2017-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20170430040636

97年新卒だった。

就職関連の何かに自分の住所とか電話番号とかを登録しておくと

大量のDMが届くようになるのでそこから気になる会社を選んでエントリーするのが一般的なやりかたっぽかった。

ただ僕らの情報電気電子系は当時からe-mailは使えたので、一度向こうのリクルータと接触した後はメールで連絡して企業見学面接の日程を決めていた。

旅行ホテル予約サイトがないしWebも始まったばかりでホテル情報がないので関東企業に行くのにホテル決めて予約するのが一番大変だった。

知らない土地でXX駅からYY駅までどれくらいの移動時間がかかるかわからないので駅すぱあとっていうソフトを買って調べたりした。

当時はそこそこの大企業でもコンピュータ技術者は少なくて

簡単デバイスドライバ実装できたりC言語簡単コンパイラ作ったりできるだけで即戦力だった。

なので選考とかで苦労した記憶はない。

ただ当時は大企業就職するよりフリーターで働いたほうがしばらくの手取りは上で、

大企業就職するやつはバカ、みたいな価値観が一部にあった。

僕も初任給20万くらいで手取り16万とかだったけど、普通にその時間アルバイトやってたら月30万は稼げてたと思う。

(そのとき目先の収入につられて非正規のほうを選んだ奴らが後で恨んできたりしたけどそんなの知ったことじゃないよね)

記事への反応 -
  • 今、毎日死ぬぐらいの勢いで就活サイトに登録したメアドにはお勧めの企業情報や 「あなたと話したがっている企業があります」みたいなダイレクトメールが来ている。あと、登録した...

    • 97年新卒だった。 情報・電気電子系は当時からe-mailは使えたので向こうのリクルータとメールで連絡して企業見学や面接の日程を決めていた。 旅行やホテル予約サイトがないしWebも始...

    • 木尾士目の四年生を読めば分かる。

    • 理系だったから、教授に推薦もらって、リクルーターと面談して、面接に行ってそれだけ。23年前。

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