はさらさらありませんが。
高橋陽一先生も車田正美先生もやおい同人誌を嫌っていたので、同人の作り手側はどうしてもコソコソと後ろめたい気分半分で行動しなくては
ならなかったのに対し、トルーパーはメインの声優5人組でNG5という女性ファン相手のユニットを作ったりして、
堂々とやおい向け商売していたんですよね。それ以後どうしてもこれは男性向けアニメの皮をかぶった腐女子向けアニメじゃないかというものや
これは男性向け漫画の皮をかぶった腐女子向け漫画じゃないかというものが作られるようになったんですよね。
トルーパー製作者側も最初から女性相手の商売などする気はなかったのでしょうけど、結果的に本商売の相手である男性向けのものが大コケ
にコケたし、なぜかとんでもないところから人気が出たのでそこで商売せざるをえなくなったんでしょう。
製作者側も気づいたんでしょうね。腐女子人口の多さと腐女子を排除するより積極的に商売に取り入れたほうが儲かるって。
ジャンプなんて別名「腐女子ジャンプ」なんて言われるようになったりしてて。
別にいいんですけど、私のような古い人間はこういう恥ずかしいものが堂々と正面に出てくるようではどうしても赤面してしまうんですよね。
小学校の隣にラブホテルが建っているような感じがするんですよ。
「トルーパー」が失速するのは「C翼」より早かったですね。
あさおきたら、まずヌくといいとおもうよ
うそつかないほうがらくだよ。
はやくかわくかもよ?