音楽も、ストーリーもよかったと感じた。なのに引き起こされたのは罪悪感だった。
ララランドは、女優志望のミアが、ジャズピアノマンのセブと恋に落ち、別離するストーリー。
最後、ミアは女優として成功、セブも自分のお店を持っており、彼らは夢を叶えて終わる。
ミアはセブではない夫と結婚して子供もいる。セブは独身なのかどうかは不明だった。
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大学2年から4年まで2年間付き合った元カノがセブと重なった。
自分から好きになって告白して付き合うことになり、こちらから別れを告げる形になった。
別れた理由は保身だ。
自分とは家庭環境も通ってきた経歴も価値観もなにもかもが違った。でも好きだった。
相手の方が「なんで自分のことを好きなのか」と疑問に思うくらいに。
終わりを恐れながら付き合っていた。
こんなこと、いつかは終わると思いながら付き合っていた。
ふつうの幸せがほしい。同じような家庭環境で経歴で価値観が合うひとと
ふつうに祝福される付き合いがしたい。
このままこの人と付き合い続けたとして、ふつうの幸せは手に入らない。
だから、別れたいと言って別れた。もうやめたい。詳しい理由は言えなかった。
終わりを恐れながら終わりを待っていたなんて矛盾しているし最低である。
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私は結果的にヘテロの女で、相手はノンセクシャル(と思われる)の女性だった。
多感な時期のセクシャリティの揺れを引きずって彼女と付き合い、
最終的に保身のために切り捨てた。
今は落ち着いて、同じような家庭環境で経歴で価値観が合う彼氏がいる。
付き合って2年経ち、同棲の話が出た。欲しかった、祝福される付き合いだ。
家族と友達と世間一般から、なんの障害もなく祝福される恋と結婚のことなのだ。
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ミアとセブはお互い夢を叶えている。
でも、私の人生は映画ではないので、彼女と偶然出会って目配せと微笑みで夢が叶ったことを
確かめ合うことはできない。
元カノに対するこの罪悪感は消えることがないだろう。