ブログって良くも悪くも続けてると書き手の思考や嗜好パターンが蓄積されていったり文体が固定化したりして、キャラが立ってくるじゃん。読者が増えたり、知り合いにばれたりすると、誰かに強制されているわけではないんだけど、もう自分がその場所で書けることがどんどん限定されていってる気がしてくるんだよね、セルフメンタルブロックって言うか。で、書きたいことと書けることの距離がどんどん離れていく。増田のいいところは…
面白いことに、映画が好きだといいながら、出てくる人物の顔すら識別できないひとがけっこういる。たとえば、侯孝賢の『悲情城市』(1989)を見て、人物関係がわかりにくいというひとがいます。あれは何の役だったっけって聞かれて不意に驚くということがありますが、侯孝賢の場合は、顔を見ていれば、間違いっこない。勿論、そのように演出されている場合とそうでない場合があるわけです。よく挙げる例ですけれど、スピルバーグの…
増田はアノニマスダ(増田)を略したもの。「アノンダ」とか「アノンド」じゃ、意味不明だし語呂が悪い。「はとダ」も「はてダ」とまぎらわしいし、語呂が悪い。増田でいいんじゃね?美少女らしいし。http://anond.hatelabo.jp/20061113191806はhttp://anond.hatelabo.jp/20061111222909参照
http://anond.hatelabo.jp/20061112231105
いますね、そーゆー人。ダメな現場ではよく見ます。ゲームっていうのは、あるルールを設定して、その制限のなかで遊ばせるというのが肝なので、ゲームを作るってのは「不自由を作る」こと。これを分かった上で「自由度を上げる」のはチャレンジだけど、なんも考えずに「自由」にするのは、ルールを作ることを放棄してるだけ。優秀なゲームの作り手は、不自由なルールを作った上で、プレイヤーの工夫とか想像の余地を許す。ただこれ…
僕は三十歳になっていた。目の前にはこれからの十年間が、不穏な道としてまがまがしく延びていた。(中略)三十歳――それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。熱情を詰めた書類カバンは次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう。でも僕の隣にはジョーダンがいる。この女はデイジーとは違い、ずっと昔に忘れられた夢を、時代が変わってもひきずりまわすよう…
俗に言うコミュニケーションスキル(笑)が足りないタイプのいじめられっこは社会に出てもそこを徹底的に突かれて苦しみ続ける。どのみち生きてても辛いだけだから、その前に死ぬのはある意味賢い選択かもしれない。
ふと思ったんだが、はてなの最果てで細々と「ブクマがどーのこーの」言うより、ここで書いた方がよっぽど見られるよな。 何か、言いたいことがあるけれど、自分のはてだがあまり読まれていない人は、ここでちょろっと言って、カミングアウトするのってどーよ。
たまにひらめき、いいことを言う。普段は意見がまとまらなかったり、思考が分裂している。多重人格。外部とは隔離された空間に安置されている。外部とのコミュニケーションはアノニーとイオリという二人の自動人形(ビスクドール・タイプ)が行っている。マスダ・アノニーとマスダ・イオリは本物の人間と区別が付かない。双子(一卵性)タイプハーフっぽい。学校に通っている。
誰でも実験できて,大量生産・大量試験できて,状況さえ整えれば誰でも扱えるような技術が,世の中に広まる⇒ゆえに正しい,とされるのは,科学技術の性質であると同時に資本主義の性質でもあるなあと思う.だから「みんなの前で実験してみろ!」という立場は,科学技術的な立場であると同時に資本主義的な立場でもあるのだろう.逆に,資本主義でなくて区切られた世界であれば,例えばソ連でルイセンコ主義なんていう似非科学が流…
ルビは「アノニマス」