主人公:
でもあいつのおかげでチームは強くなったし甲子園にも行けるようになった。
俺のやったことは正義なのか、それとも悪なんでしょうか?
黒野博士:
ああ、そりゃ簡単なことじゃ。
“正義”の反対はなんじゃな?
主人公:
悪じゃないんですか?
黒野博士:
悪の反対は善、善の反対は悪じゃ。正義の反対は、別の“正義”あるいは“慈悲・寛容”なんじゃ。
正義とは、人の従わねばならん道理を言う。”正義を行う”となれば、道理を守らせることにもなる。
主人公:
黒野博士:
“殺すな・奪うな”までは殆どの思想で共通じゃが、その先はバラバラじゃ。
“男女は平等”かもしれんし、“女性は守るべきもの”かもしれん。
“どんな命令にも従う”が正義なら、“悪い命令に逆らう”のもまた正義。
主人公:
じゃあ、なにが正しいんですか?
黒野博士:
みんな正しいんじゃよ。道理に関する限り、正しい事は一つと限らないんじゃ。
主人公:
黒野博士:
・・・これも正しいとは限らんがね。
じゃから、結局のところはその時ごとになにが正しいのかよく考える必要があるじゃろうな。
結局のところ、みんなにとって最も良い事を探して選択するのが”善”なんじゃろう。
じゃから、正義は善と限らん。ともすれば自分の信じる道理を他人に押し付けることになるからな。
主人公:
・・・よくわかりません。
黒野博士:
やらなきゃならんと思ったからやったんじゃろう?
本当にそれが正しかったのか、最善のやり方だったのか、ときどき反省してみるんじゃな。
いずれ、自分で納得できる時が来る。
主人公:
・・・はぁ。
じゃあ、悪って何なんです?
黒野博士:
一般的な定義から言うと、世の中のルールを破って他に迷惑をかける行為じゃな。
主人公:
でも、博士は”悪”なんですよね?
どうしてわざわざそんなものをやってるんですか?
黒野博士:
わははは、一般的と言ったじゃろ?
わかるか?
ルールにとらわれないことじゃ!
昔は、”科学”も”自由”も”人権”も”平等”もみーんな”世の中の平和をみだす悪”じゃったんじゃよ。
黒野博士:
なーに、ちょこっと歴史の本を読めばわかることじゃよ。
「他者への寛容こそ正義!不寛容な奴はみんな死ね!」って感じじゃない?
主人公: ねぇ博士、正義や悪ってなんなんでしょう? レッドが悪い奴だと思うから野球で勝負して追い出したんです。 でもあいつのおかげでチームは強くなったし甲子園にも行けるよう...
別にはてなーに限った話でもなく世界的にもそんなもんだとおもう
ちょっと違うな。 正確に言うなら「マジョリティへの寛容こそ正義!不寛容な奴はみんな死ね!」だろ。 嫌煙派の言動を見てればよく分かる。昔から何一つ変わってないよ。
しかも「(俺のお気に入りの)」という冠つき
そう?立ち位置の問題でようは一緒じゃね? 不寛容者に不寛容だし
SNS的な炎上機能を備えていたはてなだからこそ、注目を集めたいニュータイプブロガーが入植してきたんだけど、そのタイプのブロガーにとって【チラシの裏にでも書いてろ】的な攻撃...
欧米の左派知識人たちもなんだかんだいってコソボ空爆やイラク戦争を支持していたりするので むしろ今みたいなほうが国際標準だとも言える
他人を攻撃する時の正義ポジションを取る為に「寛容な自分」を演出する不寛容な人がいるって事では。
本当に寛容こそ正義なら、不寛容な人にこそ寛容にならなきゃいかんのだよ。 でもそれを実行するのは並大抵ではないってことですわ。
他者に寛容になるためには批判ばかりしてはいけない。 批判とはこれはダメだ、あれは良くないとか言うことだ。 そんなことを言っていてはダメだ、批判自体が良くない。 さらに断定...