2017-05-19

増田哲学 Ver 0.1.2

この世(宇宙)の始まりは知性とともにあった。即ち「光あれ」(※1)の言の波とともにこの世が生まれとあるように、「光とこの世」の前に存在したのが知性なのだ。この状態混沌というわけではない。知性とは「Cogito ergo sum」※2 が個に生じた状態であり、その思念こそが創造の源となる。

自己を知覚した存在「光」を欲すれば、「光」生まれる。そして「光」の前に存在した「言」(※3)こそが、知性が行動を起こしたときに生まれる「想い」、即ち「思念なのだ。知性の存続は時空間という概念を超えたところにある。つまり「Cogito ergo sum」という瞬間がいずれかの時空間軸で萌芽した時点でそれは「有る」。またそこに「有り続ける」。結果として、知性の存在は「場所物質的なものに一切依存する必要のない」(※4)、言い換えれば、知性は時空間という概念から独立して存在しうる。つまり、これは世に出現するあらゆる現象(色)は本質ではなく(故に「空」であり)、世におけるあらゆる現象から独立して存在する知性(故に「空」)こそが本質(故に「色」)であること--「色即是空空即是色」(※5)を意味する。

知性の繁栄とは、複数の知性が如何に結びつくかを示し、そこには2つの類型しかない。一つは、相互依存による共存共栄による知の拡大である。もう一方は、一個性による他、そして多の支配による侵略の拡大である。一方は永遠なる存続と相互補完により実現する存在であり、他方は、一個性支配下により存続が左右される。

※1 旧約聖書 創世記1:3

※2 デカルト 『方法序説』第4章

Cogito ergo sumは一般的に「我思う故に我あり」と訳されるが英語などでは、「I think Therefore Iam」、直訳すると「I think Therefore Am」となるためより「I」存在のものを強調した表現となっている。

※3 新約聖書 ヨハネによる福音書1:1

※4 デカルト 『方法序説』第4章

※5 般若心経

  • このヴァージョンはこれまでのコメントなどをふまえたうえで Ver0.1.2へと更新された。 http://anond.hatelabo.jp/20170519013427

    • このヴァージョンは、コメントにあるいくつかの提案を踏まえVer01.1へと更新された。 http://anond.hatelabo.jp/20170518010429

      • 世の始まりは知性からである。即ち「我、光あれ」の言葉とともにこの世が生まれたとあるように、 「光と世界」の前に存在したのが知性なのだ。 この定義付けから詳しく説明を。...

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