エンターテイメントとしては面白かったけど作品のメッセージのロジックが駄目だ。あれだとカナシミの価値が家出を思い留まらせる、という結果に依存した価値にしかならない。
「ライリーを幸せにできない」という台詞が何度かあったけど、あの作品をロジックは
・それゆえに、家出を思いとどまらせたカナシミには価値がある。
なんだけど前提が間違ってる。
「憂鬱に浸ることは実は精神を落ち着かせる心地良いものだ」、みたいなこと言った心理学者がいた(誰かは忘れた。記憶の捏造かもしれない)。悲しみはそもそも不幸を取り扱う受動的な感情であって、能動的に幸福な状態を獲るための感情じゃないんだよ。
なのでインサイドヘッドの作中で言えば、ロケットを捨てられたビンボンに寄り添っていたシーンの方がずっと本質的。不幸を回避することを目的とした感情なら悲しみより恐怖が相応しい。実際、ビビリ(両親から離れることへの怖れ)で家出をやめても矛盾しないはず。
1.家出を主導するのはヨロコビ
持ち前のポジティヴ思考で「ミネソタに帰れば状況が好転する」と考える
友達を頼るけど親を呼ばれて連れ戻されそうになる、など
3.引越しの現実を受け入れ、心から悲しむことで平静を取り戻す
って感じかな。